第9話――契印が通じない場所? なら“誓約の穴”を突きます。
「誓い」を盾にした口封じ。
綺麗な言葉ほど、汚い使い方ができます。
ごくごくわずかにいつもと違う演出があるので、探してみてください^^
今日もコンプラ重視で、ぶん殴ります。
第9話――聖誓が絶対? なら“瑕疵”で止めます。
「来た」
エイドリアンが言った。
それだけで、心の奥が温まる気がする。
机の上に、封の切られた通達。
教会の印。白い紙。
「教会が動きました」
リリィが言う。軽さはない。
「“受領書は神前の真実”。そういう扱いにするって」
「評議会は?」
「教会の言葉に乗るでしょう」
エイドリアンは椅子にもたれた。
目線だけで私を計る。
「嫌なら引け」
口ぶりは短く、冷たい。
「今回も、我々が引けば、契約庁が死ぬ」
「……承知しました」
丁寧に返す。
「監査命令を出す」
彼は紙を一枚滑らせた。
宰相府の印。
「教会の誓約台帳。閲覧権限。護衛。付ける」
甘い言葉はない。
でも、盾が増える。
私が息を整える前に、彼が言った。
「寝ろ」
「判断が鈍る」
エイドリアンは続けた。
「指が冷たい。署名が崩れる」
私は一瞬、言葉が遅れた。
「……気をつけます」
「食え」
「命令ですか?」
リリィが小さく混ぜる。
エイドリアンは視線も動かさない。
「監査官に倒れられると困る」
リリィが私の後ろで囁いた。
「今の、優しさ判定でいいですか?」
「余計な判定は要らない」
エイドリアンが淡々と切った。
――教会区。
白い石の回廊。
音が吸われる。
足音だけが残る。
入口で、聖職者が迎えた。
灰色の法衣。
胸に銀の紋。
新顔だ。
「契約庁監査官、エレナ様」
声は丁寧。
目が冷たい。
「宰相府命令により、台帳を閲覧します」
私は命令書を見せる。
聖職者の喉が小さく動いた。
「神の誓いの場に、俗の命令を持ち込むのですか」
「俗の紙が人を殺す前に止める」
私の声は短い。
リリィが横から笑う。笑えない笑い。
「神様も、手順違反は嫌いでしょ?」
聖職者は返さない。
代わりに、案内した。
奥の誓約室。
誓約台。
白布。
蝋燭。
香。
ここでは言葉が重い。
「“受領書は真実”」
聖職者が言う。
「神前で誓われました。聖誓は覆りません」
「誓ったのは誰です?」
私は聞く。
「会計係」
聖職者が答える。
「あなたが賄賂を受け取った、と」
胸の奥が固くなる。
怒りは熱じゃない。
硬さだ。
――その硬さは、外でも増えていた。
油の匂い。
土だらけの靴。
兵站詰所の前で、兵が私を見つけた瞬間、空気が変わる。
「監査官!」
呼び名なのに、責める声だった。
私は足を止める。
逃げない。逃げたら、噂が勝つ。
「補給、止まっています」
兵が吐き捨てる。
「私は止めていません」
私は短く返した。
「でも止まっているんですよ」
兵は即座に返した。
理屈を叩く気はない。結果だけを突きつける声。
「……何が止まっているのんですか?」
私が問う。
兵は指を立てた。
汚れた指先が、倉庫の奥を指す。
「釘だ」
「釘?」
「橋を直す釘。枕木を留める釘。仮設設備用の釘」
兵は言葉を噛むように続ける。
「あと五日で尽きる」
数字が刺さる。
五日。
「補給が遅れたのは、私が原因だと?」
私は淡々と聞いた。
兵は鼻で笑う。
荒い笑い。怒りに近い。
「原因なんて知らねえ」
一歩、距離を詰める。
「上で揉めたら、現場は止まる。いつもそうだ」
私は息を吐いた。
言い返せない部分がある。
制度は、現場の時間で動かない。
「確認しているだけですよ」
私は言う。
「偽造が混ざっている。通せば、もっと壊れる」
「壊れるのは、もう壊れてんだよ」
兵が肩をすくめた。
「五日で釘が尽きる。直せねえ。直せなきゃ橋が落ちる」
兵の目が私を刺す。
「橋が落ちたら、前に運べない」
「……」
「運べなきゃ、誰が死ぬか分かるだろ」
胸が冷える。
怒りは熱くない。硬いだけだ。
「私は止めていない」
私は繰り返した。
「止めているのは、偽造だ」
「偽造? 知らねえよ」
兵は吐き捨てる。
「俺らは釘が欲しいだけだ」
一拍。
そこで兵が、急に声の調子を変えた。
試すような、嫌な軽さ。
「なぁ」
兵が近づく。
「契印がある紙だ。あんたなら署名するか?」
「何に」
私は眉も動かさず返す。
兵は指で空を叩いた。
一行だけ書く仕草。
「『監査官は潔白』って一行に」
兵が笑う。
笑っているのに、目は笑っていない。
私を疑っている。
「箱の中身、見ないでさ」
そう言って、肩をすくめる。
意味は明快だった。
“中身を見ないで保証しろ”。
“契印があるなら信じろ”。
それが今までのやり方だろ、と。
リリィが私の隣で、小さく息を吸った。
怒りを飲み込む音。
私は兵を見た。
視線は逸らさない。
現場を振り回したのかもしれない。だが、それは仕方がない。
「署名はしない」
私は言う。
「見ていないものは保証できない」
兵の口元が歪む。
「ほらな」
勝ち誇るでもなく、悔しそうに言う。
「それが答えだ。結局、現場は捨てる」
「捨てない」
私は短く切った。
兵が鼻で笑う。
「じゃあ、どうすんだよ」
「釘を止めない方法で、不正をただします」
「は?」
兵の眉が寄る。
私は言葉を選ぶ。
長くしない。迷わせない。
「偽造が混ざる流れだけを止める」
「流れ?」
「通す窓口と、印の管理だ」
私は指先で空を切った。
「そこを封じる。補給自体は止めない」
兵は一瞬、言葉に詰まった。
だがすぐ、苛立ちが戻る。
「そんな都合よくできるか」
「できる」
私は言い切った。
兵が悔しそうに唇を噛む。
納得できない。だが、望みは欲しい顔。
「五日だぞ」
「分かっている」
私は頷く。
「だから急ぎます」
兵は視線を落とし、拳を握った。
土で黒い拳が震える。
「……頼むぜ、姉ちゃん」
小さな声だった。
怒鳴るより、ずっと重い。
私はそれを受け取って、歩き出した。
背中に、まだ刺さる視線がある。
リリィが小声で言った。
「今の、刺さりましたね」
「刺さるのは、現場ですわ」
私は返す。
「でも……」
リリィは言い淀む。
私は一度だけ頷いた。
それだけで足りる。
――補給が止まる。
わたしは止めていない。
でも止まる。
一体だれが、、
その矛盾のせいで、今日も誰かが怒る。
そして、次の刃が磨かれる。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
続きが気になったら、ブクマだけでも置いていただけると助かります。
人気が出れば継続できます!




