3. ミス・マッドサイエンティスト
初等部の校舎。高等部とはキャンパスが分けられていて通常は行き来できない。そこはひわ先生の教職員の身分証が効いて、すんなりと入れました。
大牙さんは感慨なさげにずるぺたしてるけど、リッキーさんは懐かしそうに見回してる。偶然すれ違った用務員のおばさまや女性教師の方々は、涙にむせびながらリッキーさんの来訪に感激してた。初等部時代からアイドルだったんですね。
昇降口を抜けるとグラウンドが開けた。下校時間を過ぎてて生徒の姿はない。校舎に沿って立ち並ぶ銀杏、その足元を飾る植え込みと花壇は朝から降り止まぬ雨にしっとりと濡れてる。水はけがいいはずのグラウンドもさすがにぬかるんでいた。
「タイムカプセルは、あの辺りに埋まってるはずだったの」
雨の日のくすんだ景色においてもなおカラフルな遊具の数々が指し示される。ラインストーンの散りばめられた、ひわ先生のとっても高価そうなピンヒールのサンダルは躊躇なくぬかるみへと踏み込んだ。えーい莉子も泥汚れなんて気にしてる場合じゃない! ぬちょ……イヤー。
「遊具はスウェーデン製なんですってね。晴れていたら遊んでみたかったわ」
「チューブに詰まったら蹴り出してやるよ」
ううむ確かに。ひわ先生の豊満すぎるくらいのバストは、そんな懸念が生まれるほどの迫力です。莉子なら誰も心配しますまい。
遊具ゾーンの端に立つ椎の木には、二十七回生寄贈と刻まれたプレートが打ち付けられてる。この根元にタイムカプセルが埋められていたはずなのに。卒業生たちの焦燥の名残り、掘り返されて土の色が変わった部分が周辺に散在していた。
リッキーさんのロイヤルブルーの傘は、大牙さんの手に託される。そしていきなり――土下座!
「わあリッキーさん、汚れちゃいますよ!」
いえ、正確に言えば土下座でなく手も膝も地面についただけなんだけど、鼻先を思いっきり地面に近づけてるから体勢としては土下座。
制服の白いシャツの袖も、ズボンの膝もたちまち泥水を吸い込んだ。なのにリッキーさんはそんなこと全く意にも介さぬ真剣な表情。地面を透かして地下深くを見定めようとしてるかのよう。
まるでチベットの方が全身を捧げてお祈りする五体投地を実行なさってるかのうやうやしさ。この方は毎回毎回、なんて真摯なんでしょう。愛と夢のためならば、ご自分が泥まみれになることくらい厭わないのですね。
ああ……ついていきます、教祖様!
「百人分の波動が詰まってればキャッチできると思うんだけど。二十年前だから相当、微弱になっちゃってるみたい」
なるほど、いつもと違って本日は波動を個人特定する必要なしということらしいです。二十七回生百人が夢と希望を――リッキーさんいわく愛を――込めたタイムカプセル。地下から百人分の凝縮された波動が発せられていれば、そこがお宝。
探索を続行するリッキーさんのそばへ傘を掲げた大牙さんがしゃがみこんだ。ロイヤルブルーの傘が雨を遮る範囲は、すべて惜しげなくリッキーさんに与えられてる。雨がたちまち大牙さんのヒヨヒヨ茶髪を額に貼り付けた。
愛のコークスクリューパーンチ!
大牙さんが言葉で愛を語っちゃう時よりも、無言のまま態度で示される方が効きます。莉子がおたおたと有効手段を打てないでいるうちに第九ラウンド、激しく攻め込まれてますー。
だけど反撃なんて思いつきもしないから、せめて大牙さんに莉子の傘を差しかけます……ハッ、これはもしかして相合傘という状態では。押しかけだけど。ラッキーを奪い返しました!
その間ひわ先生は、女王様を前にした奴隷のように這いつくばるリッキーさんを見下ろし、頬を上気させてらっしゃいました。
「あん、脳波測定したいわ……電極繋ぎたいわ……実験動物にしちゃいたい」
マッドサイエンティスト?
「そうそう衛藤くん、例の都市伝説は否定することになりそうよ」
「見りゃわかる」
実験動物化の危機にさらされているお方の集中をよそに、マッドサイエンティストはのんびりと傘を回してらっしゃいます。
「高居さんは知らないかしら? 九蓮宝燈で和了ると死ぬって噂を」
チューなんとかというのは麻雀の、一生に一度あるかないかの難しい役。あまりに難易度が高いため、これを成立させた者は命を落とすという伝説があるのだとか。
ひわ先生はミステリー研究者としてこの伝説の真偽を確かめることに。茶々さん、リッキーさん、大牙さんを相手に局を重ね、とうとう一週間前に問題のチューなんとかを成功させたのだそうです。
「最近何度も夜中に呼び出されてたのは、そのためだったんですかーっ?」
「んあ。現金のやり取りはナシって条件でな。茶々に借りもあるし、物理の点ヤバかったし」
闇取引の香りが。暗黒面が。
「だけど一向に死にそうな気配がないのよね。都市伝説の不実効性を立証しちゃうなんて、科学者としては誇らしいけどミステリファンとしては悔しいわ」
爪かんで悔しいわってひわ先生、伝説が本当だったら死んじゃうんですよー、悔しがってどうするんです!
一方雨の中、泥まみれになって地面にへばりついてるリッキーさん。哀れを誘うみじめなお姿なのに、それでも高貴さがにじんでます。
だってリッキー教祖の理想は崇高ですもん、追求するお姿が美しくないわけがありません!
やがて一言、教祖様は予言なさいました。見つけた、と。東方の賢人が星に導かれてイエス様の誕生を悟ったかのように、静かに、けれど溢れくる喜びを込めて。
用務員室からシャベルを借り出していた力仕事担当大牙さんが、傘から持ち替えてすぐさま掘削開始。いかがですかひわ先生、リッキー教団のチーム力は! ……あれっ、莉子役立ってない。
「災害救助犬も神宮寺くんと同じ能力に優れている可能性はどうかしら。嗅覚だけでなく、生命エネルギー探知能力を併せ持っているとしたら……証明できれば高く売れそうな仮説だわ。軍事関係に、うふふ」
ウェズリーは魔窟、という仮説はそれより早く確実に証明されそうです。
くわん。と、それまでザッシュザッシュと重い音を繰り返していたシャベルの先が異物の存在を知らせました。慎重になったシャベルが周囲の土を徐々に崩していく。
卒業生の方たちがリアルなもぐら叩きゲーム跡地みたいにしてしまった一角より、およそ二メートル離れたその場所から出土したプラスティックケース。泥で薄汚れた表面を大牙さんの手がこする。
内側に貼られたラベルには『聖ウェズリー初等部 第二十七回生タイムカプセル』と表記してありました。
リッキー教祖様の予言がまこととなったのです……!
ひわ先生の両手は祈るような形に握りしめられ、瞳からはバラの芳香を際限まで高めたような熱気が溢れ出しています。きらきら、星まで飛んでます。
「神秘だわ。ボディダウジング神宮寺……生きたミステリーね。あの絶大な人気の理由が理解できずにいたけれど、そこらのケツの青っちろい煩悩だけのガキ共とは違うようね……」
うっとりと称賛を呟くひわ先生の唇から、なんかトゲのある言葉が放出されたように聞こえましたが。
「せっ先生、この奇跡の記念にひとつ壷などいかがでしょうか!」
営業営業。リッキー教団幹部として、第九ラウンド起死回生の一発として、このチャンスは逃せませ――ぱっこーん。
眼窩から、ひわ先生とはタイプの違うきらきら星が飛んでいきました。衝撃の走った外後頭隆起をかばいながら振り返れば、タイムカプセルを手にした大牙さんが仁王立ち。
「なっ何するんですかー!」
「売るなボケ! こいつは壷を押し付けてきた張本人だぞ」
「そうじゃなくて、タイムカプセルはもっと大事に扱……え?」
今、なんと?
もっと大事に扱うべきタイムカプセルの筒でとんとん肩を叩きながら、大牙さんはため息をつきました。
「だから、あの壷を置いてったのも質屋に手回ししたのもこいつなんだよ。麻雀しながら茶々から探し物稼業のことでも聞いたんだろ。物理の先公だと思ってた女が壷抱えてマンションに来た時は、さすがの俺も驚いたぜ……」
壷の提供者は茶々さんじゃなかったんですか、ひわ先生だったんですかー! じゃあ莉子は、そのご当人に壷を売ろうとしてしまったと……きゃあ。
「失礼しました、お世話になってますっ」
「なってない!」
「神宮寺くんがいれば埋蔵金も探し当てられそうだわ。どう、先生と夢を掘りにいきましょうよ。ああ、未発掘のピラミッドでもいいわね……ミイラと副葬品ザクザクの……」
ひわ先生、聞いてません。そして目が輝いてます、輝いてます。その眩しい光からリッキーさんを守るように、大牙さんはお二人のあいだに割り込みました。ギッと迫力のにらみをきかせて。
「律ちゃんをそんなことに利用すんなよ、金の亡者。ま、たっぷり報酬支払ってくれんなら考えてもいいけどな」
どちらが金の亡者ですか?
車で送るわ、とひわ先生は申し出て下さった。歩いてすぐだからと先輩方は辞退したけど。
「泥水まみれの生徒を歩いて帰らせるほど非常識な教師じゃないつもりよ」
「あんたから非常識って言葉を聞くとは世も末だな」
大牙さんの呟きをきれいさっぱり無視して、ひわ先生はすぐに車を回してきてくれた。清き学び舎・初等部校舎前に横付けされたのは、豪快なエンジン音を響かせる真っ赤なイタリアンカラーの外車。大牙さんによればアルファロメオのカブリオレ。
運転席から颯爽と降りてきた白衣のひわ先生、かっこいいですー。
「ひわ先生。二人乗りに見えるんだが」
「ええそうよ。泥まみれの生徒は歩いて帰らせないって言ったわよね」
平然とおっしゃって、非常識先生は助手席へとリッキーさんをいざなった。
「なにっ? 俺には歩いて帰れってのか。くそ」
もしもし大牙さん、いつものことではありますが莉子を忘れないで下さい。こうなったら相合傘で一緒に歩いて帰りましょうよー。えへへラッキーデー。
「僕が歩いて帰りますから、莉子ちゃんを乗せてあげてもらえま――」
事態に気付いたリッキーさんが助手席から降りようと片足を出した瞬間、アルファロメオは猛発進。地面にこすれた革靴がころんと脱げて転がりました。慌てたリッキーさんの手が助手席のドアを引き寄せる。
なんて強引なっ。
ぎゅおんとタイヤを鳴らして角を曲がる直前、運転席の窓から白衣の袖がひらひらと手を振ってたように見えました。
「ほえー……茶々さんのお知りあいだけありますねー、大牙さ……?」
「ふざけやがってー!」
大牙さんのお言葉にはドップラー効果が。ひゅんと走り抜ける風を頬に感じる頃には、大牙さんの学ランの背中は黒い点になってました。足元からリッキーさんの革靴も消えてます。
さらわれた主を追って、爆走しちゃったもよう。
「ま、待って下さーい! あっ、もういない……」
二人きりで下校、相合傘で下校のはずが、瞬速の俊足で逃げられました。
「ラッキーデーなんてもう信じないからーっ、うえーん」
放置のダブルパンチに泣きつつ先輩方のマンションへとひた走る。この時、高居家へ帰っていれば。魔女に魔法をかけられずに済んでいたでしょうに。