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愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド10 心眼 de 真贋 ・・・怪盗贋作家
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3. 挑戦状、頂戴致したり

 会って怪しまれて怒られたなら、会わなければ怒られないのですよね!

 敵を勝たせてしまったカツ丼から一夜明け、本日の盗難絵画の波動判定は午後二時から。先輩方とは美術館前で待ち合わせ。

 その前に股関節痛おじさん周辺の聞き込みを!

 あんぱんと牛乳も買いましたよ。へへ、これ持って聞き込み……あれ、それってメモ帳を手に持てないんですが。刑事ドラマではどうしてたっけ?

「上の絵描きさんねえ、男前だけど酒の匂いぷんぷんさせてる時があんのよー、そりゃ挨拶はするけどさ」

 おじさんの下の部屋を訪ねたら、スモックというんでしょうか、かぶるタイプのエプロンをしたおばさんが開けっ放しの玄関先で菜箸を持ったまま話しだしました。

 おじさんについて、警察に話を聞かれたことがあるそうです。噂じゃニセモノ描いてお勤めしたことがあるそうじゃないか、と声を潜めるおばさんの井戸端ネットワーク恐るべし。

 盗作して美術界を追放された身だってのに次はニセモノとは懲りないよねえ――と話が続きます。

「盗作?」

 わたしには初耳らしいとわかると、おばさんはヒートアップ。指揮棒みたいに菜箸を大きく振りかぶる。

「人気画家のとそっくりな絵を出したらしいんだよ。それでつまはじきにされたんだろうねー、派閥とか狭い世界らしいじゃないか絵っていうのも――」

「先生は盗作なんかしてない」

 ん? 誰の声ですか、今の。

 おばさんの菜箸が止まってる。肩越しにわたしの背後を凝視してる。おばさんが指揮する噂話という題名の一大交響曲は演奏中止、お顔には「マズい」って書いてあるように見えます。

 視線をたどって振り返ると――ニコラさん。

 シャツは制服のチェックのスラックスみたいな柄で、ジーンズはホワイト。聖ウェズリーのブレザーを上下入れ替えたみたいないでたち。反転マニア? 肩には平たくて大きな四角いバッグをかけてる。

「偶然とさえ呼びたくない。構成やモティーフは似てても、向こうのはただ奇抜性を狙ったダダイズムの稚拙なコピー、ジャンクアートだった。コラージュとアサンブラージュの違いもろくに分かってやしない取り巻き連中は、先生が盗作したと決めつけて」

 ニコラさん、フランス語しゃべってるんでしょうか。全く理解できません!

「あらまあ、お鍋が噴いてるみたいだね、それじゃあたしはこれで」

 ええっお鍋が噴いた音なんかしませんでしたよ、おばさん! そそくさとドア閉めないで下さい、莉子は置き去りですかーっ! 放置は慣れてますけど、これは見殺しです!

「先生はしてない!」

 とっくに閉ざされてしまったドアへ叩きつけるみたいに、ニコラさんは抗議を怒鳴った。

 お怒りです。




 恐る恐る向き合ってみると、ニコラさんは小柄な石膏像の少年みたいだった。ふんわりした髪と西洋的な顔と、そして生気に欠けた肌色。

「あんた誰?」

 怖い。怖いけど……この状況を大牙さんに知られたらと思うと、その方がもっと怖いです。

 んー怪しまれて怒られたなら、怪しまれなければ怒られないのですよね! 言いつくろって逃げれば、ふふ完全犯罪。

「ええと……わたしは通りすがりの、しがない骨――」

「どうした、騒ぎが聞こえたようだが君か? ニコラ」

 頭上でドアの開閉と足音、この声は股関節痛おじさんです。

 あと少しで完全犯罪成立だったのに、なんて間の悪い!

 どうしよう、ややこしくなって頭がどんどん鈍くなる。わーんごめんなさいリッキーさん大牙さん、やっぱり莉子一人じゃどうにもなりません!

 カンカンと階段を下りてくるおじさんの足音は、死刑執行へのカウントダウンのよう……。

 遠のきそうになった意識の向こうで、急にそのカウントダウンが乱れた。

「いたたた」

 はっ、特発性大腿骨頭壊死症! 脳がキュピーンと一気に快速回転。

「おじさんにお酒飲ませちゃいけません。X線じゃなくてMRI検査を受けさせてあげてください、初期の特発性大腿骨頭壊死症は判断が難しいんです。そして出来るだけ骨頭の温存治療をして、骨を早く楽にしてあげてください……うう」

「……何語しゃべってんの? 全然理解できないんだけど」

 フランス語をしゃべるニコラさんに言われたくありません!

「君は昨日の。どうもこんにちは」

 太ももをさすりながら階段を下りてきたおじさんへ会釈でご挨拶。

 うっ、ニコラさんの視線が痛い。どうして顔見知りなんだって詰問してらっしゃいますね、言葉は分かり合えなくても表情は万国共通ですね。

「おや、絵を持って来たんだな、どれどれ拝見しようじゃないか」

 ニコラさんと違い、おじさんはわたしとニコラさんが顔を合わせてる理由や経緯よりも絵が気になるみたい。絵描きさん魂? ニコラさんの担いでるバッグをいそいそとご開帳。

「いやあ、これは……また変わった模写をしたねえ。模倣による技術習得の域を超えているよ。私としてはそろそろ君のオリジナリティも見たいものだが」

 近付いたり遠ざかったり屈んだり。ニコラさんが腕に抱える絵を、おじさんは角度を変えて鑑賞してる。中腰から立ち上がるような姿勢は特発性大腿骨頭壊死の人には痛みを伴うはずなのに、絵に集中してて忘れちゃってるようす。

「君には何の絵か分かるかな? はは」

 分かるわけないと知っていながら話題を振る、そんな感じでおじさんは尋ねてきました。

 覗いてみた絵は闇に沈む雪原みたい。木の枝にかかってるの、しなびたバナナの皮っぽい。美術部見学の際に大牙さんが教えてくれた、タイトルはええと確か。

「ダリの『記憶の固執』――の、ネガ」

 ニコラさんの顔色は石膏像より白くなった。




「あんた、誰」

 もう一度聞かれた。

 線の細い美少年だけに、瞳の異様な冷気が際立ってる。視線がナイフなら確実にメス分類な鋭利さ。わたしを切り裂いて心を引きずりだそうとしてるかのよう。

 正解を言っちゃいけなかったんだって悟っても後の祭り。やっぱりニコラさんが怪盗贋作家なんじゃないでしょうか、そうじゃなければこんなに警戒する理由がないもん!

 形のないナイフの切っ先が怖くて一歩後ろに下がる。

「いやあそうそう、そうなんだよねえ」

 意外そうに感心してないでニコラさんの迫力のお顔に気づいてください、おじさん!

 ダリについて語り始めたのんきなおじさん、この様子ではニコラさんの犯罪を感知してらっしゃらないんでしょう。想像もなさってないんでしょう。

 理解不能なフランス語で熱く語ってたおじさんの弁舌が不意に焦りへ変わった。

「おっとしまった。せっかく寄ってもらったのに恐悦至極なんだが、これから仕事でねえ。市民講座で油彩画を指導しているんだよ。そうだ、ねえ君たちも来るかい?」

「わ、わたしは美術館で待ち合わせがあるのでっ」

 怪盗贋作家容疑者ニコラさんのいない場所へ脱走したい、一刻も早く。

「ぼくもどこかで時間をつぶす」

 莉子をじろじろ見ながら言わないでくださいー!

 おじさんはしきりに残念がったけど、お仕事の時間が迫ってたみたいで名残惜しそうに出かけていかれた。あ、なんか救助ヘリが来たのに波が高くて救助されそこねた遭難者の気分。

 石膏像に足首つかまれて海の底へと引きずりこまれていくのでしょうか……。

 二人きりで取り残され、心臓が不穏にどきどき速くなってく。ニコラさんは沈黙したまま探りの視線を突き刺してくる。

 莉子はピンクッションじゃありませーん。

「あ、あのっ。おじさんを尊敬してるのは分かりますけどダメです、おじさんを悲しませるようなことしちゃ。特発性大腿骨頭壊死で手術になったら三ヶ月は入院しますし、リハビリもつらいだろうし、職場復帰も時間がかかるし」

 ニコラさんはもぞり、と肩にかけたバッグを背負いなおした。

「……先生の足、そんなに悪いの」

 相変わらず怒ってるみたい。だけど、口調は明らかに和らいで心配が現れてた。

「いえ、えっと素人というか愛好家判断ですけど。アルコールの多量摂取は骨にまで影響するんです。だからその……ニコラさんがもし悪いことをしてるなら、もうやめた方が……」

「二年の高居ってあんたか」

 瞬時に上半身が冷たくなった。下がった血の気は足元で凝固したみたいで、逃走しちゃいたいのに脳の命令を聞こうとしない。

「神宮寺君か衛藤君か、高居って女子生徒が近付いてきたら用心しろってさ。バレるとしたらその線だって。珍しく神宮寺君が美術部に出てきたと思ってたら、もうここまで来たのかあ」

 明日は雨かあ。そんな何でもないような軽さでしたが、莉子の底辺な国語力でだって、ニコラさんが怪盗贋作家であることを認めたのは理解できました。




 連日テレビや新聞で大騒ぎされてる怪盗贋作家。マスコミを利用する大胆不敵な犯人を、美術界は良心、警察は威信を賭けて血眼で探し回ってる。

 なのに、犯人のニコラさんはいつも通りに学校に通って授業を受けてクラブに出て。美術室の隅で展示するみたいに、不気味で精巧な模写をイーゼルに載せて。

 騒がれてる以上に大胆。

 だけどおじさんの足を案ずる一面は、鮮やかな手際の犯人像とはかけ離れてる。やっぱり大牙さんが言ってた、ナルシストで自信家の愉快犯だなんて思えません。

「美術館で待ち合わせしてるのって神宮寺君と衛藤君?」

「あ、あははーそんなこと言いましたっけ……」

 場にいないのに、大牙さんに頚椎つかまれてボケって叱られてる感覚が。これがしつけというものでしょうか。

「誰がやったのか警察にチクったって、証拠にはなんないだろ。ぼくが認めない限りお蔵入りだよ」

 無表情と怒りしか知らないかのように、ニコラさんの表情は動きが少ない。だけど馬鹿にしたようすはにじみ出てた。

「そうだとしてもリッキーさんと大牙さんが解決しなかったことなんてないんです! だけど出来れば自首して欲しいっていうのが皆さんの一致した意見だと思――」

「いいよ」

 あっさり。

 不意打ちの返事、そして不意打ちの目。茶色の瞳は莉子を透かして、絶対に手に入らないと知ってしまってるものを眺めるみたいにさびしげでした。

 戸惑ってるあいだに意外な表情は消え失せて、ニコラさんは顔を逸らしちゃった。

「美術館には真贋不明の二枚ずつ、四組計八枚の絵がそろうんだ? 神宮寺君がぼくの絵を一枚たりとも間違えずに鑑定できたら、自首してあげるよ。できなかったら事件は迷宮入り」

 むかー。名探偵リッキーに挑戦するなんていい度胸ではありませんかっ。

「できるに決まってます!」

「日本の名だたる鑑定家が頭を抱えているのに?」

「できるに決まってるんです!」




「と、勝手に勝負受けてこいつを連れて来たのかおまえはー! しかも昨日の今日で言いつけに背きやがって」

 たっ大牙ひゃん、人体の耐震測定実験は計測済みじゃなかったんれふかー?

 ニコラさんと共に待ち合わせの美術館前に出向き、事情説明したら。莉子の頭蓋骨内でカクテル作ろうとしてるとしか思えない振りっぷりでシェイクされました。

「ふふっ。お手合わせ願います、ニコラくん」

 透明で清らかな朝陽を受け、新しい一日の訪れを喜び歌う森の小鳥。そんな趣のリッキーさん、動ずることなくにこやかにニコラさんの挑戦を受けてたった。

 ああっ頼もしいですサイケメタリック党首様!

「お手並み拝見しようか」

 対するニコラさんも緊張や不安をかけらも見せず、落ち着いてリッキーさんに対峙します。

 こうして並んでるとニコラさんよりリッキーさんの方が石膏像みたい。肌の白さというより滑らかさが。ろくにお手入れなんてしてないくせに、どうしてあんな美肌なんでしょうリッキーさん。美の女神ヴィーナスに愛でられてるとしか思えません。

 ヴィーナスの寵児は漆黒の瞳をきらきら輝かせました。

「同級生を塀の向こうへ送りたくはなかったけれど、君にはとっくに覚悟ができちゃってるみたいだね。それなら僕も迷わないのが礼儀。君の模作をこの僕が、愛で見つけてみせましょう!」

「……なにそれ」

 あの感情に乏しいニコラさんを引かせてます! さすがですリッキー総裁、戦局は優勢です!

「僕が感じるのは生命の波動で、その個性によって波動の主を見分けてるんだけど――」

「大牙さん」

 波動ってそこにいれさえすれば残るものじゃなくて思い入れや愛がないと……と説明を続けるリッキーさんをお邪魔しないよう距離を取る。

「大牙さんは散々な犯人像をおっしゃってたけど、わたし、ニコラさんって怖くてもそんなに悪い人じゃないと思うんです」

「……なんで」

「ニコラさんのおじさんは足が悪いんですけど、それ心配してたし。おじさんのことお父さんじゃなくて先生って呼んで絵を見せに来て、すごく慕ってる風だったんです」

 グッドニュースだと思って勢い込んで言ったのに。

 大牙さんは渋い渋い顔をなさって、くしゃりとした前髪にのっけてたサングラス引き下ろして、機嫌の悪そうな目を隠しちゃった。

 それで思い当たる。大牙さんって前は部屋の中でもサングラスだったけど、この頃は裸眼でいることが多くなってる。どうしてだろ、夏が近付いて日差しは強くなる一方なのに。

「あのな。簡単に誰かをいい人間だと思い込むな、期待を裏切られて傷つくのは信じた方だ。変態校医で痛い目見たろ?」

 あれ。もしかして大牙さん、莉子を心配してくださってる……?

 なんて珍しい! いつも放置なのに、叱ってばかりなのに、邪険に扱われてばかりなのに!

 思い返せばボケ大ボケくそボケこっちのボケ、来たくて来たんじゃない、蹴り飛ばせばよかった、勘違いするな、足手まといだ、見舞いに来るな、思考回路を修理して来い。

 頂いてきた無体なお言葉は枚挙に暇がないというのに。胸がとろけそうです。

 とろけて減らないといいけど。

「ありがとうございます、大牙さんっていい人ですね!」

「話聞いてんのか?」

「聞いてるから御礼を言ってます」

 ふふふ一日遅れでカツ丼が効いてきたみたいです。

「そうじゃなくて内容をだな……いやいい、もう一度言っとく。勝手に善人視して裏切られたところで相手には傷つけた自覚も責任もない、信じる方が甘いんだ。おまえも……リッキーも」

 あれっ今、激しい違和感が。リッキーって呼びましたよ? いつも律ちゃんなのに。

「見たかないんだよ、そういうの。おまえは女だし余計に後味悪い」

 むすっと唇をへの字にして、大牙さんは空を見上げた。

 大牙さんの下顎骨越しの空は、美術界を脅かす贋作事件の犯人自供を賭けた対決とは不似合いに青かった。


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