おおきさ
男の意識が浮上する。
ハッキリと状況を見ることはできない。体を拘束されているのだ。
だが、焚火だろうか、火が灯っている赤と、少し焦げたにおいがする。
さらに耳をすませば、寝息のような音も聞こえる。
「は、ずいぶんとお気楽だなァ」
アーヴァンスは自分では考えられないほどの優しさと無警戒に呆れを通り越して畏怖すら感じていた。
「『なんでころすことがアーヴァンスさんにとっていいことなの』……なァ」
純粋無垢なあの瞳は、人の裏というよりも、内側を探しているようだった。あの少年にとって、人とは地続きに一つでくくることができる存在なのだ。
「矛盾をしらねぇ甘い坊主ってこったなァ」
これまでルノが出会った人間の影響もあるだろうが、それは、生来から彼の持つ特性だった。
それを肌で感じたアーヴァンスはまた心がひりつく。
「もう、俺がいくつかもわかんねェ」
一人、夜空を見上げながら、アーヴァンスは過去を思い出す。
◇
俺の家は、言っちまえば、最悪だった。
毎日毎日、俺とお袋は親父に殴られ、蹴られ、罵倒された。
あいつは仕事もしねぇで酒に溺れて、お袋の稼いだ金を奪い取る。よくあるゴミだった。
いつになっても体中のあざは消えねぇし、お袋がそんな俺をかばうのも、なぜか謝ってくるのも気持ちが悪かった。
物心がついたときからこれだったからなぁ、普通を望むって感覚も知らなかったな。
12……だったか?そんくらいの時、お袋が吸血鬼に殺された。
その晩はお袋が俺を連れて夜逃げした。毎日こっそりと隠し続けた金を持って、親父に度数の高い酒を飲ませて寝たのを確認してから、俺の手を引いて外へ出た。
夜の町を走っている時だった。吸血鬼が物陰からお袋に飛びかかった。
最近、めっきり見なくなったはずの吸血鬼が目撃されたと近所のうるせぇババアが騒いでいたのを思い出した。
お袋はすぐ死んだ。飛びかかられた時にはもう心臓を一突きされていた。悲しいかどうかは分からなかった。そんなこと、考える暇もなかった。
吸血鬼がお袋の血を啜るのを見ても、逃げようとは思わなかったな。
そんでへたった俺の胸にザクッと、メルトがさっき俺につけたみてぇな傷をつけられた。
血がどくどく出て暑いんだか寒いんだかわかんなかった時、ボスが現れた。
いつ、そこに立ったのか分からなかった。
ボスは一瞬で吸血鬼を殺すと、俺の血を止めてこう言った。
『すまない。私がもっと早く着いていれば』
その赤い目から涙が零れてるのをみて、あーこいつは多分優しいんだろうなと思った。
今でも覚えてる。ボスは続けてこう言った。
『吸血鬼が、憎いかい?』
まんまるとした赤い月が俺を見た。
『殺したいかい?』
唐突で意味がわかんなかったから、わかんねぇって言うと、ボスは俺に一つ、銃を渡してくれた。
『じゃあ、これを渡しておこう。君が内なる気持ちに気づいた時、それに意味が与えられる』
ボスは軽く使い方を教えてくれた。ボスの手は冷たかった。ボスに渡されたから、俺は冷たい銃を握った。体が動いた。
俺はそれを受け取ったその足で家に走った。撃ち殺した。
まずは、寝ている親父の上にのって殴った。殴って殴って、顔を踏みつけた。起きた親父も寝ている親父と変わらなかった。
働きも、運動もしねぇ、酒ばっかのんでる中年なんて、そん時から身長が高ぇ俺の敵じゃなかった。
ぼこぼこにして、もう許してくれと腫れた顔で泣きべそかいてるのをみて、頭に弾を撃ち込んだ。
すっきりはしなかった。
それから、家の外にいたボスについてって、吸血鬼狩りになった。
お袋は嫌いじゃなかったから、復讐だと考えて、ひたすら殺していた。親父を殺してから人間への関心もなくなったから、親父みたいな人間を適当にボコしたこともたくさんた。
そのうち、楽しくなっていた。たまにいる強い吸血鬼と戦って、勝つ。その優越感はたまらない。ヒトの命を握りつぶすのが最高だった。
笑った俺の声が、心臓の高鳴りが気持ち悪かった。
ユミアに人にあまり手を出すなと言われるようになってからは更に躍起になって吸血鬼を殺した。
相変わらず最高の気分だ。
でも、気づいちまった。
これは親父と同じだ。
親父はガキだった俺と、弱かったお袋をボコして笑ってたんだ。
大義名分に縋って、たまに強いやつと戦ったからなんだ。俺は勝ったあとに、弱者と成り果てたものの命を奪って、笑ったんだ。
でも、それを続けないと生きていけない。
吸血鬼狩りだからと言うだけじゃねぇ。
俺は普通の生き方を知らないからなァ。
◆
朝日が昇る。
ルノは、その日差しの眩しさに目を覚ました。
「おおう……起きたか、ルノの坊主」
「アーヴァンスさん?」
ルノが寝ぼけた目をこすると、アーヴァンスが湖のそばに立っている。
「もう動けるの?」
「そこのメルトのせいでなァ」
「よかった……」
ルノはホッと息をつく。それを見て、アーヴァンスは頬をピクリと動かすと、ゆっくりと洞窟のあった方向に歩いていく。
「じゃあ、俺はもう行くぜェ。もうお前らにはなんもできねぇし、吸血鬼狩りも飽きた。どっかで適当に生きることにしたからなァ」
「アーヴァンスさんについては教えてくれないの?」
ルノが一歩前に踏み出すと、アーヴァンスは撃てない銃をルノに向ける。
「言っただろうゥ? 俺はやさしくねぇんだァ。じゃあなァ」
くるりと翻すと、そのままアーヴァンスは去っていった。
「おー! ルノくんおきたー! って、アーヴァンスは!」
遅れて湖の向こうからメルトがやってきた。手には魚を持っている。釣りでもしてきたのだろう。
「行っちゃった」
「ふーん、まぁ、うちらにはもう手出しできないし、情報共有もできないからいいけどさー……」
どこか釈然としないようで、メルトは森の奥を見つめた。
しかし、すぐに気持ちを切り替え、焚き火に木をくべた。
「まぁ、いいや! 焼き魚食べてから行こう! お腹空いたでしょ!」
「……うん」
この後、魚を食べながらルノはアーヴァンスの生きる目的について考えたが、これまで以上に答えを出せそうになかった。
◆
朝ごはんを食べた後、ルノたちは町へと帰還した。
本来その日のうちに宿に戻る予定だったため、宿のおばあさんが心配していたが、魔物を討伐してきたと、メルトが自信満々に語ると、驚きながら大笑いしていた。
アーヴァンスはもう居ないようだ。彼の見ていた絵画はまだ飾られている。
「なるほどねぇ、エルネちゃんの依頼で……最近は沖にでてなかったからわからなかったけど、湖の主の子供か何かだったのかしらねぇ」
「まぁ、依頼達成しつつ、事前に被害を防いだってことだね! うちら天才!」
メルトは顎にVの字で指をあてると、高らかに笑った。
おばあさんはその様子に微笑みつつ、感心するようにメルトを見つめた。
「あなた一人で倒したなんて、伝説の魔法使いみたいだねぇ」
「……一人じゃなかったけどね」
メルトは小さく呟いた。
「ん、なんだい?」
「いや? なんでもない! それより朝ごはん食べたい!」
「え、メルトさんさっき魚食べてたよね」
「別腹だよー!」
静かな宿に、メルトの元気な声が響いていた。
◆
「うん、確かに、これだ」
「本当に持ってくるなんて、さすがハンスのおじさんの知り合いだね」
エルネは袋を覗き込み、魔物の内蔵を見つめながら言った。
「で、報酬なんだけど、これでどうかな?」
エルネがそう言って硬貨の入った袋を持ってきた。
中を見たメルトは、ビクリと震えた。
「こ、こんなに!?」
「ああ、そこらの人じゃ受けてくれないからね。それにここまで大きいやつを持ってきてくれたから」
「きゃー! ありがとー♡」
メルトが抱きつこうと飛びつくが、エルネはそれを軽く躱してルノを見つめた。
「次に君への報酬だが……私の生きる目的について、予想できたか?」
「……えっと、絵に残して昔を思い出すため?」
ルノは迷いながらもそう答えた。
エルネは目を見つめ、真剣に聞いている。
「それはどうしてだい?」
「フラレスに来て、ある人と会った時、思い出すために絵を見るって言ってて、ぼくも絵を見たら、お母さんのことを少し思い出したから」
「思い出を絵とか形にして残せば、ずっと残ると思った。絵がきれいなのも、思い出がきれいだから」
エルネはそれを聞くと、ぐるぐると家の中を歩き回った。
ルノとメルトがそれを怪訝に見つめていると、エルネは突然止まった。
「なるほどねー! そうか、そういう事を考えることが出来るのかー。うーん、かしこい!」
「実はね、もったいぶったけど、私の生きる目的っていうのは、別に凄いものでもないんだ」
そのままエルネは、壁にかかっている絵を手に取った。
「これは父さんの描いた絵。昔冒険しながら絵を描いてたんだ。腰を痛めてからは描くのが難しくなって辞めちゃったけど、私はただ色が綺麗だと思ったから真似した。以上!」
エルネは絵を元の位置に戻すと、ルノを指さした。
「つまりね、生きる目的はどんなものでも一つ、それに大小はないし、等しく生きる標になるんだよ」
ルノは目を見開いた。まるで洞窟で外から差し込む光を見つけたような気分だ。
グラムは料理に命を救われた経験から、料理というものが人の心に響かせるものだということを重要視していた。
ハンスは、人の思いは、人と出会わなければそもそも理解できないという根本的なことを、大事にしていた。
しかし、エルネはそんなことは無いという。ただ綺麗な絵だったから、真似をした。
自分を変えるほどの大きな経験も、ぶれない哲学も必要ない。その時の気持ちが大切なのだ。
「これは私の考えだ。君の見つけた答えは間違いじゃない。記憶の継承……それを芸術が担うというのは確かにそうだと思う」
「ただ、必ず人が一方向に進んでいる訳では無いことは覚えておくといいね」
ルノは、アーヴァンスにも、なにか一つ、必ず善性があり、あのようになってしまった理由があり、中にはひとつのぶれない芯があると思っていた。
それは違うのかもしれない。ルノが理解できる訳ではないかもしれないが、なにか、アーヴァンスなりの考えがいくつも、その生き方に影響を与えているのかもしれない。
「なんか、わかった気がする」
「そうか、なら良かった」
エルネはルノが考えを深めたのを見て、グッと親指を立てた。
「そういえばエルネさんって絵を売ってるんだよね」
話が終わった雰囲気を感じとり、メルトがルノの背後にひょこっと現れる。それと同時に、ルノが質問した。
「ああ、そうじゃなきゃ生きてけないよ」
「ペンネーム? みたいなのってあるの?」
ルノの質問に、確かにとメルトも首を傾げると、エルネは少し語りづらそうに目を逸らした。
「あー、あるよ」
「やっぱ本名なのー? それとも別名ー?」
メルトがぐいぐいとエルネに近づく。エルネはその勢いに圧倒されると、顔を赤らめながら答えた。
「えっと、エリオットって言うんだ」
「……え?」
メルトが固まった。
「え! エリオット!? うちでも知ってるよ! なんでその名前なの!? てか有名人じゃーん!」
「いやー、男の名前じゃないと買ってくれないかなーって思って……父さんの名前を使ってるんだ」
「えーすご! サイン、サインちょうだい!」
メルトはすっかり興奮しきった様子で、四方八方からエルネを囲い込み意地でもサインを貰うつもりだった。
結局、勢いに負けたエルネはルノの日記帳の方にサインをしたのだった。




