第7話――愛人呼ばわりですか? なら閲覧台帳を開きましょう。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回は「噂」そのものを殴り返しません。――噂を流した側を“喋れない仕組み”で殴ります。
短い胸糞のあと、きっちり回収します。
今日もコンプラ重視で殴ります。
「賄賂の不正があるようだ」
宰相府の執務室は今日も静かだった。
静かな分だけ、紙の音が刺さる。
机の上に、白い紙が一枚。
赤い封蝋の欠けが目に残る。
「また、これですか」
「そうだ」
エイドリアンは目を上げない。
「君が嫌なら引け」
言葉は冷たい。
でも、逃げ道を置く。
「引けばどうなります?」
「契約庁がやられるだろう」
短い。
余計な情がない。
冷たい言葉の先に彼なりのやさしさを感じる。
私は息を吐いた。
嫌かどうかは後でいい。
「続けます」
「よし」
彼が紙を押しやる。
文面は短い。
『監査官エレナ、受領金あり。調査求む。』
署名はない。
だが、丁寧すぎる字。
嫌な丁寧さだ。
「否定はしないのですか」
自分の声が乾く。
「否定は弱い」
エイドリアンが言う。
「証明しろ。やり方は任せる」
「権限は」
「監査命令を出す」
彼は封緘袋を一つ置いた。
宰相府の印。
命令書の写し。
「盾を作る。矢は私が受ける」
「業務ですか」
「規定だ」
甘さじゃない。
置き方だ。
この世界で一番強いのは、たぶんそれだ。
――廊下に出ると、空気が変わった。
視線が避けられる。
足が止まる。
挨拶が途中で切れる。
「……監査官様」
若い文官が、言い終わる前に頭を下げた。
目が怯えている。
リリィが追いついてきた。
紙束を抱えたまま、顔だけで笑う。
「お姉さま、人気者です」
「悪いことを考える人もいるものね。今度はビラ配りかしら」
「はい。最悪の」
リリィが一枚の書き付けを見せる。
同じ文言が並んでいる。
『宰相のご寵愛で』
『呪術で印を操る』
『貴族潰しの判子女』
「言い回しが同じだね」
「同じ人が書かせてます。たぶん、まとめて配ってる」
私は紙を返した。
紙質が安い。
でも字が揃っている。
現場の落書きじゃない。
「現場にも?」
「もう届いてます。倉庫の方」
――宮廷倉庫は油臭かった。
木箱の隙間から、金属の匂いが漏れる。
工兵の男が、こちらを見て吐き捨てる。
「監査官殿。あんた、金もらったって?」
いきなりだ。
直球で胸糞がわるくなる。
「誰がそう言ったのかしら?」
「調達局の連中。『支払い止めたのは小遣い稼ぎだ』って」
隣の若い兵が、包帯の指を握りしめる。
爪の汚れが落ちていない。
「こっちは、けが人がでてるってのに」
「また折れたの?」
「折れた。三本。……これで、今月“八本目”だ」
その言い回しに、胸糞が悪くなる。
八本目。
修理の回数。
怪我の回数じゃないのが、余計に嫌だ。
工兵が私を睨む。
怒りというより、諦めに近い。
「なぁ。あんたなら署名するか?」
「何に」
「『品質は適切』って一行に。箱の中身見ないでさ」
喉の奥が冷えた。
答えは決まってる。
「しない」
短く言った。
「……だよな」
工兵が笑う。
笑い方が荒い。
「でも、あいつらはする。印があればいいんだって」
「印は道具です」
「その道具のせいで俺らが死ぬんですよ」
ここで折れたら終わる。
折れない。
「賄賂の話は、今は置きます」
私は言った。
「代わりに、聞きます。誰が、どの紙を見た」
工兵が眉をひそめる。
「紙?」
「調達資料です。見た者には誓約が付いている」
リリィが一歩前に出た。
口調は軽いまま、目だけが鋭い。
「知らないで喋ってる人は、今回は関係ないです」
「関係あるのは?」
「“資料を見たはずの人”です」
――契約庁の小会議室。
机の上に、閲覧台帳が積まれた。
古い革表紙。
角がすり減っている。
ドゥランが器具を置く。
針が小さく震える。
「台帳は偽造しやすい」
「が、癖は残るもんだ」
私はページをめくった。
閲覧者名。
日時。
資料名。
確認印。
「守秘誓約は、資料に付随する」
私は指で紙を叩く。
「誓約の範囲外なら、どうでもいい。範囲内なら、首が飛ぶわね」
リリィが小さく肩をすくめた。
「名誉毀損で殴らないの、えらいです」
「殴り方を変えるだけよ?」
ドゥランが眼鏡を上げる。
「鑑定で分かるのは、紙の魔力残滓と、印の癖くらいだ」
「断定は要らない」
私は言う。
「矛盾が出れば、十分」
台帳の一箇所で、指が止まった。
同じ資料。
同じ日。
なのに、印の順番が変だ。
「……ここ」
「どれ?」
リリィが覗き込む。
「確認印が先。署名が後」
「普通、逆です」
「慌てていたのか、書いた人が違う」
ドゥランが針を近づける。
針が一瞬だけ跳ねた。
「同じ筆じゃない」
「誰の筆かは?」
「そこまでは無理だ。だが、同じ“教わり方”だな。線が固い」
線。
また線だ。
扉が小さく鳴った。
会計係の男が入ってきた。
背中が丸い。
目の下が青い。
「……監査官様」
声が震える。
「僕、見ました。あの紙……」
リリィが息を呑む。
私は椅子を引く。
「座って」
「僕、喋ったら……」
「大丈夫、あなたのことはちゃんと契約で守るわ」
その一言だけ言った。
男は唇を噛んで頷く。
「調達局の閲覧室です。資料の写しを取りに行って」
「そこで?」
「上役が……“この文言を外に出せ”って」
「文言?」
「『宰相のご寵愛で』って。……同じ言い回しを何度も」
私は視線を落とした。
嫌な一致だ。
「誰が命じた」
「名前は……出ません」
男が震える。
「紙が来ました。封蝋だけで」
封蝋。
欠け。
また同じ欠け。
「その紙は」
「持ってないです。燃やせって」
「燃やした?」
「……燃やしました」
嘘の滲みは見えない。
契約視が、薄く確かめる。
黒い糸は切れていない。
「本当のようですね」
私は言った。
「今から守る。条件を出す」
――調達局。
応接室は柔らかい香の匂いがした。
その匂いが、余計に腹立たしい。
調達局の担当官が笑う。
今日のは笑い方が丁寧だ。
「監査官殿。説明責任を」
「台帳を出してください」
私は先に言った。
担当官が肩をすくめる。
「台帳? 閲覧の?」
「はい」
「あなたは名誉を傷つけられた側でしょう。まずは否定を」
「否定しません」
私は紙を置いた。
賄賂疑惑の紙。
そして、閲覧台帳の写し。
担当官の笑みが僅かに止まる。
だが、すぐに薄い笑みを張り付ける。
「守秘誓約の範囲内の情報が外に出ています」
「それが?」
「誓約違反です」
「……宰相のご寵愛で、ここまで?」
彼が口角を上げる。
わざとだ。
私をけしかけようとしてる。
リリィが一歩前に出かけて、止まる。
私が目で止めた。
「台帳です」
私は繰り返した。
短く、冷たく。
担当官が紙を指で弾く。
余裕のふりが薄い。
「閲覧者が多すぎて、特定は無理でしょう」
「特定します」
「どうやって」
「矛盾で」
私は一箇所を指した。
確認印の順番。
「この記録、書き直しです」
「証拠は?」
「筆跡が違います」
ドゥランが器具を滑らせる。
「同じ筆じゃない。ここだけ」
担当官の喉が動く。
「鑑定官殿。推定でしょう」
「推定です」
ドゥランが淡々と言う。
「だが、十分に“疑い”だ。監査は疑いで動く」
扉が開いた。
足音が無いのに、空気が固まる。
エイドリアンが入ってきた。
「続けろ」
それだけ。
援護の言葉は短い。
私は命令書を出した。
宰相府の印。
紙が重くなる瞬間がある。
「監査命令」
声は落とす。
「閲覧台帳の封緘。閲覧室の閉鎖。関係者の聴取」
担当官が笑おうとして、やめた。
「それでは、局の業務を止まりますが、どう責任を取るおつもりで?」
「止めます」
私は頷いた。
「誓約違反がある以上、止まります」
「戦時の軍需ですよ?」
担当官が焦って言う。
「例外が――」
「例外は紙で示せ」
エイドリアンが言う。
「示せないなら無いも同然だ」
担当官の指が机を掻く。
紙一枚出せない。
私は最後を言った。
「担当官、あなたは閲覧室の責任者です」
「責任者です」
「誓約違反を放置した」
「放置してない」
「台帳を書き直した」
「そんな――」
「聴取します」
私が言う。
「拒否すれば、職務規程違反です」
沈黙が落ちる。
張り付いていた笑顔があおざめる。
リリィが小さく笑った。
悪意じゃない。安堵の笑みだ。
―― 一瞬。
「ふざけるなーーー!勢いづいているのも今のうちだぞ!」
「衛兵!」短く。決意を込めて。
衛兵が担当官を抑え込み、さるぐつわをかませる。
「今に見ていろ!いまに―――」
―――
夜。
契約庁の小部屋。
会計係の男が椅子の端に座っている。
指先が白い。
私は紙を差し出した。
「証人保護契約」
「……効きますか」
「効かせます。公的契約です」
条項は三つだけ。
居場所の秘匿。
家族への不利益があれば照会。
虚偽は保護の解除。
男は何度も頷いた。
涙は出ない。
出せない顔だ。
「……ありがとうございます」
「礼は要らない」
私は言った。
「生きて、証言して」
救いは完璧じゃない。
彼の恐怖は消えない。
それでも紙は残る。
――廊下に戻ると、また小声が刺さった。
「愛人」
「呪術」
「貴族潰し」
リリィが歯を噛む。
「でも、今日は違う噂も出ますよ」
「何」
「調達局の責任者、担当外されるって。逮捕でもされるのかしら」
私は歩幅を変えなかった。
勝っても、終わらない。
「“線“はまだ残ってるわね」
「はい…」
リリィが頷く。
「命令書の書式、また同じ癖でした。行間が妙に詰まってる」
封蝋の欠け。
書式の癖。
同じ言い回し。
――執務室。
机の上に、封筒が一つ置かれていた。
誰も触っていないはずの場所に。
封蝋は赤い。
欠けも同じ。
私は封を切った。
中身は受領書。
契印つき。
完璧な体裁。
宛名は私。
署名は無い。
代わりに、薄い肩書だけ。
『評議官代理』
ドゥランが覗き込み、黙った。
針も、止まったまま。
リリィが息を呑む。
「……完璧、ですね」
私は一枚を指で押さえた。
契約視が、嫌な滲みを拾う。
完璧だった。
だから……
―――
怖かった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
“噂”は折れました。けれど、相手は次の手を用意していました。
続きが気になったら、ブクマだけでも置いていただけると助かります。




