姉のことが好きな初恋の相手と結婚しました
私――ルーチェ・クプランの姉であるアリアーヌは、とても美しい人で、目にした誰もが彼女の美貌を褒め称えていた。
「なんて美しい方なのかしら」
「まるで女神のようだ」
「あれほど完璧な人を見たことがない」
隣に居る私のことなど、誰の目にも入っていないのだろう――。
皆、姉のことばかりを口にしては褒めそやす。
学生時代も、私がアリアーヌの妹だと知られる度に驚愕されていた。
「え……ルーチェさんのお姉様って、あのアリアーヌ様ですの?」
「アリアーヌ様のような、麗しく可憐なお姉様がいらっしゃるなんて。さぞかし、ご自慢でしょう?」
「お姉様はあんなにもお美しいのに、ルーチェさんは……あっ、ごめんなさい。何でもないの」
「ルーチェさんとアリアーヌ様が姉妹!? ……全然、似てないじゃないか」
「格差すごくない? ルーチェさんだけ血が繋がっていないとか」
「やめろよ、可哀想だろ……ぷぷっ」
「だって、あんな最上級の美人と姉妹なんて、ありえないだろ」
「確かになぁ。ルーチェさんて、居るのか居ないのか分かんないような人だしな」
姉妹だと分かると、常にこんな風に言われて来たのですが……。
――あの方だけは、違いました。
「何故そんな言い方をする? そんな風に言われて、ルーチェが傷つくとは思わないのか?」
「……レオナルト様」
「す、すみません……」
「おい、もう行こうぜ」
「大丈夫か、ルーチェ?」
「は、はい。いつものことですので慣れています!」
レオナルト様は、私がこのように言われているところに出会すと必ず助けてくださいました。
レオナルト様は高身長で体格が良く、おまけに目つきの鋭い方なので大抵の人は怖がって逃げて行くのです。
明るく振る舞う私を心配そうに見つめてくるレオナルト様。一見恐そうに見えますが、とてもお優しい方――私と姉にとって幼馴染であり、私の片想いの相手。
ですが、彼は……。
「二人とも、そんなところで何をしているの?」
長い銀色の髪を揺らしながら、こちらに向かって大きく手を振るお姉様。
「――アリアーヌ」
……そんな姉のことを、眩しそうに見つめるレオナルト様。
そう……彼は、姉に想いを寄せているのだ。子供の頃から、ずっとレオナルト様に恋心を抱いてきた私だけが知っている。
姉もレオナルト様も非常に容姿が整っているので、お二人が並ぶとそこは別世界のような美しさで……誰もが見惚れていました。
――私は、ただそこに紛れる背景でしかない。
地味で無意味な存在……それが私だ。
レオナルト様と姉は同い年で幼馴染。
きっと、二人は婚約するのだろうと思っていたのだが、姉はその美貌で公爵様に見初められ嫁いで行ってしまった。
そして、レオナルト様は大丈夫だろうかと心配していた私に、思いも寄らない話が持ちかけられる。
――レオナルト様との縁談だ。
舞い上がる気持ちと、彼は大丈夫なのだろうかという不安と心配の中、あっという間に準備が進められ、気付けば式を挙げてから早一ヶ月……。
◇
「……今日も呼ばれませんでした……」
私は、結婚してから一度も寝室に呼ばれたことがありませんでした。
最初は、私がレオナルト様と結婚だなんて奇跡のようだと浮かれていましたが、あの方の中にはお姉様への想いがあるのですから、当然呼んでもらえることなんて無いですよね……。
でも、もしかしたら今日は呼んでいただけるかもと、期待と緊張で毎回待ち続けている自分がいて……。
ちゃんと、分かってはいるつもりなのにと溜め息を吐く。
今の状況が辛くないと言えば嘘になりますが、初恋の相手であるレオナルト様のお側にいられるだけでも幸せなのだと自分に言い聞かせながら、ベッドに入ると静かに目を閉じた。
◇
「ルーチェ。準備は出来たか?」
「は、はい。お待たせしました!」
今日は姉の嫁いだ公爵家のパーティーに呼ばれていた。姉と会えるのは嬉しいけれど、レオナルト様は大丈夫なのだろうか……。
「――そのドレス、似合っているな。可愛い」
「え!? あ、ありがとうございます……」
恥ずかしくて語尾が小さくなってしまった。
レオナルト様はお優しい方なので、こうやって毎回褒めてくださいます。姉ではなく、私なんかと結婚させられてお辛いでしょうに……。いつだって、この方は私を気遣ってくれるのだ。
私が、しょんぼりしているとレオナルト様が屈んで顔を覗き込んでくる。
「どうした? 何か心配ごとでもあるのか?」
「い、いえ! なにもありません!」
「そうか? では、行くとしようか」
私が頷くと、二人で馬車に乗り込む。
◇
会場に着くと、主催である姉夫婦のところへと挨拶に行く。
「久しぶりね、ルーチェ。元気にしていた? レオナルトには意地悪されていない? 何かあれば私に相談するのよ」
「お久しぶりです、アリアーヌお姉様。レオナルト様には、良くしていただいておりますわ」
「……相変わらずだな、アリアーヌ。俺がそんなことをするわけがないだろう」
「それもそうね。あなたは、昔からルーチェを助けてくれていたもの」
楽しそうに笑う姉。そんな姉を見て穏やかに微笑む公爵様を見て、お二人は上手く行っているのだと安堵する。
けれど、レオナルト様は大丈夫だろうか……。きっと姉のこのような姿は見たくないはずだ。
私がそっと窺うと、ばちんと目が合う。
「どうかしたのか?」
「い、いえ!」
そうこうしていると、姉夫婦のところに他の方がご挨拶にやって来る。
「じゃあ、二人ともゆっくり楽しんで行ってね」
私たちは頷くと、お料理を取りに行くことにした。
豪華な料理を眺めていると、レオナルト様が声を掛けられる。
「これはこれは、エヴァンデル伯爵。久しぶりだね」
「……リッケル伯爵」
「おや。そちらは、奥方ですかな?」
私の方に視線を移すリッケル伯爵。
「初めまして。ルーチェ・エヴァンデルと申します」
「……ルーチェ? 確か主催の奥方の妹君がそのような名前でしたな」
「はい。アリアーヌの妹です」
「……へぇ……」
ジロジロと不躾な視線で、私を頭から爪先までじっくりと見回すリッケル伯爵。
「なんというか……姉君と比べて素朴というか……華がないというか……」
……ああ。また、始まった。
「姉の方は、あんなにも美しく可憐で洗練された美女なのに……ねぇ?」
くつくつと笑う伯爵。
「君も可哀想になぁ、エヴァンデル伯爵。姉の方が妻ならば、さぞかし自慢できただろうに。こんな冴えない妹の方を、つかまされてお気の毒に。いやはや、同情するよ。ははは!」
私は、俯いてぎゅっとドレスの端を握り込む。
大丈夫。こんなことには、慣れている。
産まれてから、ずっとあの美しい姉の妹をやって来たのだから、今更どうってことはない……。
もう暫くの間、耐えていれば終わるはずだと考えていたとき……私の背中を温かい手が支えてくれる。
顔を上げると、怒りに染ったレオナルト様の顔があった。
「どういうつもりですか?」
「は?」
背の高いレオナルト様が、リッケル伯爵を見下ろしながら言葉を続ける。
「――私の前で妻への暴言は止めてもらいたい。彼女は愛らしく清廉な女性で、私にとって世界一美しく可憐な妻だ。よくも、夫である私の前でそのような口が利けたものだな。恥を知れ!」
「……レオナルト様」
思いも寄らない言葉に、驚いてしまう。
「い、いや。そういうつもりでは……」
「では、どういうつもりです? どういう意図があって、我が妻を侮辱した?」
「そ、それは……」
「――何があったの?」
騒ぎを聞きつけて、姉がやって来た。
「この男が、ルーチェに酷いことを言ったんだ」
「まあ……リッケル伯爵でしたわね? わたくしの妹が何かいたしまして?」
「……そ、そういうわけでは……ただ、私は妹君よりも姉である貴女様の方がお美しいとお伝えしただけで……」
リッケル伯爵の言葉に、姉の表情が怒りに変わる。
「……へぇ。妹に、わざわざそんなことを? 何のために?」
「……え? えぇと、それは……」
言い淀む伯爵に、姉はため息を吐くと近くにいた警護の人に声を掛ける。
「誰か! この者をつまみ出しなさい!」
「アリアーヌ様!?」
慌てるリッケル伯爵に、姉は吐き捨てるように言う。
「今後一切、私たちには関わらないでちょうだい。私の妹を蔑んだこと、一生後悔しなさい!」
「そんな……! お待ちください、アリアーヌ様!」
叫ぶリッケル伯爵を無視して、姉は私の方へと振り返る。
「ルーチェ、大丈夫だった? 二度とあいつの顔を見ないで済むようにしておくから!」
「あ、ありがとうございます……」
「レオナルト。あんたも、あいつにちゃんと言ってやったんでしょうね?」
「当たり前だろ。許せるかよ、あんなの」
「そう。それなら、いいわ。じゃあ、今日はもう帰っていいわよ。後は私が何とかしとくから。ちゃんと、この子のことフォローしてあげてちょうだい。私の大事な妹のこと頼んだわよ」
「分かった。では、言葉に甘えさせてもらう。――屋敷に帰ろうルーチェ」
「……え。で、ですが……」
「いいから」
手を引かれると、公爵家を出て屋敷へと戻って行った。
◇
ドレスを着替えてから、寝室居るようにと言われたのでベッドの端に腰掛け、おとなしくしていた。
「……寝室って、こんな風になっていたのですね」
広い窓に高い天井。部屋の真ん中には、普段自分の寝ている物よりも、三倍の大きさはありそうな天蓋付きのベッド。
「素敵なお部屋です……」
静かに呟いたとき、部屋の扉が開かれる。
「大丈夫か、ルーチェ」
飲み物を持ったレオナルト様が入って来られたので、私は急いで立ち上がると、それを受け取った。
「ありがとうございます」
温かいショコラだ。一口飲むと、口の中に仄かな苦味と甘さが広がる。
「美味しいです」
「良かった。……すまない、こんな場所で持たせてしまって。ここなら、誰も来ることはなく落ち着けると思い選んだのだが……」
「はい。とても静かで落ち着きます」
「そうか」
ほっとした表情を見せるレオナルト様に、私は小さく微笑む。
「……レオナルト様。私は、大丈夫です。何度も言っておりますが、ああいったことには慣れていますので……それよりも……」
「慣れるわけないだろ」
「……え?」
「あんなの、慣れるわけがない。君は、気付いていないのかも知れないが、いつだって傷ついた顔をしている」
「……あ……」
顔に出ていたのだと、反省する。
「素直に、傷付いた辛かったと言っていいんだ」
その言葉に、私は手に持っていたカップをそっとサイドテーブルへ置くと、レオナルト様を真っ直ぐに見つめた。
「……でしたら、レオナルト様も素直な気持ちを言ってください」
「素直な気持ち……?」
首を傾けるレオナルト様を見て、私は眉尻を下げて弱々しく笑う。
「……レオナルト様は、アリアーヌお姉様のことを愛していらっしゃるのでしょう?」
「……は?」
「……誤魔化さなくても、大丈夫です。ずっと、昔から気付いていましたので……レオナルト様が、姉を見ていたことを……。私、ずっとずっとレオナルト様のことを見てきたんです。だから、分かっているんです」
私は少し目を伏せると、話を続ける。
「姉にとってもレオナルト様は特別で、他の方々とは態度が違っていました。公爵様とも上手くいっている様子でしたが、私は姉もレオナルト様も大好きです。なので、お二人のことを応援したいと思います! 公爵様には、私も一緒に説得を……」
「――ちょっと、待ってくれ」
額を押さえながら、項垂れているレオナルト様。
「ルーチェ……君は、ずっと俺がアリアーヌのことを好きだと思っていたのか?」
「は、はい……」
「今現在も、彼女を想っていると?」
レオナルト様が大きな溜め息を吐く。
……あ、れ? もしかして……これは……。
「……ち、違いましたか?」
恐る恐る尋ねると、レオナルト様が大きく頷いた。
「で、ですが、レオナルト様は、いつも姉を目で追っていましたよね? 姉を見ているときの視線も、他の誰かを見るときとは違っていましたし……」
「それは、目を離すとあいつが何をしでかすか分からないから見ていたんだ……。アリアーヌは、あんな見た目だが性格は破天荒だからな。何かあったときには、俺が止めるようにとクプラン子爵にもお願いされていたんだ」
「お、お父様に……?」
「おまけにシスコンで、ルーチェに何かあれば飛んで行って相手を叩きのめしていたからな」
確かに姉は見た目は可憐な美女だが、言いたいことはハッキリ言うし行動力もあって私のことも大事にしてくれていた……。けれど、そんなことをしていてくれていたなんて知りもしなかった。
姉の優しさに、胸が熱くなるのを感じる。
「俺は、暴走するあいつを止めるために見ていただけだよ」
「……そ、んな……」
レオナルト様は、ずっと姉に想いを寄せているのだとばかり……。
「誤解は解けたか?」
「……はい」
でも……。
「それなら何故、今まで寝室に呼んでくださらなかったのですか?」
「――え?」
「私は、てっきりレオナルト様が姉のことを好きだから呼んでいただけないのだと……違うのでしたら、他に理由があるのでしょうか? もしかして、別のどなたかのために貞操を守って……!?」
「違う! ……君は案外と暴走しがちだな。そういうところは、アリアーヌと少し似ているのかもな」
そう言って、私の髪を一房掴む。
「好きだよ、ルーチェ。俺がずっと好きだったのは、君だ」
レオナルト様は私と目を合わせると、髪にちゅっと口付けする。
「……はい?」
好き……? レオナルト様が私を……?
混乱している私を見ながら、彼は話しを続けた。
「俺はこの通りデカくて目つきも悪くて……もし、君に怖がられたらと思うと、なかなか誘うことができなかったんだ。……だが、そのせいで不安にさせていたのなら、すまない」
「……え……あ、あの……」
で、では、本当に、私を……?
「君の生真面目な性格も、周りに何と言われようと捻くれたりしないところも全部好きだよ。俺にとっては、君が世界一美しい人だ」
……先ほどのパーティーでの出来事を思い出す。
「……パーティーで言ってくれたお言葉は、本当だったのですね……嬉しいです」
鼻の奥がツンとして、きゅっと唇を結ぶ。
「私は、姉のような煌めく銀色の髪の毛も宝石のような綺麗な瞳も持っていませんが、それでも良いのですか?」
「そんなの、どうだっていい。俺は君がいい。それだけだ」
「……はいっ、……はい!」
私がレオナルト様の胸に飛び込むと、逞しい両腕で支えてくれる。
暫くそうしていると、レオナルト様の唇が私の耳に降りてきた。
「……ルーチェ」
名前を呼ばれると、そのままベッドに押し倒された。
「いいだろうか?」
――つまり、そういうことだ。
私は嬉しくて、何度も頷く。
「はい。勿論です」
そう答えると、私はそっと目を閉じた。
◇
――ぱちん、と目を開けると窓から朝の光が射し込んでいた。
隣を見ると、レオナルト様が穏やかに眠っている。その様子に、ふふっと笑みを零すと自分もあと少しだけ休んでいようと、ゆっくりと瞼を閉じる。
数十分後、私は大好きな方の腕の中で、世界一幸せな朝を迎えるのだった。
◇おわり◇




