学術都市
「よし、じゃあ開けるよ――」
メルトによって、その小さな扉が開かれると、ルノは目の前に広がる光景に自身の目を疑った。
扉を開くとすぐに、清涼感と無機質が混じりあったようなにおいがした。
左右には高い建造物が見えるが、ルノがこれまで近くで見てきた建物では遠く及ばない高度で、階数にして二桁は優に超えるそれは、道を進んでも進んでも続いており、建物同士を繋ぐ通路や忙しなく動き続ける大きな魔道具などが異質であった。
道行く人々の密度も高く、聞こえる会話の専門性に違いはあるが、その騒がしさはまるで、トレビオにまたやって来たかのようだった。
さらに遠く向こうには、島の外からも確認できた天を貫く塔がそびえ立ち、ルノは島の大きさに反する圧迫感をも感じていた。
「ここが、パンドラ……!」
ルノは街の賢さを内包した空気感に手足をうずうずと動かす。
見たことも聞いたこともないものは、これまでの旅でも多く出会ってきた。
しかし、ここは世界の頭脳と言ってもいいような場所――学術都市パンドラ・学園エリア。それは様々な学園が点在し、パンドラが学術都市と呼ばれる由縁のひとつでもあるエリアだ。
生きる目的の発見と別に、ユンデネでルノが見つけた、賢くなりメルトの役に立つという目的には持ってこいの場所だ。
だが、ここのエリアで突出しているのは学園だけではない。
大魔法図書館ゼーヴェルト、この世界の書物のほとんどを有すると呼ばれる知の宝箱、それもこのエリアに存在する。
ルノ、メルト、ユミアの全員の求める知識があるかもしれない。それこそ、ゼーヴェルトへと足を進める要因だった。
「ここはまだ手前だからこんな混んでるのかなー? とりあえず進んで、宿にだけ入っちゃう?」
「うん」
「はい、わたしは二人に従うので!」
メルトの提案にルノとユミアも同意すると、静かで騒がしい街を進んでいくのだった。
◆
宿の一室、ルノは日記帳を手に部屋の中をぐるぐると歩き回っていた。
「メルトさん、ゼーヴェルトにはいついくの? ぼくはもう行けるよ」
「ルノくん、気持ちは分かるけど待って。受付でお姉さんが言ってたでしょ。予約順があるからすぐには入れないって」
「……そうだった」
ルノは眉尻を落とし、ベッドにうつ伏せに倒れこむと、ごろごろとベッドを転がった。
メルトは優しく笑うと部屋の机横にある椅子に座った。
「だから、今は観光かな。といっても、他のエリアと比べたら観光に特化したものも少ないみたいだけど……」
「じゃあ、あの大きな塔を見に行きたい」
ルノは窓から島の中央を見る。雲を貫くほどの高さを持つ塔。
パンドラのどこにいても存在感を持つその塔は、図書館以外にもルノが興味を持ったものの一つだった。
「そうだねー、そうしよっか!」
メルトがそう言ったとき、部屋の扉が叩かれた。
「すみません! ユミアです! あの、わたし街に出ようと思ってるんですけど、い、一緒にどうでしゅか!」
扉越し、ところどころ噛みながら震えた声でユミアが言った。
「おー、ちょうど出ようと思ってたんだー! いいよ、一緒にいこー!」
「え、あ、やった……! 分かりました! じゃあ玄関口にいるので準備ができたら降りてきてください! あ、急がなくて大丈夫ですから!」
メルトの返事にユミアは弾む声でそう答えると、下の階へと降りて行った。足音が騒がしい。
「じゃーうちらもさっさと降りよっか」
「うん。ユミアさん嬉しそうでよかったね」
「うん……でも、ルノくんひとつだけ」
メルトは真剣な目でルノの手をとる。
「いい? ユミアちゃんは吸血鬼狩り。それは分かってるよね」
「うん。今は銀の剣を持ってないけど、でも、吸血鬼狩りなんだよね」
「そう、どれだけいい子でも、そこは変わらない。だから、うちはどうしても警戒しなきゃいけない。何かあったときの合図もしっかり覚えておいてね」
手を二回強く握る。それが危険な時の合図。ルノはユンデネでのことを思い出すと、メルトの目をしっかり見つめた。
揺らぐ紅い瞳、普段より暖かい手、それは時折表れるメルトの不安の合図だった。
「だいじょうぶだよ。ぼくはだいじょうぶ」
「そっか……よし、じゃあいこっか!」
メルトは、ルノの言葉を噛み締めるように一瞬目を瞑ると、明るい声で扉に手をかけた。
◆
「うわぁー! やっぱりどの建物も高いですねー!」
「そうだねー、うちもここまでのは見たことないなー」
宿を出たルノたちは、ゆっくりと塔へ向けて歩きつつ、様々なものを見て回ることにした。
現在は道すがら買った飴細工を片手に、街の様相をじっくりと眺めていた。
「こんなたくさんの高い建物に、この飴もどうやって作ったんだろう」
ルノはどこかの町を象ったらしい精巧な飴細工と街を交互に見ながら、少しずつ飴を舐めた。
砂糖の甘みが舌を撫で、すぐに消えていく。
そのたった一瞬の感覚が頭に焦げついた。
「やっぱサトウによる何かじゃない? パンドラ作ったのだってサトウでしょ?」
メルトは遠くにそびえ立つ塔を見ながらそう答えた。
その横でユミアは飴細工を丁寧に少しずつ舐めている。
「大魔法使いサトウですね……。確かにすごい人だったというのは聞いたことがあります!」
大魔法使いサトウ、ルノが調べたいことのうちの一つであり、この都市を作り出した英雄だ。
「猫を探してた人だったり、すごい魔法使いだったり、よくわからない人だね……あ!」
ルノがユンデネで見た石碑を思い出しながら笑っていると、看板が見えた。
「『バベルの塔』……もうあと少しだって」
「もうそんなに歩いたんですか! 楽しくて気づきませんでした!」
ユミアが飴を舐めながら目を見開いた。
メルトはそんなユミアを横目に耳をピクリと動かした。
「……ほんと、楽しいままでいたかったんだけどね」
そう言ってため息をつくと、メルトは看板の見えた道の先、曲がり角の方を見つめた。
「ここの人って喧嘩せずにはいられないの?」
ルノが推測する間もなく、その言葉の意味の方から聞こえてきた。
「――だから……! もういい!」
「おい、待ちなさいアルベール!」
曲がり角から一人の焦げ茶色の髪をした男がこちらへと走ってくる。
横を通りすぎていく顔を見ると、歯を食いしばっている。それだというのに眉尻は少し下がっていた。
後を追うように、曲がり角からゆっくりと一人の老人が顔を出した。
色を失った長い髪と髭に、年季の入った木の杖をつき、紫色のローブを身につけていた。
咳き込みながら、ゆっくりと男の後を辿るも、ルノたちの近くで立ち止まってしまった。
「……さすがに、無理だな」
老人はそう言うと、その場にしゃがみ込んでしまった。
「だいじょうぶですか!」
ルノはすぐにその老人に駆け寄る。ユミアも同じタイミングで飛び出し、老人の肩を支えた。
「おや……旅人達よ。申し訳ない……」
「いいですから、あちらのお店から椅子を借りてきます。少し待っててください。あ、お水とかも」
ユミアは老人を道端へと連れると、テキパキ動き出す。
「もう話はつけといたよ」
声と共にメルトが椅子と水を飲食店から持ってきた。
心配そうな店員が店先から覗いている。
「なんとも、暖かい人達だ」
ルノはメルトから水の入ったコップを受け取ると、老人の目を見る。
「おじいさん、お水いりますか?」
「ああ、ありがとう」
老人は水を受け取ると、ゆっくりと飲み、胸をさすった。
「うん、楽になったよ」
「私はクラナタール。お礼がしたい。名前を教えてはくれないか、旅人達よ」
老人クラナタールは、そう言って柔らかな薄紫の瞳をルノたちに向けた。




