はなしたいこと
ハンスの過去――フレンの双子の姉、フーラとの出会いと別れの物語は、ルノの旅の目的への考えに影響を与え、メルトの言葉によって、ハンス自身も前向きに考えるためのきっかけとなった。
次はフレンとの仲直りのために話をすれば万事解決だと、意気込んでいたルノだったが……
「やっぱり無理かもしれねぇ」
「今、弱気になんじゃないよしょぼ髭!」
フレンの働く喫茶店こかげ、それがひっそりと身を潜める静かな場所まで戻ってきたのはいいものの、ハンスはまたもや弱気になっていた。
「ハンスさん、ここまで来たらやろう」
「ルノ……でもなぁ、俺は一回折れるとしばらく弱いんだよ」
意味ありげに斜め下を見つめるハンス、それを見てメルトはため息をついた。
「情けないなー、意味ありげに言ってどーすんのよザコ髭」
「メルトちゃん、俺のよくない呼び名のバリエーションが増えてる気がするぞ」
ルノは、うじうじするハンスを横目にもういっそのことフレンを外に連れてこようかと考えていた。
その時、店のドアが開いた。少しきしんだ音が静かな空間に響く。三人はそれを聞くと、喫茶店の方へ振り向く。
そこには、フレンがいた。
「あんたたち、また来たのかい……帰ってくれない? そこの男だけでいい」
「フレン、聞いてくれ」
「聞く話なんて無い」
憔悴しきったようなフレンは、ルノが少しとはいえ一緒に過ごした彼女とは別人のようだった。
ハンスが話がしたいというのも跳ね除け、すぐに店内へと戻ろうとしてしまう。
「フレン!」
「うるさい! アタシはあんたの顔なん、か……」
ハンスは、大きな声でフレンを呼び止める。フレンが振り返ると、真っ直ぐに前を向き、真剣にフレンを見つめるハンスがいた。
普段はフラフラとした様子だが、シャキッと背筋を伸ばすと、身長がもとより高く見える。
その姿勢の変化は、逃げ出す前にのらりくらりと質問から逃げていたハンスの姿とは全く違うものだった。
「俺はこれまでたくさん逃げてきた。家から、フーラの死から、そしてお前からも逃げた。責められたかったのに、責められるのが怖かった。フーラが幸せだったのか不安で、お前にそれを言われるのが怖かった。でも、ちゃんと話したいんだ。俺は、お前と!」
「………………」
フレンはドアに手をかけたまま、ハンスの言葉を聞いていた。
やがて、深く息を吸い、吐き出すと、フレンはハンスを見る。
「わかった……とりあえず中に入りなよ、ルノと……メルトだったかい、二人も」
「わかった」
「はーい」
フレンとハンスがなんとか仲直りの一歩を踏み出せたと、ルノは安心するのだった。
◆
店内に入ると、相変わらず閑古鳥が鳴いているようで、マスターは席に座っていいと言ってくれた。
フレンとハンスが向かい合って座る。ルノとメルトはカウンター席に座った。
「一日に二度も来店とは、熱心な客だね。ルノ」
「うん、マスター、飲み物って頼んでもいい?」
「いいぞ、何にする」
ルノはコーヒー以外の何かが飲んでみたいと考え、メニューを見つめる。そして悩んだ末にホットココアを選ぶ。
「ホットココアがいいな」
「うーん、うちもそうしよー、コーヒー飲めないんだよね」
ルノと同じくメニューを見ていたメルトだったが、悩んだ末ルノと同じものを頼んだ。
「あっちの二人にもコーヒーとか頼んどく?」
「うん、フレンさんは飲めるみたいだし、ハンスさんもお祭りの時に眠い朝にはコーヒーが一番って言ってた」
祭りをまわる中で、ルノはハンスと様々な事を話していた。好きな食べ物の話、印象的だった町や秘境の話……冒険の話、そこで出会った仲間たちを語るハンスは活力に満ち、さぞ楽しい冒険だったのだろうと感じられたものだ。
「ココア二つにコーヒー二つだな」
注文を聞くとマスターは準備しはじめた。ルノはその様子を見つつ、少しハンスたちの座る席にも目を向ける。
どうやらまだ話始めていないようだ……
◆
ハンスとフレンは座ってから、向かい合ったお互いの顔を見ることはなく、なんとなく気まずい沈黙が続いていた。
マスターがコーヒーを運んでくる。コトっとカップの置かれる音がきっかけになった。
先に口を開いたのはハンスだった。
「……改めて、俺はハンス、フーラとは婚約していた。俺は……一番やっちゃいけねぇことをした」
「フーラの死に目に、傍にいてやれなかった。それを責められても、なんの文句もない」
ハンスは一言、一言に気持ちをのせて話した。
フレンはそれを聞くと、ハンスの顔を見る。
「そうだよ、あんたは姉さんを一人にした。だから許せない」
「だから聞きたい。なんで遠くの町に一人で行ったんだ……! 姉さんからきてた手紙じゃ、あんたはいい人だったのに!」
フレンはハンスに悲しみと疑念の籠った目を向ける。
フーラは生前、定期的に家族への手紙を書いていた。ハンスの事が沢山綴られたその手紙には確かな愛情とあたたかさが内包されていた。
「あの時は、冒険に行かなくなってしばらく経っていた。心の中ではまた冒険したいと思っていたんだ。そんな時にフーラが冒険の話が聞きたいって言ってきた。断りきれなかった。自分が冒険したかったこともあるが、何よりあいつの、フーラの喜ぶ顔が見たかった」
「だから置いていったっていうのか! 確かに姉さんはあんたの冒険話を好きだと言っていた。でも、だからって、いつ病気が悪くなるか分からないのに、なんにも考えず、姉さんを置いていったって!? たしかに姉さんは弱音を出さない強い人だった。だからって、心配じゃなかったのか!」
フレンの言葉を聞く中で、ハンスは一つ引っかかったことがあった。「弱音を出さない」という発言だ。
そして、自分の知るフーラという一人の女性のことを語り出した。
「……病院に通ってた頃のある時、フーラが珍しく弱気になって言ってたんだ『フレンは病気がなくて羨ましい。どこへだって行けるんだろうな』ってな」
その言葉は初めて聞いたようで、フレンは驚いて口を開いた。
「姉さんが……?」
「ああ、珍しいだろ? あんなポジティブなやつがだ。でもな、俺の話が聞ければいいって言ってくれたんだ」
ハンスは真剣な顔のまま、フレンを見つめる。
これは、本当はどこにも出さずにいたかった気持ち、ルノたちに話した過去の中でも、意図して隠した本音だった。
しかし、本気で話すには、全てさらけ出す必要があると思った。
「……責められるのも分かる、だが、俺はフーラと出会ってから、冒険に出るまで、毎日あいつの傍にいた! 毎日だ! 分かるか! あいつが病院でなんて言ってたか分かるか? 一人だと寂しいって言ったんだよ!」
「手紙には書かなかったみたいだな。フーラはただでさえ病気の自分が、自分のために離れ離れになった家族をさらに不安にさせたくないって、そう思ってたんだよ!」
フレンは言葉を返せなかった。知らなかったのだ。手紙の中の姉はいつも楽しそうで、病気の事など何も無かったかのようだった。ハンスと出会ってからはさらに楽しそうで、ハンスの話を全て覚えて、こんなことがあったらしいと教えるくらいには、彼を愛していたのだ。
対して自分はどうか?幼い頃の記憶は残っている。家のベッドで横になる姉、その横で昔話をする母、部屋の真ん中で遊びながら二人に話しかけるアタシ。
病気の悪化で家族が離れ離れになってからは、直接会いに行く事は少なくなっていた。祖母の家にいたフレンは、腰の悪い祖母の手伝いや、当時は勉学に励んでいたためだ。
「フーラを置いて外に出る時も、俺はあいつが一人にならないようにしていた。近所に気のいい家族がいてな。気にかけてやってほしいと言ったら、期間中は一緒にいるし、一人にならないように着いておくと言ってくれたんだ! フーラが向かってた店は医者に許された行動範囲だった! 俺は近所付き合いを積極的にやってフーラのことも話していた! 倒れた時にすぐに駆けつけてくれたのも、一人で買い物させなかったことと、まわりがその事を分かってたからだ!」
「俺が、ただ自分のためにフーラを置いていっただけな訳がないだろう!」
フレンは涙を零していた。彼は、ハンスという男はどこまでも姉を愛していた。まわりの人間を巻き込み、姉のための環境を形成し、姉の喜ぶ顔のために、心配を押し殺して外へと出ていったのだ。
「……でも、結局は置いていったことに変わりない。俺は責められてしかるべきだ」
「アタシ、は……」
「アタシは、本当は自分が許せなかったんだ……」
フレンは涙を流しながら、語り始めた――
◇
アタシと姉さんは双子としてこの世に生を受けた。
病弱な姉さんに比べ、アタシは信じられない程に元気な子供だった。
よく、二人で母さんの話を聞いた。父さんと母さんの出会いというのは、昔、父さんが旅先で母さんに一目惚れし、アプローチした結果付き合うことになったとの事だった。
魔法の才能があった母さんはそんな父さんの冒険に着いて行くようになった。駆け落ちってやつだ。
二人で冒険し、そのうち結婚しようと考え、私たちが住んでいた町に定住することに決めたのだ。
アタシたちはそんな二人の冒険の話が好きだった。姉さんは、いつかそんな冒険がしたいと、口々に言っていた。病気が悪化してからは叶わない夢となった。
アタシは冒険に行きたいとは思っていなかった。ただ、姉さんの願いを叶えてあげたくて、医者になると決めた。
それで小さい頃から勉強を頑張った。離れてからは一層頑張った。
勉強に固執するあまり、アタシは肝心な姉さん本人に会いに行かず、手紙のみの繋がりとなってしまった。
恋人が出来たと聞いた時は驚いた。少しずつ病状が良くなっていた時期だったが、完治は無理だと言われていた。そんな姉さんと恋人になる人がいるとは思えなかった。
手紙が届く度、父さんと母さんの出会いを思い出した。なんてロマンチックな話なんだろうと思っていた。
時間が経って、姉さんが亡くなった。
体が良くなってきているという手紙を読んだばかりだった。
家族が離れ離れだったことで連絡が滞って、葬式とかをするにも日が遅れていった。その間に両親から届いた手紙で、間接的にあんたが外に出ていたことを知った。
両親はあんたを悪く言っていた訳じゃない。不幸が重なってしまったと、悲しみにくれる内容だった。でも、アタシは自分の負い目を「あんたが傍にいなかったせいで姉さんが死んだ」と思い込むことで押し込めた。
分かってはいた。姉さんの手紙から聞く限りあんたは姉さんを置いて勝手にするような人じゃない。
でも、アタシの心が弱かった。姉さんのためと始めた勉強が、姉さんとアタシを遠ざけたのを、理解してたのに。
あんたと広場でぶつかった時は気づかなかったよ。でも、変に動揺してたでしょ?だから妙だなとは思ってた。
その後ルノからハンスって名前を聞いて、顔を思い出して、まさかと思った。髭が似合わないって聞いてたし、フラフラと落ち着かない立ち姿だってのも同じだったから。
再開した時の質問はそれを確かめたかったんだ。
それで、あとは知ってる通りだよ――
◆
「ほんとは、アタシが悪かったんだ。アタシが、勉強があるから、病気が良くなってるからって、姉さんを遠ざけたから……」
「俺だって、やっぱり置いていったのに変わりはねぇ」
「それは違うよ」
二人は声の主を見つめる。声の主はルノであった。カウンターからいつの間にか机の横まで移動してきたようで、純粋な瞳が二人を交互に見つめている。
「二人とも、全部フーラさんのためにやったんでしょ。何が悪いの」
「フーラさんは誰かのせいだって言ったの?」
二人はフーラのことを思いだす。
彼女は明るく、冒険の話が好きな女性だった。彼女が何かを人のせいになどするはずがない。
「ぼくは、二人が頑張ったことしか、わからないよ」
ルノはこれ以上何かを言うことはなかった。
だが、他者に認められたということは、二人の曇り、濁った心を晴れやかに照らしていく。すでに二人の中に結論はあったのかもしれない。
「ああ、そうだな、ルノ……ありがとうな」
「ルノ、アタシも、ありがとう」
その言葉を聞くと、ルノは満足そうにカウンターに戻り、ココアを飲む。
そして、あっと思い出したように二人に言った。
「あと、仲直りの握手はしてね!」
その言葉に二人は笑うと、目を見つめ握手を交わした。
今更ですが、プロローグを投稿しました。
また、「生きるために生きる日々」にも追記しましたが、短くする予定だったのが長くなりそうです。