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愛で見つけてみせましょう!  作者: シトラチネ
ラウンド1 同棲 with 同性 ・・・差出人のないラブレター
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1. お客さま、何かお探しでしょうか

 親の心子知らず。と言いますが、我が高居たかい家の場合は、子の心親知らず。だと思うのです。

「ありがとうございましたー」

 普段ならこのあとに、「またご来店ください」。雨なら「足元にお気をつけて」。夜遅くなってからの若い女性のお客さまなら「痴漢にご用心」、とお祈りまで付け足す。

 だけどレジカウンターの下からムムムムムム、と携帯が震える音がしたら。とたんにわたしは悪いアルバイト店員になっちゃいます。

 おつりがちょうどいい数字になるようにと、合計金額下二桁の小銭を求めて財布をひっくり返すお客さまが憎ったらしく。あらアレを忘れていたわなんて、精算の途中で売場に小走りしていくお客さまがじれったく。営業スマイルが冷凍保存されてしまうのが自分で分かるのです。

 ロシアのバレリーナさんだったか、こんなことを言ってた。

 練習を一日休めば自分に分かる。二日休めば仲間に分かる。三日休めばお客に分かる、って。いい言葉。バレエだけじゃなくて、人の気持ちの緩みにもあてはまる。

 それが社員さんやお客さまにまで見抜かれてしまわないうちに、せっせと笑顔の解凍作業。でも、レジの列がはけた時にはまだ半解凍くらい。修行が足りません……。

 反省はあとにして、ささっと屈んで私物のバッグから携帯を引っ張り出す。わーん待ってましたー、届いてたのはやっぱり両親からのメール。件名は「見て見て」。

『きれいな巫女さんに照れるパパです。いい年して、やーねぇ』

「…………」

 添付の画像にはムスッと硬い顔をしてるお父さんと、その奥で困ったような慎ましい微笑を浮かべている巫女さん。父娘ほど年の離れていそうな二人を、ほらほら、もっとくっついてー! なんて茶化しながら撮るお母さんの姿まではっきり浮かんできちゃう。

「一週間ぶりのメールがコレ……?」

 お父さんは、とある企業の人事担当役員だった。大規模なリストラをして、それが終わった一ヶ月前に辞職してきた。

 青い顔のお父さんが握りしめてたのは、お遍路さんの白装束と金剛杖。

「あらー、あたし昔っから、霊場めぐりってしてみたかったのよー」

 どうして正反対な性格の両親が結婚したのか、この時に何となーく分かった気がした。お母さんはうきうきと支度をして、翌日にはお父さんを引きずっていってしまった。

「全国制覇するわよー! じゃあ莉子りこ、元気でね」

 二人きりの旅行なんて新婚以来だわ、あら不謹慎かしら、なんてスキップで。

 こうして高居家では莉子という名の高校二年生、つまりわたしが一人でお留守番することになったのです。

 わたしの心配や寂しさをよそに両親が仲良く行脚の旅を続けているらしいのは、こうしたメールが教えてくれる。でも電波の届かないような辺鄙な場所を歩いてることもあるみたいで、あまり頻繁なやりとりはできない。

 お父さんはあの夜、今にも消えちゃいそうだった。わたしはあれほどお父さんを追い詰めた仕事というものを知りたくて、近所の食料品店でこっそりバイトを始めた。でも分からないまま、毎日がただ過ぎてく。

 だからこうした実にのんきな便りが届くたび、安心もするけど、一方でため息も出ちゃったり。

 お父さんお母さん、莉子はちょっぴり恨めしいです。




 りんろんりんろーん。

 と鳴ったのはお客さまご来店を知らせる自動ドアのチャイム。急いで携帯をバッグに突っ込んで立ち上がった。

 お店に入ってきたのは若いカップル。わたしよりちょっと年上くらい。

 珍しい。

 ここイノクニヤは高級食材店で、お客さまは優雅な奥さま方や上品なおじさま方ばかり。加えてこの時間、九時の閉店間際のお客さまといえば、お勤め帰りの方がほとんどだから。

 あのお二人、今から食料品を買って仲良く料理して食べたりするのかと思うと、恨めし……いえ、羨ましすぎです。

「いらっしゃいませ」

 お声かけしたら、女性がこちらを向いてにっこりしてくれた。

 ボーイッシュなショートヘアなのに一目できれいな人だと思わせるのは、正統派美少女でないと不可能なわざ。

「こんばんは」

 でもずいぶんと低い声をなさってます。

「あーもう、何だってスーパーってのはどこもかしこもこう、ビカビカ明るいんだ?」

 彼女さんの上品なご挨拶と対照的に、お隣の彼氏さんはものすごくご機嫌が悪そう。くしゃっとした茶髪のあいだから薄いブルーのサングラスを引き下げて、苦々しく唇を歪めてる。

 おっと思わず大注目。

 猫みたいにきりっとした下顎骨。袖から覗く手の甲の、骨密度が高そうな中手骨。その彼氏さんはとっても男性的で、実に均整の取れた骨格をしていたのです。

 膝からかっくんと力が抜けて、レジカウンターに取りすがる。

 これが骨抜きにされるという感覚でしょうか……!

 小さい頃から、魚の身をほぐすときっちり並んで現れるつやりとした骨は芸術品だと思ってきた。その延長か、この人の骨格はどうなってるのかなーといつも観察してしまう。友達はレントゲン技師になれとか、恐竜発掘をしろとか勧める。

 でも骨は筋肉と皮膚の下に隠れながらも身体を支える謙虚さと力強さが良いのであって、ワンちゃんと違ってそれ単体を渡されても、あまり嬉しくはありません……。

 それにしても、あの彼氏さん。フリースジャケットの肩先の、かっちりした曲線がおみごと。世の中から肩パッドなんてもの、一切なくなってしまえばいい。あの曲線を隠してしまうなんて罪。

「間違いなし、愛が助けを求めてる。大牙たいが、ここー」

「この下だあ? まったくよりによって、面倒だぜ……よっと」

 ごろごろごろごろーっ。

 肩甲骨の肩峰関節面あたりをほれぼれと眺めていたら、何かが大挙して移動している音が。見ればそのすてきな骨が埋まっていそうな大きな手が、豪快にオレンジの山を崩しているではありませんか。

 これはひょっとして、噂に聞く営業妨害行為というものでは。

 慌ててレジの後ろを飛び出した。

「おっ、お客さま! 何かお探しでしょうか?」




「ああ」

 とっても素っ気なく簡潔なお返事を頂きました。

 ええと、何かお探しなのは見て分かります。遠まわしにおやめ下さいと言っているのであって、イエスかノーかを聞いてるんじゃないのに。

 マニュアル通りの言葉が通じず、頭の中は真綿。お父さん、これが仕事の難しさでしょうか。

 彼氏さんの腕はブルドーザーと化し、オレンジ山を平坦に整地。さらに残ったオレンジをぽいぽい放りながら掘り返し続けている。

 かける言葉も思いつかないまま山が谷になっていくのを凝視してたら、視界にひょいと誰かの顔が割り込んできた。

 美少女の彼女さんだ。

 白目がうっすら青く見えるのは、瞳があまりにきれいに澄んでるから?

「ごめんね。僕たち、頼まれて落し物を探してんの。あとで元に戻すから」

「あ、はい……え、ええっ?」

 僕たち、落し物を探してんの。僕たち、落し物を。僕たち。僕……その台詞が頭蓋骨を右へ左へ反響する。

「男の人なんですかあっ?」

「こらっ、高居! お客さま、大変失礼致しましたーっ!」

「いいんですよー、よく間違われんの。ふふふ」

 実は男だという彼女さんは、てん、と小首かしげて笑った。少女漫画なら背後に花が咲くシーン。男の人みたいだけど、やっぱりどう見たって正統派美少女なお客さま。

「お客さまにまじまじ詰め寄るな! 高居? こら、高居!」

 神さまは一体何をとち狂って、こんな美人さんに男性の身体を与えちゃたんでしょう。アシスタントの天使さんが部品を一つ多く、間違って混入しちゃったとか。どこの部品って、えっと、それは考えてはいけないことで。

「あったぞ」

 疲れた投げやりな言葉と共に、華奢すぎず厚すぎない美麗な弧を描く胸郭が――いけない、つい骨格に目が行ってしまう――彼氏さんだと思った男性が、オレンジ谷から顔を上げた。突き出された左手、そのしっかりと大きな掌の真ん中に、ころんと載っていたのは。

「……ピアス?」

 小さなピアスは雪の結晶みたいに、華奢で透明な光をちかちか放っていた。

 どうして、こんな山積みのオレンジの下に落ちちゃってるって知ってたんだろう。そのまま誰にも気づかれずに、使用済みの箱にまぎれて廃棄されちゃうに違いないような場所なのに。

「一.三カラットのダイヤ、片方だけで十万円也だとさ」

「えーっ! すごーい」

 覗き込もうとした鼻先で、ぽいとお高いピアスは放り投げられてしまった。

「俺は外で待ってるぞ、ここは眩しくて頭痛がしてくる」

 言いながらナイス骨格さんは、すでにスタスタと出口へ向かっていた。ピアスを器用にキャッチした、部品がなぜだか多いらしい彼女さんと、立ち尽くして見送るわたしと社員さんと、崩壊したオレンジの山を残して。

 そこへ流れ始めた蛍の光、閉店を告げる調べは、何だかいつもに増して物悲しかった。




「お騒がせしてすみません」

 買い物かごをレジに置きながら、美少女系美男子さんは謝ってくれた。頭を下げるスムーズな動作ひとつで、いい育ちをした人なんだと分かる。

「いえ、見つかって良かったですね!」

 言葉通りにオレンジ山の再建を手伝ってくれた美少女系美男子さんが、その日最後のお客さまとなった。

 買い物かごを受け取ると、中には――バナナ、バナナ、バナナ。山盛りバナナ。

 騒ぎを起こしたから買い物しなきゃ悪いと思って、手近にあった果物を詰め込んだ感じ。

「あのう、お客さま。無理してこんなに買っていただかなくても……」

 するとお財布を構えてた美少女系美男子さんは、またあの艶やかな笑顔を振りまいて下さった。光の粒が舞っていそう。見てるだけでお肌の新陳代謝が良くなりそう。浴びとかなきゃ。

「いいの。外でお腹空かせた小猿が待ってるから。ふふっ」

 ペットのお猿さんを外に繋いであるのかな。見てみたいけどバイト中だし、と残念がりつつレジ打ちに入る。

 美少女系美男子さんとこうして落ち着いて向き合ってみると、女の子にしては確かに背が大きすぎた。声質も話し方もすっごく柔らかいけど、小顔で指だって繊細だけど、骨格はやっぱり男の人のものだ。

 ただ、ふふっと笑う、控えめなのに華やかさを含んだ感じはレディと呼んでもいいくらいの小鳥っぷり。

「どこかでつながりあるよね?」

 小鳥がそんなことをさえずりました。

「……はいっ?」

 バナナを捧げ持ったまま、ボーッと見とれていたらしい。はっとしてバタバタと精算を再開。

「君のどこかに覚えがあるような感じがするんだけど、どうしてかな……」

 言われて観察させていただくと、こちらとしても見覚えがあるような気がしてきた。だけどこんな衝撃的な美男子さんなら、会ったことがあれば覚えているはず。忘れたくても忘れない。

 念のために脳内美少女さんデータベースも検索してみたけど、ヒットする答えは出てこない。

 もしかして、と胸底から灰色の雲がもこもこと湧きだした。

 もしかして同じ高校の先輩だったらマズい。

 なぜなら、我が聖ウェズリー学院はバイト厳禁。学校側にバレて、呼び出された両親がお遍路さんの白装束で霊場から馳せ参じる……なんて事態だけは、あらゆる意味で避けたい。

「いえっ! 人違いではありませんでしょうかっ! 千五百四十五円になりますっ!」

「名前教えて……くれなさそう、だね」

「はいっ! 人違いではありませんでしょうかっ! 二千円お預かりします!」

 顔を背けつつ指先でおつりをすくう。そのあいだ美少女系美男子さんの方角からは、カサカサ軽い音が聞こえてきていた。

「こちらレシートと四百五十五円のおつりです! お確かめ下さい! いえ、顔でなくておつりを!」

「ありがと」

 不意に指先に、くしゃり、とはかない感触がした。

 顔を伏せたまま突き出していた手、レシートとおつりの代わりに何か握らされてる。

「それ、今日引いた中で一番良かったの」

 見ると手の中にあったのは、レシートみたいに細長いけど、もっと薄っぺらい紙。黒い枠内にこまこまと文字が印刷してある。

 ○恋愛 叶わず ○待人 遅いが来る ○失せもの 身近にある ○旅行 病気・盗難に注意 ○金運 別の所より開ける……。

「おみくじ?」

「いいのが出るまで引いたの。大事な一枚なんだから失くしちゃだめだよ、お財布に入れといてあげてね」

「…………」

 いいのが出るまで引いたっておっしゃいますが……これって、あまりいい運勢とは言えないのでは。それにそもそもおみくじって、一日に何回も引いていいものなんでしょうか。しかも引いた本人じゃなくて、他人にあげちゃっていいんでしょうか。

 何だかこれを受け取ったらこの人の、おみくじの紙並みにうっすーい幸を奪ってしまいそうな気がする。あるいは、この人の幸の薄さを分け与えられちゃう気がする。

 あんまり喜ばしく……ない。

 だけどひょっとしてこれが美少女系美男子さんの、精一杯のお詫びの気持ちだとしたら? 受け取ってあげるのが礼儀。

 とはいえ、おみくじでお詫びなんて、聞いたこともない。アヤしい宗教のヒトとかだったらどうしよう。ほら、駅前で手相を占わせてくださいって寄ってくる人みたいに。噂によると手相の次は印鑑で、その次は壷で……。

 ぐるぐる考えてるあいだに、バナナでいっぱいの紙袋がもらわれていった。

「じゃ、明日ね。ふふふっ、おやすみなさい」

 ぴゃぴゃっと可愛く手を振って、美少女系美男子さんは蝶のように軽やかに店を出て行った。しんみり流れる蛍の光に、りんろんりんろーんと軽快なチャイムを挟んで。

 またご来店下さいどころか、ありがとうございましたまで言い忘れたことに気付いたのは、社員さんに怒られてから。

 お父さん、社会は厳しいんですね。莉子はほんのり疲れました。


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