1. どうぞ、いかようにもお気の済むほどに
王竜旗剣道大会本選を明日に控えたリッキーさんの放課後は、剣道部に独占されている。となると莉子はたっぷり合法的に大牙さんと、ふ、二人っきりー。第四ラウンドはチャンピオン不在で、不戦勝を狙います!
と企んでいたのに。
「おい。何だこれは」
お皿を一瞥する大牙さんの目にあるのは食い気でなく、最近特に発信源キヨイ先輩でおなじみの……殺気。リッキーさんの留守が大牙さんを不機嫌にさせてるみたい。毎度ながらリッキーさん、姿はなくとも大牙さんをがっちりホールド?
「えっと、バナナパウンドケーキです。そろそろ悪くなってきてそうなバナナがあったので再利用を。どうですかーいい感じに焼けたと思うんですけど」
「ふざけんな!」
バナナケーキは親の仇だったのでしょうか? グサアッ、と豪快にフォークが突き立てられ。
「悪くなりかけくらいがうまいんだよ! バナナはレモン汁で和えろ! くるみは炒ってから使え! 小麦粉もふるってねえだろ、この手抜きメイド!」
「どどどどどうして分かるんですかっ? お味噌汁をおダシじゃなくてお湯で作っちゃっても気づかないくせに!」
「クリームも泡立てすぎなんだよ。七分立てくらいがいいんだ。おまえ責任持って土に還せよコレ」
そんな、テーブルのはしっこのはしっこ、ギリギリまでお皿を追いやることないじゃないですかー。
リッキーさんならお味噌汁におダシが入ってなくても、おかゆがアルデンテでも、にこにこ食べてくださるのに。大牙さんだっていつもは、ろくろく味わってもくれずにかきこんでるのに。対バナナ限定でグルメなんですね……がふーん。
うなだれていたら、ソファでクッション抱えて猫背に丸まった大牙さんはのたまった。
「ったく、律ちゃんの方がよっぽど器用だぞ」
うあー、比べられた!
「よかった……比較対象でさえないんだと思ってました。これで脊椎動物に進化ですね!」
「はあー?」
「お夕飯は何がいいですかっ? 莉子、はりきって汚名挽回します!」
「汚名を挽回してどうすんだよ、返上だろ」
瞬時に無脊椎へ後退。
その時カメラは捉えた! 樹海の奥の恐怖を、今夜あなたも目撃する――というタイトルの番組を、帰宅したリッキーさんはTV前に正座で注視している。明日が大事な試合なのに、緊張感をこんなとこで浪費しなくても。
ソファに寝そべった大牙さんまで、一言も発せずに見入ってる。お二人ともこういう怪奇特集がお好きみたい。
「あのー、あのー、わたし帰ってもいいですか? こういうの見ると、一人で寝られなくなるので」
「ケーキおかわり……」
大牙さんにすげなく放棄されたケーキをせっせと食べてくださるのは嬉しいのですが。おかわりされ続ける限り帰れません。よほど画面が気になるらしくて、リッキーさんにしては珍しく黙々とケーキ片を口に運んでいる。
「えーと、リッキーさん、そろそろ帰ってもいいですか?」
「うん。おかわり……」
矛盾してるー!
「じゃあすみません、泊まってもいいですか?」
「ん、お疲れさま。夜道に気をつけてね。また明日……」
時間差ー!
『樹海の中で方位磁針が狂うのは、溶岩に含まれる磁鉄鉱が磁気を帯びているせいですよ』
TVには、近頃の怪奇現象番組にゲスト出演することの多い大学教授が映っていた。科学的な説明のつく事象が歪曲と無知で怪奇現象とされるのだ、とこきおろすことで有名な人。
『迷うのは繁茂する木々や溶岩で足場の悪い場所を迂回するうちに、方向感覚を見失うからですよ。これのどこが霊的現象とかいうものなんですかね』
『ですが、川原崎教授。いくら方向音痴な人間でも、同じ場所をぐるぐる回って樹海の外に出られないということは考えにくいでしょう。これは霊障と考えるべきです』
怪奇現象肯定派の反論を、川原崎教授は明らかに見下した視線で一笑。
『人間、誰にも利き足というものがあるんですよ。何の目印もなく一直線に歩けはしないものなんですよ。利き足の方が力が強いために、徐々に利き足と反対の方向へ曲がっていくものですよ。一周する事だってありえますよ』
「なんか……正しいのかもしれないけど、言い方がトゲトゲしたおじさんですねー」
その時、ピンポーンとインターフォンが鳴る。大牙さんの長い人差し指が、ぴっと音源に向けられた。応対しろ、ってことですね。
「新聞だったら取っとけ。おまえの給料の有意義な使用法だ。テレビ欄はよこせよ」
断れってことですね。メイド始めて一週間、大牙さんの素直じゃない物言いにも慣れてきました。インターフォンを取って、丁重にお断りを。
「はいー、こちら愛で見つけるサイケ・メタリック探偵社です!」
クッションがぶっ飛んできた。
「うちがいつからそんな名前になったんだ!」
「新聞の勧誘、昨日はこれで帰ってくれたんです! 実績アリです!」
「誇ることか!」
『あのーう』
おっとりした女性の声がインターフォンから流れ出る。
『そのメタリックで見つけて頂きたいんですう』
「悪いが今、社長が取り込み中だ。それでもよけりゃ」
という肉体労働担当社員の許可で、部屋に上がってもらうことになった。リッキー社長、お客さんだというのに、『カメラは捉えた! 樹海の恐怖』から振り返りもしません。
ドアを開けると、日本人形みたいに長い黒髪の、ほっそりした女性が立っていた。控えめににっこり微笑むようすは、いかにも大和撫子。
「こんばんはあ。お邪魔させて頂けますう? 追われてますのー。あ、これつまらないものですけどー、マドレーヌですう」
大和撫子さんはのんびりそうおっしゃると、紙袋からがさごそと包みを取り出した。
「舞以が焼いたんですよう」
「わー、おいしそうですう」
「……覚えのあるトロさだと思ったら、川原崎か。律ちゃんと同じクラスだったな。頼むからこのボケの脳までとろかすな」
ふんふんと匂い立つバターの香ばしさにくらくらしてたら、背後から大牙さんの呆れ声が。大和撫子さんはするりと上品に頭を下げた。
「衛藤サマ、夜分遅くに失礼しますう。神宮寺サマと探偵業をなさってることは、密かなお噂でかねがね」
どうやら大和撫子さんは聖ウェズリー三年生、大牙さんやリッキーさんと顔見知りらしいです。
「探偵は言い過ぎだろ……。それよりおまえ、よりによって俺たちに探し物してもらいに来るなんぞ、あのオヤジが許さないんじゃないのか?」
「ええ、そうなんですう。困ってしまいますわあ、お父サマの石頭……あらいいえ、意思の強さには」
そうおっしゃる割には全然困ってなさそうな微笑。そう微笑まれる割には含みのあるお言葉。
切れ味が良すぎる刃には、切られても痛くないから気づかない。そんな話を、どうしてこの場面で思い出すのでしょう……。
背後のリビングから、『カメラは捉えた! 樹海の恐怖』の討論が聞こえてくる。
『とにかく樹海は不思議でも謎でもないんですよ。怪奇現象などというのはですね、無知な人間の恐怖心が引き起こす幻想や妄想の産物に過ぎないんですよ。まったく愚かな誤解ですよ』
『では川原崎教授、超常現象を信じる人間をすべて愚かだとおっしゃるのですか』
『当然ですよ』
スタジオのざわめき。超常現象肯定派のため息。とりなす司会者の苦笑混じりの口調。
あれ? 今、川原崎教授って言わなかった? 大牙さん、この大和撫子さんを何て呼んだっけ、確かえーと、川原崎って……。
記憶をたぐる糸を断ち切ろうとするかのように、どたどたどたどた、とマンションの廊下を遠くから駆け寄ってくる重い足音がした。部屋を探しているのか時折いらだたしげに途切れながら、足音は玄関ドアのすぐ向こう側で止まる。次いで、どんどんと激しいノック。
「ここかー、舞以! 出てきなさい!」
「きゃあ、ど、どなたですかっ? ここは愛で見つけるサイケ・メタリック探偵社ですよ!」
「おまえな。背後に逃げ込むってのは要するに、俺を盾にしてるんだぜ。で、川原崎。あれはオヤジさんか?」
大牙さんはドアの向こうにむかって、顎をしゃくってみせました。あ、下顎骨! 下顎骨! もしかしたら昨日作った小魚の南蛮漬けのカルシウムが、あのあたりに沈着しているかもしれない。幸せー。
「ええ、お父サマですう。追いつかれてしまいましたわ」
超常現象の強い否定で有名な川原崎教授が怒鳴り込んできたというのに、そのお嬢さんは涼しげにぱちくりしてる。一方、ドアは激しく叩かれ続けてて。
「超能力で探してみせるなどと、詐欺もいいところだぞ! 愚かな人間のやることだぞ!」
『何度も申し上げますように、怪奇現象などというのは無知と思い込みが事実を歪曲してですね』
うわあ。前からも後ろからも、サラウンドで愚かな人間攻撃が。しかも前は生放送!
「どんないかがわしい商売か、分かったもんじゃない。舞以、すぐに帰るぞ、出てきなさ……ぶごっ!」
がーん! と大牙さんの逞しいおみ足で蹴り開けられた重いドアは、川原崎教授の顔面にヒットしたらしい。TV画面通りの頑固そうな中年おじさんが、廊下で鼻を押さえてひっくり返っていた。
大牙さんの乱暴者。
「ああ、悪い。そこにいるとは思わなくってな」
大牙さんの嘘つきー。今の、絶対に確信犯です。だって、これっぽっちも悪いなんて思ってない目だもん。ものっすごい尊大な態度でおじさんを見下ろして。
「あんた、下のオートロックどうやって抜けてきたんだ? 俺らが通した覚えないってことは、誰かが出てくる時に入れ替わりで入ってきたんだろ? それって不法侵入。そのうえ馬鹿デカい声で営業妨害なんて、愚かな人間のする行為だよな、大学教授さんよ?」
「ぐ……」
大牙さんの意地悪。
「ま、今ここですいませんでしたと頭のひとつでも下げりゃ、部屋にあげてあんたの娘と話をさせてやってもいいが。賢い人間ならそうするよな。それともつまらんプライド貫いて通報されて、TVの仕事ホサれてみるか?」
「ぐぐっ……」
怒りのあまり顔が赤黒くなっちゃってる川原崎おじさん。
「す……すまなかっ……」
「はあ? どっかで蚊が鳴いてるみたいだな」
おとぼけ顔が怖すぎですから。
一言、リッキーさんを詐欺呼ばわりされただけでこの怒りよう。大牙さんは敵に回しちゃいけない人だって、よーく分かりました。
莉子は、そんな大牙さんとリッキーさんとのタッグを相手に戦ってるわけですが。
川原崎教授の奥さま、つまり大和撫子・舞以さんのお母さまは弁護士をなさっていたそう。帰宅後も書類とパソコンに向かい、熱心に仕事をしていらしたとか。ところが半年前に突然お亡くなりに。
遺品を整理している折、お母さまのパソコンにパスワードがかかっていることが判明。毎夜、遅くまで取り組んでいた仕事の重要な情報が残されているに違いない。
しかし一向にパスワードが解読できない。
困っていた舞以さんはリッキーさんの噂を思い出し、頼ってみることを決意する。だが何しろ川原崎教授は科学で証明できないものは信用しない人間、猛反対。舞以さんはお母さまのラップトップを抱えて、ここに飛び込んできたという経緯らしい。
「ならん! 残留思念だと? そんなもの、なんの根拠もない!」
「そうおっしゃらず、お願いしてみましょうよう」
「あのー、まずはお茶など……」
親子喧嘩を続ける川原崎教授と舞以さんを背に、リッキーさんは『カメラは捉えた! 樹海の恐怖』に見入りながらバナナケーキを突付き続けている。大牙さんはダルそうにクッション抱え込んで、ソファで丸まって。
放置ですかっ。莉子ごと。
「帰るぞ、舞以。ここに用などない」
「いいえ。わたくしはあります、お父サマ」
川原崎教授につかまれた腕を振り払い、舞以さんがキッとにらむと。周囲がビカッと青白く光ったような気がした。ら……雷光?
「お父サマの攻撃的な言動のために、わたくしが世間サマにどんな目で見られているか、ご存知ですの? 心を寄せる方に告白しても、お父サマが怖いからってお断りされたこともあります。舞以がお嫁に行けなかったら、お父サマのせいですう」
舞以さんから湧き出す冷気、というか霊気に近いヒリヒリした波動で空気が震えてる。ひい、何だか神がかった巫女さんみたいです。
「なのにお父サマは、そんなわたくしのささやかな願いのひとつも聞き届けてはくださらないのですう。このままでは一生行かず後家、お父サマのすねをかじり続けます。留学、お稽古、お買い物、わたくし恨みを込めて川原崎家の身代を食いつぶしますう」
ガラガラピッシャーン。
大和撫子さんはいつの間にか丑の刻参りのごとき形相に。身代つぶす云々より前に、高確率で呪い殺されそう。
川原崎教授は口元を引きつらせ、体の前で必死に両手を振った。
「わ、わかった。そこまで言うなら、一度だけだ。一度だけやってみせてもらおう。ただし、イカサマできんようにさせてもらうぞ!」
そこでちょうどTVはコマーシャルに。つつ、と腰を上げ膝で向き直ったリッキーさんは、手を突いて実に優雅にお辞儀した。茶人か、教養ある武士みたい。顔を上げると、いつもの小鳥笑顔。
「どうぞ、いかようにもお気の済むほどに。そこに愛がある限り、僕は見つけてみせましょう」
「むむっ」
ドピシャーン。
舞以さんvs川原崎教授。川原崎教授vsリッキーさん。リビングがまるで決闘場のような緊迫感に包まれる。
その時コマーシャルが終わり、『カメラは捉えた! 樹海の恐怖』が再開。TV画面には不気味に真っ暗な樹海の景色が映った。ハッとしたリッキーさん、いそいそと膝をそちらにそろえ直し。
「あ、コレ終わるまで待っててね。今すんごくいいトコなの、ふふふっ」
「…………」
超常現象否定派の有名人に勝負挑まれてるんですが……明日、歴史ある王竜旗全国剣道大会の本選に大将で出場なさる予定なんですが……どこ吹く風。
リッキーさんって、骨より神経がよっぽど太いに違いありません。