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愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド4 被験 by 秘鍵 ・・・秘密のパスワード
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4. よく過ごした日に幸せな眠りが訪れるように

 翌日の日曜。大牙さんの入院で、がっらーんとさびしい先輩方の住居兼オフィス。たった一人いないだけで、こんなにも寒いとは。

「リッキーさん、寒い……寒いですううう」

「うん、僕も。大牙がいなくなって初めて、こんなにもあったかさに気づくんだね……」

 ぴゅうううう。

 どこもかしこも全開の窓から、豪快に四月の風が駆け込んでくる。

「がまんがまん。大牙がいると寒がって怒るから、窓開けらんないんだもん。このチャンスに換気しておかなくちゃね、寒いけど」

「大牙さん、早く帰ってきてくださーい……寒いですー……ぐす」

 リッキーさんと二人でブランチをつつき面会時間を待っていると、ピン……ポンと遠慮がちなインターフォンが鳴った。

 やってきたのは川原崎教授。パスワードは分からなかった――とリッキーさんが虚偽報告したのをいいことに、娘である舞以さんの前で体面を守ったおじさま。思い出してついムーッとしかけたけど、教授はなんだか見るからにガックリしおれてて、気が抜けちゃう。

「今日はお詫びをと……」

 リッキーさんが勧めたソファには目もくれず、川原崎教授はいきなりググッと頭を下げた。

「実は昨日、妻宛てに郵便が届いて……それがその……、妻の小説がね、とある賞に入選したというもので、掲載された雑誌も同封されていたんだが」

 川原崎教授は身を縮めて、両膝の上に固く結んだこぶしを乗せて、しばしモジモジと言いよどんでた。

「君は正しかった。妻はあのパソコンで、家族に隠れて小説を書いていたんだ。それがいわゆる……官能小説というやつでね」

 か、官能って……きゃー。

「神宮寺君が教えてくれたパスワードの八文字は、どう考えてもある一つの……ひわいな英単語にしかならなかった。あんな単語がパスワードになっていたなど、全く、考えてもみなかった」

 はあ、と長いため息を繰り出して、川原崎教授は疲れたようにソファへ腰を落っことす。

「死んだ者の事情を追うのは、時につらい旅になる。君がそう忠告した意味を、私は理解していなかった。悲しみが何度でもぶり返す、そういう意味だと考えていた。だが妻のプライバシーを暴いてしまい、その内容にショックを受けることを、君は予想していたんだな」

「僕がキーボードから感じたのは、セクシャルな愛でしたから。……教授にも、パスワードは分からないと言うべきだったのかもしれません」

 リッキーさんが悲しげにうつむくのを、川原崎教授の手が制す。

「構わない、もう起きてしまったことだ。仕方あるまい。この郵便を受け取って、開封したのは……舞以なんだ。いずれにしろ、明らかになることだったのだ。君の機転を無駄にしてしまって、申し訳ない」

「いえ。それより、舞以ちゃんは大丈夫ですか」

 お母さんを亡くしたばかりの舞以さん、それでなくても多感と呼ばれるお年頃。お母さんが書いた、かかかか官能小説なんて目撃してしまったら、ショックに違いないです。わたしが話に聞いてるだけでもアワアワ酸欠金魚さん状態なのに。

 こっちの心痛を裏切って、教授はへにゃっと苦笑を見せた。

「昨夜は一晩中、泣いていたようだがね。今朝にはすまして、遺作をまとめて自費出版するのがいいと思うんですう、とかまあ、とんでもないことを言っていたよ。妙なところ図太いのは、母親ゆずりかもしれんな」

 厳しかったリッキーさんの表情が和らぐ。対する川原崎教授、あわてたようにゴホンと咳払いをひとつして、緩みかけた場の空気を整えた。

「娘を気遣い、私の大人気ない仕打ちに耐えてくれた。それには礼を言わなければならない。だが私は君の……愛で見つけるとかいう手法を、信用したわけじゃない。やはり、まぐれじゃないのかね。あるいはどこかで妻の小説を目にしていたか」

 この場に大牙さんがいなくて命拾いしましたね、教授。

「ふふっ。川原崎節が戻ってきたようで、安心しました」

 攻撃的な川原崎教授の態度を、リッキーさんはコテンと首を傾げて、するーんとやりすごしてる。こないだは雷落ちそうな雰囲気だったのに、一戦交えてお互いの懐を知ったような、爽やかに打ち解けた感じさえある。

 男の人同士って……いいものかも。

 あ、いえ、そういう意味じゃなく。

「私はね、死後の世界も信じないよ。だから妻が入選を知らずに死んだのは、もったいないことだった。もう少し生きていれば、報われただろうに」

「果たしてそうでしょうか?」

 きたきたー!

 神父リッキーの布教のお時間が感知できるようになってきました。布教時のこの方間違いなく、とろりと濃い気体を肌から放出してます。若葉と花の香りを含んでそっと庭にすべりこんだ、温かい春風みたいな気体。恩寵に溢れる春の女神の指先が撫でていくように、静かで優しい感触。

「かのレオナルド・ダ・ヴィンチはこう言ってます――よく過ごした日に幸せな眠りが訪れるように、よく過ごした人生には幸せな死が訪れる」

 愛の使者リッキーさん、今回は人生の相談役みたいです。

「夫人は賞に応募するほど、趣味に打ち込んでいらした。その時間は入選落選とは関係なく、とても有意義で満ち足りていたはずです。もったいないとお感じならば、あなたが天へ祝杯を」




「やれやれ。この年になって、それこそ娘と同世代の若造に、人生指南を受けるとはねえ」

「ふふっ、すみません」

 苦いことおっしゃってるけど、教授のお顔はどこか晴れ晴れとしてて。

 リッキーさんが振りまくのは愛じゃなくて春風じゃなくて、魔法なのかもしれません。人の心をホワンと軽くする、愛が主原料のリッキーマジック。

 一見、リッキーさんとらぶらぶなのが不思議な辛らつ大牙さん。あの大牙さんがリッキーさんのおそばにいる理由が、すごく納得できる気がしま……いけない莉子、納得したらあの芸術な下顎骨は拾えなくてよー!

「そういえば……君があの樹海番組を熱心に見ていた理由に、今思い当たったよ。まだ舞以が初等部の時だったか、君は行方不明になった姉を追って、樹海で遭難しかけたんだったな」

「えーっ、そうなんですか!」

「……つまらんシャレだ」

 遭難……そうなん……違います、教授ーっ。あれをシャレと受け取る教授のセンスこそがオヤジさまそのものかと。

「いやはや、あの時のウェズリーは大変な騒ぎだった。何しろ警視庁のお偉方のお子さんが姉弟二人そろって家出ときた。衛藤……そうか、君と一緒に夜の樹海で遭難したのは、衛藤君だったな」

 ――僕は初等部の頃から衛藤君を知ってる……。彼はまだ、夜の中にいるんだよ……。

 不意打ちで、黒住先輩の言葉が頭蓋にひらめいた。

「神宮寺君のお姉さんはその後……?」

 窺うような低い視線で言葉尻を濁した川原崎教授。その質問の悲しい答えはわかってた。律音さんは昨年お亡くなりになったのです。沈痛な面持ちをなさるだろうと思って、リッキーさんをこそりと見守る。

 だけどびっくり、そこにあったのはあの小鳥笑顔。痛みのかけらなんてどこにもない、ソフトで寛いだリッキーさんがいた。

「番組で姉の持ち物が映らなかったのは、いいニュースでした。僕はまだまだ家出を続けるつもりです」

「探し続けるのかね。……残留思念とかいうものを頼りに、かね?」

「いえ、愛のお導きです。ふふふっ」

 ――あやつらのメイドをする気なら、ひとつ指導しておこう。教学相長きょうがくあいちょうず、だ。意味は、そうだな……宿題にしておこう。

 今度は茶々さんの言葉が蘇る。

 先輩方は依頼人さんに恋というものを導きながら、自分たちも恋を学んでいるということだと思ってた。そうじゃない。探し物をしてあげながら、先輩方も探し物をしていたんだ。

 見失ってしまったお姉さんを。

 でも、でも、亡くなってるんだから。探すのは律音さん自身でなくて、律音さんの過去? 事情?

「莉子ちゃん」

「はいっ?」

 突然に名前を呼ばれてドッキリ。反射で脊椎シャッキリ。

「だから僕は、莉子ちゃんに会えて嬉しかったの」

 脈絡がすっ飛んでるような気がしても、そんな引っかかりはすぐにどこかへ飛び去った。

 優しさだけで作られた笑みを集めたら、リッキーさんの顔になる。肌からしみこんで心に沈殿する境界を厭わない温もりが、リッキーさんの声に乗ってやってくる。

「リッキーさあん……」

 下顎骨のビューティーラインは大牙さんにちょっぴり及ばないけど。それでも莉子は、リッキーさんが大好きです!

 第四ラウンド、気がつけば戦意喪失。




「大牙さん! これ、お見舞いです」

 面会時間開始と同時に駆け込んだ病室、悪くなりかけの黒ずんだバナナを差し出すと。無言のままそのバナナで殴られました。頭蓋顔面、皺眉筋あたりでべにょっとレシーブ。

「嫌味か? 俺は今、飯粒ひとつも浮いてない糊みたいな汁しか食ってねんだよ!」

「だからです! これをご覧になりながら、記憶の中の味をおかずにして、その味気なくて水みたいでマズそうな糊をどうにか飲み下して頂こうと」

「ますますメシがマズくなるようなこと言うな!」

 いててハラに響く、と大牙さんはうめいて、毛布の下で猫状に体を丸めてしまいました。差し入れが不首尾に終わり、しおしおと黒ずみバナナをバッグにしまおうとすると。

「何で回収すんだよ。置いてけ」

 結局、いるんじゃないですか。

 食べちゃダメですよ、と念を押しつつサイドテーブルに黒ずみバナナを展示した。

「早く元気になってくださいね。大牙さんがいらっしゃらないと寒いし、目の保養は出来ないし、首筋も暇でしょうがないんです」

「……前からおかしいと思ってたんだが……おまえ、俺としゃべる時って視線が合わないんだよな。微妙に下に逸れてんだよ」

 だって可視領域を下顎骨でいっぱいにしておきたいではありませんか。

「どこを目の保養にしてるってんだ? 大体、おまえにとって俺って何なん……あーやめた、聞いたら後悔しそうだぜ」

 わたしにとってのミスター美骨格さまは、そうおっしゃって発言を掃き消そうとするように、手をひらひら振りました。力ないその仕草が痛々しい。

「うう……野生生物保護センターの檻を見てる気分です」

「やっぱり聞く。俺は一体何なんだッ」

 ふふっ、とそれまで会話に聞き入っていたリッキーさんが、たまりかねたように笑い出した。

「大牙って、莉子ちゃん相手だとよくしゃべるよね」

 大牙さん、ぽかんとしてる。わたしもきっと同じような顔してる。だって莉子はいつも怒られて、けなされて、うるさいとかやかましいとか邪険にされてるだけなのに。

「びびった……男だったんだ」

 その時、背後から青年の声が。振り返れば隣のベッドの入院患者さんが、まじまじとリッキーさんを見つめてる。

「彼女の見舞いかチクショウと思ってたら、ダチだったのかあ。すっげーキレイなのに男だったんだ。あ、すいません、性別間違えたりして」

「いいんですよー、よく間違われんの」

 覚えのある、耳に痛いお言葉。だけど私服のリッキーさんは掛け値なしにボーイッシュな美少女ですから、間違えるのも無理はありません。

「よしっ衛藤君。彼女いない者同士、退院したら合コンしような! はっはっはっ」

 ビシッと親指を立てて、えらく満足げなお隣さん。莉子が大牙さんの彼女さんって可能性は、現在形でも未来形でも考えてらっしゃらないようです。末節骨の先ほども。微塵も。

 そんなに莉子は、大牙さんと不釣合いなんですか……!

「いけません……」

「莉子ちゃん?」

 肘がぶるぶる震えるから、膝の上の手をぎゅっと握り締めた。

 大牙さんには合コンなんて行って欲しくない。わたしは恋敵の相手がリッキーさんだから許せるんだと思う。お二人の支え合う姿があんまりに美しいから、莉子もそれに近づいてみたいって頑張れるんだと思う。

「合コンなんていけません……!」

「お? 君、どうかしたの?」

 能天気なお隣さんをギチッと睨むと、思ってたより不穏な空気を発してたみたい。ぎょっとしたお隣さんへ、立ち上がって距離を詰めた。

「大牙さんとリッキーさんは同棲してる仲なんですから! 相手が女の人じゃイケマセン!」

 反応は、しばらく、なかった。

 静まり返った気配に見回せば、四人部屋の病室、患者さんもお見舞い客も、一斉にこちらに注目していた。みんなで示し合わせたみたいに、口も目も開いて。

「この……くそボケがッ、連日とんでもないこと口走りやがって……」

 背面より、骨の髄まで凍らすようなドスのききまくった唸り声がした。

 その後、莉子は大牙さんからお見舞いをきつくきつく断られて、泣く泣くバナナケーキ製作に従事することになったのでした。大牙さんを魔手から守ったつもりなのに、どうしてなのか、いまだによく分かりません……。


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