先へ進め
真っ青な海の上を、大きな船が進んでいる。
帆船の形をしているが、風の影響に左右されない魔道船であり、揺れなどもある程度軽減されるため、その旅路は至極快適なものだ。
ただし、完全に揺れが無くなる訳ではなく、船酔いというものは避けられないものだった。
「ルノくん、大丈夫?」
「うーん……だいじょうぶ……」
ルノは現在船酔いによりダウン中であった。
船員の一人が個室で寝込んでいるルノを見ながら、丁寧な仕草で容態を見ると立ち上がった。
「重度ではないようですね。ひとまず水分はしっかり取ってくださいね。脱水などは特にまずいので」
「何かあれば医務室の方にいらっしゃってください」
「ありがとね、なんかあったらすぐ行くから」
メルトは部屋から船員が出たのを確認すると、ルノが横たわるベッドに両肘をつき、手のひらに頬を乗せる。
「ルノくん、とりあえず少し寝た方がいいよ。少し軽くなったら外の空気吸いにいこう」
「うん……」
ルノはぐるぐると回る視界、ぐちゃぐちゃに感じる体の内に翻弄されながらも、目をつぶる。
寝ようとするも簡単に寝られるほど楽ではないうえに、この船の行く先、学術都市パンドラへの期待と不安が溢れてやまない。
さらに賢くなれる予感、吸血鬼についての理解が深まる予感。そういった予感が混在し、心に熱として浮き出ていた。
その熱は夜になっても冷めることはなかった。
◆
翌朝、ルノは前日までと比べてかなり回復していた。しかし、かなり体力を削られたことで本調子ではない。
船に乗ってまだ数日だというにもかかわらず、ルノはどっと沈んだ気持ちにもなっていた。
そんなルノを支え続けた熱は、未だ消えないどころか増長している。
「ルノくん、まだ辛い? 今なら天気良いし、外の風が気持ちいいと思うけど」
「外……出たい」
ルノは手元で握りしめていた日記帳を机に置くと、メルトの差し出した手を取りゆっくり立ち上がる。
そのままメルトに引かれ甲板へと向かっていった。
甲板に出ると、程よく晴れた空、潮風のかおりとともに何やら騒がしい声がした。
「だから、考えすぎなんですよ、あなたは! この船もパンドラも大魔法使いサトウの天才性から出来たものですが、根本にあるのは我々と同じ魔法でしょう! 『魔道歴論』による考証もされています!」
「何を言う! 思考停止したバカめ! だから万年凡人なんだ! どう考えても魔法では説明がつかない! 基礎から違うだろう! この原理はやはり呪術だ! 『内界考』によれば内界での魔道の扱いは我々とは異なる可能性があると指摘している!」
「バカですって! あなたこそ、そんなにずっと頭で原理だのなんだの考えてた癖に得たものがないでしょう! そんな優柔不断だから奥さんにも逃げられて、答えにもたどり着けないんですよ! これでは思考停滞ですね!」
「なんだとこの、伝説狂信者が! 自分の思考停止を棚に上げるとは! お前なんか構造を理解せず上辺だけ見て、絵本の英雄にでもなる妄想をしていればいい!」
ルノが声の主を見ると、ローブや帽子を身につけている二人の男がいた。
互いに頭に血がのぼっているようで、他の乗客からの目線も何も気になっていないようだ。
そんな二人の元へ、昨日ルノを看病してくれた船員が仲裁に入った。
「すみません……他のお客様の迷惑になるので、ここでそういった大声などは控えてもらえると……」
しかし二人は、船員をチラリと見ただけで、全く止まる様子がなかった。
困ったように萎れてしまった船員を見てルノが声をかけようとすると、メルトが二人の元へと勇みよく踏み出していった。
「ねぇ、うるさいんだけど、こんなところでぺちゃくちゃ馬鹿みたいに喧嘩して恥ずかしくないの? 見た目的に学者とかそこらでしょ?」
「なんですか、僕は今こっちと話しているんです。邪魔しないでください!」
「そうだ、女が口出してんじゃねぇ!」
二人はメルトに対してやたらと強気に出た。
しかし、その状況は一瞬にして変わった。二人がメルトに文句を言ってすぐ、顔を青ざめたのだ。
「……女が何? いいよ、続けてよ。なんで黙るの? 早く」
冷たい声で二人に詰め寄るメルトには冷たいオーラが見える。
人としての本能が敵対してはいけないと訴えかけるオーラだ。
「……あ、いや、す、すみませんでした。少し熱が入ってしまって、本当……」
「俺も悪かった……周りを考える余裕がなくなっていた」
二人はさっきまでの姿が嘘のように縮こまり、冷静になっていた。
周りの乗客ももう大丈夫だと思ったのか、それぞれの時間に戻っていった。
「謝れるんならいいよ。でも、ちゃんと他の人にも謝りなよ」
「ちゃんと迷惑かけた全員にね……?」
「「はい!」」
言われた通りに二人が乗客に謝りはじめたのを確認すると、メルトはルノの元へと戻り、いつものように優しい笑顔を見せた。
「大丈夫? ルノくん、変なののせいで頭痛くなったりしてない?」
「だいじょうぶ。それよりも、さっきの人たちなんだか難しそうなこと沢山言ってたね」
ルノは不快よりも、興味が勝っていた。二人の喧嘩による怒号すら、今のルノにとっては賢くなるための材料と見なされていたのだ。
「そうだねー、多分服装的にパンドラの人じゃない? あんなのばっかだったら嫌だけど」
メルトはため息をつきつつ、ルノに手を差し出す。
ルノはその手を取り、甲板の前方へと向かった。
船から見える海はフラレスで見た時とはどこか違うようで、どこまでも広がるその様子も綺麗さよりも、未知なる領域のように思えた。
「メルトさん、あとどれ位でパンドラなの?」
「んー、3、4日かな?」
「そっか」
「また気分が悪くなったらすぐ言ってね」
ルノは頷くと、風に吹かれながら船の進む先を見る。
まだ何も見えないその先に、学術都市パンドラがある。
実感はないが、胸の熱が燻る。その頬は自然と上がっていた。
「ぼく、パンドラに着くのが楽しみ」
「……うん、うちも早く着きたい」
二人は遠く同じ先を見ている。
――メルトの表情がどうだったのか、この時のルノは見ていない。彼女が何を思っていたのか、それを予想することすら出来なかった。
◆
――数日後――
「ルノくん、そろそろ見えてくるらしいよー!」
船室でベッドに座りながらルノが日記を読み返していると、メルトの小さな分身体からそんな声が聞こえた。
ルノは分身体に向けて目を輝かせると、すぐに立ち上がった。
「ほんとう? 外に出たら見えるかな」
「そうだね、かなり大きいらしいから、着くのには時間がかかるかもだけど!」
分身体がそう言うと、ドアが開き、メルト本体が現れた。
「見に行く? ルノくん」
「うん!」
ルノはメルトとともにすぐさま外に出ていった。
そして、ちょうどルノが甲板に出て船の進む先を見た時だった。
「……! え……!?」
ルノは唐突に見えたそれに言葉を失った。
それは、雲を突き抜けそうな程に高い塔。大きな島の中央にそびえ立つ一柱だった。
島の全貌が見えるわけではないにもかかわらず見える巨大な塔、この世界であれほどの建築を可能にする者がどれだけいるのか、ルノには想像できなかった。
「あれが、パンドラ……!」
そこは、世界の知識を集積する場所である。
そこは、未だ解明されぬ未知を秘めた場所である。
……そこは、開けてはならぬ真実の箱を隠す場所である。
その名は学術都市パンドラ。
ルノとメルトはそんな都市に足を踏み入れようとしていた。
かなり遅れて申し訳ないです。
パンドラ編スタートです。もしかしたら前編まで投稿してまた期間が空いてしまうかもです。




