第5話ーー帳簿を綺麗にしただけで逃げ切れると思いました?「支払い凍結」で軍需利権を殴ります。
「不良ゼロ」の帳簿が出てきました。
……なるほど。嘘の形が綺麗ですね。
では、支払いから止めます。
今日もコンプラ重視で殴ります。
呼び出しは短かった。
宰相府の執務室。
机の上に封蝋付きの束がある。
封蝋の色は財務府。
「宮廷調達の件だ」
「監査対象ですか」
「君が嫌なら断っていい」
エイドリアンは淡々と言う。
許可ではなく選択肢だ。
ただ、断れば守れない人が出る。
空気がそう告げている。
「承諾します」
「よし」
「同行は不要です」
「同行する。君に向く矢は私が受ける」
「業務ですか」
「規定だ」
甘さではない。
権限の置き方だ。
それが、この世界で一番強い。
―――
宮廷倉庫は寒かった。
工兵の若い兵が木箱を叩く。
「新型の留め具だとよ。三割、最初から割れてた」
「怪我は?」
「足を挟んだんだってよ。二人」
「修理費は当初の三倍。部材が特注だってさ」
兵の指は包帯だらけだった。
隣の男が吐き捨てる。
「支給が遅れて、作業が止まる。責められるのは俺ら」
「帳簿は」
「綺麗だ。いつもな」
兵が苦く笑う。
「俺らが死んでも、帳簿は綺麗だ」
エレナは写しの契約書を受け取った。
品質基準は一行だけ。
『適切な品質の同等品』
「曖昧ですね」
「だろ? 現場は“適切”じゃない」
怒りは正しい。
でも正しさだけでは勝てない。
だから、条項を探す。
―――
契約庁の小会議室。
リリィが紙を並べる。
目の下に薄い影。
「検収印の角度、全部同じです。百件」
「現場印じゃない。調達局の印です」
「現場の担当印は、そもそも押させてないみたいです」
エレナは契約視を走らせた。
印の縁に黒い滲みが残る。
滲みは“意図”の痕だ。
「検収記録が上書きされています」
「鑑定官が裏を取れますか」
「任せろ」
ドゥランが器具を置いた。
針が震えて止まる。
「二重縫い。書き直しだ。上書きは薄いが、確実にある」
「契印は」
「本物。だから厄介だ。合法に見える」
リリィが悔しそうに言う。
「ズルいです。合法の顔で、人が傷つくだなんて!」
「合法を崩すな。法律で締めるわよ」
エレナは条文をめくる。
必要なところだけ拾う。
「検収は三段階。現場検収、局検収、宮廷検収」
「でも今回、局検収で止めてます」
「止められるように、条項が置かれてる」
エレナの指が止まる。
「第七項、再検査義務」
「“必要と認めた場合”ですね」
「必要を作る」
ドゥランが口を挟む。
「支払いの条件も見ろ。検収完了が前提だ。」
―――
そこへ、扉が小さく鳴った。
青い顔の男が入る。
財務府の下役だ。
足が震えている。
「……ハロルドです。会計係で」
「用件は」
「帳簿の写しです。持ち出したら死罪かもですが、、」
布包みから、擦り切れた写しが出た。
納品数百。
検収合格百。
不良ゼロ。
数字が綺麗すぎる。
現場は三割。
差は嘘だ。
「誰が数字を」
「上司です。命令書が来ました。財務府から」
「見せて」
薄い紙。
封蝋は財務府。
縁に黒い滲みがある。
「検収は調達局に一任。再検査は原則不要。支払いは速やかに……」
「誰の名で」
「……“評議官代理”です。実名はありません」
リリィが拳を握る。
「これ、逃げ道だらけじゃないですか……!」
ハロルドが唇を噛んだ。
「僕、逆らえないんです。家族の医師代で借金があって……誓約を付けられました」
「契印ですか」
「違います。口で。だけど、怖くて。背けば家族が不幸になるって」
エレナは一文だけ思う。
恐怖は、制度より先に人を縛る。
「証人になれますか」
「……なれます。もう、嫌なんです」
「契約で守ります」
ドゥランが低く言う。
「口じゃなく、紙でな」
―――
調達局の応接。
担当官の笑みは薄い。
机は豪奢で、空気だけが柔らかい。
「監査官殿。判断が遅い」
「確認します。検収印を一括処理しましたか」
「効率化です。現場は忙しいでしょう」
担当官は肩をすくめる。
「宰相のご寵愛で、ここまで?」
「契約は契約です」
「法律の話ですか?」
「反証があります」
エレナは短く返す。
詰める時は、温度を落とす。
写しを一枚置く。
印の角度が揃っている。
「百件、同じ角度です」
「偶然でしょう」
「偶然で百件揃いますでしょうか?」
担当官の笑みが僅かに歪む。
「監査官殿。あなたは“判子女”と言われているそうですね」
「噂は今回の話と無関係です」
「宰相の愛人なら、もう少し可愛げを――」
「やめろ」
低い声が割り込む。
エイドリアンだ。
立っているだけで場の権限が変わる。
「その発言は職務妨害に該当する」
「宰相閣下……失礼を」
担当官は慇懃に頭を下げる。
目だけが笑っていない。
エレナは条文を開く。
必要な箇所だけ押さえる。
「第七項目、再検査義務」
「“必要と認めた場合”でしょう?」
「必要です。不良率三割。負傷者二名。修理費三倍。支給遅延」
数字を置く。
現場の声も置く。
「検収合格百で、不良三割。矛盾です」
「現場の扱いが悪いのでは?」
「検収記録が上書きされています」
ドゥランが器具を滑らせる。
「二重縫い。書き直しだ」
「信用できるのですか?」
「契約庁の鑑定だ。信用できないなら公的契約は終わる」
担当官が舌打ちを飲み込む。
「契約は守っている。品質は“適切”だ。基準が曖昧なのは、発注側の責任でしょう」
「だから、支払い条件で締めるべきなのです」
エレナは別条文を示す。
「支払条件条項。検収完了が前提です」
「完了しています」
「していません。検収記録が改ざんされています」
担当官が声を低くする。
「財務府が黙っていませんよ」
「黙らせる必要はない。手続きで動かす」
エイドリアンが淡々と言う。
「再検査を命じる。支払いは凍結」
「しかし契約は――」
「契約だからだ」
エレナが続ける。
「追加条項を付します。代替納品。損害補填。期限は七日」
「七日……?」
「できないなら、違約金条項を適用します。」
担当官の喉が鳴る。
汚い利権は見逃さない。
担当官は立ち上がる。
頭を下げない。
目だけで刺してくる。
「監査官殿。次は、あなたの番かもしれませんね」
―――
倉庫に戻ると、兵が息を吐いた。
「止まったのか」
「止めた。支払い凍結。再検査。代替納品も入ります」
「助かる。けど、怪我した足は戻らねぇ」
「戻らない。でももう増やさないです」
兵が短く笑い、頭を下げる。
荒い笑い。
でも、救いの音だ。
―――
夜。
契約庁の小部屋。
ハロルドが椅子の端に座っている。
指先が白い。
「僕、帰れません。家が……見張られてます」
「想定内です」
エレナは新しい契約書を差し出した。
「証人保護契約です」
「……そんなもの、効くんですか」
「公的契約です。破れば罰則の呪印が走ります」
ハロルドの喉が鳴る。
「条項は三つ」
「三つ……」
「第一。居場所の秘匿。漏洩者は公的契約停止」
「第二。家族への不利益誘導があれば、命令系統を照会する」
「第三。あなたは嘘をつかない。隠すなら保護は消える」
ハロルドは唇を噛んで頷いた。
「……嘘はついてないです」
「契約視で確認します」
エレナが指を添える。
黒い滲みは薄い。
糸が切れる音はしない。
「合格です」
「……ありがとうございます」
救いは完璧ではない。
彼の恐怖は消えない。
だが手続きは残る。
―――
宰相府の廊下。
すれ違う職員が一瞬だけ視線を避けた。
小声が背中に刺さる。
「宰相の愛人だろ…」
「呪術だって…」
「貴族潰しのエレナだ…」
「文官の分際で…」
リリィが歯を噛む。
「出所、財務府です。会合で“危険分子”って。代理が言ってました」
「代理」
「名は出さない。でも封蝋の色が同じでした。今日の命令書と」
「同じ派閥だね」
「はい。線です。点じゃないく、すでにつながっているようです」
エレナは歩幅を変えない。
慣れたくはない。
でも折れない。
「長期戦になります」
「……勝てますか」
「勝ちます。戦争が終わったこの国で、法律でぶん殴りますわ」
―――
執務室。
エイドリアンが封筒を一つ出す。
濃い財務府の封蝋。
「次はもっと大きい。続けるか?」
「続けます」
エイドリアンは目だけ動かす。
「君が倒れれば、代わりはいない」
「倒れません」
「倒れる前に、私が手を打つ」
エレナは封筒を受け取った。
契約視が、嫌な滲みを拾う。
支払指図書の宛先。
『契約庁監査官 エレナ・ヴァルシュタイン』
下に、小さな署名。
財務府評議官代理。
さらに横に、細い印。
――次の標的は、私だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
封蝋の色は同じで、次は手口が変わります。
また、今までは不正を見つけ裁いてきましたが、今後は主人公に手が伸び始めます。
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