変わる秩序
ニューヨークの一角、一件の日本食レストラン。
ゲテモノでない、ジャパーニーズオリジナルなスシを出す名店として知られている。
店名は“寿司の六角”。
ピーク時には行列さえできるこの店も、時間を外せばゆったりとしている。
「オーナー、冷やし中華」
女性客が一人、ケースを片手に入ってきた。
無論、ジャパーニーズオリジナルな丼物や麺物も出す。
日米関係が悪化しても、アメリカ人はローカロリーな日本食を好んでいるので繁盛しており、たまにこうして日本人顔を出す。
関係悪化といえ、在米中の皆がアメリカを出る訳にはいかない。
商社や政府関係者などはアメリカで冷たい視線を浴びながらも状況が最悪なことになることを防いでいる。
日本は戦争を望まないという姿勢をとにかくアピールするのだ。
「それ来月からなんですよ」
「そう。ならいつものを」
お決まりのジョークを交わした後にかしこまり、と若い日本人オーナーが厨房へ向かう。
店内はその女以外に客はいない。
一月の朝の十時である。
そんなものだろう。
「お待ち」
十分もせずうどんが届く。
冷えた体を出汁が温めてくれる。
添えられたごぼう天ぷらの衣がサクリと音をたてる。
「ごちそうさま」
時間をかけて食事を楽しむ性分でない彼女は早急に食べ終わり、何気ないふうに皿を見ている。唐草模様の平皿だ。
皿の裏には富士の模様。
「深川?いいわね」
「さすが宮内庁御用達企業だ。香蘭社もあるぞ」
しばし焼き物談義に花が咲く。
「会計いいかしら?」
「オーナー、今のは?」
「いつものお客だよ」
そういいつつオーナーの六角はケースを回収する。
さっきの女がおいて行ったものだ。
「仕事だグズ共。急げ」
六角は日系アメリカ人のダブトン=スターディのケツを叩き追いやる。
自身も奥へ引き、そこで内務省オフィサーの由良がおいていった袋を開ける。
(ネヴァダの実験場の詳細を掴んだか。やるな由良)
新日本食品株式会社、寿司の六角。
日本内務省がニューヨークに置く対米工作の拠点である。
内務省工作部一課の由良はよくここを訪れる。
店員は皆内務省のオフィサー。
日系アメリカ人も三名参加している。
「川内、ロナルド。いつもの周り行ってこい」
「うーい」
二人は着替え、裏口を出てオフィス街へ出向く。
スーツ姿が決まった二人はビジネスマンにしか見えない。
たとえアタッシュケースの中身が麻薬であっても。
アメリカは日をおうごとに排外的になっていく。
マスコミは日欧を敵視し、ゲートを超えてフロンティアを征するべきだという声も大きくなった。
大統領ジャック=クロフォードの人気は衰えない。
二十世紀末からアメリカはだんだんと凋落を見せていた。
そこに現れたジャック。
レーガンを超える“最強アメリカ“を標榜し、経済を立て直した。
弱者は切り捨てられ、強者が支配する強いアメリカ。
貧民は奴隷同然となって機械の隙間で働くか、カナダやメキシコへ逃れた。
フロリダから泳いでキューバを目指し、サメに食い殺された一家がいるとキューバメディアが伝えたのは昨年の十二月。
外国資本も逃げ出していた。
格差が一層鮮明となった国で、下の階層が不満を持たないわけがない。
日本内務省を始めスパイやマフィアは銃と麻薬と爆弾をブラックマーケットで売りさばいていた。
価格は安く、ハンバーガー感覚でドラッグを手にする若者。
二〇十七年春のアメリカはかつての栄光もなく、ひたすらに資本主義国家であった。
民営化されたも同然な警察。
イギリスが手を回していた西部では独立の機運が高まっており、州軍も州政府と結びつきを強めている。
「南北戦争の次は東西戦争か。後世の学生を虐めることだな」
カスバード=コリングウッドはフライパンを踊らせながら常連の中国人と話している。
元グリーンベレーの彼はセガールに憧れ、軍を辞めたあとは料理人となった。
サンフランシスコで店を構える彼は毎日の筋トレを欠かさない。
いつ誰がテロリストに襲われても、華麗に殲滅できるように体を鍛え上げている。
「あんたらの商売に直撃じゃないのか?」
「軍人相手に商売するさ」
「招集はあるんじゃないか?」
「それなら最前線でフライパンを振るうさ」
中国人が店を出ていったあと、カスバードは店を閉じる。
時刻は二十一時。
閉店はいつもこの時間だ。
ここは飲み屋じゃない。
片付けを終えてシャワーを浴びようと奥へ行った時、リンと電話がなる。
カスバードの獣のようなカンが告げる、こいつは取ってはいけない類の電話だ。
受け取ると不幸になる。
結局そのままシャワーを浴びることにした。
翌日、カスバードはネヴァダ基地に連れて行かれていた。
嫌な予感がしつつも無理やり薬で眠り、目を覚ますと目の前に昔の上官がいたのだ。
時刻は午前二時。
ヘリに詰め込まれてサンフランシスコからネヴァダへ移動。
そのままネリス空軍基地へ。
「カスバード元中尉、君に招集がかかっている。部隊を率いてもらいたい。できるな?」
それは依頼ではなく強制だった。
「君にとっても悪くない話だと思うがな」
スクリーンに出されたのはかつての部下。
「ウィリアム=ヘンリー=スミス元軍曹だ。合衆国への造反の容疑で囚えられている。所在は不明。レブンズワースかグワンタナモか‥」
ウィリアムは確かに五年前までカスバードの部下だった。
なぜ造反を?
「反政府勢力と通じていたらしい。退役したんだから自由にしていいと思うんだがな‥君には彼の救出を頼みたい。自由は神聖にして侵されてはならないのものなのだ」
ウィリアム元軍曹、電子戦に長けた男だった。
政府はこれを恐れ、手元に置きたがったのだろう。
情報操作を受けている国民に、真実を知らせてはいけないのだから。
「つまり、ネヴァダは合衆国から独立するのか?」
「違う。コロラド以西の十一州が、だ。首都はロサンゼルス。アメリカ自由連邦共和国の旗揚げだ」
さっそくカスバードはアメリカ自由連邦共和国発足前にウィリアム元軍曹を救出すべく動き出した。
彼は西アメリカ成立の第一人者で、彼が持つとあるデータがなければ西アメリカは独立後うまく自立できないのだとか。
独立戦争と独立宣言は一ヶ月後に予定されており、それまでに彼の身柄を持ち帰らねばならない。
データがなんなのかは教えてもらえなかったが、各所で最大限の支援をすると約束してくれた。
まずはカンザスの空港へ飛び、陸路レブンズワースを目指す。
レブンズワースは米陸軍の刑務所だ。
レンタカーで空港の北側をまわって西へ走る。
畑をこえた先にある、市街地から北西に位置するレブンズワースの街。
ミズーリ川をこえた先、街の北部に立つのがレブンズワース刑務所だ。
時刻は十四時。
真っ昼間から行くのも躊躇われたのでレブンズワース航空学校のそばの林の中にアンブッシュ。
仮眠をとる間に二十二時になり、怪しげな全身黒タイツとなって刑務所へ向かう。
(ロクな対策もなしに来たはいいが、このへんには独立派でも潜んでいるのか?)
ネヴァダ。
オタマジャクシに原腸ができた程度に新米な内務省オフィサーの球磨は、ニューヨークの由良に連絡していた。
「元グリーンベレーの男が一人、ネヴァダからカンザスに向かいました。例のプランが発動した模様です」
〈そう、わかったわ。私は東を見張るわ。西はお願いね〉
衛星電話を畳んだ球磨は飛行機に乗り込んでいく。
行き先はキューバ、悪名高きグアンタナモ。
東シナ海、震度五十。
海上自衛隊の潜水艦けんりゅう。
他の潜水艦も中国の動向を見張るように第一列島線に沿って待機中。
榛名上級一佐はボールペンで遊びながら時間を潰していた。
(暇ですね。遼寧級、ハゲザワヒガシ級空母が出てきてくれればいいのですが)
中国海軍の大物はウクライナから買った廃空母を無理やり再就役させた鉄くず、もとい遼寧。
中国が満を持して送り出した毛沢東級原子力空母二隻。
さらに071型ドック揚陸艦、081強襲揚陸艦もそれぞれ四隻ずつ新造された。
毛沢東級は廃棄されたウリヤノフスク級原子力空母を元にした大型空母だ。
米軍のニミッツ級原子力空母とサイズは同等、排水量は少し小さい。
(そのおかげで内政が愉快なことになっているんだがね)
空母機動部隊を一つ維持するためには一兆円ばかりかかるとされる。
一番艦毛沢東、二番艦北京。
三番、四番は建造中。
また、それを守る護衛艦に昆明型駆逐艦が建造中。
いまは四番艦の成都まで進水している。
(しかし戦船は有機物。乗員の連携がなければ最新鋭艦も連帯感のあるロートル艦に虐殺されてしまう。それに建造だけでなく維持費も馬鹿にならない。七十年前の日本海軍は多数の空母を保有した。だが国家予算の半分は海軍につぎ込まれた)
マグに注いだインスタントチャイの後味に顔をしかめる。
壁にはられた中国の地図。
(一人っ子政策によって人口は少ない。経済も縮小気味。海軍力強化で国力はひどく落ちた。内陸部は荒廃している。まともな神経をしていたら内政にリソースを回すべきなんだが‥)
上級一佐、報告です。
と、当直が報告に来た。
「分かった、今行く」
発令所では静かに、慌ただしく皆が動いていた。
「状況報告」
「けんりゅうより、大型艦を含む艦隊が台湾海峡に接近中。大型一、小型三。潜水艦無し」
榛名が連れているのはそうりゅう型潜水艦八隻。
十五年の年末に故金剛海将(二階級特進)の艦隊が“所属不明の敵によって”全滅させられた後に再編されたのだ。
生き残りの三提督(機雷戦特化の比叡上級一佐は別)に若い船と優秀な人材を集め、旧式艦で育成や近海警備を行う。
アメリカがハワイさえも捨てて大陸にこもってしまったため、太平洋を治めることになった日本はそのための大型艦建造さえ必要である。
金と人員と時間が決定的に不足していた。
イタリアから預かった軽空母カブールはまもなく修復の全工程が完了し、来月にでもイタリアに向けて帰港する予定。
大西洋諸国の艦艇もあらかた修復が終わりつつあった。
世界の海軍は戦後二年で復活を遂げたのだ。
それに合わせたのか、中国海軍も身の丈に合わない増強を繰り返している。
海空戦力の強化により見栄えこそすれ、各国の諜報機関が潜り込んで好き勝手にやっても手の出しようがない。
「アメリカが消え、太平洋が空白となった今を狙ってハリボテ艦隊を台湾へ向けて出してきた。内乱一歩手前の可能性もあります」
そう言った航海長は以前情報関係の部署にいたことがある。
「ならば、“所属不明の艦隊”がこいつらを沈めたら中共の支配力は間違いなく低下する」
「ええ。なんせ大型艦はそれだけの金と人員をつぎ込んでいますからね」
この機動部隊の移動は衛星でも確認されていた。
出港以降リアルタイムで見張られていた機動部隊。
しかし低気圧に紛れて一度失探。
いまでも海上は波が高い。
「冬場の低気圧に感謝だ。接近して魚雷を撃ち込む。こくりゅうとけんりゅう、射点につけ」
数分後に返信が来る。
〈魚雷六発、いつでもどうぞ〉
「魚雷三連、ファイエル」
二隻から放たれた八九式長魚雷が海中を進む。
荒れた海ではソナーも効かず、十二本の銛が突き刺さる。
輪型陣の中心にいた大型艦はなすすべもなく轟沈した。
「全艦、警戒を厳として潜航、沈黙を守って待機せよ」
「ダウントリム十五、深さ百十」
艦首側に床が傾く。
潜水艦を連れてこないのが悪い。
米軍の機動部隊は原潜を連れている。
海中の警戒のためだ。
水上艦より潜水艦のほうが自艦の推進音に阻害されないためソナーが効き、水中からの奇襲を防げるのだ。
「榛名上級一佐より、“我敵大型艦を撃沈す”。以上です」
足柄は湯のみをコトリと机においた。
「大臣、これからどうなってしまうのですか?」
まだ若い、採用されたばかりの青年が恐る恐る質問する。
「第三次大戦だ。制服組には情報の隠蔽をさせておけ。言われなくてもやっているだろうがね」
デスクに腰をのせ、指先で湯のみの上部を摘む。
「二〇一五年の続きさ。世界地図の買い替えを検討しておけ。先進国が楽しく世界を超えて潰し合って世界は平和になるぞ」
鼻で笑いつつ足柄はデスクに刺さっていたダーツを壁の世界地図に向かって投擲。
「まずはアジアだ」
北京に突き刺さったダーツの矢羽は赤と白に塗られていた。
部下の背中に引っ掛けたダーツボードから刺さったダーツを引き抜くヴァレリー。
彼はポーカーに負けたのだ。
粛清である。
その頃ロンドンのMI6諜報四課では崩壊直前の中国の動向を注視していた。
東海艦隊の強襲揚陸艦を中心とした四隻が上海を出港後、低気圧に隠れて南下したはずだが台湾海峡付近で見失った。
残された駆逐艦三隻の動きを見ると、どうやらクラーケンに海底まで案内されたらしい。
「問題はそのクラーケンがどうやって隠れるか、ね」
「衛星ではクラーケンは探知不能です」
「それと、クラーケンの親玉をデヴィ=ジョーンズは造っているようです」
例のテーブルに情報を表示する。
例によってカードを配るときの感覚でデータを滑らせてヴァレリーにまわす。
「サザンクロスプラン?タンカーにしか見えないわね」
「自走式ドライドック偽装タンカーです。船底から潜水艦の出入りが可能で、内部にて修理補給を行う模様」
「珍妙奇天烈ね。でもソウリュウクラスの潜水艦ならいくつかこれを浮かべておくだけで太平洋を支配できるわ」
中国政府の会見きました、と職員が告げる。
「今朝、所属不明艦艇によって我が国の輸送艦が沈められた。強い憤りをおぼえるものであり、このような愚行をなした者を我が国は決して許すことはないだろう。無慈悲な報復が国土をことごとく塵に返すと思うがいい」
「...」
四課のオフィスは沈黙した。
皆が吹き出すのをこらえているのだ。
とうとうエドワード=サイフレットが吹いてしまった。
「無慈悲な‥ってなんですか」
まさに語尾に「wwwww」と付けたくなる口調だ。
「こいつは愉快だ」「今のうちに資産をとれるだけ獲っておきましょう」
「国民が哀れだな。せいぜい体を金貨にしてから死んでくれればいいのに」
職員たちの関心ごとはあくまで大英帝国の利益であり、見ず知らずの中国人が二人死のうが二兆人死のうが知ったことではないのだ。
「まぁ、英国としては金さえ手に入ればいいのです。五課に任しましょう」
大英帝国は揺るがない。
どんな時でも揺るがない。
一に金、二に利益、三四は省略、五に権益である。
ユダヤ人とアラブ人の不毛な殺し合いの元凶でありながら知らぬ存ぜぬを決め込む面の皮の厚いこと。
今でも日本に笑顔で擦り寄りつつ、裏では中国を助けている。
(日本人はバカだからコロリと我が国に対して警戒を解いている。島国で、しかも周りに朝貢しか知らない中国以外の国がなかったから情報というものの価値に疎い。それはもう憐れみすらおぼえるほど。能代は大丈夫かしら?こっちに来てくれたほうがとても助かるのだけど)
「お嬢、さすがにその考えはどうかと思いますぜ」
ヴァレリーは振り向きざまに声の主めがけて手元にあった誰かのトーストを投げる。
ああ、食事が、という悲痛な声に気づかないのは赤面しているからだ。
「ど、どこから聞いてたの?」
「か‥カマをかけてみただけッス‥」
哀れエドワードは顔面にスパムを投げつけられた。
ああ、食事が、ともう一度。
「ぶっ殺すわよ!?」
だが顔にトーストとスパムを投げつけられたエドワードとトースト、スパムを奪われた男を含めて皆が白い目でヴァレリーを見ていた。
「やっぱり色ボケしてるよ」「カレにぞっこんですね」「いつものクールなお嬢はどこぞの日本人が絡むと消え去るらしい」
「‥」
さすがにここで銃を乱射するわけにはいかない。
満身の自誠心を右手に集める。
こいつらを消し去りたいという気持ちと、高価な室内の調度に傷を付けられないという冷静さの板挟みの末、彼女は胸の前で震える右手の甲を左手で抑えるという、なんとも痛々しいポーズをとる羽目になった。
まったくの無自覚で、しかも無知であるのに謂れのない中傷が彼女を襲う。
「厨二乙」「色ボケ厨二病とかテラワロス」「お嬢は日本でも生きていけるな」「そこまで旦那のことが」「邪気眼はあるのかい?」「設定教えてよ」「いい年して‥」
何を言われているかわからないが、とにかく弄られているらしいので手元にいた男のカツラを奪って逃げ出した。
入ってくる情報があまりに多く、いかな秀才でも取捨選択ができなかったのだ。
しかも能代との関係で弄られたあとだ。
優秀な彼女は珍しいことにきわめて感情が不安定になっていた。
射撃訓練場に現れたヴァレリー。
いつものCz75拳銃をマンターゲットに向けてぶっ放す。
ダンダンダンダンダンダン。
マンターゲットの頭が砕け、被せられていたカツラが落ちる。
ダンダンダンダンダンダン。
カツラにむけて集中射撃。
ダンダンダンダンダンダン。
ダンダンダンダンダンダン。
カツラはこらえきれず翻弄され、されどしぶとく繋がっている。
そう簡単に壊れるものではない。
そもそも繊維なのだ。
弾丸が抉ったところで崩壊することはない。
それになにより、カツラは全人類の希望なのだ。
人々(はげ)の強い信頼を背負うカツラは滅多なことでは崩れない。
たかが小娘の苛立ちまがいの拳銃弾などが太刀打ちできるわけなどないのだ。
だがカツラは希望である。
強さだけではない優しさも兼ね備えた存在なのだ。
なぜかヴァレリーはカツラが自信に話しかけているように感じられた。
強く生きろ、と。
人生に絶望するハゲに未来を与えるカツラの言葉は、荒んだ彼女の胸に染み渡った。
(負けちゃいられないわね)
「なんだあれ」
「カツラに祈っているようですね」
「休暇を取らせてやろう」
それを生暖かい目で見守る一群がいた。
彼らの目には美人の上司が激務の末ついに狂ったようにしか見えないのだ。