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愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド11 路程 to 露呈 ・・・砂漠のオアシス
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1. 愛のためならハンムラビ

「おまえのこと、始めはただのメイドだと思ってた……が」

「……が?」

 待ち構えるその続き。神が創りたもうた生ける宝石、大牙さんの下顎骨が次なる言葉を継ごうと下唇をゆっくり引き下げていく。

 ああ肋骨って、どきどきと跳ね回る心臓を外に逃がさないためにあったのですね。大腿骨って、ふにゃりと力の抜けそうな体を支えるためにあったのですね。神はこの瞬間のために骨格をお与えになったのですね。

 高居莉子恋愛年表があるならば。大牙さんのメードインヘヴンな顎と出会ったあの日と同じ、赤太字で記されるであろう瞬間。

 高居莉子愛の特攻機、発進!

 そのきっかけは意外にも数日前の聖ウェズリー生活指導室、茶々さんの子羊話に端を発したのでした。




「例の、我が子羊から無断で毛を刈り取っていく不届き者だが」

 もこもこと羊毛の塊みたいな雲のあいだから幾筋にも光が落ちて、窓の外に広がる彼女の牧場は中世の絵画のよう。

「どうやら聖ウェズリー生ばかりを狙った窃盗集団がいるようだな。いや手持ちの金銭など、恵まれた羊たちにとっては毛を刈られるより遥かに軽微な、損害とも呼べぬ損害。ならば不届き者は羊たちのわずかな血を歯がゆさに差し替えては肥え太る蚊どもと言えようか」

 不届き者は人でさえ、脊椎動物でさえなくなってしまいました。虫の中には外骨格という骨を持つ動物もいますが、骨は筋肉の下の力持ちとして働く奥ゆかしさが愛しいのであって。

「その雲蚊どもも、律季の地道な盗難品追跡によって近々まとめて殺虫駆除できそうな気配だ。改めて礼を言う」

 背景が中世絵画だと、男装の麗人・安香茶々聖ウェズリー常務理事が皇帝……いえ、女帝に見えてきます。

 羊にたかる害虫処理を約束して、茶々さんは謝礼をたっぷり下さいました。ひったくりの窃盗被害に遭った聖ウェズリー生たちの持ち物、それらを愛で見つけるために一週間奔走してきたリッキーさん。女帝へと向けた透明な眼差しは、大天使の清らかさでした。




「わーい、今月の家賃と生活費を差し引いても余るよ。残りは三等分して、はい莉子ちゃんにボーナス。いつもありがとねっ」

 帰宅するや否や、謝礼おすそ分けのお話が。

「ええっそんなの頂けませんよー、お二人の大事なお金なんですから! 蓄えにして下さい」

 慌てて辞退。するとリッキーさんはウン大事だよ、と密な上向きまつげを細めてにっこりなさった。

「でも違うよ。僕たち二人じゃなくて、僕たち三人のだもん。こうするの当然でしょ?」

 眼差しだけじゃなくて心持ちまでこのお方、大天使ですー! 天使って中性っていうから、きっと、そのあたりも。

 そうしてそっと手に握らせて下さった、お正月のお年玉に使うようなポチ袋。中に入っているのは薄い紙数枚だろうに存在はとても重くて、温かかった。これは地上に舞い落ちた天使の羽根。神聖なものだから、お二人のために使わなくちゃ。

 着替えてくるー、と自室に向かった地上の天使を見送りながら、ポチ袋を胸に抱きしめました。

 そこでふと気付けば、袋に印刷されているのはちょこんと座った可愛い子犬。

「ポチ袋ってペットを連想させるくらいの小ささだから、よくあるペットの名前をあてがってポチ袋なんでしょうか?」

 いかにもポチ風な子犬イラストからひらめきました。

「なら小さいペットの名前ってことで、ミケ袋でもオッケーなのにどうしてポチなんでしょうねー? あっ、タマ袋もいいですね」

「…………」

 何でしょう? ポチ袋あるいはタマ袋越しに突き刺さる、大牙さんの不穏な視線は? 鞄からお弁当箱を出しかけた姿勢のままあんぐり固まる、不自然な下顎骨の挙動は?

「あのな……そのネーミングは今すぐ・この場で・永久に捨て去れ」

「どうしてですかー?」

 ものすごく強く忠告された気配ですが。

「いいから! 理由は誰にも聞くなよ、特に男には! そこでどうしてとも聞くな! それで、あー、えーと」

 がしゃがしゃがしゃって大牙さんが後頭部の髪をかき回すと、無造作風ヘアが無造作そのものヘアに成り下がりました。

「そうだ今度の土曜日空けとけよ、律ちゃんのバースデーパーティだってさ、茶々んちで」

 ええっ! そ、それはリッキー教団幹部としてはクリスマスと言うべき大イベントではありませんか! メリーリッキーマス! 大牙さん争奪杯、チャンピオンリッキーとの対戦もこの喜びの日を間近に一時停戦をば……

「全くこの年になってパーティなんて馬鹿馬鹿しい……しかもサプライズだからあいつには内緒にしとけってさ。おまえすぐ顔に出るからな。バラしたら承知しないぜ、その時はおまえをバラすぞ、いいな?」

 あのーう。

 ビシリと長い人差し指を突きつけて宣告なさいましたが、大牙さん……馬鹿馬鹿しいとおっしゃいつつ、パーティにサプライズして喜ぶリッキーさんを見たくて仕方ないって気持ちの表れですかその脅迫的念押しは……?

 メラ。

 第十一ラウンド、チャンピオンは生誕祭というだけで大牙さんをすでに虜に。やっぱりいけない、停戦してる場合じゃない! 祝賀ムードに流されず、いざ応戦!




 ふんふんふーん。莉子、今までとは違う作戦を思いついちゃいました。これまではがむしゃらに大牙さんへと猪突猛進でした。が、今回は頭脳戦です。

 きらりと気のきいたプレゼントをリッキーさんに手渡すことで、おのれやりおるな律ちゃんのハートを射抜くあのセンス、と大牙さんに莉子の感性と存在感をアピールするのです! どうだーこの変化球! 投げようと思えば投げられるんです!

 ……大牙さんが恋するリッキーさんをめぐってわたしに妬く、という大前提が虚しいと言えば虚しい作戦ではありますが。

 この作戦でキーアイテムとなるリッキーさんへのプレゼント。悩みに悩んで決めたのは……ズバリ、タマ袋!

 リッキーさんのご趣味はおみくじ。引くだけでなく、そのおみくじを冬眠前のリスさんのように貯めこむ習性をお持ちです。そのためお財布はおみくじでパンパン。うっかりするとお会計の時になだれ落ち、三人して床に這いつくばってかき集めたりするんです。

 そこでコレ、布製のタマ袋があればもう安心。おみくじを入れて口紐を縛ればスッキリ収納、もうお財布はかさばりません。わー便利ですねー。しかも何と莉子の手縫い! 本日は番組をご覧の皆様に特別価格でご提供、お申し込みはリッキー教団フリーダイヤル……

「……百三十円になります。あの、お客様? バナナの代金は六百三十円に……」

「今すぐお電話……えっ? あっ、すみません!」

 我に返ればタカオフルーツパーラーの店員さんが、何やら怯えた様子で最高級バナナの袋を差し出してた。

 そうでした、明日に迫ったリッキーさんのサプライズバースデーパーティ兼第十一ラウンドに備え、対大牙さん基本攻略アイテム・高級バナナをボーナスで買いに来たのでした。

 トートバッグの中にはタマ袋とバナナ。これらが明日、莉子にもたらすであろう至福を思うと顔のにやけが止まりませーん!

 制服の腕にトートの持ち手を通して、日の傾いてきた商店街を足取り軽くスーパーへと歩き出した時でした。

 突然ブンブンブイーン、と軽快にして耳障りな排気音が後方から追い抜いて行った。排気ガスの渦を巻き上げて視界の奥へと瞬く間に走り去る、その原付バイクの運転者はツンツン立った紫色の髪をしてる。

「あー、いけないんだノーヘルだー」

 と呟いてみたけど、そんなのもう届かない彼方で原付は十字路を曲がって行った。見送るわたしへ、続いて接近してきたのは急いた足音。

「ちょっと! ちょっとあなた、大丈夫っ!」

「はい?」

 買い物帰りか、スーパーの袋を提げた見知らぬおばさんが血相変えて走り寄って来たんですが、何事ですか?

「んまーっ怪我してるじゃないの、ひどいねえ。ひったくる時にやられたんだねえ、おまわりさん呼びましょうか? ねえ?」

「はい?」

 盛り上がってるおばさんの視線を追ってみれば、新しいすり傷にぽつぽつと赤い点が浮き出し始めた痛々しい手首。その手は聖ウェズリーの制服を着ていて、どうやら莉子自身に連結されているような。

 その腕に通されていたトートバッグが消滅しているような。

「ウェズリーはお金持ちの学校だからねえ、狙われたんだよ。最近そういう事件がはやってるんだって?」

 ――どうやら聖ウェズリー生ばかりを狙った窃盗集団がいるようだな。羊たちのわずかな血に肥え太る蚊どもと言えようか。

 茶々さんのお言葉が頭蓋骨をリフレイン。リフレイン。リフレイン。

「はいーっ?」




「大牙さーん! 大変なんですー!」

 交番よりまず先輩方のマンションに駆け込んだ。ちょうど学校帰りらしい、ロビーでエレベーター待ちしてた大牙さんのすらりとだらしない学ランを発見してすがりつく。

「蚊に、蚊にやられました!」

「そうか。爪でバッテンつけとけ」

 微動だにせぬ平常心であえなく切り捨てられました。そんな非科学的な。

「何しろ奴らは吸血鬼だからな。十字架には弱いはずだ」

「ふえー、なるほど……」

 感心してる間に、学ランはさっさとエレベーターの箱に収まりました。

「あっ? いえそうじゃなくて、ひったくり! ひったくりに遭いました」

「そうか。ボケ」

 大牙さんの指先は戸惑いもせずに『閉』ボタン押してます。ボケの一言で蚊よりも簡素に切り捨てられましたー!

「待って下さい! あれには、あのバッグにはリッキーさんのタマ袋が入ってたんです!」

 無情に閉鎖を開始する、エレベーターの無機質な金属扉。一瞬のうちに、大牙さんとわたしを繋いでいた空間を狭めていく。夢中で手を伸ばした、ひったくられた役立たずな手だから、大牙さんを止められるとは思えなかったけれど。

「それに、それにタカオフルーツのバナナも!」

 ドン。

 重低音と共に、エレベーターの扉がぴたりと動きを止めました。何か挟まったわけじゃないのに緊急停止。

 見れば大牙さんの右の靴底が扉を内側で押さえ込んでる。扉は閉まりたがって一度機械音を唸らせたけど、大牙さんの脚力及び靴裏摩擦力に負けて、渋々と身を引いた。

 そして再び開かれたエレベーターから流れ出るは、殺気です殺気! 大牙さんの殺気には、運悪く通りかかった蚊どころかハゲワシだって一瞬で落ちそうですよ!

 バッグの中身を聞いた途端に魔王が目覚めたみたいなこの変貌ぶり。リッキーさんのタマ袋とバナナがそこまで大事とは! 莉子のピンチと聞いてもボケの一言で片付けたくせにっ。

 ゆらりと殺気に押し出されるように、学ランをまとった魔王様が降臨なさった。魔界でなく、エレベーターから。

 氷点下で燃え盛る炎があるとしたら、今の大牙さんの瞳の色をしてるんじゃないだろうか。焼き尽くされる瞬間に冷たいとしか感じられなさそうな視線は、トートバッグがさらわれていった手を責めるようにねめつけてる。

「……ひったくりにやられたのか?」

 視線がレーザー光線なら確実に焼き落とされてしまいそう。

「知ってるか? 血を吸い過ぎた蚊ってのはな、重くて飛べなくなるんだよ。少しばかり体の外に出してやるのが親切ってもんだろ……」

 物騒です魔王様、目がサで始まってドで終わる種族になってますー!

「蚊の巣はどっちだ、律ちゃん」

 帰宅してオートロックを解除しようとなさってたのでしょう。玄関とロビーを隔てるガラス扉前で、操作盤へと男性にしては華奢な指先を伸ばしていたリッキーさんが、きょとんと小首を傾げた。

 そのお向かいで、魔王が凄味のある笑みを浮かべました。

「血には血を、だ」

 リッキーさんのためなら、愛のためなら、魔王様はハンムラビ法典を復活なさいます。いいなー、莉子も愛の制裁法典を適用されてみたい……。




「ひったくられた莉子ちゃんの鞄を探すんだね。安心して、大牙。天に誓ってこの僕が、愛で見つけてみせるから」

 事情を聞いてリッキーさんは右手を掲げた。宣誓のようにも、守護天使が擁する光の剣のようにも見えて神々しいのですが……何よりまぶしいのは愛です。大牙さんへの愛っ!

 だっていつもは、いつもの探し物依頼の決め台詞では『天に誓って』なんておっしゃいませんよ? 依頼が他ならぬ大牙さんだと、決め台詞は誓いとなるのですね?

 大牙さんってばその宣誓の手に拳を軽く当てて、頼りにしてるぜみたいな返礼を。

 おおう、第十一ラウンド、チャンピオンの強烈な斬撃。光の剣で貫かれるは、ひったくり犯でなく莉子のようです……。

「でも、その前に」

 きゃー。リッキーさん、うやうやしく莉子の手を取ったりしてっ。両手でまるで宝物を包むように。そんなことしたら大牙さんに殺されますよ、リッキーさんじゃなくて莉子が。

「怪我の手当てをしなくちゃね。はい、大牙」

 あ、すっかり忘れてました。ひったくられた時に、すり傷を作っちゃったんでした。にじんでた赤い点は色味を暗くして乾きかけてるけど。

 はい、とその手を大牙さんへと中継されたら、引っ込めるわけにはいきません!

 だってだって! 記憶に強烈な、大牙さん盲腸手術直後、心配するリッキーさんに放たれた言葉は『舐めときゃ治る』。も、もももももしかしてこの傷は、大牙さんにとって『舐めときゃ治る』レベルなんじゃないでしょうかっ!

 でも困ります、もし大牙さんがなななな舐めて下さったりしたら、一生手を洗えないではありませんかー。

 だけど!

 それでも!

 おっ、お願いしたい!

「…………」

 ええと、あの。三白眼っていうのは、黒目が上方に睨み上がってることですよね。下方に睨み下ろされてる場合は何と呼べば?

 いずれにしろ凶相。なぜなら通常、皺眉筋が活性化するのは、すなわち眉間にしわが寄るのは怒りの表現。くしゃっとした茶髪の下で、大牙さんの皺眉筋は大活性中。

 莉子は皺眉筋でなく舌筋のご活躍を熱烈希望しております!

「……ったく。おいおっさん、救急箱」

「えっ?」

 管理人のおじさまから乱暴に救急箱をむしり取り、乱暴に消毒薬をぶっかけ、乱暴にガーゼを貼って下さいました……が。

「おまえな、手当てしてやってんのにその魂の抜けたみたいな顔はなんだ!」

 舐めときゃ治る判定して頂けませんでした。無体です。なんという肩透かしでしょう。期待損、出血損ではありませんか。

 ふふ……ふふふふ。これはもう、ひったくり犯さま。莉子の愛をもてあそんだ罪は重いですよ。制裁を受けて頂かねば。血には血をー!


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