表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/15

第13話——供給が遅い? なら「預託庫留保」で金の行き先だけ縛ります。

甘い言葉はない。

でも、エレナの盾だけは落とさない。

今日の会議、監査官の席は――作らせる。


今日もコンプラ重視でボコります^^

 宰相府の廊下は、静かすぎた。

 足音が吸われるほどの静けさが、胸の内側だけを騒がせる。

 扉の前で、リリィが小さく息を吸った。


「……今日、調達会議ですよね」

「そう」


 エレナは頷いた。

 呼び出し状が回ってきたのは昨夜。差出人は調達局。名目は――


『戦況下における供給遅延の責任確認』


 責任。

 言葉が先に殴ってくる。拳より早い。

 扉が開く。


 執務室の奥に、エイドリアンが立っていた。

 机の上に置かれている命令書が二枚。

 赤い封印は宰相府のものだ。


「会議に出る」


 短い声。命令に近い。


「監査官の席を作る」

「……ありがとうございます」


 エレナが頭を下げると、エイドリアンは視線を落としたまま紙を一枚、指で押した。


「守りが要る」


 紙の上を指が滑る。


「会議出席の権限。閲覧権。護衛」


 淡々としている。

 甘い言葉はない。だが、盾だけは落とさない。


 エレナが命令書を受け取ろうとした、その瞬間。

 エイドリアンの視線が、エレナの指先で止まった。


「指が冷えている」

「問題ありません」

「無理はするな」


 短く切られる。

 言い返す余地がない類の断言だった。


 彼は机の端にあった小瓶を押しやった。薬ではない。

 濃い蜂蜜と、生姜の液。咳止めに使う類の、喉を守るもの。


「喉を潰すな」

「……」


 そこまで言い切って、彼はもう見ない。

 “優しさ”を自分で認めるくらいなら、合理の鎧を着る男だ。


 横でリリィが口元を押さえた。

 笑いを堪えている。

 執務室を出てから、リリィが小声で言った。


「宰相様のやさしさにそろそろ報いてあげたらどうですか?」

「違う」


 エレナが返すより早く、背後から声が落ちた。

 振り返る間もない。


「業務の品質だ」


 エイドリアンは振り返らない。声だけが冷たく、確かに届く。

 リリィが肩を揺らす。


「はいはい、品質。……でも、ニヤッとはします」


 エレナは何も言わなかった。

 言えば負ける気がした。こういう負けは、あとで効く。


 ――調達会議室。


 長机が並び、各局の印章箱が等間隔に置かれている。

 空気が硬い。視線が多い。


 いつもの役所の冷たさと違う。

 ここには、もっと生々しいものが混じっている。


「物流が止まる」恐怖。


 止まれば、前線で人が死ぬ。

 書類の角より、包帯の欠乏のほうが痛い。


 中央に座る女性が手を上げた。

 深い紺の衣。

 肩章に公爵家の紋。


「セレス・ヴァロア」


 名乗りは短い。


「調達実務の責任者。議長を務める」


 女公爵セレス。

 噂で聞いていた。冷徹、合理。


 ただし、悪意で遊ぶタイプではない。

 仕事で殴るタイプ。


 それが逆に怖い。“正しい顔”で殴られるからだ。

 セレスの視線がエレナを刺す。


「宰相府の監査官。来たか」

「エレナです」


 エレナは礼をする。


「本件、監査の立場から――」

「言い訳は要らない」


 セレスが遮った。


「説明だけだ」


 机の端で、男が薄く笑った。

 財務府の色を纏う実務役。

 仕立てが良すぎる服。

 この場に似合わない余裕がある。


「ラウルと申します」


 男は丁寧に名乗った。


「財務府として、支払いの安全性を担保する役目です」


 安全性。

 その言葉はいつも、正義の形をして殴りに来る。

 セレスが議事を進める。


「結論から言う。供給が遅れている」

「遅れていません」


 エレナの頭に現場の報告が走る。

 今日、物は動いている。

 止めた命令は出していない。


「少なくとも、止めた命令は出ていません」


 ラウルが紙束を揃えた。

 指先の動きが、やけに上品だ。


「命令は、出ていない。ええ。そこは理解します」


 丁寧すぎる声。

 丁寧なほど、毒が混ざる。


「しかし、現場は動けない」


 ラウルは続けた。


「監査が入ると聞けば、誰も署名しない。誰も判を押さない」


 ――一往復目。


 責任の矢を、こちらに向ける投げ方。


「責任回避です」


 エレナが即座に返す。


「それは監査のせいではありません。署名しないのは、責任を負いたくないからです」


 セレスが机を一度、叩いた。軽い音。

 なのに全員が黙る。音が“議決”になる女だ。


「監査官」


 セレスの声は低い。


「責任回避でも何でもいい。物が止まれば、前線が死ぬ」


 ラウルが口角を上げた。


「正義面で申し訳ないが、これが現実です」


 正義面。

 自分で言ってしまうあたり、相手は“殴り方”を理解している。

 セレスが紙を一枚掲げた。


「本日正午までに、支払い指図を通せ」


 正午。

 数字が落ちた瞬間、室内がざわめいた。

 包帯一束、薬瓶数本――そんな不足が、正午の向こうにぶら下がっている。

 エレナは呼吸を整える。


「支払いを通すには、検収の裏付けが要ります」

「それが遅い」


 セレスは即答した。


「だから呼んだ」


 ラウルが、わざとらしく首を傾げる。


「命令書一枚で、人は安心すると思いますか?」


 軽い問い。しかし針だ。

 “紙の力”を笑うのは政治。ここで笑われるのは宰相府だ。


 ――二往復目。


 紙の価値を腐らせて、こちらの権限を無力化する。

 エレナは一拍置いた。


「安心の話ではありません」

「では何の話です?」

「責任の話です」


 セレスが目を細めた。


「責任を取るのは誰だ」

「不正を通した者です」

「理想論だ」


 セレスが言った。


「現実は、供給を止めた者が叩かれる」


 ラウルがわずかに身を乗り出す。


「監査官殿。あなたが“止めた”と見える。だから皆が引く」

「止めていません」


 エレナは短く返す。


「確認しているだけです」

「確認が遅い」


 ラウルは笑う。


「結果として遅れる。これが民の目ですよ」


 民の目。

 その言葉で“前線”と“正義”を味方にしてくる。

 だが今日は現場ではない。会議だ。殴り返し方も変える。


 エレナは命令書の一枚を机に置いた。

 赤い封印が、場の空気を一段冷やす。


「方針を言います」


 視線が集まる。

 エレナは言い切った。


「止めているのは物ではありません。支払いです」


 沈黙が落ちた。

 セレスの眉が僅かに動く。

 ラウルの笑みが、止まる。


「支払いを止める?」


 セレスが聞く。


「それこそ供給が止まるでは…」

「止まりません」


 エレナは言葉を割る。


「流れ先を変えています」


 ラウルの目が泳いだ。


「……どういう意味です」

「支払いは出します」


 エレナは迷わず言った。


「ただし、相手に直接渡しません」


 セレスが腕を組む。


「第三者預かりか」

「預託庫です」


 エレナは頷く。


「王立預託庫に留保。検収が通った分だけ、段階的に解放します」


 ――三往復目。


 “止める”ではなく“縛る”。

 供給の命綱を守りながら、不正の喉だけを締める。

 ラウルが紙を握った。指の関節が白くなる。


「そんな手続き、調達局の権限では――」

「宰相府の監査命令なら可能です」


 エレナは命令書を押す。


「会議出席権限と一緒に付与されています」


 セレスが、エレナの紙を一瞥する。

 目が速い。

 読むのも速い。


「……宰相は通したのか」

「通しています」


 エレナが答える。

 ラウルが口を開きかけ、止まった。

 喉が鳴る。


 言い返す言葉を探して、見つからない顔だ。

 セレスが問う。


「供給側は納得するか?」

「納得させます」


 エレナは即答した。


「金が消えないなら、物は動きます。請負側が止めるなら、止めた側の責任になります」


 ラウルが歯を見せた。


「脅しですか」

「整理です」


 エレナは冷たく言う。


「誰が止めたか、議事録に残します」


 セレスが机を叩いた。さっきより強い音。

 勝利に、小さな音が入った。


「良い。供給は守れ」

「守ります」


 ラウルがなおも粘る。顔は余裕を装うが、言葉が細くなる。


「正午までに回すなら、検収の裏付けは?」

「二重検収にします」


 エレナが言う。


「現場の印だけでは通しません。調達局の確認印を追加」

「遅くなる」


 ラウルが言った。


「結局――」

「遅くしません」


 エレナは切った。


「検収は増やす。支払いは分割する。物は止めない」


 セレスが、そこで初めて小さく息を吐いた。


「筋は通る」


 短い評価。だが重い。

 ――“合理の壁”が、こちらを認めた瞬間だった。

 ラウルが唇を噛む。


 紙を握り潰しかけて、指を離す。

 悔しさが露骨に出るタイプだ。ありがたい。


「……財務府としては、前例が」

「前例は作ります」


 セレスが言った。

 ラウルが固まる。

 女公爵は敵ではない。ただ責任の化身だ。


 そこに味方に回られると、相手は苦しい。


 その時。

 後ろの席でドゥランが小さく咳払いした。

 存在感が薄いのに、言葉だけが刺さる。


「添付書式」


 ドゥランがラウルの資料を指した。


「妙だ」

「妙?」


 リリィが身を乗り出す。

 ドゥランはページを一枚めくった。


「筆跡じゃない。癖だ」


 エレナも覗く。

 条項番号。挿入されている定型句。

 役所の文書には不似合いな一行が混じっている。

 祝詞のように整った言い回し。

 教会の書面で見た語順に、似ている。


 ラウルの頬が引きつった。


「形式的な飾りです」

「飾りが要る書類なんてあるのでしょうか?」


 ドゥランが返す。

 セレスがその一行を見て、眉を寄せた。


「……誰が入れた」


 ラウルが即答しかけ、止まった。

 目が揺れる。喉がまた鳴る。


「財務府の定型です」


 ようやく出た言葉は、遅い。

 遅い否定は、否定にならない。

 エレナはその一行を指でなぞった。


 同じ匂い。

 同じ手。


 黒幕本人の顔は見えない。だが線だけが太くなる。

 セレスが言った。


「この場で追及はしない。だが記録に残す」


 ラウルの肩が僅かに跳ねた。

 エレナは命令書を取り上げる。


「支払い留保。預託庫への移管。分割解放。二重検収」


 短く読み上げる。


「監査命令として、発行します」


 その時、会議室の入口から声が落ちた。

 いつ入ったのか、誰も気づいていない。空気が一段、冷える。


「監査命令として出せ」


 エイドリアンだった。援護はいつも短い。

 だが効く。言葉が“楔”になる。

 セレスが頷く。


「議決。通す」


 ラウルが口を開く。

 言葉が出ない。

 拳を握り、紙の端がくしゃりと鳴った。


「……こんな……」


 やっと漏れた声は、薄かった。

 薄いほど、悔しさが濃い。

 会議が散る。

 廊下に出た瞬間、リリィが深く息を吐いた。


「うわ、胃が痛い」

「まだ終わっていない」


 エレナが言う。

 勝ったのは“今日の供給”だけだ。

 敵は、学ぶ。

 背後から足音が近づき、セレスが追いついてきた。


「監査官」

「はい」

「供給が止まれば、次はあなたを守れない」


 脅しではない。責任の宣告だ。


「承知しています」


 エレナは答える。


「だから、物は止めません。金の行き先だけを縛ります」


 セレスが一度だけ口角を上げた。

 笑みではない。評価の印だ。


「その言い方、覚えておく」


 去り際、セレスがぽつりと言った。


「だが、向こうは“例外”を持っている」


 例外。

 耳に残る。刺さり直す。

 戦時例外。


 それを使われれば、手続きは飛ぶ。

 正面から殴られる。

 エレナは足を止めた。


 廊下の奥で、ラウルが誰かに書面を渡していた。

 見えない顔。見えない印。


 だが――紙の折り目の癖が、同じだった。

 ドゥランが低く言う。


「次は、規則じゃ止まらない」


 リリィが顔をしかめる。


「え、なにそれ。嫌な予告」


 エレナは命令書を胸に押さえた。

 今日、守ったのは供給だ。


 だが守り切ったわけではない。

 相手の刃は、もう別の形をしている。


 次は契約じゃない。

 例外で殺しに来る。


 そんな確信があった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

第13話は「供給は守る、金の行き先だけ縛る」で一度“勝ち”を取りにいく回でした。

ただ――セレスが言った通り、向こうは戦時例外という別の刃を持っています。

次回は、規則が効かない場所から殴られます。

「この先どう返すのか」を見届けたい方は、更新の見落とし防止にブックマークだけ置いていってもらえると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ