旅の合間に
屋敷での一件以降、ルノたちは数日の滞在を経て、次の目的地へと向かう。
アーカスでの出会い、そして別れはルノに強い影響を与えた。
「グラムさんの魔法は、料理を上手にする力だった――」
「おや、ちゃんと日記を書いてるね。ルノくん!」
アーカスを出てしばらく、馬車に揺られながら、ルノはこの期間の思い出を日記に付け足していた。
「いやー、でもあれ程の精密な魔法があれば確かに料理の火加減については完璧になるよ。グラムくんってばどこまでも料理大好きーって感じ!」
「うん、すごいと思う」
「というか、ルノくんの字の上達も大したものだよ! どんどん上手くなっていくね!」
アーカスに滞在している間だけで、ルノの字は既にスラスラと読める程度まで上達していた。
「洞窟の地図しかり、きみは記憶力がいいね! すばらしい!」
「……ありがとう」
メルトが笑顔で真っ直ぐ見つめてくる。ルノは長い前髪で、赤くなった顔を隠した。
「にしても、グラムくんもバラムスさんも短い間だったのに号泣してたね。うちも、もらい泣きしちゃった」
数時間前――次の町へと向かうために町を出る際、グラムに、バラムスの家の家臣などが勢揃いで見送りに来たのだ。
『絶対また来いよ! 頂点料理人の料理はまだまだ食わせ切ってないからな!』
『ルノよ! 金に困ったらワシの屋敷でも何でも雇ってやるからな! いつでも戻るがよいぞ!』
『ルノ! バラムス様のことありがとうなー!』
『今度来たら剣でも教えてやるよー!』
目を瞑り、別れの言葉を思い出す。
グラムとバラムスだけでなく、兵士たちもみんな暖かい人々だった。別れは寂しいものだが、ルノはいつかまた、旅の道中で来ることを心に決めた――
「絶対また行こう。メルトさん」
「そうだね!」
ふと、カタカタと金属の音が聞こえた。
「歓談中すまない。前方に敵影だ。僕が対処するが、警戒は怠らないでくれ」
前から声がする。その声を発していたのは、御者の横に座っていたレクスだった。
なんでも、もともと任務を完了し、王都へ帰還する最中に、今回の件を耳にしたのだという。
そして、帰還を後回しにして、グラムを騎士団にスカウトしようとしていたのだ。
次に向かう町は王都への道中にあるため、それまでの間同行することになったのだった。
「りょうかーい、ルノくんだけは絶対守るよ!」
「……すいません! あっしは放置されるんでしょうか!」
御者が訴えかけるも、メルトは『気が向いたらねー』と乗り気ではなさそうにそっぽを向いた。
ルノは、メルトが吸血鬼であり人間ではないのだと、思考としては自覚しなかったが、肌で感じた。
「大丈夫ですよ。僕がいます」
「頼りになります!」
そんな御者に笑顔でそう言うと、レクスは走行中の馬車から飛び降り、前方へと急加速した。
「あの金髪爽やか騎士……ぜんっぜん本気だしてなかったな……」
メルトはあの夜の攻防での動きを思い出しながら、レクスの向かう方向を見据えた。
周りに木々のない草原は見晴らしもよく、魔物も移動中のものしか現れない。住みかにできるような森などがなく、餌もろくにないためである。
そんな草原だが、レクスが見つけた魔物というのは、常人では目視することが難しい程の遠くであった。そして、レクスはそんな距離にいる魔物に恐ろしい速度で走っていく。
「レクスさんは吸血鬼じゃないんだよね」
「そのはずだけどね。人間にはたまにああいう変なのが生まれるんだよ」
「そうなんだ……」
既にレクスの姿は小さな点程にしか目視できない。ルノは走っていったレクスの様子を思い出し、信じられない人間がいることを日記に書こうと思った。
◆
「1、2、3……やはり大量だね。すぐに倒して馬車へ戻ろうか」
レクスの前方にいるのは四本足の哺乳類である。
頭部には二本の大きな角がそびえ立ち、逆立つ体毛には電気が流れているようで、ぱちぱちと音を鳴らしながら時折、一線の光が見える。
「騎士、レクス・レオンハート、今ここに力を示そう」
レクスの剣が輝く。自分たちへと向けられた攻撃の意思を感じとったのか、魔物たちは一斉にレクスへと突進してきた。
知恵が働くようで、レクスを囲むようにそれぞれの個体が流動する。
群れで狩りをしてきたことが一目で分かるほどの洗練された動きに、レクスは後ろを確認することなく、ただその場に立っている。
「『あまねく全てを穿つ陽光』」
ただ静かに、一切の淀みなくポツリと唱える。
天より光が舞い降りる。レクスの周囲の魔物全てに無数の光の柱が降り注ぎ、その身を焼く。抵抗する間もなく、魔物は全て焼き尽くされ、灰と化した。
「あ、やってしまった。肉を剥ごうと考えていたのに」
終始変わらず冷静な日輪の騎士は、魔物の殲滅を確認するとすぐに馬車へと駈けていった。
◆
「うっわー、やっぱあいつヤバいなー……」
「あの光って全部レクスさんがやったの?」
「そうだねー、しかも汎用魔法じゃ到底辿り着けないや、あれ」
ルノは今見た光景を日記に書き記しながら、人間とは何かちょっとだけ考えた。
「ありゃあすげぇや、あんた方、まさか高貴なお方のお忍びって訳じゃあねぇですよね」
「違うよー、うちは旅する美少女、ルノくんは可愛い弟ってだけ、あいつはたまたま知り合った国の魔法騎士」
御者が驚いて口が閉じていない様子だが、メルトは雑にあしらった。普通はあれくらいの反応が当然だろう。ルノはメルトが吸血鬼だという事実を知っていたため、驚きこそしたものの、衝撃は薄れていた。
「立ち振る舞いが高貴な騎士様だとは思ったが、国の騎士様か……どうりで、ありゃ凄いなぁ」
そうこう言っていると、あっという間にレクスが帰ってきた。
「すまない、時間をとってしまったかな」
「そんなことないよ、レクスさん、魔法ここから見えたよ。すごいね」
「そうかい、ありがとうルノくん」
レクスは爽やかな笑顔を崩さない。メルトは気に入らないようで、少しむくれている。レクスはそんな様子を気にもとめずに、前に乗り込んだ。
◆
「今日はここら辺での野宿にしよう! レクスが魔物の肉を灰にしなかったら、美味しーい焼いた肉が食べれたけど! グラムくんが日持ちする料理をいくつか作ってくれたのでそれを食べます!」
わざとらしく、レクスが魔物を灰にしたことに触れると、メルトはグラムの作った料理たちを並べた。
「すまない……つい焼き尽くしてしまった」
「気にしなくていいよ、メルトさんが意地悪なだけだから」
「ええ! ルノくんそっちつくの!?」
食事をしながら談笑するのはとても楽しく、時間はあっという間に過ぎていった。
ルノは、すっかり暗くなった空をふと見上げる。これまで生きてきて、空は幾度となく見てきた。
しかし、今回見る空はいつもよりも輝いて見えた。星々の煌めきが強く感じる。
「いいよね、このあたり。星が見えやすい」
上を見上げて寝転ぶルノの横に、メルトも寝転ぶ。
「見張りは交代?」
「うん、あとは全部僕に任せてくれだってさ、ほんと騎士様って感じー」
メルトは空を見ながら言った。そして、少し目を瞑る。
「ルノくん、旅に出て良かった?」
「……うん、すごい楽しい」
「そっか」
メルトはそれだけ聞くと、満足そうに笑ってまた星を見上げる。
静かな時間が続く。無限にも思えるが、ルノは自分の心臓の鼓動で、時が経っていることを自覚した。
メルトと出会い、まだひと月も経っていない。
しかし、既にルノの人生の中でも濃すぎる体験をしている。あの日メルトに出会わなければ、そんなことが頭によぎるが、ルノはもしもを考えても仕方ないと思った。
気づけばすぅすぅと、寝息をたてるルノ、それを見ると、メルトは起き上がり、微笑んだ。
「……少しいいかい、メルトさん」
「なぁに、騎士レクス、まさか、うちを殺さないって言葉が嘘でしたーなんて言わないよね?」
レクスは周辺を軽く索敵し、魔物がいないことを確認して、メルトの元へやってきたようだ。
普段の爽やかな笑顔とは違い、真剣な顔をしている。
「違う、少し話しておきたいことがある」
「なにを」
「吸血鬼狩りがまた動いている」
吸血鬼狩り、その単語を聞くと、メルトはレクスの方へと素早く振り向いた。
「嘘でしょ」
「僕はこれでも騎士団でも上の方の立場なんだ。だから、よく様々な地方の話を聞くんだが、吸血鬼狩りの活動が見られたのはトワイライトの街だと耳にした」
「まだまだ遠くだが、気をつけるといい」
レクスが言いたかったことはこの事だけだったらしく、すぐに爽やかな笑顔に戻った。
「王都に戻る途中とはいっても、なんでうちらに着いてくるんだーとは思ってたけど……忠告までするのはどういうつもり?」
「単純な話さ、君たち、特にルノくんに興味がある。期待していると言ってもいい。旅をして日記に記しているらしいじゃないか。僕は冒険譚が好きなんだ。いつかその日記を読ませて欲しいんだ」
そう語るレクスの瞳は、わずかながら、子供のような純粋さが見える。
レクスの動機を聞くと、メルトはため息をついた。
「あきれた。そんな理由? 気高き騎士様が? はぁー」
「僕は騎士である以前に人間だ。ルノくんの言う生きる目的、僕にとって、そのうちの一つが冒険譚を読むことなだけさ」
「あっそ、それはルノくんに頼んでね」
そう言ってメルトは横になる。レクスはその様子を見ると、また見張りへと戻って行った。
◆
「――そうなんだよ! トレビオはいい町だぞぉ、少年! 特に酒と祭りと女! 美人がそろってますぜ!」
「ちょっと! ルノくんの情操教育によろしくない話しないで! あとうちがいるから美人には事足りてますぅ!」
ルノたちの次の目的地、トレビオは、お酒が有名な町である。そして、今の時期は酒をテーマにした宵祭りというものが開催されており、酒と祭りの町と呼ばれる所以となっている。
ルノたちはトレビオを中継として、観光を楽しみつつ、また別の町へ向かう予定だ。
「羨ましいな。僕は生憎祭りを楽しめないんだ。本来帰還する予定を大幅に過ぎてしまったからね。団長に怒られる量を少しでも減らさないと」
「ええー! 怒られんの! うわー、うちも見たかった!」
あの爽やかで紳士的な騎士も怒られることがあるのだと、ルノは驚いた。メルトは変わらずレクスを煽っている。
「町に入るまでは同行するつもりだから、それまではよろしく頼むよ」
「うん、怒られないといいね」
「そうだね」
ルノは祭りがどういったものかを、話でしか知らない。祭りの町を名乗るほどの盛大な祭りがどのようなものか、今からワクワクしていた。
そんな町で、ちょっとした出会いに巻き込まれることをまだルノは知らなかった。
次からは酒と祭りの町トレビオとなりますが、投稿までしばらく時間がかかると思います。