2. 勇者はちからつきた!
あれはサファイアなんかじゃない、もう二度と聖ウェズリーに忍び込もうなんて思うな。と魔王に釘を刺され、勇者くん、もとい、泥棒くんは首も膝もカクカク鳴らして頷きました。
洗濯乾燥が済む頃には、空も暗くなってきた。
「おうち、どこなの? 送ってく」
「ぼ……ボク、魔法使えるから平気。道路で親指立てて唱えるの、“ひっちはいく”って」
「生々しい呪文だな……」
バスローブから乾きたての服に着替え、復活の呪文が刻まれた石板入りリュックを背負い、泥棒くんはトボトボ玄関へ向かいます。
途端にバッタリ倒れました。
「わわ、ふいうちされた?」
慌てて駆け寄れば、泥棒くんの腹部からキュルルルルと腹の虫の大合唱が。
「い……“いきだおれ”」
何か唱えてますけど。
「じゃ、ルール説明でーす。僕と大牙と莉子ちゃん、それぞれの鍋にそれぞれが買ってきた具材の串が入ってます。自分以外の鍋から一串選んで、いただきましょう!」
「こ……この町の食事は変わってる」
カオスな香り漂う闇チーズフォンデュを前に、泥棒くんの顔には“ひっちはいく”を唱えるべきだったという後悔がありあり。
でも泥棒くんが残ってくれて、実はホッとしてます。だってだって……気になるじゃありませんか、あの石板、あの呪文! どうして放っておけますか?
『骨が石と化す』だなんて、魅惑的な一行を!
骨という文字にずっとドキドキしてたけど。骨が発端で大牙さんにつれなくされてるから、我慢に我慢を重ねて黙ってたんです。
石と化す、そう、骨は化石となって未来永劫その形を地球に刻む美の伝道者! 復活の呪文は意味のない文字の羅列だそうだけど、あの石板の呪文は生態美、生命の神秘を謳う高尚な詩に違いありません。
「あ。莉子ちゃんこれ、桜餅でしょ。へえ意外、こんなにチーズに合うなんて」
「合うわけないだろ律ちゃん」
「み……見てるボクが吐きそう」
「“吐くなガキ耐えろガキ”。 ったく律ちゃん、味覚狂わされたんじゃないのか……おいまさかコレ」
黄色いチーズにコーティングされ、皮むき前に戻ったかのような三日月形。その串は莉子の鍋から大牙さんに拾われていった。
「あ、大牙さんそれサービス問題ですよー」
「バナナに何しやがんだ死ねボケーッ!」
ものすごい破壊力の攻撃呪文がっ。
「それにしてもエステルくんは――あ、大牙これアワビのおどり食いでしょ。へえ意外こんなにチーズに――勇者というより賢者――あ、莉子ちゃんこれワサビ巻きでしょ。へえ意外こんなにチーズに――だよね、暗号に詳しくて」
リッキーさんは闇チーズフォンデュの趣旨を微妙に間違ってらっしゃる気も。
「だけど『らせんを描く階段の、10050100VIIで』も『行方に待つ鍵10001AGHE5050』にはシーザー暗号当てはまんないね。『10050100SFFで』、『10001XDEB5050』なんて、単語にならないもん」
なにげなさを装ったのか、本当にただ疑問だったのか、判別できない不思議顔でリッキーさん。ワサビが効いたらしく、きゅうと唸って眉間を押さえてる。
眉間から離れた手は、泥棒改め賢者認定の少年のお皿にさりげなくハンバーグらしき小判型の串をよそった。
「う……ウン。『WESLEYの聖堂でSAPPHIREを捧げ持て』じゃないトコの解読法は、わ……分かんない。ぜ……全然、意味分かんない」
あれ、お得意の暗号の話題のはずなのに口ごもってます。せっかくよそってもらった美味しそうなチーズハンバーグ、食欲なさげに突っついて。“いきだおれ”唱えるほど、お腹空いてたはずなのに。
「ほーお。俺には分かったぜ、最初の三行」
チーズハンバーグの隣にフランスパンらしき乱切りを押し込めながら、大牙さん。
「『糖と酸と五種の塩、それらから成る神殿の、らせんを描く階段の』。チンパンジーの話してて気付いたんだよな」
猿の神殿……まさか大牙さんのご実家……っ。
「デオキシ糖、リン酸、塩基で成立するらせん階段つったらアレだろ」
「アレってなにっ? 教えて!」
びっくり。
さっきまでのしおれ加減はどこへ、賢者くんは椅子に立ち上がり大牙さんへと詰め寄った。臆病さを忘れた大きな瞳は真摯そのもの、大人に嘘を言わせぬ迫力があります。
「ねえ教えてってば、教えて!」
泣き出しそうな懇願にも、大牙さんは落ち着き払って動じません。ゆっくり腕を組んで、まるで命乞いする小動物を前に悠然と牙の手入れする猛獣みたい。
「……“ひっちはいく”だの“いきだおれ”だの、そんな物騒な呪文駆使してまで、偽名で旅する目的は『死神の腕より赤子を救わん』なのか?」
「そ……それは……」
「暗号か比喩かと思えば今の勢いからすると、直球みたいだな――おい律ちゃん、タクアンは結構キツいぞ」
勇者エステルは偽名だったのですか。近頃は凝った名前が多いから騙されるとこでした。
「ところでおまえ、ここをどこだと思ってついて来たんだ?」
「ついて来たっていうか引きずり込まれた気がするけど……魔王の宮殿?」
「サイケ・メタリック探偵社だ」
チーズコーティング越しにも明らかな触手に眉をしかめつつ、大牙さんは呟いた。
「うちの社長はたまに、報酬度外視でクエスト受けたりして困るんだよな。たとえば、ワケ分かんねー復活の呪文にいたく興味をそそられちまった、とかさ」
「ふふっ。ごめんね大牙、そうなの。勇者エステルくんがお悩みの、石板の答えは」
楽しくて仕方ないって風情の笑顔でリッキーさん、串を掲げた。チーズから触覚が立ってるように見えるのは“錯覚だよ莉子気のせいだよ莉子”。
「僕たちが、愛で見つけてみせましょう! ――へえ意外、チーズってイナゴの佃煮に……」
うええええ。
「くそー、律ちゃんを泣かせる食材はこの世にないのか?」
わたしが泣きたいです。
「とは言ったものの実際、『糖と酸と五種の塩、それらから成る神殿の、らせんを描く階段の』……こいつが遺伝子だってこと以外はお手上げだ」
お仕事、引き受けた瞬間に投げ出したー!
「そお? 僕は莉子ちゃんなら、すんごいヒントくれると思ってんの。ねーっ」
って、にこにこされましても。
「だって『赤子の骨が石と化す』だよ。これはもう骨先生莉子ちゃんに伺うしかないでしょう、ハイどうぞ!」
って、仮想マイク向けられましても。
大牙さんの前で骨は禁句ですよリッキーさーん! ほら顔が熱くなってきた、ううんフォンデュの白ワインのせいかな、とにかく骨は封印なんです!
「骨博士なんてとんでもない、わたしが知ってるのなんて、極めて一般常識の範囲ですから」
「今、先生から博士に自分で格上げしなかったか」
下唇を骨なんぞ聞きたくもないって苦みばしった形に歪めて大牙さん、キッチンの方へ行っちゃった。食後恒例、山盛りバナナからのトゥデイズ・ベスト黒ずみバナナ選抜をなさってるのでしょう。
そっか、と拍子抜けするほどすんなりとインタビュアーは引き下がった。と思いきやニジニジと勇者エステルくんの隣へ平行移動。
「新しい呪文覚えよっか、エステルくん。思いっきり願いと愛を念じて、眉間のへんから飛ばすの。そうそう上目遣いにね。それで唱えてごらん、“おねだり”って」
なんとLV99の天使必殺呪文、おねだりを授けてますよー!
「お姉ちゃん……教えて下さい。“おねだり”」
いけません骨は封……キャー、直伝のうるうる目線でいたいけな子供にそんな呪文かけられたらー!
「はいっ了解任せて下さい。勇者エステルくんがお悩みの石板の答えは、天地神明に誓ってこの莉子が、骨で見つけてみせましょうー!」
ボトボトッ、ってキッチンから何か大事そうなものが崩れる音がしたけど。
「やったーありがと、お姉ちゃん! “ほねせんせ”! “ほねせんせ”!」
「“ほねせんせ”! “ほねせんせ”!」
おおっ強力な攻撃補助呪文、まるで攻撃力倍増バイキルト……あれっこの知識はどこから。呪文の副作用か、キッチンでは誰かのたうってる気配がするけど。
「でも大牙さんが遺伝子って解いて下さったから分かったんです。『赤子の骨が石と化す』、これは遺伝子変異が原因の骨の病気、大理石病のことでありましょう!」
骨は成長や代謝の過程で古くなった部分を溶かす、その役割を担うのが破骨細胞。大理石病の患者さんは破骨細胞がうまく働いてくれず、骨の中心に古い骨が溜まってしまいます。レントゲンで撮ると健康な骨は中心が透けてるのに、この病気の骨は真っ白に映る。石のように。
ううっ、なんとおいたわしい!
「なぜ勇者エステルくんの復活の呪文が大理石に彫られているのか、これがその答えではないでしょうかっ?」
「わー“ほねせんせ”! “ほねせんせ”!」
「それ“ほねせんせ”! “ほねせんせ”!」
「でもそれ以外はお手上げです」
「ほねせんっ……」
悲痛な感じで呪文が途絶。だって骨学というより遺伝学の守備範囲です、いくら莉子が骨神様でもそこまでは!
魂が抜けたようにテーブルに突っ伏す勇者くん。その細い髪を天使の手がなでなでします。
「エステルくん、歯みがきして寝よっか。僕のベッド使っていいよ」
ちょっと待ったー!
「待て律ちゃん」
ほらダメ出しがー!
「泊める気か、そのガキ」
「もう外は真っ暗だよ、“ひっちはいく”するにはもうMP残ってないみたいだし。“いきだおれ”も“だんぼーるはうす”も唱えさせたくないし」
紙箱が家に変わるステキな呪文があるようで……いえリッキーさん、大牙さんがご立腹なのはリッキーさんと勇者くんが、大牙さんを差し置いて同じベッドに寝るということでは?
「ご不満なら、僕は大牙んとこで寝よっか?」
キャー野ばらみたいに清楚な笑顔でそんな! 花言葉は素朴な愛、素朴すぎるだけにストレートなダメージ、どなたか莉子にHPちょっと回復のベホイミを……あれっこの知識はどこから。
「馬鹿、別に誘ったわけじゃねーよ……」
キャーうつむいて歯切れ悪く呟きながらサングラスを一層厳重にかけ直したりして、照れるお姿がかいしんのいちげき! どなたか莉子にHP完全回復のベホマを……あれっこの知識はどこから。
バスルームからシャコシャコと軽快な歯みがきの二重奏が聞こえてくる。一方のキッチン及びダイニングでは、でろーんと重い空気が漂ってました。
あれだけ自制してたのに“おねだり”と“ほねせんせ”の呪文でうっかり、骨フェチさらしちゃいました。第十二ラウンドは呪文対決だったんでしょうか。莉子はちからつきた! というシンプルにして無情な告知が背後へヒタヒタ迫ってる予感。
「……その病気」
「ふぁいっ?」
急に話しかけるからっ。飛び上がった心臓に押されて、声が裏返ってしまいました。
「手術が必要だったりすんのか? 『銀の剣は背を貫き、死神の腕より赤子を救わん』」
なるほど『銀の剣』をメスと解釈なさったのですね。
「いえ、おぼろげでかすかなうっすらとしてあいまいな一般常識によれば、有効な治療法は骨髄移植だったかと」
「警戒しなくてもいい。じゅうっっぶん分かってる、変人だってことは」
猿の脚力で死神の腕に蹴り落とされたようです……。
カタカナの呪文はスクウェア・エニックス『ドラゴンクエストシリーズ』より