傷跡と夢
現在はルノたちが避難所として使われている大きめの宿へ到着してすぐ、ノモトは簡易ベッドとして敷かれた布団にメルトを寝かせると、周囲を見渡していた。
ルノもまた周りを見ると、これといった重傷者は見えず、けが人と呼べる者は、瓦礫につまづいた者や炎で軽い火傷を負った者のみだった。
ルノがメルトの横に座り込んでいると、ひとつの足音が向かってきているのに気がついた。
ノモトも分かっていたようで、立ったまま足音の方に向くと、腰に手を当てやってきた人物を見つめる。
「こんにちは神父様、残ってるでかい被害は建物だけかな?」
「はい。それよりもノモト様、今回は大変申し訳ない。それどころか、兵士からはどうやら暴徒に対応してくださったと……なんとお礼を申し上げれば良いのか」
やってきていたのはルノが教会に行った際にいた神父だった。
神父は申し訳なさそうに頭を下げる。神妙な顔の中に、何か裏があるかのように口を結んでいるのをルノは見逃さなかった。
ノモトは神父に対し頭を上げるように言うと、そのまま神父の耳元に近づく。
「――神仕者について隠してたことがあるよね」
小さい声で、ルノも辛うじてこのような内容ではないかと推測できる程度の音だった。
神父はノモトの言葉を聞くと、目を閉じ小さく頷いた。
「ええ……そうですね。貴方には話してもよいのかもしれません。そちらで眠っている白髪の方も、話によれば暴徒を抑えてくださったとか」
神父はフードを被ったまま寝かせられたメルトを見ると、隙間から見える白髪を注意深く観察していた。
しかし特になにかを言及する訳でもなく、またノモトの方へ向いた。
「なので、後日教会にいらしてください。そうしたら、私の知る限りのことをお答えします」
「分かった。ただ、彼女の素性についてだけど……」
ノモトが少し圧をかけるように低く言うと、神父は手を出して発言を止め、分かっているとでも言うかのように瞬きをした。
「それに関しては、教会自体が何かをすることはありません」
「では、私も町の様子を確認しなくてはならないので、失礼いたします」
神父はそう言い残すと、少し駆け足で宿から出ていった。
ルノはメルトの手を握り、その様子を見ていた。
心というものが分からなくなってしまった状態のルノにとって、また明かされる神仕者の情報もまた、自分が理解出来るものなのかと考える対象となってしまっていた。
吸血鬼狩りのボスが吸血鬼という構造的矛盾、それはこれまで人の内面を常に見ていたルノにとっては理解し難いものだったのだ。
考えるうちにメルトを握る手の力が強くなる。
ルノは、メルトが大丈夫だと思っていても、考える程に不安が募っていた。
「メルトさん、ぼく、心が分からないのかな……」
ルノはいっぱいいっぱいの頭を抱え、呟いた。
◇
あつい。あつい。とにかくあつい。
かつて森だった場所をひたすら走っている。木は焼け焦げ、真上から陽光が降り注いでいる。なんとかほんの少しの日陰を探して逃げ続けている。
日光によって力を削がれていく。うちは吸血鬼だ。焼け死ぬことはなくても、じりじりと体力気力が無くなっていくことは、最終的な死を意味する。
では、諦めるか?
正直、これ以上の事は望めない気がしている。人間たちは両極端だ。うちに優しくするか、殺そうとするか。
そこに間などない。たとえどんな態度をとられようと、命を狙ってくるまでは「優しい」それだけだ。
今自分を追っているのは後者、優しくない方、率直に言えば「敵」だった。吸血鬼である自分を殺すことは吸血鬼狩りである彼らにとって、それぞれの背景など関係なく、当たり前のことだ。
吸血鬼に生まれたことだけが、彼らとの溝を作り出している。
やはり、諦めるか?
頭の中で自分が問う。気づけば背後には男が迫っている。自分が本気で走っているというのに、相手の足音は対照的にゆったりとしている。そこで、自分がろくにスピードを出せていないことに気がついた。
ふと、足に激痛が走る。足元を見ると、銀で出来た十字模様と、それを踏んだ際に発動したであろう銀の拘束具があった。ぎらりと並んだ歯が足にくい込んでいる。触れられず、二方向から挟まれて歩くことすら困難になってしまった。
「内界から持ち込んだこれ、向こうの伝承と混ざりあってんのか知らねえが、よく効くよな? クソ吸血鬼さんよ」
「罠にまんまとかかってくれてラッキーだなぁ!」
逃げる方向を誘導されていたのか。
せめて体を日光から隠せれば、力があれば、そもそも見つからなければ……もしもの話や人生への後悔が頭によぎる。
もうだめだ。諦めるか……
「じゃ、死んでくれな」
男が手に持った銀の槍を構える。
「いやだ……!」
死にたいわけがない。諦める訳がない。
精一杯の力を込め、体中の傷から血を操る。辛うじてナイフを作り出すことに成功した。
「そんなにちいさなお子様ナイフで何ができるってんだよ!」
男が心臓めがけ槍を突き刺そうとする。その瞬間、地面が崩れ落ちた。
「なッ」
「すぐに魔法使ったらバレるからね……弱ってるからって油断したでしょ……バーカ!」
「クソ吸血鬼が……! クソ! 足が動かねぇ!」
血の武器を陽動に作ったのはただの沼だった。男がこちらを弱ったと舐めていたおかげで、奴の来るであろう足元に魔法で水を送り込み、沼を作り出すことに成功した。
「絶対殺してやるからなぁ!」
やがて男は沈んで何も聞こえなくなった。魔法を使える奴だったら危なかった。
「うちの服まで燃やしやがって! このクソばか!」
もう見えない男に罵倒を浴びせておく。お気に入りのフード付きの服が燃えてしまったことが悲しい。フード服なしでもおかしな格好になる訳ではないが、日の光を防げないことが痛い。
「どうしよう、夜しか動けないや。お腹も空いたし……」
逃げきれた喜びから現実へと目を向けると、興奮状態が切れたのか思考も回らなくなる。
そして、絶望的状況が続いていることを理解した。
「まずいな……ん、あれは……」
遠くに洞窟のようなものが見える。あそこならなんとかなる……!
希望が見えると同時に思考も冴えてきた。ちいさな鞄からひとまず体を覆うことのできそうな布を取り出すと、頭に被る。見た目はどうあれ、何とかなりそうだ。
「食料は、なんとかなるでしょ……!」
うちはそのままゆっくりと洞窟へ向かった。
その先の出会いの予感なんてものはなかった。ただ、生きるための行動だった。
◇
「封鎖されてる……」
吸血鬼狩りから逃げた先、カヴァロの山に見えた洞窟はどうやら魔法陣と柵を使って封鎖されているようだった。
洞窟内からヒンヤリとした空気が吹いてきて、日光によって弱ったうちの体を癒すかのように過ぎていく。
「管理者のひと、ごめん!」
誰かも分からない管理者に断りを入れると、うちは魔法陣を血のナイフで破壊、洞窟の入口を塞ぐ柵もまた力を込めてぐにゃりとねじ曲げる。
そして中に入ると、力を込めていい感じに元の形に戻す。
「よし、後は……」
問題は傷を負った体を休めるにしても、口に含むものがない事だ。せめて水が欲しい。
「進むしか、ない!」
弱気になってはいけない。うちは知らなきゃいけないことがある。まだ、死んじゃだめなんだ。
こうして、うちは決意のままに洞窟の奥へとゆっくり歩いていった。
◇
洞窟内に入ってしばらく、どこからか音が聞こえた。
最初に聞こえたのはおそらく爆発音、それ以降、洞窟内で崩れそうになる壁や天井が定期的に見える。
かなり大きい洞窟みたいだし、ほっといても大丈夫かもしれないけど、万が一崩れて外に出られなくなったら困ると思った。
それで残った力を振り絞り、ひび割れた部分に小さな石を込めてから魔法で固めて歩いていた。
「……! また! あーあー、ここもだ!」
また、ひび割れを発見し、それを修復する。
その時足元が、がくんと崩れそうになった。
「まずいなー……」
体力も魔力も限界に近いということだ。魔物でもいれば血を吸うことが出来たのに、一匹もいない。湧き水なんかもない。
もうだめかもしれない。
「……!」
壁に出来たひび割れを直して、また奥へ進もうとすると、開けた空間に出た。
その壁際に、小さな男の子が倒れている。
上を見ると、壁の高い位置に一箇所穴が空いており、崩れたものだと分かった。そこから落下してきたのか。
「血……」
そう、血だ。あの男の子から少しでも血を吸えば、かなり回復できる。
大量に吸えば、しばらくの間は持つだろう。
「……」
血を吸わせてもらおう。どんな事情があるのか知らないけど、ここでうちが助ける義理もないし、血を吸ってまた道を戻る……うん、それがいい。
うちはゆっくりと歩き、男の子に近づく。
そして、その顔を覆った長い前髪を払った。
「え?」
髪で隠れていたのは整った顔立ちだった。どこか他の人と違うようにも思えるが、理由は分からない。
それよりも、なぜか感じる懐かしさの方が重要だ。
心臓が高鳴る。無くしていた何かを見つけたような感覚に近い。
この男の子は何者なのだろう。
うちはこの子と話がしたい。そう思った。
「……もしもーし、大丈夫ー?」
こっそりと血を吸ってしまおうと思っていたというのに、そんな考えはすっかり抜け落ちていた。
でも、その肩を叩き、ほっぺをつねっても全く起きない。
「…………おい、起きろー、起きろってー、あーどうしよ」
立ってるのも疲れてきた。どうしよう……
息を整えつつ、膝に手を置いて少し休憩する。もう座ろうかな。
そう思った時、声がした。
「だれ……?」
それは、うちのこれまでを終わらせて、新しい旅を始めさせる合図の音だった。
――そんな夢を見ていた。
同じ声が世界の外から聞こえた気がした。
それは護るべき大切なもの。うちがうちでいるための、今生きる目的。
『メルトさん――』
そうだ。目覚めないと。
そう思った時、うちの意識は夢から離れ、現実に浮いていく。
目を開き、ぼんやりとした視界には、どこか思い詰めたような顔のルノくんがいた――
◆
ルノが頭を抱え、呟いた直後メルトの手がピクリと動いた。
そして、ゆっくりと目を開け、ぼーっとした目でルノを見つめた。
「……あれ、ルノ、くん…………ルノくん!」
「よかった………………!」
メルトはルノを見ると、すぐにぎゅっと抱きしめるのだった。
「メルトさん……!」
ルノはメルトを抱きしめ返すと、安心に体が熱くなった。
ノモトはメルトが目覚めたのを見たまま固まっていた。
「驚いたな。魔法をかけてもらったとは聞いてたけど、さすがにすごい再生力だ」
メルトはまだ力が入り切らない体を起こしたまま、ノモトを見て軽く笑った。
「そりゃ、うちは天才だからね」
そして、ルノを抱いた手を離すと、なにかを噛み締めるかのように手を握り、息を吐いた。
「それで、どうなったの?」
メルトの紅い瞳には強い光が宿っていた。
◆
メルトはノモトから事の顛末を聞くと、腕を組み唸った。
「うーん、状況的に今すぐ神父に聞きに行けるわけでもないかー」
「そうだね。後日、とは言ってたけど、今回の被害でやる事尽くしかもしれないし」
ノモトは何か考え込むようにメモを見つめながら言った。
そしてメモを閉じると、外を指さした。
「だからとりあえず宿に戻るといいよ。泊まっていた客はまだ利用できるみたいだから」
「うん、ありがとうノモト」
メルトは礼を言うとすぐに立ち上がった。少しフラついたが、腕をのばしてバランスを取る。
「じゃあルノくん、行こう」
「うん、体はだいじょうぶなの?」
「へーきへーき、ごめんね。心配かけて。ルノくんは?」
メルトは眉を下げ、しゃがむとルノの手を握りながら目を合わせた。
「ぼくはだいじょうぶだよ」
ルノは自分の中で渦巻く疑問を抑えて笑った。




