第11話――神を盾にするなら、記録簿も出せますよね。
教会から「聖誓で真実扱いにする」という通達が来ました。
制度が効きにくい場所で、エレナは“否定”ではなく“手順の穴”で止めにいきます。
今日もコンプラ重視でボコります
「来い」
エイドリアンが言った。
宰相府の執務室。窓は閉じ、灯りが低い。机の上に封書が一つ置かれている。白い紙に、教会の封蝋。欠けが妙に整っていた。
「教会から通達だ」
エイドリアンは封を切らない。エレナに滑らせる。
「内容は」
「“聖誓により、証言は不要。聖誓の結果をもって真実とする”」
リリィが目を丸くした。
「なにそれ。黙らせたまま裁けるって言ってる?」
「言い方は丁寧だ」
エイドリアンの声は低い。
「やることは同じだ」
エレナは封書を開いた。中は短い。命令ではなく“お伺い”の形。だが結論だけは固い。
「証人の会計係を、教会へ引き渡せ」
その一行が、刃だった。
「期限は?」
エイドリアンが聞く。
「明日正午まで」
リリィが紙の隅を見て言った。
笑いが出ない。数字が一つ、胸に沈む。
「……明日」
エレナが呟くと、エイドリアンが椅子にもたれた。
「嫌なら引け」
冷たく言う。逃げ道を提示する声だ。
「だが引けば、契約庁が折れる。教会が“監査官は邪魔”と学ぶ」
エレナは頷くしかない。
「続けます」
エイドリアンは頷かない。代わりに紙を二枚出した。
「監査命令」
次に短剣のような札。
「面会権限。教会の“誓約室”まで通す」
さらに小さな封筒。
「護衛。二名。口が軽くないやつを付ける」
甘い言葉はない。
なのに、肩が少しだけ軽くなる。
「あと」
エイドリアンがエレナの手を握る。
手のぬくもりが伝わる。
「指が震えている」
「寝ろ。判断が鈍る。署名が崩れる」
リリィがエレナの横で、口元を押さえた。
「業務命令だ」
エイドリアンは即答する。
「はいはい、業務命令ね」
リリィが小声で笑い、空気を少しだけ戻した。
――その硬さは、外でも増えていた。
廊下を歩くと、役人たちが視線を逸らす。
声が小さくなる。紙の音だけが目立つ。
受付の男が、エレナの印章を見るなり立ち上がった。
「監査官殿……本日は、その……」
「通して」
エレナは短く言った。
男は喉を鳴らし、背を曲げる。
「教会の通達が出てから、皆、怖がっております。逆らえば“神に逆らう”と」
理屈ではない。空気だ。
そこに、リリィが肩をすくめて割り込む。
「神様、便利ですねえ」
受付の男は笑えず、紙束を抱え直した。
「証人は?」
「奥で……」
男が指した先。
会計係――マルクは椅子に座っていた。顔色が白い。水を飲もうとして、手が震えてこぼす。
「マルク」
エレナが呼ぶと、彼は目を上げた。
安心の目、ではない。
追い詰められた人の目だ。
「……監査官様」
声が掠れる。
「喋れるか」
「喋れます。たぶん。……でも」
マルクは喉を押さえた。
「“喋るな”って、身体の内側に……針があるみたいで」
ドゥランが横に立った。いつの間に来たのか分からない。
「痛むのは?」
「言葉を作ろうとすると」
マルクは苦笑しようとして失敗した。
「息が止まる。舌が、固くなる」
リリィが眉を寄せる。
「ほぼ、拷問じゃないですか」
「聖誓は拷問のためのものではありません」
ドゥランが淡々と言う。
「祈りの顔をしている」
エレナはマルクの両手を見た。
指先の赤み。爪の割れ。
紙を握り続けた手だ。
「いつ結ばされた」
「昨日の夜です」
マルクが言いかけて、唇が止まる。
痛みが走ったのか、肩が小さく跳ねた。
「無理に言わなくていい」
エレナは一歩引いた。
「方針は変えない。否定しない。瑕疵で止める」
マルクが目を細める。
「……かし?」
「誓いそのものを壊すんじゃない」
エレナはゆっくり言う。
分かりやすさを優先する。
「誓いが“正しく結ばれていない”なら、効き目を止められます」
リリィが小声で言った。
「つまり、ルール違反を探す?」
「そう」
エレナは頷く。
「教会のやり方が綺麗なら、エレナたちは負ける。だから、綺麗じゃない部分を探す」
マルクが震える指で、自分の胸元を押さえた。
「黙っていれば……助かるって言われました」
その言葉が、胸糞だった。
助かる。何から? 誰から?
エレナは一瞬だけ迷った。問いを置く。軽く、短く。
「あなた、黙ったままでいいの?」
リリィがマルクを見る。
マルクは笑えないまま、首を振った。
「黙ったら……次も、誰かが黙らされます」
――教会。
石造りの廊下。香の匂い。足音が吸われる。
面会権限の札を見せると、門番は黙って道を開けた。
「通すの、早いですね」
リリィが囁く。
「通しても問題ないと思っている」
ドゥランが返す。
「ここは、言葉より空気で縛る」
誓約室の前に、書記官が立っていた。黒い衣。首元に銀の飾り。
「契約庁の監査官」
書記官はエレナを見た。笑みが薄い。
「神の前で結ばれた誓いに、何の用ですか」
「確認です」
エレナは丁寧に言う。上辺は崩さない。
「その聖誓の文言と、立会いの記録」
書記官の目が細くなる。
「必要ありません。聖誓は結果がすべてです」
「結果を裁きに使うなら、前提が必要です」
エレナは一歩近づく。
「立会人は誰ですか」
「司祭補が」
書記官が言いかけて止まる。
小さな間。
「……司祭補代理が務めました」
リリィが口を開く。
「代理? へえ」
書記官が睨む。
「軽口は慎め」
「軽口じゃないよ。穴っぽいから言っただけですよ?」
リリィは笑うが、目は笑っていない。
エレナは書記官へ向けて言う。
「代理は規定で制限があるはずです。誰の許可ですか」
「教会の判断です」
「文書で」
エレナは短く切る。
書記官の指が僅かに動いた。紙を握り直す動き。
「あなた方は、神を疑うのですか」
正義面。
いつもこれだ。
「疑っていません」
エレナは声を落とす。
「確認します。誓いが正しく結ばれたか」
「監査官殿」
書記官がエレナを見下ろすように言った。
「あなたの仕事は王国の書類でしょう。ここは違う」
「違いません」
エレナは言い切る。
「誓いを裁きに使うなら、手順は公のものです」
書記官の口角が僅かに歪む。
悔しさが混じる。
隠したい癖だ。
そのとき、背後の空気が冷えた。
エイドリアンが入ってきた。護衛が扉を押さえる。
教会の者たちの姿勢が一段だけ硬くなる。
「宰相……」
書記官が声を落とす。
エイドリアンは挨拶を返さない。
「監査命令として出せ」
それだけ。
エレナは命令書を開いた。宰相府の印。
「本件は、証人の保全を含む監査」
淡々と読み上げる。
「誓約の文言、立会いの記録、封蝋の管理簿。提示してください」
書記官の喉が鳴った。
「……そこまで」
「必要です」
エレナは一息で返す。
「明日正午までに“裁き”に使うなら、今日、開示が必要です」
書記官は言い返そうとして、言葉が詰まった。
視線が泳ぐ。
手元の書類が、ぎゅっと音を立てた。握り潰しかけている。
「立会いの記録を」
エレナは促す。
「……」
書記官は沈黙し、横の司祭補へ目配せした。
司祭補が渋々、薄い帳面を差し出す。
ドゥランが受け取って頁をめくる。
「立会人、二名とある」
淡々と読む。
「だが署名は一つ。筆も同じ」
リリィが口を尖らせる。
「二名なのに一人で書いた? 手抜き?」
「手抜きではない」
ドゥランが静かに言う。
「“急いだ”痕がある」
エレナは帳面の余白を見る。日付の横に、薄い追記。
「代理の許可者」
書記官の書式で書かれたはずなのに、癖が違う。
行間が詰まっている。余白が狭い。
見覚えがあった。財務府の“緊急条項”の書き方だ。
「この追記」
エレナは指でなぞる。
「教会の書式ではない」
書記官の肩が跳ねた。
「言いがかりだ」
声が少しだけ裏返る。冷静を崩した。
「言いがかりではありません」
エレナは短く言う。
「立会人の欠格、記録の不備、代理の許可の不透明。瑕疵です」
「瑕疵だと断定できるのか!」
書記官が噛みつく。
悔しい。怒り。隠しきれない。
ドゥランが口を開く。
「断定はしない」
理屈屋の声だ。
「だが、これで裁きに使えば、後で覆る。教会の権威が傷つく」
書記官の顔色が変わる。
“権威”の単語が刺さった。
彼の指が帳面の端を掴み、離せない。
エイドリアンが淡々と言う。
「効力を止めろ」
「……人間の宰相ごときが、神に口を出すのか!」
書記官が呻く。
「神ではない」
エイドリアンは一言で切った。
「貴様らの運用に口を出す」
その瞬間、書記官の目が揺れた。
言い返せない。
言い返せば、自分たちの不備を認めることになる。
エレナは命令書を重ねる。
「本聖誓は、保全措置を取ります」
「保全?」
リリィが教会側へ向けて、わざと聞き返す。
「使えないってことですよね。ざまあ、って言っていいですか?」
「言わないで」
エレナは小さく叱る。
だがリリィは肩を揺らして笑った。
書記官が唇を噛んだ。
紙を握る手が白い。悔しさが具体で出る。
「……明日までに整えればいい」
苦し紛れの言葉。
「整えるには時間が足りない」
ドゥランが淡々と言った。
「あなたが焦った痕が残っている」
――帰り道。
マルクは歩くたびに喉を押さえた。
「……すみません」
「謝るな」
エレナは短く言う。
「あなたが黙らされるのは、あなたの罪じゃない」
リリィが横から覗き込む。
「でも、痛いんでしょ」
マルクは頷く。
「喋らない方が楽です。でも……」
言葉が途中で止まる。
痛みが来たのだろう。額に汗が浮いた。
エレナは紙を取り出した。
前に結んだ保護の文面を、更新したもの。
「これに署名して」
「条件が増えてます」
マルクが怯える。
「増やします」
エレナは言う。
「守るために。寝床、移送、面会の制限。全部、文にする」
マルクは震える手で署名した。
署名の線が少し曲がる。
その一筆が痛い。守っても戻らないものがある。
宰相府に戻ると、エイドリアンが窓際に立っていた。
「半分は、止めた」
彼が言う。
「だが、教会は諦めないことだろう」
「さらに中央に線が伸びているようです」
エレナが言う。
「追記の書式が、財務府の癖に近い」
エイドリアンが振り返る。
「台帳だ」
短い。
「誓約の鋳型と、担当線。そこを見ろ」
ドゥランが小さく頷いた。
「誓いは言葉だが、量産には型が要る」
リリィがぞくりと肩をすくめる。
「……それ、嫌な話」
エレナは封書の封蝋を見た。欠けが整いすぎている。
明日正午まで。
次は、もっと深い。
「明日、教会の台帳を開きます」
エレナが言うと、エイドリアンは頷かないまま一言だけ落とした。
「開け。閉まる前に」
止められたのは、まだ“半分”。
誓約は量産できる気配が出てきました。次で「型」を押さえに行きます。ブックマークで一緒に追ってください!^^




