片割れたジェミニ
祭りの最中、ぶつかってきた女性の顔を見るなり様子がおかしくなったハンス。ルノはその理由を知るために女性を追って喫茶店へとたどり着いた。
「マスター! 準備終わったし、席借りるねー!」
「客が来たら働くんだよ」
「はーい!」
喫茶店の中へ入ると、とても静かで、木目のある壁や所々に置かれた植物が外見と同じく、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
マスターは女性の声にこれまた声だけで反応する。そして女性はルノをソファのある席へと座らせる。
「アタシはフレン。君は?」
「ぼくはルノ」
「ルノね、いい名前だ。ルノは甘いもの好き?」
フレンと名乗る女性は、机に手をつくと、茶髪を高めに結んだポニーテールを揺らしながら聞いてくる。
「うん」
「じゃあ、この店のパフェをご馳走してあげよう! マスター!」
「給料から引いとくぞ」
「はいはーい」
フレンはルノの返事を聞き、大きな声で店主を呼ぶ。
会話は聞こえていたようで、もう作りだしているようだ。
「あ、あとコーヒー!」
「それも給料から引いとくぞ」
「分かってるって!」
ルノは静かな店内の雰囲気にソワソワとした。膝の上で手を握って開いてを繰り返している。
「それでさ、聞きたいことってなんなの?」
フレンはルノの対面の席に座ると、前のめりにルノに尋ねた。
ルノは、手の動きを止めてフレンの方を見つめた。
「ハンスさん、さっき広場でぶつかった人、知ってる?」
「あー、さっきの人の知り合い? …………うーん、知らないかな」
「そうなんだ……」
ルノはてっきりハンスとは昔の知り合いで、ちょっと顔を忘れていたのだと思っていた。冒険をしているハンスのことだ。各地に知り合いがいてもおかしくはない。
ルノは、余計ハンスのあの変な態度が気になるが、手がかりが尽きてしまったと落ち込んだ。
「聞きたいことってそれ? あー、でもなんかジロジロとアタシの顔を見てきたなー。びっくりしてたっぽいし」
「なんか、ハンスさんが変だったから気になって」
「なるほどねー……ごめんね! 役に立たなかったみたいで」
フレンはそう言って笑う。えくぼがくっきりと見える。
そして席を立ち、軽く背を伸ばす。
「じゃあ、とりあえずここにいていいよ。アタシも空いてるときは話し相手になるし……そろそろパフェとコーヒーできるよ」
ルノはその言葉で初めて、あの豆から感じた香ばしい匂いが店内に満ちてきたことに気づいた。灰色の髪と髭が似合う、ダンディなマスターがカウンターで豆を挽いている。
「ルノは子供だからね、ミルク多めでお願い、マスター」
「分かっているよ。今回の豆は酸味も少ない。苦味を和らげれば子供にも飲みやすいだろう」
マスターはコーヒーを入れたカップにミルクを注ぐ。
フレンは、黒色から明るい茶色へとじわじわ変化したコーヒーをスプーンで混ぜ、ルノの前へと持ってきた。
「さっきの豆で挽いたコーヒーミルク多めです。と言っても落ちた豆は使ってないよ」
「袋に穴を開けたまま気づかない奴なんてどこにいるんだろうな、フレン」
「はい、ここです。ごめんなさい……」
フレンがしゅんと萎縮しながら、またカウンターへと向かう。ルノは少し口角が上がりつつ、目の前にあるコーヒーに目を向けた。
ルノはコーヒーを飲んだことがないが、苦いということだけは知っていた。自分の口に合わなかったらどうしようと思いつつ、カップを口に近づけて傾けた。
「おいしい」
「ルノは大人だな。君くらいの歳だとこれでも苦いほうだろうに」
マスターはカウンターで表情を変えずに言った。カチャカチャと食器を整頓しているが、見えない足元は軽いタップダンスのようにリズムを取っていた。
「いいね、ルノはコーヒーが飲める口だ」
フレンがパフェを持ってきながら言う。
その手にあるパフェは少し大きめで、ソフトクリームやフルーツが満遍なく飾られていた。
「マスターすごい上機嫌だったよ。ありがとね、あの人不器用だからお客さんがたまにマスター見るだけで帰っちゃうんだ」
フレンはルノに小さくささやいた。ルノは見た目でどうと考えることがないため、世の中にはそういった人がいるのだと少し意外に思った。
そして、ルノは大きなパフェを覗き込むように少し腰を上げ、上から見た。そして、様々な甘味やフルーツが組み合わさった姿に、よくこれをひとつにしようと思ったなと感嘆した。
「これ、すごいね」
「でしょ? アタシが考案したんだー。前までコーヒーしか無かったんだよここ。せめてモーニングくらいあってもいいのに、コーヒー以外別にいらないの一点張りでさ」
「……今はモーニングだってある。料理もできるだろう」
マスターは後ろを向いて棚の上を整頓している。足元の音楽は奏でられていない。
ルノはそんなことには気づかず、パフェを食べ始めた。
「甘くておいしい!」
「でしょ、コーヒーと合うんだよ」
そんな風にパフェを食べながら会話していると、店のドアが勢い良く開いた。ベルが大きな音を鳴らす。
「ルノくん!」「ルノ!」
「メルトさん! ハンスさん!」
そこにはメルトとハンスが立っていた。
◆
メルトはルノを見つけると、真っ直ぐに走ってくる。そしてそのままの勢いで抱きついた。
「よかった……! もう! うちをおいてかないでよ……!」
「メルトさん、ごめんなさい。……あと、ちょっと苦しい……」
メルトは慌ててルノを離すと、ルノの手をぎゅっと握った。
そして、しばらく握ったあと、手を離し、フレンの方へと向く。
「そちらの店員さんも、ありがとう。ルノくんをお店で見ててくれたみたいで、スイーツまで」
「いいのよ、アタシの落し物も届けてくれたから」
フレンはそう言ってメルトの肩を叩く。
そんな様子を見ていた男が、閉じていた口をゆっくりと開いた。
「……聞いたぞルノ、唐突に一人で走ってどっか行っちまったってな。あんまりメルトちゃんを心配させんなよ。このまま離れ離れで二度と会えなくなるかもしれないんだ」
ハンスはルノの頭を撫でながら、いつものおちゃらけた様子ではない、低いトーンで言った。その言葉にはどこか、自分に言い聞かせるような、自戒のような重みを感じた。頭を撫でる顔の様子はルノには見えなかった。
「ごめんなさい……」
「いいんだよ、無事に見つかったからな。だが、なんで突然走っていっちまったんだ?」
「それは……」
ルノはちらりとフレンの方を見た。フレンは静かに微笑んでいるようにみえたが、その顔はどこか疑うような、分かってしまっても認めたくないような、そんなようにみえた。
じっと見つめた訳ではないため、ルノにはその真相は分からなかったが、確かにフレンの眉間では、ほんの僅かなシワが寄っていた。
ルノは『知らない』と言ったフレンの様子にほんの少しの違和感を覚えた理由がわからなかったため、ハンスとフレンの関係を探っていたと言っていいものかと考えていた。
しかし、ハンスが優しく頭を撫でているその大きな手の感触を感じて、どうしても、自分をしっかりと叱ることのできる、この大人の事が知りたいと思った。
「ハンスさんが、フレンさんの顔を見て、すごいびっくりしてたから気になって」
「……そうか」
それを聞くとハンスは、深呼吸してフレンの顔を見る。
フレンはハンスと目を合わせると、次第に眉がつり上がっていく。
「あんた、ハンスって名前なんだって?」
「ああ、そうだ」
「職業は」
「冒険しながら様々な依頼を受けている」
淡々と返答するハンスに対し、フレンは答えを聞く度に語気が強くなっていった。
ルノとメルトはこれまで見なかったハンスの態度とフレンの湧き上がってくる怒りに戸惑っていた。
「ルノくん……この二人は結局何かあったの?」
「フレンさんは知らないって言ってたけど……」
小さな声でメルトが話しかける。ルノは言葉を返しつつ、やはり二人には何か関係があったのだと疑問が確信に変わりつつあった。
二人の問答がしばらく続き、やがてフレンはもう、怒りを露にした表情を隠すことも無くなっていた。
そして、最後の質問を口にした。
「ハンス、最後の質問だよ……なんで、なんで姉さんを置いていった! あの人が病弱だって分かってたんだろう! 死に際に傍にいないで、何が婚約者だ!」
「…………やっぱり君はフーラの妹だったのか、顔がそっくりだ」
「うるさい! 質問に答えろ! お前が姉さんの名前を呼ぶな!」
フレンはこれまでの優しさでは考えられないほどに絶叫している。マスターは、カウンターで静かにコーヒーを淹れるのみで、口を開くことは無い。
ルノとメルトがハンスに婚約者がいたという事実に驚いていると、フレンはハンスに殴りかかった。
ハンスはそれを防ぐことなく、一切を受け止めた。
「ハンスさん!」
ルノがすぐに駆け寄っていく。メルトは、先程の驚いた様子とは裏腹に、殴られた事に対しては動じた様子が見られない。ルノが駆け寄るのを見て、歩いてハンスに近寄ると魔法を使って殴られた頬を冷やしている。
フレンは拳を痛めたようで、もう一方の手で抑えながら顔を歪める。
「はい、そっちの、えっと、フレンさんもあんま触らない。冷やしたげるから」
メルトがハンスの処置を終えてフレンの拳も冷やす。
メルトが冷やし終わると、フレンは痛みが多少マシになったらしく、近くの机から椅子を引いてきてゆっくりと座り込んだ。
「慣れないことなんてするもんじゃないね……」
「いきなり殴るなんてびっくりだよ。二人に何があったか知らないけど、ルノくんの前で暴力沙汰を起こしたことはいただけないな。反省して」
メルトは冷たい目で無機質な声を発する。フレンとハンスは一瞬ビクッと震えると頷く。
すると、すぐにメルトの様子が戻り、空気が軽くなる。
ルノは、ハンスの傍でただ座り込んで、どうすればいいのか考えていた。
「それで、何があったのか話す気にはなる?」
メルトがハンス、フレンの両名に問いかけると、ハンスは項垂れたまま黙り込み、フレンは間をおいて一言――
「話したくはない。それに、そこの男の顔を見たくもない。すまないけど、店から出て行ってくれない?」
「……悪いがこちらからも頼む。店員がこんな状態だ。すまない」
マスターは店の奥から氷を持ってきたらしく、フレンの拳と、ハンスの頬に当てる。
「わかった。行くよルノくん、ハンス」
メルトはルノの手を引き、ハンスを無理やり立たせて店の外へと引っ張っていく。
「フレンさん……!」
「ごめんね、ルノ」
フレンの顔は今にも泣き出しそうで、それを我慢して唇を噛んだその表情は痛々しいものだった。