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銀槍の召喚王と黒鱗の魔女  作者: 藍宮龍次郎
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召喚王、覚醒 2

第二部第一公演開幕


 あの涙を流した次の日、龍真は久々に学校に来ていた。

 龍真が涙を流した後、桔梗は一連の経緯を本部に報告し、神森の死は彼自身に責任があるとして、龍真の麒族殺害は不問とされた。

 そして麒族の欠員は由々しき事態であるらしく、神森を圧倒した実力を評価され、龍真は北海道の新しい麒族に任命された。諸々の手続きはすべて桔梗が済ませていて、龍真がすることは特になかった。あったとすれば黄龍本部での任命式ぐらいだろうか。

 任命されたことで出る特別待遇金は大学の学費を賄うに充分の額であったため、貰った直後に祖母に電話し、学費の工面がうまくいったとだけ伝えた。そしてもう仕送りは必要ないとも伝えた。祖父母は龍真が覚醒したことと麒族に任命されたことをとても喜んでいた。祖母は死んだ家族も鼻が高いだろうと言ったが、龍真は曖昧な返事しか返せなかった。

金銭的な問題は解消した。残る問題はその金銭的問題の元である学校でのことだった。

 覚醒者を狩っていた時は家にしか帰らず、学校には行かなかったので、二週間分の授業を欠席してしまっていた。覚醒者狩りはもうしない。だから学校に行かない理由もない。だが久しぶりに行った学校は最悪だった。色の変わった髪と、新しい麒族になったことが原因だったのだろうが。

 龍真はテレビを見ないせいで知らなかったが、麒族は本当に有名らしい。あの駅での戦いの時、逃げ惑う人の中に神森を知っている者も、勿論龍真を知っている者もいた。龍真は元々目立つ体格だったこともあるのだろう。学校の関係者が何人か、あの場に偶然居合わせたらしい。

後になってから聞いた話だが、あの時すでに神森は麒族から除名されていたらしい。なんでも、東京で麻薬の売買や、違法な武器の取引に関係していたのだとか。なんとも神森らしい理由だが、東京には彼以外に三人の麒族がいるらしく、問題は無いのだそうだ。

北海道の麒族だった蜂空零斧は大帝に任命後に北海道を離れたが、後任はなかなか決まらなかったという。そして三年経った今、蜂空の後任として龍真が選ばれた。三年もの時間が経ってようやく決まった麒族なのだ。期待されなわけがない。

学校では全く面識のない女の子から

「頑張ってね」

と声をかけられ、数回だけ言葉を交わしただけの男たちが

「あいつは俺の友達でさあ…………」

と、仲が良いということを自慢していたりと、驚くべき変わりようだった。正直言って面倒だ。かまってられない。

 最後の生物工学の講義が終わって荷物を片付けて帰ろうとしたとき、同じ授業を受けていた子が声を掛けてきた。

「榊君さ、これから暇?今から映画見に行くんだけど、良かったら一緒に行かない?」

声を掛けてきたのは女の子だった。たしか桝村とかなんとかいう苗字だったと思う。下の名前は……申し訳ないが覚えていない。突然話しかけられ、しかも今まで異性と遊んだ経験が無いせいで、どう対応して良いのやら全くわからない。

「え、えーとっ、きょ、今日はこれから用事があるから、一緒には行けない……かな……」

「えー、そっかあ。黄龍のお仕事でしょ?じゃあ今日はしょうがないね。じゃあさじゃあさ、いつなら空いてる?折角だし、一緒に遊びに行こうよ」

これには困った。まさか食い下がって来るとは。

「毎日黄龍に行かなきゃならないから、いつ暇になるか分からない」

今日はそう言って逃げ出したが、明日からもまた別の子に同じことを言われるのかもしれないと思うと気が重くなる。空はこんなに青いのに……

 学校が終わってすぐ、龍真は黄龍北海道支部へと向かった。黄龍に行かなければならないというのは本当だ。桔梗から能力の確認がしたいと言われたからだが、いい機会だと思い、学校で遊びの誘いを受けたことを桔梗に話した。しばらく上を向いて何かを考えていたが、何か思いついたのか、いつもの無表情で近づきながらある提案をしてきた。

「声を掛けられて困っている?モテ自慢とは、麒族になった途端にいい身分だな」

「自慢じゃねえよ、本当に困ってんの。どう対処すればいいのか分かんねえんだよ」

「常に周囲にメンチ切っとけ。お前の体とその髪の効果もあって誰も声をかけなくなるぞ」

「俺はどこのヤンキーだよ。そんなことできるか!もっと真面目に考えてくれよ」

「そうだな……………声を掛けられなくなればいいんだな?わかった、対処はこちらで手配しておく。明日からは心配せずに学業に励め」

「………対処?手配?何か大がかりな事考えてないか?」

 桔梗は何かをしてくれるつもりなのだろうが、龍真には全く予想がつかない。

「心配するな、問題ない。あと、今日はもう帰っていいぞ」

「え?……だって今日は能力の確認をするって、桔梗が呼んだんじゃないか。それなのに帰ってもいいのか?」

 わざわざ半日をこの確認に費やす予定だったせいで急に暇になるのは困る。

「急ぎの用事ができたからな。貴方の能力確認は次の休みでいいだろう」

「そう……か。じゃあ帰る、またな」

 そして支部を出た。愛車のカワサキZZRに乗り、エンジンを掛ける。ヘルメットを被り、帰ろうとした瞬間にメールが来た。桔梗からだった。いったいどうやって自分のアドレスを調べたのだろうか。いろいろ気になったが、そのメールの内容はさらに気になった。

『明日、学校で何が起きても慌てるな。流れに任せておけ』

 文面はこれだけだった。慌てるな?……まあ、何とかなるだろう。バイクを発進させ、龍真は自宅へと帰った。

そして次の日、学校へ行こうと玄関を出ると、そこには桔梗が立っていた。

「うわっ!………何してんだよ?俺、これから学校なんだけど……」

「おはよう榊。そんなことは分かっている。私も一緒に行く」

「………は?」

「女に絡まれて困っていたのだろう?だったら、近くにお前の女がいれば問題はないはずだ。まさか彼女持ちの男に彼女の目の前で誘いを掛けたりはしないだろう。この国は男女に関わらず、消極的な人間が多いからな。そうでない馬鹿もたまにいるが」

「ええと…………つまり、桔梗が俺の彼女の振りをするってことか?……学校に行っている間ずっと、朝から放課後まで一緒にいると?」

「そうだ」

「いつまでだ?」

「騒がれなくなるまでだ」

「それっていつだよ?」

「そんなこと私が知ってるわけないだろ。つまらないこと聞くな」

 確かに女の子は近付かなくなるかもしれない。でも……………これはこれでまた面倒なことになったような…………

「何か不満があるのか?」

「……いや、いい。なんでもねえよ」

 表情に出ていたのだろうか。心を読まれたような気がして驚いた。

「ここで話してても始まんねえし、学校行くか」

「そうだな」

 そして桔梗が手を握ってきた。

「……何してんだ?」

「付き合っている同士であれば、これぐらいするだろ。なんだ、照れてるのか?」

 小馬鹿にしたような桔梗の良い方に若干苛立たしさを覚える。

「照れてねえよ。突然何すんのかと思っただけだ」

 実は照れていた。初めて家族以外と手を繋いだ。桔梗の手は思っていたものよりもずっと小さく、とても暖かった。

「だけど、学校で手を繋いでるカップルなんて全くいないぞ?付き合ってるヤツは何人もいるけど、人前では一緒にいるだけであからさまにベタベタしてるヤツはいない」

「なにっ?そ、そうなのか、知らなかった………とりあえず一緒にいればいいんだよな?分かった、そうしよう」

 そして桔梗は手を離した。正直言うと、もう少し手を繋いでいたかった。

「じゃあ、行くか。乗れ」

 バイクのエンジンをかけて桔梗にヘルメットを渡す。桔梗は素直にヘルメットをかぶり、バイクに乗ってきたが、なかなか捕まろうとしない。早く行かないと遅刻してしまう。

「俺に捕まれ。そうしたほうが運転しやすい」

「どこに掴まればいい?バイクには乗ったことがないから分からん」

 そんな事を言って、背中にしがみつこうとしている桔梗の手を取り、体の前に回す。

「このままでいろ。そうじゃないと危険だ」

 返事は聞こえなかったが、手を離そうとはしないから大丈夫だろう。普段の格好では分からないが、年相応に発育している。背中に感じる感触に少なからずドキドキしながら、二人を乗せたバイクは高らかにエンジン音を鳴らし、学校に向かって走り出した。

「バイクもたまには悪くないな」

 学校に到着してすぐ、龍真にヘルメットを渡しながら桔梗が言ってきた。

「そりゃどうも」

ヘルメットを受け取り、エンジンを切る。

「榊、これからずっと同じ授業を受けるが、基本的に私の事は気に掛けないでいい」

「それだと付き合っているようには思われなくないか?」

「あまりベタベタしていると、兄さんから目を付けられるぞ。あと、兄さんの前では私を呼び捨てにしない方がいい。何か盛られるかもしれないし、実験材料にされかねない」

 確かにあのシス……もとい、妹思いな桃李さんなら何か、とんでもないことをしでかすかもしれない。

「分かった、取り敢えずそうしよう。これからは桃李さんがいるところでは桔梗さんって呼ぶことにする。桔梗も、俺のことは龍真でいい。そのほうがそれらしいし、堅苦しくなくて良い」

「呼び捨てで良いのか?」

「苗字で呼んでたら違和感あるだろ………多分」

「分かった、そうしよう……君とかつけた方かいいか?」

「寝言は寝て言え。そんなキャラにねえことすんな。こっちが困る。それに名前が嫌だったら他の呼び方で好きに呼べよ。変でない限り俺は構わないから」

 そうか、と言ってしばらく押し黙ったあと、今までに見たことのない笑顔で桔梗は笑いかけてきた。

「じゃあ、学校の中に行こうリュウ!私本当に楽しみだったんだあ~」

 な、何なんだこれは?今までにない表情にまず驚いたが、何よりも驚いたのは桔梗の変わりようだ。雰囲気もほんわかとしている気がする。もしオーラが見えたとしたら、今の桔梗はピンク色のフワフワとした物を纏っているだろう。今、目の前にいるのは間違いなく桔梗なのだが、とてつもない破壊力を持っている。

簡単に言うと……………めちゃくちゃ可愛い!

「あ、ああ。行くか」

「うんっ!」

 ニコッと桔梗が笑う。思わず顔がニヤけそうになり、桔梗から顔を背けて深呼吸をする。どうしたの?と、後ろから桔梗の声が聞こえるが、その声は柔らかく、本当に心配しているように聞こえる。

「……な、なんでもない、行くぞ」

 ニヤケ顔を抑え、龍真は校舎に向かって歩き出す。後ろから桔梗が付いてくる。振り向かなくても分かる。笑っている。客観的に見れば一緒に登校して来たカップルだ。

 まさか桔梗にこんな特技があるとは思わなかった。いつもの言動を知っていても戸惑った。これが本当の桔梗なのかと思えた。

「な、なあ、桔梗……その喋り方が素……なのか?」

「え?そんなわけないじゃん。それぐらい普通分かるでしょ。馬鹿なの?脳腐ってんじゃない?これは演技。黄龍に入るまでは子役とかやってたから、これぐらい簡単だよ。あの喋り方だと浮いちゃって変な子だと思われちゃいそうだったから、普通の女の子っぽい喋り方に変えてみたの。どう?似合う?」

 首をかしげながら聞いてくる桔梗は本当に自然だ。毒舌も平常運転だ。

「まあ、似合うっていうか、普通の女の子にしか見えないな。今まではなんか硬いっつーか、何か、近い寄りがたい雰囲気だった。今はそんなことないけどな」

「そう、なら良かった」

 そう言って桔梗は笑っていた。よく考えたら黄龍の対覚醒者部隊ケルベロスの隊長としての桔梗しか龍真は知らなかった。こんな一面もあったなんて。しかも子役をやったことがあるって凄くないか?

 龍真は桔梗に興味を持っていた。何故黄龍に所属していて、なぜ自分にここまで気を回してくれるのか。確かに麒族になったことで周りの自分に対する反応は変わった。だが桔梗はそういう雰囲気に流される人ではないと思う。これが桔梗がしたくてしているのなら、それは何故なのだろう。人の心の中を覗いてみたいと、この時初めて思った。

 学校に入ってすぐ、龍真に話しかけようとした女の子は龍真を見て笑顔を咲かせたが、その後ろから龍真に微笑んでいる桔梗の姿を見て一瞬ギョッとしていた。あれほど目に見えてギョッとした人は初めて見た。それでも話しかけてきたのだから、肉食系は凄い。

「榊君、おはよう。昨日は無理やり誘おうとしてゴメンね。彼女がいるんなら言ってくれればよかったのに。ホント……ごめんなさい!」

桔梗に目を合わせようとしない彼女は、それだけ言うとさっさと行ってしまった。その顔には残念そうな表情が浮かんでいた。

「これで一人目はクリアだね。あと何人あんな顔するのかな。女泣かせだねえ、リュウは」

 笑いながらそんなことを言っているが、桔梗はとても楽しんでいるようだった。

「悲しそうな顔見て喜ぶなよ。ドSかお前は。……でもこっちに否はないんだけど、何か心苦しいな」

「しょうがないじゃない。こうしなかったらいつまでも付きまとわれるよ?それにこれくらいで諦めるなら、所詮その程度にしか考えてなかったってこと。本当に好きなら、相手に彼女がいてもアタックする子は結構いるよ」

 シャドーボクシングのようなことをしながら言う桔梗の言葉にはどこか説得力があった。桔梗に彼氏がいたことがあったのかどうかは知らないが、言葉自体には納得できる。

「でも今の感じで行けば、もう絡まれて困ることはなくなるな。サンキューな、桔梗」

「いいよ、これも仕事の一環。専属の麒族の身辺はケルベロスが警備するのが決定事項だし、私は学校に来れて楽しいし」

 桔梗の助けもあってこの日以降、見ず知らずの人から声をかけられることはなくなったが、最初の何日かは桔梗が気になって授業どころではなかった。


第二部第二幕


黄龍北海道札幌支部の拠点は市街地から離れた山中にある。遠目からはただの山にしか見えないが、実際には魔術迷彩を施された研究施設のような場所だ。これは逆恨みした覚醒者からの報復を防ぐためだが、周囲の建物に被害を広げないためという配慮もある。

何も知らなければ不便な場所だと思うかもしれないが、実際に戦闘訓練を行う演習場が支部にはある。そして演習場から出る音はなかなか大きくなることが多い。クレームをつけられては黄龍としての威厳が損なわれてしまう。その他にも今までの覚醒者のデータを集めた資料室の他、ブリーフィングルームやシャワー室、訓練場や食堂もある。

 龍真は今、その施設の中の一つ、地下演習場に立っている。いつものラフな格好ではなく、戦闘用の漆黒のレザースーツを着ている。初めてこの衣装を見た夜は暗かったせいで完全な黒一色だと思っていた。だが今改めて見ると、細部に細かな意匠が施され、マントには黄龍のシンボルである黄金の巨龍と、その巨龍を囲む四聖獣が描かれている。しかもこの龍真のスーツは彼の体の寸法を測って作った特注品だ。耐久性、伸縮性、全てにおいてハイスペックにできている。予備に龍真が着れるサイズが無かったからなのだが……

腰には小さな道具を携帯するためのホルダーが付いていて、ここにケルベロスのソルジャーたちは予備弾倉を入れていた。

地面は普通の土、上下左右の壁はコンクリートになっている。所々には亀裂や砕かれた痕が生々しく残っている。

『これ等の痕は此処で能力検証を行った覚醒者たちが残したものだ。老朽化しているように見えるが、強度に問題はない。全力で能力を開放しても構わないぞ』

 耳につけたインカムから桔梗の声が聞こえる。その奥ではせわしなく機械の音が鳴り続けている。龍真は無言で頷く。向こうからはこちらの行動をモニタリングしているからこれでも問題は無い筈だ。緊張はしていないが、見られていると思うとなんだか恥ずかしい。

「……始める」

 桔梗たちは計測のための準備に入る。魔力量、周囲への影響、本人への影響、詠唱開始からの必要経過時間、形態変化に要する時間など、調べなくてはならないことは山積みだ。

 龍真は右手に銀槍を出現させ、魔力を注ぎながら唱える。

「〈魔装(レイルス)〉クィラセ・カルスィトライエ・ホスティス・トゥイ・イン・ハスタ・フラクティカ、ヴィンセーレ・マーヌス、イアム・アド・エクストレマ・スイ、アニマ・イクスィム、ルックス・デイ、アド・トウティウス・ムンディ・ハスタム・ペネトレイムス『銀鏡霊槍(ハスタム・アルゲンティウム)』」

 槍が光を放ち、白銀の槍へと姿を変える。ここまではいつもと同じだった。銀色の長槍が一本だけ現れるはずだったが―――

「…………あれ?」

 右手だけでなく、左手にも銀の槍が現れたのだ。全く同じ槍が二本、龍真の手に握られていた。

「なんで二本目が現れたんだ?俺は今までと同じようにやったのに………」

 龍真にも予想外の事態だった。両手の銀槍を持て余しながらおもむろに振ってみる。普通ならとても重いはずだが、全く重さは感じない。そして二本を軽くぶつけてみると、澄んだ金属音が演習場内に響き渡った。しかし銀槍は壊れるどころか、傷すら付いていない。元の鏡のような白さのままだ。

「桔梗さん、何故二本目が出てきたのかは俺にも分からない。いつもと同じようにやったから、一本しか出ないはずだけど……」

 自分の言葉の不確定さに、龍真は自信なく語尾を濁らせる。桔梗はそれを気に留める気もない。気にせずに次の指示を出す。

「分かった。二本目の出現の原因は追々調べるとして、次の技を検証する」

「分かった。次は『氷霊脚』を発動させる」

 技の名を伝え、槍が光になって消える。左足を振り上げ、詠唱を始める。

「〈魔装〉フリギドゥス・ヴェントゥス・コンゲレイティオゥニ・イゴウ・ホステム『氷霊脚(セルシウス)』」

 両足に魔力が集中し、頑強な氷の具足が姿を現した。これも、今までより冷気が強い。魔力を込めると、地面が一気に凍りつき、瞬く間に地下演習場の気温が下がり始めた。氷点下へと到達しているはずだが、不思議と龍真は寒さを感じなかった。気分は落ち着いていたが、いまだに気温の低下が収まる気配は無い。

「気温低下は槍が二本現れたのと同じで、本来はこれぐらいの力が出せたはずだったようだ。おそらく、他の魔術の効果も上がっていると思う」

 インカムから桔梗の解説が聞こえる。

 気温がマイナス十度を超えても、気温低下は止まる様子が無い。

「こちらの気温も低下を始めた。寒くなるのはごめんだ、氷零脚を解除しろ」

 桔梗と龍真の間には厚さ一メートルの特殊な強化ガラスがある。それを超えて桔梗たちの方に冷気が届いたというのなら、これはあまり使わない方がいいのかもしれない。

 そう考えていると、桔梗の声が耳に届いた。

「私たちが見たもの以外で、使うことのできる魔術はあるか?今分かっているものはさっきの二つと魂を吸収するあれだけだ」

「えーっと、……炎の『焔龍脚(イフリート)』、雷の『雷燕脚(レイヤンジュ)』、風の『嵐蛇脚(ランシェージュ)』、攻撃系の魔術はこれくらいだな。これから新しく作ることも出来るけど、それは面倒だから当分はしない。あと一応変身することも出来る。だけど、かなり痛いから、滅多なことが無けりゃ使わない。他に使うことが出来るのは召喚魔法だ。『スレイプニル』、『ガレンゼイト』、『ガレンゲイル』、『ヨルムンガンド』、『王虎(ウォンフー)』の五体だ。覚醒した時に出せるってわかったけど、今まで一回も召喚してない。いい機会だし、召喚してみるか?」

「合計で十以上………か。信じらんないな。十三種類だなんて。神の覚醒者はこんなに力の幅があるのか。本部に連絡したら腰抜かすんじゃないかな。桔梗はどう思う?」

 楽しそうに笑う桃李とは対照的に、桔梗は冷静だった。これほどに魔術が行使でき、さらに体術もある程度できる。敵に回さなくて正解だった。敗北は目に見えている。その気になれば、本当に日本を制圧することも可能かもしれない。

「使える魔術が把握できただけで結構だ。先ほどは大丈夫だと言ったが前言撤回だ。お前が本気で力を解放したら、この地下演習場ごと私たちが生き埋めになる。この地下演習場はシェルターの役割もあるが、お前が本気になったら間違いなく、ここは崩壊する」

「さっきは全力でいいって言ったじゃねえか。まあ面倒だから全力なんて滅多に出さないけど、さすがにここが壊れるのは困るな。桔梗さんと桃李さんを助けるのは大変そうだ」

 龍真を見ながら、桔梗はこの青年の中で起きた葛藤を想像していた。既に何人もの人の命を奪ってしまったという事実。そして自分の内側に存在する神の魂、これから巻き込まれる戦いへの不安。考え出せばキリが無い。だからこの青年は、ただ目の前のこと一つずつに精一杯向かっているのだろう。一瞬でも不安から逃れるために。

だが、それは逃げだ。本当に目を向けなければならないことから目を背けている。それではいけない。この青年の背を押してあげなければならない。そう思っていた。

「それで、次はどうするんだ?」

「やっぱり召喚をしてみろ。実戦で突然呼び出しても統率が取れないだろうからな」

「さっきはしないでいいって言ったじゃねえかよ」

「文句があるのか?上司からの命令に口答えか、さすが麒族様だなあ」

「ちゃんとやるよ」

「それでいい」

 インカムから聞こえる指示を確認し、頷く。一体どんなのが出てくるんだろう。真剣にやらなくてはならないことは分かっているが、どうしても気分が浮足立ってしまう。自分の命令に従う五体の魔獣。すぐにでも召喚したい。

「じゃあ、スレイプニルから順々に全員召喚するぞ」

 桔梗に確認をとり、体の前で左手を開いた状態で前に出し、その手首を右手で掴む。

「ヴィデテュール・クオード・フォルティテュード・メア、メア・デンテス、アングィス・メウム・マイヒ・ペンナ・オキュロス・メオス・ピーデス、エット・インニテイトュル・アンブライエ・イン・ムンド、アットクイーレ・ホステム『スレイプニル』、『ガレンゼイト』、『ガレンゲイル』、『ヨルムンガンド』、『王虎(ウォンフー)』!」

 左手の掌に文字が浮かび、手を向けた方へ龍真の影が伸びる。広がった影がゆっくりと形を持ちながら浮き上がる。そして目の前に五体の獣が姿を現した。

正面に立っているのがスレイプニルだろう。闇色の体に刺々しい銀色の鎧を纏った大きな馬。しかし普通は四本であるはずの足が八本もある。鬣も尻尾も全部が黒い。目はあるが、その中に瞳は見当たらない。真っ白な目をしている。体と対照的なその眼は体の黒さを強調している。

スレイプニルの右隣りには赤と黒の模様の虎の王虎(ウォンフー)、そして左側には海の様に青い体の巨大な鰐、ヨルムンガンドがいる。王虎(ウォンフー)の上顎からは剣のように鋭く長い牙が二本、顔をのぞかせている。体長はおそらく普通の虎の二倍、尾の先には黒く鋭い棘が伸びている。

ヨルムンガンドは五体の中で一際体の大きさが目立つ。十メートル以上あるであろうその体は常に波打つように紫のグラデショーンがかかり続けている。

 ガレンゼイトとガレンゲイルは、それぞれ王虎とヨルムンガンドの背に乗っている。ガレンゼイトは体が白く、煙管を加えている。大きさは普通の梟よりも大きいはずだが、周りが大きいためにあまりその大きさが目立たない。ガレンゲイルは胴体は普通の鷹だが、翼と鉤爪が鋼になっている。大きさは普通の鳥と変わらない。召喚した中では一番小さい。

「貴方は誰だ、我らが王は何処だ?」

 突然騎士のような凛とした声が地下演習場に響く。

「お前が……話しているのか?」

 あまりの突然なことに龍真は驚く。獣が言葉を話すなど、考えもしなかったことだ。

「そうだ。人間よ、我らが王、は何処へ行かれた?何故我らは人間界に召喚されている?」

 恐らくリーダー格なのだろう。話すのはスレイプニルだけだ。他の四体は話の行方を見守っている。

「オーディンは俺の中に、魂の状態で生きている。俺がオーディンの力に覚醒し、お前たちを召喚した。お前たちを召喚できるのはオーディンだけだったはずだ。俺を二人目の契約者として認めてほしい」

 龍真は目の前の魔獣たちに頭を下げる。もしも認められないのだとしたら、力づくでも従わせるつもりだった。だが、

「確かに我らの召喚法は王であらせられるオーディン様しかご存じでない。そして貴方からは確かに王の魔力を感じる。貴方の中に王が居られるということは明白。我らが新たな王よ、貴方に忠誠を誓い、我らは御身の矛となり、盾となりましょう」

 そうして龍真に向かって、ヨルムンガンドを除いた四体の魔獣は厳かに頭を下げる。ヨルムンガンドだけは咆哮で賛成の意を示しているが、その鳴き声は演習場の壁で反響し、まるで地震のような衝撃が走る。

 龍真はもう一度頭を下げ、召喚獣たちの言葉に答える。

「これからよろしく頼む」

「凄い……本当に彼の中には神の魂が宿っているんだね」

 龍真と五体の魔獣たちの会話を聞きながら、桃李は魔力計のディスプレイが表示する数値を見ながら呟く。五体それぞれの魔力量は標準的な覚醒者よりも高い数値を示していた。特にスレイプニルは群を抜いて高く、麒族レベルに匹敵する。麒族と強力な覚醒者を自分の配下に置くと同等の事など、規格外すぎる。

「彼一人と彼の召喚獣達だけで首都防衛戦力と互角以上に戦えるんじゃ……もしかしたら、勝てるかも!凄い人が北海道支部に来たね。これで北海道は安泰だ」

 腕を組みながら桃李は呟く。桔梗も隣で同じものを見ているが、桃李と同じ考えにはなれない。

「そうだといいけど、彼自身は大丈夫かな?」

 モニターに視線を残したまま、桔梗は桃李に聞き返す。その問いの意図が分からず、桃李は聞き返す。

「龍真君単体の強さにも、文句の付けようが無いよ。格闘センスは十分、十九歳で体は健康そのもの、おそらく、体術で敵うソルジャーはあと半年でいなくなる。これから槍術や足主体の体術の訓練もするし、彼自身も訓練に積極的だ。問題はないと思うよ?」

「それは分かってる。そういう事ではなくて、ちょっと積極的過ぎない?突然覚醒者に襲われて、そのはずみで過去に一度消し去った記憶が戻って、麒族に任命されて。普通、これだけのことがこんな短期間に起こったら、少なからず混乱すると思わない?私だったら毎日落ち着かなくて、疲れると思うの」

 桃李は首をかしげた。

「精神的に彼は落ち着いているからじゃないか?自分の身に起きたことを説明していた時もとても落ち着いていたし。良いじゃないか、錯乱して暴れるような風にも見えないし」

「……そうだね、私も心配し過ぎた。彼なら……大丈夫だよね」

桔梗の心配をよそに龍真の戦闘訓練は順調に進んだ。そして六月二五日、龍真に初めての覚醒者捕獲作戦の命が下った。


第二部第三幕


支部のロッカールームで龍真は戦闘用の装備を整えていた。レザースーツに身を包み、黄龍の紋章の刻まれたマントを羽織る。検査をしていくことで分かったが、あの空中から出現する槍は地球上に存在しない金属で出来ているらしい。しかもその硬度はダイアモンドの五倍。構成物質を調査しようとしたが、龍真が手を離すと瞬く間に消えてしまうため詳細な検査は出来なかった。とりあえず、現在の世界最硬の武器であることだけはハッキリとしている。普段は異空間に保管されていて、あの光が異空間との扉を開く鍵らしい。だが感覚で使っているため、詳しいことは龍真にはよく分からない。

全身を黒に包み、ロッカーを閉める。鏡に映るその格好だけなら完璧にソルジャーだが、さすがに緊張しているため表情が硬い。

「……殺す必要はない。捕獲すればいい。俺はもう罪を重ねる必要はない」

いざ覚醒者と対峙した時、自分を見失って相手を殺してしまうのではないか。この不安はいつになっても拭いきる事が出来ない。緊張した面持ちのまま、ブリーフィングルームの扉を開く。

中では十五人のソルジャーたちが椅子に座っていて、お互いに装備の確認をしていた。龍真も空いている椅子に腰を下ろし、もう一度自分の装備の確認をする。

そうして最終確認が終わったと同時に、龍真たちが入ってきた方向と反対側の扉が開き、桔梗と桃李が入室する。凛としたその面持ちが見えた瞬間に部屋は静寂に包まれた。

「全員、準備は完了しているな。それでは今回の作戦のブリーフィングを始める」

 桃李が手の中のリモコンを操作し、部屋の明かりが落ちて、大きなディスプレイに男の写真が表示される。細身の気の弱そうな男だ。体は細長く、骨ばっている。不気味な印象を覚える男だ。まるで死神のような男だと思った。だが、その気の弱そうな外見とは裏腹にその目にはどこか暗い光が灯っているように見える。

「彼が今回のターゲットである覚醒者、犬飼遼(いぬかいりょう)だ。五日前に東京で殺人事件を起こし、逃亡を続けている。二日前に青森、昨日に小樽で犬飼らしき人物が目撃されている。移動経路からして、海外へと逃げるつもりなのだろう。

我々は国外へ逃げられる前に犬飼を捕獲する。犬飼についてだが、魔獣系ということ以外に詳しい情報は見つからなかった。だが既に十人のソルジャーが犠牲になっている。犠牲者は体を鋭利な刃物で切断されていることから、何か武器のようなものを持っている、又は具現化ができると思われる」

 そこでディスプレイが切り替わり、体を両断されたソルジャーが映し出される。周囲の地面や壁は血で染まっていて、現場での戦闘の壮絶さが伺える。

「本部のソルジャーが犬飼に傷を負わせたとも報告されている。命令上の目的は捕獲だが、本部からは討伐も視野に入れるようにと言われている。その傷を付けたソルジャーも、犬飼の刃の犠牲になってしまったらしい。今回の作戦では一般人に被害が出るような場所での戦闘は避け、人目の少ない公園のような開けた場所まで犬飼を誘導しろ。

そこで、今回は大通り公園に誘い込む。あそこなら広さは十分だ。視界も開けていて、逃がすこともない。公園内に誘導後、榊には戦闘に入ってもらう。

犬飼が行動不能になったら、魔術師たちと連携して封印呪符で魔力を封印し、連行する。あとは兄さんたち、研究室の仕事だ。それでは三十分後に作戦を開始する。皆に龍の加護があらんことを」

桔梗の言葉が終わるのと同時に、ソルジャーたちは作戦開始地点への移動を開始する。武器や装備を積んだジープに乗り込み、支部から何台ものジープが姿を消した。龍真は専用のバイク、『スレイプニル』に乗り込む。

 全体は漆黒のフォルムで、市販の大型バイクと比べても大きく見える。マフラーの形は馬の尻尾の様にも見え、正面からの形はまさに馬そのもの。だが明らかに普通のバイクではない。まずタイヤが異様に太い。普通のタイヤの倍はあるだろう。エンジンの唸る音も並ではない。そして最大の特徴はそのスピードだ。覚醒状態の龍真の研ぎ澄まされた感覚があってこそ乗れるマシンだ。普通の人間には無理だ。

このスレイプニルは時速八〇〇キロを叩き出す。普通の体では耐え切れない。さらに発進後五秒で最高速度へと到達する。

これが数日前までは普通のバイクだったのだから驚きだ。


舞台裏【二】


 召喚獣を召喚した日の帰りのことだった。バイクに乗り込み、エンジンをつけたところで突然スレイプニルが影の中から現れた。

「スレイプニル!……どうして出てきた?あの後影の中に戻ったんじゃなかったか?」

 驚いた龍真はバイクを降り、エンジンを止めてスレイプニルと向き合う。こうしてまじまじと見ると、威圧感を感じる。生で馬を見たことがないから確かなことは言えないが、きっと普通の馬よりも大きい。影から完全に姿を現しても、何故かスレイプニルは何も話そうとしない。

「どうした?用があるから出てきたんだろ?呼ばない限り出てこないと思ってたから、出てきた時は驚いたけど……本当にどうした?」

 そしてまた静寂。スレイプニルが話し始めるまで待った。

「王よ、その鋼の塊は?」

 バイクに顔を向けながらスレイプニルが尋ねてくる。待ちに待った質問がそれかと思うと肩透かしを食らった気分だが、久しぶりに出てこれたのだから、これぐらいは答えてやらないこともない。

「これは俺のバイクだよ。乗り物だな。これがないと何も出来ない」

「何故、私にお乗りにならずにそんな鉄塊にお乗りになるのです?私のほうが早さも美しさも上だというのに、なのに何故っ!」

 なんだかよく分からないが、どうやらバイクに嫉妬しているらしい。馬がバイクに嫉妬する世界になるなんて、数十年前の人は考えもしなかっただろうな。

「仕方がないだろう。現代でお前に乗るわけにはいかない。ただでさえ体がデカいせいで見立ってるのに、お前に乗っていたら更に目立つ。お前はこの世界では目立ちすぎる。この世界の乗り物の形をしていればなんとかなるんだけど……」

 困った龍真は咄嗟にそんなことを言ってみた。これで諦めるだろうと思った。

「……私がこの姿になれば、問題ないのですね?」

「なればって、なれないだろう。何言ってるんだよ。…………なれるのか?」

 最初は笑っていたが、スレイプニルは全く笑わない。本気で言ってるようだ。

「でも、どうするんだ?バイクになるなんてそんなこと、可能なのか?」

「憑依すれば問題ありません」

「憑依って、オレのバイクはどうなるんだ?」

「変わりません。私がその存在に同化するのです。融合すると言ってもいいでしょう。そうすれば、普段はこのままの形態でいれますし、いつでも王の意志一つで私の力を宿した姿へと変わることが可能です。端的に言えば、覚醒することが可能です」

 そしてバイクの影へとスレイプニルは沈んでいった。それからすぐにバイクの姿が歪み、スレイプニルを象った物へと姿を変えた。最初は驚いたが、いざ乗ってみると、新たな姿となったバイクの乗り心地は何年も乗っていたかのようにしっくりきた。形が変わっても何処に何があってどうすれば動くかなど、基本的な構造は変わっていない。

「スレイプニル、今日はこれから走りに行こう。一度乗って慣れておきたい。それにお前も走りたいんじゃないか?」

 スレイプニルは何も言わなかったが、切っていたエンジンは龍真の手を借りずに高らかに鳴り響いた。取り敢えず走りに行くことは賛成らしい。

 そしてその日は夜中まで走り回っていた。自宅についた時にはもう既に夜中の二時を回っていた。バイクを駐車場に停め、部屋に戻ると、いつもは嬉しそうに飛びついてくるノワールが静かに自分のベットで寝ていた。不思議に思いながらも、ただいま、と言うと、気だるそうにこちらをむいた。

「今頃帰宅とは、我が王はスレイプニルとの外出を楽しめたようですね」

「…………………………え?」

 喋った。ただの猫だったノワールが、普通に流暢に喋った。しかも龍真のことを『王』と呼んだ。・・・・・・もしかして・・・・・・

「お前、……王虎だな?」

「ご明察です王よ。丁度、私の本体と似た体を持っていたので、彼の了承を得て、憑依させてもらいました」

「お前らはそんなに何かに憑きたいのか?もしかして、他の奴らも何かに憑依してるのか?あいつらは今どこにいる?」

「いえ、憑依しているのは私とスレイプニルとガレンゲイルだけ。ガレンゼイトは普段、呼び出される時以外はずっとマスターの影の中で寝ています。ヨルムンガンドは近くに憑依できるものがないため、憑依しようにもできないとか。ガレンゲイルは今頃空を飛び回っているでしょう」

「そうか。……ガレンゲイルは何に憑依してるんだ?鷹なんてそんなに簡単には見つからないだろう」

 タバコに火を付けながら椅子に腰を下ろし、王虎に龍真は尋ねる。

「最初はカラスに憑依したと言っていました。そしてその体であちこちを飛び回って、ようやく鷲を見つけられたと。一度ここに戻ってきた時、新しい憑代を自慢されました。なんだか無性に飛び掛かりたくなり、彼にその旨を伝えると慌てて飛び出していきました」

 どうやら猫としての本能は残っているらしい。猫じゃらしをやってみよう。

「それにしても、お前らもそれぞれ個性があるんだな。みんな無機質な感じかと思ってたけど、間違ってた」

 スレイプニルは嫉妬をしたし、王虎は色々な物に興味を示す。ガレンゼイトは真面目だし、ガレンゲイルは飛ぶことが何よりも好きなようだ。だがヨルムンガンドだけ、まだ一言も言葉を交わしていない。

「なあ王虎、ヨルムンガンドはどんな奴なんだ?あいつとだけ、まだ一言も会話をしていない。言葉を話せないってことはないだろ?」

「彼はまだ王と、契約者と言葉を交わしたことがありません。言葉を交わす王も、彼の自我が芽生える前に亡くなってしまったようで。そして王に初めて召喚されるまで、我々はカルノファスでは一度も顔を合わせることはありませんでした」

「カルノファス?」

「我ら召喚獣が住む世界です。まあ、召喚獣以外は行き来する事が出来ませんが、カルノファスは実在します。我等の存在がその証拠になりましょう」

「確かに。でもカルノファスでは言葉を使わないのか?誰かと意思疎通はするだろう?」

「契約者が同じでなければ、顔を合わせても言葉を交わすことは殆どありません。弱肉強食の世界ですから。それに我等とヨルムンガンドは生活環境が違う故、会うことも稀でした。彼は殆ど水中から出て来ず、水辺は広くて体の大きな彼でも見つけることは難しい。その結果、誰とも言葉を交わさなかった彼は喋ることが出来るのか、出来ないのか、ただ単に無口なのか。謎です」

「へえ……………なあ、あいつが憑代にするのって何だか分かるか?」

「本人に確認をした事がないので確かではありませんが、憑代は基本的に見た目が似ていれば良い筈です。スレイプニルは例外ですが」

「じゃあワニの形じゃないと駄目ってことか」

「そうなりますね」

「…………ワニか………ワニ?ちょっと待ってろ」

とだけ呟き、龍真は部屋の隅に置いてあるダンボールをあさり始めた。

「確かここにしまったはずなんだけど………お、あったあった」

 そう言って龍真が取り出したのは三十センチほどのワニのぬいぐるみだった。愛くるしい表情のぬいぐるみはヨルムンガンドの姿とは似ても似つかない。

「ヨルムンガンド、ちょっと出てきてくれるか?」

 そう問いかけると静かに影の中からヨルムンガンドが顔を出した。大きすぎる彼の体はこの部屋には入りきらない。

「今お前の憑代になりそうなもの探してたんだけどさ、スレイプニルが無機物に憑依できたなら、他の奴らも出来るんじゃないかと思ったんだ。このぬいぐるみ、ダメかな?」

 ヨルムンガンドはジッとぬいぐるみを見つめると、静かに影の中に沈んでいった。

 駄目だったか………さすがに起こったかな?そう思っていると、

「おお、上手くいきました。ダメもとで入ってみたのですが成功です」

 声が聞こえた。手にしているぬいぐるみから。ゆっくりとこちらを向かせると、ぬいぐるみがその小さな手足を動かしながら喋っていた。

「ヨル、お前、話せたのか!」

 驚いたのは王虎だ。まさかここまで流暢に話せるとは思っていなかったのだろう。ゆっくりとヨルムンガンドが入ったぬいぐるみへと近づく。

「王虎殿、今までの非礼を詫びます。私の身勝手な意地で無駄な心配をかけて申し訳ありませんでした」

 猫とワニのぬいぐるみが会話をしている。ファンシーな物が好きな桔梗が見たら泣いて喜びそうだな………そんな事を考えていると、二人はこちらに向き直った。

「我らが王、感謝します。下僕である我らに人間界で動くことのできる体を授けてくださったこと、深く、深く感謝します」

 礼を言われること自体は構わなかったが、『下僕』という言葉が龍真には引っかかった。

「なあ、その自分を下僕って言うのはやめてくれないか?俺は爺さんから力を受け継いだだけで、お前らの直接の主じゃないんだ。主従関係があるのは仕方がないとしても、もっと仲良く行こうぜ。主である前に一人の友人だと思ってほしいんだ」

「そんな………」

「これからどんな覚醒者と戦っていくか分からない。もっと絆って言うか、心の距離を縮めたいんだ。それにこれは命令じゃなくて、一個人の榊龍真としてのお願いなんだ」

 二匹は顔を見合わせて少し悩んだ様子だったが、すぐに龍真に向き直った。

「分かりました。これからは王であるとともに、一人の友として接することとします」

「貴方は以前の王とは少し考え方が違っているようだ。ですが、その考えを持って下さることに我ら召喚獣を代表して礼を申し上げます。貴方の様な主は初めてだ」

 少しだけ、ほんの少しだけだが、召喚獣という使役される存在である彼らと、近づけた気がした。


第二部第三幕再開


 犬飼捕獲作戦の為に、龍真はバイクを置いている地下駐車場へと向かう。既に他のソルジャーたちは出動していて、周りには何もない。スレイプニルだけが取り残されている。

スレイプニルに乗り込み、ヘルメットをかぶる。スレイプニルはエンジンを起動させ、高らかにエンジン音が轟く。

出発しようとしたその時、誰かが後ろに乗ってきた。突然のことに驚き、振り向くとそこには龍真の体に掴まっている桔梗の姿があった。ヘルメットを被っているために顔は見えないが、こんなに小柄な人物は札幌支部には桔梗しかいない。

『私も乗せてくれ。今回は魔術師たちも出動するから車は出払ってしまった。残っているのはおそらく、私と龍真だけだ。行こう』

「なっ……?」

 頭の中に桔梗の声が聞こえる。まるで桔梗が自分の頭の中で話しているようだ。

『ああ、すまん。驚かせてしまったか。言い忘れていたが、私はテレパシーも使える。話す相手と体の一部を接触させないと、話せないのが難点だが、この状態なら問題ない。龍真も考えただけでそれが私に伝わる。試してみろ。心の中で会話をするような感覚で考えれば、うまくいくはずだ』

 半信半疑ながらも、言われた通りにする。が、何を伝えればよいのか分からず、黙ってしまう。

『突然話して見ろと言われても困るか。それなら、私の声が聞こえているかどうか返事をしてみてくれ。今はそれで十分だ』

『………聞こえている………けど、どうして俺のバイクなんだ?隊長なんだし、先に現場に行って、指揮を執るべきじゃないのか?』

 バイクを発進させ、夜道を進みながら尋ねる。率先して現場で指揮を執る桔梗が、最後まで支部に残っていたことが不思議だった。

『待っていたんだ、龍真を。一度話をしてみたいと思っていたのでな』

『話?』

 力のことだろうか。実は伝えていない事実がまだある。どこからか知られてしまったのだろうか。

『龍真の考えについてだ。お前の戦い方を見ていると、なぜか危機感を覚える。戦い方が危ないのではなく、まるで戦いたくてしかたないと、そう見える。だがそれだけならまだいい。自分の力を試してみたいと思うことは自然だ。それ以外に、時々死に急いでいるように見えることがあった。お前はどう思っているんだ?自分のこと、我々の戦いに巻き込まれてしまったこと、これからのことを』

何度か相槌を打ちながら、龍真は口を挟むことなく桔梗の話を聞いた。龍真自身、桔梗と二人きりで話す機会が欲しいと思っていたので丁度よかった。

『死に急いでいる……か。どうなんだろう。俺自身、自分がどうしたいのか分からない。時々覚醒する前の生活を懐かしく思うことも、訓練が嫌になることもある……でも、今はこれしかできないから。他に何をして状況が変わるわけでもない。それなら、今できることを可能な限りやる。そうしていれば、そのうち光が見えてくるかもしれない。命懸けでやっていれば尚更。それが十年後でも、二十年後でも、きっと報われる時が来ると思っているんだ』

 面と向かってこれだけ自分の考えを人に話すのは初めてだ。そもそも、他人から自分の人生観や死生観を尋ねられたことがない。今までに考えていたことは堰を切るかのように次々と口から流れ出た。

『戦いに巻き込まれたことは、俺の人生の中では必要なことだったと思ってる。これは俺の座右の銘なんだけど、何事もなるようになる。そう考えるようにしてるんだ。

全ての事は起きるべくして起きて、今まで会った人達には会うべくして会っている。運命とでも言うのかな?実はロマンチストなんだ、俺は。

運命とか天命とか、俺はそういうのを信じてるんだ。だから抵抗もしないし、変えようともしない。それが傍から見れば、戦闘狂のように見えたり、死にたがっているように見えたのかもしれない。確かに覚醒者狩りをしていた時は

「死ぬまでに一人でも多く覚醒者を道連れにする!」

とか本気で思ってたし。今はそんなことないけど、あの時は本当にそう思ってた。冷静でもなかったし、あまりにも極論過ぎて現実味がない。今ではそう思える』

 悲しい。桔梗の率直な感想は悲しい、それだけだった。未来が決まっていると考えているとは、結局、希望が持てないということではないだろうか。そんな人生は悲しい。彼を救いたい。生きる嬉しさを感じてほしい。希望を持って生きてほしい。

 だが、この青年の心の傷は桔梗が埋めるにはあまりに深すぎる。愛していた家族を自らの手で殺し、その事実を忘れることで自分の精神を保った。つまり家族全員の命よりも自分一人の命を優先した、家族を捨てたのだ。

もちろん、それが龍真の本心だったかどうかは分からない。生物の本能として無意識に自己の生命を優先したのだとしたら、それは仕方がないのかもしれない。

だが、これは第三者である桔梗だから言える言葉だ。当事者である龍真は同じことは間違っても言わないだろう。仕方がなかった、の一言で終わらせることは絶対に出来ないし、責任感の強い龍真は絶対にしない。

彼は優しすぎる。自己犠牲を当然と思っていることもそうだが、黄龍にここまで協力してくれていることもそうだ。自分の罪を償うために必死なのかもしれない。家族の分まで自分が生きると、前向きに考えているのかもしれない。龍真の心の底からの本心を桔梗は尋ねたかったが、尋ねる勇気が出なかった。こんなことは初めてだった。

物心が付いた時から桔梗は優秀だった。文武両道を貫き、何事でも妥協はしなかった。納得がいくまで努力もした。出来ないことは何もないと思った。だがそれは龍真に会うまでのことだ。

彼に会ってから桔梗には真似出来ない事を龍真はいくつも成し遂げた。いつまでも麒族として認められなかった桔梗を尻目に、龍真は黄龍に所属してすぐにその名を手に入れた。召喚獣も持っているし、戦闘においての能力もセンスも、龍真は桔梗を超えていた。

桔梗は龍真に嫉妬していた。だが、今までに嫉妬の経験がない桔梗には、その感覚を言葉に表すことが出来なかった。正体の判らない感情を胸に抱いて、桔梗は今、龍真の話を聞いてやっと気づいた。この正体のわからない感情が嫉妬であること、彼が思った以上に心に闇を抱えていること、その闇を取り除いてやりたいと思っていること。

『さっきから黙ってるけど、どうかしたか?』

『あっ、な、何でもない。少し考え事をしていただけだ。気にするな』

『……そうか?ならいいんだけど、俺も桔梗に聞きたい事があったんだよ。いいか?』

 ドキッとした。自分が考えていた事が漏れてしまっていたのではないかと、心配になった。しかし焦っていることを気づかれるのが嫌だったため、平静を装った。

『なんだ?答えられることだったら、構わないぞ』

『学校での話し方を、黄龍でもするわけにはいかないのか?なんか、あっちの方が似合ってたし、今の喋り方に戻ったら違和感があるんだよ。そもそもなんであんな話し方になったんだ?』

 桔梗は黙ったまま何も答えない。そして信号に捕まって止まったとき、静かに話し始めた。

『少し長くなるが、いいか?』

 それはいつもの桔梗よりもかなり静かな声だった。冷静というよりも、思いつめたように思えるような、そんな声だ。

『まだ時間が掛かるから大丈夫だろ。最後まで聞くよ』

『……ありがとう。龍真は誰かに期待されたことはあるか?麒族になる前までに』

 信号が青に変わり、龍真たちを乗せたバイクが走り出す。

『……?期待されたこと、か。俺はあんまりないな。俺の親は結構、放任主義だったから。小学校ぐらいまではいろいろあったけど、中学に上がってからは殆ど無かったな。もしかしたら俺が何かしてくれるんじゃないかって期待していたかもしれないけど、直接期待しているとは言われなかった』

『そうか。すまないな。家族の、辛いことを思い出させてしまって』

『別にいいよ』

『………私はちょうど、十歳の時に『白澤』の力に覚醒した。家族はとても喜んでいた。その頃にはもう兄は覚醒していたから、それも喜ぶ要因となったんだろうな。一つの家族から覚醒者が二人出ることなんて、滅多にない事だ。親戚も集まって祝ってくれた。こんなに嬉しいことはない、桃李と桔梗は将来が楽しみだ。そう言って、みんなで喜んでいた。

その頃はまだ幼かったから、家族が喜んでいる姿を見て、私も嬉しく思った。そして、これからも喜ばせたいと思った。私が勉強やスポーツで賞を取ると、両親はとても喜んでくれた。この笑顔をもっと見たい、ずっと笑っていてもらいたい。そう思えたんだ。

だから頑張った。学校では、勉強もスポーツも誰にも負けないようにして。高校を卒業して黄龍に入ると伝えた時は、頑張れって後押ししてくれた。黄龍に入ってからはもっと頑張った。

たまに電話すると、嬉しそうにしていた。私自身、喜んでいることは嬉しかった。でも、自分はいつまで頑張ればいいんだろうと思ったことがあった。

覚醒してからの十年間、ずっと努力をしてきた。そうしたら、気を抜くことができなくなってしまっていた。普通の女の子としての生活に、とても憧れた。

友達と遊んで、バカなことで笑い合って、大好きな人を作って、みんなと笑いあって生きてみたかった。でも、そんなことは出来ない。私は普通ではないから、してはいけないんだと思った。

そして、ここまで来たら、他人に弱い姿を見せられなくなった。強くあれ、弱気になるな。多分、一種の強迫観念を背負ってしまったんだ。普通の話し方だったら、耐えられないのではないかと思った。だから強くなろうと決めた。格闘技を習って、言葉も固くした。外も内も強くならなくてはと思って必死だった。そうしたら……な、こうなってしまった。これで話は終わりだ。……変だろう。自分で自分を縛り付けてしまったバカな話だ』

自分とは違う人生を送ってきた桔梗の話は、言い方は悪いが、とても面白かった。おかしいと思ったわけではない。自分以外の話をここまで詳しく聞いたことが初めてだったからだ。

『……おかしくない。何もおかしくない。俺はさっき言ったみたいにそういう体験をしてこなかったから、分かるとは言えない。でも、話を聞いた限りではずっと頑張ってきたんだなって事は凄く伝わってきた。でも、学校とか、俺の前でくらいはリラックスしろよ。学校での事は俺も感謝してるしさ』

『そうか……………ありがとう。学校での演技が自然にできるように努力してみるが、始めはぎこちなかったり、可笑しかったりするかもしれないが、勘弁してくれ』

『ああ。そろそろ全員配置も終わってるかな?』

 作戦開始時間まであと十分。普通に走っても間に合うが、折角だし………

『少し急ごう。飛ばすから、覚醒状態になって、しっかり捕まっていてくれ。振り落とされないように』

『覚醒しなくてはダメか?』

 桔梗の口調が若干こわばるのが分かった。

『そうしないと体が耐えられない。俺も覚醒状態で体を強化しないとキツいんだ』

 龍真の言葉に桔梗は疑問を覚えた。龍真の髪は覚醒したから灰色になったのではなかったか?

『髪が灰色になってる時点で覚醒状態じゃないのか?』

 桔梗の言葉に龍真は、ああ、と思い出したように返事をする。

『今は半覚醒みたいな状態なんだ。本当に覚醒すると視力を失っていた方の目も見えるようになる。他にもいろいろあるけど、見た目はあんまり変わらない』

『そうだったのか。言わなかったから、常に覚醒状態になってるのだと思っていた』

『覚醒しないと魔術は使えないからな。計測の時は始まる前に覚醒状態になっていたから、魔力計も変化しなかったんだろうな』

『それではこの前の能力検査の意味がないではないか。まあ、それはまた今度にするが、ここからではまだ距離があるぞ?』

『大丈夫だ、一分ぐらいで着く。覚醒しろ』

 桔梗の髪が白くなり、魔力が高まったことで覚醒を確認し、龍真も覚醒する。

『ここから作戦開始地点ってどの方向だ?』

『北北西、十一時の方向だが、どうするつもりだ?』

『任せとけ。スレイプニル、二人だけど、大丈夫か?』

「王二人分となれば些かスピードが落ちるかもしれませんが、隊長殿は軽いですから問題ありません」

 スレイプニルが変形し、馬の形をした本気の状態になる。

『これならすぐに着く。絶対に捕まる腕を緩めるな。もし振り落とされたら、壁に叩きつけられるぞ』

『わ、分かった』

 ギュッと龍真の体に桔梗がしがみつく。それを確認したスレイプニルが、覚醒時に生まれる第二、第三のエンジンを起動させ、轟音が響き渡る。

「行きます」

『おう』

 そして、桔梗は周りの景色が見えなくなった。明かりがついていることや、周りに建物があることは分かる。目が見えなくなったわけではない。スピードに目がついていけていないのだ。

『大丈夫か?』

 心配した龍真がテレパシーで桔梗に尋ねる。体に捕まる腕から力は抜けていないが、何も話さないと、気を失っているのではないかと心配になる。

『大丈夫、少し驚いただけだ。すごいな、これは。周りが全く見えないし、車にもぶつからないとは』

『今運転してるのは俺じゃなくてスレイプニルだ。こいつはこのスピードに慣れてるから、周りも見えてるし、行き先もわかってる。俺もなんとか見える程度にしか見えていないから、確かなことは分からねぇけどな』

『でも、曲がり角とかはどうするんだ?これだけのスピードがついてたら、曲がれないんじゃないか?』

『心配はありません』

 桔梗の質問に答えたのはスレイプニルだった。

「今、お二人は私の魔力の膜に覆われています。その力で慣性を無視できるのです。捕まっていただくのは念のためですが、万一にも、振り落とされる心配はありません」

『え?でも龍真はそうしないと耐えられないって………』

『そうでも言わなかったら、覚醒しなかっただろう?覚醒したのは雰囲気だよ。そのほうが様になるだろ?』

「王よ、お戯れは大概にしてください」

『ハハッ、でも雰囲気は出るだろ?』

 当たり前のように言う龍真はまるで子供のようだ。そこで悪戯だということに気付いたが、周囲が分からなくなるほどのスピードに感動していたため、怒りは感じなかった。

『確かにこれなら覚醒していたほうが雰囲気はあるな………あ、もう着いた』

 感心している間に作戦開始地点に到着した。一般人は一人も見えず、公園はケルベロスのソルジャーに囲まれていた。

「隊長、公園の周囲のソルジャーの配置、一般人の避難、完了しました。あとはターゲットが来るのを待つだけです」

 ソルジャーの一人が桔梗に報告した。顔は見えないが、なかなか若々しい声だった。おそらく二十代だろう。そのソルジャーの隊員は報告を終えると自分の配置に戻った。

「全員聞こえているか?今、犬飼がこちらに向かっているという連絡も入っている。これからが正念場だ、気を引き締めていくぞ」

「「「「了解!」」」」

耳のインカムに何人もの声が重なって聞こえる。全員、緊張している様子はなかった。

「龍真は犬飼を確認したらすぐに戦闘に入ってくれ。間違っても逃すようなことはないように頼む。犬飼が動けなくなったら、こちらから合図を出すからすぐに離れろ。そうしたら魔術師たちが犬飼の能力を封印する。龍真は犬飼が逃走しないように近くで待機だ」

「了解」

 公園の中央あたりで犬飼を待つ。遠くからは歓楽街の喧騒が聞こえてくるが、この静けさの中ではまるで別世界の音のように思えた。

「なあ、桔梗。犬飼の能力は不明のままだよな?切断系だってこと以外は」

「そうだ。逃亡中はほとんど力を使わず、最初の捕獲作戦の時のソルジャーは、生存者も未だに意識不明で詳しい話を聞くことは出来なかった。犬飼の力が気になるのか?」

 初見の攻撃ということは、戦闘中に対策を考えなければならない。自分にそんな器用なことができるだろうか。

「気になるっていうか、いつの間にか切られてたりする可能性もあるなら、少しでも情報はあったほうがいいだろ?」

 犬飼はソルジャーを何人も倒している。格闘技をしていたことがないのなら、その要因はおそらく能力にある。体を刃にするのか、刃を飛ばすのか、可能性だけでは絞り込むことはできない。

「確かにそうだな。一応、ソルジャーの検死の結果は見せてもらったが、原因を特定することができる情報は何もなかった。切断面はかなり綺麗になっていて、普通の刃物では不可能なレベルだ。兄さんの話では日本刀でも無理だそうだ。正体不明の武器ということになるが、もしかしたら刃物などの武器の類ではないかもしれない」

「武器じゃない?」

 武器を使わずに体を切ったということだろうか?

「一応、可能性があるものはいくつかあるが、それだとしたら……」

 桔梗の声をさえぎるように誘導班のソルジャーから連絡が入る。

「こちら誘導班、犬飼が公園の百メートル手前まで来ました。龍真さんは準備をお願いします」

「どうやら、説明してもらってる暇はないみたいだな。戦闘中に何とか対応する」

 空中から槍を出現させ、戦闘体勢に入る。両手に一本ずつ槍を握り、公園の入り口に意識を集中する。そして連絡が入ってから一分も経たないうちに誘導班が戻ってきた。最初は五人だったはずだが、今は三人しかいない。しかもそのうちの一人は歩けないのか、一人に抱えられ、戦闘不能は確実だった。

「俺もこいつも誘導はできません。残った一人が何とかしています。あと、一人やられました。犬飼の能力は残念ながら把握できませんでした。ただ、仲間がやられる前に犬飼が何か口から出したのが何度か見えました。たぶん、それがあいつの能力です」

「わかった。ご苦労。負傷者は救護班に任せて、残りは周辺の警備に当たってくれ」

「了解」

 ソルジャーは負傷者を抱えて、去っていった。予測不能の攻撃は思った以上に厄介だ。

「龍真、誘導班の残りの一人が心配だ。龍真も行ってくれないか?注意を引き付けて、ここに誘導してからが本番だ。絶対に建造物に被害が出るような場所では戦わないでくれ」

「了解。できる限りそうする」

 そして龍真はソルジャーが来た方向へと駆け出した。いつ最後の一人がやられるかわからない。できるだけ急がなければ。五十メートルほど走ったところで犬飼と誘導班の最後の一人を見つけた。

 ケルベロスの隊員は足を切られたのか、地面に尻もちをつく形で犬飼と向き合っていた。足からは血が出ていて、体のあちこちにも切られた形跡があった。

 一方、犬飼は無傷だった。一応、弾痕は残っているが、服に穴が開いているだけでその下の皮膚にはまったく傷がついていない。手には何も持っていない、丸腰だ。

「犬飼!」

 あらん限りの大声で叫んだ。その声に二人が反応し、こちらに振り向く。ソルジャーは龍真の姿に気づき、あっ、と安堵の声を漏らしたが、犬飼は新しい敵の出現で余計に表情が硬くなる。犬飼は龍真に向き直り、ゆっくりと歩き出した。体に異質な部分は見えないが、覚醒していない状態なのかもしれない。

「あんたもこいつらの仲間か?……僕を、殺しに来たのか?」

 話しながら、犬飼は口から何かを吐き出した。とっさにそれを龍真はそれを避けたが、後ろにあった街灯に当たり、街灯が折れてゆっくりと倒れた。その折れた部分はなにか刃物で切ったかのように綺麗な切断面をしていた。

「これがあいつの能力か。口からいったい何を出したんだ?」

 スピードに慣れていないせいで吐き出された物の正体を捉えることができない。だが、口から出している以上、小刀や剣などの刃物でないことは確実だ。

「落ち着け。俺はお前を殺しに来たんじゃない。説得に来たんだ。これ以上被害を出す前に黄龍に投降して、償ったほうがいい。俺はそれを伝えに来た」

「嘘だ!最初に僕のところに来たやつは何も言わずに僕を殴ったんだ。

『お前は危険だ、拘束する』

そう言って、僕の体を何度も何度も殴った。でも、いくらやっても僕の体はすぐに傷が治って気を失うことも出来なかった。そうしたらあの男はしょうがないって言って、刀で僕の手足を切り落とそうとした。そんな痛いこと絶対にいやだ、そう思ったら体が自然に動いて、気がついたらあの男は真っ二つになって死んでた。その男の次はもっと大勢の黒い男が僕を捕まえに来た。だから逃げなきゃいけないんだ。もっと遠くへ、あいつらの来ないもっと遠くへ逃げないと、僕は殺される!」

 叫びながら犬飼は龍真に殴りかかってきた。だがその動きは素人の喧嘩そのもので、まったく危険ではなかった。だが、公園まで誘導するためにバックステップで避け続ける。そして攻撃の手が止んだ隙に龍真は犬飼のわき腹に回し蹴りを決めた。

「ううっ、い、痛い、痛いよ。やっぱりお前も僕を殺す気じゃないか。みんな嘘つきだ。みんな、みんな……だいっ嫌いだ!」

 犬飼は激昂し、連続で口からのあの攻撃を吐き出した。冷静に狙っていないために何発かはまったく的外れな場所に飛んでいったが、それでも十発近い数の弾丸が龍真めがけて飛んでくる。それを上半身を使って避け、避けきれないものは槍で迎撃した。叩き落そうとしたその弾丸は槍に当たると弾けて塵々になった。

「これは……水か?」

 犬飼の刃を迎撃した槍には水滴がついていた。そして地面には弾丸の破片ではなく、水に濡れた跡だけが残っていた。

「桔梗、あいつが吐き出していた物の正体がわかった。分かったけど……あいつの吐き出していたものは水だ。魔力で強化して威力を上げてるみたいだ」

『水、か。それなら全て納得がいく。用はウォーターカッターの原理だろう。高圧で噴出する水は鋼鉄でも切断できる。正確には当たった部分を吹き飛ばすんだがな。これだったら人間の体なんてゼリーと同じだ。さっき街灯を切り倒したのもそれだろう。気をつけろ。いくら魔力で強化した龍真の体でも、あれを受けたらただじゃすまないぞ』

「ウォーターカッター……か、暴れ回られたら街中ズタズタだな。全て打ち落として、更に戦闘不能に持ち込むって、初ミッションにしては少々ハードじゃないか?」

「期待の麒族様が最初から弱腰になってどうする?自分の感覚を信じろ」

 桔梗と会話をしている間にも犬飼は攻撃を止める気配がない。あの水が無尽蔵なのだとしたら、早めに終わらせる必要がある。消耗戦になったとしたら、動きが鈍ったときにあの水弾を打たれて蜂の巣になってしまう。

 だが、飛距離のある水弾を使っている間はこちらに近づいてこようとしない。どうにかしてあの水弾を封じて、肉弾戦に持ち込ませなければならない。

『龍真、犬飼を挑発しろ。今の犬飼は冷静じゃない。簡単な挑発でもすぐ頭に血が上るはず。そして乗ってきたら、公園まで一気に戻って来い。これ以上、町の中に被害を出すわけにはいかない』

「了解。でも、挑発って、何すればいいんだ?」

『さっき犬飼に回し蹴りしたろ?そんな感じに攻撃を当てていけば、そのうちムキになって接近してくるはずだ』

 了解と言い、犬飼に向かっていく。犬飼は水弾を吐き続けているが、二つの槍は思った以上に防御に役立つ。槍の根元を使えば水弾を防ぐことは容易で、近づくことは簡単だ。そして攻撃の範囲内に入ったら、すかさず蹴り込み、怯んでいるうちに距離をとる。これを繰り返しをしているうちに本当に犬飼は激怒して龍真に向かって走り出した。

「さっきから、蹴って逃げて蹴って逃げてばっかりして、僕をどうしたいんだ!ただイジメに来たのか?もう許さない、許さないー!」

 顔を真っ赤にして走ってくる。龍真は付かず離れずの距離をとりながら桔梗に連絡する。

「本当に食いついてきた。これから公園内に移動する」

『了解。戦っている途中、犬飼を噴水には近づけないほうがいい。もしかしたら、水を補給しようとするかもしれない』

「ああ、その心配は俺もしてた。桔梗も言うほどだ、噴水の水は注意しておく」

『気をつけろ。さっきも言ったが、あれに当たったらいくら覚醒者の体と言えども、ひとたまりもないからな』

「分かってる!」

 公園内に犬飼を誘導したことを確認した魔術師たちが、公園内を囲むように結界を張る。これは魔力を遮断できるもので、もしあの水弾が飛んできたとしても、魔力を奪うことができれば結界を貫通することはない。

ただし、覚醒者は常に魔力を発しているため、結界を張るということは、龍真と犬飼を孤立させてしまうということにもなる。あの水弾は結界で防ぐことができるが、龍真が犬飼を行動不能にするまで、何の手助けもすることができなくなってしまうのだ。

「俺のことは気にしないで、早く結界を張れ!被害を最小限に抑えるんだったら、一秒でも早いほうがいい」

 水弾を弾きながら龍真はインカムに向かって叫んだ。犬飼は自分がおびき寄せられたことにまったく気づいていないが、噴水を見ると、にやり、と笑った。

「早く!」

『結界を起動しろ!あの中だけで被害を抑えるんだ!急げ!』

 桔梗の号令と共に地面から透明な膜が広がっていく。それが視界に入ってようやく、犬飼は周囲の異変に気づいた。

「なんだよこれ、僕を閉じ込めるつもりなのか?ふざけるな!」

 怒り狂った犬飼は結界に向かって水弾を吐くが、結界の膜に当たると、水弾は威力を失ってその場で弾けた。

「あれは魔力を遮断する結界だ。俺とお前が暴れている間に周りに被害が出ないようにするためのもんだ。閉じ込めようとしているのは当たってるけどな」

『龍真、聞こえるか?結界が完成したらインカムが使えなくなる。拘束が終わったら、さっき渡したあの札を結界に張れ。それで出られるようになる』

「わかった」

『……絶対に戻って来い。戻ってこなかったら祟るぞ』

「それは嫌だな、絶対に勝って戻る」

『信じてるぞ』

「ああ」


第二部第四幕


 結界が完成し、インカムからは何も音が聞こえなくなった。これ以上は付けていても無駄だと思い、外して腰のホルダーの中に入れる。そして犬飼を見ると、犬飼は噴水の中に入って、体全体から水を吸収していた。

「気を付けろって言われてたのに会話に夢中になって忘れてた。先に噴水の水を凍らせて給水できないようにしとけばよかったな。まあ、ぼやいても仕方ない」

 そして噴水の水を半分近く吸収したところで犬飼が噴水から出てきた。出てきてすぐは服も濡れたままだったが、すぐに乾いた。服が吸った水分も吸収したらしい。

「もう水は吸わなくていいのか?最後の補給になるかもしれないぞ?」

 龍真が犬飼に尋ねる。犬飼は上機嫌に陰湿な笑い声を発していた。

「もういいんだよ。逃げ出してから一回も水を取ってなかったからあんなに小さな攻撃しかできなかったけど、今なら――――」

 犬飼の放つ魔力の量が一気に膨れ上がる。そしてその体に少しずつ変化が現れる。

「覚醒………どうやら本気でここから逃げるつもりらしいな」

 緑色の皮膚に刺々しい甲羅、全体的には河童を連想する姿だが、その顔は猛獣のように細長く、鋭い牙が生えている。また、手足の爪も細長く、尖鋭な凶器と化していた。

「面白い物を見せてあげるよ」

そう言って龍真に向かって両手の掌を向ける。その間に水の塊が形成され、スイカほどの大きさになると細長く形が変わり、三日月形に変わる。

「これぐらいなら何発でも撃てるよ」

 バシュッという音と一緒に三日月の水が迫り来る。地面からの高さはおよそ三メートル、地面をえぐっている部分を含めたら四メートルを超えるかもしれない。

「くっ!」

 槍を盾にして水の刃を防ぐ。体を切り裂かれることはなかったが、両腕に伝わってくる衝撃は龍真が押し負けるほどだ。二メートルほど後退したが、まだ劣勢になったわけではない。

「まあ一発で終わるとは思ってなかったよ。アンタが北海道の麒族(ノーブル)で、それなりに強いってことは分かってたからね。でもすぐに終わってくれればよかったのになあ」

「お前、本当に犬飼か?さっきまでは卑屈だったり、逆上したりしてたのに、今は冷静になってるな」

 姿が変わったこともあるのだろうが、纏った雰囲気がさっきまでの犬飼とはまるで別人のようだ。水を補給したことで余裕が出たからだろうか。

 地面に残った傷を見て、犠牲者になったソルジャーたちのことを思う。この攻撃を受けて自分の体を切り裂かれた時、いったい何を考えていたのだろうか。死にたくないと思ったり、犬飼に怨念を募らせたり、残される家族のことを思っていたのだろうか?

「これで今までに何人切った?この攻撃で、何人の人生を奪った?」

 龍真は抑えて言ったつもりだったが、犬飼はそれを殺人に興味を持っていると思ったらしい。陰湿に笑いながら饒舌に話し始めた。

「初めて人を切ったのは二年前の冬だったかな。カツアゲしようとした不良たちに殴られた時だったよ。死にそうになった時に覚醒して、この力でバラバラにしてやった。あのときは爽快だったなぁ。それからも街のゴミ共を掃除してたから、何人かなんて覚えてないなあ。まさか黄龍に見つかるなんて思ってなかったんだけどね」

殺人をまるで善行のように語る犬飼。殺人を平気と思えるようになってしまったら、もう普通には戻れない。犬飼は絶対に倒す。これ以上不要な犠牲を出してはいけない。龍真の改心を願う心は無くなり、目の前の敵を倒すことを覚悟した。

「俺も以前お前と同じことをした。罪を犯す覚醒者を三十二人殺した。この足で覚醒者たちの体を蹴り砕いた。魂さえ消滅させた。自分のやっていることは正義だと思いもした」

 犬飼が嬉しそうに笑う。

「やっぱり、君も同じなんじゃないか。僕たちは正義のヒーロ……」

「違う!」

「ひいっ!」

 龍真の怒号に犬飼が怯え、体をこわばらせる。

「違う。たとえお前が自分の行動を正義だと思っても、俺は自分をヒーローだと思ったことは一度も無い。俺はこの手に掛けた覚醒者全員の顔を覚えてる。俺は全員の命を担った。俺はこの罪を背負ってこれからも生きていくと決めた」

 そうでなければ、責任を負わなければ彼らを手に掛けた意味がない。全ての憎しみは自分が背負う、そう決心していたのだから。

「ばば、馬鹿なんじゃないの?そ、そんな事して何の意味があるっていうんだよ。何考えてんだかまったく分からないね」

 犬飼は龍真の行動を笑った。だが、龍真の目には揺ぎ無い信念があった。目を逸らしてはいけない、向き合わなければならない。

「俺は殺した奴の恨みも、そいつらの家族の苦しみも目を逸らさずに生きていく。それが俺の背負った罪だからだ。お前に、そう思う心は残っているか?殺した奴らの気持ちを背負う覚悟はあるか?」

「あは、ハーハッハッハッ!なんだそれ?バッカじゃないの!そんな事してなんになるんだよ。殺された奴らはそいつらが悪いんだ。僕は悪くない。悪いのはお前たちだ」

「そうか……」

 悲しかった。同じ境遇にあった犬飼を何とかして救いたかった。だが犬飼の心は動かなかった。力を奪い、無理矢理にでも自分の行動を振り返らせるしかない。

「うわっ!」

 油断している犬飼の体を槍で貫こうとしたが、間一髪で犬飼はその突きを避けた。

「分かった。俺ではお前は動かせないようだ。実力行使に移らせてもらう。お前には我々、黄龍に捕まってもらう」

「はあ?何言ってんの?負けるのはお前だよ。俺の水月刃で真っ二つにしてやる!」

 犬飼は水の刃、水月刃を連続で放ってくる。大きさもスピードも先ほどと変わらないが、一つごとに角度を変えて、縦、横、斜めというように撃ってくる。どうやら本気で龍真を殺す気のようだ。

「お前も本気だな、だったら俺も手を抜かない!」

 犬飼から距離を取り、足を振り上げる。

「〈魔装〉ジェヘンナエ・インセンディッス・アムニア・アドレビット、クオッド・ファンタズマ・エト・エリガット・エト・オムニス・ミリティア・オムニーノ!『焔龍脚』!」

 両足から炎の龍が吹き上がり、宙を舞って龍真の足に巻き付く。そして両足が燃え上がる。これも氷霊脚と同じく、膝から下だけが燃え上がっている。そしてその熱で結界の中の温度が少しずつ上がり始めた。

「絶対にお前は倒す。俺の出来る限りの力でお前を止める」

 犬飼は歯を食いしばり、呻き声のような声がこぼれる。

「だから、だからってどうだっていうんだ!僕はヒーローになったんだ。ヒーローは絶対に負けないんだ!どんなに負けそうになっても最後には必ず勝つんだ!」

「そうかよ!」

 焔龍脚を振るい炎の塊を犬飼に向けて飛ばす。犬飼は水の塊を吐き出して龍真の炎弾を打ち消す。炎弾と水弾が衝突し、相殺され、蒸気が辺りに立ち込める。その隙に龍真は犬飼との距離を詰める。接近戦をすることで水月刃を防ぐ方法を取ったのだ。この蒸気は犬飼に近付いたことを気付かれないようにするための目くらましだ。

あの水月刃は発射までに隙ができる。だがそれをハンデとしない程の威力を水月刃は持っている。それなら発射の隙を突くよりも、撃たせずに間合いを詰めて攻撃をさせない方がいい、そんな龍真の作戦は的中したようだ。

 犬飼は格闘技をやっていなかったため、肉弾戦はとても拙い。龍真の焔龍脚と双槍の攻撃を間一髪で避けていたが、少しずつ掠り始め、とうとう、命中した。焔龍脚が犬飼の胸を捕らえ、怯んでいる隙に龍真の突きが犬飼の脇腹を捕らえた。

「ぐうッ!」

 胸と脇腹を押さえて犬飼が膝を付く。胸には痛々しい火傷を負い、脇腹からは絶えず、血があふれ出している。服に引火した火は水で消しているため消えているが、押さえている手は流れ出る血で真っ赤に染まってしまっている。

「これで王手だな、諦めろ。もう戦えないだろう」

 龍真は犬飼を見下ろし、悲しそうに顔をしかめた。犬飼の傷は深い、手当てをしなければ命の危険さえあり得る。

「これ以上動いたら失血死するぞ。諦めて投降しろ」

 龍真は情けを掛けたつもりだったが、犬飼にあきらめた様子はない。

「これぐらいで諦めろだって?ふざけるな、ヒーローは諦めるってことは絶対にしないんだよ!」

 犬飼が龍真に向かって再度、水月刃を放つ。蹲ったことで出来る死角で密かに準備していたのだろう。至近距離の、しかも突然の攻撃は龍真の太腿を切り裂いた。傷を押さえながら龍真は犬飼から距離を取る。

 傷は浅い、だが油断していた。相手は何人もの人間を切ってきた殺人鬼とも呼べる相手だ。完全に行動不能になるまで油断はできない。

「僕を止めたいんだったら、首を切り落としでもしない限り無理だよ。ほら見てよ、君が付けた傷だってもう何ともない」

 犬飼がさっきまで抑えていた脇腹から手を離す。そこは服にはくっきりと槍に貫かれた跡があったが、体にはもう傷痕さえもない。胸にあった火傷も跡形もなく消えている。

「僕には再生能力があるんだ。一度腕を切り落とされた事もあったけど、すぐに新しい腕が生えてきたよ。これぐらいじゃ、僕は止められないよ!」

 全快した犬飼が再び水月刃を放ってくる。それを躱し、迎撃しながら龍真は考えていた。ここまで戦ってきても、犬飼の能力が把握できない。最初は水を操る能力だけだと思っていたが、さらに再生能力もある。犬飼はどう見ても日本人だ。そうだとすれば、能力の正体も日本の妖怪に絞られる。だが、龍真の知る限り、そんな妖怪は存在しない。もしかしたら、まだ能力を隠しているかもしれない。全く油断できない。

「そんな顔してどうしたんだよ?もしかして、僕の能力が分からないの?」

「………」

 図星だった、能力名が分かれば、対策が立てられることもある。だが、犬飼の能力は謎だ。水を操り、傷を瞬く間に完治させる。片方ずつであればいくらでも想像はできる。だがその両方を兼ね備えているような妖怪がいただろうか?

「分からないようなら教えてあげるよ。僕の能力名は『水虎』だ。河童を統べる水獣。妖怪よりも格上の存在だ。この力は河童を遥かに超える。たぶん、日本の水獣の中では五本の指に入るんじゃないかな?僕に付いた傷は僕の配下の河童たちが背負うようになる。僕が腕を切り落とされたら、一匹の河童の腕が切れて、僕の腕が元に戻るようにね。だから、僕の命は寿命が来るまでは絶対に終わらない。殺したって無駄だよ。僕が死んだら、河童が一匹死んでその命が僕に宿る。いくら殺したって無駄なんだよ!」

 水月刃を撃ちながら、犬飼は笑う。犬飼を殺せば他の関係ない覚醒者が死ぬ。そんな事をしたくはない。だったら傷をつけずに捕らえるしかない。

「〈魔装〉フリギドゥス・ヴェントゥス・コンゲレイティオゥニ・イゴウ・ホステム『氷霊脚(セルシウス)』!」

 焔龍脚が消え、龍真の両足を氷霊脚が包む。龍真の周囲の地面が凍結を始めた。もともと犬飼との戦いで辺り一面が水で満たされた状態にある。凍結の範囲は戦闘を行った場所全体に及んでいた。焔龍脚で上昇していた気温も、氷霊脚に切り替えたことで下降を始めた。犬飼が撃ち出す水月刃はこの状況を悪化させる。犬飼は一気に劣勢に立たされた。

「あ、辺りを凍らせたからってどうだっていうんだ。それぐらいで勝った気にでもなったのか?死ねぇ!」

 破れかぶれに水月刃を撃ち出した犬飼だったが、水月刃は龍真の凍結の範囲に入った瞬間、地面に接している部分から凍っていき、龍真に届く前に完全に凍って止まった。

「これでもまだやるか?お前の攻撃はもう俺には通用しないぞ」

「くそ、くそ、くそが!ふざけるな!これぐらいで諦めろだって?冗談じゃない!ここで捕まったら、僕は今まで何のために逃げてきたか分からないじゃないか!捕まるなんてまっぴらごめんだね!ようは凍る前に当てればいい話じゃないか。それだったらいくらでも方法はあるんだよ!」

 今までと違って、今度は地面に接しない形で水月刃を放ってきた。地面と水平に何発も何発も、高さを変えて撃っているせいで、打ち消しにくい。

「くたばれぇぇぇ!」

 そして水月刃を撃ちながら龍真から距離を取ると、左手から水月刃撃ち出しながら、右手を頭の上に上げた。そして右手の上に水の球が形成され、どんどんと大きさを増していく。水月刃は球体の状態ではスイカほどだったのに対し、今度の水月刃は明らかに五倍以上ある。そしてその球体が三日月状に伸びたあと、水月刃から棘が生えるように何本もの刃が首を伸ばした。

「おいおい、なんだよそれ。いくらなんでもデカすぎんだろ」

 いくら氷霊脚の冷気が強力でも、あそこまで巨大では凍らせきる前に龍真の体に届く。

「くらえ!月光刃!」

 犬飼が右腕を下ろし、両腕を龍真に向ける。そこから放たれた月光刃は衝撃波を発しながら龍真に迫る。避けきれる大きさでもなく、防いだところでその衝撃は計り知れない。

『王よ、私を!』

 突如として頭の中に声が響く。迷う暇もなく龍真は叫んだ。

「『ヨルムンガンド』!」

 龍真の叫びと共に龍真の影が大きく広がり、その中からヨルムンガンドが浮き上がり、月光刃に向き合う。

「我が王は殺させん!」

 大きく開かれたヨルムンガンドの口の中から大量の水が槍のように噴出し、月光刃と激突する。ヨルムンガンドの口から吐き出された水は月光刃を打ち消し、辺りに飛び散った。

「ありがとう、ヨルムンガンド。おかげで助かった」

 龍真はヨルムンガンドを横目に犬飼に目線を戻す。まさか、ヨルムンガンドが自分から協力を申し出てくるとは思いもしなかった。

「それはまだ言うべきではありません。敵は未だ健在です。この戦い、私も加勢しましょう。あの水の刃は私が防ぎます。王は敵本体に集中してください」

「ああ、任せた。聞こえるか犬飼、第二ラウンド開始だ」

 槍を握り直し、龍真は犬飼に向かって走り出す。その横を同じ速さでヨルムンガンドも駆ける。巨体からは想像も出来ない様な俊足だ。

 野生のワニでも、陸上で獲物を追いかける際、速い個体では時速四十キロを超えるという。魔獣であるヨルムンガンドであれば、さらにその上を行っているはずだ。龍真のスピードに追い付くことなど、雑作もない。

 犬飼が水月刃を放とうとした瞬間、ヨルムンガンドが龍真を先行した。放たれた水月刃はヨルムンガンドに命中したが、ヨルムンガンドの体には全く傷がついていない。

「大丈夫か?」

 避けようとしていた龍真からはヨルムンガンドが身代わりになったように見えた。だが、答えるヨルムンガンドの声は平然としている。

「この程度であれば、私の体は断ち切れません。流石にあの大きなものは危険かもしれませんが、これぐらいであれば全く問題はありません」

 ヨルムンガンドの体を覆っている鱗は銃弾を跳ね返し、刃も通さない強固な鎧だ。大砲やミサイルでも傷がつくかどうかわからない。城壁が動いているようなものだ。

「頼りになるな、お前は」

 ヨルムンガンドの背を駆け抜け、犬飼に向かって槍を振るう。微かに疲労感が出てきていたが、戦闘に影響するほどではない。両手の槍を振るい、両足の氷霊脚を振るう。その怒涛の攻撃は嵐のようだ。犬飼の両腕を槍で払ってすぐに犬飼の体を思いっきり蹴り飛ばす。犬飼が街灯に激突し、倒れたところで、龍真は犬飼に追いつき、その胸を踏みつけた。

「クソっ、放せ、放せぇ!」

 足の下で暴れる犬飼の怒号を気にせず、龍真は氷霊脚に意識を集中し、大量の魔力を注ぎ込む。さらなる魔力を得たことで氷霊脚は冷気が増大し、犬飼の体を凍らせる。

「これだったら殺さずに捕まえることができる。前に一度、使った手だしな。あの時を思い出すからあんまりやりたくはなかったけど、こうするしか方法は無いだろう」

 龍真が話している間にもどんどん犬飼の体は凍りつき、地面に大の字になった状態で犬飼は完全に動けなくなった。

「くそっ、くそぉ!」

 犬飼は何とか脱出しようともがいているが、氷霊脚が形成した氷はびくともしない。

「これで捕獲完了だな。本当は殺してやりたいところだが、俺はもう『ハンター』じゃない。人殺しはもうしない」

「『ハンター』って、あの覚醒者だけを狙った連続殺人事件の犯人の事か。捕まったって聞いたけど、黄龍のケルベロスに入ってたのか!」

「そういうことだ。さてと、あとは結界を解いて魔術師に任せるだけか」

 犬飼から足を離し、龍真は結界の解除に向かった。桔梗から渡されていた札を結界の膜に張り付けると、弾けるように結界は消滅した。


第二部終幕


 結界が解除された瞬間、周囲を警護していたソルジャーたちの視線が一気に龍真に集中した。

「犬飼の捕獲は完了。能力の封印を頼む」

 氷霊脚と両手の槍を虚空に消し、完了の報告をする。成功したことに安心したのか、ソルジャーたちは一様に安堵の表情を見せていた。だがその一方で、待機していた魔術師たちはせわしなく動いている。

「龍真、ご苦労だったな。」

「ああ、桔梗。あいつの能力名、『水虎』だって自分で言ってたぞ。河童の上位種らしいけど、聞いたことあるか?」

「水虎………って言うと、中国と日本どちらの伝説にも登場する奴だな。中国の水虎は子供サイズで悪戯をする程度だと言うが、日本の水虎は凶暴で、河童を従え、人間も襲うと聞くな。犬飼の場合は日本の水虎だったんだろう」

「能力の元の性格って、覚醒してから覚醒者本人に影響することがあるんだな」 

「大概の覚醒者は覚醒元と同じ性格をしているよ。だからこそ意識の海の中で対話をなし得ることが出来る。さあ、これから犬飼の能力を分離、封印する」

「封印……か」

 黄龍は凶悪な覚醒者の能力を呪符や呪術で引き剥がし、多人数同時詠唱で発動させる強力な魔術で能力を封印する。手順なら知っているが、実際に見たことはまだ無い。

「なあ、封印作業を見ることってできないか?一度ぐらい見てみたいんだけど」

「邪魔さえしなければ、見てるぐらい問題ないと思うぞ。魔術師たちの隊長は兄さんだし、後で見せてもらったって言えば問題ないはずだ」

「そっか、じゃあ見ていくか。桔梗も見るか?」

「私も封印作業を見たことは一回ぐらいしかない。同行させてもらおう」

「じゃあ行くか」

 魔術師たちの一人に確認を取ると、離れていれば見ていてもいいと言ってくれた。龍真と桔梗が見守る中、犬飼の封印作業が始まった。

「では、能力封印の作業を始める」

 はい、というそろった声を皮切りに犬飼を人間に戻す作業が始まった。リーダーと思われる一人が犬飼に近付き、胸に何か不思議な文字の書かれた札を張り付けた。

「何だこれ、剥がせ!剥が、ぐっ、ぐあ、があああああ!」

 暴れていた犬飼の体から光があふれ出し、体の上で光の球体になると、その球体が犬飼の胸の札に吸い込まれた。体から光を抜かれた犬飼はぐったりとしていて、目には全く生気が宿っていない。視線が安定せず、せわしなく宙を泳いでいる。

「よし、分離は完了したな。ではこれから封印を始める。各員、配置に付き、陣の作成を開始しろ」

「陣って魔法陣のことか?」

「そうだ。これから行う封印呪文は、大規模魔術だってことは知ってるな?大規模魔術は発動するために魔法陣と十人以上の魔術師を必要とする程に強力なものだ。しかも発動に参加した魔術師たちの魔力を根こそぎ持って行くから、封印が完了すると魔術師たちは暫く普通の魔術さえ使えなくなる」

「そんなに大変なのか」

「ああ、橘さんも顔が真剣だ。相当だろう」

「橘さん?」

(たちばな)慶良(けいら)さん。あの魔術師チームの実行部隊長を務めている人だ。さっき犬飼の体に札を貼った人が橘さん」

「ああ、あの人か」

 そして犬飼を中心とした大きな魔法陣が完成した。直径はおよそ二十メートル、犬飼を囲むように円が描かれ、その円は大きな六芒星の中心に収まっている。中には所狭しと幾何学模様が描かれていて、文字や線は淡く紫色の光を帯びている。

 魔法陣が完成し、魔術師たちが配置につく。全員が懐から分厚く、仰々しい装丁のされた本を取り出す。その表紙には魔法陣と同じ文字が綴られているが、それを解読することは龍真にはできなかった。本を開き、一斉に詠唱を開始する。読経の様な低く、厳かな声が夜の公園に響き渡る。龍真と桔梗はもちろん、撤収作業を終えたソルジャーたちも封印作業を見守っている。

 詠唱が始まって五分が経過し、詠唱がひと段落したのか、一度詠唱が止まって全員が一息つく。桔梗の話では完成するまでに三つの段階があるらしく、今までが第一段階だったらしい。第一段階では魔法陣に発動のために必要な魔力を注入する作業だったようだ。第二段階で魔法陣を起動させ、魔力を封印に最適化させる。そして第三段階で魔法陣を発動、注入された全ての魔力を一気に犬飼に貼られた札に注ぎ込み、封印を完了させるのだそうだ。

「始めるぞ」

 副隊長の橘の声を合図に封印作業の第二段階が始まった。再び魔術師たちは本を開き、詠唱を開始する。そして詠唱が開始するのと同時に魔法陣がゆっくりと回転し始めた。

「回転し始めたな」

「術式を回転することで中心に魔力を集束させるらしい。それ以外にも魔力が漏れ出すことを防ぐ役割もあるんだとか」

「へえ¬¬~」

 気のない返事が気に入らなかったのか、桔梗が龍真の足を思いっきり踏みつけた。

「あだっ!……いてぇな!何だよ?」

「なんとなく」

突然足を踏まれたことに驚き、聞き返したが、桔梗の返事はそっけない。

「なんか……怒ってんの?」

「別に」

 あ~あ、怒ってんなこれは。封印作業に夢中になって桔梗の話を適当に聞いていたせいで機嫌を損ねてしまったらしい。

「悪い悪い、封印作業って初めて見るから、見入ってたんだよ。悪かった」

「……まあ、今のはさすがに理不尽だったかもしれない。こっちこそ、悪かった」

「ああ。続きを見よう」

 魔法陣の回転する速度はどんどん上がっている。もう細かい文字はよく見えない。

「もうすぐ第二段階も終了する」

「……第一段階に比べると、第二段階は短いな」

「起動するだけだからな。はっきり言って、第一と第二は一つと考えてもいい。兄さんはこれ自体が一つの大きな作業だって言ってたけど………」

「そういえば、桃李さんはどうした?研究と魔術どっちも隊長なんだろ?」

「ここに来てるぞ、気付かなかったか?あの向こうに張ってあるテントの中で封印作業のデータを取ってる」

 桔梗が指差した方に目をやると、白いテントが公園の一角に建てられていて、何本ものケーブルがテントの中に引かれている。

「封印のデータなんて何回も取ってるんじゃないのか?そうでもなけりゃ、毎回データ取ったりしないだろ?」

「方法は同じなんだ。封印するときに出る魔力の波長が一人一人わずかに違うらしい。その原因を調べるために封印の時のデータはかなり重宝していると言っていた」

「へえー。よく分かんないけど、それ調べて桃李さんは何か作るつもりなのか?」

「最終目標は魔力の波長だけで個人、能力、能力の特性を見極められる装置を作ることだと言っていたな」

「難しそうだな」

「かなり難航してるらしい。それでも、少しでも現場の役に立ちたいと熱く語ってた」

 龍真は自分の着ているレザースーツに目をやる。桃李の能力の『ドワーフ』は裏方作業に適している。黄龍で標準装備されているこの装備一式は桃李が考案、作成したものだ。十分に貢献している。さらに覚醒者の識別装置だなんて。

「頑張ってるんだな、桃李さんは。俺も負けてられない」

「あ、言い忘れてた。作戦が終わったら、今回の作戦の報告に来るように、だそうだ。報告書じゃなく、本人の口から聞きたいのだそうだ」

「めんどくせぇ」

「行ってきた方がいい。後で何故来なかったんだと、代わりに新薬の実験台にされるかもしれないぞ?兄さんは結果のためなら多少の犠牲はしょうがないと考えているからな。しかもそれなりに権力も持っているから、今の龍真に拒否権は無いに等しい」

 初めて桃李にあった時に人体実験云々の話をしていた事を思い出し、龍真の背筋に冷や汗が流れる。

「絶対報告する」

 桔梗にそう宣言して、魔法陣に目を戻すと、すでに魔法陣は回転を止め、淡い紫色だった魔法陣の色は紫から白に変わっていた。

「クライマックスだな」

「なんか、桔梗ウキウキしてないか?」

 心なしか、いつもより声が弾んでいる気がする。

「封印作業は今まではあまり見れなかったのだ。監視は多いが、捕獲、封印まで行くことはあまり多くない。だが最近、全ての捕獲対象の覚醒者を抹殺するのは人道的な問題があるとされてな。封印して普通の人間として裁くべきだと、上に政府から命令が下ったんだ」

「へえ、じゃあ俺も封印対象だったのか」

「龍真の場合、最初は監視で済んでいたが犠牲者が二桁を超えた頃から、討伐するべきだという考えが出てきた。だが、それができるだけの実力者がいるならやっているという話になり、皆黙ってしまった。最終的に私と兄さんに一任されて、私が神森を呼んだのだ。アイツなら龍真も食い付くだろうと思ったが、結局神森でさえ負けた。捕獲作戦が成功して、今では仲間になってくれて本当に助かった。このままじゃでは蜂空さんを呼ばなくてはならないのではないかという話にもなっていた」

「蜂空?何か聞いたことがあるような…………」

「蜂空玲斧さんだ。聞いたことないか?日本最強の覚醒者で大帝と呼ばれてる人だ。彼はSランクの覚醒者で、今まで誰も蜂空さんに勝てた人がいない。大帝と呼ばれてるけど、『無敗の猛毒皇帝』なんて二つ名もある人だ」

「凄い人なんだな」

「しかも普段何処にいるか誰も知らない。連絡したらいつの間にか隣にいたり、依頼が終わったらいつの間にか帰ってたりと、不思議な人だ」

 犬飼を囲んでいた魔法陣が強く光を放ち、犬飼に張られていた札が浮き上がり、共鳴するように光を放っている。

 魔術師たちが本を閉じ、手で印を結んでいる。何か呪文を唱えているようだが、距離があるため、聞き取ることは出来なかった。

「「「「「「悪しき者の力を浄化し、清浄なる者へと変えよ。月照封印!」」」」」」

 魔術師たちの叫びに呼応するかのように魔法陣が光を放ち、犬飼の体が光に包まれる。そしてその光はだんだんと小さくなっていき、札の中に吸収された。そして札に書いてあったあの不思議な文字は消え、光を失ってゆっくりと地面に落ちた。落ちたその札は真っ黒に染まっている。魔法陣は消え、後には気を失った犬飼と札だけが残された。そして糸が切れたかのように一斉に封印作業に参加した魔術師たちがその場に倒れた。

「封印作業は無事、完了した。これより魔術師たちを収容し、帰還する」

 いつの間にかテントから出てきていた桃李が携帯で支部に連絡を入れ、用件だけを告げると携帯を閉じて龍真たちに近付いてきた。

「魔術師たちも大変だよ。彼らは一度月照封印を使うと、三日は動けないんだ。意識はあるらしいけど、体に全く力が入らないんだ。理由はまだ分からないんだけど、どうやら月照封印の反動らしい。あれもまだまだ改良が必要だなあ」

 龍真に肩に手を置き、淡々と語る桃李の姿は本当に科学者か、研究者のように見えた。本当に研究者であり、科学者であるのだが、普段のシスコンぶりを見ていると疑いたくなってしまう。

「あの、桃李さん。俺、今日の作戦言わなきゃならない様な事してないんですけど、報告って必要ですか?」

 桔梗には絶対報告すると言ったが、必要でないのならさっさと帰りたい。

「実戦で何の魔術を使って、どう戦ったかを聞きたいんだ。手間は取らさないよ」

「分かりました」

「他にも聞きたい話はたくさんあるから、それも頼むよ」

 実は桃李の専門分野は魔力の解析などではなく、魔力に対する道具の開発だ。これは魔術師たちにも採用されていて、あの封印作業時に魔術師たちが持っていた本は個人の意識を完全に魔術に集中させ、成功率を向上させるものなのだ。名前を『ネクロノミコン』という。

あの覚醒者専用の麻酔、『スコルピオン』もそうだが、桃李の開発した発明品は戦闘に大きな成果をもたらしている。実験段階の物には対覚醒者用の銃弾や、覚醒者の魔術攻撃を無効化する呪符なども存在する。それが今まで何年も研究していた本部の研究者たちが作ったのなら納得がいくが、黄龍に所属して五年の弱冠二三歳の新参者が作っているのだから驚きだ。

 その才能を買われて本部から誘いが来ているのにもかかわらず、桃李が北海道で細々と研究をしている理由は一つだ。

「僕がこれぐらいしないと桔梗を見守ることができなくなってしまう。あの子を一人にすることは出来ないんだよ」

 そう語る桃李の表情はいつになく真剣だった。普段はにこやかに笑っているような表情が、今は真剣に前を見据えている。

「桃李さんはどうしてそこまで桔梗を心配するんですか?家族を心配する気持ちは分かりますけど、なんかそれだけじゃない気が……」

「そうだね、家族だからってだけで心配なんじゃない。でも、今はそんなことはどうだっていい」

「え?」

「龍真君、君は今桔梗を呼び捨てにしたね?」

「え!あ、いや、その……つい…………」

 つい桔梗と言ってしまったが、今までは桃李の前では桔梗さん、と言っていた。桃李が普通に桔梗というものだから、つられてしまった。

「桔梗、と言ったね。呼び捨てにして。一体何のつもりかな?君は桔梗とそんなに仲がいいのかい?呼び捨てにするほどに。さっき封印作業を見ていた時も一緒にいたね。仲良さそうに二人で話しているところも見たよ」

 桃李が妬ましそうに龍真を見上げる。その眼には明らかに敵意が混ざっている。いや、敵意しか感じられない。

「僕以外の人と会話をしている桔梗は久しぶりに見たよ。どうしてあんなに桔梗は喋っていたんだろうね、不思議だよ。本当に不思議だ。桔梗は人見知りで、かなり親しくならないと会話が成立しないのに、不思議だなあ~。ああそうか、君と一緒にいたからか。そうだよね、君と一緒なら楽しいよねえ。期待の麒族様なんだからねぇ~」

桃李の顔は笑っていたが、声と雰囲気は全く笑っていなかった。むしろ怒っている。

「羨ましいねえ、僕と一緒のときはあんな顔まったくしないんだよ。ああ羨ましい!」

 確かに桔梗も桃李の前では気をつけろと言っていたが、ここまで面倒なのか。このままずっと話に付き合っていたら、いつまでも愚痴を聞かされそうだ。

「桃李さん、俺は明日学校で授業があるんですよ。朝も早いし、そろそろ失礼します。今回の作戦の報告書は今週中に提出しますから」

「あ、ちょっと、榊君!」

 桃李の言葉を意に介さずに龍真はそそくさとスレイプニルを止めた場所へと向かった。公園の入り口に留めたから、ここからはすぐだ。そうしてスレイプニルを止めていた場所に着くと、そこには何故かスレイプニルにまたがる桔梗の姿があった。

「桔梗、何してんの?俺はもう家に帰るんだけど」

「忘れたのか?私を乗せるスペースはケルベロスのジープにはない。まさか、ここから歩いて帰れなんて言わないわよな?大切な隊長が暴漢に襲われても構わないって言うのならいいけど」

 そうなったらその暴漢の方が心配だ。トラウマを抱えそうで。

「今さっき桃李さんに睨まれたばっかりなんだ。なんか、凄く怒ってるように見えたぞ」

「兄さんが私を心配する事なんて分かりきってるじゃないか。御託はいいから、どうなんだ?送ってくれるのか、くれないのか?」

「……ちゃんとメット被っとけよ」

 龍真がそう言うと桔梗は龍真にヘルメットを投げ寄越した。

「最初からそうして素直に乗せればいいのだ」

 桔梗は楽しそうだが、対照的に龍真のテンションはかなり下がっていた。低空飛行なんてもんじゃない、地中を進んでいるぐらいに低い。

 溜息をつき、スレイプニルを発進させようとしたときに龍真の携帯が鳴った。見ると、桃李からのメールだった。

〈明日は学校が終わったらすぐに支部に来てくれ。試してもらいたいものがある。そして話もある。これは上司としての僕からの命令だから、君に拒否権は無いよ〉

 ……最悪だ。


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