表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド5 創痍 from 相違 ・・・道を照らす明かり
20/56

3. しかし愛し合うためには

 紙袋をスコースコー鳴らしてたキヨイ先輩は、やがてもう大丈夫だというように軽く右手を挙げた。心配そうに控えてたリッキーさん、ほうっと大きく安堵の息を漏らす。それからしょぼーんと身を縮ませた。

「ごめんね。僕のせいでキヨイさんがそこまで思い詰めてたなんて」

「えっ!」

 ぎょっとしておののくキヨイ先輩へ、リッキーさんは言いにくそうに上目遣いする。

「名前聞くだけで拒絶反応起こすくらい、嫌いだったんだ……足が八本の揚げ物」

「リッキーさん、イカの足は十……」

「そ、そうなんですの、嫌いですの足が八本の揚げ物!」

 キヨイ先輩。手の甲をつねらないでください、痛いです。

「だからもう、キヨイのことは気にせず、忘れてくださいです」

 え?

「そういうわけにはいかないよ。ね、好き嫌いを教えてくれる? また改めて」

「いいんです!」

 ぐしゃ。キヨイ先輩の手の中で紙袋が潰れた。

 うつむいた横顔は強張ってて、肩からは拒絶のオーラが放散されてる。放っておいて、これ以上入り込んで来ないで、空気を通してそう叫んでる。ぎりぎりまでたわんだ枝が、みしりと鳴いて限界を伝えてるみたいだった。

 ベンチの脇で、リッキーさんは思案顔だ。リッキーさんは何も知らない。リッキー軍団が存在することも、高等部団長がキヨイ先輩であることも、キヨイ先輩がどんな想いでリッキーさんを見つめてきたのかも。

 ここは、莉子が何とか!

「リッキーさん、そんなことありませんよね!」

 今にもまた逃走しそうなキヨイ先輩の腕を、がっちと確保。

「好き嫌いって住む世界が違うからダメだとか、だから無理とか。そんなんじゃありませんよね! 何かお願いします、愛のご託宣を!」

「高居莉子、おまえっ……」

「お願いします、リッキーさん!」

 頭を下げたのか、キヨイ先輩にしがみついたのか、よく分からない。

 リッキーさんには大牙さんがいる。大牙さんにはリッキーさんがいる。わたしもキヨイ先輩も、所詮叶わぬ恋なのかもしれない。

 だからってこんな風に違いを思い込んで、違いに傷ついて諦めたりするなんて悲しいです。でもリッキーさんじゃないから、そんなのうまく言葉に出来ない。

 国語が苦手で、こんなに悔しい思いをしたのは初めてです。




「……莉子ちゃん。僕は預言者じゃないよ」

 リッキーさんの革靴の先、木漏れ日が気持ち良さそうにじゃれている。さやさや鳴る椿の葉に合わせて踊ってるみたい。

 ほんの少しの沈黙の後で。リッキーさんの言葉にそっと目を開けたら、まるで妖精みたいな小さな陽だまりたちの乱舞が見えた。

「先人の英知を引いてくるだけ。答えなんて持ってないの。その英知にだって答えがあるわけじゃない。自分でしかたどりつけない答えまでの道筋に、ほんの少し明かりを添えてくれるだけ」

 とても静か。

 光はこんなに溢れているのに、音を持たない。揺れる木漏れ日たちの声を代弁するみたいに、リッキーさんはそうっと話す。

「僕は言わば、おみくじを渡す人。道筋が照らされますように、愛のお導きがありますように、って精一杯祈りながら手渡すの。そうだね、たとえばこんなのはどうかな」

 過呼吸の名残で乱れていたキヨイ先輩の息も静か。力んでいた肩も緩んで、ほぐれてる。

「『理解し合うためにはお互い似ていなくてはならない。しかし愛し合うためには、少しばかり違っていなくてはならない』――フランスの詩人、ポール・ジェラルディ」

 ああ。リッキーさんが差し出してくれる明かりは、なんて柔らかな温度に満ちてるんだろう。きっと陽だまりの体温。

 冷血変温動物大牙さんが、リッキーさんの膝枕でなら眠れる理由。それは体温の差じゃない。人肌だからだ。単に血が通ってるだけじゃない、愛が通った体温だけを、大牙さんは人肌として認識してるんだ。この満ち足りて幸せな、眠りを誘う体温。

 チャンピオン・リッキー、第五ラウンドで莉子を安楽死させるおつもりなのですね……。

「違ってるから愛せるんだよ。だって自分と同じものを欲したら、それって……食人でしょ」

 はい?

 うとうとしかけたところを、物騒な単語に現実へ引き戻された。

「キヨイさんは魚介類がダメなんだね。でも、魚介類と人間じゃ住む世界が違うからって理由は初めてだなー。違うからいいんだよ、僕は類人猿を食べる気は起きないもん」

 腕組みして、首をてん、と傾けて。リッキーさんは真剣に説いてらっしゃいます。ものすごく見当違いなことを。

「リッキーさん、そうじゃなくって――うきゅっ」

「ち、違うから惹かれるんですわね、今日からはイカでもタコでも食べるですわっ」

 キヨイ先輩。そんな爪立てて手の甲をつねらないでください、痛いですってば。もう起きてますってば。

「そお? でも無理はしないでね」

 ガクガクガク、と頷くキヨイ先輩の頭は取れちゃいそうな勢い。

「あのっ!」

「ん、なあに?」

 そして、キヨイ先輩はようやく顔を上げた。避け続けてたリッキーさんの方へ。さすがに真正面は無理みたいだけど、ギシギシと頚椎の悲鳴が聞こえてきそうな硬さだけど、キヨイ先輩が精一杯勇気を振り絞ってるのが分かった。

「キヨイは、諦めません、ですわ」

「うん。ふふ、頑張って」

 小鳥の羽先を思わせる、豊かにして繊細なまつ毛が笑う。その羽先に軽やかにすくいあげられて、キヨイ先輩の想いは空色の空に舞い上がったことでしょう。




 ぴゃぴゃっと手を振り、じゃあまたーと挨拶して細身の後ろ姿は校舎へ駆け戻って行った。まるで鉄骨入りみたいに背中をガッチガチにしてたキヨイ先輩は、何とかその鉄骨を捻じ曲げて会釈して、紅潮した頬でぼんやり見送ってた。

「解釈が食い違ってたみたいですけど……良かったんですか」

 途端に北極圏の猛禽類に戻ったキヨイ先輩の眼光が、ズバッと振り向く。

「おまえの説明不足がいかんのですわよ」

 ぎゃふーん。

「すすすすみませーん」

「……人と違うということは、人を傷つけることもあるが」

 そう言ってツイと鼻先を上げたキヨイ先輩の横顔は凛々しかった。スローの直前、ボールの行き先でなく目前の敵でもなくゲームの行方だけを見定めて、指先に魂こめた瞬間みたいな瞳をしてた。

 惚れそうです。

「その相違からしか生まれない絆があるなら、あながち悪いとも言えないですわね」

 良く見ればキヨイ先輩、大きな手をしてらっしゃる。バスケットボールを平然とつかむのであろう力強い指。それに連なる第二中手は、キヨイ先輩の箸が動くたびに手の甲から密やかに存在を表す。働く骨は縁の下の力持ち。

「……聞いてるんですの? リッキー様と衛藤のことでございますわよ」

「は、はいっ?」

 骨に見とれてたら怒られました。

「衛藤はムカつく。衛藤は生意気だ。衛藤は目障りで人を馬鹿にして不真面目で怠惰で、リッキー様を撮る時も邪魔で邪魔で」

 箸をグイグイ振って熱弁なさるキヨイ先輩。よっぽど大牙さんがお嫌いらしい。

「――だが軍団は、衛藤に手出しできないですの。初代総団長時代からの団規でもあるし、律音嬢の件で疲弊したリッキー様を支えたのは衛藤だしな……ですの」

 ぴこん、と耳小骨が跳ねた。

「初めてここに呼び出した時、おまえは何も知らされていなかったようですわね。リッキー様が言わないなら本来、私が言うべきではないですの。とはいえおまえは、『お姉さまのご冥福をお祈りしますー』などと不用意に発言しかねないでございますの」

「あの……いけないんでしょうか、ご冥福を祈っちゃ」

「ならんですわよ。律音嬢は生きてるんですの」

 外界の音が消えた。光も温度も消えた。

 あるのはただ憂えるキヨイ先輩の伏目と沈んだ声だけ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ