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第4話ーー噂を流しただけで潰せると思いました?陰湿貴婦人を法律で黙らせます。

※軽いお仕事回+ちょい恋愛回です。

噂で潰そうとする相手には、感情ではなく“法律”で殴り。

そして形式婚約の条項を直したら、宰相が……(察してください)。

今日も淡々と、コンプラ重視でいきます

 噂は、紙より早く回る。

 夕刻の回廊で、エレナ・ヴァルシュタインは二つの笑い声を聞いた。


「あれが例の……宰相の」

「愛人、ですって。まあ」


 口元だけを扇で隠して、貴婦人たちは通り過ぎる。

 視線は刺す。けれど足は止まらない。


 泣けば負ける。

 怒れば狂人。

 黙れば有罪。


 前世でも、同じ形で潰された。

 だから――確認して、塞ぐ。



 契約庁の執務室へ入ると、紙の匂いが戻ってきた。

 墨と皮紙、封蝋。ここだけが、空気の温度を一定に保っている。


「監査官さま!」


 若い書記官が、机の上の書類を抱えて飛び込んでくる。

 栗色の髪を後ろで束ねたリリィ・ノーラン。瞳だけが妙に元気だ。


「噂、聞きました? いや、聞かないほうがいいやつですけど!」

「聞きました。要点は三つでしょう。『愛人』『呪術』『独裁』」

「まとめ方が冷静すぎる……」


 リリィが肩を落とした瞬間、扉の向こうから低い声がした。


「入れ」


 宰相エイドリアン・ルーヴェル。

 扉を開けた男は、いつも通り温度のない顔で、机の上に一枚の契約書を置いた。


「形式婚約の契約書だ。改訂する」

「承知しました」


 エレナは椅子に座り、紙面を指でなぞる。

 文字が、ほんのわずかに滲んだ。


 契約視。


 歪みが、黒い染みのように浮く。

 濃いのは――末尾の条項。


『監査官は、契約庁の秘密を守るためならば、宰相の命令に従う』


 胸の奥で、古い痛みが薄く鳴る。

 命令。従属。例外なし。

 前世で、どれだけその言葉に焼かれたか。


「ここです。危険です」

「分かっている」


 エイドリアンは短く言った。

 分かっていて、残した。

 守るための危険。彼の合理は、時に刃だ。

 エレナは息を吸い、ペンを取った。


「要点は三つに絞ります。長くすると、抜け道が増えます」

「言え」


「一つ。『命令』を『合意』に変えます。意思表示がなければ成立しない」

「妥当」


「二つ。拒否できる例外を列挙します。“生命・身体に危険がある場合”“違法行為を伴う場合”“証拠保全が不能になる場合”」

「……良い」


「三つ。合意の記録を残します。口頭は争点になります。議事録、あるいは契印つきの追記欄」


 リリィが隣で小さく拍手した。


「かっこいい……条項で殴ってる……」

「静かに」


 エイドリアンの一言で、拍手は止まる。

 だが止めた本人の耳が、ほんの少し赤い。

 エレナは気づいたが、気づかないふりをした。


 追記を終えて契印欄を見たとき、別の滲みが目に入った。

 黒ではない。淡い光の筋。守りの条項。


 居住。

 護衛。

 名誉保全。

 費用負担――宰相府側。


 それらは、契約の本文にさりげなく編み込まれていた。

 まるで、最初から当然の規定であるかのように。


「……これは?」

「必要だ」

「必要、で片づけるには、過剰です」


 エレナが指で示す。


「監査官の居住は宰相府内の保護区画。外出時は護衛二名。『監査官に対する虚偽の流言は契約妨害として差し止め対象』。さらに、『差し止めに要する費用は宰相府が負担』」


 リリィが口を押えた。


「閣下、これ……」

「規定だ」


 エイドリアンの声は低温のまま。

 だが、視線が一瞬だけ宙をさまよい、戻る。

 頬のあたりに、熱が上がったのが分かった。


 普段は冷徹な表情が、赤らんでいる。


 台詞で言う必要はない。顔が証拠だ。

 執務室を出る直前、エレナはもう一度だけ契約書を見返した。

 文字の端が、かすかに揺れる。


 万能ではない。

 相手が契約を持たなければ、見えるものは減る。

 だからこそ、持たせる。縛る。残す。


「監査官さま、その……閣下、耳、赤かったですよね?」

「見えたんですか」

「見えましたよ! あれ、反則です。冷たい顔で守るのに、照れるとか」

「業務に集中してください」

「はーい。……閣下、照れるなら、照れるって言えばいいのに」


 エイドリアンは一度だけリリィを見た。

 何も言わない。

 だが視線だけで、リリィが背筋を正した。


「……異動は、嫌です。黙ります」


 小さな敗北に、エレナは口元だけで笑った。

 エレナは淡々と、最後に刺す。


「確認します。噂が回った瞬間に、この条項を発動できるように入れたんですね」

「……必要だ」

「はい。必要です。合理的です」


 リリィが震え声で言った。


「いや、合理っていうか……ほぼ、独占欲……」

「リリィ」

「す、すみません!」


 エイドリアンは咳払い一つしない。

 代わりに、机上の封緘箱を指で叩いた。


「来ている。『婚約無効の申立て』だ」

「もう動いたんですか」

「元婚約者派は早い。噂は布石。次は制度で来る」


 封を切ると、教会の紋章が押された書面が出てきた。


 『形式婚約の成立要件に関する照会』。


 婉曲な言葉で、要点は一つ。

 ――祝福登録がない婚約は、無効と見なされ得る。

 エレナは紙を読み終え、目を上げた。


「狙いは、契印ではなく“儀礼”ですね」

「そうだ。こちらの契約は正しい。だから、別の要件を突く」

「なら、こちらも条項で固めます」


 エレナは契約書の余白に、新しい項目を走り書きする。


「婚約の成立要件――登録、立会人、儀礼。必要なものは全部、契約庁側で手配する。期限も切る。『未実施の場合は自動的に延期ではなく、実施までの保護効力は継続』……これで“無効”の穴は塞げます」

「手配は私がする」

「合意です。命令ではない」


 昨日の言葉が、今日も彼の口から出る。

 リリィが小さく笑った。


「それ、二人の合言葉みたいになってません?」

「業務用語です」

「業務用語が、甘い……」


 エレナは立ち上がった。


「では、まず名誉保全条項を使います。噂の源を止めます」

「どこだ」

「サロン。ここ二日で同じ文言が三つの家に流れています。発信源は一つです」

「根拠は」

「リリィの耳」

「任せてください! 噂は契約よりも正確に流れるんで!」


 ―――


 貴婦人のサロンは、香水と笑い声で満ちていた。

 エレナが扉を開けた瞬間、会話が一拍遅れて止まる。


 期待の視線。

 好奇の視線。

 そして、侮蔑。


「まあ。噂の――」


 言い終える前に、エレナは封筒を机に置いた。

 宰相府の封蝋。

 それだけで、空気が冷える。


「確認します。『宰相の愛人が呪術で契約庁を操っている』――この流言を、あなた方は流しましたか」

「何の話かしら」


 サロンの主がわざとらしくせせら笑う。

 否認。いつも通り。

 エレナは頷いた。


「では、ここで終わりです。名誉毀損の是非ではなく、債務履行妨害です」


 書面を開く。

 改訂したばかりの条項の写し。

 条文は長く読まない。要点だけ。


「監査官に対する虚偽の流言は、監査の中立性を害し、契約庁業務を妨害します。差し止め対象です。撤回し、同等の範囲に訂正を流してください。期限は今日中」

「そんな横暴――」

「横暴ではありません。契約です」


 扉が開く。


「規定だ」


 エイドリアンが入ってきた。

 護衛は最小限。声も低い。

 だが空気だけが一段落ちる。

 サロンの主の顔が引きつる。


「宰相閣下……! これは誤解で……」

「誤解なら、訂正すればいい。拒否するなら、君の家の公的契約を停止する。理由は“業務妨害”だ」

「そ、そんな……」


 エレナは淡々と補足する。


「確認します。停止されるのは、あなたの家の調達契約と、教会への寄進契約です。公的な信用が落ちます。噂より、重いです」

「……っ」


 サロンの主は唇を噛み、震える手で羽ペンを取った。


「訂正文を……書けばいいのね……」

「はい。『監査官は契約に基づき職務を遂行している』。それだけでいい」


 書き終えた紙に、主は自分の家の印章を押す。

 契印ではない。だが社交界では、印章は契約に近い。

 エレナの目に、黒い滲みが薄くなる。


 糸が切れる音が止む。

 小さな成果。

 剣も魔法もいらない。

 紙一枚で、人の喉元は塞げる。


 ―――


 帰りの馬車で、リリィが息を吐いた。


「スカッとしました……! でも、絶対、恨まれますよね?」

「恨まれるのは予定通りです」

「予定通りって言い切るの、強すぎる……」

「敵は、動く前提で組むものです」


 エイドリアンが隣で、窓の外を見たまま言った。


「君の名誉は、私の契約でもある」

「……確認します。それは業務ですか」

「規定だ」


 まただ。

 同じ言葉。

 同じ温度。

 なのに、胸の奥だけが熱くなる。


 ―――


 宰相府に戻ると、受付に新しい封筒が届いていた。

 教会の紋章。今度は照会ではない。


 『婚約無効の正式申立て』


 エレナは封を切り、読み、静かに息を吐いた。

 相手は、教会ではない。

 教会を使っている。


 申立人の欄に、見慣れた名があった。

 クラウス・エーベルハルト。

 エレナは紙を折り、机に置いた。


「次は“無効”を狙ってきます」

「そうだ」

「なら――私は“有効”を、条項で確定させます」



読んでいただきありがとうございます!

第4話は「契約更新=守りの強化」と「噂ざまぁ」の回でした。

次はついに、“婚約無効”を正式に仕掛けてきます。

もちろん、こちらも条項で確定させにいきます。

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