第6話ーー人事異動で揉み消せると思いました?「検収印封緘」で徹底的に潰します。
いつも読んでくださりありがとうございます。
今回は「調達不正の再発」を、担当替えと手順の穴から潰しに行く回です。
派手な魔法ではなく、手続きと条文で締めます。
それでも、現場が一番痛い。
どうぞ最後まで。
「このあいだの宮廷調達の件だ」
宰相の執務室は静かだった。
紙だけが忙しなく積まれている。
「呼び出し、早いですね」
「早いほうがいい」
エイドリアンは椅子に深く座る。
視線は書類から外れない。
「君が嫌なら断っていい」
冷たい言い方だ。
だが、逃げ道は残してくれる。
「断れば、どうなります?」
「現場が困る」
短く、無駄がない。
私は頷いた。
好き嫌いは後回しでいい。
「引き受けます」
「そうか」
それだけだ。
褒めも慰めもない。
机の端に封緘袋が置かれた。
赤い封蝋。
紋章はない。
それでも重さがある。
「これは?」
「異動命令の写し」
「異動?」
「先方の担当が替わった」
嫌な予感がした。
勝ったはずの場所が、また歪む。
「支払い凍結の直後です。早すぎますね」
「早く動かせるようにしてある」
封緘袋を開く。
中には三枚。
検収担当の交代。
台帳係の交代。
支払担当の交代。
「全部、替えていますね」
エイドリアンは低く言う。
「整えるの、あの手の人は得意だね」
背後からリリィが顔を出した。
軽い口調のままだが、珍しく目が鋭い。
「現場、荒れてます」
「どれくらい?」
「遅延、七日です」
数字が刺さる。
「七日も?」
「はい。前線から怒鳴られました」
エイドリアンが私を見る。
まっすぐな視線。
逃げ道はある。
けれど逃げれば、殴られるのは別の誰かだ。
「現場に行きます」
「許可する」
「護衛はいかがいたしましょうか?」
「不要だ」
冷たい。
だが、守ると決めた顔をしている。
「代わりに命令書を出す」
「どのような命令でしょうか?」
「検収印の封緘」
甘さじゃない。力でもない。
法と手続きで守る。
それが彼のやり方だ。
「ドゥランを呼びます」
「もう呼んだ」
宰相府の廊下は静かだった。
壁の絵がこちらを見下ろす。
誰も余計な声を出さない。
その沈黙が圧になる。
契約庁の部屋に入ると、ドゥランがいた。
机の上に小箱。
印章の保管箱だ。
「お前、早いな」
「宰相命令だ」
彼は箱を指で叩く。
「検収印の貸し出し記録」
「残ってますか?」
「残ってる。“残ってる体裁で”な」
「つまり、書いてあるだけ?」
「そのようだ」
ドゥランは肩をすくめた。
リリィが紙束を抱えている。
「また噂が増えてます!」
「今は後」
「でも、もう現場まで来てますよ」
喉の奥が苦くなる。
世界は冷たい。
噂はもっと冷たい。
「どんな?」
「宰相の愛人だとか」
「呪術で印を操るだとか」
「契約庁が貴族潰しを始めた、って」
三つ並ぶと、偶然に見えなくなる。
「出所は?」
「まだ。でも、言い回しが同じです!」
「同じ?」
「はい。『ご寵愛』って」
私は紙を受け取った。
噂の書き付け。
紙質は安い。
字は妙に整っている。
「現場へ行く」
――工兵詰所は臭かった。
油汗と苛立ち。
「監査官殿!」
男が駆け寄ってくる。
腕に包帯。
目の下が黒い。
「責任者は?」
「俺です。工兵長だ」
言葉が荒い。
今はそのほうが信用できる。
「納品は?」
「遅れてる。七日だ」
「不良は?」
「……混じってる」
工兵長は歯を食いしばりながら、
いらだつように語気を強める。
「三十件のうちで十件もだ!」
「……」
息が止まる。
「十?」
「折れただの。手を切っただの。備品から火花も飛んだ」
「怪我人は」
「部下が二人」
胸の奥が冷えて固まる。
「検収は通ってるはずです」
「通ってる。印が押してある」
工兵長が机を叩いた。
「印があるなら安全だろ、ってな」
「誰に?」
「調達局の新しい担当だ」
新しい。
担当替え。
それに、やり直し。
「印を見せてください」
帳簿の写し。
検収票。
印は確かにある。
形も崩れていない。
契約視を開く。
視界が薄く染まる。
条文の筋が浮く。
……黒い滲み。
契約本文ではない。
運用の傷だ。
「この検収印、貸出番号が飛んでます」
「は?」
工兵長が顔をしかめる。
「印そのものは本物でも、使い方が違う」
「違うって、どう違うんだ、、」
「貸し出し手順を通ってない」
部屋の空気が重くなる。
工兵長の声が沈んだ。
「じゃあ誰が勝手に押した」
「それを、今から潰します」
―――
調達局の窓口は涼しかった。
「監査官殿」
担当官が笑う。
丁寧語なのに、目が冷たい。
「判断が遅いですね」
「遅くしているのは誰です?」
私は紙を差し出した。
「この検収印、貸出番号が欠落しています」
「欠落?」
「台帳に記載がない」
担当官は肩をすくめる。
「台帳係が替わりまして」
「替えたのは誰です?」
「人事です」
逃げる言い方。
悪意の責任を人事へ押し付けようとしている。
「宰相のご寵愛ですか?」
担当官が口角を上げた。
「若い令嬢が、ここまで出世するだなんて」
リリィが小さく息を呑んだ。
私は耳が冷えたままだ。
「契約は契約です」
「え?」
「手順違反です」
「違反だとして、何を」
担当官の声が少し尖る。
「封緘します」
「……何を」
「検収印です」
ドゥランが一歩前に出る。
小箱を開ける。
印章が淡く光った。
「反応値が荒い」
「荒い?」
「押した手が違う。痕が揺れてる」
担当官の喉が動く。
「鑑定官殿、それは――」
「推定だ」
ドゥランはあっさり言い切った。
「だが、手を止めるには足りる」
私は続けた。
「再検査義務条項を適用します」
「再検査?」
「現場で再検収」
「そんな時間は――」
「支払い条件に入っています」
契約書の該当箇所を指す。
「真正が疑われる場合、支払いは保留」
担当官が口を閉じた。
「また支払い凍結を?」
「凍結じゃありません」
「なら?」
「封緘解除まで停止です」
担当官の顔が赤くなる。
「監査官殿、権限の濫用では?」
「権限は契約に書いてあります」
私は紙を軽く叩いた。
「あなたが署名した条文です」
沈黙が落ちた。
その沈黙が、こちらの勝ちだ。
「宰相に確認を」
担当官が言った。
「確認済みだ」
背後から低い声。
エイドリアンが入ってきた。
いつ来た。
足音がなかった。
「命令として出せ」
「はい」
私は即答する。
「検収印を封緘。貸出は二重承認」
「台帳は写しを契約庁へ提出」
「担当は固定。勝手な異動は禁止」
担当官が息を呑む。
「そんな……」
「規定にする」
エイドリアンが短く言った。
「規定?」
「職務分離」
「検収、台帳、支払い」
「今後は同一案件での兼務を禁止とする」
冷たい。
けれど現場は助かるのだろう。
担当官は言い返せない。
契約と規定の前では、声が薄くなる。
「異動命令は?」
私が問う。
エイドリアンは封緘袋を机に置いた。
同じ赤い封蝋。
紋章はない。
「この書式、どこから来た」
声がわずかに硬い。
担当官が目を逸らす。
「上からです」
「誰の“上”だ」
答えない。
答えられない。
私は封蝋を見る。
線が細い。
癖がある。
端が少し欠けている。
見覚えがあった。
噂の紙片と同じ欠け方だ。
「……同じ封蝋ですね」
担当官の肩が跳ねた。
リリィが小声で言う。
「点と点が線のように繋がってきています」
私は頷く。
粘着は同じ手だ。
―――
――その日のうちに再検査が入った。
不良は弾かれた。
代替納品の手配も動いた。
工兵長が頭を下げる。
「助かった」
「まだ終わってません」
「それでも、今日が違う」
救いは少しだけある。
だが、切れた手は元に戻らない。
――夕方。
契約庁に戻ると、机の上に紙があった。
誰も触っていないはずだ。
白い封筒。
赤い封蝋。
端の欠け。
リリィが眉を上げる。
「また来ましたね」
「来たね」
封を切る。
中身は一枚。
短い文。
『監査官エレナ、受領金あり。調査求む。』
賄賂疑惑。
今度は噂じゃない。
紙として置かれる。
視界が真っ白になる。
ドゥランが覗き込む。
「字が綺麗だな」
「綺麗すぎます」
息が薄く漏れた。
エイドリアンが立ち止まる。
「続けるか?」
問いは短い。
私は紙を折る。
「続けます」
「そうか」
彼は机の端に、もう一つ封緘袋を置いた。
赤い封蝋。同じ欠け。
そして、声が落ちる。
「次は――君を潰しに来る」
お読みいただきありがとうございました。
相手も学びます。
次は噂では終わりません。
続きが気になったら、ブックマークで追っていただけると助かります。
評価や感想も、とても励みになります。
次話、いよいよ「賄賂疑惑」の形を整えに来ます。エレナの番です。




