召喚王、覚醒 終
終幕
目が覚めた時、外は暗かった。まだそれほど眠っていないのだろうかと思い、時計を見ると、『キマイラ』と戦ってからだいぶ時間が経過していた。今は夜中の三時だ。
「……相当疲れてたんだな、俺」
ベッドから体を起こし、立ち上がろうとしたが、体に力が入らず、思いっきり床に転倒した。幸いどこにも痣は出来なかったが、体に力がまったく入らない。自分の体ではないようで、まるで誰か別の人間の体を遠くから動かしているかのようだった。
何とかベッドに這い上がり、どうにか戻る事が出来たが、体中がガチガチに固まってしまっている。背伸びをしたり腕を回したと、ストレッチをすることぐらいは出来たが、未だに体全体に疲労感がこびりついている。
「もうしばらくは寝てるか」
布団も戻して寝る体勢に戻る。ふと窓の外に視線を送る。樹木や建物に阻まれて殆ど隠れてしまっているが、窓の外には綺麗な満月が出ていた。
「静かだな……」
耳鳴りがする程に静かだ。時折落ちる点滴の音も、まるで時計の秒針のように思えた。
「暫くはゆっくりさせてもらうか」
静かに目を閉じ、再び眠りに落ちる。かなり眠っていたはずだが、五分と掛からずに意識は遠のいた。
夢の中で龍真は『キマイラ』に会った。その姿は六花のものでは無く、禍々しい怪物の姿をしていた。
「儂は何度でも甦る。必ず貴様を滅ぼすぞ」
『キマイラ』の声は石化する直前に聞いた、あのしゃがれた老人の様な物だった。
『キマイラ』は言う。
「貴様がどれだけこの世界を守ろうと、世界は悪意に満ちている。憎悪、嫉妬、殺意、敵意……いくらでも儂が付け入る悪意は存在する。そしてその悪意は貴様がどうこう出来るものではない」
確かにその通りだ。世界には人を妬み、人を憎み、人を拒む感情が溢れている。それは毎日のようにテレビやニュースで耳にするし、街を歩いていても分かる。どこからでも喧騒は聞こえるし、悲哀の感情はその悪意に比例して増え続けている。
「確かにこの世界はとても黒い感情で満ちている。でもその感情があるからこそ、誰かを愛し、誰かを愛おしく思う感情も生まれると、俺は思う。この世界には悪意と同じぐらいに善意が満ちている。だからその善意が無くならないように俺は戦う。きっと悪意はいつになってもなくならないだろう。でもそれでも俺は戦う。戦うことを止めたら、それこそ俺の善意が無くなってしまう。もしかしたらこの善意も、どこかで悪意に変わってしまうのかもしれない。それでも、続ける。いつか俺の独りよがりな善意が、本当の善意に変わる日が来ると信じて」
キマイラがくつくつと声を出して笑う。
「貴様のその善意とやらが何なのかは儂には分からん。儂は悪意から生まれたのだからな」
「だったらお前はお前の悪意を信じているんだろう。それは俺にとっては悪意だが、お前にとっては善意なんだろう。善意と悪意は表裏一体だ。俺の善意がお前にとって悪意であるように、お前の善意は俺にとっては悪意だ。俺たちはいつまでも分かりあう事は無い。だから俺はお前と戦う。この世界を守るために」
龍真の両手に槍が現れ、それを『キマイラ』に向ける。
「良いだろう、儂も貴様のその正義ごっこに付き合ってやる。儂が正しいことを証明するために」
『キマイラ』の手に剣が現れ、その切っ先が龍真に向けられる。
そしてお互いに向かって武器を振り下ろしたところで目が覚めた。もう日が高く昇っている。誰かに起きたと伝えようと思い、脇にあったナースコールを押した。ピッと小さな音がした後、なぜか何人も病室に駆け込んできた。その中には『キマイラ』の被害に遭った魅由梨の姿もあった。しかし病室にいるはずの魅由梨は黄龍の制服を着ていて、髪もショートからロングになっている。しかも見知らぬ人間が何人もいる。
彼らに揃って体の事を聞かれ、もうどこも痛くないし、心配いらないと言うと、魅由梨が電話を龍真に渡してきた。不思議に思いながらも電話に出ると、相手は桃李だった。そしてその話す内容は冗談にしてはあまりにも衝撃的だった。
「二年……ですか?」
桃李の言葉が信じられず、思わず聞き返した。
「そうだ。君はあの『キマイラ』を倒した後、二年間ずっと眠り続けていたんだ。体は完治しているのになぜか意識が戻らなくてね。僕もなんとか原因を明らかにしたかったんだけど、どうしても分からなかった。もしかしたらこのまま二度と目覚めないんじゃないかとすら思ったよ」
確かにたった数日寝ていたにしては体が異様に動かなかったが、二年間眠っていたと言われれば納得も行く。ずっと眠っていれば体に力が入らなくても無理はない。
「ご心配をおかけしました。あの、桃李さん。桔梗は……どうしてますか?」
「桔梗はそこで支部長になっているよ。今は作戦中らしいから、多分夕方には君に会いに来るんじゃないかな。桔梗は君が必ず目を覚ますって、ずっと言い続けていたよ。君が目を覚ましたと聞けば、きっと喜ぶよ」
ありがとうございました、と言って携帯を切り、渡してくれた魅由梨に携帯を返した。話を聞くと、魅由梨は学園を卒業した後、この北海道支部に入隊したのだそうだ。命を助けてもらった恩を返したかったのが入隊した理由なのだとか。
その後、何人もの医師に体について質問攻めされ、一通り話が終わると、すでに日が傾いて来ていた。
再び病室に一人になり、ベッドに横になり、目を閉じた。まさか二年間ずっと眠っていたなんて。心配ないと言っておきながらだいぶ心配をかけてしまった。
「桔梗、怒ってるかな………」
ぼそっと呟き、目を開ける。用意されていた病院食は、ドロドロで、なかなか食べる気にならなかった。食べることに慣れるためにはまず、こういう物からだと言われたが、なかなか口に運ぶ事が出来ない。味も食感もなく、しかも飲み込むと吐き出しそうになってしまう。
我慢してなんとか食べ終わり、スプーンを置いて窓の外に目をやる。あれから二年、大学はきっと休学扱いになっていて、同級生だった友達は先輩になっている。成人式も終わってしまっていて、自分はもう二十一歳、立派な大人だ。祖父母にも二年間連絡が出来ていない。元気にしているだろうか。
「軽く浦島太郎の気分だな」
先ほど魅由梨に渡された携帯も見たことのない種類で、よく見ると病室の中にあるものも使い方の判らないものがいくつもある。
「桔梗も変わってるかな……」
二年もあれば人は変わる。魅由梨は声で分かったが、他の人たちは面識が無かった。桃李は本部に行ってしまったらしいし、桔梗は支部長になっている。自分だけが過去に取り残されてしまったような気がした。
「龍真!」
勢いよくドアが開けられ、真っ白な髪をした女性が入ってきた。最初は誰かと思ったが、その顔は間違いようもなく、桔梗だった。
「あ、えっと……おはよう……それと、久しぶり」
沢山話したいことはあったが、桔梗の顔を見ると考えていたことが何もかもが吹き飛んでしまった。
「目が……覚めたんだね」
桔梗の声は震えていた。手は固く握られ、顔は床を向いている。今にも泣きだしてしまいそうな声だった。
「心配かけて、ごめんな」
「…………………」
「もう、大丈夫だから」
「…………ん」
「えっと…………ただいま」
桔梗が龍真の体に抱き付き、静かに涙を流した。龍真はどうすればよいのかわからず、取り敢えず、龍真も桔梗を抱きしめた。
「よかった……よかったよ。もう起きないんじゃないかと思った」
「ごめん」
「もう心配かけないで」
「ああ、ごめん」
桔梗が顔を上げ、龍真の顔を見る。
「龍真……おかえり」
満面の笑みで桔梗は笑った。その笑顔につられて龍真の顔にも笑顔が浮かぶ。
「ただいま」
「…………ま………龍真、おい、起きろ。………龍真!」
頭に重い衝撃を受けて、龍真の意識は現実に呼び戻された。
「うぐっ、いってえ……」
頭に固い衝撃が伝わり、ゆっくりと龍真は目を覚ました。
「ああ~………おはよう桔梗」
「何がおはようだ。何故大切な作戦会議中に眠る事が出来るんだ?」
そう、今は暴走している覚醒者を捕獲するための作戦会議中だった。昨日からあまり眠っていないせいでつい居眠りしてしまった。
「悪い。寝不足でつい。で、どこまで説明した?今回のターゲットについて話したところまでは覚えてるんだけど………」
「いい、龍真には移動中に説明する。今ソルジャーたちへの説明は終わってしまったよ。では、これから作戦を開始する。皆に龍の加護があらんことを」
ブリーフィングルームから隊員たちが去り、龍真と桔梗だけになった。龍真はゆっくりと立ち上がり、大きく背伸びをする。叩き起こされたことで目は覚めたが、まだ眠気が残っているようだ。
龍真が目を覚まして半年が経過した。リハビリのおかげで先月から戦線に復帰する事が出来て、今では以前と同じように動くことができる。
「まだ眠そうだな。もう一発殴っておくか?」
タブレットを軽く振りながら桔梗が尋ねる。どうやら寝ぼけていることに気付いているようだ。
「これ以上叩いたら頭の形が変わっちまうから。脳天が平面になったらシャレになんねえし。それよりさ、久しぶりにあの日の夢を見たよ」
遠い景色を見るようにモニターを見ながら、龍真は見ていた夢の話を桔梗に話した。
「あの日って、目を覚ました時にも見たっていうあれ?」
桔梗と共に移動しながら、龍真は夢の話をした。とても長い夢を見ていた気がするということ、『キマイラ』と話したこと。
龍真が目を覚ました後、『キマイラ』の石像をどうするか長い話し合いになった。そして検討した結果、石像は破壊せずに永久に封印することとなった。石像は桔梗が龍真に護衛させながら黄龍本部に運び、地下深くに安置された。そしてその部屋は何重もの封印処理が施され、誰も近付くことが出来ないように封印した部屋に続く階段は爆破された。
これで完全にキマイラの脅威は去ったと思われたが、龍真と六花の戦いから一年が経過した頃、中東のある地域でキマイラと似通った反応が確認された。桃李は可能性として、壁に磔にされた時に壁の中に分身を紛れ込ませていたのだろうという。
「あれからもうだいぶ経つんだな。俺は眠ってたからついこの前のように思えるけど」
「三年近くなるね。いつの間にかあっという間に時間が流れて行って、あっという間に私たちもかなり偉くなった」
この二年で桔梗は黄龍北海道支部の総部隊長になり、龍真は北海道札幌支部のケルベロス隊長であり、戦闘指南役も兼任している。
「ほんと、あの時はどうなることかと思ったよ」
「それはこっちのセリフ。おかげで私の髪はこんなに真っ白になっちゃったんだから」
自分の髪を触りながら桔梗が言う。龍真が眠り続けている間に桔梗の髪はどんどん白くなってしまい、一年が過ぎた頃には完全に真っ白になった。
「いいじゃん、綺麗に真っ白だし、似合ってるんだから」
「そんな事より今は作戦の方が大切でしょう。これから説明するから、ちゃんと聞いて」
「分かってるって」
バイクに乗り、桔梗にヘルメットを渡す。
「行こう、桔梗」
シャッターが開き、バイクが飛び出す。
「で、今回の作戦ってどんなん?」
「本当に何にも聞いてなかったんだね。今回の相手は―――」
北の街を漆黒のバイクに跨った王が行く。全てを守り抜くと決めた固い決意と共に。
未だにキマイラは生きているだろう。それは予想では無く、確信が持てる。何故、と聞かれれば上手く答えることはできないが、間違いなくキマイラは生きている。
未だに黒峰六花の意識が生きているかどうかわからない。もう既にキマイラの意識に飲み込まれているとしても、なんとか救う手だてはないか模索している。
「絶対に助ける。黒峰六花も、悪意に染まったキマイラも、一人でも多く助けるんだ」
決意を確認するかのように龍真は一人呟く。
「何か言ったか?よく聞こえなかったんだが……」
「なんでもないよ」
到着したのは郊外の森林地帯。ターゲットの覚醒者はこの森の中に逃げ込んだとの情報が入っている。
「アヒャヒャヒャヒャヒャ!」
森の中から奇声と共に獣の断末魔が響く。
「いた………けど、なんかやりにくそうだな」
「いいから行ってこい。魔獣を狩る隻眼の王よ、お前がこの地を守るんだ」
バイクから降りた龍真は暗い森の中へと駆ける。走り始めてすぐに見つかった覚醒者は、一心不乱に鹿の体を貪っていた。その体は熊とも、ライオンとも似つかない凶悪な姿。
獣の覚醒者は突然貪るのを止め、虚空に向かって鼻をひくつかせると、龍真に向かって真っすぐ向き直った。
「誰だ…………いるのは分かってる。出て来い、喰ってやる。喰ってやるううううう!」
「なんだよ、意外と勘が良いんだな。まあ、落ち着けって。俺はアンタと話をしに来たんだ、別に殺しに来たわけじゃ……」
龍真の冷静な声は獣の覚醒者の神経を逆なでした。自分の事をバカにしているように思えたのだ。
「誰だお前は?黄龍の犬か!」
「ちげえよ」
龍真は両手に槍を持ち、片方の槍を獣の覚醒者に向けて言い放った。
「俺は榊龍真、魔獣を狩る者だ!」