第8話――署名も印も揃ってる? なら“押した日”を答えてください。
いつもありがとうございます。
第8話は、相手が「紙(契印付き)」で本気で潰しに来ます。
敵の利権へのこだわりと、手段がレベルアップしてきます。
完全勝利ではなく、“手を打てなくする半勝ち”で終わります。
「来た」
エイドリアンが言った。
それだけで、胃の奥が冷えるようだ。
宰相府の執務室は静かだ。
静かすぎて、紙の擦れる音が目立つ。
机の上の束は白い。
角まで揃っている。
綺麗すぎる。
「……受領書、です」
リリィが指先で端を押さえた。
赤い契印。
署名。
筆跡まで揃っている。
「反証、できますかね…」
声が軽くない。
言葉が沈む。
私は一枚ずつ滑らせた。
条文が勝手に目に入る。
契約視を開く。
薄い筋が走る。
汚れじゃない。
“整えた痕”だ。
矛盾は少ない。
少なすぎる。
ここまで薄いのは、わざとだ。
「反証じゃない」
私は言った。
「真正性を壊す」
「契印があるのに?」
リリィが息を呑む。
「契印は万能じゃない」
喉が乾く。
それでも言い切る。
「万能に見せかける手はある」
エイドリアンが椅子にもたれた。
視線だけで促す。
「期限」
「三日です」
リリィが言う。
「三日以内に説明できないと、手続き上――」
「監査官の権限停止」
視界の隅が白くなる。
こんなにしつこく粘着してくる人物に覚えはない。
エイドリアンが間をあけて淡々と続けた。
「形式上、可能だ」
刃がこちらに向く。
――制度は味方にも敵にもなる。
一瞬で立場が変わる。
「協力者は?」
私は聞いた。
リリィが口角だけ上げた。
笑えない笑いだ。
「怯えてます」
「何を?」
「『契約庁ごと燃やされる』って。もう口に出してます」
「燃えるのは紙でしょう!」
背後から声。
ドゥランが音もなく入ってきた。
「燃えるのは紙、か」
リリィが吐く。
「言い方、嫌いです」
「事実だ」
ドゥランは受領書を手袋でつまんだ。
鼻先まで持ち上げる。
黙る。
黙りが長い。
長いほど、嫌な想像が増える。
「……嫌なやつだ」
ようやく言った。
「どう嫌なんです?」
リリィが詰めた。
こういう時純粋に聞けるリリィがうらやましい。
「“嫌”で済ませないでください」
「本物に似せた偽物」
ドゥランが目を伏せる。
「見分けるほど泥沼だ。相手が上手い」
私は紙を押さえたまま息を吐いた。
完璧な証拠。
完璧な濡れ衣。
「提出元は」
エイドリアンが聞く。
「財務府経由です」
リリィが即答した。
「評議会に回す、って。もう段取りが組まれてます」
評議会。
そこに回れば、私は“弁明する側”になる。
口を開いた瞬間、負けるだろう。
「評議会では何を言ってくるだろうな」
エイドリアンが言う。
「“宰相のご寵愛で逃げる”か」
「絶対に言われます」
リリィが苦い顔をした。
「もう、言い回しが同じです。誰かが台本を配ってる」
「現場にも届く」
私は言った。
「届いてます」
リリィが頷いた。
「工兵詰所で、目が変わってました。“監査官の賄賂”って」
胸の奥が固くなる。
怒りは熱じゃない。
硬さだ。
「燃やす前に止める」
私は束を揃えた。
「契印台帳へ。運用から崩す」
――契約庁の保管室。
鉄の扉。
鍵が二つ。
番人が無言で開けた。
棚に台帳が並ぶ。
貸出記録。
押印許可。
再発行の履歴。
紙の墓場。
「これが“本物”の線ですか」
リリィが小声で言った。
「線だ」
私は台帳を開く。
「紙は綺麗に作れる。でも運用には癖が出る」
契印番号。
押印時刻。
承認者の署名。
封蝋の欠け。
微妙な乱れ。
受領書の番号を確かめる。
台帳と照らす。
一致する。
綺麗に。そして、気持ち悪いほどに。
「……一致してます」
リリィの声が落ちた。
「一致“させた”」
私は言った。
「だから怖いんだよ」
ドゥランが器具を出す。
針が一度止まる。
次に、わずかに震えた。
「魔力残滓が薄い」
「薄い?」
リリィが顔を近づける。
「契印は押すと残るはずだ」
ドゥランが言う。
「紙に残る。押した手にも残る。周囲にも残る」
「残り香?」
「その言い方は嫌いだ」
言い切る。
「だが、近い」
彼が受領書の端を撫でた。
沈黙。
嫌な沈黙。
「……合わない」
ドゥランが言った。
「台帳の押印日と、残滓の衰えが合わない」
私は頷いた。
ここだ。
「押印は“昨日”の記録」
私は言う。
「でも残滓は、昨日の顔をしてない」
「逆もある」
ドゥランが言う。
「新しい残滓を古く見せる細工もできる」
「つまり」
リリィが唾を飲む。
「偽造……ですか?」
ドゥランはすぐ答えない。
目を細める。
嫌そうに。
「偽造の“存在”は確定していい」
慎重な言い方。
それでもまだ重い。
胸が少しだけ温かくなる。
勝てるかもしれない。
だが、相手はもう一段上だ。
「契印そのものに手を伸ばした」
私は言った。
「これ、制度の外側から刺してきてる」
――呼び出し。
宰相府ではない。
評議会の控室。
人が多い。
空気が重い。
視線が刺さる。
「監査官殿」
役職だけの男が言った。
調達局の実務役。
口元だけ笑っている。
「ここに契印がある」
男が受領書を掲げる。
「これ以上、何が必要だ?」
「――真正性」
私は返す。
短く。
男が肩をすくめた。
「は?」
「契印は王国の保証だ。疑うのは制度への反逆では?」
「疑っていない」
私は言う。
「確認するだけです」
「都合のいい言葉だな」
男が笑う。
「賄賂を受け取っておいて、“確認”?」
リリィの肩が震えた。
怒りで。
「三日以内に説明しろ」
男が畳みかける。
「できなければ権限停止。監査官失格。契約庁も監査対象だ」
“契約庁も”を強く言う。
脅しが露骨だ。
「あなたなら線を引きますか」
工兵長の顔が、一瞬よぎる。
私は男を見たまま言った。
「契印があれば、疑わない?」
男の笑みが一瞬止まる。
すぐ戻す。
でも戻りが遅い。
「説明はします」
私は続けた。
「ただし、この紙は武器です。今は撃てない状態にします」
「何を言って――」
男が身を乗り出した。
その瞬間、扉が開いた。
空気が一段冷える。
エイドリアンが入ってきた。
低い声。
「命令として出せ」
それだけ。
甘さはない。
だがいつも必要な助け舟を出してくれる。
私は命令書を広げた。
宰相府の印。
紙が重くなる。
「契印台帳の封緘」
「契印の再発行を一時停止」
「当該書類に基づく処分の凍結」
「支払い指図が付随する場合、支払いは停止」
男の顔が歪む。
今までの余裕が剥がれた。
「王国の機能を止める気か!」
声が上ずる。
初めて。
「止めるのは偽造だ」
エイドリアンが言う。
「止めない方が危険だ」
男が噛みつく。
「偽造だと断定できるのか!」
「断定はしない」
ドゥランが口を開いた。
「合わない、と言う。合わないものに処分は載せない」
理屈屋の言い方。
だが刺さる。
男の喉が動く。
「監査官殿」
男が私を睨む。
「自分を守るために――」
「違う」
私は切った。
「契印の信頼を守る」
沈黙。
命令書の印が、静かに勝つ。
男は唇を動かす。
が、言葉が出ない。
悔しさだけが先に出る。
「……上から目を付けられるぞ」
男が吐き捨てた。
負け台詞を噛む。
「戦時例外の案件だ。俺にも触るな、と言われてる」
戦時。
その一語で、線が太くなる。
私は命令書の別紙に目を落とした。
書式の癖。
行間が詰まっている。
余白が狭い。
「この別紙」
私は指でなぞる。
「財務府の緊急条項と同じ形ですね」
男の肩が跳ねた。
露骨に。
「知らない」
即答。
早すぎる否定。
エイドリアンが目を細める。
「誰が差し込んだ」
男は目を逸らした。
歯を噛む。
「上からだ」
「誰の上だ」
「……」
答えない。
答えられない。
悔しい。怖い。
その両方が顔に出ている。
――契約庁に戻る。
保管室の前で、リリィが小さく笑った。
今度は安堵だ。
でも、目はまだ硬い。
「勝ちましたね」
「半分、といったところかしら」
私は言う。
「“上”の人に撃てなくしただけ」
ドゥランが受領書を封緘袋へ入れた。
赤い封蝋。
欠けの形が、見慣れている。
「……綺麗すぎる」
リリィが呟く。
「こんなに整った濡れ衣、逆に怖い」
「怖がらせるために整えてるのよ」
私は息を吐いた。
その時、会計係の男が控えめに入ってきた。
顔色が悪い。
手が震えている。
「監査官様」
声が掠れる。
「僕……もう、帰れないかもしれません。家、もう……」
一文で十分刺さる。
守っても、戻らないものがある。
私は机から紙を取り、差し出した。
更新版の契約書。
「証人保護契約を更新する」
男が紙を見て怯えた。
「条件が増えてます」
「増やす」
私は言う。
「守るために。逃げ道も作るために」
男は頷いた。
頷くしかない顔だった。
――夜。
執務室。
エイドリアンが窓際に立つ。
外は暗い。
「三日は稼いだ」
彼が言う。
「だが次は別の手だろう」
「紙は封じました」
「紙だけだ」
ドゥランがぽつりと言った。
声が低い。
「この偽造……教会の手を借りた可能性があるな」
リリィが息を止める。
教会。
誓約。
そこに行けば、契約視が効きづらい。
私は封緘袋を見た。
完璧な体裁。
完璧な欠け。
「次は紙じゃない…」
自分の声が少し掠れた。
エイドリアンが振り返る。
視線が真っ直ぐだ。
「続けるか?」
短い問い。
「続けます」
私は折れない。
最後にドゥランが言った。
小さく。
「次は――“誓約そのもの”で殺しに来る」
読んでいただきありがとうございます。
止められたのは「処分」だけ。敵の手は、もっと厄介な場所へ伸びています。
次は、紙より厄介な“誓約”が相手です。
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