3. 恋愛標的、ロックオン
茶々さんのお部屋、玄関より奥の未踏の地。大牙さんに連れられサプライズバースデーパーティにお呼ばれしてみれば、そこはヨーロッパの古城の一間をそのまま移築したかのようだった。
先輩方の2LDK床面積を足しても及びそうにない広いリビングにはシェフさんが待機。立食スタイルのパーティテーブルに鎮座なさるは、莉子には生涯、TV画面でしか拝むことはないと信じてた高級食材さま方。
感激にむせんでいると、リンゴー……ンと重厚に来客のお知らせが。部屋の主に頼まれ玄関ドアを開ければ、スーツ姿の長身男性が立ってらした――黒い手帳を掲げて。
「突然に失礼致します、警察の者です。少々お話を伺いたいのですが」
けっけけけけけ警察!
脊椎がビキビキッと音を立てて氷柱になったかのよう。だって心当たりがありすぎです!
「実はこのマンション内に」
ピンポンダッシュ犯がいて逮捕しに来た。謎の美人の性別を取り調べに。学校を牧場呼ばわりする理事に人権侵害の疑いが。ある部屋がバナナくさいので押収しに。
ありとあらゆる容疑が頭蓋をめぐる。
「実はこのマンション内に探偵業を営む未成年者がいるとの通報がありました。法定代理人の許可がなければ違法行為となりますので、事実確認したいのです」
いっいいいいいい違法行為!
サイケメタリック探偵社は違法営業だったのですか。あっ、家宅捜索でリッキー教団の壷が発見されたりしたら、罪状が増えてしまいます!
「あなたは七階に居住する神宮寺律季および衛藤大牙と面識はありますか?」
面識どころか先輩。雇用主。上司。大牙さんに至っては恋する下顎骨保有者。
「えと……ええっと……」
「ああそうそう」
若い刑事さんは爽やか笑顔で白いエナメル質を覗かせた。
「嘘をついてはいけないよ。偽証罪に問われることをお伝えしておきましょう」
ひいい、先手で釘刺されてるー!
エナメル質並みに脳が白くツルンとなってたその時、後ろからずるぺたと聞きなれた足音が。
「おい、なにを手間取って――」
刑事さんの目が莉子を離れ、声の主へと差し向けられた。
大牙さん捕縛の危機!
「なんだ律兄か」
「なんだとはご挨拶だなあ、大牙。ま、変わってなくて安心したよ」
はいっ?
刑事さんと重犯者さんが……親しげです。ぱくぱくと酸欠金魚風に情報希望。
「あーそいつな、リッキーの兄貴。律兄、口全開で突っ立ってるこのボケがうちのメイドらしいぜ」
それから大牙さんはふと顔をしかめた。
「名前、あったっけ」
拍車つきの乗馬ブーツで回し蹴りされたら、この衝撃と釣り合いますか?
意地悪ー! 気づいてるんだから、大牙さんが過去に一度も名前を呼んで下さったことがないって!
「初めまして、こんばんは。萬里小路律詩と申します。わけあって母方の旧姓を名乗っておりますが、神宮寺律季の実兄です」
ご挨拶なご紹介に茫然としてる間に、やたらと長そうな名字が耳小骨を通過しましたが……何度か脳内再生してヒアリング。つまりリッキーさんのお兄さん?
言われてみれば和やかで爽やかな雰囲気や癒し系な目元が似てます。百八十五はある長身にかっちりした骨格、マネキンより美しくスーツを着こなす筋肉、でもリッキーさんと共通のスーパーマイルドスマイル。
「君が高居莉子ちゃんだね? リッキーと大牙がお世話になってるそうだね、どうもありがとう」
短髪の頭が深々と下げられる。最敬礼して頂くなんて生まれて初めてかも。慌てて、こちらこそと初めましてのご挨拶をば。
「サプライズしちゃってすまないね。反応がストレートで可愛い子って噂だったから、つい」
悪気なさそうに笑うお顔は日焼けして引き締まってる。イメージは美形のスポーツ選手。美少女リッキーさんとはかけ離れてるのに、オーラは一緒って不思議な感覚です。
律詩さんは上体をかがめてきて、声を潜めた。
「俺が来てるってリッキーには秘密、パーティも秘密、驚かせたいから。よろしく、共犯君。ははっ」
よろしくね、ふふっ――周波数変えたら、そう笑うリッキーさんの声になりそう。
リッキーさんのお兄さんでパーティ客だと判明した律詩さんは、茶々さんとも旧知なご挨拶をなさって……あの、サプライズパーティってゲストが団結して主役だけを驚かす趣向じゃありませんでしたか? なぜ莉子が団結して驚かされて……くすん。
「あのう、さっきのお話は本当なんですか? 先輩方の違法行為って」
「そうだよ。法定代理人が許可していない未成年者の営利行為は違法だからね。話を聞く限りでは目くじら立てられることもなさそうだが……大牙、警察や父の注意を引く派手なことはしないように頼むよ」
「……んあ」
昨日、地下駐車場で派手に乱闘なさったばかりの大牙さん。わずかな返事の遅れを聞き逃さなかったらしい律詩さんが、ウーンと傾げた首の角度はリッキーさんとおそろい。
「そうだなあ……問題解決しようにも、法定代理人たるべき父が許すとは思えない。となるとリッキーが成年になればいい。知ってるかい、二十歳未満でも結婚すれば未成年でなく成年になるんだよ。高居さんと結婚しちゃおうか」
りっりりりりり律詩さん、罪を逃れるためとはいえリッキーさんのラブメイトの前でなんてことを! この方にとってそれは死刑に値する大罪ですよ! 大牙さんの沈黙は、まるで潜行中のジョーズ。
「あは、あはは、そんなあ。リッキーさんが早く二十歳になって下さるといいですねー」
神の救いかリンゴーンとまた来客。噂をすればジョーズの飼い主リッキーさんご本人!
リッキーさんご本人……と、ムラサキウニ。
「茶々さん、お呼びでしょうか……って、あれっ? 兄さん、わーいどしたのー」
迷子の子犬が母犬と再会する時だってこんなに喜べません。靴を脱ぐのも忘れて律詩さんに抱きついてるリッキーさんに、六郎太さん同伴の理由を伺うタイミングを逸していると。
「おまえここをどこだと思ってんだ。海に帰れ」
と、海のラブハンター、ジョーズ大牙さんがウニ襲撃。
「昨日、話が始まる前に神宮寺に逃げられたじゃん。文句つけに来たわけよ」
ウニ反撃。レザーベストにレザーパンツに大量のアクセは六郎太さんの制服みたい。イーッと唇を引っぱって犬歯を覗かせるのが、六郎太さんの笑顔みたい。
「でも出かけるってんで食い下がってみたら棚ボタじゃーん。Little Girl発見、ロックオーン!」
シャコン。
軽快な音と、ひんやりな感触に見下ろせば。ガッチリ手錠のはまった手首、その腕は莉子の胴体に繋がってるような。六郎太さんと手錠連結されてるような。
いやー! あなたの顎には興味ありませーん! うえーん。
「君、嫌がっているじゃないか。すぐに外しなさい」
「六郎太くん、こんなことしたら莉子ちゃんだけじゃない……愛が泣くよ」
「茶々、ノコギリ持って来い!」
ありがたくも莉子救出に尽力して下さる皆さまに向け、六郎太さんは鋭い目尻を細くして、狼系の冷酷な笑みを深めました。
「甘いなー衛藤、ノコギリで手錠の鎖が切れると思ってるわけ?」
「思ってねえよ。おまえの手首を切るんだよ」
「キャーやめて下さい大牙さん! 骨だけはせめて医療用のでー!」
飛んで火に入る夏のウニ。
やって来たのがひったくり主犯と判明すると警察官さんは憂い、学院理事さんは薄く笑いました。反応、逆じゃないでしょうか。
「刑法二百三十五条。他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。話はパーティが終わってからゆっくりとね」
律詩さんに宣告され、ふてくされつつも覚悟をした様子の六郎太さん。手首を落とすと脅されても動じなかったのに、手首に当てたノコギリを本当にひと引きされると腰を抜かしてわたしを解放してくれました。
「大丈夫だ君、傷は浅い。軽いすり傷だ。手加減してやったんだな、大牙」
ノコギリ跡は狙いすましてコピーしたかのごとく、わたしのすり傷と同じ位置。ぐうぜーん。治療を施す律詩さんの横で、大牙さんはまだご機嫌ななめ。
「ふん。血には血を、だ」
日本警察は世界一優秀とか。そのお一人を前にハンムラビ法典を強行するなんて……顎を殴られたのがよっぽど悔しかったんでしょうか?
真っ青な六郎太さんを逆三白眼で睨み下ろす大牙さんの手には白いお皿。お一人でパーティを始めてらっしゃるもよう。お皿のバナナスライスからは、オレンジとカラメルのいい香りがふんふんと。
でもそのバナナフランベを召し上がっても逆三白眼は治らない。
「……昨日の方がうまい」
昨日の。昨日のバナナって……もしや、莉子のボーナスで買い求めたタカオフルーツパーラー最高級バナナのことですか……?
うわーい、とうとう莉子の愛が届いたんですね大牙さん! とうとう、莉子の差し出す黒ずみバナナが恋の味になったんですねー!
第十一ラウンド、大牙さんをロックオーン!
「わっかんねーよ、Little Girlは衛藤の顎のどこがいいってんだよ」
「……はい?」
手当てほやほや、手首のガーゼを仏頂面でなでながら六郎太さん、なんとおっしゃいましたか?
「言ったじゃん。俺が衛藤を殴った時にさー、『この顎なしでは生きてさえいけない』とー、んーんーんんー」
歌った覚えはございません。
「君、そこの歌詞は顎でなくて愛じゃなかったかな」
「そうだけどさ、顎って言ったよなー?」
言いましたっけ? そんな愛の大告白しましたっけー?
オロリオロリと見回せば、噂の下顎骨がこっちをご覧になってた。青あざに小さなかさぶた、ああ痛々しいっ。
「……なるほどな」
バナナフランベが刺さったままのフォークがおもむろに、わたしの目と大牙さんの顎を結ぶ見えない直線をチチチチチ、となぞりました。
「話してる時に目が合わないのは顎を見てるからだったのか……」
――大牙、きっと年中マフラー巻いて隠しちゃうもんね。照れ屋だから。
リッキーさんに下顎骨愛が発覚した時のお言葉がゴオと頭蓋を吹き抜けた。隠すだなんて、それだけは回避せねば! 大牙さん入院の折、目の保養を失ってどれだけ苦しかったことか。
「違います! 顎じゃなくて、顎じゃなくて」
下顎骨なんです。とは言えないっ。
でも力強い否定に、心底から安堵の笑顔が返ってきた。
「ま、そう……だよな。顎だもんな。はは、ありえないよな、顎なんて」
「顎なんてとは何ですか! 下顎骨がなければ人間は食べることもできないんですよ!」
なんだか。
力いっぱい。
顎どころか下顎骨愛を主張してしまった気がする。
しーんと耳小骨に痛く濃い沈黙の中で、六郎太さんが手錠とアクセをジャラジャラ鳴らして身悶えてた。
「降参だわLittle Girl! おまえの愛はどんだけ悲しい歌にもしらけそうにねーよっ」
あなたの発言で場がしらけてませんか。
やがてポツリと呟きに近い発言をしたのは大牙さん。
「おまえのこと、始めはただのメイドだと思ってた……が」
「……が?」
待ち構えるその続き。神が創りたもうた生ける宝石、大牙さんの下顎骨が次なる言葉を継ごうと下唇をゆっくり引き下げていく。
ああ肋骨って、どきどきと跳ね回る心臓を外に逃がさないためにあったのですね。大腿骨って、ふにゃりと力の抜けそうな体を支えるためにあったのですね。神はこの瞬間のために骨格をお与えになったのですね。
高居莉子恋愛年表があるならば。大牙さんのメードインヘヴンな顎と出会ったあの日と同じ、赤太字で記されるであろう瞬間。
「……ただの変人だったんだな」
高居莉子特攻機、撃墜さる! メーデー、メー……デー。