第12話――教会の内規ができない? 命令書で“閲覧権”を取ります。
教会が次に出してきたのは、誓約そのものを量産する“鋳型”。
口を塞ぐだけでは終わらせない――そんな空気で始まります。
今日もコンプラ重視でボコります^^
宰相府の廊下は、いつもより静かだった。
足音が吸われる。
扉の前で、リリィが肩をすくめる。
「また教会? 最近、胃が縮みっぱなしなんですけど」
エレナは扉を叩いた。
返事は短い。
「入れ」
執務室。
窓際に立つエイドリアンは、書類を一枚だけ差し出した。
封は切られている。中身を隠す気はない。
「教会が、次を出した」
「次、とは」
「誓約の鋳型。定型文だ。署名者を選ばない」
リリィが眉をひそめる。
「鋳型って……押し花みたいに、同じ形を量産するやつ?」
「似ている」
エイドリアンは肯定も否定もしない。
「一度作れば、同じ誓約を大量に出せる」
エレナは紙面に目を落とす。
文言は整いすぎていた。
綺麗な言葉ほど、刃になる。
「監査の権限は」
「面会。閲覧。教会の保管庫まで」
エイドリアンが淡々と言う。
「護衛も付ける。拒めば、命令書を出すだけだ」
甘さはない。
だが盾は厚い。
リリィが小声で呟いた。
「……今の、冷たいのに助かるやつ」
エイドリアンは聞こえないふりをした。
視線だけが、エレナに向く。
「今日中だ」
数字は一つだけ落ちた。
「今夜、証人を聖堂へ移す手続きが走る」
「移送の名目は?」
エレナが確認する。
「聖堂での再誓約」
エイドリアンが答える。
「鋳型に押し直す。口だけでなく、手も縛る」
リリィが顔をしかめた。
「喋れないだけでも地獄なのに、まだ上乗せ?」
ドゥランが短く言う。
「上乗せされるほど、外から触れない」
「移されたら」
リリィが喉を鳴らす。
「もう、会えないんですか?」
「会えても、話せない」
エレナが答える。
「誓約の形が変わる」
ドゥランが壁際から出てきた。
「鋳型は便利だ」
彼は紙の端を指で弾く。
「便利なものほど、運用が荒れる。荒れた所が穴になる」
エレナは頷いた。
否定で勝てる相手ではない。
崩すのは、手順のほつれだ。
――教会区画。
門の前で空気が変わった。
石畳は乾いているからか、喉が渇く。
迎えたのは、白い襟の書記だった。
年は若い。目だけが固い。
「契約庁監査官、エレナ殿」
名乗りは丁寧。
しかし視線は、護衛へ滑って戻らない。
「面会と閲覧を求めます」
エレナが命令書を示す。
書記の口角が僅かに動いた。
笑いではない。苛立ちを飲み込む形だ。
「教会は協力する。だが、範囲は教会が決める」
「決めるのは命令書だ」
リリィが言い返した。
「見せるって書いてありますが?」
書記はリリィを見ない。
エレナだけを見る。
「鋳型は神の道具だ。外の制度で測るのは不敬だ」
「不敬かどうかは関係ない」
エレナは声を落とした。
「運用が人の手で回るなら、監査対象になる」
沈黙が挟まった。
書記は一拍遅れて、頷いた。
「ついて来てください」
通されたのは、誓約係の執務室だった。
机は磨かれ、紙が積まれ、蝋が並ぶ。
整いすぎている。
壁際に、証人が座らされていた。
会計係の男だ。
手首に白い紐が巻かれている。
ほどけない結びだ。
「……声、出せますか?」
リリィが屈み込む。
男の唇が動く。
音にならない。
喉が痙攣したように震え、目尻が濡れた。
次の瞬間、指が勝手に握り込まれた。
痛みを噛む動きだ。
「喋ろうとしただけで、こうなる」
書記が平然と言う。
「神の前で結ばれた誓約です」
エレナは男の手元を見る。
紐の結び目に、蝋の小さな欠けが付いていた。
「誰が結んだ」
「誓約係が」
「名前は」
「必要ない」
書記の返しは早い。
早すぎる否定は、ほころびになる。
リリィが歯を噛んだ。
「必要ないって……人の口を縛っておいて」
エレナは男の視線を受け止めた。
言葉が出ない代わりに、瞳が訴えてくる。
軽い問いが、胸の奥で跳ねた。
――沈黙で生き延びるか。痛みを抱えてでも守るか。
答えは、他人に強いられるものではない。
「誓約の文面を見せてください」
エレナが言う。
書記は机の引き出しから紙を取り出した。
それは一枚ではない。
同じ書式が、束で揃っていた。
「これが鋳型です」
誇らしげでもなく、当然のように言う。
「この束、全部同じですか?」
リリィが囁く。
「人が違っても?」
「神の前では同じだ」
ドゥランが紙に顔を近づけた。
触れない。見るだけだ。
「定型は強い」
彼はぽつりと言う。
エレナは文言を追った。
“真実を歪めぬこと”“命により口を閉ざすこと”
そして一文だけ、異様に広い。
――教会の秩序を乱す行為を一切口外せぬ。
「範囲が広いです」
エレナが言った。
書記の眉が動く。
「教会の秩序は、民の平穏だ」
「秩序の名で、何でも縛れる」
リリィが吐き捨てる。
「それ、便利すぎません?」
書記が初めてリリィを見た。
目が細くなる。
だが言い返す前に、エレナが遮った。
「否定で争う気はない」
「では、何を」
「運用を確かめる」
エレナは紙を置いた。
「鋳型の保管番号。台帳。担当線。全部」
書記の喉が一度鳴った。
小さい音だ。
悔しさを隠す体の反応。
「台帳は教会の内規だ」
「内規でも、記録は残る」
エレナは命令書を示した。
「閲覧権がある」
「……時間がない」
書記が言った。
「今夜、移送が走る。手続きはもう」
「だから急ぐ」
エレナは短く切った。
「案内して」
誓約庫は、地下にあった。
鍵守は鍵束を持ち上げた。
音が鳴らないよう、布で巻かれている。
「この扉、誰が開けられる」
エレナが問う。
鍵守の喉が動いた。
声が出ない。
唇だけが、短く形を作る。
――言えない。
書記が代わりに言った。
「鍵守も誓約を結んでいる。口外は禁じられている」
「口外の範囲は?」
エレナが聞く。
「神の前だ」
短い返答。
それがいちばん怖い。
階段を降りるほど、空気が冷える。
扉は二重。鍵は三つ。
鍵守が無言で回し、最後に書記が札を見せて開けた。
中に並ぶのは、小箱と束と板。
鋳型は、板の形で保管されていた。
「これです」
書記が一枚の板を示す。
木ではない。石でもない。金属に近い光だ。
板の端に刻印がある。
番号。
そして封蝋。
エレナは封蝋の欠けを見た。
欠けの形が、どこか歪だ。
「台帳は」
「こちら」
書記が厚い帳面を出す。
ページの端は、揃っていない。
触れた者の癖が残る。
エレナは、鋳型番号を口にした。
「これの貸出記録は」
書記の指が止まる。
止まり方が不自然だ。
探しているふりをして、探していない。
「……ここに」
彼は別のページを開いた。
開く速さが、急いでいる者の速さだった。
ドゥランが小さく首を傾げる。
「そのページ、紙が新しい」
書記が顔を上げる。
「教会は保存が良い」
「保存が良いなら、封蝋も整うはずだ」
ドゥランが言った。
「だが、欠けが違う」
エレナは封蝋を指さした。
「鋳型の封。欠けが二段だ。教会の封は一段のはず」
リリィが目を丸くした。
「え、欠けって……毎回同じなんですか?」
「同じにしているようね」
前世で公文書詐欺を行っていたものたちと同じ手口。
エレナが答える。
「保管鎖を守るため」
書記の唇が薄くなる。
反論の言葉が出ない。
喉だけが動く。
「台帳の記載順も崩れている」
エレナはページを一つ戻した。
「本来、鋳型の出入りは番号順に記す。ここだけ逆だ」
「そんな細部で」
書記がやっと声を絞った。
「神の誓約を止める気か」
「止めるのは偽の運用だ」
エレナの声が冷える。
「神を盾に、人が好きにするのを止める」
書記が台帳を握った。
指が白くなる。
紙を握り潰したい衝動を、爪が堪えている。
エイドリアンが一歩前に出た。
いつの間に合流したのか、気配が薄い。
「監査命令として出せ」
一言だけ。
その瞬間、空気が固まった。
宰相の言葉は、教会でも軽くはない。
エレナは命令書に追記した。
鋳型の保全。
誓約の新規発行の一時停止。
当該証人の移送手続きの凍結。
書記の顔が歪む。
「教会の務めを止めるつもりか!」
「止めるのは、この鋳型だけ」
エレナが淡々と言う。
「台帳に残らない運用は、危険です」
「台帳に残っている!」
書記が叫びかけ、言葉が詰まった。
先ほど開いたページを、自分で信用できない顔になる。
ドゥランが静かに畳みかけた。
「台帳に残すなら、なぜ封蝋が違う。なぜ紙が新しい。なぜ記載順が逆だ」
書記の目が泳いだ。
喉が鳴る。
言い返す言葉が、どれも刃になる。
「……教会は」
彼は絞り出す。
「教会は、戦時の例外を」
一度だけ、戦時が出た。
エレナはその単語を逃さない。
「例外の札が付くなら、なおさら記録が要るものでは?」
エレナは即答した。
「例外は、乱用される」
書記の肩が落ちた。
負けたと理解した体の動きだ。
それでも目は死なない。
次を探している目だ。
――地上に戻る。
証人は護衛に挟まれ、教会の部屋から離された。
口は縛られたままだ。
だが移送は止まった。
リリィが息を吐く。
「止めた……止めたけど、気持ち悪い」
「まだまだこれからのようね」
エレナが言う。
「鋳型一つを押さえただけ」
ドゥランが振り返った。
地下への扉を見下ろす。
「鋳型は一つではない」
声が低い。
「台帳に残らない線が、複数ある」
エイドリアンが窓のない廊下を見た。
視線が冷たく研がれる。
「担当線の名を掴め」
命令は短い。
「今夜中に」
エレナは頷いた。
救いは作れた。
だが刃は、形を変えて増えている。
扉の向こうで、蝋が乾く音がした気がした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
鋳型を押さえて一息――のはずが、まだ“担当線”が残っています。
更新するかどうかはブクマで決めておりますので、面白かったらぜひお願いします!^^




