第8話 決戦はウサギ小屋!~女王様のひみつ~
決戦の日は来た。
舞台は、我らが司令部、ウサギ小屋。西日が差し込み、干し草の匂いがふんわりと漂う、なんとも牧歌的な決戦場である。
作戦名は「女王様、こんにちは作戦」。そのまんまにも程がある。考案者はもちろん私だ。
「いい? 今日の私たちは、いわば舞台装置。照明、音響、背景よ」
作戦開始前、ユウは腕を組んで、演出家みたいに言った。
「私たちは何もしない。ただ、主役である女王様が、最高の演技(つまりは自滅)ができるように、舞台を整えるだけ」
「舞台装置って……。ちなみに私の役どころは?」
「カスミは、主役につっかかる、やかましい通行人Aね」
「扱いがひどくない!?」
私とサキは、それぞれの持ち場についた。私は掃除用具が立てかけてある壁の陰、サキは積まれた干し草の山の後ろ。心臓の音が、ウサギの足音よりもうるさいくらい、ドキドキと鳴っていた。
カラン、と乾いた音がして、ウサギ小屋の扉が開いた。
女王様、ミキのご登場だ。
でも、その様子は、いつものキラキラした彼女とは全然違った。取り巻きは一人もおらず、ブランド物のハンカチで鼻を押さえ、「……くっさ」と、心の底から嫌そうな声を漏らしている。
あ、この人、本気でここが嫌なんだな。
ミキは、金網の向こうにいるウサギたちを、汚いものでも見るような目で見ている。そして、餌やりの時間だというのに、中に入るのも嫌なのか、餌のペレットを数粒、金網の隙間からポイポイと投げ入れただけ。
ウサギたちも、そんな投げやりな餌やりには不満なのか、一匹も寄ってこない。
――今だ!
「あれー? ミキじゃーん! ちゃんとお仕事してて、えらいねー!」
私は、自分でもびっくりするくらい、白々しい声で登場した。やかましい通行人A、カスミである。
「……天野さん。何よ」
ミキは、あからさまに不機嫌な顔で私を睨む。
「いやー、感心しちゃって! ミキって、虫とか土とか、ぜーんぶ苦手だと思ってたからさ。なんでまた、よりによって生き物係になんてなったの?」
私は、わざとらしく首を傾げた。
「あ、もしかして……。中学部の、五十嵐先輩のためだったりして!」
その瞬間、ミキの肩が、ぴくりと震えた。図星だ。
「先輩、動物好きなんだってねー! 好きな人のために苦手なことも頑張るなんて、健気じゃーん!」
「なっ……! あんたに関係ないでしょ!」
ミキの顔が、じわじわと赤く染まっていく。
女王様の表情がこわばった、その完璧なタイミングで、第二の矢が放たれた。
「こんにちは、ミキさん」
いつの間に現れたのか、ユウが、腕にウサギのシロちゃんをふんわりと抱いて立っていた。その登場の仕方は、もはや仙人の域である。
「この子、あなたのこと、怖がってるみたい」
ユウは、シロちゃんの背中を優しく撫でながら、静かに言った。
「あなたの心が、ささくれ立っているから。ウサギは、そういうのに敏感だからね」
すると、どうだろう。
シロちゃんは、まるでユウの言葉がわかったかのように、ミキの方をちらりと見ると、ぷいっ!と勢いよく顔をそむけたのだ。その見事なまでの塩対応! 名優か、お前は!
「な、なによそのウサギ! 生意気ね!」
ミキが、普段の彼女からは考えられない、感情むき出しの声を上げた。完璧な仮面に、明らかにヒビが入った音。
そして、そのヒビに、最後の一撃を打ち込む時が来た。
干し草の山の陰から、最後の刺客、サキが姿を現した。
「……ミキちゃん」
サキの声は震えていた。でも、その瞳は、まっすぐにミキを見つめていた。
「私も、五十嵐先輩のこと、素敵だなって思う。だから、ミキちゃんが先輩に良く見られたくて、苦手な係を頑張ってるの、わかるよ。でも……!」
サキは、一度ぐっと唇を噛み、ありったけの勇気を振り絞って叫んだ。
「でも、好きな人のために、誰かを傷つけていい理由には、絶対にならないよ!」
それは、いじめに加担してしまったサキ自身の、魂からの叫びだった。
カスミの直球。ユウの揺さぶり。そして、サキの勇気。
三方向からの集中砲火に、ミキの鉄壁の仮面は、ついに、ガラガラと音を立てて砕け散った。
「うるさい! うるさいうるさいうるさいっ!」
ミキは、耳を塞いで、わめき散らした。
「あんたたちなんかに、私の気持ちがわかってたまるもんですか!」
その顔はもう、クラスを支配する女王様じゃない。恋に悩み、プライドが傷つき、どうしていいかわからなくなった、ただの小学六年生の女の子の顔だった。
ミキは、私たちに背を向けると、そのままウサギ小屋から逃げ出してしまった。
後に残されたのは、私たち三人。
私とサキは、顔を見合わせて、へなへなと地面に座り込んだ。
「……やった、のかな?」
「……うん、やった、みたい」
すると、ユウが、夕焼けに染まる空を見上げながら、静かに呟いた。
「第一幕は、終わり、かな」
その言葉に、私たちは「これで一件落着だー!」と喜ぼうとした。だが、ユウは不吉な一言を付け加えるのを忘れなかった。
「でも、本当に怖いのは、砕け散った女王様のプライドが、これからどんな『呪い』に変わるか、だからね」
……え。
まだ、続き、あるの?
私たちの戦いは、まだ終わっていなかったのだ。