グランディアの平凡じゃない一日
「グラントの、ばかーっ!!」
……グランディア城中に、王妃の叫び声が響き渡った。
***
「アーリャ様……」
私は王妃の間でミーちゃんをひし、と抱き締めたアーリャ様と二人きり、だった 。
「だってだってだって、ひどくない、サリ!? こっちに戻って来てから、全然外に出してくれないのよ、グラント!!」
「それは……」
陛下が、アーリャ様をとてもとても大切に思われてて、心配されているからだ、と知っている私は、何とも言えなかった。
「アーリャ様がおられなかったこの半年、陛下はそれはそれは大変でしたのよ。新しいシルヴェスタ公爵を決めるのにも一悶着、闇の眷属の取り締まりに一悶着……」
「……う……」
「それに……」
私は知っている。陛下が、アーリャ様から渡されたハンカチと腕の覆いを、肌身離さず身に着けておられた事を。ずっと空を見ながら、アーリャ様のおられる異世界に想いを馳せていたことも。
「陛下はアーリャ様が大切なのです。ですから、怪我とか誘拐とかされないよう、気をつけておられるのではないですか?」
「う~~でも~~……」
アーリャ様は涙目だ。潤んだ黒い瞳に、少し赤くなった頬。この方の可愛らしさ、は本当に心臓に悪い。
(結局、言う事を聞いてしまうのよねえ……)
それは陛下も同じなのだけれど。アーリャ様が願った事で、陛下が叶えなかった事は一度もない、のだから。城の皆も、アーリャ様にはとにかく甘い。
「……お祭りやってるんでしょ?」
「光の神に祈りを捧げ、今年一年の豊穣を願う、ルシアの祭り、ですわ」
城下町は屋台やら旅芸人やらで溢れ、大賑わいを博している。
「外国のめずらしい品とか売ってるって……」
「そうですね、普段来ない様な商人も来ますから……めずらしい御品が手に入ることもあります」
くすん、とアーリャ様が鼻を鳴らした。
「……を買いたいの……」
「え?」
私は目を丸くした。アーリャ様はもう一度、小さな声で言った。
「……」
はあ、と私は溜息をついた。そういう事を言われては……
「……わかりました、アーリャ様。城下町まで御一緒しますわ」
ぱっとアーリャ様が笑顔になる。
「本当、サリ!? ありがとう!!」
こほん、と咳払いをした私は、アーリャ様にこう告げた。
「……私の言う事を聞いて下さいますか? それが条件ですわ」
***
「うわあ~」
アーリャ様の興奮した声。何しろ、城下町は、人人人、の山だ。広場からは音楽が聞こえてくる。垂れ幕や旗が風にはためく下で、客を呼び込む声が響き渡っていた。焼いた肉の香ばしい匂いも流れて来ている。
「すごいのね! お店もたくさん……」
「アーリャ様」
落ち着いた声がアーリャ様を制した。
「あまり馬車から身を乗り出すと、危ないですよ」
「ごめんなさい、ジェードさん……」
しゅんとしたアーリャ様に、ジェード様が笑った。
「サーリャと全く同じなのですね。彼女も最初街に連れてきた時は、馬車から転がり落ちそうになりました」
「サーリャも?」
「ええ」
サーリャ様は、ジェード様の奥方で……アーリャ様と瓜二つのお姿をしておられる。なので、城下町に買い出しに行くというジェード様に、サーリャ様の代わりにアーリャ様を連れて行っていただけないか、頼んだのだ。
ジェード様もサーリャ様も、快くその頼みを引き受けて下さった。ジェード様と共にいれば、誰もがアーリャ様をサーリャ様だと思うはず。余計な詮索をされずに済む。これが私の策だった。
(アーリャ様には申し訳ないけれど……)
ヴェルナー伯爵様には、全てお話した。『陛下の機嫌は最悪なのに、拍車をかけるようなことを……』と頭を抱えてらっしゃったが、あのアーリャ様を閉じ込めたままにした方が被害が大きくなる、と説得した
(警護の騎士様も、間をおかずに後を追ってらっしゃるはず……)
これくらいはしておかないと。何しろ、アーリャ様はどこにでも首を突っ込んでしまう性格だ。おまけに情が深く、弱い立場の者を見過ごせない。
(今までも、どれだけいろんな事に巻き込まれてこられたか……)
――本当、陛下の御苦労がしのばれますわ……
私は心の中で、陛下に頭を下げた。
***
「……陛下」
「……なんだ」
はあ、と私は溜息をついた。
「その、仏頂面、やめていただけないでしょうか。朝から城中ぴりぴりしていますが」
「……元々、こういう顔だ」
「……アーリャ様を閉じ込めておけない事ぐらい、お判りでしょうに」
ぴくり、とグラントの肩が動いた。
「……半年、だぞ」
「ええ。……この半年、陛下は全力を尽くされたと思いますよ?」
何しろ、アーリャ様は、近年稀に見る力の強い光の巫女、だ。巫女の塔におられるのが本来の姿。なんとかグランディアへの降嫁を認めさせ、闇の眷属共を蹴散らし、アーリャ様が戻られても支障がないように、とグラントは国中を駆けずり回った。
ようやく場の力も安定し、闇の眷属の力もほぼ抑えられ、アーリャ様が異世界から戻られて、めでたしめでたし、となった訳だが……。
(……お二人の温度差が何とかならないものか……)
アーリャ様は無邪気な御方で、誰にでも気を許してしまう。グランディアの正妃で元光の巫女姫、というお立場を狙ってくる輩も少なくない中、怖ろしく警戒心がないのだ。
(アーリャ様が御育ちになった異世界は、非常に安全な世界だったとのことだから、そのせいだろうが……)
グラントはそんなアーリャ様が気が気でないらしく、非常に過保護にしてしまっている。その過保護さに、アーリャ様が窮屈な思いをしているのだ。
「半年待って、やっと戻って来たと思ったら……あちこちふらふらと出歩いて……」
改修中の赤の離宮に顔を出し、薔薇園の整備をしているジェードの手伝いをし、厨房に行って料理長ラムダの手作りお菓子をつまみ、城門の門番と立ち話をし……おまけに城外に出たい、と言いだした。そんな事、認められるか、そう言ったら……グラントの眉間にしわが寄っていた。
「あの、『グラントのばか』宣言に至ったわけですね……」
グラントはアーリャ様に関してだけは、冷静でいられないようだ。アーリャ様ご自身は、『グラントが好き』とおっしゃってるので、お気持ちが揺らぐ事はないと思うのだが……。
(周囲の男が、アーリャ様を放ってはおかないから……な……)
にこにことあどけなく笑う、可愛らしい姫君。おまけに光の力の持ち主、ともなれば、男達の注目を集めてもおかしくない。
「……アーリャ様のニブさ加減は、あなたも御存じでしょうに」
「……」
「男達に多少迫られたぐらいで、口説かれてる事を理解できるとも思えませんが」
そう、アーリャ様はとんでもなく、男女間の機微に疎い。王妃になってからも、陰でアーリャ様を慕う若者がちらほらいるのだが……
(あの鈍さとグラントの一睨みで、お終いになっているな……)
はあ、とグラントが溜息をつく。
「ずっと傍に置いておきたい……他の男の目に触れさせたくない……俺だけを見て欲しい、と思うのは、はやり狭量か」
「……グラント」
私は、幼少の頃の口調で言った。
「お前が我慢していることも、よく判ってる。大体アーリャ様を見染めたのが、生まれたての赤ん坊の頃だろう?」
「……」
真っ直ぐにグラントを見る、曇りのない漆黒の瞳。その瞳に心を奪われてしまったのが、グラントが十歳の時だ。
お忙しい国王夫妻に代わり、グラントがアーリャ様を育てたが……傍で見ていても、その溺愛ぶりは半端ではなかった。
五歳でアーリャ様がお亡くなりになった(実際には異世界に飛んでいたのだが)時――グラントの瞳は感情を映さなくなっていた。
十二年後、アーリャ様がこちらに戻ってこられて……またグラントと出会い……彼の瞳に、再び感情が戻った。
十七年間思い続けた人が、やっと自分のものになった。それは一時も離したくないだろう。その気持ちも判らなくは、ない。
「ある意味、アーリャ様が十七歳でお戻りになられて、正解だったのじゃないか? あのまま、ここで育っていたら……」
――あまり考えたくはないが、おそらく犯罪に近い事になっていたのではないか、と思う。
『母様がファーニア様から頂いた手紙に、アーリャとグラント陛下の事も書いてあったけど……本当、すごかったもの。ここまで束縛する!? みたいな。ファーニア様達は微笑ましいって思ってたみたいだけど……私は幼心にも怖かったわ。だからグランディアには行きたくないって思ったの』
サーリャ様が自分の身代わりとしてアーリャ様を呼んだいきさつを、そう言っていた。それを聞いて、私も思わず頷いてしまった。
「閉じ込めれば、ありあは俺を恨むようになるんだろうな」
ぽつり、とグラントが言う。
グラントも判っている。判ってはいるが、気持ちが追いつかないのだろう。
――大国グランディアの王。近隣諸国から『魔王』と恐れられる政治手腕に剣の腕。常に沈着冷静で、隙を見せない男。
……その彼を、良くも悪くも崩せるのは、アーリャ様しかいない。
ずっと長い間、感情を殺して生きていた、グラントを救えるのは。
「……今みたいに悩んでいる君の方が、僕は好きだよ」
アルに話しかけるように、グラントにそう告げると、銀色の瞳が驚いたように丸くなった。
***
「えーっと……」
きょろきょろするありあに、ジェードが苦笑混じりに言った。
「サーリャ。そんなに焦らなくても、店は逃げない」
「そ、そうよね……」
そう、今サーリャになってるんだった。ありあは伸ばしていた首をひっこめた。
とりあえず、ジェードとサーリャの御用達園芸店に行く、とのことで、馬車を降り、人混みの中を歩いているところだった。
(お祭りって雰囲気、好きだなあ……)
楽しそうな人を見てるだけでも、わくわくする。自然と足元もスキップしていた。
(いい物、見つかるといいな……)
ありあはふふっと笑いながら、ジェードの後を追った。
「よう、ジェード。今日は何にする?」
「……堆肥と、新種の薔薇が欲しい。色は薄いピンクで、花芯がしっかり巻いているものを」
「じゃあ、この辺、どうだ?」
大柄な男性が、次々と苗を奥から出してきた。その一つ一つをジェードはじっくりと調べていた。
花いっぱいの店内をきょろきょろしていたありあは、後ろに控えていたサリに尋ねた。
「やっぱり薔薇が多いのは、グランディアの国花が薔薇だから?」
「そうですね、国内で栽培されている種類も多いですし。他国への輸出も盛んなんですよ」
くん、と傍にある薔薇の匂いを嗅いでみた。いい香りが鼻から喉まで広がった。
「いい匂い……」
うっとりと呟くと、ははっと男性が笑った。
「今日はどうした、サーリャ。えらくいつもと違うじゃねえか」
「え」
ありあは、つなぎの作業服を着た男性を見た。いつもと違う……って……。
男性の茶色の瞳がおかしそうに煌めいた。
「『もう一声まけられないのっ!』って、迫られないと、拍子抜けするぜ、本当」
「……」
えーと……サーリャ、元光の巫女、よね? レヴァンダ皇国のお姫さまよね? なんだか……
(おそろしく庶民に馴染んでるんだ……)
鬼教官だったサーリャを思うと……彼女に迫られるたら、多分すぐ頷いちゃうと思う。
「そ、その……まけてもらえないでしょうか……」
両手を胸の前で組み、小声で恐る恐る言ってみると……心なしか、男性の頬が赤くなった……気がした。
(アーリャ様……それ、反則です……)
こそっと囁いたサリに、ありあは焦った。
(え!? だめだった、今の!?)
(何と言いますか……はあ)
どうして、そこで溜息が出るのだろう。ありあが首を捻ってると、男性は「あーしょうがねえなあ」と半ばあきれたように言った。
「そんな風におねだりされたんじゃ、言う事きかないと男じゃねえよなあ」
「あ、ありがとうございます!」
にっこり、とありあが笑うと、男性も照れたように笑った。
「こうやって、あの御方も陥落してしまうのですね……」
サリはありあに聞こえないように、そっと呟いた。
***
「……ここ?」
「……ええ。何でも、腕のいい職人がいるそうですよ?」
ジェードの買い物を済ませた後、ありあは目的の店の前に来ていた。一番賑わっている大通りから少し離れた、路地裏の様な雰囲気の通り。人の姿も、ここではまばらだった。古い建物が並ぶ中、サリはそのうちの一軒の扉を開けた。
しゃらん……扉に付いていた、銀と水晶の飾りが済んだ音を立てた。店内はやや薄暗かったが、ほんのり灯るランプの明かりが、居心地の良さを醸し出している。ふわっと薫る、薔薇の香り。最後に店に入ったジェードは、あちらこちらに視線を張りめぐらせていた。
ありあの視線は、テーブルの上で止まった。そこに置いてある、ビロード調の布のかかった化粧箱――その上に、きらきらと輝く綺麗な細工物が並んでいた。
「わあ……綺麗……」
ありあは思わず、髪留めを一つ手に取った。綺麗なカットの赤い石を囲むように、細い銀の蔦が繊細なカーブを描いていた。
「……お気に召しましたか?」
ふっと顔を上げると、銀の髪に、青い瞳の女性がありあを見て、微笑んでいた。シンプルな紺色のドレスに白っぽいエプロン。その質素さが、彼女の美しさを更に際立たせていた。
(うわ……綺麗な人……)
暫く見とれていたありあだったが、サリに小突かれて、当初の目的を思い出した。髪留めを元の位置に戻して、ありあは言った。
「あの……作ってもらいたい物が、あるんです……けど」
ありあは真っ直ぐに女性を見た。
「今日中にお持ち帰りって……可能でしょうか?」
女性の青い目が丸くなった。
***
「そう……ですか。それで、今日なんですね……」
ミレア、と名乗った女性は、ありあの話を聞き、暫く考え込んでいた。
「一から作るのではなく、飾りのない物を元に作れば、さほどお時間はいただきませんわ。それでもよろしいでしょうか?」
「は、はい! それで……」
ありあはポケットから、毛糸を取りだした。
「これくらい、なんですけど……」
ミレアはふふっと笑った。
「ええ、これで大体わかりますから、大丈夫ですよ? ……飾りはどんなものがお好みですか? 石を埋め込む事もできますよ」
「えっと……」
ありあは悩みながら、ミレアに何とか自分のイメージを伝えようと、身振り手振りで話し始めた。
「……わかりました。では、始めますね」
話を聞いたミレアは、きゅっと髪を結び、店の奥にある、作業台へと向かった。研磨機のような機械が所狭しと並んでいる。椅子に座ると、彼女は作業台の上に並べられていた彫刻刀の一つ、を手に取り……細工に取り掛かり始めた。
ありあは、目を大きく見開いたまま、ミレアの手先を見つめていた。
***
「……良かったですね、アーリャ様」
私がそう言うと、アーリャ様はとても嬉しそうに笑った。
「うん!」
いろいろ調べて教えて差し上げたかいがあった。私もふふっと思わず微笑んだ。
――ミレアという職人の腕は、本当に凄かった。王家にあるお品に匹敵するような、細かい技巧。それが白く細い指先から、魔法のように生み出されていった。王宮に仕えることもできるのでは、と言ってみると、好きな作品を自由に作れる今の環境が気に入っている、と答えていた。
「また行きたいなあ、あのお店……」
アーリャ様が懐かしむ様な瞳でそう言った。
「そろそろ戻りましょう。随分と陽も傾きましたし」
ジェード様の言葉に、アーリャ様と私は頷き、馬車へと早足で急いだ。
***
「……」
「……えと、グラント?」
ありあは執務室でじと目のグラントと対峙していた。グラントのバックに蠢く黒いオーラが怖いっ……!
(食事も仕事だからって、執務室で食べたって……)
陽が沈む前にグランディア城に到着。執務室の扉を開けたヴェルナーさんにも『陛下の御機嫌は最悪ですよ……』とこそっと忠告されながらも、中に入ったけれど……
(うう……)
執務室の机で両肘をつき、こちらを見上げているグラント。無表情なのに、銀色に瞳だけがギラギラ。怖い~……
「あの、グラント……その」
思い切って、グラントの目の前に立った。瞳の迫力に、息を呑んだけれど、なんとか声を絞り出した。
「……後で、王妃の間に来てほしいの」
「……わかった」
一刻後、グラントが唸る様に言った。ありあはそそくさと執務室を後にした。
「……陛下。アーリャ様が怯えてましたよ?」
そう声をかけると、グラントが私を見た。
「……判ってる」
グラントの表情は変わらなかった。……が、瞳だけは内面の表情を露わしていた。
「あまり、怒鳴ったりされませんように。護衛も付けていましたし、危険な事はなかったのですから」
「……ああ」
ふう、とグラントが溜息をついた。
「……この書類を読み終えたら、王妃の間に行く」
「はい、そうしてあげて下さい」
私は一礼し、執務室を後にした。
***
グラントは扉の前で、大きな息を吐いた。ノックをする。
「……どうぞ?」
ありあの声に、扉を開けて王妃の間へと足を踏み入れた。
「……これは?」
グラントは目を丸くした。白いテーブルの上には丸いケーキ。この季節の果物で色とりどりに飾られていた。そして……
(何故、蝋燭?)
ケーキの真ん中に、細身の蝋燭が立てられていた。そうやって食する習慣があるのか? グラントは首をひねった。
「グラント、座って?」
ありあに言われるまま、長椅子に座る。ありあがお茶を入れ、グラントの目の前に置いた。
「ねえ、グラント?」
「……何だ?」
一瞬黙った後……ありあが言った。
「お誕生日おめでとう、グラント」
グラントは目を見張った。
「今日……ルシア祭りの日が、グラントの誕生日なんでしょう?」
……完全に忘れていた。ありあの事で、頭が一杯だったからな……、グラントは「ああ」としか、言えなかった。
「グラントが派手な事したくないって言うから、誕生日でも特にパーティーとか開いてないって、皆言ってたし……」
他国では、王の誕生日には大がかりに祝ったりもするが……特に必要ない、と思っていたため、誕生日だからと何をするわけでもなかった。
(貴族共から誕生日にかこつけた賄賂を貰うのも煩わしかったしな……)
「それでね、昨日ラムダさんに手伝ってもらって、ケーキ焼いたの。本当は年の数だけ蝋燭を立てて、一気に吹き消すんだけど……」
一本でもいいかな、というありあに、グラントは頷いた。
「じゃあ……」
ありあは立ち上がり、真ん中の蝋燭に火をつけた。そして、部屋においてあるランプの灯りを少し小さくした。
薄暗くなった部屋に、蝋燭の光が煌めく。
「Happy Birthday to you……」
突然、ありあが歌いだした。聞いた事のない歌。グラントは黙ったまま、ありあを見ていた。
「dear グラント……Happy Birthday to you」
ありあは歌い終わると、「蝋燭を一息で消して」と言った。グラントは身を屈めて、蝋燭に息を吹きかけた。
――火が消えると、ありあがぱちぱちぱち……と拍手した。
「向こうの世界では、こうやって誕生日のお祝いするの」
ありあがまた、ランプの灯りを大きくした。部屋が元の明るさになる。
「おめでとう、グラント」
隣に座ったありあの笑顔に、グラントも微笑んだ。
「……ありがとう、ありあ」
誕生日を祝ってもらうなど……何十年ぶりなのだろう。母様が生きていた頃ぐらいか。グラントは少しの気恥ずかしさと共に、胸に温かさが広がるのを感じた。
「それでね……これ」
ありあが長椅子の後ろから、小箱を取り出し、グラントに手渡した。ちょうど手のひらに乗るぐらいの大きさの、紺色の布張りの箱。
「……お誕生日のプレゼント」
グラントは……暫く黙ったままだった。
「お前……これを買いに……?」
「う……ん」
ありあが照れたように頷いた。
「こういうのが欲しいっていったら……サリがいいお店があるって紹介してくれたの」
箱の蓋をそっと開ける。中にあったのは……
「……指輪?」
――紺色の台座に鎮座していた、二つの大小の指輪。銀の繊細な細工が施された揃いの一対。大きい方の指輪には黒曜石が、小さい方の指輪には
銀水晶が埋め込まれていた。
「向こうの世界ではね、結婚すると、左手の薬指に指輪をするの。それぞれ相手にはめてもらうんだよ?」
ありあが大きい指輪を手に右手に取り、グラントの左手を左手で取った。そして、指輪をゆっくりと左手の薬指にはめた。
「……痛くない?」
「……ああ。ちょうどいい大きさだ」
ぶかぶかでもはく、きつくもなく。指輪はグラントの指にすんなりとはまった。
「良かった~一応、毛糸をグラントの指に巻いて、大きさの確認はしたんだけれど」
いつ、そんな事を。寝てる間にか。グラントは頭を抱えた。
「……で、こちらを俺がはめればいいのか?」
「うん……」
小さい方の指輪も、ありあの指にぴったりだった。白い手に、銀細工がよく似合ってる。
ありあの頬がほんのり赤くなっていた。
「……こうやって、旦那様に指輪はめてもらうの……憧れてたから……うれしい」
その言葉に、グラントも顔が熱くなるのを感じた。ありあから視線を逸らし、自分の指輪を見た。
「この石……」
ありあの瞳の色だ。そう思ったグラントに、ありあが言った。
「指輪を作ってくれたミレアさんって職人さんがね、相手の瞳の色と同じ石を持ってると、その……」
ありあが俯き、真っ赤になりながら、ごにょごにょと言った。
「……ずっと想いあっていられるって伝説がありますよ、って言ってたから……」
――その言葉が終わる前に、グラントは強くありあを抱き締めて、いた。
***
「グラント!?」
真っ赤だったありあの頬は、ますます熱くなっていた。
「……お前、馬鹿か」
グラントが唸る様に、言った。
「俺がどれだけ永い間、お前を想ってきたと思ってる。石があろうがなかろうが、その気持ちに変わりがあるはずないだろう」
だが……、とありあの耳元で、優しく囁く声が聞こえた。
「お前の気持ちが……とても、嬉しい。ありがとう、ありあ」
「うん……」
ありあもぎゅっとグラントに抱きついた。
「グラントの誕生日、教えてもらってて良かった。贈り物ってことで、指輪渡せたし」
「……誰に聞いたんだ?」
グラントの問いに、ありあは困った顔をした。
「……知らない人」
「知らない人?」
グラントが眉を顰める。身体を少し離し、ありあの瞳を覗きこんだ。
「古参の人間だったら、大抵知ってはいると思うが……話した事のない、相手だったのか」
「うん。赤の離宮の工事を見に行った時に、薔薇園で会ったの」
人気のない薔薇園を散策している時に、見かけた人。
――赤い薔薇の花が舞い散る中、白いフードを被って立っていた女性。ありあを見ると……にっこりと笑った。
『……もうすぐルシアの祭りですね』
『え?』
目を丸くしたありあに、女性は笑いかけた。
『……グラント……陛下のお誕生日、ですよ』
『グラントの誕生日!?』
知らなかった。グラント全然言ってくれないし。ありあが驚いていると、女性は優しく言った。
『どうぞ、祝って差し上げてね? ……あなたがお祝いしてあげることが、一番喜ぶと思うから』
『は……い……』
この人誰だろう。そう思ったありあの目の前で風が吹き、女性のフードが落ちた。
『……あなた……は』
ありあは目を丸くした。明るくやわらかそうなブラウンの髪に……銀色の瞳。
(グラント以外で初めて見た……この色の瞳……)
『……グラントを……陛下を、よろしくね』
その途端、つむじ風が巻き起こった。一斉に薔薇の花弁が舞い上がる。思わず目を瞑ったありあが、次に目を開けた時……そこには誰もいなかった。
「……で、ヴェルナーさんに確認したら、本当だって言ってたか……ら……?」
ありあは言葉を止めた。
「グラント……?」
***
「グラント……?」
ありあの手が、頬に伸びていた。その手が……涙を拭っている。
「……グラント、どうしたの?」
――そう言われて初めて……涙が出ていた事に気がついた。ありあの手に手を重ね、少し俯き加減になった。
――母様……!!
思い出す、優しい笑顔。
笑っていて、くれたのか。
『どうか……幸せになって』
最後の言葉が叶った事を……見に来て、くれていたのか。
胸が……熱い。
グラントは……暫く黙ったまま、目を瞑っていた。
***
「グラント……?」
ありあの問いに、グラントが目を開けた。銀色の瞳が……じっとありあの瞳を見つめた。胸が締め付けられるような、気がした。
「……ありがとう、ありあ」
そう言ったグラントの唇が……ありあの唇に、重なった。
「ん……っ……」
いつもより……頭が、くらくらする。優しいのに、熱くて……身体がしびれるみたい……
抱き締められた熱に、溶けてしまいそう……
……ありあは、グラントの唇の感触に……身体の匂いに、溺れていった。
――暫くの後、ぼーっと目を潤ませたありあを見て、グラントが微笑んだ。
「……贈り物のお礼は……今からするから」
――ありあの頬が、ますます赤くなり……グラントは、瞳に妖しい光を宿したまま、また微笑んだ。
***
「……これで、やっと陛下も落ち着かれるでしょうね」
サリから報告を受けたヴェルナー伯爵は、一つ溜息をついた。
「はい……今日は、ありがとうございました。アーリャ様も大層喜ばれていました」
サリはぺこり、とお辞儀をし、ヴェルナー伯爵に小さな包み、を差しだした。
「……これは?」
サリの頬が少し、赤くなった。
「……お土産と……その、お誕生日のお祝い、です。よろしかったら……」
皆まで言う前に、ヴェルナー伯爵は包みを受け取り、サリに微笑んだ。
「ありがとう、サリ。私の事も覚えていてくれたんですね」
――ヴェルナー伯爵の誕生日は、ルシアの祭りの二日後。グラントの誕生日に近いため、覚えていてくれる人は少ない。
ヴェルナー伯爵は、包みを開け、目を丸くした。
――綺麗な細工があしらわれた、銀色のペーパーウェイト。派手ではなく、かといって地味でもなく、上品な美しさ、だった。
「……いつも、沢山の書類を見られているので……これがあれば、便利かなと思いました」
赤くなったサリに、ヴェルナー伯爵は微笑んだ。
「……大切に使わせてもらいますよ、サリ」
優しい緑の瞳に微笑みかけられて……ますます真っ赤になった、サリだった。
***
「……そう、アーリャ楽しそうだったのね。それはよかったわ」
ファーニアをあやしながら、サーリャはジェードに言った。
「本当、陛下の過保護は目に余るものがあったから……」
あれじゃ、アーリャの息が詰まってしまうわよね、サーリャの言葉に、ジェードは苦笑した。
「……それだけ、陛下がアーリャ様を大切に想われてるってことだろう? 陛下もお気づきだろうから、大丈夫だ」
サーリャはファーニアを抱っこして、窓を開けて空を見た。綺麗に瞬く星達の間を、いくつもの流れ星が落ちていた。
――今日は、ルシアの祭り。流れ星に願いをかければ、一つだけ願いが叶う、と言われている。
私もかつて、巫女の塔の中で……星に祈ったっけ。その時の願いは……今、ここにある。サーリャは、ふにゃふにゃとあくびをしたファーニアを見た。
(……まあ、陛下の願いは……流れ星がなくても、叶いそうだけど)
――多分、一年も経たないうちに
(そうなったらなったで、大騒ぎしそうな気は、するのだけれど……ね)
サーリャは星を見上げて微笑み……そして、窓を閉めた。
<グランディアの平凡じゃない一日 完>




