夢と責務
「貴ィ様ァ! 懲りずにまた屋敷に忍び込んだかァ!」
「「あ」」
屋敷に侵入したルノたちは、その目的の貴族にものの一分もたたぬ間に出会った。大柄で腹の出た男は、いかにも悪そうな雰囲気のある貴族だった。
「チィ! 今度も財産を持っていくつもりだろう! 引っ捕えて牢屋に叩き込んでやる!」
顔を紅潮させ激怒した様子に、ルノはどうしようかと焦っていた。
すると、グラムが小さく声をかけてくる。
「おい! どうすんだよ、説得とか出来そうな感じじゃねぇぞ!」
「……どうしよう」
グラムはやっぱりボコすしかねぇと言って、戦う気満々である。しかし相手は大人、魔法の才があろうと、力勝負になっては勝ち目もない。そのうえ……
「衛兵! いないのか! なにをしている!」
ルノを戦闘の頭数に入れることが出来ない以上、これよりも相手する人数が増えてはまずい。
あちこちで騒ぎを起こしておいたが、どれもいつまで時間を稼げるか……悩んだ末に、ルノは答えを出した。
「まって、貴族の……なんとかさん」
「バラムスだ! ワシの名前も知らんのか小僧!」
「バラムスさん、話を聞いてほしい」
「聞く話などない!」
やっぱりだめかとルノは挫けそうになる。
だが、ここで諦めてはこの旅の目的――生きる目的を探すなんて到底叶いっこないと思った。自分の目的を探すため、他の人の目的を知る。それが必要だと考えたからだ。
それに、メルトが行動したら一歩前進だと言っていたことを思い出した。
「ざいさんなら、売ってないし、話を聞いてくれたら返す」
「……なに? 金目当てじゃないのか?」
バラムスの眉が少し緩やかになった。話を聞いてくれる可能性が出てきた。
そんな気配を感じとり、グラムも続けた。
「この前盗んだやつは全部とっておいてるよ。別にいらねぇしな」
「………………それが真実か定かではないが、子供二人に何も出来まい。時間を稼いだところでワシの兵が来るしな」
少し間をおいてから、バラムスはルノを見つめた。
「いいだろう、話を聞いてやろうじゃないか」
なんとか話を聞いてもらえることになり、ルノは心の中でホッと息をつく。グラムも張り詰めた顔の緊張がほぐれている。
「いくら無礼者だろうと、ワシは貴族だ。会話で応じる以上、立ち話するわけにはいかん」
「ついてこい、客間で聞いてやる」
罠の可能性もある。それでもこのチャンスを逃せば、話が出来ないかもしれない。
「わかった。グラムさん」
「わぁったよ、ついてくって」
なんとかバラムスの説得のチャンスを掴んだルノたちは、バラムスの大きな背中の後ろを歩いていく。
◆
「座れ、紅茶を入れてやる」
案内された客間は、ルノがこれまで見たことのある部屋の中で一番豪華な部屋だった。ルノの生きていた世界の上には、こんなにもきらびやかな世界が広がっていたと知ると、メルトと出会い旅に出た意味があるのだと感じた。
バラムスが指を指したソファにルノたちは座った。
「ほれ、貴様らにとっては高いからな、味わって飲め」
バラムスは紅茶を持ってくると、ルノたちの反対側のソファに腰かけた。
そして、ルノたちの目の前にでてきたのは透明感のある琥珀色のお茶だ。紅茶なんてろくに飲んだことがないルノですら、高いものであることは言われる前に分かった。
バラムスは飲まないようで、自分の分は入れていない。
「いただきます」
「……いただくぜ」
紅茶を口に含んだ瞬間、グラムは目を見開いた。
「うめぇ!」
ルノも小さく美味しいと呟いている。飲み物を飲んで自然に言葉が出てきたのは初めてだ。
「ふん、当たり前だろう……このワシが、口にするものに妥協なぞするものか」
そう言うバラムスだが、こころなしか悲しそうに眉尻が下がっている。
「口にするものに妥協しない……だってか? じゃあ不味かったから大量の食いもんを捨てたのか!」
「な! それは…………」
「待ってグラムさん」
今にも殴ってかかりそうだったグラムを止めると、ルノは静かにこう言った。
「バラムスさん、あなたはなんのために生きているの?」
「なんだと?」
「お前マジで唐突だな……」
「どういう意味だ、小僧」
バラムスは食い気味に聞いてきた。
「あなたが生きるための目的、それはなに?」
「そんなことを聞くためにここまで来たのか?」
ルノが首を縦に振ると、バラムスは座っていたソファにさらに深く座り込んだ。
「はぁ……何かと思えば、生きるための目的、つまり何に情熱を注いでいたのかということか」
バラムスは目を閉じ腕を組むと、少しの間ルノの発言を頭で繰り返した。そして、葉巻を取りだして、火をつけると、語り始めた。
「貴様らの目的には呆れたが、ここまで来た度胸に免じて話してやる」
「ワシは料理人になりたかった。料理こそ、ワシの生きる目的だった」
グラムは驚きながらも、料理の話と聞いて真剣な顔になった。
バラムスは淡々と続ける。
「幼い頃から食べることが好きでな。よく家のシェフにこれが美味しかった。どうやって作っているのかと質問したものだ。初めはただ聞いて、それをなるほどと思いながら料理に感謝していただけだったが、なにがきっかけか、いつしか自分で作りたいと思うようになった」
バラムスが息を吐く。白煙は静かに霧散していく。
「だがな、貴族というのはそう簡単なものではない。幼い頃こそ、料理を作りたいといえば、父も母も、喜んでやってみるといいと言ってくれた。しかし、ワシは長男、家を継がねばならん。大人に近づくにつれ、料理人になりたいという夢は緩やかに閉ざされていった」
「仕方ないことだった。貴族に生まれたものは、民の為にその身を捧げねばならん。頭でわかっていても、心は料理がしたいと叫んでいた。唯一の救いは、食べることを制限されなかったことだな」
「ある時、味を、料理の美味しさを感じなくなった」
「医者によれば、心に多大な負荷がかかった人間にはそういった事が起こりうるらしい。ワシは絶望した。作ることは愚か、ただ日々の食事を楽しむことすら、ワシには許されないのかと」
「だが、ワシは思いついた。腕利きの料理人、その料理を食べていれば、いつか味を感じるものに出会えるのではないかと」
ルノは静かに、真剣に話を聞いている。そして、この時点でハッとした。グラムの言っていた大量の料理はこれだ……
「ワシはひたすら料理人を呼びだし、作られた料理を食べた。だが、どれも味はしない。味のしないものを食いたくはなかった。そして、ワシは一番やってはいけないことをした」
「捨てたんだな、料理を…………!」
グラムが我慢できずに発した言葉は、バラムスに深く刺さった。
「そうだ、ワシは許されないことをした。自分のために、数多の美味しい料理を、それに込められた思いを踏みにじったのだ」
グラムはとうとう我慢できず、ルノが静止する前にバラムスに掴みかかった。
「てめぇ! 料理を捨てるなんてのはなぁ! 命を捨てるのと同じなんだよ! 俺はなぁ! 昔は金もなくて、ろくに飯にありつけなかったんだよ!」
「でも! そんな俺に、ある一人の料理人がな! 空腹はいけねぇってな、飯をくれた! そん時はなぁ! 美味くて死ぬかと思ったぜ!」
「料理ってぇのはそういうモンなんだよ!」
グラムの主張を、何一つこぼさぬよう、バラムスは目を見て受け止めた。
「それは分かっている。だが、もう戻れやしないのだ。ワシはもう、料理に顔向けできないほどに進んでしまった」
バラムスは唇を噛む。どれ程の辛いことがあろうと、やってしまったことに変わりは無い。そのことを誰よりも理解しているのはバラムス自身だった。
そんな様子を見て、ルノは口を開いた。
「でも、ほんとうは美味しい料理、食べたいんでしょ?」
「……! そんなこと、当たり前だろう! なんなら、食べるだけでは物足りない! 作りたい。そして分け合って食べたい。笑顔が見たい!」
バラムスは声を大にして言った。
「じゃあ、グラムとおんなじだね」
「二人は似たもの同士だ」
「……なんだと、貴様も料理を?」
「そうだぜ、俺は未来の頂点料理人だからな!」
そう言うと、宿でやったようにグラムは拳を突き上げた。
「だからさ、未来の頂点料理人の料理食べてよ」
「あ? 俺の料理?」
「……貴様の腕がどうかは知らんが、どうせ無駄だ」
バラムスはすっかり諦めたように、力なく言った。
しかし、ルノは続ける。
「バラムスさん、一人じゃなくて」
「みんなで食べよう」
「なんだと?」
ルノは未来の頂点料理人を自称するグラムを信じていた。そのため、グラムの料理ならなんとかなるのではと、あまり深く考えていた訳ではなかった。それに、単純にルノ自身が食べてみたかったのだ。
そして本人も気づいていない、ほんの少し残る家族での食事の記憶の残滓が、みんなで食べるという提案へと繋がった。
そんなルノの提案は、バラムスにとって予想外のもので、ルノが何を考えているのか全くの謎であったが、純粋なルノの様子を見て、少し心を動かされたのだった。