召喚王、覚醒
「魔獣狩りの槍王 ―Beast of fusion and arousal king―」
藍宮龍次郎
第一部 第一幕
住宅街の暗い夜道をのんびりと青年が一人で歩いている。時間はまだ七時を過ぎた頃だが、周囲に人影はない。青年のヘッドホンから音が漏れているものの、周りに人がいないのをいいことに全く気にする様子はない。上機嫌なのか、時折聴いている曲の歌詞を口に出している。
両脇に並ぶ街路樹の葉は綺麗に緑色に染まっている。もう五月も終わり、季節は夏に足を踏み入れている。「北海道に夏は無い」と思っていた彼だが、徐々に蒸熱くなっていく毎日は、彼のそんな考えを一蹴した。
青年、榊龍真はアルバイトの帰りで一人だ。元々誰かと一緒に行動することが好きでないし、威圧感のある体格をしているせいで昔は親しい友達はあまりいなかった。
上下に黒のスポーツ用のジャージを着て、右手はジャージのポケットに収まっているが、左手にはコンビニの袋を持っている。袋には一緒に暮らしている黒猫用の餌と一緒に、シュークリームやプリン、エクレアにモンブランと、家で読書の合間に食べるスイーツがいくつも入っている。
しかし、その袋がまるで巾着袋のように小さく見えるほど、彼の体は大きい。最後に測った時には既に二メートルを超えていたが、まだ伸びている。
髪はまるで闇のように黒く、顔の左側は見えているが、右側は目の下まで髪が伸びていて右目を隠してしまっている。その両目は日本人では持つはずのない碧眼だ。これは母親がフィンランド出身だからなのだろうが、その右目は視力を失って久しい。視力を失ったのはもう四年も前になる。
四年前の冬、家族全員で母親の故郷のフィンランドに旅行に行った時の話だ。母親の実家に覚醒者が強盗に押し入り、出かけていた龍真以外の祖父母と両親、三歳下の当時小学生だった弟の家族全員が殺害された。そして運悪く犯人と鉢合わせた龍真も、その覚醒者に襲われてしまったらしい。
その後、気がつくと龍真は近くの病院のベットの上で横になっていた。体中に包帯が巻かれ、その下には至る所に切り裂かれたような傷があり、全治一年の重傷だと言われた。右目が見えなくなったのはこの時だ。
医者の話では鋭利な刃物による裂傷があり、視神経はズタズタになっているため視力の回復は不可能。生きていられるはずのない程の傷を負っていたらしい。人工眼球を取り付けることも出来ないほどだった。
警察は意識を取り戻した次の日にやって来た。がっしりとした体格の壮年男性二人組だった。名乗っていたはずだが、家族が皆殺しにされたことにショックを受けていた龍真の耳に、彼らの言葉は入ってこなかった。
来たのは勿論、龍真に犯人について覚えていることが無いか聞くためだっただろう。警察から聞かされた話では犯人は切断系の能力を持つ覚醒者という結論に至ったらしい。
だが現地の登録された覚醒者リストの中には刃を操る能力を持つ覚醒者は存在しなかった。自分の能力を隠しているのか、国外から逃げてきた未登録の覚醒者か。どちらにしても龍真の目撃証言はかなり有力な手掛かりになる筈だった。
だが事件の手掛かりを握っている唯一の当事者であり、生き残りである龍真は、犯人に関する一切の情報を持っていなかった。
友人の家で騒ぎ、十二時を過ぎた頃に家路についた。祖父母の家に着き、ドアを開けた所までは覚えている。しかしその後の記憶は無い。気が付けば病院のベットの上だった。
だった………自分の事ながら情けないと思った。少しでも捜査に協力したかったが、当時一五歳の龍真にできることは何もなかった。そして龍真は何も出来ないまま一人で飛行機に乗り、誰も帰りを迎えてくれない、温かさを失った我が家へと帰った。
当初は父方の祖父母に一緒に生活していたが、大学進学をいい機会に一人暮らしを始めた。家族との思い出が詰まった家を売り払い、進学の決まっていた大学の近くのマンションへと一人で引っ越した。
猫のノワールは祖母が寂しくないようにと、進学祝いとして贈ってくれた。最初はどう接して良いのか分からず、ギクシャクしていたが、今ではマンションのドアを開ければ嬉しそうに擦り寄ってくるほどに懐いてくれている。
そして自分もノワールの存在に救われた。最初は祖母に送り返そうとも思ったが、今では贈ってくれたことを祖母に感謝している。心の拠り所と言っても良いほどだ。
しかもペットを飼えるマンションを探すのに祖父が尽力してくれたらしい。
アルバイトで家賃と生活費はなんとか自分でまかなえているが、大学の学費は奨学金を貰っていてもなかなか負担になる。学校に行き、授業を受け、学校が終わったらバイトに行く。大学に入学してからの生活サイクルはほとんどこれだけだった。
たまには友達に誘われて居酒屋に飲みに行ったり、どこかへ遊びに行ったりもした。勿論それ自体は楽しかったが、龍真は心のどこかで一線を引いていた。
「さて、ノワールに餌あげたら俺も飯にするか」
部屋に目立つ大きな本棚、シックな彩りで飾られた部屋。大帝の家具がある中、龍真の部屋にはテレビが無い。テレビを見て覚醒者の事件を見たくなかったからだ。だからテレビはフィンランドでの事件以来見ていない。覚醒者が存在していて当然の現在では、ニュースや映画では当たり前に覚醒者が目に映る。それが嫌でテレビは買わなかった。
しかし、街を歩けば嫌でも覚醒者を目にする。今では慣れたが、事件から一年が経つ頃までは見知らぬ覚醒者に喧嘩をふっかけたりしていた。人間である龍真が覚醒者に勝てるはずもなく、毎回ボロボロになったが、それでも覚醒者が少しでも横暴にしているのを見ると怒りがこみ上げてきて、自分ではどうしようもなかった。
やっと落ち着いたのは去年の今頃、仲の良かった友達が覚醒したことがきっかけだった。人間が覚醒する兆候は未だ不明で、その友達の覚醒も突然だった。翼を生やすことのできる魔人系の能力だった。これがもし武器を持って、しかも剣や槍の類という事件の犯人に類する能力だったらと思うとゾッとする。
今では覚醒者の友達も増えた。大学に入り、何人もの覚醒者と知り合った。みんな優しく、良い奴ばかりだったが、誰にも事件のことは話さなかった。もし話をしたら距離を置かれてしまうかもしれないし、変に気を使われてしまうかもしれない。それが嫌で、誰にも話さなかった。
かけがえのない穏やかで平穏な日々、そんな生活に変化が起こったのがこの夜だった。
第一部第二幕
夜風を感じながら歩いていたその時、ある一点に目が止まり、龍真は歩調を緩めた。
(なんだ?あれ……)
十メートルほど先の茂みで赤黒い塊がもぞもぞと動いている。目を凝らして見ようとしたものの、月が雲で隠れて暗いせいでよく見えない。人にしては大きいが、クマやシカのような獣の類には見えない。そもそも、市街地にクマやシカが出没することは滅多に無いし、住宅街には野生動物が近づかないように獣避けがされている。それにあの色は明らかにクマやシカではない。
何かを砕くようなバキバキという耳障りな音や、泥をかき回すようなグチャグチャという不快な音が時折耳に届く。正体が気になり、龍真はヘッドホンのスイッチを切って少しずつ謎の物体に近づいていく。
(何かを喰っているのか?あの色は返り血か?)
そして五メートルほどまで近付いた所で月を覆っていた雲が流れ、月光が徐々にその姿を妖しく照らし出した。
(そんな、まさか…………………………鬼?)
それはまさに物語に出てくる鬼そのものだった。岩から削り出したような逞しい体躯、肘や手の甲、額に背中などの様々な場所から突き出た鋭い棘、全体的な色は筋繊維が見えているせいで赤だが、細部には皮膚が残っていることから一気に筋肉が膨張して皮膚が破け落ちたのだろう。そしてその鬼は一心不乱に何かを貪っていた。その傍らに落ちているのは紛れもなく、
人間の……腕だった。
「ッ!」
思わず龍真は口を押さえる。
人間だ!鬼が人間を喰っている。時折聞こえていた物を砕くような音は、鬼が骨を噛み砕いている音だったのだ。月明かりで照らされた茂みには大きな血だまりができていて、よく見れば指や骨などが散らばっている。一心不乱に肉に喰らいついている鬼は、龍真が近づいていることに気づいていない。
七年前の二〇一二年に世界中に流星群が降り注いだ。その後、世界中で人を超えた力に目覚める人達、『覚醒者』が現れ始めた。当初は人間の進化の集大成だの、流星群による突然変異だのと、様々な憶測が飛び交ったが、結果的には未解明。未だに研究が続けられている。その中には力に飲まれてこのような凶行に及ぶ者も少なくない。
鬼の能力を持った覚醒者だ!しかも食人衝動を持つ者は、野放しにしてはいけない。人を呼ばないと……そう思って携帯を取り出したとき、不意に
『メールを受信しました』
「ッ!」
最悪のタイミングでメールの受信音が流れる。鬼の覚醒者が咀嚼する音以外に何も聞こえないそこでは、普通よりも大きく響いた様に思えた。
「誰かいるのですか?」
くぐもった声を吐きながら、鬼がゆっくりとこちらに振り返る。正面から見ると禍々しさは想像以上だ。長い耳に裂けて広がった大きな口、口の中に収まりきらないほどに長い牙などは凶暴的な外見をさらに凶悪に引き立てている。
咀嚼し続けている口からは血が滴り落ちていて、所々には人間のものと思われる肉片が付いている。右手には今さっきまで貪っていた人間の胴体をぶら下げていて、犠牲となった男性の表情は襲われた瞬間の恐怖をそのまま残している。龍真を見る鬼の眼は翡翠色に妖しく輝いている。
「うわああああ!」
逃げなきゃ、コイツのいない場所今すぐ逃げなきゃ。細かいことは考えず、とにかくそれだけを考えて走り出した。人間の力でどうにかなる相手じゃない。何度も覚醒者と喧嘩した経験から言って、普通の人間ではどう転んだところで勝てるわけがない。
後ろでは鬼が何か言葉を発していた。だが声は聞こえても追いかけてくる足音は聞こえない。うまく逃げ切れたのだろうか、それとも最初から追いかけるつもりがなかったのか?
昔話の鬼は力は強いが頭は弱い。あの鬼の覚醒者も覚醒状態は判断能力が低下するのかもしれない。
そう思い、急いで家に帰ろうと走り続けると、突然目の前の路地からさっきの鬼の覚醒者が姿を現した。
「な!」
目の前の怪物への恐怖で龍真はパニックになっていた。自分はまっすぐ走っていた。戻ってしまったはずはないし、あんな巨体が走って近づけば注意せずとも気付くはずだ。そんなことを考えている間にも、鬼の覚醒者はさらに歩いて距離を詰めてくる。
もし捕まれば自分もさっきの肉塊の仲間入りをしてしまいそうだと思い、逃げようと鬼から背を向ける。しかし背を向けた瞬間に後ろから首を掴まれて、八〇キロはあるはずの龍真の体は軽々と地面から足を離し、宙に浮き上がった。首を絞められているために呼吸がままならない。なんとか逃れようともがいて鬼の体を蹴るが、全く効いた様子はない。
「ただの人間ですか、驚かさないでください。…………今しがた一人頂いたので食欲は湧きませんが、生かしておけばケルベロスを呼ぶでしょうし、とりあえずあなたには死んでもらいます」
鬼の口調は見た目とは裏腹にとても丁寧だった。それが余計に歪さを際立たせる。しかし、一〇〇メートルを一一秒台で走り抜ける龍真を軽々と追い越し、正面から歩いて現れたことが全く理解できない。
「どうされました?もしかして、私が追いついたことに納得がいきませんか?それもそうでしょうねえ。貴方の走る速さは普通なら追いつけるようなスピードではありませんでしたね、陸上選手か何かですか?速くて驚きましたよ。まあ見ての通りです。私の能力は全身の強化、肥大化なんです。私の体は大きさだけで普通の人間の倍近くありますが、私の体を包む筋肉は普通の人間よりもかなり高密度に形成されています。短距離走のアスリートがみんな筋肉ダルマだってこと、貴方知ってますか?」
喋りながら龍真を掴む腕にさらに力を込める。
「ぐっ、離せっ!……」
喉の奥から必死に言葉を絞り出すが、その声はあまりにも非力だった。
「通報されては厄介ですし、すぐに魔力を察知してケルベロスもここに来るでしょう。貴方にはその前に死んでもらいますよ。死人に口なしです」
そして龍真を掴んでいない方の腕の爪が、龍真の胸を突き破った。
「がはっっ!」
鬼は龍真を草むらに放り投げ、胸に穴を穿たれた痛みに悶えている姿を面白そうに見下ろしている。
喉の奥から鉄の味がこみ上げ、新しい血溜りが草の上に彩られる。龍真は痛みに耐えながら鬼から逃走を図ろうとするが、それを拒まんとする鬼の踵が、追い打ちのように龍真の腰に振り下ろされる。
「がああっっ!」
鈍い音とともに下半身が痺れた様に動かなくなり、絶望的な状況に拍車を掛ける。逃げることに一心の龍真の意識も朦朧としてきていた。
「嫌だ…………死にたくない………俺はまだ生きたい……」
起き上がって逃げないと。そんな抵抗の意思も虚しく、龍真の意識はどんどん暗闇の中に引き擦り込まれていった。
「くそっ……やっぱ覚醒者なんて大嫌い……だ」
そして榊龍真という人間は死んだ。
舞台裏【一】
気がつくと龍真は宙に浮いていて、胸に開けられた穴は無かった。穴を穿たれた場所は服が破けているだけで、体には傷一つなかった。
「……一体俺はどうなったんだ?」
そして浮いている自分の目の前には、体に穴をあけられて倒れている自分が倒れていた。胸に拳大の穴を穿たれて力無く横たわる自分の亡骸を、龍真は空中から見下ろしていた。
「これは……俺、だよな。……俺は死んだのか?」
絶望だ。
これで終わり?
これで俺の人生は終わりなのか?
絶望感と体に纏わり付くような疲労感に襲われながらもまだ、生き続けることを龍真は望んだ。しかし今の自分にできることは何もない。できるのはただ自分の死体を見下ろすことだけ。溜息しか出ない。だが突然、後ろから声が聞こえた。
『情けないのう。あんな筋肉ダルマ相手に手も足も出ないとは、いやはや、呆れを通り越して感心するべきなのかのう?』
唐突に背後から低く落ち着いた威厳のある声がした。振り返ると、そこには影があった、いや違う、影のように黒い男が立っていた。真っ黒で全体的な大まかなシルエットしか見えないが、なぜか見覚えのあるような気がした。
「だっ、誰だあんた?」
影の男からは敵意は感じられない。だが今の龍真には目に映るすべてのものが自分に敵意を持っているように思えた。
『儂が誰だか未だに思い出せんか?四年前に初めて逢った時にも、同じような反応をしていたのう。同じことを何度も言うのは嫌いなんじゃが、儂はお主の影じゃよ。お主の本質と言ってもいいかのう』
影は近づきながら信じられないことを告げてきた。
『お主は昔、覚醒者だったんじゃよ』
「…………な、何を言ってるんだ?俺は普通の人間だ。バカげた能力なんて使えないし、だった、ってどういうことだよ?覚醒者が能力を失うなんて聞いたことがない」
人間が覚醒者となると、命が途絶えるまで自分の能力を失う事は無い。能力発動に必要な体の一部分を失えば別だが、龍真は五体満足だ。その可能性もない。
『能力を失ったお主という存在がいる事実が明らかになっていなければ、話は別じゃよ。誰にも伝えられず、誰も知らなければ隠蔽は容易い。あれから四年だというのに、自分の家族がなぜ死んだのかまだ思い出せんのか?』
まだ?
まだとはどういうことだ?家族の死んだ原因は分かっている。家族は四年前に覚醒者に襲われて命を落とした。龍真自身も大怪我を負って、病院で目が覚めたのはその事件が起きてから一週間後だった。
犯人を知ろうにも姿を見ていないし、四年経った今でも捕まっていない。
「忘れるもなにも、俺は犯人を見ていない。そもそも知らないんだから、忘れようがないじゃないか」
『…………本当に覚えていないのじゃな。もはや滑稽にすら思えてきたぞい。仕方がない。自ら気付かせるつもりじゃったが、あの事件の犯人を教えてやろう』
影の男は龍真を指さし、静かに告げた。
『お主の家族を殺したのは他でもない………榊龍真、お主自身じゃ』
「なっ……っ!」
影の男の言葉を否定しようとしたとき、頭の中にある光景がフラッシュバックした。懐かしいフィンランドの祖父母の家。見慣れたリビング、廊下、キッチン……全てが一点を除いてそのままだった。
辺り一面に溢れ、跳ねたおびただしい血痕以外は。
「っ!……これは俺の記憶……か?こんな……………こんなの知らない!なんで俺の家が血まみれなんだ?どうして家に入っていない俺が事件の現場を覚えているんだ……」
『まだ思い出せんのか?家族を襲った覚醒者はお主だと言っておるじゃろう。覚醒したお主は持て余すほどに強大な自分の能力に飲まれた。そして暴走し、本能のままに家族全員を殺したのじゃ。体にあった傷は抵抗する家族に付けられたものじゃったかのう。その右目もじゃな。必死にお主を止めようとする家族を、お主は躊躇いなく殺したのじゃ。いい加減、真実を思い出せ!現実から目を背けるな!』
影の男の言葉を聞きながらも依然として、記憶の中を龍真はさまよっていた。勝手に足が動いてフラフラと廊下を進む。ふと足を止めて窓に目をやると、そこには血が滴る槍を持った血まみれの自分が映っていた。その顔や体には沢山の切り傷があり、返り血と自分の血が混ざり合って全身が赤に染まっていた。
「………俺が……みんなを殺したのか……爺ちゃんも婆ちゃんも、母さんも父さんも、虎徹まで?……俺は、ずっと自分自身を恨んでいたのか………」
自分の罪を忘れ、覚醒者を嫌っていた自分の滑稽さに笑いがこみあげてきた。
「………ハハッ、馬鹿じゃん、俺。自分がやったこと忘れて……存在しない犯人を四年間も恨み続けて、八つ当たりで覚醒者を嫌いになって。ホント、ダサすぎ。そりゃ殺されるわ。神様は許してくれないよな。自業自得だ……………」
膝を付き、大粒の涙が溢れる。影の男はうなだれる龍真に向かって告げた。
『確かにお主が事実を忘れ、知ろうともせんかったことは許されんじゃろう。殺人を犯したことも事実じゃしのう。じゃが、罪と向き合う気があるのなら、忘れず、目を逸らさず、償う努力をしろ』
「………つ、償う?」
『そうじゃ。償う意思があるのなら、儂の手を取れ。再びお主に力を授けよう。十五でそれなりのタッパをしておったから問題ないと踏んだ儂の浅慮にも問題はあった、一時的に預かっていた力をどう使うかはお主の自由じゃ。じゃが、間違うな。惑わされずに、自分の信じた道を進め』
そう言うと影は黒い小手に覆われた片手を差し出した。刺々しく、優しさなど微塵にも感じられないその手に、龍真はなぜか温かい希望を感じた。償わなければならない。そのために、今はまだ死ぬわけにはいかない。
ただ生きたいと、強く思った。
「俺は……生きたい。生きて自分の罪を償いたい。俺と同じような思いをする奴を一人でも減らしたい。それまで、俺と同じ思いをする人がいなくなる日までは、死んでも死にきれない!頼む、俺に力を貸してくれ!このままじゃ死ねない、死んじゃいけないんだ!」
龍真の答えに影は「分かった」とだけ告げると、影になって隠れていた顔が月明かりに照らされて浮かび上がる。そこには今まで泣いていた自分を慰めるような、優しい笑みを浮かべる隻眼の老人の顔があった。
第一部第二幕再開
龍真の腹に穴をあけた鬼は、苛立っていた。泣き喚きながら命乞いをするかと思っていた少年が一度も命乞いをせずに死んだ。惨めな姿を見せることなく、潔いと言えるような死に様を見せた。こんな綺麗な死を見たかったのではない。もっと泣き叫び、惨めに絶望を感じながら死ぬ瞬間を見たかったのだ。それなのに、
「……全く面白くない。これでは何のために嬲り殺しにしたのか解らないではないですか」
怒りを紛らわすように鬼が龍真の体を蹴り飛ばす。人形のように転がる龍真の体が土にまみれる様を一瞥し、龍真から背を向ける。
「今日はもう、帰りますか」
そう呟くと、鬼の体は一瞬で塵のように消え、中からは普通の人間の体が姿を現した。現れた覚醒者の普段の姿はありふれたサラリーマンそのものだった。スーツを着込んだその姿からは微塵も先ほどまでの凶悪な鬼の姿は想像できない。そして男は携帯を取り出して、どこかへ電話をかける。
「もしもし、ああ、パパだ。今日は早く仕事が終わったから、すぐに帰れそうだ。ああ、お土産もあるから、いい子にして待ってるんだよ。お母さんによろしくな。じゃあ」
そう言うと男は携帯電話をしまい、歩き出す。
「………………ぐっっ!」
突然背中に鈍い衝撃が走り、吹き飛ばされる。
「なっ!…誰だ!」
振り返ったそこには、殺されたはずの龍真が立っていた。しかし………
「…………なんですかその姿は?……先ほどまでは普通の少年だったはず………」
そこに立っている龍真は、まるで別人だった。
まず、髪の色が薄くなって灰色になっている。穿たれた筈の胸の傷は無くなり、大きく開かれたその眼には穏やかな性格の龍真のものではない、暴力を宿した狂気の目をしている。どこから出したのか、右手には銀色に輝く槍を握っている。槍は中世の騎士が持っているような大きな円錐形の激突槍だが、円錐形の途中からは枝のように両刃の剣が二本生えている。見方によっては三叉の槍ようにも見える。
その姿はまるで………
「覚醒者の体ってもんはすごい力が出るんだな。まあ、それよりもアンタに家族がいたことの方が驚いたけどな」
「……覚醒ですか、なんて運の悪い。まさか目覚めたばかりの覚醒者に出会うなんて」
男はそう呟くと、再び鬼の姿へと変身した。スーツの下から膨れ上がった筋肉が全身を包み、体の至るところから棘が現れ、一気に戦闘態勢と変わる。その時間はわずか一秒ほど。そうして龍真へと向き合おうと顔を上げると――――
「アンタには感謝しているよ。アンタに襲われなければ、俺は罪を償えないまま、一生罪を忘れて生き続けていた」
顔を上げたすぐ目の前に既に龍真の姿があった。十メートル以上距離があったはずだが、一瞬の間に龍真は音もなく鬼の覚醒者の目の前に移動していた。
「ぐあッッ!」
そして鬼の体は再び鈍い衝撃と共に吹き飛ばされる。
龍真の体重の三倍はあるはずの鬼の巨体が、龍真の蹴りによって軽々と吹き飛ばされる。信じられない筋力だった。鬼の体は吹き飛び、数本の木を薙ぎ倒してようやく止まった。鬼の覚醒者の体にはくっきりと龍真に蹴られた跡が残っている。
龍真は攻撃の手を緩めず、鬼に走り寄る。立ち上がった鬼の左腕を槍から生えた剣を切り上げ、切り落とす。
「があああああああああッ!」
左腕の傷口を抑え、鬼は膝をつく。龍真は中段蹴りで鬼の顔を水平に蹴り、反ったところで腹部に槍を突き刺す。大量の血が地面に流れ落ち、鬼の顔から血の気が引いていく。
「何故だ……そんな槍で……どうして俺の体を貫ける?……硬直……させれば、銃弾でさえ……通さないほどの硬さになる……この体を……どうして………?」
龍真は鬼の言葉に答えず、黙って鬼を見下ろす。鬼の体から槍を引き抜いて跳び上がると、落下の勢いのまま鬼の顔面に両膝を叩き込んだ。その衝撃で鬼の体が頭から地面に沈み込む。鬼の体を中心に小さなクレーターが形成されていた。すでに気を失っている鬼を見下ろしながら、龍真は告げる。
「終わりにしましょう。あなたの罪を償ってください」
独り言のように呟き、龍真の持つ槍の先が鬼に向くように掲げ、唱える。
「〈魔装〉クィラセ・カルスィトライエ・ホスティス・トゥイ・イン・ハスタ・フラクティカ、ヴィンセーレ・マーヌス、イアム・アド・エクストレマ・スイ、アニマ・イクスィム、ルックス・デイ、アド・トウティウス・ムンディ・ハスタム・ペネトレイムス『銀鏡霊槍』!」
言葉が終わると同時に、龍真の持つ槍の先から光が溢れ出し、光が槍を包む。龍真は左足で鬼の体を押さえると、心臓のある胸の中心へと槍を深々と突き刺した。
「ぐうッ!ぐああああああああああぁぁぁぁぁ!」
槍で貫かれた鬼は最後の力を振り絞り、残った右腕で槍を引き抜こうとするが突き立てている龍真は全く力を緩めようとしない。鬼の覚醒者が全快であれば力で龍真に負ける事は無い。だが今は片腕の上に負傷していて思ったように体が動かない。そして槍の刺さっている部分から鬼の体が少しずつ石化していく。まるで血液が全身に行き渡るかのように。
「次はもっと綺麗に生きてください。覚醒者なんて、なるもんじゃない」
鬼が完全に石化すると、龍真は槍を鬼の体からゆっくりと引き抜く。抜き終わると、槍は姿を消し、龍真は石化した鬼の体に踵落しを放った。大きな破壊音を伴って、石化した鬼の体は粉々に砕け散った。
そして砕けた男の体から赤い野球ボールぐらいの大きさの赤い球体が浮かび上がる。
「何だ……これ?」
この鬼の体をこのままにしてはおけないと思って破壊したが、まさか体の中から奇妙な球体が出てくるとは思いもしなかった。しばらく赤い球体を見つめていた龍真だったが、それを掴もうとした瞬間に茂みの中から黒い服に全身を包んだ男たちが現れた。
「っ!……ケルベロスのソルジャー……か?実際に見たことがないけど、そうだな?武器とか持ってるし」
男たちは何も答えずに龍真を囲んでいく。その姿は黒いレザースーツに黒いコートに黒い手袋、そして目の位置にだけ穴の開いた漆黒の仮面。まるで闇そのものを纏っているかのようだ。人数は十六人、それぞれの持っている物は違っているが、全員がショットガンやマシンガンなどの武器を装備している。ケルベロスが龍真を完全に取り囲むと、その中で一番小柄な人物がこちらに近づいてくる。そして足を止めるとゆっくりと仮面を外す。その下にあったのは、
「…………女の子?」
第一部第三幕
仮面の下にあったのはおそらく龍真と同じか、それよりも幼い少女の顔だった。
髪はフードの中に収められていて全体は分からないが、わずかにフードの陰から覗くその髪はつややかな闇色の黒髪だった。肌は月明かりのせいか、それとも生まれつきか、異様に白く見える。漆黒の髪とのコントラストが白い肌を余計に白く見せている。顔の造りは繊細で、誰が見ても美しいと言うだろう。未だに幼さは残っているが、確実に美人の部類だ。しかし、その眼には凛とした人を寄せ付けない冷たい炎が灯っている。
「貴様の目の前にある覚醒者の魂は私達、黄龍北海道札幌支部の〈ケルベロス〉が回収する。そして、貴様には私たちと共に支部に来てもらおう。ここにいる十六人の覚醒者全員から逃げられると思うなよ?」
少女の口調は完全に一方的だ。こちらには反論の余地が無いかのような口ぶりで、まるで見下されているかのような気分だ。こういう自分勝手そうな性格の人間は龍真は昔から反りが合わなかった。
……ムカつくなぁ。
「会って早々に投降しろ、か」
溜息を吐きながら龍真は彼女の言葉を反芻する。
「日本語が分からないなら言い直してやろうか?貴様はどこの国の人間だ?アメリカか?ロシアか?中国か?それともバカか?馬鹿の国の出身ならそう言え馬鹿」
この少女とは絶対に反りが合わないだろうと龍真は思った。
「初めて会う俺に対してずいぶんな口に聞き方だね?君、ケルベロスの何?君みたいな子供を駆り出すなんて、黄龍って人員不足なの?あと、これを回収してどうするつもり?」
目の前の少女に対し、龍真は諭すかのように話しかける。その間も右手には鬼の体から出てきた球体が握られ続けている。少女の眉間には微かに皺が寄っている。
「私の名はお嬢ちゃんじゃない、黄龍覚醒者対策チーム、通称『ケルベロス』第八部隊で隊長を務めている福南桔梗だ。貴様がデカいから子供に見えるだけで、わたしは充分大人だ。もう十九歳だし、今年で二十歳だ。その覚醒者の魂は、回収後に黄龍の魔術師たちの手によって浄化、封印される。覚醒者の魂はなかなか活動的でな、いつまでも放置しておくと次の宿主を探して彷徨ってしまう」
表情一つ変えずに桔梗は答える。だが言葉の中には微かに怒りが感じられる。
(コイツ、同い年だったのか。中学生くらいかと思った)
しかし、昔からよく言われていたからデカいと言われることに慣れているはずだったが、何故かこの子に言われると激しく勘に触る。
……やっぱりムカつくなぁ。
「封印……つまり手に負えなくて邪魔なのか、それなら手伝ってやるよ」
そう言うと龍真からは表情が消え、左手の中の魂を見つめながら何かを唱え始める。
「何をするつもりだ」
桔梗の表情が微かに曇る。
「クストーディ・イン・クリエント、『暴食の龍』!」
詠唱の完了と共に右手の魂が光を放ち―――
「なッ?消えた……?」
龍真の手の中に収まっていた魂は跡形もなく消え去った。いや、消えたように見えただけだ。実際は一瞬で龍真の体の中に吸い込まれていったのだ。驚愕する桔梗をよそに龍真は話し始めた。
「あの魂は俺が吸収した。これで何人か覚醒者の被害に遭う人は減ったはず。だが、まだまだ人を殺す覚醒者はのさばってる。俺はそんな覚醒者を全員始末する。死ぬことで罪を償ってもらう。まだケルベロスに捕まるわけにはいかない」
そう言い、左足を振り上げ、叫んだ。
「〈魔装〉フリギドゥス・ヴェントゥス・コンゲレイティオゥニ・イゴウ・ホステム『氷霊脚』!」
青い光が左足に集まり、龍真の両足の膝から下が氷で覆われた。それは溶けることのない絶氷の鎧、氷の具足だ。振り上げていた足を叩きつけるように下ろすと、地面が龍真を中心に凍りついていく。そしてその氷と狂気を纏ったまま、龍真はケルベロスのソルジャーに攻撃を開始した。
体制を低くして一気に正面の一人の目の前まで滑りながら距離を詰めると、鋭い上段蹴りを相手の胸に叩き込んだ。氷で強化された足の蹴りを食らったソルジャーは吹き飛ばされ、木に激突して地面に崩れ落ちた。蹴られた胸の部分は凍りつき、小さな氷片が零れ落ちる。そこに反撃しに来たのは五人、全員が刀で武装している。
龍真は切りかかってきたソルジャーの日本刀を氷霊脚で跳ね飛ばし、さらに横からの刀を上半身だけを動かして避ける。攻撃してきたソルジャーを蹴り飛ばし、周りのソルジャーたちの足を払ってその中の一人に踵を叩き込む。腕と背中で体を回転させ、そのままさらに四人を蹴り飛ばす。これで残りは桔梗を含めて十人。
ソルジャーたちは戦慄していた。いつもの暴走状態の覚醒者を捕獲するものと思っていたら、今まで捕獲してきた覚醒者たちとは段違いに強い。龍真は銃弾を避け、刀を止め、一撃で意識を刈り取る。しかも足場が凍りついているせいでソルジャーたちは思うように動けない。龍真は足の裏を自由に変化させることができる。スケートのように滑ることも、スパイクのようにして地面が凍っていないかのように動くことも出来る。そのアドバンテージはあまりにも大きかった。それからもソルジャーたちは次々と誰一人としてまともな反撃も出来ずに気を失った。たった一人、桔梗一人を残して。
「防具を付けてたから誰も死んでないだろ。だけど、これで力の差も分かっただろ?俺はこれから罪を犯す覚醒者を狩っていく。これだけの武器と人数で掛かってきて傷一つ付けられない連中には、俺を止めることは不可能だよ、お・じょ・う・さ・ん?」
桔梗の顔を見ながら、龍真はさらに続けた。
「戻って本部に報告しな。誰一人手も足も出ずに負けた。何もできなかった、と。そして俺にはもう向かってこないほうが賢明だ」
話しながら龍真は桔梗を指さしながら近寄る。
「今回は殺さなかったが、これからも俺の邪魔をするようなら、次からは容赦しない。一人残らず殺す」
そう言うと同時に龍真は桔梗との距離を一気に詰め、桔梗に腹に蹴りを入れるが、桔梗は直撃の瞬間にそれを両手で受けて後ろに飛び、衝撃を和らげる。
「なめるな!ただの飾りの隊長だとでも思ったか?馬鹿め!私は実力で隊長になったんだ。普通の女だと思うなよ?このゴボウ野郎が!」
そして桔梗は龍真に反撃する。空手の有段者の桔梗の攻撃は確実に龍真に直撃しているが、全く効いた様子はない。
「なかなか強いみたいだけど、一発が軽いな。こんなんじゃ俺は倒せない。覚醒者の力を取り戻したことで、俺の体は魔力で強化されているみたいだしな」
そして龍真は桔梗の頭を狙った跳び回し蹴りを避けて、着地の瞬間の無防備な両足に強烈なローキックを入れる。転倒した桔梗は再び戦おうと起き上がろうとするが、両足が痺れて動かず、立ち上がることができない。
「まっ、まだ終わりじゃない。私は隊長だ、負けるわけには………」
まだ戦うつもりでいる桔梗に呆れ、龍真は嘆息する。
「強情だな」
そして立ち上がれずにしている桔梗の足を氷霊脚を纏っている左足で踏みつける。
「ううっ!」
痛みにこらえる桔梗を気にせず、龍真は氷霊脚に魔力を込める。氷霊脚の氷が桔梗の足を包み、桔梗の動きを完璧に動きを封じる。その氷は徐々に凍結範囲を広げ、最終的には両足が凍り付けになった。
「お前の負けだ。俺はこれから好きにさせてもらう。人を殺す覚醒者は、一人残らず俺が殺す。覚醒者は人間じゃない。ただの……………怪物だ」
そう言い残して龍真は闇の中に姿を消した。龍真の去った後、体を包む氷を砕きながら、桔梗の目からは涙がこぼれ、嗚咽が溢れ続けた。
第一部第四幕
龍真と桔梗の初対面から二週間が過ぎ、六月も中盤に差し掛かろうとしていた。黄龍が確認しただけでもこの数日で龍真の被害者は三十人を超えていた。
彼らは全員が黄龍で監視を続けていた覚醒者で、覚醒以前に犯罪歴のある元凶悪犯だ。彼らの魂は全て龍真に吸収されてしまった。覚醒者の魔力を感知し、現場に到着した頃には毎回手遅れだった。
粉々に砕かれた覚醒者の体と、その覚醒者に襲われた被害者だけが残っているだけ。なぜか、龍真の魔力は黄龍の魔力感知の包囲網をかいくぐっている。相手の覚醒者が能力を開放して通常よりも大きな魔力を発しない限り、龍真を見つけることは出来ないのだ。
龍真は覚醒者が発生させている魔力を感知し、見つけては監視、人を襲えば狩る。そんな手法で狩っているようだった。
確かに龍真は、好きに襲うと言ったが、あまりにも多すぎる。本当に覚醒者を襲い続けている。ネットでは覚醒者を狩る存在『ハンター』が現れたと騒がれ、ニュースでは毎日石化になぞらえて『石化事件』と言って、覚醒者狩りのニュースが報道されている。
そしてこの事件は、桔梗の予想を遥かに上回る影響力を見せた。龍真の覚醒者狩りのニュースが流れる一方で、この機会に乗じて、ニュースの特番で
【北海道で三〇人の覚醒者が何者かに襲われ死亡、警察や黄龍はどう動くのか】
などというタイトルで、これまでにあった覚醒者の起こした事件を振り返るようなものまで放送された。覚醒者の危険性がこの事件を境に再び湧きあがった。被害者の関係者からは苦情が殺到しているようだが、それでもこの特番の視聴率は四十%を超えた。日本中が『石化事件』に注目しているのだ。
しかし、龍真は覚醒者を狩っているが、それは間接的に人命救助にもなっている。そこが厄介だった。覚醒者に殺されるところを龍真に助けられた人も少なくない。その生存者たちは黄龍に龍真を殺さないでほしいという内容の電話を掛けてきていて、殺すか殺さないかの二つの選択に黄龍は板挟みになっていた。だが、どの道このまま龍真を野放しにしていると黄龍の沽券に係わる。これ以上龍真の好きにさせるわけにはいかなかった。
黄龍のオペレーターが慣れない苦情の対応に追われる中、桔梗は龍真のこれまでの行動の経緯から捜索方法を考えていた。
「………なぜ魔力が感知されない?………覚醒者であれば、常にその体には魔力が巡っている。能力を開放しているはずなのに、どうして…………」
モニターを睨みつけながら桔梗は何度も唸っている。その姿は猛獣が静かに威嚇しているようでとても近寄りがたく、怖い。
「いつになく悩んでるね、桔梗。一度休憩したほうがいいよ。お茶飲む?」
そう言いながら急須を持った眼鏡の男性が近づいてくる。細身な体にくたびれた服と白衣を着た、いかにも研究者か科学者という格好をした男だ。顔には無精ひげを生やし、髪もぼさぼさに伸びている。背はあまり高くなく、猫背になっているせいで桔梗よりも少し小さいように見える。だがこの男、見てくれはこんなだがこれでも黄龍北海道札幌支部で最高の頭脳を持っている稀代の天才なのだ。
「兄さん、いい加減にその恰好何とかしてくれない?せっかく黄龍北海道総合魔力研究チームの主任を任されたんだから、覚醒者や魔力や能力だけじゃなくて、ファッションも研究したら?私はお茶じゃなくて、コーヒーがいい」
「はいはい、コーヒーね」
男――福南桃李はボサボサの髪をガリガリと掻きながら面倒そうに唸る。
「そっちこそ、いい加減に諦めたら?僕は研究以外にさしたる興味は無い。綺麗な格好をしてもすぐに元に戻るのは桔梗もわかってるだろう?ああいう格好は維持するのが面倒なんだよ。それに格好だけで人は判断できないものだよ。人間に大切なのは心だよ心。ハァートが大切なんだからさ。桔梗ももう少し柔らかくなれば、引く手数多なのになぁ」
これまでに桔梗は何度も兄の桃李に身なりを正せと言い、最初は桃李も可愛い妹が言うのだから、と従っていた。しかし、一週間とたたずに元に戻ってしまうのだ。それからというもの、何度注意しても話をはぐらかされている。
「ほっといてよ」
桔梗の言葉を聞き流し、お茶とコーヒーの準備をしながら桃李は話を続ける。
「僕の格好はどうでもいいでしょ。それよりも重要なのは今起きている覚醒者狩りを止めること。ネットじゃ『石化の魔女』とか呼ばれて話題になっているけど、これは立派な覚醒者による殺人だ。このままにしておけない。その例の青年との戦闘の映像、僕も見たんだけど本当に驚いたよ。これほどの多彩な能力と強力な魔力を持ちながら、どうやって今も隠れているんだろうね」
覚醒者は自分の能力に目覚めると、黄龍への申告義務が発生する。申告を拒む者もいるが、自らが放つ魔力で存在が知られてしまう。完全に隠れることは普通であれば不可能。
「これ程の力を持った覚醒者なんて、黄龍の中でも麒族や大帝ぐらい。きっとランクもAの上位クラスか、もしかしたら二人目のSランクかもしれない。そんなのと戦闘になって、よく生きて帰って来れたよね。怪我は負わされたけど」
覚醒者の強さを黄龍では上からS、A、B、C、D、Eとランクをつけている。桔梗も桃李も覚醒者で、桔梗はAランクの覚醒者、桃李はBランクの覚醒者だ。麒族は全員がAランク以上の覚醒者で構成された黄龍の精鋭戦闘員だ。そして麒族の上に立つ最強の覚醒者が、世界に10人といないSランク覚醒者、日本では『大帝』と呼ばれる蜂空玲斧だ。
「ほんと、捕まえたら容赦なく実験台にしてやる。僕の大事な妹に怪我を負わせた罪は重いってこと、嫌ってくらい思い知らせてやる……」
そう言いながら桃李は桔梗の体に目を向ける。二週間でほぼ完治したが、体にはまだ龍真と戦った時の傷があり、両足には蹴られた時の痣が今でも痛々しく残っている。可愛い妹の大切な体に傷をつけた男、桃李にとって龍真は既に極悪の犯罪者だ。一人で黒くなりながら龍真をどんな実験にかけようか考えている兄を、桔梗は軽蔑するような目で見ている。だが当の本人の桃李は全くその視線に気付かない。
「兄さんだって、そのシスコンさえなければ引く手数多なのにね」
兄を想う桔梗の一言も今の桃李には届かない。桃李は話を戻して言う。
「ソルジャーの皆も誰ひとり亡くならなかったよね。全員重傷ながらも、命に別状はないとか。本当によかったけど、それってつまり手加減されたってことだよね?力を押さえた状態であれほどの力を持った覚醒者を、北海道支部のケルベロスだけで拘束するのは荷が重すぎるよ。やっぱり、麒族に応援要請した方がいんじゃないか?コーヒーできたよ」
「ありがとう。私もそう思って仮要請はしたけど、一人しか受諾しなかった。しかもあの最悪の麒族、神森爪哉だけ」
神森の名前が出た瞬間、お茶をすする桃李の手が止まる。桔梗はため息をつき、モニターに視線を残したまま、コーヒーを飲みながら続けた。
「この映像を本部に送れば、他の麒族の一人や二人、作戦を中止させてでも手配してくれると思うんだけどね。なんだか不甲斐無くて送る気にならないし、北海道支部のケルベロスの評価もガタ落ちになると思う。このコーヒー熱い」
「気をつけなよ、火傷したら大変だ。確かに彼―――ええと……榊龍真君、だっけ?彼の能力はあまりにも異質だ。魂を吸収したり、槍を出したり、氷を纏ったり。今までの覚醒者は同系統の魔術を応用することしかできなかったのに、これ程に様々な魔術を使う覚醒者は前代未聞だ。これが仮に魔法使い(ウィザード)や魔女の能力なら少々納得はできるけど、そうだとしても槍を使って戦う魔法使いなんて聞いたことが無い」
普通の覚醒者は一つの力しか持たない。だがその分バリエーションが幅広いのだ。火を操る事が出来るのであれば、炎を吸収することもあれば、体を炎に変えることも出来る。物質の温度を上げたり、逆に熱を吸収することも出来る。
だが明らかに龍真の能力には統一性が存在しない。魔力のことに関しても、この能力の多様性に関しても、龍真は異質だ。
「まあ、僕たちが知っている伝承や昔話等々の能力の特定に使われている物が正確かどうかも判断できないものだからね。ねじ曲がっていたり書き足りていなかったりしても、不思議じゃないんだよ。で、どうするの?麒族召集するの?僕たちだけじゃ大変すぎるよ?」
桔梗の横に立ってお茶を飲みながら桃李は尋ねる。作戦の決定は部隊長である桔梗に一任されている。桔梗の判断ひとつで作戦の行方が決まってしまうのだ、慎重になるのも無理はない。しかし桔梗は答えない。考え続けている桔梗に桃李は話し続けた。
「でも映像を送ったら、本部は必ず拘束しろって言ってくるだろうね。本部の研究員たちにとって、これ程に興味を惹かれることはないだろう。僕自身かなりの興味がある。でも無茶だ。大帝の蜂空玲斧がいた三年前ならまだしも、戦闘系の能力を持った覚醒者のいない今の北海道支部に、そんな戦力は残って無い」
弱気な桃李の言葉に桔梗は食ってかかる。
「確かに、蜂空さんが居なくなってからの北海道支部の戦力は低下した。戦闘に出ることのできる覚醒者を私達は確保していないし、失敗も増えた。だからこそ、今回の作戦は絶対に成功させなければいけないと思うの。だからこれから本部に連絡を取って、神森爪哉を正式に招集しようと思う」
桃李は驚きを隠せなかった。言った桔梗でさえ、唇を強く噛んで怒りを堪えている。
「神森を?………本気か?……信じられないな。あいつは何かと問題が有るんだぞ?僕自身、あいつは好きになれないし、お前もそうだろう。本当に召集するのか?」
「背に腹は代えられないし、やるしかない。榊龍真のあのスピードに対抗可能な覚醒者は、いくら麒族でも神森ぐらい。確かに、私もあいつを呼ぶことに不満はある。でも今は、榊龍真の拘束が最優先事項だもの。好き嫌いなんて個人の問題なんかでこれ以上被害者を増やすわけにはいかない」
桔梗は苛立っていた。あの実力を見せられたからといって、引き下がる訳にはいかないのだ。しかし、引き下がれないからと言っても、神森だけには力を借りたくなかった。
神森はかつて東京で覚醒し、その能力を使って殺人を犯した覚醒者なのだ。本来なら能力を使って殺人を犯した覚醒者は即逮捕、魔術師たちによって能力を引き剥がされたあとに刑務所に送られる。
だが、後に『嵐狼』と呼ばれるほどのその凄まじいスピードと戦闘センスを買われ、神森は黄龍本部に麒族に任命され、覚醒者を討伐している。
ただ、神森は普段の行動があまりにも荒すぎて、他の麒王や黄龍の構成員からも遠巻きにされているような人物なのだ。喧嘩は日常茶飯事、正直に命令を聞くことなど稀で、命令違反で何度も拘束されている。他の麒族と些細な言い争いから戦闘になったこともあり、相手の麒族は全治半年の大怪我を負った。
それでも現在も麒族を続けられるのは、覚醒者の捕獲数が蜂空に次いでダントツに多いからなのだが、戦った覚醒者はよくて重傷、悪ければ死亡。魂も残るかどうか判らないほどに暴れる戦闘狂だ。今回の申請を承諾した理由も、
「とても強い覚醒者が北海道に現れた」
という噂を聞いたからだった。常に自分よりも強い覚醒者を求めて行動している神森は、獲物を探し回る狼そのものだった。
実力に問題はない。捕獲することができる可能性は十分にある。それが分かっていても、桃李は納得できなかった。
「確かにあのスピードは麒族の中ではトップクラスだけど、彼以外にもスピードが武器の麒族は何人もいるだろう?どうして他の麒族達に頼まないんだ?」
「今まで襲われた覚醒者は全員に犯罪歴があって、襲われた日も何かしらの犯罪行為中に襲われている。だから榊龍真は罪を犯した覚醒者だけを狙う。それが彼の中では絶対条件になっているんだと思う。それなら、そこら辺の覚醒者では食いつかない。神森は全国ニュースで事件が報道されたほどの罪を犯した覚醒者。彼もきっとニュースで聞いたことはあるはず。絶対に食いついてくる」
そう言って桔梗は桃李に空になったマグカップを渡し、オペレータールームの通信回線を開いた。神森の承諾を承認し、通信を切って自分の部屋へと戻った。昨日からずっと龍真の戦闘の記録を見返していたので、眠気が津波のように押し寄せてきていた。神森が到着するまで寝てしまおう、あれが来れば覚醒者狩りの騒動も収まる。そう安心してベッドに潜り込むと、五分とたたずに深い眠りに落ちた。
そして次の日の昼、桔梗と桃李は空港に来ていた。桔梗はまだ車の免許がないので、桃李に車を出してもらっていた。無論、神森爪哉を北海道札幌支部まで連れて行くためだ。目を離したらどこで何をするか分からないような奴だ、過保護なくらいがちょうどいい。
そして待つこと一〇分、東京からの飛行機が到着し、搭乗口から見るからにホストであろう派手な格好をした金髪の青年が桔梗たちに近づいてくる。
「よう、桔梗ちゃん。久しぶりだな。また会うだなんて思いたくもなかったがなぁ。んで、どうしてシスコン研究員がここにいるんだ?」
男はサングラスをかけたまま、視線を桃李に移して言った。
「誰がシスコンだコラ!麒族だからって調子に乗ってると、報告書捏造して刑務所行きにすんぞ?それぐらい簡単なんだ。調子に乗るな!」
食ってかかる桃李を見下すその目からは、サングラス越しでも桔梗と桃李に対して不機嫌であることはすぐに分かった。
(熱くなるな。冷静になれ!こんな奴の言葉に振り回されてたら隊長失格だ)
桔梗は平静を装ってあらかじめ用意しておいた言葉を思い出す。自分の感情を殺して臨まなければ今回の騒動は収束しない。怒りを押し殺して桃李を押さえながら、桔梗は神森に対応する。
「兄にはドライバーをお願いして、ついてきてもらった。今回は、わざわざ仕事を休んでまで来ていただき、感謝する。これから札幌支部に戻り、今回のターゲットについての情報を伝える。今までの覚醒者とは違い、おそらくその強さは麒族のトップランカーに匹敵すると思われる。車へ案内する、付いて来い」
神森の言葉に噛みつくことはせず、とにかく支部に連れて行くことを最優先に行動する。これだけを考えて行動するつもりだったが、
「はあ?今すぐだなんて冗談だろ。俺はこれからダチと会うんだよ。どうせそいつは夜にしか出て来ねえんだろ?だったら夜まで遊んでたって問題ないだろ。そういうことだから、札幌駅まで車出せ」
桔梗は信じられなかった。普通、覚醒者を拘束する場合には事前にその情報から作戦を構築し、ケルベロスのソルジャーを配置し、トラップを仕掛けることは常識だ。しかも今回のターゲットは普通ではない。そのためのミーティングはとても重要だというのに、この馬鹿はそれを早々に放棄した。そんなことをさせてはならない。桔梗は即座に反論する。
「しかし、今回の覚醒者は今までにないほどの戦闘スペックを誇っていて、覚醒後すぐの状態ですでに数種類の魔術を行使し、この二週間で三十人もの覚醒者を襲撃、殺害している。イレギュラーなこの覚醒者を捕獲するには、いくら麒族の貴様といえども相応の作戦と準備が必要だ。早急に支部へ急行し、作戦会議を行うべきだ」
桔梗の言葉に桃李が便乗する。
「そうだ、わざわざ桔梗が迎えに来てくれたんだぞ?もっと喜べ、そして従え。ホスト風情が、迎えに来てもらえるだけで充分ありがたいと思え」
そうしなければ勝てないほどに強いということを伝えれば、考え直すだろうと桔梗は思っていた。しかし―――
「俺様は麒族で、しかも超イケメンだからな。それぐらいの対応は当たり前だっつの。それに作戦なんてもんは弱い奴が使うもんだ、俺には必要ねぇ。俺は強いからな。今までも作戦なんて面倒なもんは使わねえで勝ってきた。分かったか?作戦なんていらねぇよ。お前らはただ俺が勝つまで待ってればいいんだ。分かったらさっさと車出せ!」
通じなかった。どれほど自分の力に自信を持っているのだろう。この男、本当に麒族なのか?他の麒族や黄龍の人間に嫌われるのも無理はない。
「………わかった。午後八時に札幌駅周辺で全力で魔力を開放しろ。それに吊られてターゲットが現れるはずだ。ターゲットが現れたのを合図にこちらで勝手に作戦を開始させてもらう。野次馬はこちらで引きつけておく。今回の対象、榊龍真を発見次第、戦闘を開始しろ。今までは殺すなと言われたかもしれないが、今回は本気で殺しにかかれ。中途半端に手を抜くと貴様が殺されるぞ」
「んだよ、この俺が負けるとでも思ってんの?俺は麒族!誰にも負けねぇよ」
神森の言葉を桔梗は鼻で笑って切り捨てる。
「それがターゲットに会ってからも言えればいいな。戦闘が始まってからこんなの聞いてないと言っても遅いからな。兄さん、車を出してください」
「何度言わせんだ。八時になったら魔力を出して、デカい灰色の頭した野郎をぶっ飛ばせばいいんだろ?楽勝だっての!」
神森を車に乗せ、桃李はススキノへ向かって車を出した。
神森をススキノに送り出してすぐ、桔梗は支部に戻って戦闘の準備に取り掛かった。龍真を札幌駅周辺に留めるために、桃李が開発した小型の魔力発生装置を駅周辺に五基設置。点滅信号のように時間差で起動させ、他の覚醒者に被害が及ばないようにして龍真を出し抜く。神森が戦闘を開始する前にソルジャーを配置。とっておきを全員に装備させて、龍真の隙を待つ。抜かりはない。さらに、もしものための秘策も用意してある。
準備は万端だ。ただ一つの不安はやはり、神森だ。あの自由奔放すぎる麒族の行動ひとつで今回の作戦が成功するかどうかが決まる。どれほど準備をしてもその不安だけは拭い去ることができない。そして日は沈み―――
『謎の覚醒者・榊龍真捕獲作戦』が開始した。
第一部第五幕
電波塔の上から札幌の街を見下ろしながら、龍真は物思いにふけっていた。時間は夜の八時に差し掛かったところ。
再び覚醒してから二週間が過ぎた。何人もの覚醒者を狩って、使命を果たせていると思う。だが同時に、何か間違っているのではないかという疑問も抱いていた。人を殺す覚醒者は自分も含めて悪だ。自分はそれを狩って世界を守る、間違ってなどいない。そう思いたいが、何かが心の隅で自分を責める。人を殺してはいけない、それなら人を殺す覚醒者は悪だ。しかし、今こうして考えている間にも次々と覚醒者は生まれている。終焉の見えない戦いに身を投じていることも、自覚している。どうすれば最善なのか、いくら考えてもわからなかった。
「……結局、俺は何がしたいんだろう。終わらないなら、気にしなければいいじゃないか。どうして自分の使命だなんて思ったんだ……」
一人つぶやくが、それに答えてくれる者はいない。寂しいな、溜息と共にそんな言葉が溢れる。何が正しいんだろう?
わからないワカラナイ、分からない、解らない、判らない……………………
どうしようもない虚無感を抱えながら、狩りのためにゆっくりと腰を上げた。目を閉じて、感覚を研ぎ澄ます。魔力を感知する感覚―龍真は『魔覚』と呼んでいる――を研ぎ澄ます。駅の周辺に強い魔力を感じる。数は五、だがどれも長く続かない。
(………怪しいな)
ふと、あの生意気な少女を思い出す。彼女の作戦だろうか?普通、覚醒者が何度も変身しない。考えても仕方ない。確認のために、龍真は札幌駅へと向かう。邪魔をするなら容赦しない、そう言えば人を殺さずに済むと思った。あれだけ力の差を見せられればもう向かってこないと思っていたが、来てしまったようだ。
有言実行はする。容赦はしない。そんなことを考えながら、龍真は魔力の発生源を目指してビルの上を進んでゆく。
一つ目の発生源は札幌駅構内のカフェからだった。店員と、数名の客がいる。龍真は彼らに向かって魔力を放出した。覚醒者なら必ず反応するはずだが、誰も反応しない。
「ハズレ………か?」
そしてカフェの中の誰も座っていないテーブルから魔力を感じた。調べてみると、テーブルの裏に小さな機械が張り付けられていた。手に取ってみても手のひらに収まるような小さな機械だ。そこからはごくわずかだが魔力が感じられた。
どうやらブラフを掴まされたらしい。魔力を発生させる装置を使って、俺を誘い出すつもりなのか。それならここ以外の四つの魔力もブラフ。だが、おびき寄せたのなら、確実に本命があるはずだ。それはどこだ?
本命の捜索をするためにしばらく駅構内をうろついていたが、どうにも自分の体は目立つ。背が高いうえに、灰色に染まってしまった髪が異様さを引き立てている。人の多い場所が好きではないせいで、余計に虫の居所が悪い。もう今日は帰ろう。そう思って駅を出たとき、背後から全身に叩きつけるかのような強力な魔力を感じる。はっとして振り返ったそこには、ホストのような男が立っていた。
「よう!てめえが噂の覚醒者を狩っている『ハンター』様か?本当に灰色の頭してんだな、マジ、超ウケる。まあ、俺が嬲り殺しにしてやるからせいぜい楽しませろ」
サディスティックな笑みを浮かべる神森爪哉が立っていた。
「本気で殺しにかかれ。今回の作戦の目的はターゲットの捕獲だが、易々と捕まってくれるほどぬるい相手じゃない。手足の一本や二本は構わない。まあ、貴様がそれをできればの話だがな。いくら馬鹿な貴様でもそれぐらい分かるだろ?」
神森の抹殺宣言にインカムを通じて会話を聞いていた桔梗は確認を促す。神森は麒族だ。素行に問題があると言っても、その実力は本物だ。だがケルベロスのソルジャー十数名を無傷で沈黙させた龍真の実力も相当だ。
「誰が馬鹿だ。ちんちくりんがいい気になってんじゃねえよ。相手の実力ぐらい俺でも分かるわ!さっさと終わらせてキャバに戻る。ちっと黙ってろよ」
インカムに向かって暴言を吐く神森を龍真は静かに見ていた。相手の力を見定めているような、そんな目だ。
「あんたも黄龍の人間か……また変なやつを送り込んできたな。黒い連中の次はホストか……本当に黄龍は人手不足なのか?まあ、それなりに強いみたいだな。だが俺は罪を犯した覚醒者以外は狩らない。あんたみたいな見ず知らずの覚醒者は俺の獲物にはならない」
龍真の言葉に神森は眉をひそめる。
「あぁ?てめぇ、俺様を知らねぇのか?ニュース見てなかったのか?神森爪哉って名前ぐらいは知ってんだろ」
その名前を聞いた瞬間、龍真の脳裏に高校時代の記憶がよみがえる。友人が最近話題になっている連続殺人犯の覚醒者が捕まったと言っていた。確かその名前が………
「神森……爪哉……東京で無差別に二十人を殺したあの神森爪哉か?」
何年か前にニュースで話題になっていた大量殺人を起こした覚醒者。まさかそんなヤツが生きているとは思わなかった。
「どうした?驚いた顔して、もしかして俺が死んだとでも思ったか?バーーカがぁ!誰が死ぬかよ。俺は黄龍に生かされたんだよ。大きな戦力になるって言われてなあ」
一人でげらげらと笑う神森を見て龍真は確信した。この男は人の命を何とも思わない人間だ。そうでなければこれほど愉快そうに笑うことは出来ない。
「つか、今は俺の話なんてどうでもいいんだよ!俺はてめぇをボコれって言われて、仕事だからってわざわざ北海道までこの俺様が来てやったんだ、感謝してせいぜい頑張って俺を楽しませろ」
そう言うと、神森は上着を脱ぎ捨てて上半身裸の状態になり、戦闘状態へと体を変える。体中から黒い体毛が生え、爪が鋭くなり、頭が狼のそれへと形を変える。金髪だけがそのまま残っているので、金色のたてがみを生やした狼のようにも見えた。
「かッ、覚醒者だ!覚醒者が暴れてるぞ!」
変身した神森の姿に驚いたのか、近くにいた男性が絶叫しながら逃げていく。その声に触発されたのか、周囲の人間も恐怖の声を上げながら逃げていく。今の時代では覚醒者は珍しくないが、ここ最近の『石化事件』のせいで覚醒者に敏感になっているのだろう。
「大量殺人犯を戦力に使った?………こんなに大きな罪を背負ったやつを、生かしておいたのか?………こんな……こんなクズを……許さない。お前の罪を償って死ね!」
神森を睨みながら龍真は叫び、足を振り上げて唱える。
「〈魔装〉フリギドゥス・ヴェントゥス・コンゲレイティオゥニ・イゴウ・ホステム『氷霊脚』!」
足に氷の鎧を纏い、地面が凍りつく。その光景に驚いている神森に一気に蹴りかかる。頭めがけて回し蹴りを放つが、神森は易々と龍真の蹴りを受け止める。
「何っ?」
蹴りを止められ、驚いている龍真に神森はその鋭い爪を振り上げる。
「ぐっ!」
とっさに後ろへ飛んで避けようと試みたが、わずかに肋骨の下を切り裂かれる。驚くべきスピードだった。自分以上のスピードを持っている者に会ったのは再覚醒してから初めてだった。しかもあの爪は、魔力で強化してある龍真の体を易々と切り裂いた。
「………驚いたな。俺と同等のスピードを持ち、それに加えてとてつもない切れ味の爪。侮っていたら俺がやられちまう」
気を引き締めて神森を見る。神森は爪に付いた血舐めながら笑っている。
「俺も俺のスピードに張り合えそうなやつに会えたのは久しぶりだ。楽しませてくれよ?」
そう言うと神森はまた一気に距離を詰める。地面は凍っているが、神森の足には手と同じように鋭い爪が生えていて、龍真の足裏と同様にスパイクの役割を果たしているようだ。これでは機動力を削ぐことは出来ない。
神森は両手の爪を振りかぶり、下から龍真の脇を切り裂こうとする。それを右足で蹴り返し、ひじ打ちで距離をあけ、左足の回し蹴りを神森の肩へと叩き込む。流れるような動きに神森は反応できていなかった。
「ぐうッ、さすがに何体も覚醒者を狩っていただけのことはあんな。動きが速ぇ。だが……俺の方がもっと速いぜ!」
神森は立ち上がり、体勢を低くする。そして龍真の目の前から神森の姿が消えた。
「なっ………消えた?」
さっきまで目の前にいたはずの神森の姿がなくなっていた。霧のようになくなってしまったのだ。だが、気配はまだある。姿だけがどこにも見当たらない。
「…………………………ぐあッ!」
突然右肩に重い衝撃が来る。肩を見ると、脇腹を切り裂かれたときと同じように肩が切り裂かれていた。そして腕に背中、足と全身が切り裂かれていく。
「ヒャッハァ!どうだ!『嵐狼』と呼ばれるまでのこの俺様のスピード。そしてそのスピードから繰り出されるこの爪の切れ味は。視界に残像すら残さないほどの高速移動を使った全方位からの不規則攻撃。もう終わりだなあ!」
ここから神森の独壇場になると思われたが、神森の高速攻撃が龍真に当たっていたのは最初の数回だけだった。それ以降の攻撃は、すべて紙一重で回避されていた。
「…………よッ、避けるのは上手いみてぇだな。だが、いつまでそうしてられるかなぁ!」
イライラしながらも攻撃を続ける神森だったが、それからも龍真の体を神森の爪が切り裂く事は無かった。
「最初は感心したけど、目が慣れてから気づいた。アンタはそのスピードに自分自身の制御が効かず、攻撃が単調になって予測ができる。少しは面白かったけど、遊びは終わりだ。沢山の命を奪ったその罪を償え!」
龍真が襲い掛かって来る神森の腕を掴み、そのままのスピードで背負い投げの要領で地面に叩き付けた。
「ガハァ!」
神森の口から鮮血が溢れる。いくら覚醒者の体が魔力で強化されているといっても、高速でコンクリートに激突すれば、その衝撃は計り知れない。
龍真は神森の腕を掴んで無理矢理立たせ、強烈なボディーブローを叩き込む。腹部を押さえて神森が膝をつく。龍真は神森の腹を蹴りあげて空中に跳ね飛ばし、自分も後を追うように跳び上がる。神森に追いつき、回し蹴りを神森の腹部に直撃させ、真横に吹き飛ばす。神森は隣のビルの屋上の貯水槽へ激突し、大量の水と共にコンクリートの上に倒れた。
龍真はすぐに後を追い、貯水槽から漏れ出した水に氷霊脚を纏った左足を付ける。氷霊脚から溢れ出す冷気は貯水槽の水を一気に氷へと変えた。全身に水を被ってしまった神森は、溢れた水ごと体が凍り、自由を奪われた。必死に氷を砕こうとしているが、魔力で作られた氷の硬さは普通の氷のそれとは一線を画している。恐らく、鋼を砕くほどの力が無ければこの氷の牢からは逃れられないだろう。
「待っていろ、今、楽にしてやる」
右手を振り上げ、魔力を込めながら詠唱する。
「〈魔装〉クィラセ・カルスィトライエ・ホスティス・トゥイ・イン・ハスタ・フラクティカ、ヴィンセーレ・マーヌス、イアム・アド・エクストレマ・スイ、アニマ・イクスィム、ルックス・デイ、アド・トウティウス・ムンディ・ハスタム・ペネトレイムス『銀鏡霊槍』」
龍真の右手に光の球体が現れ、球体は白銀の長槍へと姿を変えた。月の様に淡く輝き、神々しささえ感じさせる槍だ。槍を手に龍真は神森に近付く。神森は怯えた表情で必死に氷牢から脱出しようとしているが、氷の牢はびくともしない。
「ま、待ってくれ。とッ、取引だ、取引をしよう。俺は東京で黄龍の麒族をやってる。黄龍の中でも精鋭の麒族って称号だ。アンタにもその称号を与えるように黄龍に掛け合う。どうだ、魅力的な話だろ?だから俺を殺さないでくれ。ここで俺を殺しても何のメリットもない。頼む、見逃してくれ!」
それは神森のできる最大限の交渉だった。麒族と言う至高の称号は誰もが望むものだ。手に入ると言えば殺されない。神森は本気でそう思った。だが、
「俺は名誉なんかに興味はない。貴様を殺すのは、貴様が人殺しで気に食わないからだ」
神森を見下ろす龍真の目は普段の青い瞳ではなく、闇のような漆黒の輪に覆われた銀色の瞳だった。まるで暖かさの感じられない冷徹な瞳を龍真はしていた。
そして龍真は槍を神森の心臓めがけて突き出した。だが、槍が神森の心臓に届く直前に龍真の背中に何かが刺さる。引き抜くと、それは猛獣に麻酔を打つ時に使われる注射器だった。中に入っていた液体は、既に体の中へと入ってしまったようだ。
「麻酔で眠らせて捕獲する作戦か。無駄だ。俺の体は魔術の結界で守られている。普通の毒や薬はすぐに解毒されて無意味……なっ?」
龍真の視界が眩み、足がふらつく。どれだけ大量の麻酔を撃たれても効く筈がない龍真の体には、明らかな変調が起こっていた。
「……なっ、なんだ?体に力が入らない………麻酔に何か変なモンを混ぜたな。だがこれぐらいで大人しくするほど俺は従順じゃねえ!」
注射器を踏み潰し、再び神森にとどめを刺そうとした時、龍真の足から力が抜け、膝を付き、槍を握る手にも力が入らずに静かな闇夜に甲高い金属音が響く。何とか立とうとするものの、足がまるで自分のものでは無いかのように重く、言うことを聞かない。時間が経つほどに体から力が抜けていく。
「確かに普通の麻酔は効果が無いだろうな。だが、もしこれが普通の麻酔ではないとしたら………………どうだ?力が入らないだろう。私の兄が開発した覚醒者専用の特殊麻酔薬『スコルピオン』だ。麻酔の中に妨害魔術を施した聖水が入っている。普通の覚醒者なら一本で昏睡する代物だ。いくら規格外の貴様でも、普通ではいられないだろう?」
重い顔を上げると、目の前にはあの生意気な少女が、桔梗が立っていた。その横には銃を構えたケルベロスの隊員が何人も立っている。構えられている銃の銃口には龍真の背中に刺さった物と同じ注射器が付いている。
魔術を施した特製の麻酔薬…………予想以上の効果だった。覚醒者用の麻酔があることは予想していたが、ここまで強力なものだとは………
確かに効果はあったが、耐えられないほどではない。彼女を襲うことは出来なくても、神森にとどめを刺すことはまだ可能だった。
「見くびるな!たかが麻酔一本にこの俺が屈するとでも思ったか!」
再び神森にとどめを刺すために槍を拾おうと試みるが、それを拒むように龍真の背に再び注射器が突き刺さる。しかも今度は複数だ。直接見る事が出来ないから確実ではないが、少なくとも五本は打ち込まれた。
「たった一発で貴様を押さえられるとは思っていない。たった一発でなら……な。これだけの量の麻酔ではどうしようもないだろう」
体から力が抜け、龍真は倒れた。体がまったくいうことを聞かない。全身に錘が付いているようだ。指一つ動かすだけでも億劫に感じるほどに体が重い。此処から離脱しようにも、もう足には感覚が無い。まどろみ始めた意識の中で、龍真は目の前の少女を睨み続けた。自分に全く屈せず、最後まで抵抗するどころか逆に龍真が屈してしまったのだ。重い瞼に逆らいながら脳裏に桔梗の顔を焼き付け、龍真は意識を失った。
龍真が気を失ったのと同時に、神森を捕らえていた氷が砕け散った。龍真の魔力が気絶したのと同時に切れたためだ。龍真が気を失ったことを確認し、桔梗は支部に作戦成功の報告を入れる。
「目標は完全に沈黙した。作戦は成功だ。神森爪哉は敗北した。生存はしているが、ダメージは相当だろう。サポートできなかった私たちの責任だ。報告書は帰還後、提出する。一次報告を終わる。これより帰還する。総員、撤収準備!」
通信端末をジャケットの中に戻し、傷ついたソルジャーたちに振り返り、状況を確認した後に撤収命令を下す。
「榊龍真は支部の地下施設にて拘束、尋問を行う。支部へ搬送しろ」
「くそッ、あの野郎……………絶対、絶対許さねえ………俺の方が強い。俺が最強なんだ」
神森はソルジャーに肩を貸されながら龍真に向けて悪態をついていたが、神森の負けは誰の目にも明らかで、その言葉は負け犬の遠吠えにすぎなかった。神森に賛同する者はいない。
神森の前に桔梗が立ち、淡々と告げる。
「ご苦労だった。貴方が囮になってくれたおかげで、無事に榊龍真を捕獲することができた。感謝する。報酬は口座に振り込んでおく。あとは帰るなり、遊ぶなり、好きにしろ」
「てめえ、最初から俺を捨て駒にするつもりだったのか。大本命は麒族の俺じゃなくて大事な大事なお兄様の発明品ってか。このアマが、よくもやってくれたな。このことは本部に報告しておくからな、覚えてろよ」
「何とでも言っていろ。結果的に貴様のおかげで榊龍真を捕獲することができた。そもそも作戦をこちらに任せたのは貴様だろう。終わってからこんなはずじゃなかったとは言うなと言ったはずだぞ。こちらに丸投げした貴様が悪い。デカブツが目を覚ます前に帰投するぞ、急げ」
そう言って桔梗とケルベロスは撤収した。惨めに負けた男を一人残して。
撤収する車の中で桔梗は冷静に次のことに意識を切り替えていた。やっと一つの山を乗り越えたが、これからがまた一つの山場なのだから、気を引き締めなければならない。
「んっ!」
両手で頬をパンッッと叩き、桔梗を乗せる車は支部へと向かった。
第一部終幕
黄龍は支部ごとに独自の研究機関を持ち、その中には生物実験を行っている支部もあり、そういう支部には大抵、実験動物を閉じ込めておく地下牢が存在した。それは北海道支部も例外ではなく、その実験動物を収容するための地下拘束施設に龍真は運ばれていた。両手両足を魔術で封印処理を施した鎖で厳重に縛り付け、体には魔力を封印する術式を付加した札が何枚も貼られている。
普通の覚醒者がこれだけ魔力を制限されるような状態になれば能力を構成する魔力すら抑えられ、覚醒者としての力を失ってしまうはずだ。だが龍真にはまだ余裕があった。それほどに彼の魔力量は大きい。こちらに抵抗できない状態にしてから八時間、日の出を迎えてから一時間ほど経過したときに龍真は目を覚ました。
辺りを見回そうとしたが、何も見えない。どうやら、目隠しをされているらしい。そして体も縛り付けられている。成す術無しなのは明白。自分は負けたんだと思い出し、龍真は口を開いた。
「……どうやら、抵抗は不可能みたいだな。俺に何の用があるんだ?そうでもなきゃ、生かしておく意味がないだろう?」
目の前にいるであろうものたちに向かって話しかける。もしいなくとも、監視カメラか何かにこの声は拾われるだろうと思った。
「自分の置かれている状況は理解しているようだな。コイツの目隠しを取れ」
「っ、眩しいな……」
突然目隠しを取られ、久しぶりの光に目が眩む。数秒して明かりに目が慣れると、小柄の漆黒の少女と、眼鏡のいかにも研究者らしき男、そして銃を持ったケルベロスのソルジャーが立っていた。
「自己紹介は二度目だな。私は福南桔梗、眼鏡を掛けた彼が、兄で貴様に打ち込んだ麻酔を開発した福南桃李だ。早速、本題に入ろう。貴様、名前は?」
「……………………答える義理も義務もメリットも俺にはない。黙秘権があるのかどうか知らないが、素直に答えるとでも思ったか?」
「チッ!」
龍真の挑発的な言葉に桔梗は苛立たしげに舌打ちをした。いくら隊長だといっても、中身は一九歳の少女なのだ。挑発には機敏に反応してしまう。
「話す気が無いのなら別にかまわない。そういう態度をとるのならこちらで勝手に見せてもらう」
桔梗が龍真の目の前に立ち、龍真を見上げている……というか背伸びをしている。何がしたいのか全く分からず、しばらく見ていると―――
「……届かないな。なんで貴様はこんなにデカいんだ。縮め、私よりも小さくなれデカブツ」
そうして脛を蹴られた。魔力を封じられている状態では本当に痛い。そして桔梗は何かを探し始めた。
しかし、家族と喧嘩したときにはあったが、それ以外の女性に蹴られたのは初めてだったので驚いていた。この女、訳が分からない。不思議なものを見るような目で見ていることに気付いたのか、桔梗がこちらに振り返り、
「見世物じゃないぞ、じろじろ見るな。それ以上見たら目玉くり抜くぞ」
「そうだ、桔梗の体をその汚い目で見るな!」
そう怒鳴られた。しかも隣の眼鏡の男にまで。益々分からない。最初に会った時の桔梗よりも酷い。粗暴でまるで男の様だ。しばらくすると、脚立を持ち出した桔梗は龍真の前で脚立に乗ると、龍真と額を合わせ、目を閉じた。
「おまっ、一体何してんだ、離れろ!」
抵抗しようとするが全く動けない。龍真を縛る鎖がジャラジャラと鳴るだけで諦めて大人しくしていると桔梗が額を離し、呆れたように話し始めた。
「名前は榊龍真。私と同じ十九歳でT大学に通う大学生。性格は短絡的で直情的。家族は父方の祖父母のみ。趣味は読書とバイクでのツーリング。喫煙者。甘党で苦い物は苦手。日本人とフィンランド人のハーフ。両親はすでに他界している。……貴様は魔力の痕跡を追跡することが可能なのか。それで覚醒者を特定していたのか」
感心するように言う桔梗のその言葉に龍真は驚いた。自分のパーソナルデータが完璧に知られた。煙草を吸っていることは誰も知らないはずだし、『魔覚』の存在をどうやって知り得たのだろうか。
「私も覚醒者だ。種類は魔獣系、Aランクの覚醒者だ。能力名は『白澤』。中国の伝説に存在する森羅万象に通じる知識の象徴。ちなみに、私の兄も覚醒者だ。Bランクの魔人種、能力名は『ドワーフ』。私の白澤は相手の記憶を額を合わせること、兄の能力はあらゆる物質の操作、合成だ。まあ、私の能力は二週間前までしか読み取ることができないのが難点だがな。その能力で貴様の記憶を読み取ったわけだが、………貴様、能力名はなんだ?どうやって今まで隠れていた。答えろ!」
「知りたいならまた勝手に読み取ればいいだろ…………って言いたいところだけど、これ以上知られたくない事まで知られるのは嫌だから知ってることは答える。取り敢えず、どうして発見されなかったかはそっちのお兄さんの方が分かっているんじゃないのか?」
龍真の問いに桃李は「まあね」当然のように頷く。
「確かに波長が違うんじゃないかとは思ってたけど、本当にそうなのか。証拠もなく仮説から作戦を立案するのは気が引けたからしなかったんだけど、結果オーライだったみたいだね」
桃李が一人納得しているが、桔梗にはそんなことは正直言ってどうでもよかった。
「能力名を答えろ。覚醒した時に自然と理解したはずだ」
覚醒者は覚醒と同時に自分の持っている力について理解する。それは人が手を動かすことを誰から教わらずにできることと同じで、理屈を説明することは誰にもできない。ただし、あくまで使えることが分かるだけであって、その力を使いこなせるかどうかは本人次第だ。
「…………知らない」
「あん?貴様この期に及んで白を切るつもりか!」
そう言って桔梗は龍真の脇腹を拳で鋭く殴る。その痛みに耐えながら龍真は弁解するように捲し立てるように告げる。
「ほ、本当だ。俺が覚醒したのは四年前だ。その時の記憶は曖昧で、殆ど覚えてないんだよ!」
「…………」
龍真の能力が何なのか、桔梗は大体の予測はついている。だがそれは本人の口から言ってもらわない限り、信じることができるものでは無かった。
「そうか、では貴様の中の人物から聞くことにしよう。そいつを出せ」
「え…………?」
「覚醒した時に不思議な場所―我々は『意識の海』と呼んでいるが―そこで誰か、もしくは何かに会っただろう。あれは貴様の力が生み出したもう一つの人格だ。覚醒者の能力の源と言ってもいい。自分からソイツに替るように言えば、出てくるはずだ。やってみろ」
「もう一人の自分………あの爺さんのことか」
鬼の覚醒者と戦った時に会ったあの隻眼の老人がそうなのなら、あの老人は今の自分の中に………
(爺さん、いるなら返事してくれ。アンタに聞きたいことがあるんだ)
心の中でそう唱えてみたが、反応は無い。
「………」
「おい、まだか?」
「ちょっと黙ってろよ、今呼んでんだから」
今度は蹴られた。しかし、何故反応しないんだ?桔梗の口ぶりからすると、彼女はもう一人の自分に会ったことも、言葉を交わしたこともあるようだ。何故反応してこない…………
彼女にできたことが自分にできないと思うとなんだかとても癪だった。何度心の中で読んでも出てくるどころか、反応すらしない。少しずついらいらし始めた龍真は十回呼びかけたところでとうとう爆発した。
「……………おいジジイ!居眠りしてねえで、出て来い!」
突然叫んだ龍真に桔梗と桃李は驚き、ソルジャーは反射的に銃口を向ける。
(……………喧しいのう、いったい何の用じゃ?)
そうしてようやく老人は言葉を返した。
(あんた、俺の目に映ってるこの女見えるか?)
龍真はまっすぐ桔梗を見据えながら老人に問いかける。老人は少しうなった後に、呆れたように返答する。
(こんな小娘に縛られて何が楽しいんじゃ?儂には分からんが、そういう趣味か?)
老人の思わぬ返答に龍真の体から力が抜ける。
(ジジイ!ふざけてる場合じゃねえんだよ!あんた俺と変わることが出来るらしいな?今すぐ変わってこの女の質問に答えてほしいんだ)
(ふむ………それは構わんが………)
「儂はもっとグラマラスなおなごがええんじゃがのう………」
声は龍真のモノだが、明らかに雰囲気が違う。老成し、経験と貫禄を備えた男の発する独特のものだ。
「誰が小娘だ、クソジジイ」
「しかも口が悪い。女子はもっと大人しい方がモテるぞ?」
「黙って私の質問に答えろ。あんたは、いや、その体の持ち主は神の力を宿した覚醒者だな?」
「ええっ?」
桃李が驚きの声を上げるが、桔梗は真面目な顔で龍真を見ている。
そして黙り続けていた龍真が口を開いた。
「………ああそう、そうじゃよご明察。こやつは神の力を宿した魔人系の覚醒者となるんじゃろうな。そして能力名は、……凍土の大陸を収める隻眼の王、『オーディン』じゃ」
龍真の最後の一言に桃李はまたも激しく反応する。
「オーディン?オーディンって、あのグングニルを持って戦いに生涯を置いた戦争の神、オーディンか?」
驚いた桃李だったが、桔梗は驚いた様子はなかった。
「他にいるなら教えてほしいのう。色ボケしたどこぞの色魔と一緒にされてはかなわん。そのオーディンじゃよ」
面倒そうに龍真は答えるが、桃李は興奮したままだ。
「オーディン……凄いな。神の覚醒者を生で見るのは初めてだよ。存在自体が噂だけだと思ってた。そりゃあ強いはずだ。ただの人狼の魔獣系の神森が敵うはずがない」
一人熱く語っている桃李は放っといて、桔梗は話を続けた。
「過去に確認された神の覚醒者はたった五体。ポセイドン、アポロ、タイタン、九天玄女、月詠。非公式でなら他にもいたのかもしれないが、貴様は公式で六人目の神の覚醒者だ」
「人を新種の動物みたいに言ってくれるな。確かに少ないかもしれぬが………」
そこで突然雰囲気が龍真のものに戻る。
「俺は公式的にいていい存在じゃない………こんな俺が存在していい筈がないんだ……」
ため息交じりに龍真は口を開いた。
「最初に覚醒したのは四年前、フィンランドの祖父母の家に旅行に行っていた時だ………」
そして思い出した全てのことを話した。覚醒直後に暴走したこと、家族を殺してしまったこと、そのショックで一度力を失っていたこと。
龍真の話を聞いて桔梗はうなった。
「……そんなことがあったのか。しかし、いくらショックだったからと言っても、覚醒した力を失うなんてこと、にわかには信じられんな」
龍真が話したことは大体は信用している桔梗でも、能力の喪失には耳を疑った。だが、
「そうでもないよ」
興奮冷めやらぬ桃李が口を挟む。
「いくら覚醒した力が魔物や魔人、神に由来すると言っても、力の源は本人だ。潜在能力の一つと考えていいも。精神的なショックが覚醒者の力の母体としての構造にショートを起こしても、何も不思議は無い。トラウマやスランプと同じだよ」
「トラウマ………か」
そうして桔梗は黙った。龍真を北海道支部に引き込めれば、大きな戦力となる。今まで言われていた弱小支部という汚名を返上できる。そう考えると、のどから手が出るほどに仲間にしたい。だが身の上を聞いてしまった今、『仲間になれ』とは簡単には言えない。
事態を整理しなければならない。
「兄さん、彼が三十人の覚醒者を殺害したことは紛れもない事実だ。今はここに拘束して、本部の指示を仰ごう」
桔梗の提案に桃李は賛成した。
「そうだね……僕も少し彼に興味が湧いてきたし。すぐに本部に送るのは賛成できない。……………………………実験してないし」
「はっ?」
桃李の口から洩れた言葉に龍真は背筋が冷えるのを感じた。このままここにいたら命が危ないんじゃないだろうか。逃げ出した方がいいのでは…………
「人体実験はしないで」
桔梗が桃李に釘を刺し、階段を上って地下から出て行った。
「あの……いつまで帰れないんですか?」
気になることがあったので龍真は桃李に尋ねた。
「なんだ、家に帰りたくなったのか?最低でも一週間はここにいてもらうぞ。本部からの決定が来るのには時間がかかるからな。日本の政治家と同じで、いつになっても決断を下さないからな。もしかしたらさらに長くいてもらうことになるかもしれん」
ソルジャーのその言葉に龍真は驚いた。
「一週間も?俺、猫飼ってるんですけど、餌とかトイレとか心配なんですよね。此処に連れてきてくれません?」
その言葉に出て行ったはずの桔梗が反応した。
「猫?猫を飼っているのか?面倒だが、一つの命だからな。心配なら仕方がない。彼らはまだ仕事があるからな、手の空いている私が迎えに行ってやろう。どこだ、貴様の家はどこだ!さっさと答えろ。待っている猫がかわいそうだろうが!さっさと喋らんと、その舌引っこ抜くぞ」
桔梗の気迫にたじろぎながら、龍真は住所を答え、ポケットの中の鍵を渡した。
「人に懐きやすい奴だから大丈夫だとは思うけど、突然知らない人間が入ってきたら驚くだろうから、逃がしたりするなよ」
「任せろ。私を誰だと思っている。黄龍北海道支部のケルベロスの隊長だぞ?猫だって完璧に手なづけられる。名前は、猫の名前は何というのだ?」
「ノワール」
「分かった、ノワールちゃんか?ノワール君か?答えろ」
「ちゃん?君?まあ雄だから君だな。…………なあ、お兄さんよ、あんたの妹ってこんなキャラなのか?」
「誰が義兄さんだ!俺のことは桃李でいいよ。桔梗は犬は嫌いだが、猫は大好きなんだ。どうだ?可愛いだろう、俺の妹」
「まあ、……ギャップ萌え属性の人には強いんじゃないすか」
こんな会話をしていても桔梗は一向に気付かず、ノワールを迎えに行くために猫じゃらしやマタタビを持ち出してきている。というかどこから持ってきた。ここは覚醒者対策をする黄龍の支部なんじゃなかったのか。
「ノワールはマタタビ嫌いだからあげんなよ、引っかかれんぞ」
なぜか、猫なのにノワールはマタタビが好きではない。以前あげてみたが、全く見向きもしなかった。まったく猫らしくない。
そして意気揚揚と桔梗は階段を上って出て行った。慌てて桃李も後を追いかける。本当に迎えに行くのだろうか?
龍真は疑問に思っていたが、あのテンションの桔梗ならやってのけそうだと思っていた。
「とりあえず、何か用があったら呼んで。俺はすぐ上の研究室にいるから」
階段から桃李が顔を出し、それだけ龍真に伝えると、桔梗を追って出て行った。ソルジャーも一緒にいなくなり、地下拘束室には龍真だけとなった。
「また一人……か。そういえば、誰かと話したのは久しぶりだったな。ここ二週間ずっと一人だったし、覚醒者を襲っていた時は会話もしないで襲ってたしなあ……」
神森と話したのはノーカウントだ。会話したという記憶さえ残していたくない。
「誰かと会話すんのって、案外楽しいもんだな………」
そんなことを考えながら暇を持て余していると、誰かがが入ってきて照明を消した。体つきから男だと分かったが、明かりが無いせいで顔がはっきりしない。
「……誰?………桃李さん?」
あのシスコン研究員の名前を読んでみたが、男は何も答えない。黙って近づき、龍真の目の前で立ち止まり、顔を見上げてくる。そこでようやく気付いた。
「…………貴様、神森か!」
襲い掛かろうとした体を全身に巻き付いた鎖が押さえつける。ガシャン、と大きな音が鳴り、なおも龍真は神森に攻撃を加えようとするが、鎖はそれを許さない。
神森は最初は攻撃されると思って構えていたが、龍真が攻撃どころか、行動すらできないことに気付くと卑屈な笑みを浮かべ、静かに話し始めた。
「………そうカッカすんな。今日はただ話をしに来ただけだ」
「話?そんなもん聞くわけないだろうが!桃李さんはどうした、この上にいるはずだし、貴様を通すわけがない。いったい何をした」
それに今更一体何を話すというのだろうか。神森の意図がまったく読めない。
「落ち着け。シスコン博士には眠ってもらった。あんなのがいたら落ち着いて話も出来ねえからな。まあ聞け。俺は今日で北海道を離れる。そしたら真っ先に黄龍本部に行って、お前の罪状をすべて報告する。さすがの黄龍も、覚醒者を三十人も殺した殺人犯を俺の様に生かしはしねえはずだ。確実に殺されるように二十人ぐらい多めに報告しといてやるよ。報告後、黄龍本部から直々にお前を殺しに大帝が、蜂空玲斧が来る」
「………大帝?」
聞いたことのない言葉だった。
「お前、大帝を知らないってどんな生活してんだよ。普通聞いたことぐらいあんだろ。大帝は麒族の上に立つ最強の覚醒者の称号、日本にたった一人の唯一無二の存在。日本最強の男だ。そいつが来るのは早くても五日後。お前の命はそれまでだ」
神森は依然として残忍な笑みを浮かべている。
「どうだ、怖いか?怖いだろう。あと五日でお前は死ぬ。ザマァ!ヒャッハハハハハッ!」
笑いながら神森は龍真の体を殴る。人間状態での攻撃だったおかげでダメージは少ないが、何度も何度も殴られたせいで服の下には痣ができていた。
「はあ、はあ、はあ、ざまあみろデカブツが!素直に俺の言うことを聞いていれば、こんなことにはならなかったんだ。あの生意気なアマにも一泡ふいてもらうぜ。ま、せいぜい自分の不幸を呪って死ね!ヒャッハハハハハハハ!ザマァ!」
そうしてまた笑いながら神森は出口に向かった。公の場での戦闘であれほどに完璧な負けを喫したのだ。残っていた悔しさの憂さ晴らしに来たのだろうが、神森を取り逃がした龍真にとってこれ程の好機は無かった。部屋には神森と二人だけ。監視カメラはおそらく神森が事前に切ってきたのだろう。これだけの時間が経ってソルジャーの一人も入ってこないことがその理由だ。そして逃がす理由は…………無い!
「……………な」
「あ?何だ?命乞いすんなら聞いてやってもいいぞ」
龍真の言った言葉が聞き取れず、神森は苛立たしげに聞き返す。
「お前の命もこれまでだな。って、言ったんだよ!」
その言葉と同時に龍真は魔力を全力で放出した。鎖と呪符がその魔力を吸収する。だが、あまりに膨大な魔力に吸収しきれず、少しずつ鎖にはヒビが入り、呪符は端から焦げていく。
「ガアアアアアアアアアア、邪魔だああああ!」
呪符と鎖が許容限界を超えて勢いよく弾け飛ぶ。
「こいつ………拘束用の鎖と呪符を吹き飛ばしやがった。信じらんねぇ、数人分の魔力を軽々と吸収する札と鎖で雁字搦めになってたんだぞ?………バケモンがぁ!」
服を破り捨てて神森は戦闘形態に変身する。爪が伸び、全身から黒い体毛が伸びる。顔が狼のそれになり、雄叫びをあげる。
「そもそもてめえがイレギュラーとか言われてる時点で気に入らねぇ。俺は特別扱いされるヤツってのは昔から大っ嫌いなんだよ!」
爪を振り上げ、神森は龍真に切りかかる。だが龍真は鎖を吹き飛ばしたのと同時に左腕に出した銀槍でそれを止める。
「俺が気に入らないのはお前の都合だろうが。だがお前の存在は世界に害をもたらす。世界からお前は気に入られてねえんだ。お前の罪はここで俺が裁く!」
槍で神森の爪を弾き、槍の横の剣で神森の足を切り裂く。膝から下を切り落とされ、龍真の足元の自らの血だまりに神森が崩れ落ちる。
「グアアアアアアァァァァァァッ……クソガキがぁ!」
立ち上がろうと残った足を動かすが、膝から上だけでは立ち上がることができてもその意味を成す事は無い。睨みつけることはできても、反撃することは出来ないのだ。
「これで終わりだ、神森」
槍を振り上げ、閉幕の言葉を紡ぐ。
眩い光が槍を包み、その切っ先を神森の心臓へ向ける。神森はもはや抵抗する術もないが、その目には未だに憎悪が篭っている。
「貴様の罪は俺が背負う。貴様は命で、犠牲になった人へ償え」
「ガッ、ガアアアアアァァァァァァ!…………」
そして龍真は槍を突き刺した。槍は神森を貫通して床まで深々と突き刺さった。足が無くなっていた分神森の石化は早く、以前の鬼と比べれば倍近い速さだった。そして完全に石化した神森から龍真は銀槍を引き抜く。砕かないまま、龍真は石像となった神森を見ていた。かつて、二十人を惨殺した殺人鬼の最後としては呆気ないものだ。
「お前はどうして殺人に走ったんだ?誰もお前を止めてくれなかったのか?」
石像と化した神森に龍真はつぶやくように話しかけるが、その声は部屋に虚しく響き渡るだけだった。答える者は、もういない。
「次はもっと綺麗に生きろ」
それだけ言って、龍真は神森の体を砕いた。粉々に砕かれた紙森の体から魂が浮かび上がる。それは鬼の物とは違い、明らかに狼の頭のような形をしていた。
「………『暴食の龍』」
呪文を唱え、神森の魂を吸収する。
吸収が終わり、槍を消した時に桔梗たちが戻って来た。桔梗の腕の籠の中には安心して眠るノワールの姿が見えたが、今の龍真の姿は見せたくなかった。
神森の足を切った時に全身に神森の返り血を浴び、足元には血溜まりが出来ている。血まみれになった姿は、記憶の中の家族を殺した時の姿と同じだった。人を救いたいと言っておきながら人を殺している。相対的に見れば、何人かは救っているのかもしれない。だが、その救った姿がこんな殺人鬼であることはとても悲しかった。
「……神森を殺したのか」
龍真の目の前に立った桔梗が静かに聞く。龍真は膝を付き、うなだれながら答えた。
「………………………ああ。ただ、やっぱ悲しいな。人を救うためにやっていることが、覚醒者を殺すことだなんて。他の選択肢があったのかも、と思うこともある。でも後悔はない。俺が最後に殺すのは俺だ。それまでに出来るだけ沢山の仲間を探して殺す。殺人鬼を殺すのは人である必要はない。殺人鬼を殺すのは殺人鬼で、俺でいい」
桔梗は黙って龍真を見つめている。彼女が何を考えているのか、龍真には判らない。そもそも普通の人間としての感覚が自分に残っているのかも、今では分からなくなっていた。
「殺すことだけが最善策じゃない。私達に手を貸さないか?更に罪を重ねるのではなく、一人でも多くの命を今助けるために」
「………こんな力で出来ることがあると思うのか?もう、俺はただの人殺しだ。第一、殺すことで人を助けるだなんて、ただの自己満足でしかなかった。結果的に悲しむ人も多くなった。俺は、何がしたかったんだろうな。自分でも、もう何がなんだか………」
「私に、お前を助ける手伝いをさせてくれないか?今までの罪は償わなければならないが、死ぬことで罪から逃げるのは卑怯な手段でしかない。罪に向き合え、罪を忘れるな。今のお前に大切なのはそれだ」
「………忘れないこと………か。いつか爺さんにもそんなことを言われたな。向き合い、信じた道を進め。道を間違うなって言われておきながらこの始末だ。情けない」
「神森が死んだことで麒族に一つ空席ができた。新しい麒族になって、人を救え。そうすることで自分の罪に応えろ。私の手を取れ。私がお前をその泥沼から救ってやる!」
龍真に桔梗が手を伸ばす。その表情は優しく、でもまっすぐで、いつかの光景と同じものを龍真に見せた。
「…………ううぅ、あああぁぁ…………」
そして龍真は桔梗の手を取った。大粒の涙を流しながら。まるで宝物を大事に抱える子供のように。