スーパーヒーローの日常10題
1. 住人の悲鳴に起こされる朝
「きゃー!」
衛藤大牙、聖ウェズリー学院高等部三年生。故あって神宮寺律季と同居、故あって高居莉子を雇用、故あって紛失物捜索を稼業とす。常人離れした身体能力で肉体労働を担当。しかしその労働意欲の起爆剤は律季のみが有し、常態はものぐさそのものである。
よって、早朝のキッチンから莉子の悲鳴が聞こえたくらいで、正義の味方よろしくベッドから飛び出したりはしない。むしろ知らんふりで布団に潜り込む。スーパーヒーローにあるまじき職務怠慢である。
「大牙さーん」
「やかましい、朝っぱらから」
可愛い後輩が助けを求めて部屋を訪ねてきても、叱る口以外は微動だにしない。
「ゴキブリなら自力で叩き潰せ。皿を割ったんなら給料天引き。学校が燃えても俺は困らない」
スイッチオフのスーパーヒーローはただの薄情者である。
「いえ。大牙さんが熟成させてた悪くなりかけバナナを、落として踏んでしまいました」
瞬時に枕を投げ付ける、目にもとまらぬ速さだけはスーパーヒーローの面目躍如。
「馬鹿野郎、伏して詫びろ!」
か弱き女子供よりバナナをよっぽど愛するスーパーヒーローなのである。
2. ヒーローに欠かせないあの服に着替える
衛藤大牙のユニフォームは学ランである。ブレザーなどという上品なアイテムは、彼の戦闘意欲を低下させるのだ。
しかも莉子に『学ラン似合いますよね』と婉曲に却下されてからというもの、彼は頑なにブレザーを拒否している。スーパーヒーローは意地っ張りだ。
「学ランを着る時の大牙さんって、かっこいいです。襟を整える時に、顎がピッと上向くんです」
頭のねじが数本まとめて吹っ飛んでいるモンスターの発言は、思考回路の単純な彼には難解だ。しかし一度聞けば曖昧なまま聞き流せない、損な性格でもある。
とはいえそこから初動捜査に欠かせぬ聞き込みが始まるなら、スーパーヒーローたる資質を備えていると言えよう。
「顎が何だって?」
「顎が猫です」
「バス代やるから自分の星雲に帰ってくれ」
三分の地球滞在時間制限など、彼には不要。短気なスーパーヒーロー、職務放棄――いや、小金で示談――いやいや、まずは説得が解決の糸口なのだ。
3. 現場へ急行!!
「大牙ー。天気いいから屋上で弁当食べよ。莉子ちゃん誘ってくる」
「俺が行く」
ヒーローモード、スイッチオン。律季が校内を歩くと律季の親衛隊、リッキー軍団の被写体にされる。お気楽な本人は気付いてもいないが、スーパーヒーローはお見通しだ。そして過保護だ。
大牙はスタスタと――ずるぺた、が標準仕様である彼にはこれでも急行のうちだ――莉子のクラスへと出向く。
「律ちゃんだと軍団を刺激するからな。来たくて来たんじゃない」
そう宣言して、後輩の細っこい首筋をつかみあげる。親猫が子猫をくわえて強制移動させる時の要領だ。か弱き女子供に手荒なスーパーヒーローなのである。
「あのう、大牙さん。捕獲されなくても、ちゃんとついていきますけど」
「つかんでないと俺の手が寒いんだよ」
容赦なく後輩の体温を奪う冷血ヒーロー。しかしその意図しない笑顔、特に下顎近辺が莉子の胸をときめかせているなど、知る由もない罪な男だ。
そのまま屋上の高い鉄柵前まで連行すると手を離し、ひらりと柵の向こうへ身を翻した。
「この先の眺めがいいんだ。ボケなおまえでも俺が手を貸しゃいけると思ったが――どうしたほら、ちゃんとついて来れんだろ?」
後輩をいじめて楽しげな、非道なスーパーヒーロー。彼は忠実なのだ。主の律季にだけ。
4. 遅刻30秒前!!
「肩甲骨肩峰……外側縁……えへっ、肩峰角」
「こいつ、ローストチキン解体の夢でも見てんのか?」
陽注ぎ風渡る屋上、先輩宅へ早朝出勤に弁当製作で寝不足のメイド・莉子は夢の中。
「大牙が女の子に肩貸してあげるのなんて、初めて見た」
含み笑いする主に、スーパーヒーローは牙を剥く。
「ずり落ちてきたの、うっかり受け止めちまっただけだろ。食ってる途中に寝るか? 普通」
「そう言いながら起こさないんだから。ふふふっ」
律季は箸でつまんだ卵焼きを、大牙の弁当箱のそれに並べてみせた。各自の好みに合わせ、律季のはダシをきかせて上品な焼き上がり。大牙には砂糖多め、少しだけ焦げ目をつけて香ばしく。
「気づいてた?」
「俺には焦げたとこ寄越してんだろ?」
首をこてんと傾けて、主は薫風のごとき笑顔を見せる。
「素直じゃないね、大牙ってば。愛を出し惜しみすると体に悪いよ」
「それより律ちゃん――」
学院の時計塔へ目をやって、スーパーヒーローは呟いた。
「五時限目まであと三十秒だ」
5. 窓をブチ破って教室に飛び込む
「どうして起こして下さらないんですかー!」
「起こせって言われてないから」
スーパーヒーローは正しい。正しいが助けにならない。莉子はきゃーきゃー騒ぎながら自分のクラスへ駆け戻って行った。
「大牙んとこ、五時限目はキリ概じゃなかった?」
「ちッ。あの古ダヌキ、三秒の遅刻でも退席させんだよな。いっそサボっちまいたいぜ……」
キリスト教概論の先生は厳格なのだ。見れば遥か前方で、その古ダヌキがまさに教室の扉に手をかけている。
「窓ブチ破って飛び込むか」
ガッシャーン。
「あぶねっ――」
中等部のグラウンドに面した廊下の窓が、粉々に割れて砕けた。一瞬の間を挟み、その元凶たるサッカーボールが廊下を跳ねる。咄嗟に大牙は律季を背後へかばっていた。
「怪我ないか、律ちゃん」
「ん。ありがと」
神宮寺律季、幼少のみぎりよりボクシングと剣道に勤しむ。故に緊急時の動体視力および反射神経はスーパーヒーローにも引けを取らない。こんなことで怪我をする主ではないのだが、何しろスーパーヒーローは対律季限定で過保護である。
「せんせー。ボール蹴ったヤツをシメ……説教して来ますんでー。オラァどいつだノーコン野郎はァ!」
大牙は割れた窓から銀杏の枝へと飛び移り、着地を決めた。ちなみにここは三階である。ボールを蹴った中坊は、大牙の離れ業と剣幕にギャー! と叫んで逃げ出した。
スーパーヒーローは正しい。正しいが手段が色々間違っている。
6. 割れたガラスの後片付け
「おまえが割ったんだ、おまえが片付けろ。せんせー、俺こいつを監督しとくんで」
正論であるが故に、古ダヌキも認めざるを得ない。こうしてスーパーヒーローは遅刻を免れたうえ、まんまと出席扱いと『意外にも熱血漢』の称号を獲得した。
「一時間かけて掃除しろよ。途中から授業に出る気なんかないからな」
「ハイっ先輩」
萎縮しきった中等部生は、言われた通りに超スローで割れたガラスの後片付けを開始する。
「おまえ脚力あるんだから、枠ハズさなきゃいいシュート打てんだろ。キッチリ芯に当てる練習しろ」
廊下の陽だまり、サングラスにあぐらというヒーローらしからぬ態度の悪さで後輩指導。
「ど、どうすりゃ」
「リフティング用の小さいボールあんだろ、あれやれ。なけりゃテニスボールでもいいかもな。見てやるからやってみろ――何をいつまでタラタラ掃除してんだ」
「何をって、先輩がそう……」
大牙がフッと三センチほどサングラスを下げると、殺人的な視線が覗いた。
「すんません、すぐに終わらせるっス!」
『意外にも熱血漢』なスーパーヒーローだが、その熱血はかなり歪んでいる。
7. 授業中に呼び出しが
「いいか、芯を捉えて蹴るとボールは回転しない。そのくせブレて、キーパーがキャッチすんのが難しくなるんだ。見てろ」
そう言って大牙がズバーンと蹴ったサッカーボールは、確かに回転せずにゴールへ入った。だがあまりの脚力に、ボールは空気が抜けて赤血球型に凹んでいる。後輩は恐れおののき、蒼白なままカクカク頷くのが精一杯。
その時スーパーヒーロー御用達、学ランの内ポケットで携帯が震えた。バナナの下から携帯を引っ張り出せば、電話してきたのは安香茶々。聖ウェズリー学院の常務理事および、律季と大牙の住むマンション大家だ。
「何だよ、授業中なの知ってんだろ」
『ではグラウンドで後輩を怯えさせてるのは、おまえのドッペルゲンガーか?』
「シュートの個人授業だ」
スーパーヒーローは嘘をつかない。だが都合のいい解釈をする。
『つい先程、業者を装った不審者が学内に侵入を試みてな。気づいた守衛を突破して、礼拝堂あたりを逃亡中だ。捕獲を頼む』
「警備員の仕事だろうが」
『なかなか逃げ足が速いそうだ。捕まえたら今月の家賃を三万ほど免除してやっても――』
「礼拝堂だな?」
学内の治安維持のため、個人授業も放棄して、大牙は猛然とダッシュをかける。スーパーヒーローは危険な任務を厭わない。それが主のためならば、家賃という所帯じみた理由でも。
8. モンスターが現れた現場へ
聖ウェズリー学院には伝説がある。礼拝堂の豪奢な祭壇、その十字架に嵌められている青い石は巨大なサファイアだというのだ。何しろ日本屈指の金持ち学校、父兄の寄付も半端でない。充分に有り得る話なのだ。
不審者の目的はそれかと察したスーパーヒーローは礼拝堂内へ直行した。案の定、祭壇によじ登っている男と、警棒を構える警備員の緊迫した攻防が展開中であった。
「降りて来なさい!」
追い詰められた男は逃げ道を模索し、背後のステンドグラスに目を向ける。イタリアの著名ステンドグラス作家の大作で、聖ウェズリーの宝だ。それをブチ破って逃げられては、損害は計り知れない。
「やめなさい!」
男の思惑に気づいた警備員が、今度は制止に慌てふためく。しかし男はジリ、とステンドグラスへの助走体勢に入った。
「そうは俺様が卸さねんだよ……ッ」
礼拝堂というのは各席に聖書が用意されているものである。革の装丁を施した、重い一冊が空を切った。スーパーヒーローの投じた聖書は、ゴッと鈍い音と共に男の延髄を直撃。男はゆっくりと祭壇へ崩れ落ち、警備員たちから拍手と歓声が沸き起こった。
「よし、三万」
スーパーヒーローは強い。愛校心より、主の家計への忠誠心が。
9. そのまま帰宅
『お手柄だったな、大牙。どうだ、休憩がてら生活指導室に寄らないか。茶くらい出そう』
「弁当を食ったばかりだ」
スーパーヒーローは約束以上の謝礼を受け取ったりしない。
『先刻、客がバナナタルトを差し入れて行ったんだが』
「動いたら小腹が空いたな」
しかしバナナは別勘定および別腹なのだ。
完食する頃には五時限目終了の鐘が鳴っていた。
「このまま帰るか」
その旨を主たる律季にメールして、スーパーヒーローは帰途につく。茶々は生活指導室の窓から平和を取り戻した彼女の牧場を眺め、満足気な笑みを頬に刻んだ。
ふと、その目がグラウンドの一点で止まる。
「大牙め……哀れな子羊を忘れたか」
シュートの個人授業の途中、無言のうちに風と消えた指導教官を待ち、一人の中等部生がおろおろとゴール前を行き来していた。
スーパーヒーローは名乗らず去る。礼を言う隙を与えず去る。しかし去り際が無言すぎて急すぎる不親切なヒーローの場合、子羊を路頭に迷わす。
10. 秘密
昼休み以降は教室に戻り損ねていたため、仕方なくずっと持ち運んでいた弁当箱。包みを解き、シンクで水を流す。卵焼きが収まっていた角を見ていた大牙の口角が、僅かに上がった。
「とっくに気づいてたに決まってんだろ……」
スーパーヒーローは饒舌でない。スーパーヒーローは不器用だ。スーパーヒーローは照れ屋。
「ごちそうさん」
学ランを脱いで武装解除、スーパーヒーローはありふれた一青年に戻る。シャワーを浴びて疲れと汗を洗い流し、思いのほか働いてしまった自分をいたわるべくベッドに潜り込む――
「きゃーっ、大牙さーん! キッチンの天井に蛾がー!」
「やかましい、自力でどうにかしろ!」
安眠を妨害されたスーパーヒーロー、怒鳴り返して布団に沈むが。
「大牙ー」
「ったく、しょうがねーな」
主が呼べばスイッチオン。スタスタと現場へ急行する。
しかし主が呼んでくれたおかげで出動する口実が出来た――などと、彼は意識していなくとも、和らいだ目元が物語っている。
スーパーヒーローは成長する。
お題配布元[モノドラマ]さま(閉鎖されました)