初恋シンデレラ。
いつも五分間しか公園にいない彼女に俺は話しかけた。
ある人の、最初で最後の恋の話。
ふと、思う。シンデレラは一体どれくらいの時間その美しい姿でいられたのだろうと。俺はそういう歴史には興味ないから舞踏会の仕組みなんて知らないけど。舞踏会始まってから午前0時までいられたんだから…2時間ぐらいは居られたのかも。それなら俺はすごく羨ましい。俺のシンデレラは――たった5分間なのだから。
これは俺の最初で最後の恋の話。
いつから彼女はいたのだろう。俺がそこを通るようになるよりずっと前にいたのかもしれないし、もしかしたら、つい最近のことなのかもしれない。とにかく俺が気づいたのは、高校に慣れてきて3ヶ月たったほど。彼女は俺の通学ルートにある大きめの公園の、大きい噴水の近くにあるベンチにいたのだ。休日はいない、平日だけ。行儀よくベンチにちょこんと座って、ケータイをいじってるわけでもなく、本を読んでるわけでもなく、ただこちらの大きい道路沿いを見ているだけ。制服は知らないから、遠いところなのか、凄く頭の良いところに通っているに違いない。でも一番不思議だったのは、彼女がそのベンチに座っているのは、四時二十五分から四時半にかけての五分間しかいないこと。ふらっと現れては、腕時計で時間を確認するとふらっと消えてしまう。きっと、ここらへんの近くの高校に通っていて、帰宅部の俺だから見つけられたんだろう。
彼女に初めて話しかけてたのは、早くも彼女を見つけて二週間くらいたった頃。たまたま彼女を見ているところを、同じ中学だったそこそこ仲良かったやつに見つかり、話しかけてこいと、ある意味な感じで背中を押されたからである。最初は不審者とかナンパに見られるんじゃないかと内心ヒヤヒヤした。しかし、声をかけると彼女はとても嬉しそうに笑ってくれた。いつの間にかあいつはいなくなっていて、俺はしばらくの間彼女と会話を楽しんだ。やっぱり五分経って、彼女はベンチから立ち上がるとこっちを振り替える。?を浮かべる俺に彼女は笑う。
『今日は楽しかったよ。もし、あなたがよければだけど…また明日も同じ時間に来てよ?平日なら同じ時間にいつもここにいるから』
酷いなあ、とぼんやり思う。そんな大好きな笑顔をされて断れるわけがない。それに、彼女の行動パターンなんて前から知っていた。俺は何にも知らないフリをして、うん、と答える。彼女はまた笑うと、今度こそきびすを返して、公園から出ていった。ここから、俺と彼女の奇妙な関係が生まれた。俺はこの時、彼女に叶うことがないと確定した恋心を自覚したのだが…。彼女はどういう気持ちで俺に明日来てなんて言ったのだろうか。
俺と彼女の間にはいくつかの暗黙の了解があった。一つ目は、時間は必ず彼女に合わせること。だから彼女に会えるのは今まで通り四時二十五分から四時半までだった。二つ目は、本名を教えないこと。だから、俺はいつまで経っても彼女を彼女と呼ぶことしかできなくて、彼女も俺とあなたと呼ぶことしかできない。俺は別に気にしなかったけど…。彼女は俺の名前を知りたいと思ったことはあったのだろうか?三つ目は――、お互いここ(つまり公園での会話)でしか交流を持たないこと。何故だかわからない。だけど、お互いメアドなんか教えないままズルズルと時が経ってしまったのは紛れもない真実である。
いつも思う。俺は彼女に何を求めて、彼女は俺に何を求めていたのだろうと。それはいつまで経ってもわからないまま。おそらく永遠の謎。死ぬ間際になったとしてもおそらくそれはわからない。でも、それでいいんじゃないかと俺は思う。他の人から見れば少しピントのずれた結論かもしれないけど。構わない。だって――、彼女と過ごした穏やかな時間は夢じゃなくて、現実で過ごした本当の時間だから。
彼女とはいつもそんな行事とか特別なことではなくて、普段の学校生活での何気ないことを話した。もしかしたら、それも暗黙の了解に入っていたかもしれない。俺は友達とバカやったり、授業中寝ててマンガみたいに先生にチョーク投げられたり。普通の友達には絶対話せないようなそんなことでも、彼女にはまるで最初からそう話す予定だったかのようにスラスラと話すことができた。それを聞く度、彼女は口に手を当ててクスクスと笑うのだ。俺はその笑顔が大好きだった。彼女は彼女でほぼ毎日のように小テストがあるとか、宿題が教科書二十ページ分出たとか主に勉強面での口が多かった。俺には一ミリも縁の無い話だったので、うん、とか、大変だな、とか、そんな短い相槌を打つことしかできなかった。今考えたら、向こうは一つ一つリアクションを取ってくれていたのに、俺はどんだけ無愛想だったことだろう。失礼なことこの上ない。でも、彼女は俺が話を聞くと、とても嬉しそうに笑うのだ。その笑顔に完全にほだされてる俺は、もう救いようがないな、と自分で思った。
ある日。いつもベンチから立つと真っ直ぐ歩いて行ってしまう彼女が、こっちに振り返ってきた。へえ、珍しいこともあるもんだ。少し、彼女が俺に明日来てほしいと言ったことを思い出した。彼女はいつもの笑みを浮かべて、とんでもないことを言い出した。
『あのね、私引っ越しするの』
『は?』
思わずそう返す。だって唐突すぎる。なんでいきなりそんなこと。それも別れの際で。まるでこれが今生の別れみたいじゃないか。
『土曜日の朝に。今日は木曜日だから…明日で最後だね』
震える手に無理矢理力をいれて、なんとか悟られないようにする。
『なんでそんな…いきなり?』
『親の都合で。でも、高校は変わんないよ?むしろ近くなるかな』
『…そう』
俺はそう答えた、否、そう答えることしかできなかった。そうだ、彼女が俺にとって片想いの相手でも、彼女は俺にとってよく話す友達くらいでしかないのだ。あと数年後もすれば、俺よりは数倍顔も性格も良いやつが彼女の隣を歩いているのだろう。そう思うと、何だか空しくなって、その代わりと言うように手の震えが消えた。と、彼女は俺のそっけない返事を全く気にせず、俺をジロジロ見てきた。気恥ずかしくなって、思わず目を逸らす。
『うん、何にもつけてないね。わかってたけど』
『どういう…?』
つけてないって…何をつけてないんだ?てか、彼女は一体今何を確認してたんだ?
『ううん、何にも。明日もそのままのあなたで来てね?最後だからって変に着飾らないでね?』
『う、うん…』
よくわからない言葉を残して、彼女は帰って行った。俺はベンチに座ったまましばらくその意味を考えたが、わからなかった。まあ、明日もいつも通りに来いということか。お別れムードになったら、彼女もきっと気まずいんだ。きっと、そう。俺はそう自分に言い聞かせて、重たい通学鞄を背負って公園をあとにした。今思うと、この日が初めて彼女と五分間を越えて話した時間だった。
次の日。彼女と最後の五分間。悲しいかな、それでも話す内容は変わらなかった。結局俺は彼女に思いを伝えられないまま、彼女の真意もわからないまま。最後の最後。彼女はまた振り返った。
『立って、目を閉じて』
よくわからないが、彼女の言う通り、立って目を閉じた。首にひんやりした感覚が伝わる。これは…。
『目、開けてもいいよ』
目を開ける。俺の予想は当たっていた。俺の首にシルバーのネックレスが通っている。トップにプレートがついているが、変な感じに切り取られていて、明らかにカップルとかそういう人用だとわかった。プレートにはよくわからない文字が刻まれている。
『私とお揃いなんだよ?今は見せないけど』
『何で?』
『…あなたの方にはフランス語、私の方には英語で同じ言葉が書いてあるの。それは私があなたに伝えたい気持ち。あ、意味人に聞いたりネットで調べちゃダメだよ?絶対』
『う、うん…』
『でも、よかった。あなたがもしアクセサリー一杯つけるような人だったら埋もれちゃうかも、って心配だったんだもん』
なるほど、それで彼女は昨日俺のことをジロジロ見てきたのか。
『もしね、また会えたらこのプレートを合わせて君に本当の思いを伝えるよ。って、マンガみたいだね』
彼女がそう言って、笑う。ああ、この笑顔とも今日でお別れか。少しだけ寂しかった。でも、少しだけ。俺にはなぜか、また会える確信みたいなのがあったのだ。これが俺と彼女が五分間を越えて話した二回目。結局二回だけだったけど。その日、お互い『バイバイ』と言わずに別れた。普通ならおかしい。だって、次はもう会えないかもしれない。でも…また会える。そう思うために俺たちは別れの挨拶をしなかったのかもしれない――。
彼女は、不思議な人だった。ふらりと現れては、ふわりと笑い、五分経てば消えてしまう。まるでシンデレラ。俺はあの日からでも毎日公園を覗く。当然彼女はいない。それでもなぜか覗いてしまう。彼女がシャボン玉のようにパッと現れてくるのをずっと待ってる。でも、今度はもう消えないで。そう思う俺はよっぽど重症かもしれない、と自分自身で苦笑した。
――そして時は経ち――。
俺は就職難と言う時代の中、正社員の座を勝ち取り、そこそこ上手くやっていた。今でもネックレスは肌身離さず持っている。フランス語の意味もまだわからないまま。たまに、これのことを聞かれて話すと、もう無理だ、六年も経ってるんだし諦めろとか言われたけど、不思議と何にも気にならなかった。今日も今日とてこの公園に来ていた。今日は珍しく仕事も早く終わったし――久しぶりに座ってみようか。自販機でブラックのコーヒーを買い、一人でベンチにちょこんと座る。横は空けたまま。なぜかはわからないけど。と、俺の横に座る人がいた。他人の隣に座る人だなんて珍しいな。そう思いながらチラリと横目でみやって目を見開く。彼女の胸には…俺のネックレスと同じものが光っていた。こちらの視線に気づいたのか、女性――彼女がニコリとかつてと同じ笑顔で笑う。
「ふふ、驚いた。毎日来てたの?」
「ま、まあ…。覗いてただけだけど」
「久しぶりだね、元気だった?」
「うん。そっちは?」
「私も、元気だったよ。さて…」
彼女が首からネックレスをはずす。俺もあわせるようにはずす。彼女は六年前には見せなかった挑発的な笑みを浮かべた。
「答え合わせ、しよっか」
胸が高鳴る。ずっと知りたかった彼女の気持ち。ゆっくり、ゆっくりと合わせる。彼女のプレートを見ないように、自分のプレートを凝視して。
「緊張しすぎ」
彼女がクスクス笑う。だって、仕方ないだろう?
「もう、合わせたよ」
彼女の言葉で、俺は視界を広げる。俺のプレートには相変わらずよくわからない文字。彼女のプレートには――。
『I love you』
切り取られていた部分に浮かび上がるのは、四つ葉のクローバー。幸運の、象徴。模様だけど、このクローバーは本物だ、なんて思ってしまう。彼女は笑みを浮かべたまま、
「あのね、もし答えが肯定なら私に名前を教えて。否定なら……」
彼女はあえて何も言わないように言葉をと切らせた。でも、そんなの最初から決まっている。
「俺の名前は――」
四時半。少し変わったシンデレラと王子の五分間の魔法がとけた時。
―END―