2. 「ん? 手、繋ぐんだろ?」
「オレねー。告白してくる女の子はとりあえず全員、振ることにしてんだ」
青嶋先輩の髪はみちるさんと同じ亜麻色だった。ううん、みちるさんが青嶋先輩とおそろいにしたくて亜麻色にしたのかも。
左右非対称の長めな前髪のあいだから、あまり印象のよろしくない視線。どこか人を小馬鹿にしてる感じです。顔立ちが上品なだけに、気取った雰囲気がますます強調されてる。
みちるさんを振った理由を尋ねられると青嶋先輩は、なあんだそんなこと、と呆れたように笑った。
「なんでって、こういうの知らないかなあ。『女の性格がわかるのは恋が始まる時ではない。恋が終わる時だ』って。ポーランドの政治家、ローザ・ルクセンブルクの言葉だけどね」
びっくり、リッキーさんお得意の恋の格言が青嶋先輩の口から。
「つまりさ、女が振られた時ってのが一番本性が出るってわけ。ギャーギャー泣きわめかれたりしたら百年の恋もさめるってもんだろ? そうなったら、その女に恋してた百年を浪費したことになる」
ははは、なんて流した笑い方をなさって。
「だったらさ、まず振ってみて性格を確かめてみるわけ。振られ方が気に入るようだったらまあ、そこで付き合うかどうか考えてもいいって感じかな」
青嶋先輩、それは、それは……ひねくれた捉え方だと思います。
恋が終わる時に女性の本性がわかる、それは茶々さん風に四字熟語で言えば断章取義。言葉を自分にとって都合よく解釈して、利用なさってるだけではないでしょうか。
誰かれ構わず振っていいって理由には、未開封のラブレターを破って迷惑だと言うひどい振り方をしてもいいって理由にはなりません。
確かに皮肉めいた印象もある格言。でもそんな使われ方したらかわいそう。
「こないだなんかさー。オレが振った子が万引きに走っちゃって、生活指導室に呼び出されたって噂。アブねーよなあ。追い詰められたら何するかわかんないタイプっての? なっ、醜い本性見えるだろ、振ってみると」
それは違うよ青嶋くん、って愛の親善大使リッキーの教えを期待したけど。リッキーさんは痛々しさを眉頭ににじませ、静かに一度目を伏せただけでした。
「ありがとう。君の行動の理由を話してくれて」
「あの子に会うんならさ、振られた時に大口開けて突っ立ってるのはやめた方がいいってアドバイスしてあげてくれよ。じゃ、用がそれだけなら行くから」
陽気にそう言って片手を挙げると、青嶋先輩は颯爽と去っていかれました。
どうしてあんなに女の子を傷つけて平気でいられるんでしょう。大牙さんだって意地悪で冷血で口が悪いけど、青嶋先輩とは質が違うもん!
「ひどいですー、青嶋先輩ったらどっかの馬の骨ー」
乗馬服の後ろ姿へ、こそっとなじってみる。
「それ悪口のつもりか?」
ひとっこともしゃべらずに聖ウェズリー像に寄りかかってた大牙さん。苦々しい顔で髪をがしゃがしゃっとかき回して、耳にしたばかりの嫌な記憶をそうやって追い出してしまおうとしてるみたいに見えた。
「……で、そこで聞いてたおまえ、どうなんだよ」
かき回したせいで、大牙さんの頭はつんつんと毛束が暴れてる。その頭がのけぞるようにして、聖ウェズリー像の背後を眺めた。
気づきませんでした。そこにうつむいて立っていたのは、帰ったとばかり思ってたみちるさん。
聞いちゃってたんだ、青嶋先輩の会話を全部。
「後悔……しましたん。青嶋せんぱいを好きになるって決めたこと」
血の気の失せた頬が引きつってる。金銀の目がうるうるしてる。わーん、やっぱりもらい泣き。思わず抱きしめちゃおうと、両腕を伸ばして一歩踏み出した時。
「でも、これですっきりしましたん!」
顔をあげ、きゃはっと笑うみちるさん。
あの、このもらい泣きはどこへ。広げたこの腕をどうすれば。
「ってことで衛藤せんぱい、今からあたしとケーキでも食べに行くのはいかがですん?」
伏兵、大胆! チャンピオン・リッキーの目と鼻の先で誘ってる!
「悪いな。家で熟成バナナが俺の帰りを待ってんだ」
スタスタと急行で逃走に入る大牙さんに、じゃあフルーツパーラーはいかがですん、とさらに食い下がってる。
あわあわ、と莉子の下顎骨は声を何度か空振りした。
「リッキーさん、何ですかあれ! いいんですか許されるんですかー!」
「ん、大牙は行かないと思うよ」
にっこりさらりと断言、リッキーさんってば余裕を見せつけてくださいます。
「莉子ちゃん、青嶋くんとの話に付き合ってくれてありがと。僕は寄るとこあんの。また夕飯時にお会いしましょうー」
そしてすっすっすっす、と足さばきも涼やかに場を離れてしまわれた。大牙さんとみちるさんを行かせちゃって心配じゃないんですか? 信頼なさってるみたいだけど、でも!
あたふたしてたら。唐突に聖ウェズリー像横の茂みが揺れた。
「きゃっ……あ。キヨイ先輩」
中腰移動してても、背が高いから判別できてしまうんですが。
短髪のキヨイ先輩の頭は振り返りもせず、茂み越しにリッキーさんを校舎の方へと追っていった。
「手を繋いでくださーい」
電信柱に隠れて覗いていると、みちるさんは積極的発言で大牙さんを攻略しようとしてた。
どうしようか迷ったものの。みちるさんとキヨイ先輩を見てたら、尾行でもいいからとにかく追うのが恋する女の子として正しい行動のような気がしてきて。ついてきてしまいました。
それにしても手を繋いでくださいなんて、莉子だってお願いしたことないのに!
救いなことに大牙さんはいつもの通り両手をポケットに突っ込んだまま、スタスタと歩調を緩めない。
だけど急にマンションとは違う方向へ曲がった。緩やかな坂を下って、大牙さんの学ランは商店街へと向かう。
「衛藤せんぱーい、フルーツパーラーはこっちですん、こっちー」
みちるさんが先導しようとしてるのに大牙さんの背中は止まらず、こまこま並んだ店舗のあいだを抜けていく。
よかった。バナナにつられてデートしちゃうかと不安になったとこでした。ありえそうですから。
商店街は人が多くて、距離を縮めないと見失ってしまいそう。もっと近づかなきゃ。電信柱の陰から一歩踏み出した矢先、唐突に学ランが転じてこっち向いた。慌てて柱の裏へ戻る。
「おい。手」
あぶないあぶない、発見されるとこで――え? 額の汗を拭おうとした腕が硬直。
大牙さん、どうしたんですかそのにこやかな善人風笑顔は? 似合いませんよ? しかも何ですか、みちるさんに手を差し伸べたりしてー!
背中しか見えないけど、みちるさんの動きが止まってる。恐らく突然に反応されて驚いてるんでしょう。そんなみちるさんに対し、大牙さんはテン、と首を傾けた。まるでリッキーさんみたいなあどけなさ。
うああ、電信柱に爪を立てるこれはジェラシーの仕業ですかー。
「ん? 手、繋ぐんだろ?」
ほらほらどうした、おいで、やってごらん? って、しり込みする子猫を励ますような温かいまなざしまでしちゃって。
そんなー、その手は莉子を制御するためにあると思ってたのにー! リッキーさんを骨まで愛してるんだと思ってたのにー! 大牙さんの浮気者! 不倫ですよ不倫……あれ、莉子ってばリッキーさんと戦ってたんじゃなかったっけ、怒るの変かな。
電信柱の陰でわたしが一人動揺と混乱を展開してるあいだに、みちるさんは我を取り戻してたらしい。
「あっ、はいー。ンフー」
いそいそと大牙さんの右手へ手を伸ばしてる。助けてください聖ウェズリー!
「ハイこんにちは、お嬢さん」
なんか野太い声がした。聖ウェズリー?
大牙さんを目指してたみちるさんの手。なぜか、道路わきの手相の易者さんに連結されてた。その地点へ強引に持ってった大牙さんの手が、みちるさんの細い手首から離れる。
「ほうほう。あなたは今、恋をなさってますねえ」
野太い声の主は易者さんだったようです。
あれ。ひょっとして大牙さんってば、みちるさんの手を易者さんに引き渡しただけ? 易者さんと手を繋がせちゃったの?
みちるさんも何が起きたのか把握できてないみたいで、易者さんに掌を覗きこまれたままキョトンとしてる。
「ふうーむ、手相は語ってますねえ。あなたは難儀な片思いをしていると」
ンフーっ? と鼻で息をのんでのけぞるみちるさん。
「すっごーい、大当たりですおじさん!」
えっと……今のいきさつを見ていれば、大牙さんが難儀なお相手なのは一目瞭然かと。
「あっ、いいこと思いつきましたん、ペアで相性をみましょう衛藤せんぱ……」
学ランは消滅していた。
さっきまで大牙さんがいたはずの空間には、ひょおと風が吹き抜けるだけ。
「せんぱい……せんぱいーっ?」
ああ。みちるさん、その感覚……莉子にはとってもわかります。大牙さんが何かしてくれたかと思いきや、直後に放置されちゃって唖然とする。いつもいつも骨身にしみて実感してますとも!
本当なら、伏兵をまいちゃった大牙さんにほっとしなきゃいけないとこだけど。今のみちるさんを見てたらできない。だって、明日はわが身です!
みちるさん、大牙さんはそういう人です。へこたれないで!
「なかなか難儀なようですねえ……」
易者さんと手を繋いだまま大口開けて突っ立ってるみちるさんに、電信柱の陰からそっと同情とエールを送った。
あれ。伏兵はライバルだったはずなのに、いつの間にか戦友になってる……?