矛盾
突如現れたクラナタールの息子、アルベールを含めたルノたちは古本屋を出た。
店を出てすぐにアルベールがその口を開き、壁を勢いよく叩いた。
「あんたら、一体なんなんだ。店を出るという提案には賛成したが、うちの問題に首を突っ込んでいいとは言ってないぞ」
「よさんかアルベール! 彼らは私が体調を崩したところを介抱してくれたんだ。いわば私の恩人だ!」
クラナタールが覇気をまとった様子でアルベールを叱責する。
アルベールはそれに負けじと言葉を紡ぐ。
「……! そうかよ悪かったな! でもな、そもそもあんたは街をぶらぶらしないで、賢者として堂々としていればよかったんだ! それを古本巡りだ……? 趣味ならまだしも、それが賢者が研究もせずにすることか!」
「私の話を聞いていなかったのか! 私は賢者と呼んでいい人間では無い! 飾りなんだ! 私の本質は賢者などではない! 過去の話をするな!」
「……飾りなんかじゃない……! 俺は、俺はあんたに……!」
ヒートアップする議論に周りがざわつくなか、声を上げたのは一人の少女だった。
「……いい加減にしてください!」
ユミアは二人の間に立つと、両方の顔を見た。その顔は涙でいっぱいにし、怒りを浮かべている。
「冷静になってください! 私は何の話かは分かりませんが、お二人の頭に血が上っているのは分かります!」
「……そうだな。私が悪かったよ。すまない」
「……チッ、もういい。俺は帰る」
クラナタールはすっかり熱を冷まし、息をついた。
一方アルベールは舌打ちをしたっきり、また立ち去ってしまった。
ルノがその顔を見ると、初めて見た時と同じく眉尻が下がっていた。
「ユミアちゃん、やるじゃん」
「……よかったぁ、こわかったぁ」
メルトがユミアに笑いかけると、ユミアは力を抜かれたようにその場にへたりこんだ。
「……クラナタールさん、アルベールさんとはなんで喧嘩してるの?」
ルノは一連の流れを見ながら、二人の喧嘩の要因が気になり、気づけば質問していた。
その心からは既に、不安による重い空気は無くなり、いつもの好奇心が芽生えていた。
メルトによる肯定が、ルノにとって大きな支えとなっていた。
「……二度も見られてしまっては、話さずにおくのもおかしい。あまり良い物語でもないから語りたくないのだが、仕方ない」
ため息をついたクラナタールは、杖に重心を寄せる。
語りたくない。そうはっきりとクラナタールは言った。
それは、良い物語とは違うということなのだろうか。なぜ、良い物語しか語りたくないのだろうか。
「聞きたいのならば、私の家で話そう。外で話すものでもない」
「だが、他の用事を優先したいと言うならばそれで構わない」
クラナタールはメルトと一瞬目を交わすと、ルノたちの返事を待つようにじっと立ち続けた。
「……あー、いいんじゃない? 時間はあるし、ルノくんが聞きたいんでしょ」
「だったらうちがそれを止めることはないよ」
メルトが腕を組み答えると、ユミアはブンブンと首を縦に振った。
「わたしも賛成です。なんというか、アルベールさんとも仲直りして欲しいですし、まずは何があったのかを知りたいです」
ユミアの真っ直ぐな目にクラナタールは目を閉じ、背を向けた。
「ふむ、では、ついてきなさい」
クラナタールは杖をつき歩き出した。
ルノはその一歩一歩がゆっくりに、まるで進むのを拒んでいるように感じた。
◆
クラナタールについて歩いていくと、だんだんと住宅が多くなっていった。
遠くには学園も見える見晴らしのいい所で、建物が密集していた中央区に比べて開放的だった。
「ここだ。長らく歩かせてすまない」
その家は開放的なこの付近でも特に広く、大きな庭がついている。
果実の実った木々が周囲を囲み、パンドラで感じていた雰囲気が嘘のようにのどかだった。
その果実に手を伸ばす老齢の女性が、ルノたちの足音に気づき振り返った。
「あら……あなた、帰ったの? そちらは……」
「ああ、少し発作が出てな。助けて貰ったんだ」
女性はまぁ、と口を手で押さえると、ゆったりとした動きで歩いてきた。
「主人を助けてくださってありがとうございます。私はアリナと申します。さぁこちらへ、お茶をお入れしましょう」
アリナはそう言うと、手に持った果実を傍にあったカゴに入れ、玄関へと手招きした。
◆
「お邪魔します……」
ルノたちが家に入ると、甘く爽やかな匂いがした。
ふつふつとお湯が沸き立つ音が静かな部屋では大きく聞こえる。
窓から差す薄い光が、ルノの前を歩くアリナを淡く照らした。
「ハーブティーでよろしいですか? ああ、他にも色々ありますよ。お茶が好きなもので、揃えているんです」
ルノたちがソファに座ると、アリナがキッチンに立ち、問いかけてくる。
全員がハーブティーを飲むことに決めると、ロッキングチェアに腰掛けたクラナタールが息をついた。
「ありがとうアリナ、いつもすまない」
「いいんですよ。今日はよく歩いたでしょうし、ゆっくりなさってください」
アリナはティーポットを手に微笑むと、棚からカトラリーを取り出す。かたかたと音が鳴る中、クラナタールがゆっくりと前に乗り出した。
「では、ほんの少しだけだが、なぜ私がアルベール……息子と争っているかを話そうかな」
「と言っても、語れることは少ない」
クラナタールは壁の本棚に手をかざす。
中からゆっくりと本が宙を舞い、その手元に引き寄せられると、本のページがパラパラとめくられた。
「結論から言ってしまえば、アルベール……息子は私の現状に満足していない。分かっているだろうが、それが全てだ」
「私は賢者として、今も研究に寄与するべきである。立場を全うするべきである。それがアルベールの考えなんだ」
クラナタールは手を振り、捲ったページをルノたちの前に浮かばせる。
その紙面の見出しには賢人会と書かれており、紫のローブを着た人々が写真に写っている。
集合写真のようで、全員が並んで立っている。
ルノは写真を見てから、下から覗き込み、本のタイトルを見た。
「『バビロンズ』?」
「これはパンドラの研究に関する雑誌だ。そのページのほら、中央に男がいるだろう。それが、私だ」
クラナタールが指を鳴らすと、写真の中の男が一人、飛び出すように動き出す。
「わっ」
写真の男はそのまま写真の上に立ち、得意そうな顔で腕を組んだ。
「うわー幻影ですね! 本物みたい!」
得体のしれない現象に驚いたルノと違って、ユミアは目を輝かせ写真の男に指を触れようとした。
その指はすり抜け、男に干渉できなかった。
「……あー、幻術かどーりで……」
メルトはユミアの動きを見てそう呟くと、目を瞑りソファに寄りかかった。
クラナタールは写真の男――若いクラナタールを見ながら、その目に哀愁を漂わせる。
「これは私が賢人会の仲間入りした際の写真でね……この頃の私は今見ても自信過剰な若造にしか見えないな」
「……まぁ、こんな若造が今となってはこれだ。この頃ならば賢者として誰よりも賢いと考える程には傲慢だった。それほどの熱をアルベールは私に求めているのだろう」
クラナタールが静かに語る中、アリナが静かにハーブティーを机に置いた。
クラナタールはカップを手に取り、それを飲むと、窓の外を見つめる。
その目線の先にはまた、バベルの塔があった。
「……しかし、知識を求め、賢くあることには責任が伴う。私には背負いきれないほどに重く、冷たい責任がね」
「熱を持つにも、責任を背負うにも、私はもう老いた。ゆえに、アルベールの願いに応えてやることはできないのだ」
「これが私たちが喧嘩している原因だ。実にくだらない話ですまない」
ルノはクラナタールの話を聞きながら、その考えが分からなくなっていた。
クラナタールは熱、責任といった言葉で自分とアルベールの考えに差があると答えている。
そこには、なぜそうなってしまったのか、その行間がない。
彼が語ろうとしない過去は、良い物語にはならないのだろうか。
クラナタールは生きる目的として物語を読むためと言っていた。
しかし、彼は自身の過去という物語を語らない。
それは、『人は物語を作ることが出来る。それは人を感動させ、その世界へと引き込むものだ。言葉を持つものは語ることができる』と語っていたクラナタールの言葉自体と矛盾しているのではないか。
そう考えた時、ルノは疑問を解消せずにはいられなかった。
「クラナタールさん、なんで――」
――知識を求めなくなったの?物語が好きになったの?
その言葉よりも前に、クラナタールは大きく咳き込んでしまった。
「ごほっ、ごほっ、すまない……咳が」
口元を抑えるクラナタールに、アリナがすぐさま近寄り背中をさする。
ユミアもまた、駆け寄ろうとしたが、アリナの方が素早かったようだった。
「大丈夫ですか。今日はだいぶ動いたでしょう。横になった方がいいですよ」
アリナがクラナタールにそう言うと、ユミアもルノもうんうんと頷いた。
「……そうだな。すまないが、寝室へ向かう。アリナ、三人をゆっくりもてなしてくれるか」
「君たち、今日は本当にありがとう。滞在中、何かあれば頼ってくれ」
クラナタールはそう言って杖を手に立ち上がる。
その様子を見ていたメルトも静かに立ち上がった。
「あー、うちもついてくよ。一人じゃ危ないでしょ」
「いやいや、大丈夫だよ」
「いーから」
メルトは優しくクラナタールの肩に手を置くと、目を合わせる。
クラナタールは何かを察したように笑うと、そのままメルトに付き添ってもらいながら部屋を出ていった。
「……さて、お二人はハーブティー、大丈夫でした? クッキーもあるのだけど、食べますか?」
部屋を出たクラナタールを見つめていたアリナが、ルノとユミアに微笑む。
「ハーブティー美味しいです。それにクッキー! いただきます!」
ユミアがカップを持ったまま明るい笑顔でそう答えると、アリナは思わずといったふうに声を出して笑った。
「ユミアさんを見ていると孫が出来たみたいに感じますね」
「え……あ、なんというか、恥ずかしいですけど嬉しいです」
ユミアは顔を赤らめながらカップで顔を隠した。
ルノはそんな二人を見ながら、まだ残る疑問をアリナにぶつける。
「アリナさん、クラナタールさんとアルベールさんが喧嘩してるのは、考え方が違うからってこと?」
「……ええ、そうですね」
「じゃあ、なんでクラナタールさんは知識を求めなくなったの?」
ルノの言葉にアリナは少し目を伏せると、クッキーの乗った皿を机に置き、ゆっくりと椅子に座った。
「それは私からは語れません。あの人が話したくない、話せないって思ったのなら、それを私から話すのはおかしいでしょう?」
「それは……うん」
ルノはこれ以上聞くことは出来ないと思い、素直に引くことにした。
ユミアはクッキーを頬張りながらその様子を見つめていた。
「私は、どんな事があったとしても仲直りはして欲しいです」
「……家族、ですし」
そう言ったユミアの何かを懐かしむような顔が、やけにルノの頭にこびりついた。
◆
静かな部屋の中、カーテンは閉め切られ、ランプの灯りのみがメルトの白い肌を照らしている。
「――それ、もう長くないでしょ」
ベッドに横になったクラナタールに、その冷たく紅い瞳が突き刺さる。
まるで人のものとは思えないそれにも一切たじろぐことなく、クラナタールは目を閉じながら笑った。
先程部屋で咳を防いだ手には赤い血がついていた。
「……そうだな。私も、もう歳だ。仕方ないさ」
「そう、仕方ないね。まぁそれはどうでもいいんだけど……うちが聞きたいのは別のことだから」
「あんた、うちが何なのか気づいてるでしょ」
メルトは眉一つ動かさず、手元に力を込めてそう言ったのだった。




