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愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド10 心眼 de 真贋 ・・・怪盗贋作家
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1. 愉快犯現る現る

「違う……何かが違う……」

 六時限目終了後の生活指導室。穏やかな色とラインのコーナーソファに身を沈めていた大牙さんは、お気に入りのお店のバナナタルトを一口含むなり呟いた。

「ああ、最近になってパティシェが一人辞めたと言っていたな」

 剣聖の動きがまるで舞であるように、完成された手際というのは美しさを得るもの。茶々さんが紅茶を淹れる仕草は見とれるくらいにきれい。

 茶々さんご自身が宝塚の男役スターみたいな芸術品なのもあって、ここが学校の一室だ、しかも校則に背いた子羊を洗脳する茶々さんの矯正部屋だなんてことを忘れそうになるんだけれど。

「だからか、くそっ。そいつの移った店はどこだっ」

 学ランの胸ポケットから携帯バナナ、続いて携帯電話を取り出すと猛烈な勢いで電話しだす大牙さんが雰囲気をブチ壊してくださいます。

「おーもしもし? あのなー、人気商品だからって安易にレシピ通り作ってんじゃねーぞ、バナナに失礼だろ。これまでバナナタルトを作ってたヤツはどこ行った?」

「それで茶々さん。何かお話があって僕たちをお呼びになったんでしょう? ……いただきます」

 大牙さんがいきなりの苦情で可哀相な店員さんを問い詰める横で、優雅さを崩さずティーカップを口元へ運ぶリッキーさん。小指が微妙に立ってます。

 同棲なさってるのに、幼なじみでもあるのに、先輩方ってどうしてこうも違うのでしょう。

「察しがいいな、律季。美術部ならば昨今、世間を騒がせ美術界を震撼させている事件について耳にしているだろう」

「店を教えろって言ってんだよ!」

「はい。人呼んで怪盗贋作家ですね」

 美術にはとーんと縁のない莉子ですが、さすがにこの事件は知ってました。テレビでも大騒ぎしてるから。

 一年ほど前から始まったという贋作騒動。贋作といえばそれを本物と称して売るために制作されるのが普通なのに、怪盗贋作家と通り名をつけられたこの贋作者は違うようです。

 まず美術館から絵が盗まれる。しばらくするとテレビ局や記者宛てに匿名で住所が送られてくる。そこは無断使用された倉庫や空き家で、盗まれた絵が額装を外されて飾ってあるそうです――二枚。

 どちらかが本物でどちらかが偽物。けれどタッチや画材はもちろん、X線や放射性炭素による年代測定などの科学的判定をされることまで考慮に入れた、実に精巧な贋作。モダンアート狙いだからますます難しいのだそうです。

 盗難にあった美術館関係者や警察が駆けつけるころには、絵が二枚に増えて出てきたというニュースは広まっちゃってる。美術館側としては当然、本物を見分けて再展示したい。それは美術館の名誉とプライド。

「しかしあらゆる美術関係者が真贋判定をしたがらないのだ。非常によく出来た贋作であるうえに、マスコミや世間からの注目度も半端ではない。もし判定を誤り、贋作を真作として展示した後になってくだんの贋作者が真実を暴露するとなれば」

「番号案内って何番だった?」

「鑑定者は世紀の笑いものということですね。……一〇四だよ、大牙」

 大牙さんにとっては犯罪よりバナナタルトのお味の方が重大問題のもよう。

「美術館側は、贋作を添えて戻されるより盗難されっぱなしの方がましだったと頭を抱えている状態だ。同一犯と目されている一連の騒動はすでに四件にのぼっている」

「そんな店ないだあ? 悪い、聞き直してくる。チッ、これだからフランス語の店名はイヤなんだ」

「贋作のターゲットにされた四枚の絵は、いまだに再展示されずにいるそうですね。……スペルを聞いたほうがいいよ、大牙」

「さて、ここで恐らく美術界や警察が真っ先に思い返したであろう男がいる」

 ここからはテレビで聞いたことのない話でした。




 十年以上前にも贋作事件があったそうです。今回の贋作者のように絵画を盗難したり、贋作と並べた展示場所をマスコミに通知したりという派手なパフォーマンスはなく、もっぱら詐欺。だけど贋作としての完成度やモダンアートを狙うという手法が酷似していたとか。

「犯人は逮捕され数年服役、今は出所している。警察は怪盗贋作家としてまずその男に疑いをかけたが、容疑はすぐに晴れた」

「なにっ、パリの店だあ? 番号案内に載ってないのはそのせいか」

「アルコール依存症で手が震える。緻密な作業と集中力を要求される贋作制作は不可能と判明し、捜査は行き詰ったわけだ」

「こっちの捜査も行き詰った。バナナタルト名人が海外逃亡だ……」

 タルトでいっぱいかと思ったら実は聞いてたんですね、大牙さん。

 絶望の表現なのか、ばったりとソファに倒れてます。それからふと、人差し指を立てて挙手。

「俺はそのアル中親父がアル中になる前に会ったことがある」

「ええっ! 大牙さん、偽物を描く人とお知り合いだったんですか?」

「さらに言うならそのアル中贋作家が贋作家になる前の、売れない画家だった時にな」

 大牙さんが画家さんと交流があるような教養の持ち主だったなんて。

「人を食べ物の好みや運動神経のケモノっぷりで判断しちゃいけないんですね……」

「どういう意味だ」

 ほら、こうして瞬速子猫づかみでがっくんがっくんする乱暴な人なのにー。

「僕もそのおじさん知ってる。たまに聖ウェズリーの幼稚舎に来てたの、見かけたよね」

「なーんだ、見かけただけですか。そういうことなら納得です」

 はわわ、脳が揺れます脳がー。

「来てたな、ニコラを迎えに。あー、ニコラってのは三年キングスウッドクラスの男」

 味が違うと文句をつけて苦情とパティシェ追跡の電話までしたのに、大牙さんは結局その味の違うバナナタルトを食べるみたい。ぐさり、と難しいお顔でフォークを突き立てて。

「あいつはフランス人の母親と母子家庭だが……アル中贋作家が親父だってのは、聖ウェズリーにおけるいわば公然の秘密だ」

 びっくりな事実を語る大牙さん。その隣でリッキーさんは唇をティーカップに添えたまま、紅茶を口にする気配を見せずにいる。静かに思考をめぐらすお姿は、まるで憂国の王子――いえいえ王女さまのよう。

「……それに、彼は美術部所属。茶々さん、もしや」

 先輩方の鋭い視線を受けて、凛々しい茶々さんはさらに表情を引き締めた。

「仮に聖ウェズリーの生徒が、母親の愛人である贋作家に手ほどきを受けた愉快犯だとしたら。あるいは外部の者がその可能性に気づいたら。私としては、牧場の秩序と平穏を維持せねばならない。協力を頼みたい」

 怪盗贋作家が聖ウェズリーの生徒だっておっしゃるんですか、茶々さん!




「リッキー様! このところ美術室ではお姿を拝見できなくて、さびしゅうございましたわ」

「どうかモデルになって頂けませんか? わたくし、精魂込めてデッサン致します」

「んまっ、抜け駆けですの? リッキー軍団に投書しますわよ……」

「密告なんておよしなさい、わたくしが沈めて参ります。……さ、秘蔵のコバルトバイオレットを差し上げてよ。どうぞお使いになって、最近では入手困難な絵の具ですのよ。顔料の砒酸コバルトは猛毒ですから、せいぜいお気をつけになって……」

 先輩方と怪盗贋作家容疑のかけられたニコラさんは同学年で幼稚舎から面識がある。リッキーさんとは美術部員同士。にもかかわらず、あまり交流がなかったのだとか。

 面と向かって「こんにちは贋作してますかー!」と訊ねるわけにもいきません。

 盗難と偽造の被害に遭った絵画の波動判定は茶々さんの仲介で、あさって某美術館でってことに。それまでにニコラさんをそっと観察できる場を作ろうということで、急きょ美術部見学と相成りましたが。

 リッキーさんは女子部員の皆様に包囲されてしまい、肝心の容疑者に接近するタイミングを逸しているようす。

「大牙さん大牙さん、ニコラさんってどの人ですか」

 広くて天井の高い美術室。彫刻、絵画、工芸品がブロック分けして展示されてる。色の洪水、手彫りする小気味いい音、懐かしさを伴う絵の具や陶芸用の湿った土の匂い。人の息遣いが手を通して形になる場所。

 端に置かれたベンチからニコラさんらしき姿を求めて見回すけど、リッキーさん目当ての女子生徒が溢れかえってて見通しがききません。

「暗ーい絵の横にいるヤツだ」

 グイと、展示されてるどんな作品よりもアーティスティックなフォルムの下顎骨が壁際のイーゼルを示した。

 紺色のベストにチェックのスラックス。力なく丸められた小柄な背の向こうに覗く焦げ茶の髪は、細いというより頼りないくらいの繊細さ。近くにあった油絵の具の色見本で参照すれば、バンダイクブラウンって色に近い。

 まっさらなキャンバスへさかさか無心に鉛筆を走らせてる横顔。肌は日本人離れした白さ、伏せたまつ毛は長くてくるんってしてる、彫刻の少年みたいに整ってる。

 だけど言ってしまえば色素ごと存在感も薄い。聖ウェズリー生の居並ぶ超強烈個性の中にあっては、フランス人とのハーフという要素もかすんでしまってる。

 ひっそりと壁際にいるのもまるで、人の目も陽の光も避けているようで。

「今晩のお夕飯に、もやしのおひたしなんてどうでしょう?」

「おまえ、自覚なく失敬なヤツだよな」

「あっ、ホワイトアスパラガスもいいですね!」

「んなボケだから、魔女にイタズラされんだろーが……」

 ニコラさんはなんだかとっても気の弱そうな方。怪盗贋作家と称され世間を大騒ぎさせてる愉快犯だとは到底思えません。気が抜けちゃいます。

 怪盗ならなんかこう、黒いマントをはためかせて屋根の上で高笑いしてて欲しいです。

「隣にある暗ーい絵、ニコラさんのでしょうか。何を描いたんでしょうね?」

 闇に沈む雪原みたい。中央にバッタリ倒れてるのは動物かな。

「左の木の枝に引っかかってるの、しなびたバナナの皮っぽくないですか?」

「……おまえの選択教科、美術じゃなくて音楽だろ」

 どうしてご存知なんでしょう。

 大牙さんは学ランの内ポケからバナナを、その下から携帯を取り出した。ニコラさんの背後に猫も顔負けの静音で忍び寄り、絵を撮影。

 戻ってくるとあれこれ操作して画像を色調変更、見せてくれました。

「あの絵のネガ反転。これならさすがに見覚えあんだろ」

 あります!

 明るい青空の下に開けた濃い土。中央の物体、木の枝、手前の台、各所にくったりととろけかかっているのは時計。夢の中でさえありえないような不思議な世界。

「シュルレアリスムの画家・ダリの『記憶の固執』、柔らかい時計だ」

 わー、運動神経は猿だけど脳みそは洗練されてるんですね!

 バナナを選ぶ時みたいな真剣な顔つきをして、見かけによらず物知りな大牙さんは声を低めた。

「プロファイルの真似事でもしてみるか? 奇行で知られたナルシストの絵を、正確にネガにしてキャンバスへ再現する――おまえはこれをどうとらえる?」

 それはもう!

「ニコラさんはそういう色覚障害なんですね!」

 視線に毒性があったら確実に劇薬指定なパワーでにらまれました。違ったみたいです。


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