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愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド6 健闘 in 拳闘 ・・・幻のお砂糖
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3. どこにいたってこの僕が

 携帯の着メロがこんなに頼もしく聞こえたことはなかった。

 バッグの中を探すなんて悠長な余裕はなくて、中身を全部膝にぶちまける。

『もしもしー莉子ちゃん? 律季です。今タクシーの中なんだけど、もうすぐそっちに……』

「リッキーさん! 助けてください、鼻骨先生が怖いんです!」

「いけませんよ、高居君。保健室では静かにね」

 先生は意地悪な笑いを浮かべながら、携帯を奪おうと手を伸ばしてくる。

「きゃー! リッキーさん早く来て、どっか、どっか墓地の近くなんですけど」

「感心できませんね。患者は先生の言う通りにしないといけないんですよ?」

 この人、どうかしてる!

 樹海だって怖い、暗闇だって怖い、だけど一番怖いのは人間だ。生徒の信頼を裏切る先生、そして娘の生存よりプライドを優先する父親。

 ずるずる引きずり下ろされていく睡魔と絶望の暗闇で、微かな声がした。

『莉子ちゃん、大丈夫。どこにいたってこの僕が、愛で見つけてみせるから』

 暗雲を溶かして降り注ぐ天使の声。

 だけど、人の形をした悪魔がそれを奪っていった。




 ガッシャーン! チリチリチリ。

 心臓が壊れた音がした。

 濁った意識の底でそんなことを思って、それからゆっくりゆっくり浮上する。連動して瞼もゆっくりゆっくり上昇すると、誰かが超至近距離で慌ててた。

「誰だ!」

 あなたこそ誰ですか。邪魔なのでどいてください……。

 その誰かが怒鳴りつけてる方向へと顔を転ずれば、墓石。車の運転席に窓から墓石が投げ込まれ、砕けたガラスが周囲に飛び散ってる。

 何が起きてるんだろう?

 割れた窓からぬっと手が伸びてきてドアロックを外す。ドアが開くと、ズゴンと重量感たっぷりの音と共に墓石が車外へ転げ落ちた。破壊された運転席へ顔を突っ込んできたのは、くしゃっと乱れた茶髪にオレンジ色のサングラス。

「人に名前を訊ねる時はまず名乗れって、親に教わんなかったのか?」

 大牙さん?

 続いてこっち側のドアも開いた。艶やかなストレートヘアと、充血とは縁のなさそうな涼やか視線。

「うちで預かってるお嬢さんを無断で持ち出しちゃ困ります、保健の先生」

 リッキーさん?

 上体を屈めて覗き込んでるリッキーさんは、さらりと穏やかな笑みを浮かべた。

「おまたせ、莉子ちゃん。さ、こっちおいで」

 口調はいつものリッキーさんだったけど、引かれた手の力は痛いくらい強かった。その痛みでようやく意識と記憶が目覚め始める。

 携帯を取られて、アルコールを注射されそうになって、でも最後の気力で暴れたら針が折れたんだっけ。それで今度は無理矢理飲まされそうになったけど、咳き込んでほとんど飲まずに済んで。鼻骨先生、すごく怒って怖い顔してた。

 記憶はそのへんまで。

 しわが寄ってたトップスを手でなでつける。なかなかしわが伸びなくて、何回もなでつけてるうちに涙が出てきた。

「もう大丈夫だからね」

 頭をなでなでしてくれるリッキーさんの手の温もりが、安心しすぎてまたどうしようもなく泣けてくる。

「君たち、ウェズリーの生徒ですか。勘違いをしているようですが、私は彼女を休ませてあげていただけです。何もしてません」

 助手席から渋々のように降りてきた先生は、抜け抜けと涼しい顔をなさった。

「違います! 先生はわたしに睡眠薬を飲ませて」

「あれは君が飲みたいと申し出たんでしょう」

 確かにそういう見方もできるけど。

「それは、大牙さんのお砂糖だと思ったから!」

「……砂糖?」

 めちゃくちゃにご機嫌の悪い声がした。地を這うどころか、大地を揺るがす不穏の地鳴り。わたしは大牙さんと王蟲以外に、こんなお怒りオーラを出せる方を知りません。企業秘密を暴かれて激怒なさってるようです。

「大牙さん、ごめんなさい! だって知りたかったんです、あの幻のお砂糖」

「それで・まんまと・睡眠薬を・おまえから・飲んだってわけか?」

 区切らないでください。その度に心臓が止まりますから。

「学院にも警察にも、言わない方が君たちの将来のためですよ」

 のんびりと、嫌味なくらいのんびりと余裕な表情で、鼻骨先生はおっしゃった。

「何しろ聖ウェズリーは名家の生徒ぞろいです。妙な噂が立てば困るんじゃないですか? それに私は覚えめでたい勤勉な教諭ですよ。学校側が生徒と教師とどちらの言い分を信じると思います?」

「茶々さ……安香理事はわたしたちを信じてくれます!」

「よせ」

 呆れたように制止したのは大牙さん。面倒そうに首をゴキゴキ鳴らしてらっしゃる。鼻骨先生も余裕ですが、大牙さんはその上を行ってらっしゃるようです。

「虎の威を借りる気はないぜ。なあ律ちゃん」

 ふふっ、と笑い返すリッキーさん。

「大牙には必要ないもんね、タイガーだから。先生の鼻、ひっかいちゃって」

 転がってた墓石に片足をかけて、殺人タイガーはにやりと楽しげに唇を吊り上げました。

「家名にも警察にも、頼る気なんかさらさらないんだよ。ありがたく思うんだな、今なら墓石選び放題だぜ」




「ははっ、これはお笑いです」

 大牙さんの気迫におののくかと思えば、鼻骨先生はその美しい鼻先でそれを笑い飛ばした。

「私はこう見えても学生時代、ボクシングをやってましてね」

 言いながらファイティングポーズで構えると、なるほど先生からも鋭い気迫が。

「私には手出ししないほうが身のためと、痛い思いをしないと理解できませんか?」

 大牙さん、ピーンチ!

 リッキーさんならボクシングを習ってたはずだけど、大牙さんに関してはそんな話聞いたことない。いくら運動神経が良くたって、分が悪いのでは。

「あーそりゃ手出ししたくないな。でも仕方ないだろ」

 莉子のアタフタもよそに、大牙さんは晴れやか。

「手術跡を癒着させないために軽い運動しろって医者に言われてんだよ。ドクターストップじゃなくてドクターリコメンドだな。そら来いよ、せんせー。相手にしてやるぜ、散歩がわりにな」

 両手をジーンズのポケットに突っ込んで、グイ、と顎で引っ張るように挑発する大牙さん――ああっ下顎骨! 相変わらず美しい!

「じゃあ遠慮なく――」

 鼻骨先生は拳を引き、たんたんとリズミカルにステップを踏み始めた。

「やらせてもらいまっ――」

 先生が消えた。

 多分先生は目にも止まらぬ早業で、大牙さんにパンチを繰り出したんだと思う。だけど大牙さんがそれより早く足払いをかけて、先生を転倒させたんだと思う。

 何しろあっという間の出来事で、気づけば仰向けで大の字に伸びた先生の顔を、大牙さんのおみ足がガッツリ踏んづけていたのです。両手はポケットに入れたまま、サングラス越しにとびっきり不遜な態度で先生を見下ろして。

「本日の格言。手が出せないなら足を出せ――聖ウェズリー高等部三年、衛藤大牙帰宅部」




「悪いな、律ちゃんの出番取っちまって」

 あっはっはと珍しく無邪気に笑う大牙さんの踵は、容赦なく先生の顔面をぐりぐりしてます。大牙さんには逆らっちゃいけない。大牙さんには逆らっちゃいけない。

「あの、お二人ともありがとうございました。助けてくださって」

「んあ」

 逆らっちゃいけない人が、ふと思い出したように笑みを引っ込めた。

「だけど律ちゃん、何でこいつの鼻潰せなんて言ったんだ?」

「この先生ね、前に兄さんのボクシング大会の応援に行って見かけたことあんの。こういうプライドで勝ち上がるタイプの人は、ポッキリ折られるとダメージ大きいんだって。見てみたいかなーって」

 ふふふっと小鳥の繊細さで笑うリッキーさん。リッキーさんにも逆らっちゃいけない。リッキーさんにも逆らっちゃいけない。

 へーえ、と呟いて大牙さんが足をどけると。先生の顔は無残に泥と鼻血に汚れ、鼻梁はポッキリ折れていました。

「いやー!」

「おっと、刺激が強かったか……」

「鼻骨の折れた先生なんて、ただの人ですー!」

「ふふ、やっぱそうなんだー」

 靴裏の血を不謹慎にも墓石にこすりつけてた大牙さん、じと目でわたしとリッキーさんを交互に眺めた。

「おまえらいつの間にか、俺の理解を超えたレベルで意気投合してないか?」

 わあ、ひょっとして妬いてくださってる?

「ああそうだ……律ちゃんにはもういっこ、謝んないとな」

 大牙さんはスコンと肩を落とした。言いにくそうにズリズリ、靴で墓石をこすり続けながら。

「気づいたろ。ホットミルクに入れてたの、砂糖じゃなくて……薬だったんだよ」

 ギチッ! と金属音のしそうな睨みが莉子を刺す。

「すすすすすみませんごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんですけどバラしちゃって」

「ん。いいの」

 もし、たっぷり泡立てた生クリームの海に身投げしたら、こんなふわふわな気持ちになれるでしょう。どこまで沈んでもさらりと甘くて、バニラのいい香りに包まれて、絹のように滑らかな肌ざわりに酔いながら、上も下もない無重力の心地よさに浸るのです。

 てんと首を傾けてリッキーさんが放つ笑顔には、そういう海に人を泳がす力があります。

「大牙が良かれと思ってやってくれたことだもん。ありがと。それ考えたら、もう砂糖なしでも眠れる」

 その海はリッキーさんの人肌だったんでしょう、大牙さんは優しげに口角と目尻を緩めた。

「……そっか」

 あれっ、もしかして愛の視線?

「帰るぞ、律ちゃん。俺、まともなもん食ってないんだよ」

「あーっ思い出した、大牙ってば莉子ちゃんのお見舞いで飾ってたバナナ、食べちゃったでしょ」

「さあ、覚えてねーな」

 あれっ、莉子の存在も忘れられてる? 助けに来てくれたのに。大牙さんってば仇をとってくれたんじゃなくて、ほんとに軽く運動したかっただけ?

「大体、何であいつにホットミルク作らせたんだよ。それがそもそも間違いだろ」

「だってー」

 あれっ、大牙さんが妬いてたのって、リッキーさんじゃなくて莉子?

「あのう……先輩方、誰か忘れてませんか」

 連れ立ってタクシーに向かう二つの背中に、おそるおそる問いかけると。揃ってきょとんとしたお顔が振り返った。

「忘れてるか?」

 忘れてることも忘れてるんですか、大牙さん!

「その先生なら天罰が下るから、安心して」

 その先生じゃなくて莉子なんですが、リッキーさん!

 うう……お二人のタッグは相変わらず、探し物でも恋でも強烈。やっぱり麻雀で挽回するしかないようです。目指せ骨一色!

 あれっ、あの役、緑一色だったっけ?


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