2. 不首尾の内偵捜査
「気の小さいヤツほど、ウラでは世の中を驚かせたい、見返したい、あっと言わせたいなんて欲望を隠し持ってるもんなんだよ。で、知能犯を気取ったりする。完全犯罪だなんて悦に入ってな」
お夕飯のもやしのおひたしとホワイトアスパラガスのサラダを不機嫌に眺めながら、大牙さんはおっしゃった。
「なら、大牙さんが罪を犯す心配はぜーんぜんなさそうですね」
「どういう意味だよ……。それにしてもマジでこのメニューか」
「莉子ちゃんの、ニコラくんに対する素直な感想が窺えるよね」
リッキーさんはマヨネーズを絞る指先に集中してる。きれいな形に出すのが楽しいみたい、なるほど美術部員。黙って突き出された大牙さんの取り皿にも真剣そのもので作品を創作してらっしゃる。
前言撤回、リッキーさんに対する大牙さんは恋の確信常習犯。
「つまりナルシストで自信家。贋作詐欺でつかまってアル中になった親父の無念を晴らしてやってるつもりかもしれないけどな、復讐をかたった自己顕示欲だ。復讐ってのは大義名分になりゃしないし、そもそも復讐以前の逆恨みだ」
大牙さんのフォークがホワイトアスパラガスを一刀両断。
「親父に心酔してて、模倣したって可能性もある。コピーキャット。贋作制作の手法を学ぶ技量はあっても、犯罪が招く滅亡の結果については学習してないみたいだけどな」
わー、大牙さんってば犯罪心理学がお好きだったりするんでしょうか。莉子が法医骨学の道に進んだら、コンビで難事件を解決しちゃいましょう!
「僕もニコラくんのダリを見た」
やんわりおっとり、リッキーさんの柔らかな声は春の大地を感じさせるホワイトアスパラガスのまろやかさ。
「色調反転以外は筆致までも精緻な複製、模造だったね。彼は十年前に父親は贋作者だとささやかれるようになってから、なるべく目立たないように存在を空気にまぎれさせてたようなところがあって。怪盗贋作家だなんて信じたくなかったけど……」
首をてん、と傾ける憂国の王女さま。
「学校の美術室で堂々とああいう絵を描く行為には驚いちゃうよね。大牙の言う顕示欲の線も考えてみなきゃいけないかもしんない」
「ま、あさってはっきりすることだ。美術館で律ちゃんが絵の波動が誰のもんか確かめりゃな。動機を追及すんのは俺たちの仕事じゃない。だがニコラも幼稚舎の頃は」
フォークの先のホワイトアスパラガスを眺める大牙さんの目は、もっと遠くを見てるみたいだった。
「真面目で、優しいヤツだったのにな」
それまでズバーと斬って捨ててた大牙さんの残念そうな口調が、やけに耳に残りました。
動機の追及はサイケ・メタリック探偵社の仕事じゃないって大牙さんは言ったけど。先輩方は明らかに沈んでらした。そりゃそうですよね、交流が少なかったとはいえ幼稚舎からのご縁です。
本当にニコラさんが怪盗贋作家だとしても、警察に連行されていく姿など見たくないに違いありません。できれば自首してもらいたいのは莉子だって同じ。そしてきっと、この件の依頼人であり聖ウェズリーの平穏を望む茶々さんも。
茶々さんが念のためにとコピーを下さったニコラさんの生徒資料。自宅以外の連絡先という欄には通常、親戚宅が記載されているもの。ニコラさんのお母さんはフランス人。その欄に親戚を記入したなら、そこにはフランス語があるはず。
けれど書かれていたのは日本人男性のお名前。住所は偶然にも高居家の近くだった。
美術館での波動判定を明日に控えた土曜日、メイドバイトは半休を頂いて一人でそこへ出向いてみた。
もしそこにお住まいなのがニコラさんのお父さんで。大牙さんが示した可能性の通り、ニコラさんが贋作家として模倣するほど慕っている相手だとしたら、ニコラさんを説得できるのはその人しかいない気がする。
夏も近い強い日差しの下、駅から十数分も歩いてやっとたどり着いたコーポなんとかという古そうなアパート。カンカンと音の鳴る鉄板を渡した階段を上り、表札の抜かれた部屋の前に立つ。
ファイト莉子! リッキー教団収支改善ラウンドは魔女さんの悩殺攻撃に吹っ飛んでしまったけれど、このラウンドは情報を足で稼いでみせましょう! 聞き込み刑事さんになったつもりで。
よくやったって大牙さんに頭なでなでしてもらうんです、もうボケなんて言わせません!
ドアチャイムのボタンを押すと、土ぼこりに薄汚れた合板の扉の向こうでピンポンと呼んでるのが聞こえた。
ここに至ってハタと気づく。
一体、何を話せばいいのでしょ?
どう切り出して、どう確かめて、どう説得を試みればいいのでしょう?
そういうことはいつもリッキーさんに一任してたから、わたしが話したことなんてないから、考えてもいませんでした!
慌てて廊下を戻りかけたけど、これじゃまるでピンポンダッシュ。ベルに応じて出てきた方が無人に戸惑うのを見て笑う、これぞ正真正銘の愉快犯です。
「違うんです、ごめんなさいそうじゃないんです! なかったことにしてください!」
今にもそのドアから誰かが出てきそうな気がして、後ずさりしながら言い訳してみる。
誰も現れないのをこれ幸いと、階段へ突進。下りようとしたら、ちょうど上がってこようとしてたおじさんと目が合ってしまった。眉根がぎゅーと寄ってます。
聞こえて……ましたよね。
なかったことに……なりませんよね。
「いたたた……」
不意におじさんは、持ってた買い物袋を下に置いて太ももを押さえました。
「えっ、大丈夫ですか? 腰痛ですか」
「いやあ、足の付け根がね、階段の上り下りのたびに痛くてね。歳かな、はは」
情けなさそうに苦笑するおじさんはダンディでした。ちょっと不健康そうに痩せてるけど、古いアパートを背にするとなんだか風情があります。
そっか、眉をしかめてたのは足が痛かったからですか、莉子の言い訳を聞きとがめたんじゃないんですね。
ふふ、完全犯罪成立です……。
おじさんの肩まで波打つ髪には白いものが混じってる。だらしないんじゃなくてファッションで伸ばしてあるって感じ。タートルネックの長袖シャツにカーキのコットンパンツは、五十歳に近そうなお顔にしては若々しいチョイス。
荷物を運んであげようと階段を駆け下り、近付くと――お、お酒くさっ! 目が充血してる!
しかも買い物袋の中、お酒のビンばっかり!
さらに色が抜けてくたびれ気味のコットンパンツ、近くで見れば絵の具らしき染みがあちこちにあるではありませんか。
このおじさん……もしかしてニコラさんのお父上ではっ。
「いやあ女の子には重いでしょうそれ、すまないね。少し休めば良くなるから、気にせずに置いといてくれないか」
「そういうわけにはいきません! 痛そうなのに放っておけますか!」
おじさんはびっくりしたみたいに目を丸くした。細面で鼻が高くて、お若い頃はフランス女性にだってもてた美形だったと窺えます。
「ご心配どうも。いやあ、これはまた近頃見かけないくらい気立ての……」
「特発性大腿骨頭壊死、アルコール依存の合併症に見られます。放っておいたら手術になるかもしれません。ううっ、可哀相な骨を痛いままにしないであげてくださいっ」
お酒のビンの詰まった袋を抱える。重いです。でも骨頭をこれ以上破壊するなんてそれこそ犯罪、ここは莉子が未然に防がねばっ。
「早く病院に行ってくださいね。一年以内に両側に発症する確率、五十パーセントなんですから。うう」
「君、ずいぶん若く見えるけど……看護婦さんかな? このアパートの人じゃないよねえ」
ぎくり。
重みによろよろしながら階段を上ってたら、背後から不思議そうに訊ねられてしまった。いまさら、いまさらあなたを訪問しに来ましたなんて言えません。
なにか、怪しまれない言い逃れを!
「わたしはええと……通りすがりの、しがない骨フェチです」
ふふ、完全に事実を隠蔽、おじさんの厳しい取調べをかわし……あっ、ものすごく怪しんでるのはどうしてですかー。
えーい今夜はカツ丼です!
「おじさん、いらっしゃるならご家族と住まれた方がいいんじゃ? こういう時もほら、その、息子さんとかが荷物を運んでくれるでしょうし」
ももをさすりさすり階段を上ってきてたおじさんは、困ったように笑った。
「息子はいるけどね、君と同じくらいの年頃だね。事情があってねえ、一緒に住めないんだ」
「でも……」
「生活のためにまた迷惑をかけるわけにはいかないんだよ。さて、荷物をありがとう。気をつけて帰りなさいね」
ピンポンダッシュ未遂したドアの前で、おじさんは荷物を受け取ろうと手を伸ばした。お酒を飲んでる時には震えないはずの手が震えてた。
このおじさんを模倣したら、愉快犯になるんでしょうか?
「生活のために贋作に手を染めたんじゃないか、って気がしました。売れない画家だったって、大牙さん言ってたじゃないですか」
夜。キッチンカウンターに三人並んで、流れ作業でカツ丼作り。リッキーさんが小麦粉はたいて、大牙さんが卵にくぐらせて、わたしがパン粉つけて。
「だってほらその、聖ウェズリーってものすごくお金がかかる学校でしょう。ニコラさんのために贋作でお金を稼いだのかもしれませんよね」
うちのお父さんも学歴重視の大企業で苦労したみたいでよく言ってた。莉子にはきちんといい学校を卒業させる、って。
最近はリッキーさんが無償で家庭教師してくださるから、メイドバイトで忙しくても成績上がってるくらい。体力もついた気がする。お遍路から戻ったら喜んでくれるかな、お父さん。
「なんて言うか……あのおじさんの模倣で世間を騒がすって考えとは、あまりにイメージが違う感じがしたんです」
「ほーお。それで・おまえは」
ずずいと見下ろす大牙さんの片眉が上昇。目が据わってる、これはいつものことだけど、通常が椅子ならあぐら並みにどっしり据わってる。
「怪盗贋作家の正体を知ってるかもしれないヤツに・わざわざ・怪しんでる人間がいることを・知らせに行ったのか?」
大きな右手がシャキーンと臨戦態勢。指先はぬっちょり卵まみれ。
「えっ、あんまり怪しまれてませんでしたよ?」
一歩下がりつつ主張してみたけど。
「めちゃめちゃ怪しいだろ、初対面で家族や息子に言及するなんて!」
きゃー卵の手で顔面つかまないでください、ぬるってします、ぬるってー!
「莉子ちゃん、大牙は莉子ちゃんの身の危険を考えてんの。頑張ってくれたのは嬉しいんだけど、ダメだよ。そういう時は事前に僕たちに相談してくれなくちゃ。ね?」
大牙さんの指の隙間から見えたのは、出かけようとする主人を追って玄関先までついてきた子犬みたいな上目遣い。
おねだりモードです!
いけません大牙さん以外にその必殺技を発動したりしたらっ。
「甘やかすなら律ちゃん、その手で頭なでてやれ」
案の定、脊椎冷却視線の強力照射。ほら妬かれてる!
きょとんとしてご自分の小麦粉だらけの両手を眺めたリッキーさん、すぐに笑顔になった。
「ん。莉子ちゃんの心配してあげるいい子だね、大牙は」
「わっ馬鹿、俺じゃない俺じゃ……このーっ」
それぞれの武器が入ったボウルを抱えた先輩方の間で、小麦粉と溶き卵が飛び交った。そして仲良くシャワー、バスルームでも水の飛ばしあいしてじゃれてる気配が。
飛ばしあってるのが水ならいいのですが。
このラウンド、なでなでしてもらう野望を抱いていたのに……チャンピオンによるなでなでを見せられラブシャワーに入られ。
カツ丼で敵を勝たせてしまいました。