野本紗雪
ノモトが生きる目的という言葉に過剰に反応した原因だと思われる過去話を聞くために、ルノたちは夜の小道を歩いていた。
道の左右にある草むらは、風に揺られ小さな音を奏でている。
空を見ると、雲の隙間から月がこちらを見つめているようで、ルノはどこか感傷的になっていた。
静かな空気の中、ノモトが口を開く。
「さっきはごめんね、ルノ。生きる目的……だったよね。ちょっと、色々あってさ」
「本当に面白い話ではないからさ、人に話すものじゃないんだけど、変なキレ方しちゃったから」
ノモトは前を歩きながら、背中に手を回した。
「何回も謝らなくてだいじょうぶだよ。なんで怒ったのか、教えてくれるんでしょ」
「ルノくんがこう言ってるんだから、もう気にしてウジウジしないでよ!」
ルノとメルトの言葉を聞いたノモトの背中は少し肩の力が抜けたようだった。
「――そう、いい子だね。ルノは」
「じゃあ、話そうかな」
ノモトは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「まずルノ、ごめんね。私は学者じゃなくて、この国の魔法騎士団団長なの」
ノモトは振り返らない。ゆっくりと、前を歩き続ける。
そして、上を見上げながら続けた。
「それと……これは言うつもり無かったんだけど、実は交差人なんだ――」
◇
私の名前は野本紗雪。日本生まれ日本育ちの純日本人。
日本っていうのは内界の国の名前ね。
私は特に何かに頑張るって感じの子供じゃなくてね。
趣味も、学校も、家族でさえ、どこか適当っていうか、雑に生きてきたんだ。
私には歳の離れた姉がいてね。昔から無気力な私にも何故か優しい人だったな。
結婚して、子供も生まれてからも、よく買い物に行ったり、家に泊まったり仲良くしてたな。
それでね。姉の息子がいたんだけど、とにかく可愛かったの。
その甥っ子が生まれた時私は高校生……えっと、17〜8歳くらいでね、この先どうするか迷ってた私にとって、赤ちゃんと出会った経験が人生を変えたんだ。
私は積極的にその子の世話をしたり、お母さんに子供について聞いたり、お父さんにも自分が小さい頃どうだったか聞いたりして……家族の大切さに気づけたんだ。
子供というのは本当に可愛い。無邪気で、純粋で、とにかく笑顔で、たまに泣いたり怒ったりする姿も愛おしい。
ひとまず学問の道に進むことにしたけど、私は将来子供に携わりたいと思うようになった。
特に立派な事でもない。軽い動機だけど、やりたいこと、夢中になれることを見つけたんだ。
甥っ子も成長して、私も勉強を頑張ったのが報われて、やりたい仕事も見つけた頃だった。
――私は外界に飛ばされた。
理由は今でも分からない。インターン……まぁ、職業体験みたいなやつから帰る途中、突然だった。
いつも通る裏道を通っている時、急に目眩がして、気がついたらルズニアの王都近くの草原にいた。
そこからのことはあんまり詳しく話すことじゃないけど、とにかく命がけで、生きるために必死だった。
言葉は所々通じる単語もあったけど、外来語としての機能以上はないし、そもそも私は身分もない異邦人で、仕事にもありつけない。
川の水をかじった程度の知識で蒸留して飲んで、魚を取って生きてた。夜は怖かった。なんで私はここにいるんだろう。なんで私がこんな目にあうんだろうって思った。
それだけじゃなくて、魔物なんかは日本では見なかったから恐ろしかった。
人の会話を聞いてなんとか言葉を覚えてからは、当時の騎士団長にたまたま出会って、強くなれば騎士団で拾ってやるって言われた。
団長は直接剣とか魔法を教えてはくれなかったけど、代わりに騎士団見習いの特訓を見せてくれた。
私は必死でそれを見て、まず剣を覚えて、見習いの子たちに聞いて魔法の感覚を学んだ。
時間が経ってやっと騎士団に入った矢先、団長が亡くなった。
団長の後ろ盾もない私は無力だった。けど、騎士団に入れたことで訓練とかは正式に受けられたし、キツかったけど成長できたよ。
その後は、色々頑張って魔法騎士団のトップに登り詰めた。
これはただ強くあるべきというのもあるけど、今の私に最も近い方法で世界の色んな情報を集めるためでもあった。
それから権限とか使ってなんとか情報を集めて、やっと内界と呼ばれる異界に日本があると分かったんだ。
時間の合間に勉強して、伝承とか歴史を調べて……大変だけど必死だった。
全ては日本に帰るためだった。
◆
「――それでね、私にとっての生きる目的って帰ることで、でもそれよりも今を生きる必要があったの」
「だから、ルノみたいに賢くて、物事を考える余裕があるのが、少し受け入れられなかったんだ」
ノモトは、ただ帰りたいという目的がありつつも、目の前の生に必死だった。
それはルノがただ、カヴァロで生きるために生きていた時と、中身は違えど同じことだった。
ノモトもまた、生きるために生きていたのだ。
「……ノモトさんは、生きるために全力だったんだね」
「ぼくは、ぼくにはなにも無いと思って、ただぼーっと生きてた」
「ノモトさんと同じように目の前しか見えなかったけど、ノモトさんは、ぼくと違ってずっと頑張ってたんだよね。それは、凄いと思う」
ルノは自分で言いながら、目元が熱くなっているのを感じた。
家族のために帰りたい、ただ生きていく日々、それが自身と重なり昔の自分の無責任な死の渇望や、現在もまだ目的を探すだけの自分が不甲斐なく感じたのだ。
同時にひとつの考えも得た。
人は目の前に全力でも生きていけるのだ。目的が近くになくても、生きることは出来るのだ。
それは生きる目的を探すというルノの旅において、大きな収穫だった。
メルトは涙を流すルノを後ろから優しく抱きしめると、その軽い体をひょいと持ち上げた。
ルノが驚いてメルトの顔を見ると、その紅い瞳は闇夜に優しく輝き、まるで空に浮かぶ星のようにルノを見下ろしていた。
「ほんと、きみは優しくて、頭がよくて、いい子だなー」
「な、なに、メルトさん、恥ずかしいよ」
ノモトもチラリと振り返り、くすっと笑うと、ルノに近づき頭を撫でる。
その顔はどこかイタズラをする子供のように笑っていた。
「そうだぞー、ルノはいい子だ。私の甥っ子と同じくらいね」
二人にひたすら褒められ、ルノは前髪を触りながら顔を赤くするのだった。
◆
「それにしても、ノモトさんが交差人ってほんとうなの?」
「え、そこ信じてない? うそぉ」
「まー、あんたは怪しさMAX黒女だからね」
「よく言うよ、メルトだって全身真っ黒なのに」
ノモトの過去を聞き、彼女の生きる目的への考えを知ったルノは自身の過去を見つめなおした。
ノモトは、こうして成長したルノを抱きしめ続けるメルトから引き剥がすと、宿の方へと帰っていた。
「それに関してはこの格好とか、知識で信じてもらうしかないな」
「でも、そこはいいんだよ。重要なのは、過去を話すのに必要だったってことだけで」
ノモトはすっかり軽やかな足取りで、普段の謎めいた雰囲気をまとう。
その頭の後ろでまとめた髪が夜風に吹かれて揺れた。
いつの間にか前を歩くルノとメルトを見ながら、ノモトは懐のメモ帳を取り出した。
「あと、伝承調査だけど、これ以上のものは出てこないような気もするんだよね」
「トリトについても、サトウについても結構調べることは調べたんだけど、もう結構手は尽くした感じかな」
ノモトは取り出したメモ帳を見ながら言った。
「あとはもうユンデネの謎として、神仕者についてとかしかないかな。異界の穴に関してとか、サトウの帰った方法とかは情報がない」
「神仕者が内界に帰る方法に繋がってるとしても、本当に謎なんだよね」
ノモトはお手上げといった感じでため息をつく。
メルトは教会の方角を見つめながらその話を聞いていた。
「神仕者ねー、うちもなんとなく内界に関係ある気はするけど、最近現れたっていうのがイマイチ分かんないなー」
「ノモトさん、最近っていつくらいなの?」
ルノはメルトの話を聞いてそこに疑問を持った。
「あー、30年近く前だね。あ、ちょうど戦争のあった頃だよ」
「戦争……」
それはルノが生まれるよりも前に起こったもので、ルノにその記憶が無いのも当然だった。
しかし、戦争という単語に関しては、ノモトから聞くより前に聞いたタイミングがあった。
「そういえば、メルトさんと初めて会った時、戦争孤児かって聞いてきたよね」
メルトは目をぱちくりとさせて驚いた。
「よく覚えてるねー、うん、言った」
「なんでそう言ったの?」
「あー……」
ルノは戦争を人々が戦うこととしか認識していない。
そもそも戦後に産まれたうえ、教育を受ける余裕もない。戦争後の世界がどうなるかを知るよしはなかったのだ。
「……そうだな、私が説明しようか」
メルトが言葉に詰まるのを見て、ノモトが口を開き、足を止めた。
そして、メルトが小さく頷くのを見ると、話し始めた。
「戦争はね、人と人が殺し合うんだ。しかも、国の人はみんなそれに参加する」
「国の人も食べ物も資材も使うから、勝っても負けてもしばらくはそのダメージは残る」
「このルズニアも例外じゃなくてね。まだ色んなところが復興中なんだよ」
ルノは話を聞きながら、これまでの町を思い出す。しかし、どうも現実感がなかった。
「どこもみんな元気だったよ?」
「それは30年で形がだいぶ直ってきたんだ。でもそれだけじゃない……戦争への批判的な意見をすることが禁忌なんだよ」
「禁忌?」
ノモトは言いにくそうに目を逸らしたが、すぐにルノに顔を向けなおす。
「30年前の戦争はルズニアの前王の強硬策でね。結果は和解に落ち着いたけど、国への被害が多くて不満は多かった。でも、王家の侮辱になるって言って戒禁令を出したんだ」
「つまり、王様への悪口になるから話をするなってこと」
「そう、なんだ」
ルノは真実を追求することが禁止されることに納得いかなかった。
「それに傷跡は残っている。食料とかのインフラは何とかなってるけど、戦争で親を亡くした子供やそれを保護する施設、労働者の不足なんかは地方によってはまだまだ未解決だ。現に今でも労働者が足りないカヴァロなんかでは子供を雇ってるって言うし」
「ルノがどんな過去を背負っているかは知らないけど、君の生きるこの国は、今も深い傷を抱えてるんだよ」
ルノは世界にはまだ自分の知らないだけの痛みがあるのだと知り、どこか漠然と自身の痛みにも感じた。何故戦争が起こってしまったのかという疑問もその痛みとともにあった。
だが、その心は別の方向を向いていた。
「そっか、今もみんな頑張ってるんだ。ぼくも頑張らないと」
「全く……前向きな子供だな、ルノは」
ノモトはどこまでいっても子供に見えないルノの精神に驚き、その目を凝視した。
「……本当にね」
メルトはそんなノモトと違い、痛みから目を逸らすように下を向いていた。
ノモトはメルトの様子に気づくも、触れずに話を戻す。
「それで、神仕者の現れたと言われてる時期と戦争の時期が重なってるって話だけど――」
ノモトがそう言いかけてやめた。
その目は町の方へと向けられている。
メルトも、何かを察知したようで、ノモトと同じく町に目線を向けると、耳に手を当てる。
「……戦闘音だ!」
戦闘禁止のこのユンデネで聞こえるはずのない轟音と血の予感は、ルノの心臓を締め付けるに充分な衝撃だった。




