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愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド3 介抱 for 快方 ・・・逃げ出した恋人
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1. かくれんぼを仕掛けられているんだ

「ねえ、莉子ちゃん。悪いんだけど大牙の膝枕、代わってくんない?」

 全然悪くないです。

 レシピ本よりバナナ。この単純明快な大牙さん攻略法を教えてくれた上に、リッキーさんは膝枕を譲ってくださるという。

 敵対関係にあっても相手が苦しいときには助けてあげる――敵に塩を送る、といわれる美談。でも満身創痍の挑戦者、その情けの塩が傷にしみまする。

「ちょっと用があんの。大牙はこのまま寝かせといてあげて」

「お布団に運んであげたほうがいいのでは? 夏服だし、ここじゃ寒いかもです」

 昨日、ブレザーが似合わないと言ってしまったのを気にしたのでしょうか。寒がり大牙さんなのに夏服の学ランを着ていた。

 でもリッキーさんは、ううん、と優しく首を振る。

「こうしてれば大丈夫だから。大牙はね……人肌が触れてれば寒がらないの」

 お寺の鐘になったかと思いました。横っ面をゴーン! と全体重乗っけてつかれ、中がわんわんと反響。

 大牙さんがこんなにスヤスヤお休みなのは、リッキーさんのお膝の温もりの賜物でしたか。膝枕を譲ろうというのは、敵に塩を送る以前に、大牙さんを眠らせておいてあげたいからでしたか。

 リッキーさんには王蟲だってなつきますよ……!

「だから、ねっ? お願い」

 その自覚がないのが、この先輩の真に恐ろしいところです。

 大牙さんの頭をそうっと中空にキープしておいて、素早くリッキーさんと入れ替わった。

 わーい、大腿骨に大牙さんの頭蓋骨の重みが。しゃわりとした髪がクッションになってるけど、それでもはっきり伝わってくる外後頭隆起。髪に隠れた後頭部までトレビアンな骨格だなんて、ああまるで秘密の花園。

 幸せいっぱい。

 それにしても大牙さんの寝顔って……あどけない。いつもむすっと無愛想なのに、そんなガード一切忘れちゃってて、子供みたい。上から見下ろす角度の下顎骨もまた新鮮かつ絶品、分度器あてたい。

 そうだ、この隙に写真撮っちゃお。そう思いついて、バッグの中にある携帯に手を伸ばす。なるべく動かないように注意したけど、もそもそした振動は伝わってしまったらしかった。

「……何やってんだ」

 アングルを決めかねてあれこれ調整してたら、いつの間にやら被写体ににらまれてた。

「撮るな、魂抜けるだろ」

 いつの時代の人ですか。

 きゅっと腹筋を利用して切れよく起き上がる大牙さん。撮り損ねてしまいました。魂を抜けるものなら抜いてしまいたかった……無念。

 逃げおおせた被写体は大あくびしながら、がしゃがしゃ後頭部の髪をかき回して。

「なんか熱いと思ったら、おまえだったのか」

 と、への字口でおっしゃいました。

「す、すみません。でも人肌……つまり人間の体温って、そんなに大きく違わないと思うんですが」

 ケッ。としか表現しようのない冷たい眼差しを浴びせられる。

「俺は適温の幅が狭いんだよ」

 大いばりで宣言するようなことですか?

 大牙さんにとって、わたしの人肌は熱いらしい。後頭部に体温計が埋まってるかのよう。ついさっきまで、リッキーさんの膝枕では熟睡してたのに。適温ってジャストリッキー体温なんですか? 莉子の膝枕は目が覚めるほど不快ですかそうなんですかー!

「あれ、大牙起きたの?」

 不在でも体温の記憶でダメージを与える、という超人技を披露してくださったタイトル保持者。制服から着替えて白シャツ。さらにいいとこボン風コットンニットに袖を通しながら歩いてきた。

 それを見た大牙さんの眉がグッと寄る。寝顔のいたいけさはすでに、これっぽっちもない……願わくば永遠に寝ててください。

「出かける気なのか、律ちゃん。風邪引いてんだろ」

「すぐ済むよ」

「そう言っていつも、ぐるぐる歩き回るはめになるんだろうが!」

 怒ってる!

 なだめなきゃ、と思いすかさず大牙さん必勝攻略法を実行、バナナを差し出してみた。結果、大牙さんの上肢骨あたりからコイツしばいたろか陽炎が。なぜー。

「あの、わたしが代わりに行ってきますから。ほらメイドですし、ねっ!」

 できるだけ明るい口調で申し出てみたけど、リッキーさんには困り笑顔で首を振られてしまった。

「ありがと。でもね、これは僕が行かなきゃ意味ないの」

 リッキーさんの瞳は、大牙さんへ許しを請うようにじーっと注がれる。だけどオリーブ色のサングラスで遮断されてしまう。ソファにふんぞり返った大牙さんはご丁寧に、ふんと顔を背けた。

 痴話げんか勃発!

「勝手にしろ」




 って言いながらついてくる大牙さんって、心配性なんだろうか。

 夕陽の残りを追いかけるみたいにリッキーさんは急ぎ足なのに、反抗の表明なのか大牙さんは後方を面倒そうに歩いてて。そのあいだを浮遊するわたし。

 あのう、どんどん距離が開いてしまう二人の中間地点をキープするのに専念していますと、カニ歩きになって変な目で見られるのですが。おろおろしてたら、大牙さんが一瞬にやりとした。面白がられてる……。

 やがてリッキーさんが道をそれるのが見えた。くぐったのは鳥居。

 どんな高級住宅地であれ、少し裏手に入れば必ず神社やお寺って見つかるもの。両脇を商業ビルに挟まれた神社にはもう、参拝客の姿はなかった。

「あ……遅かった」

 ニットの袖を引っ張りあげてリッキーさんが確認した時計は、六時をまわってた。はあ、と落胆のため息をつくリッキーさん。

「この時間じゃもう無理だよね……」

 お参りする日課があるのかと思ったけど、本殿はまだ参拝可の状態だから違うみたい。お目当てのたこ焼き屋台さんの営業時間を逃したとか?

「帰ろうぜ、律ちゃん」

 腕組んで鳥居に寄りかかる、信心のかけらもなさそうな大牙さん。たこ焼きにも興味なさげ。

「ん……」

 なで肩をさらに落としてがっかりしょぼくれてるリッキーさんは、後ろ髪引かれるようすで境内を振り仰いだ。ふと、歩きだしかけていたその足先を止める。視線の先にある茂みが、いきなりがさっと揺れた。

「きゃあ! リッキーさんが目で木を動かしてます!」

「馬鹿、人がいるんだ。はりつくな」

 びっくりして大牙さんの肘に飛びついたら、冷静に注意されてしまった。言われてよくよく目を凝らしてみれば、木の陰にぽつりとたたずむ人影が。

「なーんだ。驚かさないでください」

「不審者がいるんだ、驚けよ」

 こんな夕闇でサングラスまでかけてるのに、あの人影を瞬時に判別するなんて。夜行性の目も便利らしい、昼間の日常生活には大いに支障があるようだけど。

 感心してたら、不意に人影がしゃべった。

「君は……衛藤君かい。そんなところで何をしているんだい……」

「んあ? 黒住くろずみじゃないか。そんなところで何をって、茂みに隠れてたおまえに言われたくないぜ」

 足元の茂みをがさがさとかき分けて、人影は木陰から参道へ出てきた。あれは聖ウェズリーの制服。上品なブラウンチェックのブレザーで、通称乗馬服。乗馬部御用達の制服だ。

「大牙さん、不審者とお知り合いなんですか?」

「おまえな、知り合いと分かった時点で不審者と呼ぶな。クラスメイトだ」

「……黒住です」

 かすかに頭を下げた黒住先輩は、闇に消え入りそうに影の薄い方だった。身体の線は風が吹けば飛びそうな華奢さ。気品と憂いと影のある表情は、深窓すぎて病弱な貴族のご子息な感じ。肌も、肩まである髪も、ずいぶん色素が薄い。

 骨密度も低いんだろうなあ。

「君たち、僕に会いに来たのかい……?」

 お互いの自己紹介が済むと、黒住先輩はぼそぼそと小さな声で聞いてきた。生命体としての活動エネルギーが足りてないんじゃないだろうか。しゃべった次の瞬間にカハッと喀血しそう。

「はあ? 何の因果で」

 骨格はいいけど口の悪い大牙さんです。だけど黒住先輩は気分を害したようすもなく、というかご登場時から一貫して変わらぬ感情の窺えない静けさで答えた。

「ここは僕の家だ……」

 貴族のご子息かと思ったら、神社のご子息だそうです。

「へえ、この神社がな……。で? 自宅の庭先で、高校三年生がひとりかくれんぼをしてたわけだ」

「えっ鬼は? 鬼はどうするんですか?」

「呼んでくれればいいのに。ふふっ、僕、かくれんぼ得意なの」

 大牙さんには冷ややかーな目で、黒住先輩には無表情な目で。リッキーさんと二人まとめて、黙って眺められてしまった。うーん、なぜなのか誰か百字以内で教えてください。

 ややあって、黒住先輩がふっと憂いの色を濃くして呟いた。

「そうだね……僕はきっとかくれんぼを仕掛けられているんだ。愛しい、僕の恋人に」




 もしかして黒住先輩は、愛の使者リッキーさんと同類なのではないでしょうか。愛しいとか、恋人とか。高校生がさらりと日常会話で使いこなすような単語ではない。

 大牙さんは苦ーい顔をして、すーっとその場を離れて行ってしまった。代わりにリッキーさんが親しみ満面で、すすすと黒住先輩との距離を詰める。

「黒住君。愛しい、君の恋人と何かあったの?」

 愛しい恋人――大牙さんと、何かあった――痴話げんかしたばかりのリッキーさんは、ひとごとでないようす。静かに頷き返した黒住先輩の、瞳の奥が一瞬赤くきらめいた。

 色素が薄い人は、写真で赤目になりやすいって聞くけど。ワンちゃんの瞳は暗闇だと赤く見えるけど。この先輩、生身の人間なのに!

 魔窟ウェズリー、また新たな物の怪の出現。

「毎日、六時に夕食を共にする約束をしているんだよ……。だけど今夜は食卓に現れなくて、それどころか家中探してもいないんだ……。こんなことは初めてで、心配になって……」

 だから境内まで探しにいらしていた、と。

「思い当たる原因はあるんだ、怒らせてしまったんだ……。誓って故意じゃない、ほんの一瞬だったけれど、覗いてしまったから……。恋人の、トイレ中の後ろ姿を」

 そ、それは!

「先輩の恋人さんも男の方ってことですか?」

「和式だったんじゃない?」

「おまえら、問題はトイレを覗いたってことじゃないのか?」

「僕の恋人が消えたってことだよ……」

 いずれにせよ黒住先輩にとっては、のっぴきならない非常事態のようだ。

 探し物といえばリッキーさんの十八番。親切なリッキーさんがこんな話を聞いてしまって、協力せずに帰るわけがない。だけど一緒に探すなんて言ったらきっと、体調を心配する大牙さんをますます怒らせてしまう。

 リッキーさんはまた許しを請う目を大牙さんに注いでる。許して度合いはさっきよりずっとずっと強くて、離れ行こうとしている恋人に追いすがるかのごとく切なさフルスロットル。

 そんな視線を一身に受ける大牙さんは唇歪めてうつむいて、不服の構え。

 大牙さん……この場面をリッキー軍団団長さんに目撃されたら、中国四千年の毒を盛られますよ! 幸いにも周囲の茂みに、隠れきれてないキヨイ先輩の頭は見当たらないようですが。

「あー、くそっ」

 一声、苦渋を吠えてから、大牙さんはもたれかかっていた鳥居からガッと背を離す。その勢いのまま、振り返りもせず大股で通りへ出て行ってしまった。こわばった肩甲骨の肩峰関節面が明らかに怒ってる。リッキーさんと黒住先輩を放って帰っちゃうんだろうか、そんなあ。

 対戦相手の仲間割れみたいな形でリッキーさんに勝つなんてイヤです。お二人が仲違いするなんてイヤです。えーん変だよ、わたしは大牙さんをめぐってリッキーさんに挑戦してるのに、戦況はわたしに有利になったはずなのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。

 とにかく引き止めなきゃ。

「待ってください、大牙さーん!」

 行かないでください。思いを込めて呼びかけたら、意外にも学ランの背中は立ち止まった。両手をポケットに突っ込んで、二、三秒。

 大牙さんは振り返った。それから身体を転じて戻って来てくれた。ざくざくと力強い足取りで鳥居をくぐり、参道に入って、まっすぐリッキーさん――でなく、わたしのところへ。

 大牙さんはわたしの真正面に立った。オリーブ色サングラスの向こうで少し細めた目は、何だかもの欲しそう。

 もしかして。

 リッキーさんと別れて、さらには当てつけにその目の前で、わたしと付き合う宣言してくださったりしちゃうおつもりなのでは!

「こ、困ります……」

「選択権はやらない」

 きゃん。即座に却下、どうしよう。大牙さんったら強引。どきどきが世界中に聞こえてしまいそう。

 大きな掌がすっと差し出される。

 ああこれを握り返したらラウンド終了、大逆転でチャンピオン・リッキーからタイトル奪取なのですね。大牙さんという超ビッグ・タイトルを。

「でも、でも」

 大牙さん長いの指は待ちきれないといったように、くいくいと催促をした。

「俺だって困ってんだ。さっさと五百円貸せ」




 わたしの五百円を使い、大牙さんは通りの向こうの自販機で缶を四つ、人数分買ってきました。

「服の中に入れとけ、律ちゃん。あったかいからな。で、黒住。さっさとその人騒がせな女の容姿を言え」

「闇色に燦として燃える碧の瞳、どんな星とて己を恥らい姿を隠すだろう……」

「即興詩の朗読会によばれた覚えはないぞ」

 すごーくすごーく遠くで、先輩方三人は盛り上がってらっしゃるようだ。持ってる缶コーヒーの熱さだけが唯一、現実感覚との架け橋のよう。

 大牙さんが通りに出たのは、最初からホットの缶を買うため? 両手をポケットに突っ込んで立ち止まったのは、ポケットにお金がないことに気づいたから? わたしの心配も呼びかけも期待も全部、見当違いとおっしゃる?

 申し込まれたのはお付き合いじゃなくて、借金だった。

 リッキーさんへの情熱は一瞬たりとも冷めていなかったんですね。あの許して目線で、大牙さんは完全に調教されていたんですね。

 リッキーさんには王蟲どころか、巨神兵だってなつきますよ……!

「黒髪に緑の目……外人なのか、おまえの女は。で、名前は」

「タンゴ……」

 はあ? と間の抜けた返答が聞こえた。

「ふふっ。黒猫のタンゴ、なんだね」

「タンゴはこの歌にいつも、うっとり聞き入ってくれるんだ……」

 とっても温度差のありそうな沈黙が漂っていた。

「……あのな律ちゃん。猫だって分かってたなら、さっさとそう言ってくれ。脳に悪い。めちゃくちゃ悪い」

「だって黒住君は茂みを探してたんだから、犬とか猫でしょ?」

「猫を恋人と公言する男がいるなんて前提は、俺の中にはないんだよ!」

 第三ラウンド、実に快調に混迷を極めています。


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