召喚王、覚醒 3
第三部第三公演開幕
北海道は日本で二番目に覚醒者が多い。未だに覚醒者の発生条件は自らの内に存在するもう一人との対話以外は明らかになっていないが、人口の三割以上が覚醒者というのは東京以外では北海道だけだ。多すぎる覚醒者を管理するため、道内各地に覚醒者としての才能がある子供を養成する学校が存在する。その理念は統一して
『個人の覚醒者としての能力を見出し、その能力を引き出したうえで、社会へ貢献することのできる人材を育成すること』
にある。国立覚醒者養成学園、通称〈シャングリラ〉もその一つだ。シャングリラには下は六歳から上は二十まで、幅広い年齢層の学生が通っている。そしてどんな場であっても存在することが、この学校でも問題になっていた。
それが一個人を集団で無視する事や所持品を捨てるなど、まあ要するにいじめだ。
いくら覚醒者だと言っても、通っているのは精神年齢の幼い子供が大半だ。そうなれば、自然と仲の良い悪いから喧嘩に発展する事もあるし、陰湿ないじめに発展する事もある。このシャングリラも例外ではない。
シャングリラに通う黒峰六花もそのいじめを受けている一人だ。事の発端はいじめの相手にあった。この学校に通う者の中には、未だ覚醒していない覚醒者候補の人間がごくわずかだが存在する。彼らは意識の海に入ったことがあるが、内に潜むもう一人との対話がうまくいかない者がほとんどである。六花もその一人だ。そして覚醒している学生の中には、未覚醒者たちを自分よりも劣っていて低能だと下に見る者が存在する。
いじめのグループの中心人物である片山魅由梨はこの学園に入学した十一年前に覚醒し、十七になった今では自分の能力を完全にコントロール出来ている。魅由梨といつも一緒にいる奏と絢季の二人も魅由梨ほど早くはないが、既に覚醒し、力を制御できている。
魅由梨はその覚醒の速さと、能力の使いこなしが達者であったため、教師からはかなりもてはやされた。しかも能力面だけではなく、学業においても優秀でいるため、同年代の中では魅由梨はまるで物語の主役のような扱いを受けていた。
そして魅由梨には優等生としての表の貌とは別に、未覚醒者を能力を使って平然と痛めつける裏の顔があった。この事実は何度か明るみに出たこともあったが、どれも証拠不十分で処理された。
そしてその対応がさらに魅由梨の精神を歪めた。自分のすることは何でも許される、誰も自分を咎めない。ならば何をやっても構わない、と思うようになったのだ。そしてそれの終着点が未覚醒者の六花へのいじめだった。覚醒していない分際で覚醒者にたてつく方が悪いと、口癖のように魅由梨は繰り返していた。
そもそも覚醒者は、大多数が第二次性徴が始まる前にその力に目覚める。そして六花は一七歳の誕生日を迎えた今でも覚醒していない。このような場合、大半は覚醒の可能性は有しているが、覚醒はしない。だから六花も、教師や友人から諦めるように言われた。
だが、六花はどうせ出来ないから諦めろと言われることが嫌いだった。勿論、六花自身も努力した。一日でも早く覚醒するよう、毎日のように意識の海で対話を試みた。それでも、全く覚醒しなかった。自分は覚醒することが出来ないのだろうかと、悩み始めていた。そんな矢先の出来事だった。
いつものように武道場で空手の稽古をしていた時、魅由梨たちが入ってきたのだ。普段は全く近付こうとさえしない魅由梨たちが入ってきたことに違和感を覚えたが、クラスが同じなだけで全く会話をした記憶の無い魅由梨に話しかける必要はないだろうと思い、稽古を続けた。
そしてその六花の態度が気に入らなかった魅由梨が、六花に言ったのだ。
「アンタはどうせ覚醒しないんだから、そんなことをしても無駄じゃない」
と。
その言葉にすぐさま六花は反論した。二十歳を超えてから覚醒した例もあるのだから、自分にも覚醒する可能性はある。今の北海道の麒族だって、最初に覚醒したのは中学生の頃だが、一度失った力を四年経った今年になって再び取り戻した。それなら覚醒に年齢は関係ないはずだと。
六花は未覚醒だった分、覚醒者の情報についてかなり詳しくなっていた。勿論龍真の能力名も知っているし、目の前の魅由梨たちの能力名も知っていた。
自分に歯向かったから気に食わない、ムカつく。それがいじめの原因だった。最初は悪口を言われたりする程度だったが、六花が堪えていないと知ると、さらに過激になった。
物を投げつけられたり等はまだいい方で、酷い時は覚醒した能力を使ってきた。魅由梨たちは揃って精霊系の能力者だ。魅由梨の能力名は水を操る『ウェレンディーネ』、奏と絢季は風を操る『ジーナー』と木を支配する『ウォディリア』だったと思う。
ウォディリアで動けなくされて、ウェレンディーネの力で水を被らされ、ジンの鎌鼬で服を切り裂かれたり、体を切り裂かれたりした。
ここまでくれば普通の学校ならすぐに問題になる筈なのだろうが、この学校は違う。この学校に通っている学生は大半が覚醒者で、授業のカリキュラムには覚醒者同士の戦闘が組まれている。それに覚醒者同士の喧嘩は咎められない。個人の能力を向上させるには実戦が一番だと考えられているからだ。だから喧嘩で服が破れたり、怪我をするのはこの学校では普通のことなのだ。
だから六花がされていることぐらいでは学校は何も手を貸さない。個人の自己解決能力を向上させるためだと表向きは公表しているが、実際は生徒の中に教師さえ打ち負かすほどの実力を持った生徒がいるため、教師の威厳を守るために手を出さないのだ。教師が生徒に負かされることなど、あってはならない。
今日も魅由梨たちは六花を呼び出し、学校から離れた森へと連れていかれた。普段は誰も近付かない森だ。頻繁に羆の目撃情報が報告されているからだが、覚醒者の力を使えば猛獣も怖くない。だから魅由梨たちは連れてきたのだろう、本格的に痛めつけるために。
「此処なら誰も来ないよ、泣いても喚いても無駄」
地面に座り込んだ六花に向かって魅由梨が言う。
「アタシが気にいらないなら無視すればいいじゃない。いつまでもしつこくアタシに付きまとって、いい加減にしてよ!」
六花の声は既に震えている。今まではここまで本格的に行動してくる事は無かった。流石に人目のつかない所まで連れてきたとなると、生半可なことはしないだろう。もしかしたら、今日ここで死ぬかもしれない。
「何もしてない?はっ、何言っちゃってんの?あんた、私に歯向かったじゃない。未覚醒のくせに覚醒者の私に歯向かうだなんて、ホント、あんた馬鹿よね」
魅由梨が六花を見て笑う。魅由梨の両隣の二人も魅由梨を同じように嘲るように六花を見て笑った。そして三人は覚醒状態へと変身した。
魅由梨は皮膚の上に青い鱗が生え、着ていた制服も民族衣装の様な物へと変わっている。そして服の裾からは魚の尾鰭が顔を覗かせている。腕には透明なベールの様な物を纏っていて、両手首にはメビウスの輪をかたどったリングを付けている。
奏は砂色のマントを羽織り、その下は踊り子の様な装飾品がいくつも付いたような服を着ている。顔は目から下が布で隠され、髪は一つにまとめられ、ポニーテールになっている。この二人の浮世離れした格好と比べると、絢季の格好はとても普通だった。
全体的に緑色の配色だが、街を歩いていても全く違和感はないだろう。白のワンピースにミニベストを重ね、頭には白い花の髪飾りを付けている。
魅由梨と奏はどちらも好戦的ではない。奏の場合はどちらかと言えばボーイッシュな感じだが、絢季はどこかふわふわとした雰囲気がある。
「観念しなよ。あんたは今日ここで死ぬの。死体は残しとけば羆にでも持ってかれる」
左耳に着いたイヤリングを鳴らしながら魅由梨は言う。
「一度ぐらい本気で人間に向かって能力を使ってみたかったんだよね。いい練習台になってね。学校でもさすがにここまでは出来ないし、ホント楽しみ」
手の中でつむじ風を遊ばせながら奏は六花を森の中の一際大きな木の下まで吹き飛ばす。
「覚醒者相手でなく、人間相手に本気で力を使うのは初めてなので、もしかしたら跡形もなくなってしまうかもしれませんが、許してくださいね」
三人とも本気で六花を殺すつもりだ。逃げようにも、森は絢季のテリトリーだ。彼女は視認できる植物全てを操ることが出来る。今逃げても絢季の力ですぐに捕まってしまう。
「じゃあ、まずはあたしからね」
手の中でつむじ風を遊ばせながら奏が近づいてくる。少しでも離れようとした時、足に草が巻き付いて六花の動きを封じた。
「逃げてはいけませんよ」
「絢季、サンキュー」
離れることさえできなくなった六花に奏は容赦なく鎌鼬を浴びせた。足元から何度も何度も放たれる鎌鼬は、六花を拘束してた草ごと切ったが、切られた痛みから六花は動くことができなかった。
「まあ、こんなもんかな。次は絢季がやりなよ。アキレス腱が切れたみたいだから、もう動けないから。好きなだけできるよ」
「そうさせてもらいますわ。さあ六花さん、覚悟はよろしいですか?」
六花から離れる奏とハイタッチをして絢季が六花に近づく。表情はいつも朗らかな絢季だが、本性はサディストだ。この三人の中でも六花を一番痛めつけるのは絢季だった。
「では、始めましょうか」
そう言って絢季は右手を上げた。ミキミキと木が軋む音が響き、木の枝が生きているかのように動き、六花の手足を縛りあげ、完全に六花は動けなくなった。絢季は草を一本手に取り、振るうと、ただの草が緑色の細長いレイピアに姿を変えた。
草に魔力を込めて作ったからか、絢季の作ったレイピアからは棘が枝のように何本も生えている。そのレイピアを軽く振る絢季の立ち振る舞いにはどこか騎士のような優雅さがあるように見える。
「まずはどこから切りましょうか……手足をズタズタにするのもいいですが、体を少しずつ切っていくのも楽しそうですからねえ……じゃあ、少しずつ肉をそぎ落としてみましょうか。止血しながらですから失血死する心配はありませんよ。それに、なかなか死なずに痛みに苦しむ様は最高です」
絢季のレイピアに生えていた棘が刀身に吸い込まれ、レイピアが日本刀に姿を変えた。
「まずは足から」
絢季が剣を振り、六花のふくらはぎを切りつけた。切られた場所からは鮮血が飛び、そぎ落とされた肉片が地面にベシャッという不快な音とともに落ちた。
「さて、止血せずに死なれては困りますからね、ちゃんと止血しないと」
剣を持っていない方の腕から得体のしれない植物が現れ、六花の切られた足に巻き付いた。ぎりぎりと締め付けられ、苦悶の表情を見せる六花を絢季は楽しそうに見ている。そして足に巻き付いていた植物が離れると、さっきまでとめどなく溢れていた血が止まり、傷口には瘡蓋ができていた。
「一回ごとに止血するのは面倒ですから、一気にやりますか」
剣を握りなおし、絢季は六花の体を切りつけた。何度も何度も体から肉片を切り落とし、六花の体が血まみれになったところで止血をし始めた。
「楽しくてついついやりすぎてしまったかもしれませんね。これでは貧血で意識が朦朧としてあまり痛がらなくなってしまいそうです」
「絢季、タッチ交代。もうすぐ死にそうなら、最後は私にやらせてよ。このまま死なれたら私だけ練習できないないじゃん」
絢季の背中に声を掛けたのは魅由梨だった。絢季は不服だったようだが、しぶしぶ承諾し、六花の止血のための植物を回収して下がった。
体中を切られ続け、六花の体は明らかに貧血に陥っていた。顔からは血の気が引いて青白くなり、六花の視界は不明瞭になっている。目の前に立っているのが誰か、何をしようとしているのかも全く分からない。六花は何とか体を木に背中を預け、ぼそぼそと呟き始める。
「なんで……こんなことになったんだろ…私は……ただ覚醒して……お母さん…たちを喜ばせたかっただけ………なのに。今まで必死になって……やってきたんだけどなあ……こんな最後になるなんて……思いも……しなかったな」
力無く項垂れる視線の先では血が流れ続け、なんだか自分の努力が流れ出てしまっているように思える。何をしても意味がない………魅由梨の言葉が現実味を帯びてきているのかもしれない。
こんな………こんな現実認めない、認めたくない!
「………………憎い…憎い憎い憎い!皆どうして私を助けてくれないの?こんなになってるのに。体中傷だらけで、もう立てなくなってるのに、どうして助けてくれないの!なんで麒族様は助けに来てくれないの?そのためにいるんじゃないの?憎い憎い憎い!こんな世界、こんな冷たい世界大っ嫌いだ。みんな無くなっちゃえ!」
六花の怨嗟の叫びと共に、膨大な魔力が放出される。その魔力は形を持って、禍々しい瘴気と帯が六花の体から飛び出す。
「な、何?」
六花の体から溢れ出した禍々しい黒い帯は周囲の植物を巻き込みながら、六花を包み込むように黒い球体となって成長していく。魅由梨たちは危険を感じて下がったが、一番近くにいた絢季は逃げきれず、黒体に体が触れてしまった。
その瞬間、黒体は絢季の体に反応したのか、中から黒い触手を伸ばし、彼女の体を絡め取っていく。
「い、嫌ッ、助けて、たすけて!助けて!魅由梨!奏!いやああぁ!」
魅由梨たちに向かって手を伸ばし、必死に逃げようと絢季は周囲の植物を操り始めた。木の枝が槍のように捻じれ、黒体に突き刺さる。だが、黒体は全く動きを止めず、なおも彼女の自由を奪っていく。
「ふざけんな!」
怒りを露わにしながら魅由梨と奏は黒体に向かって攻撃を仕掛ける。奏の鎌鼬と魅由梨の水弾は間違いなく黒体に命中した。だが黒体に命中すると、鎌鼬はすり抜け、水弾は黒体の中に吸収されてしまった。
「離せよ、絢季を離せぇ!」
諦めずに攻撃を続ける魅由梨と奏だったが、黒体の成長は止まらず、ついに絢季の体は黒体から出た腕に完全に包まれ、そのまま黒体の中に引きずり込まれていった。
「あ、ああ………どうしよう魅由梨、絢季が、絢季が……」
その場に座り込んだ奏の肩を掴み、魅由梨は強引に彼女を立たせた。
「立って、先生たちに報告しよう。きっと能力の暴走よ。こんなの普通の覚醒じゃない。これは私達には荷が重すぎるわ。このままじゃ、私たちまであの黒い塊に襲われる。とにかく、今は逃げましょう。考えるのも泣くのもそれからよ」
「う、うん、わかった…………」
そして黒体に背を向け、走り出そうとした瞬間、不意に後ろから絢季の声がした。
「お待ちになって、二人とも。私なら大丈夫、問題ありませんわ」
第三部第二幕
二人が振り返ると、そこにはさっきまでの絢季の姿があった。そしてあの禍々しい黒体は忽然と姿を消していた。
「あ、絢季…なの?どうして………だい…じょうぶなの?」
黒体の中に消えた筈の仲間の姿に驚き、二人は動きが止まった。振り返った格好のまま、絢季を見つめていた。
「ええ、大丈夫よ。さっきは驚かせてしまって、ごめんなさいね。でも、もう心配ないわ」
「絢季っ!」
余程嬉しかったのか、奏が絢季に抱き付いた。何度もよかった、心配した、と繰り返し
「本当になんともないの?それに、黒峰はどこに?あの黒い球体も消えてるし……」
魅由梨だけはこの状況に納得できていなかった。普通の人間にあんなことは出来ない。あれは明らかに覚醒者としての六花の力だ。しかしその六花がいない。明らかにおかしい。
「今はそんなことどうでもいいよ!絢季が無事だったんだよ?アイツのことはまた後でいいって」
「そうですわ、魅由梨さん。今はこちらの方が大事ではないですか……せっかく覚醒したんだから」
「っ!」
絢季の声が突然六花の物へと変わった。そして驚いて絢季から離れようとする奏の体が植物の縄で拘束されていた。
「痛っ、な、絢季!ほどいてよ。何これ、全然笑えないって。痛いから、早くほどいてよ!」
手足を縛られ、身動きの取れない奏を置いて、絢季は魅由梨の方へと歩き始めた。
「どうしました?魅由梨さん、私です、絢季ですよ?」
「……違う、あんたは絢季じゃない。あの子は私たちのことだけはさん付けしなかった。三人でそうしようって決めた時から、一度も私のことを魅由梨さん、なんて言わなかったもの。……あんた…黒峰なの?」
「あらら、バレてたたか。それじゃあ、もうこの姿でいる必要もないわね」
絢季と六花の声が重なり、絢季が妖艶な笑みを浮かべる。絢季の影が彼女自身を包み、影が戻るとそこには絢季ではなく、六花の姿があった。
「あんた……絢季をどうしたの?絢季はどこにいるの!」
自分を縛り上げたのが絢季ではなく六花だと気付いた奏は激昂していた。自分よりも格下だと思っていた者から歯向かわれたことに彼女の全てが怒りに満ちていた。
「そんなに焦らなくても、絢季さんはここにいるわよ」
六花が自分の胸に手を置き、笑う。その表情はこの場では不自然なほどに明るく、六花の異様さをさらに強くした。
「ふざけないで!さっきの黒い球の中に絢季が引きずり込まれたのはちゃんと見てるのよ!絢季はどこ!」
「だからさっきも言ったじゃない、絢季さんは私の中にいるって」
「中って…………ふざけるなぁ!」
とうとう魅由梨の怒りが頂点に達し、六花に向かって散弾状の小さな水弾を放つ。それを見た六花が水弾に向かって手を伸ばすと、周囲の木の枝が六花を守るように六花の目前に壁を作った。
「あれは……絢季のウォディリアの植物操作……どうしてあんたが、どうしてその力を使えるのよ!」
「いい加減、分からない?絢季さんの能力は私のモノになったの。彼女の体は私が食べちゃったから、何も残っていないけどね」
「そんな、どうやって……他人の能力を奪うなんて、そんなの聞いたことない!」
「今まで似たような能力を持った覚醒者が居なかった訳ではないよ。他人の能力を模倣する『ドッペルゲンガー』なんかは学園にもいる」
「あんたも……絢季の能力を真似たって訳?」
「いいえ、私の能力はただ真似るだけではないわ。吸収した相手の能力を完全に自分の能力にする事が出来る」
「吸収した相手って……まさか!」
「やっと理解したのね。ついでに私の力の正体も教えてあげる。私の能力名は『キマイラ』。神話に存在した獅子の頭に山羊の体、蛇の尾を持つ魔獣。その力は相手を捕食し、その力を吸収する」
「絢季を……食べたの?」
「ええ、彼女は私が食べたわ。彼女の能力は植物操作の『ウォディリア』、そしてここは森の中。つまり貴方たちに逃げ場はない。絢季さんの能力だけでは物足りないから、貴方たちの能力も、貰うわ」
「誰が……誰が好き好んで喰われるもんか!」
六花の後ろで縛られていた奏が六花に向かって鎌鼬を放つ。彼女を拘束していた蔓はバラバラに切られていた。六花が魅由梨と話していた隙に鎌鼬で切り伏せたのだ。奏の放った鎌鼬は六花の右腕を切り落とし、そのまま射線上の木の枝を切り落とした。
「っく、まだ動けたなんて計算外。案外しぶといのね」
切られた右腕の傷口を押さえ、奏に六花が視線を移した隙に魅由梨は奏と六花の延長線上に移動した。一対二の場合、こうなると確実に六花が不利になる。
「奏、大丈夫なの?怪我は?」
「なんともない、自分の鎌鼬が掠ったくらい」
「わかった。アタシ達の攻撃も効くみたいだし、怪物退治といきましょうか」
奏と魅由梨は本気だ。さっきまでの遊びとは違う。相手を見据え、作戦を立てた正真正銘の戦いだ。
「たとえ絢季の力が使えるようになったとしても、私たち二人が相手ならあんたに勝てる可能性なんて無い。観念しな」
魅由梨は手に水で作られた三叉の槍を持っている。大きさは魅由梨の身長を軽く超え、本気なのが影響しているのか、魅由梨の目の瞳孔が獣のように細長くなっている。
奏は外見上は変化がないが、両手につむじ風を持ち、体の周りには風が舞っている。
「ウェレンディーネとジーナーの力も欲しいと思っていたんだよね。この際、貴方たちの力は全部貰うわ」
六花は二人の会話を全く気にせず、切り落とされた自分の腕を拾いに行く。数メートル離れた所に落ちた腕を拾うと、それを無造作に傷口に押し当てた。そして傷口から黒い煙が溢れ出し、煙が消えると六花の右腕は完全に体に付いていた。動きを確かめるように六花は右腕を振るう。その動きは先ほどまで切り落とされていたとは思えないほどになめらかで、全く問題があるようには見えない。
「これでいいか。さて、貴方たちには私の餌になってもらうわ」
「この化け物!大人しく喰われるもんですか!」
奏と魅由梨は同時に六花に向かって攻撃を開始した。六花を奏の風が包み、その渦の中に魅由梨が作り出した水流が六花から呼吸の自由を奪う。それを防ごうとする六花の操作した植物は、六花を包む風によってバラバラに切り刻まれた。
「これならあんたはどうしようもないでしょう、このまま降参するなら生かしておいてあげるわ。もしそうしないのなら、さっきの木と同じようにバラバラになってもらう」
「諦めろ、か。そんなこと今まで何回言われてきたんだろ………やっと、やっと覚醒できたのに、これぐらいで諦めろ?………笑わせないで!」
六花の操る植物は六花を囲む風ではなく、それを操る奏と魅由梨に向かった。奏の体は風の刃によって守られているために安全だが、魅由梨は水弾を撃って近寄る植物を粉砕するしかない。だが六花の操る植物の量は魅由梨の放つ水弾の数を超えている。徐々に魅由梨は追い詰められ、とうとう水弾を放つ腕をからめ捕られ、捕まった。
「魅由梨!」
奏が魅由梨に気を取られた時、奏の足に植物が絡みついた。
「うぐっ、な、なんで!」
「風で防げるのなんて地上だけでしょう?植物を操っていれば、地下でさえテリトリーになるのよ」
奏の足に絡みついたのは植物の葉ではなく、木の根だった。地下から近付き、魅由梨と六花の攻防に目がいっているうちに奏の足を取ったのだ。
「くそっ、こんな物!」
奏が鎌鼬を使おうとした瞬間、六花の投げた植物の剣が奏の両腕の手首から先を切り落とした。
「ああぁ、ああああああああああ!」
痛みに絶叫する奏を縛り上げ、六花は魅由梨に向きかえる。
「ジーナーの能力は腕で操る。腕が無くなってしまえば、なんにもできないただの人間同然なのよ。知ってた?」
六花は魅由梨に話しかけたつもりだったが魅由梨は何も話さない。
「さっきから黙りこくってどうしたの?もしかして……もう降参しちゃうの?」
吊るされた魅由梨は尚も何も言わず、ただ下を見ていた。
「……気に入らないってだけで刺されたり、切られたりする痛みがどんなものか、受けてみなよ!」
魅由梨の体に向かって大量の木の幹が槍になり、突き刺さった。
「魅由梨ぃ!」
串刺しの魅由梨の姿を見て、奏は魅由梨の名前を叫ぶ。体中に木の槍を突き刺され、魅由梨の体から大量の血が飛び散るかと思われたが、飛び散ったのは血では無く、水だった。
「な、しょっぱ!これって海水?」
六花は顔にかかった水を払い、魅由梨の体を見る。そこにあったのは確かに魅由梨の体だったはずだが、今そこにあったはずの魅由梨の体は跡形もなく消えていて、代わりに大量の海水が辺りに飛び散っていた。
海水特有の匂いが六花の鼻を突く。辺りには風の音以外、何も聞こえない。
「魅由梨さーん、どこに行ったのかなあー?このまま出てこないなら、先に奏さんを食べちゃうよー?」
六花は奏に向き直り、その顔を見る。両腕を切り落とされた奏は貧血になり始めていた。止血をしようにも両腕は縛られていて、しかも抑えるための手は地面に力無く落ちている。
「……出てこない…か。所詮あなたたちの友達なんて、こんなに簡単に切り捨てられる存在でしかないんだね。ホント……くだらない」
「誰が見捨てたって?」
「何ッ?」
「遅い!」
振り返ったそこには三叉の槍を振りかぶった魅由梨がいた。とっさに木でガードしようとしたが、魅由梨の槍を操るスピードはそれを上回っていた。魅由梨は六花の両腕を切り落とし、六花の体を蹴り飛ばした。覚醒状態の彼女の蹴りはコンクリートでさえも破壊する。六花の体も粉々とまではいかなかったが、魅由梨の足には確実に肋骨を何本か破壊した感覚が残っていた。これでしばらくは動けないはずだ。
「奏、今助けるから。ちょっと動かないでね」
魅由梨が奏の体を縛る根を切ろうと槍を持ち替える。その背後を見た奏は顔から血の気が引いた。
「魅由梨危ない!」
「っ!」
とっさに横に体を移すと、今まで魅由梨のいた場所を何本もの木の槍が貫いた。そしてその中の三本は奏の体を蔓ごと貫いていた。
「奏っ!」
「あーあ、避けちゃった。せっかく仲良く一緒に串刺しにしてあげようと思ったのに。まあ、このまま奏さんは食べちゃおうかな」
奏を拘束していた蔓が彼女の体を持ち上げ、森の奥へと運んでいく。そしてそこには両腕を付け、五体満足になった六花が立っていた。
「さっきの攻撃は効いたわ。ホント、びっくりしちゃった。まだ私の把握していない能力があったなんて」
魅由梨を捕捉していないのか、六花の声はどこに向けるでもなく、只々大きかった。
「身体融解って言うのよ。体を海水と同化させることで、普通だったら入れない所に入ったり、さっきみたいに捕まった時には変わり身みたいにしたりね。先生にも言ってない隠し玉だったんだけど……効果は無かったみたいね」
魅由梨は六花の操る蔓に捕まる前に海水と自分の体を入れ替え、拘束を避けていた。
見た目は完全に魅由梨そのもの、しかもある程度なら動かすこともできる。捕まってすぐは偽物だとバレないように遠隔操作していた。
そして現身が破壊され、相手が油断した瞬間にカウンターを入れれば、奏を救出し、この場から逃げ出すことも出来ると思ったのだが、魅由梨の想像以上の回復能力を六花は持っていた。
「結局振出しに戻っただけか」
槍を握りなおし、魅由梨は六花と向き合う。六花の体は制服がボロボロになってはいるが、その下の肌には切り傷も、痣さえも見当たらなかった。
「ちょっとそこで大人しくしててね、今から私は食事なんだから」
再び六花の体から黒い帯が伸び、あの黒体が二人を包む。そして奏を縛った蔓は、そのまま黒体の中の獣の口にゆっくりと吸い込まれていく。
「っ!いやああああ!助けてええええええええええ!」
「っ!やめろおおおおおおお!」
魅由梨は黒体にではなく、奏に巻き付いている蔓に向かって水弾を放った。これなら蔓を破壊して奏を救い出すこともできるはずだ、出来るはずだった。だが――――
「そんなことはさせませんよ?」
黒体からくぐもった六花の声が響く。そして魅由梨の水弾を妨害するように幾重にも木の枝や幹が壁となって魅由梨の攻撃を防いだ。
「みゆ……り、にげ……て」
奏が無くなった腕を必死に魅由梨に伸ばす。だがその手を取るにはあまりにも遠い。
「くそ、くそ、くそぉー!」
必死に水弾と槍で壁となっている木を切り伏せるが、切れば切るほどさらに壁は厚く、大きくなっていく。
「奏、奏!どいてよっ!」
魅由梨の目には涙があふれている。学園では自分より強い者は存在せず、ここまで自分の力が無力だと思った事は無かった。だが、今の目の前の現実はどうだ?大切な友達一人を喰われ、必死に助けを求めるもう一人を救い出そうにも、全く近付けない。
「あ、嫌っ!」
槍を振るい続ける魅由梨の足を、木の枝が絡め取る。正面への攻撃に集中し過ぎて、背後から忍び寄る蔓に気付かなかった。完全に捕まってしまうと身体融解を使うことも出来ない。万事休すだ。
手足を縛られ、動きが取れなくなった時、奏の体が黒体に完全に吸収されるのが目に入った。二人とも助ける事が出来なかった。自分は……無力だ。
そう考えると体から力が抜け、涙が止まらなかった。自分もあの怪物から逃げることは出来ない。とてつもない恐怖が魅由梨を包んだ。
「嫌だよ…死にたくないよ………助けて…誰か…助けて……」
座り込み、涙を流す魅由梨にゆっくりと近づく六花。周囲の枝を槍のように変化させ、魅由梨に向かって狙いを定める。
「死んじゃっても能力は奪える。貴方は苦しんで苦しんで、醜く歪んだ顔で死んで」
「いや、いやああああああああああ!」
数えきれないほどの数の枝槍が魅由梨に向かって飛ばされる。しかし、
「――――まったく驚いたな、まさか本当に『キマイラ』の覚醒者が現れるとは」
一つとして魅由梨に届く事は無かった。
第三部第三幕
「ガレンゼイトも可能性はあると言っていたが、まさか同じ島国の、しかもすぐ近くに現れるとは…………まったく、我が王は不幸体質というものなのか。それとも我が王の魔力に触発されたか?」
「え?」
目の前には日本にいる筈のない大きな虎が立っていた。しかもその体は普通の色ではない。赤と白の有り得ない色をして、尻尾の先には黒く長い棘がついている。魅由梨が飛ばした枝槍は、全てこの虎の体に弾かれ、地面に落ちていた。
「何だお前は?……魔獣系の覚醒者か?」
聞こえてきたのは警戒する六花の声。六花が警戒しているということは六花が作り出したものでは無い。ではこれは一体……
「私は王虎。隻眼の王・オーディンに仕える召喚獣だ」
魅由梨の目の前にたたずむ虎は六花に向かってそう言い放った。
「まさか、散歩の途中にこんなところに出くわすとは思ってもいなかったがな」
「王虎………貴様、麒族の下僕か!」
「その通りだ、化け物。先ほど我が王にも報告した。じき此処に到着するだろう。そうなれば貴様も終わりだ」
王虎は瞬く間に魅由梨に絡みつく蔓を牙で断ち切り、再び六花の黒体に向き直った。
「我が王は貴様を許しはしない。貴様のその再生能力も、我が王の攻撃の前では無力だ。隻眼の王は何人たりとも撃ち勝つ事は叶わん。ヴァルハラの征服王は勝利しか求めん」
「ふざけるな!どうしてそいつを助けるの?そいつは私を殺そうとしたのよ。捕まえるならそっちじゃない!」
「状況が違うってことが分からないか?」
その声は王虎のものでは無かった。空から聞こえてきたのだ。そして声の主はゆっくりと姿を現した。
「訓練中に突然禍々しい魔力を感じて、これはただの覚醒者じゃないとすぐに分かった。ガレンゼイトでさえ、急いで現場に向かえって言ってくるぐらいだ。正直、こんなやつがいるなんて思いもしなかったぜ」
声の主は漆黒の馬に乗り、漆黒の服に身を包んだ男だった。その両手には槍を握り、槍からはそれぞれ二本の剣が生えている。
「麒族……出てきたか」
六花を包んでいた黒体が収縮し、六花が姿を現した。だが、六花をよく知る者が見ても、それを六花だと気付く者はいないだろう。
六花の体は明らかに変化していた。ボロボロになっていた制服はどこかに消え、その体を包んでいたのは真っ赤な体毛だ。王虎のモノよりもさらに赤い、いや、赤いというよりも血の色そのものだ。王虎の色は鮮やかなスカーレットだが、六花の体毛はブラッドレッドと言うのが正しいだろう。見た者に嫌悪感を感じさせる赤だ。
そしてその手からは鋭利な爪が生え、口からは肉食獣のような牙が生えている。体の後ろからは尻尾も見える。明らかに人ではなくなっていた。そして最大の特徴はその眼だ。瞳の周りは黒く、瞳は体に生えた毛と同じように真っ赤だ。
「麒族が相手じゃあ、流石にまだマズイか……逃げようかな。今日は二人で引き揚げるよ。まだこれだけでは麒族と戦うには頼りなさすぎるし、またすぐに会うことになると思うわ。それまで気を付けてね。誰かに負けたりしたら、私が持てる能力が減っちゃうから」
それだけ言うと、六花は姿を消した。あとには滅茶苦茶に荒らされた無残な森と大量の血痕だけが残った。
「君はシャングリラの生徒だな。アレが何だか知っているか?」
魅由梨に話しかけてきたのはさっきまで馬に跨っていた男、龍真だ。スレイプニルはどこかに姿を消してしまっていて、王虎だけが龍真の横に並んで立っている。
「あいつは……私の同級生で…私の友達を………」
今までの事を説明しようにも、涙と嗚咽が邪魔をしてうまく話す事が出来ない。言葉はとぎれとぎれで、聞き取ることは出来ても、説明としては役に立っていなかった。
「我が王よ、ここではなく、桔梗殿のいる支部で詳しく聞いた方がよいのではないか?一度落ち着いた方がいいであろうし、彼女もここに長居はしたくないだろう」
龍真に王虎が提案する。彼女はたった一人の目撃者であり、当事者だ。是が非でも話を聞かなければならない。
「そうだな……王虎、ここから支部までの道は分かるな。俺はあいつの追跡の手掛かりになりそうなものが残っていないか、調べてから支部に向かう。お前は先にその子を連れて支部に戻ってくれ」
「仰せのままに。さあ、私の背中に乗れ」
王虎が魅由梨に背中を向け、腰を下ろす。
「え?支部に向かうって、どういうことですか?」
「君には黄龍北海道支部に来てもらう必要がある。俺が連れて行きたいんだが、ここを少し調べたい。それに君を付き合わせるわけにもいかない。ここには長く居たくないだろうから、王虎に乗って先に支部に向かってくれ。支部には俺から連絡しておくから、そこで桔梗って言う女性に会ってくれ。俺もすぐに戻る」
龍真は地に手を当てて、目を瞑っている。一体何をしているのか、魅由梨には見当もつかない。
「あれは『キマイラ』の魔力の痕跡を探しているのだ」
隣で龍真の姿を見ている王虎が魅由梨に説明した。
「魔力の痕跡?」
「ああ。我が王は覚醒者の魔力を感じる事が出来るのだ。これは『オーディン』の覚醒者であるあの方独自の能力。ああやって地に手を当てることで、覚醒者の放つ魔力の波長を感じるのだ。普段はあまり使うことはないが、今回は状況が違う。我が王もかなり本気なのだろう。あの『キマイラ』が相手だ。絶対に逃がすことがあってはならない」
「王虎、喋ってないで早く連れて行ってやれ。その子、立てないんじゃないのか?」
確かに魅由梨は立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。何とか木を頼りに立ち上がろうとするものの、どうしても立つ事が出来ない。
「安心して力が抜けてしまったのだろう、俺が乗せてやる」
王虎は魅由梨の服を咥えると、そのまま背中に魅由梨を乗せた。
「では行くか」
そういうと王虎は勢いよく走りだした。六花につけられた傷は痛んだが、今は色々なことがありすぎて、痛みはあまり気にならなかった。
魅由梨と王虎が去った後、龍真は戦闘が行われた場所を入念に調べた。なぎ倒された木にかかった血痕や、能力によって変異したであろう槍の形をした木の根。しかし、六花を捜索するのに有力な手掛かりとなりそうな物は見つからなかった。六花の魔力の痕跡は見つかったが、六花自身の場所は分からなかった。おそらく、すでに覚醒を解いているのだろう。『キマイラ』の魔力は覚醒状態でないと変異しない。覚醒を解いている状態では普通の覚醒者と変わらないらしい。
「だめ…か」
「手掛かりは無し、ですか」
龍真の隣にはスレイプニルが立っている。
「ダメだな、『キマイラ』特有の魔力の波長も今は感じない。どこかで覚醒を解いて人間の姿に戻ったんだろう。これじゃあ探しようがない」
「そうですか。ですが、『キマイラ』だけは何としてでも倒さねばなりません。ヤツは危険です」
周囲の凄惨な光景を見回し、忌々しげにスレイプニルが呟く。
「分かっている。魔力を感じた瞬間に冷や汗が出た。あそこまで直接的な悪意と殺意を感じる波長は初めてだ。アイツはやばい、絶対に被害は最小限に留める」
「御意」
「もう調べても何も見つからないだろう。俺たちも支部に戻ろう。あの子から色々と聞きたいこともある」
「御意。では、私の背に」
龍真はスレイプニルの背中に乗り、手綱を掴む。スレイプニルは一度だけ嘶き、颯爽と森から支部に向かって空を駆け抜けた。
第三部第四幕
「―――これで大丈夫。内臓や骨には異常は無し、安静にしていれば二週間も経たずにで退院できるよ」
「ありがとうございます…………」
魅由梨の声は暗い。黄龍北海道支部に到着したと同時に、魅由梨は気を失った。そして気が付くと、魅由梨は病室にいた。覚醒は解け、制服ではなく病院服を着ていた。魅由梨を乗せて来た王虎と呼ばれていたあの虎の姿はどこにもなく、代わりに黒猫がベットの上、魅由梨の足の辺りで寝ていた。
「では、何かあったらそこのナースコールを押してください。すぐに伺います」
看護婦がベッドの後ろに垂れ下がっている細長いボタンを指さし、病人に向ける優しげな笑顔で病室から出て行った。
「…………」
そして医師と看護師が部屋から出るすれ違いざまに女性が部屋に入ってきた。医師と何か会話をしているが、魅由梨の耳には届かない。
そして医師は病室から出ていき、魅由梨と見知らぬ女性だけになった。その女性は医師からカルテのコピーをもらったのか、手にタブレットを持っている。
「貴方が『キマイラ』の覚醒者と対峙した唯一の生き残りだな?私は福南桔梗、貴方の名前は?」
桔梗は魅由梨のベットの近くにあった椅子に座り、タブレットに目を落としながら言う。凛とした雰囲気の人だな、と魅由梨は感じた。そしてどこか怜悧な感じだとも思った。心配しているかのように掛けられる言葉も、彼女が言うとただの社交辞令としか思えない。
「片山…………魅由梨です………」
依然として魅由梨の声は沈んでいる。二人の親友を失い、自分も怪我で入院。情けないと思う。
「単刀直入に聞こう。『キマイラ』の覚醒者に遭遇したことは確かだな?その時の詳細を聞かせてもらいたい」
何故そんな事を今すぐ聞く必要があるのか、自分はあの地獄のような場所から命からがら逃げることが出来たばかりだというのに。まるで姫君のように持て囃されて生きてきた彼女にとって、全く自分に優しく接しようとしない桔梗は六花と変わりない敵のように思えた。
「どうして………どうしてそんなに冷たいんですか?私は目の前で友達を喰われたんですよ?もっと心配してくれたり、慰めてくれたりしてもいいじゃないですか!」
「今は君の体調よりもキマイラの情報が優占される。いいから答えるんだ」
「なんなんですか!会う人会う人みんな口をそろえてキマイラ、キマイラって。私よりそんなにあいつが大事なんですか?それなら私なんか助けなければ――」
パンッ、という乾いた音が病室に響いた。魅由梨は熱くなった自分の頬を押さえている。すぐには桔梗に叩かれたのだということが分からなかった。
「冷静になりなさい。貴方が遭遇した覚醒者がどれほど危険か、貴方が一番身をもって感じただろう?でも…そうだな。まず、あの『キマイラ』について説明しよう。その方があなたも納得できるだろう。あなたは、キマイラという怪物を知っているか?」
そこで魅由梨は六花が言っていた言葉を思い出す。
「……はい。いろんな動物の体をくっつけたような格好をした凶暴な怪物だっていうことぐらいなら………」
魅由梨の答えを聞いた桔梗は手に持っていたタブレットを魅由梨に見せた。そこにはインターネットから拾ってきたであろう絵画が映っていた。六花が言っていた通りの体をした怪物が、獅子の頭から炎を吐きながら他の二つの頭で人間や家畜を貪っている。
「そう、それがキマイラだ。伝承ではそれだけだが、実際にその眼で見てどうだった?ただそれだけじゃなかっただろう?」
「はい……腕を切っても、骨が折れてもすぐに回復しました」
「そう、それもある。そして最大の能力が相手の能力を奪うことだ。我々はドレインと呼んでいるが、貴方は身を以てその恐ろしさを実感したから、あの力が存在してはいけないことも分かるな?」
ドレイン………奏と絢季を殺すことになった原因になった力、あれが……
「……あの、あいつを倒すことは可能なんですか?」
魅由梨の質問に桔梗の顔色が曇る。何か考えているようだが、『キマイラ』を封印する方法だろうか。
「正直言って、今の北海道支部が『キマイラ』を、黒峰六花を封印する事が出来るかどうかは、確率的には半々だ」
「半々って、どうしてですか?」
確かあの王虎と呼ばれた召喚獣は北海道の麒族、榊龍真は誰にも負けないと言った。
テレビでも新しい麒族は世界に十人といない神の覚醒者であり、その潜在能力は大帝と並ぶほどに強力かもしれないとも言っていた。そんなに強い人がいるのなら、あれに勝つことも可能ではないのか。
「そう簡単な話ではないのだ」
「えっ?」
魅由梨の足の上で寝ていた黒猫が目を覚まし、桔梗と魅由梨を見て言った。
「私だ。分からないか?せっかくここまで送り届けてやったというのに」
その話方で魅由梨はピンときた。
「あなた……もしかしてさっきの虎?」
「なんだ、王虎。お前いつから起きていた?」
桔梗は驚いた様子もなく、知り合いと話すかのように黒猫と会話をしている。
「先ほど何か大きな音が聞こえた時に、な。我が王の力の話をしていたな、ここからは私が説明しよう」
あの大きな体だったときはこの低い声はしっくりきていたが、こんなに小さな猫の体で低い声で話していると、とても違和感がある。低い声の問題以前に、猫が話していること自体に違和感を感じるのだが、たった数時間でこれだけ沢山の事があり過ぎると、流石にあまり驚かない。
「確かに我が王の強さは『キマイラ』にとっては天敵ともいえる。我が王以外にも神の覚醒者がいるらしいが、彼らも奴の天敵と言える。だが、それは力を完全に使いこなしていればの話だ。あの方はまだ覚醒してから日が浅い。経験が力に対して少なすぎるのだ」
「そう……なんだ」
期待の麒族と呼ばれてはいるが、結局の所は経験不足。それが『キマイラ』に通用するどうか、誰も答えを知らない。
「でも、戦うしかないだろうな。他に方法も思いつかない」
沈んだ雰囲気の部屋にその雰囲気を払拭するかのような声が部屋の中に届いた。
「王よ、今お帰りか。なかなか調査に時間が掛かったのだな」
「龍真、遅いぞ。調査だといっても、手掛かりは無かったのだろう?すぐに帰ってくればいいじゃないか」
「あなた……さっきの………?」
「ああ、気が付いたんだな。ホントは一時間ぐらい前に戻ってたんだけど、ちょっと調べたいことがあったからな。資料室に行ってた」
確かに龍真は脇に何個かファイルを持っている。それに六花と対峙した時に着ていた黒い服は着ていない。ジーンズにTシャツ、パーカーとカジュアルな格好をしている。
「桔梗、王虎、暫くこの子と二人きりで話をさせてくれないか?どうしても話しておかなきゃならない事がある」
「…そうか…一時間もあればいいか?」
「ああ、すまないな」
「私も聞いてはならないでしょうか?」
「お前はちょっと口が軽いところがあるからな。言い方は悪いが、信用できない」
「そんな…」
王虎はショックを受けているようだったが、自分の行為が招いた結果なのだから、仕方がない。
「ほんの少しの間だ、我慢しろ。あとでマグロ食わせてやる」
龍真の口から『マグロ』という言葉が出た瞬間、王虎の顔が一気に明るくなった。
「マグロ……?」
「ああ、マグロ。お前はこの子を助けたんだから、それぐらいじゃ誰も文句は言わない」
「我が王がそこまで言われるのなら仕方がない。桔梗殿、出ましょう」
「え、ええ。私たちは指令室にいる。話が終わったら来てくれ」
そして桔梗と王虎は部屋から出て行った。魅由梨にとって、今日初めて会った麒族から二人だけで話さなければならないことがあると言われても、予想がつかない。
「まず先に言っておく。これから話すことは君にとって聞きたくない話だ。それを分かったうえで聞いてほしい」
神妙な面持ちで龍真は言う。龍真の真剣な表情に魅由梨は息を飲む。
「分かりました」
魅由梨も龍真の顔を見た。なんだかんだで、ここで初めて龍真の顔を見た。細身の、整った顔だ。街で声を掛けられても悪い気はしないだろう。この体の大きさはさすがに驚くが。シャングリラにも背の高い者はいたが、ここまで大きい人は初めて見た。しかし、どこか龍真には人を近づけたがらない、そんな影があるように見える。
「包み隠さず結果から言えば、君の友人二人は俺が見殺しにしたと言っていい」
「………え?見殺しって…………ど、どういうことですか…………?」
言葉の意味をすぐには理解できなかった。麒族が人を見殺しにした?そんな………
「俺が最初に君たちの存在に気付いたのは『キマイラ』が覚醒する前の、君の友達二人が生きていた時だ。森の中で、しかも同時に三人もの覚醒者が現れたことに驚いて、俺は王虎を監視に行かせた。だから君たちが黒峰六花に対して、何をしていたかも知っている。そして、王虎に黒峰が本当に危険になったら助けろと言って、俺は訓練に戻った」
魅由梨たちに龍真が気付いたのは、六花が覚醒した時だと思っていた。魅由梨たちでさえ感じ取ることのできた強力で異質なあの魔力に、黄龍が気付かないはずがない。
「黒峰が覚醒したのはそれから十分と経たない時だ。王虎だけでなく、俺自身が真っ先に向かっていれば、君の友達は助かったかもしれない。本当に……すまない」
「っ!」
魅由梨の右手が龍真の左頬を思いっきり叩いた。
「貴方の役目は人を助けることなんでしょ!それなのに、それなのにほっといたなんて、何考えてるのよ!」
叩かれてもなお、龍真は魅由梨から視線を外そうとしない。
「君には本当にすまないと思っている。まさか『キマイラ』に捕食能力があったなんて予想外だった。本部の資料担当官にも問い合わせたが、そんな情報は何処にも載っていなかったんだ」
「なんなのよ!さっきから『キマイラ』が、『キマイラ』がって、そんなに黒峰の事の方が重要なのかよ!」
「やつは過去に文明を滅ぼした事がある。君も分かっているだろうが、あいつは他の覚醒者と比べて段違いに異質だ。普通の覚醒者とは力の本質そのものが違う。放っておくわけにはいかない」
「そんなの、二人が死んでいい理由にはならないじゃない!」
拳をきつく握りしめ、魅由梨は叫ぶ。
「それともう一つ言っておくが、俺は君たちが死んでも構わないと思っていた。君たちが彼女にしていた事は最低だ、反吐が出る。君を助けたのもキマイラの情報を得たいと思ったから、それだけだ。俺個人の意見としては君たちを見捨て、彼女を助けようとすら思っていた。結果的には黒峰六花が最悪の覚醒者として目覚めたが、王虎には痛めつけてもいいと俺は命令していた」
「確かに酷い事をしてたかもしれないけど、だからってそれが二人が死んだ理由にはならないでしょ!殺されるほどのことじゃない!あなたがすぐに来ていれば二人は助かった!」
「分かっている。だが、殺される程じゃないと何故言いきれる?君はいじめを受ける側になったことが無いんだろう?だからそんな事を平然と言える。いじめられている本人が死にたいと思うほど辛いと思っていないと、どうして君が言い切れる?」
龍真は立ち上がり、ドアに向かって歩き出す。
「あいつは絶対に俺が倒す。でも君は、彼女に対してしたことの意味をよく考えるべきだ。彼女の心に満たされた憎しみの感情が、キマイラを呼び起こす原因となったのはさっき研究班からの報告で分かったことだ………君が君の友達を殺したんだ………」
「私………私はただ、あいつがちょっと気に食わなかっただけで、殺すつもりなんてなかったのに………なのに………」
龍真が出て行った後、病室にはすすり泣く魅由梨の声だけが空しく響いた。
「本当に話してよかったのか?知らない方がよかったのではないか?」
病室の外には王虎が黒猫から本来の虎の姿に戻って寝ていた。病室での話もすべて聞いていたようだ。
「誰かが言わなければならないことだ。今は辛いだろうが、あの子が成長するためには必要なことだよ」
龍真は魅由梨に叩かれた頬に手を添える。なかなかいい平手打ちだった。あれだけ元気があるなら一週間とせずに退院できるかもしれない。今の彼女にあの言い方は確かにキツ過ぎたかもしれない。だが、彼女はこれからも生きていかなければならない。彼女が今の慢心から抜け出し、さらに成長するための荒療治が成功したことを祈るしかない。
魅由梨の部屋を出た後、龍真は指令室に向かい、桔梗と合流した。桔梗は先に『キマイラ』の追跡を始めていた。『キマイラ』の魔力の反応は他の覚醒者とは明らかに異なっている。普通、魔人系、魔獣系、精霊系の覚醒者の魔力の波長は系統でどこか似ている部分がある。だが『キマイラ』の波長は魔人系でも魔獣系でも、もちろん神の覚醒者の物とも違い、独自の波長を持っている。それが現れればすぐに発見できる。だがこの三時間で『キマイラ』の反応は一度も現れていなかった。
「王虎、どう思う?」
龍真はココアをすすりながら、隣で同じモニターを見ている王虎に尋ねた。王虎は魔獣系の能力に関してなかなかに博識だ。桔梗たちの集めたデータ以上のことを王虎が知っている可能性は高い。
「妙だな。『キマイラ』は本能に忠実な奴。奴が隠れ続けているとは思えないが……私ではいささか思慮不足、ガレンゼイトを呼び出してみては?奴ならば何か………」
「たしかゼイトは知識を司る召喚獣……確かにあいつなら何か知っているかもしれない」
呼び出すカギとなる呪文を唱え、龍真の影が伸び、ガレンゼイトが姿を現す。煙管を加えたその姿はどこか賢者のようだ。
「お呼びですか、王よ」
「ガレンゼイト、今までの話は聞いていたか?」
「一言一句逃さず」
「なら、お前の意見が聞きたい。『キマイラ』の動向について、なんでもいい。分かっていることを教えてくれ。少しでも情報が欲しい」
ガレンゼイトは煙管に火をつけ、煙を吐き出しながら尋ねる。
「王達は『キマイラ』の能力を全てご存知でしょうか。奴の能力は能力の収奪、収奪した能力の行使、異常なまでの再生能力の他にもう一つあります」
「もう一つ?」
それは本部の情報にもなかった。もともとキマイラに関しての情報はとても少ない。過去にキマイラが出現したというのも、一番新しくて数世紀前だ。正確な情報が残っていなくても仕方ないかもしれないが、まさかそれ以上に能力があったとは。
「はい、奴は捕食した生物に姿を変える事が出来るのです。『擬態』と言えば分りやすいと思いますが、奴は他の覚醒者に擬態する事が出来ます。それは姿、形だけでなく、その魔力の波長も完璧に。もし今も擬態しているのだとしたら、私たちに奴を見つける術はありません。私が知る限りではそこまでしか言えません」
「擬態……どこまで似せる事が出来る?」
「奪った相手の記憶以外なら全てを。貴方様が出会ったときはまだ二つの能力しか奪っていないようでしたが、今では更にいくつか新しい能力を獲得したかもしれません。私たちが把握していない能力者に擬態しているとしたら、発見は困難でしょう」
「そうか……札幌近辺の覚醒者の数は?」
「約百二十万です」
オペレーターの回答に龍真たちは頭を悩ませた。百二十万の覚醒者が容疑者なのだ。その中から『キマイラ』を探し出すのは不可能に近い。
「何か『キマイラ』を探す手立てはないのか?」
「奴が初めて王に出会った時、王の事を麒族だとすぐに分かっていました。それにあの表情、他にも何か……」
「黒峰はあなたを恨んでいます」
振り返ったそこには魅由梨が立っていた。
「片山魅由梨……よくここまで来れたな」
桔梗が驚くのも無理はない。魅由梨が寝ていた病室から指令室までは分かりにくいうえに、距離がある。
「僕が連れてきたんだ。どうしても伝えなくちゃいけない事があるってせがまれてね。それに、僕もここに用があったし」
「兄さん!」
魅由梨の後ろには桃李が立っていた。いつものよれよれの白衣を着ているが、その手には何かの包みを持っている。
「でも僕のことは後でいい。魅由梨君、黒峰六花が龍真君を恨んでいるっていうのはどういうことなんだ?」
桃李が話を元に戻す。自分の用事は構わないらしい。
「はい……その、私は黒峰をいじめてたんです。奏と絢季の三人で。それで、今日はもうこれ以上ないってくらいに痛めつけてやろうって話になって、それであの森の中に連れて行ったんです。それで私たちのいじめを受けている最中に黒峰が言ったんです。どうして麒族様は助けに来てくれないんだ、どうして誰も、って。そしたら黒峰が覚醒して……あんなことに…………」
「逆恨みで逆上か、くだらんな。これだから人間は―――」
「ゼイト!余計なことを言うな。彼女は自分のやったことも含めて、ここに伝えに来てくれたんだ。そういうことは言うな」
龍真が思わず声を荒げた。これには桔梗はもちろん、桃李や、王虎でさえも驚いた。
「……申し訳ありません」
そして誰から話すでもなく、全員が黙ってしまった。これからどうやって『キマイラ』を見つけるか、考えても良案は浮かばない。そしてふと思いついたように桔梗が呟く。
「龍真を恨んでる……か。一体どうするつもりなのだろうな……復讐でもするつもりか?」
その言葉に桃李がはっとした。
「それだ!」
「え?」
「復讐だよ。もし本当に龍真君に復讐するつもりなら、黒峰六花は必ず龍真君の前に現れるだとしたら彼女が狙っているのは他でもない龍真君、君だよ」
桃李の言葉に龍真も合点がいった。
「俺が囮になれば、奴は現れるってことですか?」
「ああ、そういうことだ。そのためにこれを渡したい」
桃李が手に持っていた包みを開き、それが姿を現した。
「これは……ガントレット……?」
それは真っ白な籠手だった。特に目立った装飾もなく、一見地味にも見える。
「『ヘカトンケイル』だ。これは君の魔力を増幅して槍に流し込むことで君の槍の力を強化するものだ。どんな結果になるかは分からないが、確実に君の力になる筈だ」
「ありがとうございます。俺はこれから『キマイラ』捜索に出ます。何かあったら連絡してください」
「わかった」
桃李から『ヘカトンケイル』を受け取り、両腕に装備する。金属で出来ているようだがあまり重さは気にならない。
「とりあえず、市街地に向かった方がいいと思うよ。もし黒峰六花が本当に復讐する気なら、さらに能力を吸収するために覚醒者の多い市街地に向かうはずだからね」
桃李の言葉に龍真が頷く。あのときの六花の言葉、『戦うには今はまだ早い』という言葉は覚醒者をさらに捕食してから復讐するという意味だろう。それなら今は覚醒者を襲っている筈だ。
「そうですね。じゃあ駅周辺で捜索してみます。『魔覚』を使えば黒峰の『キマイラ』の波長も掴めるかもしれませんから、やってみます」
指令室を出て、ロッカールームに向かう。戦いの時に着るレザースーツはいつもここに置いてある。
ロッカールームに着くと、どうやって先回りしたのか、桃李がベンチに座って龍真を待っていた。
「桃李さん、どうやって俺より先に此処に着いたんですか?指令室に残ってたはずなのに」
「此処にはいざという時の為に沢山抜け道が作られてるんだよ。特に僕とか、戦闘できない人間を逃がすためにね」
「そうなんですか……」
意外とは言わないが、なぜわざわざ来たのだろうか。とりあえず、龍真は着替えを始めた。桃李が後ろに座っているため、なんだか気恥ずかしい。
レザースーツとマント、ホルダーにブーツと、着替えが終わってロッカーのドアを閉めると、桃李が龍真の前に立った。背の高い龍真と小柄な桃李では頭一個分以上の差がある。
「もし『キマイラ』を見つけたら、迷わず戦闘を開始してくれ。アイツは何としてでも倒さなければならない。捕獲するだなんてことは考えるな、絶対に消滅させるんだ」
「元よりそのつもりです。俺は一度しか見ていませんが、見ただけで召喚獣たちが本気になった理由が分かりましたよ。あいつは存在自体があってはならない。でも、もし可能であれば、黒峰六花は救出します。彼女自身は被害者ですから」
「それは可能であればの話だろう。それに君には消滅させることは出来ても、封印することは出来ない。魔術師たちの月照封印が『キマイラ』に通用するかは僕も分からない。もしかしたら、あいつには封印術は効かないかもしれない。それに封印するためには長時間同じ場所に拘束しなければならない。『キマイラ』相手にそれは無理だ」
「できることはしますよ」
「そうだな、でも間違っても死ぬな。君が死んだら桔梗が悲しむ」
「え、あの…それはどういう……」
「君は桔梗を変えてくれたよ。君が来てからあいつは明るくなったし、よく笑うようになった。感謝しているよ、だから絶対に死ぬな。これは桔梗のためでもある」
「桃李さん……」
自分ではそんな事は無いと思っていたが、桃李から見ればそうなのだろう。
「分かりました。絶対に生きて帰ってきます。桔梗の為に、桔梗を悲しませないために」
「ああ、行って来い!」
「行ってきます」
龍真はロッカールームを走り去り、一人残った桃李はベンチに座って天井を見ていた。桃李の考えでは、龍真が黒峰六花を倒せる可能性はあまり高くない。『キマイラ』の再生能力がどこまで有効なのか、想像がつかないからだ。聞いた話では切断された腕を付けたり、骨折を短時間で修復させたりなどは出来ている。もしかしたら首を切断されても死なないかもしれない。その再生能力を上回る攻撃を龍真がし続ければ、あるいは………
「結局は彼が頼りか。情けないな、僕は。先陣切って彼に協力できれば、こんな事を考えずに済むのに………」
頼んだぞ、と呟いた桃李は指令室に戻るため、立ち上がり、ゆっくりと歩きだした。
「しかし、あいつまた桔梗のこと呼び捨てにしたな……帰ってきたら実験だ」
第三部第五幕
「とりあえず来てみたけど……なんでこんなに人が多いんだ?」
札幌駅構内は数えきれないほどの人でごった返していた。駅の中だけでなく、駅の前にもたくさんの人が見えた。
「桔梗、聞こえるか?」
『聞こえている』
「今日ってなんかあるのか?何かの祝日だったりとか」
『今日が何日だか忘れたのか?今日は七月七日だ』
「七夕か……だからっていくら何でも多過ぎんだろ。これじゃあ、『魔覚』を使ったって反応が多すぎて分からねえよ」
『それでもやるしかない。これだけ人が多いってことは、黒峰が標的にすることのできる相手が多いってことだ。確実にこの中に黒峰は来てる。被害が出る前に探し出せ』
「そうだな……始めるか」
(とりあえず、駅の構内から始めるか…)
改札の近くのベンチに座り、目をつむる。
(近くに覚醒者は……二百人か。やっぱりこれだけ人が多いと覚醒者も多いな。覚醒していない奴が……五十人か。これでもまだ百五十人、地道に探すしかないか)
「桔梗、覚醒者は駅周辺で百五十人はいるみたいだ。なんとか絞り込めないか?」
『そうだな……多分『キマイラ』のランクはAか、それ以上だ。それを利用して何とか絞り込めないか?感覚をわざと鈍らせて、強い魔力だけ探知するようにするとか』
これだけ覚醒者が多いとしてもその中で『キマイラ』の魔力はずば抜けて高い。それなら弱い魔力を感じなくすれば、魔力の高い『キマイラ』を探し出すことができるかもしれない。
「感覚をわざと鈍らせる…か。やったことないけど、試してみる」
自分の魔力を妨害電波のようにして『魔覚』の邪魔をする。自分の魔力が小さな魔力を掻き消し、感じる魔力は二十程度まで減った。だがこれでも多い。
「………?」
一人だけまるでノイズが掛かったように魔力を測れない。今感じる魔力の量ではおそらくランクはCにも届かない程度。だがこのノイズはどう考えてもおかしい。魔力の持ち主は駅の前にいる。確認するしかない。
駅の前には七夕用の大きな笹が立てられていて、その下には願い事を書くための短冊が置かれたテーブルがある。
今日は綺麗に晴れていて、夜空には星空が広がっている。天の川も綺麗に見える。
笹の下にはカップルであろう男女が楽しそうに笑っている。
その中に一人だけでいる少女がいた。年齢はおそらく十代後半。あどけない顔立ちだが、その表情にはどこか達観しているようで、まるで何もかもを諦めたような表情だった。
覚醒者であることは確実だ。だが、魔力がまったく測れない。普通ならどれぐらいの力があるのかは大体分かる。だが彼女は霞が掛かった様に分かりづらく、異様な不気味さを感じる。
確認のためにその少女に話しかけようとして近づいた時、龍真の反対側から鼓膜を破るような爆発音が轟いた。振り返ったそこには腕から炎を出しながらバスや車を破壊する男の姿があった。どう見ても普通のサラリーマンで、足元にはさっきまでもっていたのであろうカバンが落ちている。
「炎を操る魔人系覚醒者か。でも、どうして突然こんなこと……」
「彼は私なの」
「何っ?」
声を掛けようとしていた少女が龍真の方を見て笑っている。その姿に見覚えは無かったが、その声は明らかに黒峰六花のモノだった。
「黒峰六花か?………どうやって……『キマイラ』にこんな力は無かったはずだ」
『キマイラ』の能力に分身する力なんて無かったはずだ。奴の力は奪った能力を使うことと、異常なまでの再生、そして他人に化ける擬態だけだったはずだ。
「私が奪った力の中に『ドッペルゲンガー』っていうのがあったの。赤の他人と同じ姿の幻影を作り出す力。ドッペルゲンガーの持つことのできる能力は一つだけだけど、それでも十分強いはずよ。彼は私であり、私は彼なの。他にも何人もの私がこの町の中にいるわ。そろそろ始まる頃よ」
そして男の行動に触発されたように遠くからもいくつもの爆発音が聞こえた。数は分からないが、空にはたくさんの黒煙が昇り、いたる所から赤い光と悲鳴が聞こえる。
「貴方に私が止められる?沢山の私を、沢山の覚醒者を、貴方は止められるの?」
「クソッ、スレイプニル!」
龍真の影からスレイプニルが飛び出し、龍真を乗せて空に飛び上がる。
空から見えた光景に龍真は絶句した。街のあちこちが火に包まれている。恐らくそこに『キマイラ』の分体だろうが、おそらく二十はいる。しかもその一つ一つが強力な覚醒者、いちいち一体ずつ相手にしていてはきりが無い。
「くそがっ!『ガレンゼイト』、『ガレンゲイル』、『ヤルムンガンド』、『王虎』」
影の中から現れた召喚獣たちは駅ビルの屋上に降り、龍真もスレイプニルから降りて召喚獣たちと向き合った。
「街で暴れている分身の相手をしてくれ。ガレンゼイトは司令塔になって指示を。俺はキマイラの相手をする。奴らはキマイラの影のようなもんだ。捕食する力は本体にしかないだろうから、喰われる心配はいらない。火事や街の被害は消防や警察に任せていい。お前たちは分身を狩ることだけを考えてくれ」
「「「「「御意!」」」」」
「頼んだ」
「王よ」
スレイプニルに呼び止められ、振り返る。
「どうかご無事で」
「ああ、行くぞ!」
駅ビルから飛び降りる。高さは三十メートル位あるかもしれなかったが、この惨劇を止めなくてはならないという使命感が先に立って、恐怖は感じなかった。
降りたそこには黒峰の姿だけがあった。野次馬や炎の覚醒者はどこかに姿を消してしまっている。
「死ぬ覚悟はできたの?」
黒峰は覚醒状態で待っていた。両手には波打つような刀身の剣を握っている。その体はかろうじて人間の原形をとどめているが、まるで滅茶苦茶だ。
頭は変わっていない。赤い血のような髪に付いている青いバラの花飾りは、絢季のものだ。体は新しく取り込んだ覚醒者のものだろう、黒くズタズタに引き裂かれたような布を纏っている。まるで死神の衣装のようだ。尻尾はトカゲのようで、先端にはサソリの棘が付いている。おそらく毒針だ。
右手の肩から肘までは黒い甲殻に覆われていて、肘から先は先ほどの炎を操る覚醒者のもので、剣を握るその手は常に炎を放っている。左手の肩から肘は右手と同じだが、その肘から先は銀色の甲殻で覆われていて、まるで騎士の鎧だ。
足はトカゲのような鱗に覆われていて、その爪は一つ一つがとても大きく、恐竜の足を連想させる。
「あれからいったい何人の覚醒者を食った?こんな短時間にいったいどれだけ…………」
あまりの変貌振りに龍真は心の底から驚いていた。黒峰が覚醒したのは半日前だというのに、既に見た限りでは少なくとも六体は捕食している。そして街を襲っている分身の数を考えると、その数は少なく見積もってもこの三倍。二十近くか、それ以上の能力を有している。うかつには近づけない。
「たくさん、たっくさん食べたよぉ。貴方と会った後に、まず学校に行って使えそうな能力を持った覚醒者を食べた。奏の姿で近づいたらまったく警戒しなかったから、ほんとに簡単だった。ちょろ過ぎて笑えたよ。そこでこの『ドッペルゲンガー』の力を手に入れた」
まるで新しく買った服を見せるかのように、黒い布のすそを摘まんでくるりとその場を回る。
「その後は簡単。覚醒者と一緒にいた人間を喰って、その姿で近づいて人気がない所に連れて行って喰った。それを繰り返してたら、こんなに力を手に入れることができたの」
笑う六花の表情は狂気に満ちていた。
「貴方もすぐに食べてあげるよぉ。ランクSの能力が食べられるってことを考えただけで、嬉しくてたまらない!」
両手の剣を振り上げて六花が龍真に襲い掛かる。両手両足、さらに尻尾の棘と、五つの武器を持ち、その口には鋭利な牙を生やしている。まさに全身凶器。体の全てが武器と化している。
ノイズが掛かっているようで感じることの出来なかった六花の魔力も、今でははっきりと感じることができる。初めて会ったときよりもさらに強くなり、その魔力の含んでいる狂気もより強く、禍々しくなっている。おそらくランクは少なくともB以上、もしかしたら龍真と同等のSランクの覚醒者に成長したかもしれない。
「………くそっ、やるしかない!」
龍真も両手に空中から出現させた銀槍を握る。足には既に氷霊脚を纏っている。そして両手の『ヘカトンケイル』は淡い白の光を発している。
龍真も走り出し、六花に勢いよく衝突する。お互い激突の瞬間に武器を振るい、それぞれの武器がぶつかり合って鮮やかな火花が飛び散る。お互いに両手が塞がったところで六花が龍真の槍の内側に剣を入れ、外側へと押し返そうとする。それと同時に龍真の首筋に向かって噛み付こうと口を開く。
がちん、がちん、と六花の牙が音をたて、龍真の首筋を掠る。荒々しく息が漏れ、獣のような臭いと共に濃い血の匂いが漂う。
何度か牙を立てようとして届かないと分かると、今度は足の爪を龍真の腹に突き立てる。片足で立っているというのに全くバランスを崩すことがないのは尻尾が第三の足の役割をしているからだろう。その証拠に六花の体と同じほどの長さの尻尾は深々と地面に突き刺さっている。
「貴方の力は必ず頂くよ。貴方を食い終わったら次は黄龍を襲おうかな?あそこなら何人も覚醒者がいるだろうし、黄龍の人間を全員私の影と置き換えれば、北海道で何があっても私がしていることはバレない」
「そんなこと……させるかよ!」
六花の剣を払いのけ、がら空きの六花の体に氷霊脚で回し蹴りを入れる。さすがに尻尾でバランスが取れているといっても、剣を弾かれれば否応なしにバランスは崩れる。しかも尻尾は地面に突き刺さっている。とっさのことに反応しきれず、龍真の蹴りはクリーンヒットして六花は吹き飛ばされ、駅の壁に激突した。
砕けた壁の瓦礫と共に六花は地面に落下したが、何事もなかったように立ち上がる。肋骨が粉々になっていてもおかしくない衝撃だったはずだが、吹き飛ばされたのと同時に再生が始まり、激突したときの衝撃も落下する短時間で回復してしまったのだろう。
「確かに再生能力があるって聞いていたけど、まさかここまでとは思わなかったな。骨が折れてもすぐに元に戻り、体が千切れてもすぐに生えてくるってのは本当だったのか」
『彼女の再生能力は吸収した覚醒者の数に比例して強くなっているみたいだ。片山魅由梨の話では肋骨を折ってから暫くは動かなかったらしい。恐らく、その時はまだ魔力が強くなかったから、再生にも時間が掛かったんだろう。
でも今は違う。魔力が強力になっているのはこっちのモニターからも分かるけど、龍真と同等の魔力を持っている。再生能力も相当強くなっている筈だ。もしかしたら肉片からでも再生するかもしれない』
「マジかよ……そんなのどうやって倒すんだよ……」
立ち上がる六花の姿を見ながら龍真は呟く。桔梗にしか聞こえていないだろうが、六花は自分のことを喋っているのだと分かったらしい。龍真の氷霊脚に蹴られて凍った服の氷を剥がしながら言った。
「私の再生能力には私自身、驚いているんだよ?痛みは全く感じないし、無くなった体もすぐに元通り。本当に便利」
「出鱈目な体してんだな!」
再生能力は厄介だが、何とかして隙を作って『銀鏡霊槍』でとどめを刺すしかない。今はとにかく攻撃の手を休めないで、六花を消耗させるしかない。
(スレイプニル達は大丈夫なのか?……ガレンゼイトからは何の連絡もないし、本体がこれだけ厄介なら、いくら分身だって言っても相当だぞ)
召喚獣達の心配をしたのはおそらく一瞬、そんな余裕も無い程に六花は強い。そして何とか決定打を入れる隙を作るため、龍真は攻撃を続けた。
舞台裏【三】
「我等が王に任された以上、我々は必ず分身どもの殲滅を完遂し、一刻も早く王の元に向かう。ガレンゲイルは西、スレイプニルは東、ヨルムンガンドは北、王虎は南の敵を担当。私は空から各自に指示を出す。最短の敵の位置と、そこまでのルートは私がナビゲートする。では、御武運を」
スレイプニル達は街の中心地である場所から東西南北にそれぞれ走り出した。スレイプニルとガレンゲイルの姿はすぐに見えなくなり、ヨルムンガンドと王虎の姿も闇夜の町に消えていった。
ガレンゼイトは上空百メートルまで上昇し、そこから街を見下ろした。火の手が上がっているのは全部で二十二ヶ所。それぞれに覚醒者がいると考えると、少なくとも一体が五人は倒さなければならない。被害を広げないためにも、一人に掛けていられる時間はそう長くない。
「王虎はそのまま直進、三百メートル先に分身を確認。スレイプニルとガレンゲイルは空から見える範囲の敵を順次、討伐。ヨルムンガンドは既に交戦に入っているな。その次は北に二百メートル進んで左に曲がったところに次の標的を確認」
空から見ると、この光景はまるで前のオーディンに仕えていた頃に経験した戦争のようだ。至る所から火の手が上がり、幾つもの悲鳴が絶えず響き続ける。二度と思い出したくなかったあの光景が今の眼下の街に広がっている。
ガレンゼイトの目はどこまでも見ることが出来る。だから生き物の死体や、泣き叫ぶ人間の姿もはっきりと見えてしまう。龍真の為にこの目を活かせることは嬉しく思うが、見たくない物まで見えてしまうことに関してはこの目を呪った。
だから人間世界で行動する為の憑代も持たなかった。憑代から見える世界はあまりにも悲しすぎる。それならば多少の不自由があろうとも、龍真の影の中に居続けた方が何倍もマシだ。
「ガレンゼイト、次の場所は何処だ?」
王虎の声にはっとして再び街を見下ろす。王虎からすぐ近くの公園に次の覚醒者が居た。
「南に進んで四つ目の交差点を右に曲がった所に公園がある。次の分身はそこだ」
「了解した。すぐに向かう!」
その後にも指示を出し続け、最後の分身をヨルムンガンドが討ち取ったときには既に龍真の元から離れて二時間が経過していた。自分たちが存在しているのだから龍真がいまだ無事であることは分かっているが、加勢するため、急いで覚醒獣たちは龍真と六花が戦う駅へと向かった。
第三部第五幕再開
龍真が六花と武器を交えて一時間が過ぎた。ここまで長引いたことは今まで無かった。神森との戦いは一度収まって、黄龍で再び再会されたから一度の戦いではない。同じ相手と、一時間も攻防を続けているのは初めてだ。龍真にも六花にも疲労の色は見られない。二人とも二時間経った今も全力で戦い続けている。
龍真の攻撃は何度も六花の体を捕らえたが、すぐに再生してしまって決定打には繋がっていない。
一方、六花の攻撃は掠る程度だが、確実に龍真の体を捕らえた。龍真の体は至る所から血が出ていて、龍真に不利になり始めていた。
「だいぶ傷だらけになったね」
六花は龍真から距離を取り、剣から血を払うように両手の剣を振った。
「そろそろ諦める気になった?」
「誰が諦めるかよ。俺は北海道を守らなければならないんだ。最悪の場合、刺し違えてでも俺はお前を止める!」
龍真は目にかかる血を拭い、銀槍を構える。
「刺し違えてでも止めるなんてこと……出来る訳ないだろうが!」
六花の尻尾が首を上げ、先端の針の先から紫色の液体が吹き出した。範囲も速さもなかったため、避けることは簡単だった。だが避けた後、液体が落下した場所がドロドロに溶けだした。
「なっ!溶けた……?」
「ふふっ、強酸性の毒液ですよ。浴びれば一瞬で体が溶けだします。体に掠ってもすぐに毒が回って動けなくなりますよ」
ゆらゆらと尻尾を振りながら六花はじりじりと龍真との距離を詰める。
「こんな物まで持ってたのか……コンクリを溶かすって、何で出来てんだよ、その毒」
「そんなこと私が知る訳ないじゃないですか。食べた覚醒者の中に蠍の覚醒者がいて、その力がこれだったんですよ」
「喰った奴の事すら知らないのか。本当に殺人鬼になっちまったんだな。殺した相手のことすら覚えてられなくになったら最悪だ。殺した奴らの顔も罪も忘れたら、それは背負う事ではなくなる。だから俺は忘れないようにしてきた。そして、その中にはお前も入るんだ!もうこれ以上、一人として殺させはしない!」
再び六花に攻め立てる。剣槍は突くことも切ることもできる。その攻撃のバリエーションはとても多彩だ。六花も龍真の攻撃を完全には捌ききれず、何度も体を貫かれ、切り裂かれた。
だがその傷もすぐに回復してしまう。いくら攻撃してもきりが無い。
(なんとか、なんとかして銀鏡霊槍を入れる隙を作れれば……)
だが二時間以上の攻防の中でもその光明は見えてこない。
「溶けてなくなれぇ!」
再び六花の尾が毒液を吹き出す。さっきの単発とは違い、今度は大量に、しかも広範囲に飛ばしている。
炎で蒸発させようと氷霊脚を焔龍脚に切り替え、炎弾を飛ばそうとした時、龍真の背後から大量の水が現れ、毒液を巻き込んで六花を押し流した。水と六花の体が解ける臭いが辺りに充満する中、龍真の背後には召喚獣たちが立っていた。
「王よ、何というお姿に……それほど傷だらけになっているとは………」
スレイプニルが近寄り、龍真に声をかける。流石に傷だらけになっていることに驚いたのだろう。その声は明らかに焦っていたが、後ろにいた王虎がスレイプニルを宥める。
「落ち着け、スレイプニル。王の体をよく見ろ。確かに傷はあるが、どれもそう深いものでは無い。致命傷になるようなものは無く、殆どの傷が血も止まって塞がっている」
王虎の言葉通り、龍真の傷は半分以上が塞がっていた。六花の『キマイラ』程ではないが、覚醒者は普通の人間よりも体は頑丈で傷の治りも早い。筋力や五感も普通の人間の数倍は優れている。だから掠り傷程度ではいくら受けたところで命に関わる事は無い。
「大丈夫なのですか……よかった、安心しました」
そしてスレイプニル達は龍真の影の中へと戻っていった。スレイプニルは加勢すると言って聞かなかったが、お前が喰われる姿を見たくないと言ったら、大人しく戻った。
「良いのぉ?せっかくの援軍を使わなくて、貴方一人で私に勝てるとでも思ってるの?これだけ長い時間戦い続けても、あなたの傷が増えるだけだというのに」
「あいつらにもしものことがあったら大変だからな。お前は俺だけで倒す。絶対にだ。それに俺の召喚獣たちが戻って来たってことは、お前の分身は無くなったってことだ。だったら後は俺がお前を倒せば終わりだ。それぐらいは俺だけでやる」
「よくもまあ、まだそんなことが言えますねえ」
六花は剣を地面に突き刺し、左手を体の横に上げた。その直後、六花の左腕が波打つようにうねり、今までとは全く別のモノへと姿を変えた。
肩から肘は黒い甲殻のままだが、さっきまでの滑らかな物とは違い、甲殻同士の境目に大きな棘が何本も生えている。そして肘から手首までには青い球体がいくつも浮かび上がり、電流が漏れ出している。
ここまでは大まかな形はまだ人間のモノだったが、手首から先は無くなっていた。否、人間のあるべき形から逸脱していた。そこには大きな鎌が付いていた。湾曲しているが、それでも地面に突き刺さるほどの長さがある。そしてその鎌の周りには小さなつむじ風が出来ている。
「そろそろ終わりにしようよ」
地面に刺していた剣を右手に持ち、六花は言う。残ったもう一つの剣は六花の体の中に吸い込まれて消えた。
「そうだな。これだけやってもダメってことは、もう腹くくるしかない…か」
槍を体の前で交差させ、全力で魔力を込める。
「〈魔装〉クィラセ・カルスィトライエ・ホスティス・トゥイ・イン・ハスタ・フラクティカ、ヴィンセーレ・マーヌス、イアム・アド・エクストレマ・スイ、アニマ・イクスィム、ルックス・デイ、アド・トウティウス・ムンディ・ハスタム・ペネトレイムス『双・銀鏡霊槍』!」
龍真の両手の銀槍が白銀に輝き、龍真自身の体も淡く輝く。その時、風で髪が動き、隠れていた左目が姿を見せる。碧眼だったはずの左目は黒瞳になり、右目も黒瞳へと変わる。灰色だった髪も漆黒の黒髪へと姿を変えた。
「本気で俺はお前を倒す。この一撃で終わらせてやる。お前の罪は俺が背負う」
悲しげに放った六花への言葉は、こちら側に戻らせる最終宣告だった。改心する気など毛頭ないと解っていても、どうにか救いたいと心のどこかで思っていた。
「終わるのはアンタだよ!私はアンタを倒してさらに強くなる。そしてこの世界を終わらせる。私を邪魔ものにする人間が誰もいない、綺麗な世界にするんだ!だから…だから……死ねぇぇぇぇ!」
左手の鎌から鎌鼬を放ち、右手の剣を握って龍真へと襲い掛かる。龍真が鎌鼬を槍で弾いたのと同時に、六花は龍真の心臓めがけて思い切り剣を突き立てた。
「グフッ!」
龍真の口からは血がこぼれ、腕は力なく垂れ下がった。体からは力が抜けたかのように六花の方へと倒れこみ、動かなくなった。両手の槍は光を失い、元の銀槍へと戻っている。
「なんだよ…大層なこと言っておいて、こんなに簡単に死ぬんだ……」
六花の剣は龍真の右胸を貫いていた。龍真の体を貫通した剣の切っ先からは血が滴り落ちている。
「じゃ、約束通りその力頂こうかな」
六花の腹に横に亀裂が入り、体が口そのものになり、龍真の体を喰らおうと大きくその口を開く。その中には何もない。生物のような口腔がそこにはなかった。あるのはただの闇―――
「それがお前の本体か」
「ッ!」
六花の剣で貫かれ、龍真は息絶えたと思っていた。だがその声ははっきりとしていた。顔を上げた龍真の目には生気が宿っていて、その手に握られていた槍は両方とも再び白く輝いている。
「往生際が悪いんだからぁ!」
今度こそとどめを刺そうと六花が鎌を振り上げた瞬間、龍真は槍を使って六花が握っていた剣を砕き、回し蹴りで六花を駅の壁へと吹き飛ばす。
壁から抜け出した六花が剣を再生させ、再び龍真に向かおうとした時、六花の体に重い衝撃が走る。体の中心が焼けるように熱い。龍真が銀槍を投げたのだとは、すぐには分からなかった。そしてその銀槍は六花の体から出てきた口に突き刺さっていた。
「召喚獣たちからお前の事を聞いた。『キマイラ』は何度も宿主を変えて現代まで生き残った唯一実在する本物の魔獣なんだってな。黒峰六花の体は何代目の宿主だ?これまでにも何度も宿主の体を奪って、散々暴れ回ったらしいな」
「どうして……剣は体を、心臓を貫通したはずなのに……」
六花は混乱していた。剣は確かに龍真の胸を貫通していた。傷もあり、血が流れ出てきている。心臓さえ破壊すれば、いくら覚醒者の回復力を以てしても生きていられるはずがない。なのに龍真は死んでいない。
「俺の体もお前と同じで出鱈目でな。普通の人間とは臓器の配置が左右逆なんだよ。だからお前が刺した場所に俺の心臓は無い。まあ、肺を貫通してるだろうから俺も長くないだろうけどな」
そして龍真はガレンゼイトから聞いた話から推測したことを話し始めた。
「前の体の時に俺と同じ力のある覚醒者に負けて、おまえはそれまでに培った力をほぼ全て失った。俺の召喚獣たちも完全に『キマイラ』は消滅したと思った。まさか間一髪のところで脱出して新しい宿主に移っていたなんて、誰も考えていなかったってよ。
そしてまたお前が現れたことで、俺の参謀はある結論に達した。お前の本体はどこか別の場所にあり、その力を行使するとき以外は宿主の体の中に潜んでいるってな。そしてその本体を叩かない限り『キマイラ』は消滅する事は無い。だから決定的な確証が取れるまで、その宿主を殺さずにお前の行動を観察していた」
槍の突き刺さった場所は徐々に石化を始めていた。六花はどうにか抜け出そうと、もがくが、龍真は六花に突き刺した槍をさらに深く突き刺した。
まだ動く尻尾と両足は氷霊脚で凍らされて動かない。左腕の鎌は遠すぎて意味をなさない。鎌鼬では時間稼ぎにしかならず、何でも溶かすと思えた毒液も、龍真の銀槍には効果を示さなかった。
「その口だけはお前の、『キマイラ』の本体なんだろう?覚醒者を取り込むときには必ずその口が姿を現していた。まさか本当に自分の体を囮に誘い出す羽目になるなんて、考えもしなかった」
「貴様………最初からこのつもりだったのか。儂を殺すために自らも犠牲になると……」
六花の口から出てきた声はしゃがれて、まるで別人のものだった。龍真はこれが『キマイラ』の本当の声なのだと悟った。
「最初は全くこんなつもりじゃなかった。どうにかしてお前の本体を引きずり出して、それだけを消滅させる。そうすればその子の命は助かったし、この騒ぎの元凶であるお前だけを倒す事が出来た。
でも……さすがに途中で悟った。俺が命を懸けてお前を倒そうとしなければ、それは果たせない。だったら、そうするしかない。死にたいとは思わないが、俺の命一つで救うことのできる命があるなら、迷う必要なんかない。未来永劫お前の恐怖に怯えることのない世界にできるなら、俺は命が惜しいなんて思わないし、思いたくない。これが俺にとっての最良の選択だったんだよ。足りない経験は覚悟と根性でカバーだ」
「自己犠牲か、くだらんな。お前の選択が…間違っていたこ…とを……儂が必ず…証明して…くれるわ。儂は……必ず…復活…する。そし…て…世界を…消し去り、貴様の行いが……間違っていた…こと…を…証明…してやる」
「やれるもんならやってみろ。でも……」
六花の体は完全に石化し、『キマイラ』の魔力は完全に消え去った。龍真は六花の体から槍を引き抜き、自分の体から刺さっていた剣を引き抜いた。
「次はもっと綺麗に生きろ」
流石に体の中心部を刺されているために出血量は多い。もしこの一撃で終わらせることができていなかったら、負けていたのは龍真の方だっただろう。
「お前が復活するなら、その時は俺も復活してお前を止める。絶対にこの世界を終わらせたりなんてさせない。地獄の果てまでも追いかけてやるよ……かはっ」
龍真の口からおびただしい量の血が吐き出され、地面が赤く染まる。
いくら心臓に当たっていないとしても、ましてや覚醒者だからと言っても、体を貫かれれば平然としていられるはずはない。体の中心部分には太い血管も多く通っている。それは覚醒者であっても、内臓逆位であっても同じことだ。
体に力が入らず、立っていられなくなって壁を背にへたり込む。周囲には人の姿は無く、あるのは完全に石と化した『キマイラ』の体だけだ。
「さすがにこれはマズイな。インカムは途中で『キマイラ』にぶっ壊されちまったし……どうすっかな」
任務の時には携帯は札幌支部のロッカーの中に置いて来てしまうため、誰かに携帯で連絡を取ることも出来ない。それに加えてさっきの技の反動だろうか、体に力が入らない。魔力もほぼ全て使い果たしてしまい、召喚獣たちを呼ぶことも出来ない。
「……絶体絶命だな……ここで死んだら、桔梗悲しむかな?……あいつには泣いてほしくないんだけどなあ……悪い事しちまったな」
体から力が抜け、視界が朧になっていく。これで俺も罪を償うことは出来たかな……そう思って目を閉じ、意識が遠のいて行こうとした時、不意に、
「私がこれくらいであなたを殺させるとでも思ってるのか?」
「えっ……?」
思い頭を無理矢理あげると、そこには桔梗の姿があった。その後ろには黄龍の救護班が控えている。
「……………よく俺が負傷して……いるってわかったな。モニターからじゃ……そんなこと分からないはず…なのに」
「兄さんが魔力の総量を測る機械のプロトタイプを完成させた。それを見たら、龍真の魔力が突然膨れ上がって、すぐにEランクの覚醒者並に小さくなった。何かあったなんてすぐに分かる」
確かに桃李は魔力を計測する事が出来る機械を完成させると言っていたが、まさかここまで早いとは思ってもみなかった。だが今はそれよりも急ぐべきことがある。
「取り敢えず……病院に……刺されてるから、なかなかヤバい」
龍真が傷を負っているということは一目でわかる筈なのだが、何故か桔梗は落ち着いている。
「分かってる。ただ、本当に倒したんだなって思ったら安心してしまってな。それに私は『白澤』の覚醒者なのだぞ?森羅万象に通じる私が応急処置も出来ないとでも思っているのか?まあ、本格的に治療するとなると、ここでは機材が足りなくて出来ないがな」
龍真の横にかがみ、桔梗が怪我の具合を見る。
「龍真の体は内臓逆位なのか。これじゃあ確かに治療は困難になるかもしれないが、それは普通の医者だったらの場合だ。私達、黄龍にはブラックジャックにも引けを取らない名医がいる。これぐらい心配ない。だから……」
桔梗が龍真を抱きしめる。突然のことに龍真は困惑する。
「き、桔梗……何を……」
「だから、今はゆっくり休んで。本当にお疲れ様」
桔梗の口調はいつもの硬いものでは無く、どこにでもいる女の子の様だった。
そして桔梗の顔が近づき、そっと龍真と唇を重ねる。ソルジャーたちはあまりのことに全員が驚き、固まっている。
そして桃李もさすがにこれには驚いたのか、動きが止まり、力無く膝を付く。持っていた資料が地面に散らばる。近くにいたソルジャーも、普段ならすぐ拾い集めるが、桃李と同様に固まっていた。
「……信じられませんね。まさかあの隊長が……」
「『氷の王女』とさえ呼ばれたあの隊長が龍真君と………」
「天変地異の前触れですかね……?」
「その前に桃李さんがおかしくなるんじゃないか?こんなところ見たら冷静でいられないだろう………」
隊員たちが話す内容は龍真にも、勿論桔梗にも聞こえていたが、今は全く気にならなかった。
龍真から唇を離し、桔梗が立ち上がる。龍真にはその顔がとても幸せそうに見えた。
「龍真の搬送の準備を急げ!札幌支部には帰還後、すぐに手術ができるよう連絡を。石化した『キマイラ』の体は一時的に札幌支部に運べ。処理は龍真の回復後に検討する。戦闘になった地域周辺の処理も怠るな!」
桔梗の鶴の一声でソルジャーたちは再び忙しそうに動き出す。だが桃李だけは時間が止まったかのように動こうとしない。
「兄さん、龍真の手術をお願いします。内臓逆位の患者でも、兄さんにならできると信じています。お願いします」
「あ………ああ、わかった。任せとけ、俺が必ず龍真君を助ける」
桔梗に話しかけられてようやく桃李が正気に戻る。
「私はここの指揮を執ります。兄さんは先に札幌支部に戻って準備を」
桔梗たちが忙しそうに動き回っている姿から、龍真は傍らに転がる『キマイラ』に視線を移した。
音もなく横たわっているこの石像があれだけのことを、数多くの罪を犯したのだと解っていても、何故かこの石像だけは破壊する気にならなかった。同情しているわけではない。壊してはいけない気がしたのだ。
「後で考えるか……」
「龍真さん、札幌支部で手術の準備が整ったそうです。これから搬送して、すぐに手術に入ります」
一人のソルジャーが龍真を担架に乗せながら言った。
「了解、さっさと麻酔掛けて楽にしてくれ。痛くて死にそうだ」
龍真の言葉に隊員が面白そうに笑う。
「そんなこと言ってられるなら、問題なく事は運びますよ」
そして支部に運ばれて、手術は問題なく成功した。刺された部分にはどの臓器もなかったらしく、傷の縫合だけで手術は終わった。全身麻酔でなく局部麻酔で手術は行われたので、体を縫われている時も意識は鮮明だった。痛みもなく体に針が刺さる光景はなかなか不思議だった。
だがもうこんな経験はしたくない。
手術を担当したのが桃李だったことにまず驚いたが、桃李が今にも龍真の体を解剖しそうになっているのを必死に止められていることは驚くというよりも怖かった。もしかしたら自分の最期は桃李に解剖されて終わるんじゃないかと本気で思った。
それでもその夜は病室のベッドの上でぐっすりと眠る事が出来た。体は重く、指一本動かすことも出来ず、気を失うように眠りに落ちた。そして――――