4. 骨は語るんです
大腿骨。
それが本当に骨なのか、本当に人骨なのか、脳で考える前に目が反射的に答えを出してた。大きさ、形状、質感。間違いありません、骨フェチの名にかけて。
見れば窪地のあちこちに白いものは散在してた。
こ、ここは。県警さんが赤いテープを巻くべき場所なのでは、それすなわち、い、遺体発見現場ということになるのでは。
そうだそうです、だってひろさんは、『カメラは捉えた! 樹海の恐怖』に映ってた女性の霊を追っていらしたんだもん。この骨の主がその方なのでは。
そしてリッキーさんは、この方が律音さんじゃないかと不安に思われてるはずなんだ。
莉子の予想を肯定するみたいにリッキーさんの、蒼を思い切り濃くしたみたいな瞳は落ち着かなげに泳いでた。傷ついて空から落ちてきた青い鳥みたいでおいたわしいっ。
「でも、でもリッキーさん! この人、子供いますよ。律音さんじゃないです」
「……え?」
大腿骨のそばにあった骨盤へ屈み込み、拾った枝で葉を払って見やすいようにした。
「骨盤のこの辺り、経産婦さんは形が変わるから分かるんです。それから大腿骨ですが」
自分の手のひらを一杯に広げたとき、親指の先から小指の先まで何センチか。知ってて良かった。尺取虫みたいに手を沿わせて――きゃー、骨に触っちゃいました――計ってみる。
「大腿骨の最大長から身長を工藤式で計算すれば、えーと大腿骨の長さかける二.五足す五十六」
枝で地面に筆算。
「百四十五センチ前後。ずいぶん小柄な方ですねー」
「姉さんは、百五十八だった」
ぽそり、と呟いてから。リッキーさんはぺたんとしゃがんじゃった。膝のあいだにうなだれて。
「わわ、しっかりして下さい、リッキーさん!」
「姉さんじゃなかった……、違った、びくびくしちゃった」
安堵で力が抜けちゃったもよう。
「だって波動ほとんど残ってないし、動物の方が強くて入り乱れてて、分かんなくて」
「大丈夫です、骨は語るんです、法医骨学万歳です!」
「遺品なくなっちゃってるし」
「遺品がなくたって歯さえあれば! エナメル質だから骨より残りやすくて、個人識別には欠かせません!」
やっと面を上げたリッキーさんの肌には血色と、いつもの緩やかで穏やかな微笑が戻ってた。きゅって握ってきた手もあったかい。
「感謝するね、莉子ちゃん。莉子ちゃんがいてくれて救われてるんだよ」
いる意味が不明な助手。いつも役立たずで足手まとい。ずっとそう思っていたけれど。蒼の瞳は本当だよ、って念を押してくれた。
こんなわたしもリッキーさんのお役に立てるんですね……!
「リッキーさーん! がんばりましょうー、律音さんを探し当てるまで!」
ん、とうなずきかけたリッキーさん。ふと目をぱちぱちしてから、こてっと首を傾けました。
「……そういえば莉子ちゃん、姉さんのことどうやって知ったの?」
話すととても、とても長くなりそうです。
「とりあえずあのう、向こうに戻りませんか? ここ、遺体の上かもしれないので」
『その時カメラは捉えた! 樹海の奥の恐怖を今夜あなたも目撃する、第二夜』に幽霊としてご出演なさった女性。手渡せなかった遺書をひろさんに託そうとした女性の遺書は、結局見つかりませんでした。
樹海で亡くなると動物に荒らされてしまって、遺体も遺品もばらばらになっちゃうんだそうです。
「でも遺書の趣旨は聞いたから、遺族に伝えに行く」
大牙さんの波動を手がかりにリッキーさん先導で樹海の出口へと戻る途上。ひろさんはサバサバと代替案に乗り換えたようです。
「詐欺師めって、また追い返されないといいんだけど」
「ひろさんは金取ろうなんて思ってないのにね。貧乏学生ぶりが肌からにじみ出ちゃってるのかな。いてっ」
霊感探偵さん、パートナーに枝を投げつけてます。
「千歳って一言余計なんだから。あ、貧乏って言ってもリッキーくんへの謝礼くらいはあるから心配しないで」
「いえ、結構です」
サイケメタリック探偵さん、にっこり振り返りました。
「僕は今回、お金に代えられないものを頂きましたから」
――ひろさんを保護できたら。少し自分を許してあげられる?
千歳さんの言葉を思い出して、しんみり。
「僕のあだな、ご存知なんですか?」
指摘されて気付いた。確かにひろさん、今さっきリッキーくんって呼びました。
「うん。そこらへんの人たちがそう呼んでる」
そそそそそそこらへんって。ひろさん、誰もいない木々のあいだを示したりしないで下さいー。
「おかえり、とか。今日は夜明かししないのか、とか。もう片方はどうしたとか言われてるけど?」
イヤーきゃー聞こえない聞こえないー。
「事情アリみたいね。でも野次馬ばかりで、リッキーくんに関係ありそうな霊はいない」
「……ありがとうございます」
神妙にうなずいてから、リッキーさんはふわんと笑った。樹海の薄暗闇も不気味さも一掃して、春の花畑に変えてしまいそうなリッキーマジカルスマイル。ああっ出ます、出ます出ます愛のお告げが!
「ひろさんとお会いして、思い返した言葉があります。フランスのモラリスト、ラ・ロシュフコー公爵の言葉なんですが――『真実の愛は幽霊のようなものだ。誰もがそれについて話をするが、それを見た人はほとんどいない』」
出たー!
「だけど、ひろさんは両方を見る機会を与えられた稀有な人なのかもしれませんね。ふふふっ」
意味も憧れも含んだような優しい瞳が千歳さんへと転じた。視線を受けた千歳さん、ひょいと片眉上げる。
「律季くん、いいこと言うねー。いいだけじゃなくて当たってる」
「自分でそれを言う? 千歳」
「ふうん。ってことはひろさん、俺が捧げちゃってるのが真実の愛だって自覚があるんだ?」
「はっ? んっ? ない。ないない。こら、ないって言ってんでしょ、やめー!」
けんかは恋の更新なり、って教わったけど。このお二人の場合、けんかそのものが恋なのでは……。
樹海に隣接した公園の駐車場。一人で車で待ってた大牙さんは、二回も職務質問されたとぶーたれておいででした。
「察するに、もう片方くん。初めまして、ひろです。お騒がせしてすみません」
「どうも。俺は騒いでないんで、謝んなくていい」
騒いでないんで、って言いながらどうして莉子を見据えるんですか大牙さん。
携帯の震える音が。ひろさんの携帯に留守電ありのメッセージが出たみたい。
わたしの携帯は樹海の奥でもアンテナ立ってた。だけどひろさんの携帯だけはどうしても繋がらなかった。それが霊障の一つだそうで、霊感の強い人は霊に困らされちゃうことが多いんだそうです。
「十六件? なにこれ」
ボイスメッセージ件数に驚いてるひろさんの携帯が、ひょいと横から取り上げられた。
「ごめん俺、間違って入れちゃった。消しとく」
「うそ、心配で色々と名言を吹き込んじゃったりしたんじゃないの? 返せっ」
「いやほんっとに間違えた。聞く意味ないから」
返せ、いやだ、とお二人はまた言い争ってますが……もうじゃれてるようにしか見えません。大丈夫です、莉子は慣れてきてます、目の前で繰り広げられる愛には。めそ。
お昼をとっくに過ぎていて、樹海でハードな往復しちゃって、お腹がぺこぺこ。近くのおそば屋さんでごちそうになっちゃいました。大牙さんは、ひろさんが食べ切れずにいたバナナの房の残りを奪ってデザートにしてた。運動しなかったくせにー。
徹夜だったらしいひろさんは、帰りの車の助手席ですかすか寝始めちゃった。昨夜乗ってきたというひろさんの車は放置で、後日取りにくるみたい。この様子じゃ運転なんてできなさそうだもん。
遠慮して静かにしてたら、千歳さんがバックミラー越しににっこりした。
「平気平気。ひろさんは一旦寝ちゃうと、キスマークつけたって起きない」
あのー涼しいお顔ですが、それって経験談をなさってませんか……?
「……たとえ捨て台詞でも、置き手紙を残せるのってぜいたくだな」
窓枠に頬杖ついて、夕焼けに染まる高速道路を眺めてた大牙さん。ぼそりとそうおっしゃった。
「探してくれるやつが――少なくとも読んでくれるやつがいるってことだろ。それに気付いてもらいたいもんだ」
ひろさんのことみたいだけど。ひろさんを介してやっと遺言を家族に渡せそうな女性の霊や、律音さんも重ねてるのかなって思いました。
リッキーさんと大牙さんのマンション下まで送って頂いた。挨拶をして、お見送りしようとしたら。助手席から降りてきたひろさんが眠気の残った顔で、大牙さんを手招き。
「大牙くんは、優しい嘘つきくんみたいだけど」
ひろさんの瞳って芯の強さが現れてる。無愛想でぶっきらぼうな大牙さんにも気後れしないで正面から見上げるひろさんには、多くの修羅場を踏んできたみたいな落ち着きがありました。
「あの世ってもんがあって、わたしみたいな人間がいる限り、秘密を墓場まで持ってっても無駄なの。ヒントが近くにあること、うすうす分かってるんでしょ?」
大牙さんはポケットに手を突っ込んだまま黙ってる。
なんの……お話でしょう?
でもひろさんは、以上って感じでさっさと助手席に帰っていっちゃった。今度飲もうねー、あっ未成年か、って言葉の続きはドアの向こうにしまわれていった。
走り去った白い車が角を曲がって消えてしまっても、わたしはそこに立ってた。
今日は色んなことがありすぎて。リッキーさんの見慣れない表情の数々、樹海の白骨や律音さんのあれこれ。それにやっと助手っぽいことができた。嬉しい。
だけどリッキーさんと大牙さんは、律音さんのことにまで莉子を踏み込ませてくれるのかな。今まで、あまりにデリケートでプライベートなことだからと思って、ご本人たちには面と向かって律音さんの話をしてみたことなんてなかったけど。
莉子は後輩やメイドや助手以上の存在になれるのかな。
警視庁幹部であるリッキーさんのお父さんは、律音さんの生存を消去しちゃおうとしてる。
権力と時間の押しとどめるのは難しいかもしれない圧倒的な潮流の中で。律音さんの波動をつかむため、幼い頃の慕情ゆえの行き違いを埋めるため、リッキーさんは大牙さんと一緒に逆らってる。
「莉子ちゃん帰るよー、おいで」
「ボケっとすんな、さっさと来い」
「え?」
マンションのオートロック前で、お二人は振り返ってた。
すっと背筋の伸びたリッキーさんに、片手をポケットへ突っ込んだ大牙さん。流れに身を任せるのを拒んで、先輩方の足は信じる方向へと。希望の光へと。
そして差し出されてる二本の腕。一本はダンスを申し込むような優雅さで、一本は子猫づかみのぞんざいさで、だけどまっすぐ莉子の方へ。
周囲の音が、お二人以外の全てが鈍い色で描いた流れに溶けて消えた。
その中でリッキーさんのあったかいまなざしと大牙さんの下顎骨だけが、クリアに鮮烈に押し寄せてくるようです。
「――はい!」
ファイト、莉子。きっとこれは神聖なリング。リッキーさんと大牙さんが戦ってる、律音さんを賭けたリングに莉子はもう足を踏み入れてる。
思いっきり駆けてくと、背に手を置かれるのと頚椎をつかまれるのは同時だった。
「律ちゃん、腹減らないか? そばなんかとっくに消化しちまった。出前取ろうぜ」
「ん。莉子ちゃん、何食べたい? 中華なら福建チャーハンのおいしい店があんの」
お二人が莉子の気持ちを読んでして下さったことでは、たぶん、ないけれど。それでも嬉しいのです。こうして自然に輪に加えて頂けて。
「トマトサラダ作っていいですか?」
莉子ピン参戦記念にそう提案したら、大牙さんは不服そうに下顎骨をうごめかした。
「おまえさー昨日、三食ともトマト使ってただろ。おとといもだ。飽きた」
参加拒否られっ……。
ひろと千歳は別作品の登場人物です。彼らに興味が湧いた方は『守護霊見習い』へドゾー