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愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド4 被験 by 秘鍵 ・・・秘密のパスワード
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2. 時にはつらい旅になるでしょう

 制服のネクタイでぐるぐる目隠し。何も仕込めないようにと白シャツの襟元は開けられ、袖はひじまでまくり上げられたうえに後ろ手に縛られた格好で、リッキーさんはおとなしく椅子に座ってる。

 監禁されて拷問を待つ王子様――いえ、男装の王女様みたいです。おいたわしい。

「キヨイが見たら大喜びしそうだな」

「なんでですかー?」

 リッキーさんの前にあるテーブルに、川原崎教授の奥さまのラップトップが据えられた。

「電源は入れるのかね?」

「いいえ。このままで結構です」

 教授の厳しい口調に怖気づいた気配もなく、リッキーさんの唇にはいつも通りの笑みがのっかってる。頼もしいです。そしておもむろに鼻先をキーボードに寄せ、ふんふんし始めた。王女様が犬にー。

 さらりとした前髪がキーを撫で、つやっと濡れた半開きの唇がタッチパッドに今にも触れそうなのを見ていたら、キーボードになっちゃいたい……なんて考えてしまうのはどうしてでしょう。

「……夫人は、このパソコンを仕事で使ってらしたとは思えません」

 ややあって、上半身を椅子の背に戻したリッキーさんは断言した。笑ってたはずの口元はいつのまにか、少し硬くなってるみたい。

「そんなはずはない。脇に書類を積み上げて、毎晩集中して画面に向かってたんだ」

 即座に断言し返す川原崎教授。目隠しがあるから見えていないはずなのに、リッキーさんは教授をじーっと見上げていた。

「……いなくなってしまった者の事情を追うのは、時にはつらい旅になるでしょう。残された者が慰められることなど、何一つないかもしれません」

 静かな進言をするリッキーさんに対して教授が返したのは、ふんと鼻で鳴らした冷笑だった。

「パスワードを解明するなどできないから、たわごとで茶を濁そうというのだな?」

 失敬な、リッキーさんはそんな卑怯者じゃありません!

 ガッ。食ってかかろうとした瞬間、後ろから力強い握力が首筋に。

「邪魔すんな。律ちゃんには、思うとこがあんだよ」

 怒りも瞬時に霧散させる、低く抑えた声。そろりと振り返ったら、大牙さんの目はそれ以上話したくないようにピョッと逸らされてしまった。

 あうう……相変わらずの以心伝心っぷり、先輩方ってば赤い糸電話で繋がってる。第四ラウンド、チャンピオン・リッキーは目隠しに後ろ手でも、莉子をリーチ圏内に捕捉してるもよう。実はキックボクシングだったのかも、この勝負。




「悪いんだけど、大牙。せっかくマドレーヌを手土産に頂いたのに、紅茶切らしてんの。茶々サンにお願いして、おすそわけしてもらってきてくんない?」

 被験中だというのに、リッキーさんはのんきなことを言い出した。敵の降参を心待ちにしてたっぽい川原崎教授は、ガコーンと顎を落としてる。ええい、あなたの顎など興味ありませんっ。

「あ、舞以ちゃんも一緒だと奮発してもらえるんじゃない? あの人、可愛い女の子が大好物だから。ふふ」

「んあ。行くぞ、川原崎」

 茶々サマって常務理事と同じお名前ですう、とまつげをぱちぱちさせる舞以さんを、大牙さんは問答無用で強制連行してしまった。

 ん? お紅茶なら買ってあるの、リッキーさんはご存知なはずなのに。

「しらじらしい人払いをして、何を考えてる?」

 玄関のドアがバタンとお二人の退出を告げる、それを待ってたタイミングで、腕組みの川原崎教授が疑い深げにリッキーさんを問い詰めた。

「舞以に見られたくないのか? パスワードは分かりませんという詫びと失態を」

 そうか。リッキーさんは舞以さんをこの場から遠ざけておくよう、大牙さんに頼んでたんだ。大牙さんってば一言で心得たように舞以さんを連れ出して……ナイスコンビネーション! 赤い糸電話リンリン。

 うーん、ラウンドが進むごとに勝てない予感が強くなっていくのは、気のせい気のせい……。

 さらさらと天使の輪を揺らして、リッキーさんの首が横に振られる。決断すると行動の速い人だもん、何かアクションを起こそうとしてるんだ、と気づいた。

「川原崎教授。僕が今から示すキーの文字を書きとめてください。これと、これと」

「むむ……」

 リッキーさんは迷いのない鼻先で、次々に八つのキーを示していった。それを不承不承の川原崎教授がメモする。

「夫人は趣味でこのパソコンを使ってらしたはずです。キーボードは愛でいっぱいでした。仕事に疲れて帰った夜、ようやく楽しい気分でパソコンを開き、その第一歩のキーワードを打つ――だからこそパスワードに使われているキーには、他のキーよりたっぷり愛が残ってます」

 リッキーさんが示したのは、そのたっぷり愛が残ってたキーということのようだ。

「パスワードというものは、秘匿性のためには意味のない英数字の羅列が効果的ですが、ほとんどの人は自分が覚えやすいように何らかの単語で設定するでしょう。ですから、その八つの文字はきっと単語になります。いかがですか」

 目隠しされてるリッキーさんは、キーの文字を読むことができない。だから、自分が示したキーが何の単語になるかも分からない。

 メモとにらみあって単語を組み立てているらしい川原崎教授の反応を、リッキーさんはじっと待っていた。介錯を待つ武士ってわけでもなさそう。愛の捜査能力に完全な自信がおありのよう。頼もしいですってば、愛で見つけるサイケ・メタリック王女!

「まさか……」

 しばらくして低くうめいた川原崎教授の顔は、心なしか赤いみたい。急いでラップトップの電源を入れ、起動するのをイライラ貧乏ゆすりしながら待ち受けてる。骨格が歪んでると貧乏ゆすりしたくなるそうですよ、教授?

 パスワード入力画面が出たらしく、川原崎教授の指先がキーを壊しそうな勢いで叩いた。

 ピロリンと軽快な音。ログイン。

 ログインしちゃいました。




 マウスをガシガシ動かして中身の情報を確認しているらしい教授、声にはならねどその唇は『うそだ』『うそだ』と繰り返してるのがわかった。

 科学的根拠のないリッキーさんの能力でパスワードが解明されたこと、それに難癖をつけようとする気配はない。TV画面ではそればかりを執拗に追及する川原崎教授が今はただ、大量の情報を追うことだけに専念してるように見えた。

「お待たせいたしましたあ、皆さま」

「うがっ」

 ガチャガチャと玄関ドアが鳴って、舞以さんの明るい声が響いてきた。川原崎教授はカエルが轢かれる瞬間みたいな声を出してマウスを放り出したかと思うと、いきなり電源ボタンを強打。ラップトップをばたんと閉めてしまいました。テーブルに両手を突き、愕然とした面持ちで肩関節を上下させてる。

 教授にとって、何かとても信じたくないことが起きてるもよう。

「驚きましたわあ、お父サマ。聖ウェズリーの安香理事が……あら」

 驚いたと言う割に驚いてなさそうな舞以さん。お茶缶を大事そうに抱えて戻ってきて、教授の異様に緊迫した雰囲気に気づいたみたい。

「どうなさいましたあ?」

「すみません。僕には、パスワードが分かりませんでした。お役に立てず申し訳ありません」

 目隠しのまま、後ろ手に縛られたまま。リッキーさんは立ち上がって、深々と頭を下げた。あ、開いた襟元から覗く鎖骨。ごちそうさまです。

 舞以さんはほけっとして、その場に突っ立ってる。

「そうなん……です、かあ?」

「教授にも、科学で解明できないものをご覧に入れることができず、残念です。先程は生意気を申しまして、大変失礼いたしました」

「いっ……いやその、うむ、わかればよろしい」

 なーんーでーっ?

 どうしてそんな嘘を言うんですか? リッキーさんはパスワード見つけたじゃないですか! 謝るのは教授のほうです!

 ガッ。食ってかかろうとした瞬間、またしても後ろから力強い握力が首筋に。子猫づかみの主は川原崎親子に向けて、猫の顎を玄関方面にしゃくってみせた。

「それじゃ、もうとっくに営業時間外なんで。お開きってことで、お帰り願おうか」

「でも大牙さんっ」

 ぎゅおー。

 一段と首筋に込められた力で、脊椎が破壊されそうです。だけど、だけどこれだけは!

「でも大牙さんっ……マドレーヌがまだですっ!」




 結局、川原崎教授が舞以さんの腕を引っ張って連れ帰ってしまい。マドレーヌと紅茶はひっそり、キッチンに置かれたまま。

 泊めてもらったわたしは『その時カメラは捉えた! 樹海の奥の恐怖を、今夜あなたも目撃する』を放映していたTVから顔を背けて、ソファで寝る。見たら、TV画面から何かはいずり出てきそうだもん。

 睡魔さんはちっとも誘いに来てくれない。樹海の恐怖もだけど、リッキーさんの申し出た嘘はやっぱり納得いかなくて。それが睡魔さんの来訪を断り続けてる。

 川原崎教授夫人のラップトップには、教授が舞以さんに見せたくないような情報が眠ってたんだと思う。舞以さんのためなら嘘をつくのも仕方ないってことくらい、理解できるつもりです。

 でもそれを察したリッキーさんがみずから名誉を穢してまで、そうしてあげる必要ってあったのかな。

 ――いなくなってしまった者の事情を追うのは、時にはつらい旅になるでしょう。残された者が慰められることなど、何一つないかもしれません。

 つらい旅が始まると知ってしまった川原崎教授に、気を遣ったんですか?

 ――高居さん。神宮寺さんのお姉さん――律音りつねさんは、昨年お亡くなりになりました。

 リッキーさんもつらい旅を? どんな事情があったんですか?

 ドゴン。

「ひゃっ?」

 いきなり奥の部屋から、何か落っこちたようなニブい音が。まっまままさか、『カメラは捉えた! 樹海の奥の恐怖』を、今夜わたしも目撃しちゃうんでしょうかっ? いやですー! お父さーん!

「今の音、なに? 莉子ちゃん?」

 縮こまってアワアワと枕を抱き寄せてると、手前の部屋からリッキーさんが出てきた。ああう、家の中に男の人がいるってなんて頼もしいんだろ。泣きそう。白いナイトウェアが白馬に見えます。いえ、馬であって王子様じゃないと言いたいわけじゃないんですが。

「違います。奥のほうから」

「じゃ、大牙んとこ? ……あてっ」

 ごいん。

 ねぼけて目測を誤ったか、廊下に戻ろうとして壁に激突するリッキーさん。白馬しっかりー。

「わわ、大丈夫ですか? 電気つけますね」

「あ、だめだめ。急に明るくしたら、大牙溶けちゃう」

 ヴァンパイアですかーっ。

 そろりそろりと手探りでたどりついた大牙さんの部屋。ノックしても返事ナシ。開けちゃいまーすと言いながらドアを開けるリッキーさんの背後から覗いたら、なにやら床に転がってる物体が。大牙さん……らしい。さっきのは、大牙さんがベッドから落ちた音?

 よかった。樹海の恐怖は目撃せずにすむみたい。

「大牙、どしたの」

 床の物体のそばに膝をついたリッキーさん、やけに優しい声でそうおっしゃった。

「んあ……ハラいてーかも」

「どこらへん? いつから? ……熱もあるね」

 寝相が悪くて転落したのかと思いきや。

「えっ、まさか食あたり? 悪くなりかけてたバナナのケーキがいけなかったんでしょうか!」

「んーそれ、僕が全部食べたはず」

 あ、悪くなりかけバナナのリサイクルだったことバレちゃった。

 薄暗闇の中、リッキーさんの手が大牙さんの頭を抱えてヨシヨシしてる。莉子、ここから退場すべきでしょうか?

挿絵(By みてみん)

「大牙、知ってるよね。一人にしたりしないからね」

「……んあ」

挿絵(By みてみん)

 きゃあー。誰か先輩方に、莉子の存在を教えてあげてくださいー。

 大牙さんの体調不良に対するどうしようと、お二人のらぶらぶっぷりを見せつけられてるどうしようとが重なって、顔が寒くなったり暑くなったり忙しい。

 オタオタしていたら、存在を思い出して下さったらしいリッキーさんがおいでおいでした。

「莉子ちゃん、大牙についててあげて。茶々さんに、病院まで車出してもらえるように頼んでくる。盲腸かもしんない」

 すっとん、と血の気が足元に落ちていくのがわかった。事態は思ってたより、ずっと大きい。その重さで膝が震えだした。

「莉子ちゃん」

「いえっ、わたしが! わたしが頼んできます」

 ハイって返事しかけたけど。

「大牙さんにはリッキーさんがついててください。その方がいいです、わたしより」

 自分でそんなこと言うの、ちょっぴりくやしいけど。

「待っててくださいー!」

 お二人の仲の良さを誰より知ってるの、わたしなんだから。大牙さんが安心するのがジャストリッキー体温だってことも、膝枕拒否られ事件で知ってるから。心細いときにいて欲しい人にいてもらえるのがどんなに頼もしいか、涙で胸が溶けちゃうくらい嬉しいの、わかってるから。

 赤い糸電話――好きな人がどうして欲しいか察してあげられもしないで、その片方をもらおうなんて、そんなの恋じゃなくて勝手だから。

 Tシャツとジャージにローファーって格好で、茶々さんの部屋に転がり込んだ。


挿絵は[ぷっちはむ]とも様

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