(利波 大草原にて)
翠緑の草原は本来、平和と静寂の象徴であるはずだった。
しかし今、この大地は無数の屍体に覆われ、まるで凄惨な虐殺がつい先程終わったかのように見えた。
空気に残るのは、腐敗と死の匂いだけである。
四方は死寂に包まれ、一片の生命の気配すら感じられなかった。
風がそよぎ、草の穂先が揺れ動く。
だが、そこに漂うのは自然の清新ではなく、吐き気を催す腐臭だった。
この光景は、血腥い戦場を見慣れている兵士でさえ、胸の奥が込み上がるのを抑えられないほどであった。
この惨劇の処理を任されたのは、聖王国 黒狗騎士団配下の調査部隊であった。
この部隊は常に王国の中で無畏と果断をもって名を馳せていた。数多くの危険な事態を処理してきた彼らであっても、目の前の光景には冷静さを保つことができなかった。
隊長穆尼斯 は険しい面持ちで、双眼を周囲に走らせながら、胸中で静かに思考を巡らせていた。
彼は知っていた。
この殺戮は単純な暴力行為ではなく、聖王国 の軍事力と騎士団に対する明白な挑戦であることを。
この事件の背後には、必ず極めて恐ろしい陰謀が潜んでいる。
だが、その力の真の目的については、いまだ誰も知る者はいなかった。
穆尼斯 は屍体の間を踏みしめながら進んだ。
一歩進むごとに、血腥い匂いが地面から立ち昇り、呼吸すら困難になるほどだった。
戦場で魔物と死闘を繰り広げてきた 穆尼斯 にとって、血腥さはすでに慣れたものだった。
しかし、それでも今目の前に広がる光景には、思わず眉をひそめざるを得なかった。
彼の胸中には、かすかな不祥の予感が芽生えていた。
今回の事件は、過去の誰も知らぬ暗黒と、何重にも絡み合う因縁を孕んでいるかのように思えた。
彼の歩調に合わせ、隊伍の兵士たちは黙々(もくもく)と従った。
心中には否応なく、この不祥な光景の圧迫感がのしかかっていた。
一人の年長の兵士が低声で言った。
「穆尼斯 隊長、今回の件は本当に尋常ではありませんな。」
穆尼斯 はしばし沈黙し、その双眼はなおも刃のように鋭く、遥か彼方の草原を見据えた。そして低く応えた。
「お前の懸念は理解している。この殺戮が、もし二十五年前の事件と関わっているのだとしたら……これは容易なことでは済まない。」
その声音にはわずかな重みが宿り、彼が安易に触れたくない、ほとんど忘却されかけた歴史であることを示していた。
年長の兵士は「二十五年前の事件」という言葉を耳にした瞬間、思わず身震いした。
「隊長……まさか、二十五年前の、あの……」
言葉の先は途切れたが、その瞳に宿った恐怖は隠しきれなかった。
この歴史は、若い兵士にとってはせいぜい口伝として語り継がれる民間の伝承にすぎなかった。
だが、年長の兵士にとっては、二度と口にしたくない悪夢そのものだった。
穆尼斯 の眼差しは沈み込み、彼は答えを返すことなく、ただ静かにうなずいた。
幾多の戦闘を経てきた彼でさえ、その歴史を思い出すたびに、胸中に深々(ふかぶか)とした寒気が走るのを抑えきれなかった。
年老いた兵士たちも、あの襲撃がもたらした恐慌と、無数の無辜の命が失われたことを、今なお鮮明に記憶していた。
そして今日、草原に横たわる屍体は、まるで歴史の影が決して消え去っていないことを再び示すかのようであった。
その時、一人の兵士が駆け寄ってきた。額には汗が滲み、顔色は蒼白に染まっていた。
だが、この時節の気候は決して暑くはなく、その汗は怯えによる冷汗であることは明らかだった。
「ム……穆尼斯 隊長、申し上げねばならぬ重大事があります!」
「申せ。」
「現場の調査から見るに、今回の事件は 利波 大草原の野獣の仕業ではありません。」
「遺骸の状況から判断すると、これは犯人が意図的に行ったものでしょう。……ならば、犠牲者たちの正体は?」
「はっ……。彼らは本来、ユガル村を守備するために派遣されていた第四階位の兵士団と思われます。」
「ほう……どうやって確認した?」
兵士は一瞬沈黙し、体をわずかに震わせながら答えた。
「兵団長 凡米勒 の首級が、その場に残されておりました。……ただし、身体はすでに跡形もなく消えておりました。」
穆尼斯 はその報告を耳にした瞬間、背筋に冷気が走った。
彼はすでに 凡米勒 の数多の武勲を聞き及んでいたからだ。
凡米勒 はかつて 聖王国 五階兵団の最強の兵団に属し、第三席次「百臂守衛」の座にあった。
その後、年齢を重ねたことを理由に、自ら階位を下げて四階兵団長へと就いた。
しかし、その実力は依然として王国兵団の盾の一つとして数えられるほどであった。
その 凡米勒 が、あまりにも容易くに討たれたというのか――。
穆尼斯 は重々(おもおも)しく言った。
「彼の首級を 聖王国 に持ち帰り、手厚く葬ってやれ。この件は急ぎ、他の騎士団長たちに報告せねばならん。」
(王家神殿 の 晋見廳 にて)
迪路嘉 と 佛瑞克 の二人は、恭しく地に跪き、重苦しい空気の中で主を待っていた。
私と 緹雅 は、凡米勒 が討たれたと知るや否や、直ちに 迪路嘉 を派し、詳しい情報の追跡を命じた。
迪路嘉 の眼を通じて、我々(われわれ)は遠方にありながらも情報を収集できたのである。
「迪路嘉、何か掴んだ情報はあるか?」
「はい、凝里 様。人間の兵士たちの証言によれば、亡くなった兵士はまさしく先に大人方が言及された 凡米勒 でございました。
彼の首級のみが残され、そのほかの兵士については、残っていたのは鎧や衣服といった随身物ばかりで、屍体はほとんど白骨と化しておりました。」
ここまで聞いて、私の内心は激しい憤りに包まれた。
「ほかには何かあるか?」とさらに問い質した。
迪路嘉 は続けて言った。
「もう一点、骨骸には一切の損傷の痕跡がございませんでした。明白に、これは何らかの技能によって致死させた後、肉と血だけを吸収した結果かと存じます。恐れながら、屬下にはそれがいかなる能力であるか、判然といたしません。」
「緹雅、お前はどう思う?」
緹雅 は肩をすくめて応えた。
「分からないわね。こんな力、私も聞いたことがない。……もし 狄莫娜 がいれば、きっと知っているんじゃない?」
「そ、そうだな……。彼女なら分かるかもしれん。」
「これ、聖王国 の内部の者の仕業じゃないわよね?」
「いや、まだ軽率に断ずることはできない。結局、どこの地にも我々(われわれ)の予測を超える力が潜んでいる可能性はあるのだ。」
「そうだ! 凡米勒 に渡した水晶球はどうなった?」
私はふと思い出し、声を上げた。凡米勒 があの水晶球の力を使ったのかどうか、気になったのだ。
「凝里 様、現場には水晶球の破片が残されておりました。そこから判断するに、敵は 凝里 様の元素使を打ち倒した後、撤退したものと思われます。」
迪路嘉 は水晶球の細部をも見逃さなかった。
この情報から見ても、敵は九階の元素使をも打ち破れる存在であることが明らかだった。
私は思わず奥歯を噛み締める。
自分の一時の油断で、敵の力を誤って見積もった結果、唯一の資源を失ってしまったのだ。
「すべて私のせいだ……。もし最初の時点で追跡していれば、何か手掛かりを発見できたかもしれない。」
佛瑞克 は深い悔恨の念に駆られて言った。
「そんなことは言うな、佛瑞克。問題はお前ではない。彼らが襲撃された時刻を逆算すれば、私が命令を下す前のことだ。つまり、責任は私にある。」
「いえ……それでも 凝里 様の責任ではありません! 屬下が無能で、大人方の邪魔者を追い詰められなかったのです!」
「もうよせ! 佛瑞克!」
その瞬間、緹雅 は滅多に見せぬ強い気配を放ち、佛瑞克 を一瞬で沈黙させた。
「これ以上この件に囚われても、何も解決できないわ。我々(われわれ)がすべきは、解決の方針を見つけること。他のことは、問題が片付いてからでいいの。」
その時の 緹雅 の気迫は凄まじく、私でさえ声を発することができなかった。
「よし、計画を作り直そう。迪路嘉、君は元来の見守り任務をそのまま続けてくれ。
それから 佛瑞克、君も同様に 尤加爾村 の村落を引き続き守護してくれ。ただ現段階では増派するつもりだから、白櫻 をそちらへ行かせて手伝わせよう!」
多くの不明な問題に対処するため、私は本来こうした手段を取り(と)りたくはなかったが、やむを得ず 『櫻花盛典』 を派遣することに決めた。
『櫻花盛典』とは、弗瑟勒斯 の秘密部隊である。
彼女たちは最初から 弗瑟勒斯 に存在していた NPC であり、全ての役割の設計は当初納迦貝爾 が担い、芙莉夏 もそこに協力していた。
その主任務は、王家神殿 の安全を守ることにある。
この部隊の成員は、それぞれ異なる背景と種族を持ち、神殿を守護するのみならず、隠密かつ強大な力の象徴でもあった。
『櫻花盛典』の成員は、ほぼ全員が 守護者 を凌駕する実力を有しており、現状で彼女たちと渡り合えるのは、莫特、德斯、そして 迪路嘉 くらいであろう。
当初、彼女たちを各神殿の 守護者 に任せなかったのは、成員の運用をより柔軟にするためであり、また強力な BOSS 攻略の際には、『櫻花盛典』の成員が大いに役立つからである。
しかし、公会戦の場においては、彼女たちが真価を発揮する機会は一度も訪れなかった。
理由はただ一つ――それは 第九神殿 の力があまりにも強大であり、『櫻花盛典』の成員ですら、その力を示す余地を与えられなかったからである。
もともと『櫻花盛典』は 姆姆魯 と 納迦貝爾 が指揮を執っていた。
しかし今は、彼女たちは 緹雅 の管理下に置かれている。
この決定が下された主な理由は、やはり『櫻花盛典』の成員が全員女性だからだ。
緹雅 の方が対応に長けているはずであり、私のようにただ指揮官としての頭脳だけを持つ者には、そこまで適していないだろう。
私は『櫻花盛典』について、緹雅 ほど深く知っているわけではない。
だからこそ、人員の調整が必要になった時は、彼女を通じて 德斯 や 莫特 に伝達を依頼するつもりだ。
その時、私はふと思い出した。
自分はまだ『櫻花盛典』の実力の全貌を見たことがないのだと。
彼女たちが持つ能力については大筋を把握しているにすぎず、この世界へ渡ってきてからは、未だその力を検証したことがなかった。
緹雅 は「彼女たちの能力は何も変わっていない」と言っていたが、もしかすると元素使のように、私が知らぬ新たな技能が突如加わっている可能性もあるのではないか。
『櫻花盛典』の成員
第一席:黒櫻(菲瑞亞・羅倫斯 種族:暗黒精霊)
菲瑞亞 の姿は、常に神秘と陰鬱を帯びていた。
彼女の種族は暗黒精霊――闇を操り、人心に影響を及ぼす力を持っている。
彼女の肌は蒼白で、双眸は夜空のごとく深淵を宿し、すべての光を呑み込むかのようであった。
菲瑞亞 の冷酷さと高慢さは、その外見にとどまらず、行動や言葉の端々(はしばし)にも現れている。彼女は他者を距離ある態度で扱うが、それは 弗瑟勒斯 以外の者に限られていた。
さらに、櫻花盛典 第一席としての 菲瑞亞 の戦闘力は随一であった。
かつて 納迦貝爾 が行った模擬戦では、彼女一人が七人の 守護者 を相手にしながら、傷一つ負わずに全てを打ち倒したと伝えられている。
個人の戦力において、彼女は間違いなく 第九神殿 に匹敵する存在である。
その戦闘スタイルは 緹雅 と同じく捉えどころがなく、敵は気づかぬうちに闇へと呑み込まれていった。
第二席:粉櫻(莉莉・貝魯埃 種族:神鷹)
莉莉 の設定は、古代の神鷹族に由来する。
彼女の金色の瞳孔はすべてを見透かすかのようで、生まれながらに冷厳と気高さを湛えていた。
その翼は淡い桃色がかった白で、羽ばたき高く舞い上がる時も、遠方を見据える時も、誰も及ばぬ優雅さを漂わせていた。
莉莉 の性格は 狄莫娜 によく似て、愛らしく人を惹きつける。
しかし一旦戦闘に入れば、彼女は冷静沈着かつ果断となり、戦士職を主軸とするその実力で、『櫻花盛典』に比類なき堅実な後盾を与えている。
時に高慢さを見せることもあるが、彼女は仲間を決して軽視せず、常に他者のために最前線へと立ち続けるのであった。
第三席:紫櫻(妲己 種族:九尾狐)
妲己 という名は、その外見と同じく誘惑と魅力に満ちている。
彼女は強大な魅惑の力を有する妖狐であった。
その瞳は琥珀のように輝き、常に優雅な笑みを浮かべ、次の一手を誰にも予測させなかった。
妲己 の体躯はしなやかで柔美、その九つの尾はまるで美しい光輪のごとく歩みに揺れ、抗い難い魅力を漂わせていた。
だが 妲己 は、決して魅惑だけに頼る者ではない。
九つの尾は彼女の力の象徴であり、それぞれが異なる能力を示していた。
妲己 は 菲瑞亞 のように技を隠すことはしない。
しかし、たとえその術が看破されようとも、彼女を容易に打ち破れるわけではなかった。
実力においては、妲己 と 菲瑞亞 は互角といえよう。
ただし戦闘様式においては、菲瑞亞 が 妲己 を強えてしまう――そういう関係であった。
第四席:紅櫻(艾兒 種族:火焰史萊姆)
艾兒 の外見は他と一線を画していた。
その身躯は液体のように透き通り、内側には鮮烈な紅蓮の炎が揺らめいている。
彼女の存在は、まさしく生きた炎の塊であり、瞬時にして強大な破壊力を発揮できるのだった。
艾兒 の心根は純真かつ率直であり、その感情は隠すことなく表出する。
仲間に対しては誰よりも誠実だが、敵に対しては一切の容赦を見せなかった。
彼女の炎は敵の防御を焼き尽くすのみならず、その魂魄までも灰燼に帰す。
私の「原初の水牢」ですら、艾兒 の力の前には掻き消されてしまう。
伝え聞くところによれば、艾兒 の体内には「未だ完全には制御されざる力」が眠っており、納迦貝爾 はそれを秘密兵器として扱い、詳細を語ろうとはしなかった。
私もまた、あえて深入して問うことはしなかった。
しかし 艾兒 には環境の制約があった。
彼女は寒冷の地を極端に嫌い、そのため彼女の居場所は第三神殿の「炙炎焦土」に定められた。
この神殿は、本質的に 艾兒 のために築かれた特別な場所だったのである。
第五席:白櫻(蕾貝塔・古雷林德 種族:靈蛇)
蕾貝塔 の体躯は修長にしてしなやか、双眸は鋭利に光り、知恵と警戒心を湛えていた。
彼女の強大さは肉体的な資質のみに留まらず、靈蛇としての天賦によってさらに研き上げられていた。
その身は 妲己 や 菲瑞亞 に比肩する武技と、強力な魔法を兼ね備えていた。
それだけでなく、彼女は 赫德斯特 に匹敵する叡智を誇り、戦術においては 姆姆魯 と肩を並べるほどであった。
彼女の視線は他者が看破できぬ領域にまで及び、その魔法は次元の壁すら越えて触れることができた。
蕾貝塔 の顔には常に冷静と慎重さが宿っていたが、その内奥には仲間を護らんとする烈しい想いが潜んでいた。
特に、彼女が大切に想う者に対しては――。
第六席:黃櫻(絲緹露 種族:象人)
絲緹露 の体格は堂々(どうどう)として高大、四肢は逞しく、肌は濃い褐色に染まっていた。
彼女の力は、その偉大な体躯と、不屈の意志から生まれる。
外見こそ荒々(あらあら)しく見えるが、性格は驚くほど温厚で、時に恥じらいを覗かせるほど内気であった。
それでも彼女は、常に柔和な笑顔を浮かべ、人々(ひとびと)と交わっていた。
その天賦は、最も困難な状況にあっても屹立し、仲間に絶えず支援を与える力を備えていた。
絲緹露 が倒れぬ限り、『櫻花盛典』の誰ひとりとして倒れることはない――そう信じられていた。
その体躯の大きさに反して、彼女の動きは決して鈍重ではなかった。
むしろ、意外なほど軽快かつ俊敏であった。
第七席:藍櫻(雅妮 種族:不明、未だ実体を持たず)
雅妮 は、『櫻花盛典』の中でも最も神秘的な成員であった。
その設定上、彼女の種族は不明であり、また実体を持たぬ。
ただ空気の中に存在するかのように、無形無象の姿であった。
その身からは常に異様な気配が漂い、人々(ひとびと)は誰ひとりとして、彼女の真の貌を見極めることができなかった。
第七席としての彼女は、直接の戦闘力を有してはいない。
その莫大な魔力量は、最終的に他の用途に割かれた。
それは少し惜しいことにも思えるが、納迦貝爾 と 芙莉夏 が下した決定には、必ずや深い意味があったに違いないと私は信じている。
私の知る限り、彼女が姿を見せるのは、大抵の場合、強力な感知魔法が必要となった時であり、その際には 姆姆魯 が 雅妮 を伴っていた。
彼女がどのような戦闘魔法を持つのか、私は一切知らない。
しかし、伝え聞くところによれば、彼女は 菲瑞亞 を最も抑える力を有する者だという――。
「『櫻花盛典』がいるのだから、こんなこと簡単に片付けられるでしょう?」
緹雅 は楽観的にそう言った。
その時、佛瑞克 が顔を上げ、問いかけてきた。
「凝里 様、恐れながら一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「言ってみよ!」
「なぜ、凝里 様はあの小さな村落をそれほどまでに気にかけられるのですか?
私から見れば、取るに足らぬ場所にすぎません。
それなのに、凝里 様はあれほどの苦心を払って、あの村を守ろうとなさっているのです。」
「佛瑞克、それはあまりにも 凝里 様に対して無礼ではありませんか!
大人方には必ずや深遠なお考えがあられるのです。
我々(われわれ)はただ従えばよいのです。」
迪路嘉 は、佛瑞克 の言葉に明らかに不満を示した。
「迪路嘉、その考えは誤っている。」
私は彼女の言を正した。
「申し訳ございません、凝里 様。」
「佛瑞克、むしろこれは良い問いだ。
お前たちが理解できぬのも無理はない。
だが覚えておけ、いずこであろうと我々(われわれ)の知らぬ力が潜んでいる可能性は常にある。
もし備えを怠れば、それはやがて我々(われわれ)が再び敗北する原因となろう。」
「なるほど! さすがは至尊様!」
佛瑞克 と 迪路嘉 は、この時そろって感嘆の声を上げた。
「要するに、我々(われわれ)が外界と交わる唯一の拠点は、あの 尤加爾村 にほかならぬ。
ゆえに、我々(われわれ)は可能な限り善意を示し、より多くの情報を得る必要がある。
だからこそ――佛瑞克、あの村を必ず守り抜いてほしい。」
「はっ、必ずや御期待に背きませぬ、凝里 様!」
迪路嘉 と 佛瑞克 が 晋見廳 を立ち去った後、緹雅 が問いかけた。
「今、君 は何をするつもり? もう『櫻花盛典』を出動させると決めたんでしょう?」
「さっきは実は私も自分の感情を発散したくなったんだが、守護者 の面前で面目を失うような振舞いを見せるわけにはいかない。
相手が誰なのかは分からないが、まずあの野蛮な連中を突き止めるべきだと思う。
何しろ、聖王国 に正々堂々(せいせいどうどう)と赴いて神明に会う方法はもう使えない。調査を表向きに進めるのは困難だ。現状を鑑みるに、これが最善の処置だと私は判断した。」
「蕾貝塔 を選んだのは、その後のことも見越してのことだよね?」
「その通りだ。多少歩調は速いかもしれないが、おおむねこの計画をまず実行することにした。」
「何か良い手を思いついたのか?」
「先ほど(さきほど)、私たち(たち)は聖王国内に冒険者ギルドの組織があるって聞かなかった?王国に拘束されず、実力があれば加入できる組織で、冒険者は冒険者ギルドの法規だけに従っているようだ。そこ(そこ)を利用して調査を進られるかもしれない。」
「ああ〜、なるほど、君は冒険者を利用して依頼をさせるつもりなのか!」
「いいえ、私は冒険者になるつもりだ。」
「それをする利点は何だ?」
「大まかに四点ある。
第一は、冒険者協会の実情と実力を調べられること。
第二は、凡米勒を殺した黒幕の正体を堂々(どうどう)と調査できること。
第三は、王国内で行動する時でも疑われずに済むこと。」
「なるほど、そんなに計画を立てていたとは!では第四は?」
「第四は……私たち(たち)はこの世界にお金がない!」
(聖王国内の大広間)
王殿内、第二十八代王が自身の王位に座しており、その下には王国内の精鋭が六名――十二大騎士団団長のうち六人が控えていた。人々(ひとびと)は穆尼斯の報告を聞いていた。
穆尼斯の報告が終わると、全員の顔色は著しく重くなった。とりわけ、この事件が聖王国から遠くない郊外で起きたという点が、皆を一層緊張させていた。
光龍騎士団団長の傑洛艾德が率先して言った。「我が国でかつて強力であった五階兵団が暗殺されるなどということが外部に知られれば、士気は再び打撃を受けるだけでなく、陛下と我々(われわれ)騎士団の面目をも損うことになる。」
新任炎虎騎士団団長の迪亞は、「この事件は二十五年前の惨劇を思い起こさせるな!」と述べた。
葉鼠騎士団団長達拉克は同意して言った:「その通りだ。この事件は二十五年前の出来事と寸分違わず、明かに同一人物の仕業だ、あの恐ろしい悪魔によるものだ。」
闇蛇騎士団団長桃花晏矢は問いかけた:「皆様も同じ考えですか?私は事態はそれほど単純ではないと思います。手口は似ているが、証拠が十分でなければ人々(ひとびと)を説得するのは難しいでしょう?」
達拉克は憤怒して尋ねた:「君はあの悪魔を庇おうというのか?」
桃花晏矢は答えた:「違う、違う、違う。私の言いたいのは、もし別の人間の仕業であった場合、事態はそれほど簡単ではなくなるかもしれない、ということです。」
水羊騎士団団長迪里米歐.緋海も言った:「私は晏矢閣下の見解に賛同します。ほかの者による可能性を排除することはできません。」
雷雞騎士団団長霏亞が問うた。「いっそ、再び冒険者協会に依頼してはどうか。何しろ我が国は今多くの問題を抱えており、二十五年前の件だけでも既に多くの兵団を派遣している。そうして王都の守備が絶えず削られているのだ。」
岩猴騎士団団長艾洛斯洛・徳漢克斯が言った。「この事件は少なくとも黒鑽級以上の派遣が必要だ。可能なら、今回は彼らを王国と協力させたい。」
傑洛艾德は答えた。「では、我が配下を向かわせよう。何せあの冒険者どもは経験が乏しい。」
「諸君、この事件は並の事態ではない。神々(かみがみ)からの指示が下される。しかも今回は最高神より直接下達されるのだ。」その発言者は正式に第二十八代王と称される人物――「皇帝」の称号を有する者であった。
「今回の事件は一般の者で対処できるものではない。犯人は長年潜伏して今再び手を出した。前回よりも大規模な戦に発展することは必至だ。各位騎士団団長諸君、近くの間は外出を控え、王国内での備えを怠らぬように。」
「はい。」
(聖王国西方城門)
私と緹雅は変身魔法を使い、自分たちを普通の市民の姿に変装して、音も立てずに聖王国へ入り込んだ。
今回の行動は従来と異なり、利波草原での惨案のために、聖王国の出入管制は異常に厳しくなり、私の元々(もともと)の計画は完全に狂ってしまった。
余計な疑いや不必要な面倒を避けるため、私はあらかじめ聖王国の居留証を数枚偽造しておいた。
こうすることで、少なくとも聖王国に入る際に目立たず、衛兵に疑われることはないだろう。
ライド(ライド)の話によれば、彼は聖王国に秘密の避難所を一つ持っており、その家は長年凡米勒によって管理されてきたという。
本来は、私は契約を通してライド(ライド)からその潜み家を買い取るつもりだったが、ライド(ライド)は意外にもその家を私に無償で譲っても構わないと言った。代償として求めたのは、犯人を突き止める手助けだった。
その言葉を聞いて、私は躊躇することなく応諾した。何しろそれは目下我々(われわれ)が解決すべき最重要な問題の一つでもあったからだ。
聖王国の王城は、この古き大地の東側に位置している。六大国それぞれの領土は地勢に基づいて区分されているのだ。
聖王国の東側は海に面しており、他の方位は山々(やまやま)に囲まれていて、地勢は相対的に閉鎖的である。しかしながら、その涵蓋する領域の範囲は極めて広大で、六大国の中では最大を誇り、人口も最も多い。
王国の首都である聖王都は二重の環状構造をなしており、二つの環状的区域に分かれている。もっとも内側にある部分は王城の核心で、そびえ立つ城塞は堅固な城壁に囲まれ、蜿蜒と流れる河川が自然なる防線を成して外郭と厳密に区別されている。
王城の中央には神々(かみがみ)、王族、高官らの居所があり、特別な許可を受けた者だけがこの神聖で神秘に満ちた区域に立ち入ることを許される。
外側の区域、すなわち王都の外環は巨大な円環を成し、王城の城壁を取り巻いている。その規模と構造は目を見張るものがあり、騎馬で疾駆したとしても一周するのに少なくとも二日は要するほどである。
管理を容易にするため、王都はこの大地を十二の区域に区分した。これらの区域は外観上では多少の違いが見られるが、互いに大きな差異はなく、主に騎士団の管轄を便くするための分割に過ぎない。各区域には専属の守衛が配備され、現地の秩序の監視と管理を担っている。
私と緹雅の目的地は王都の西側にあたり、この区域は比較的に辺鄙であり、王城からの距離もかなり離れている。萊德の住居はちょうどこの区域内にあり、炎虎騎士団の管轄下に属している。
ここは商人や旅人の出入が唯一認められている区域である。だが、最近頻繁に発生しているこの事件のせいで、守衛たちの警戒は一層厳重になり、検査もこれまで以上に厳密になっている。
私たち(たち)は聖王國の居留証を所持していたため、大多数の検問を回避し、この区域に無事に入ることができた。
西側の区域は、商人や旅人がこの地を通る際に休息し足を休める場所である。
ここの街道の両側は大多数が旅館、宿屋や小商店で占められ、かつては常に人の往来で賑わっていた。
しかしここ数年、一連の不明な事件や王國内部の動盪のために、この区域の繁栄は次第に衰い、以前のような喧騒は失われた。店は入れ替わりが絶えず、一部の外国商人も既に密かに去ったが、街道はなお営業を続けている。
この区域は地勢が険しく、起伏のある地形が街道を複雑にし、曲折しているため、地形に不慣れな者は容易に方向を見失いやすい。
ただし、各主要な路口には明確な道標が設けられ、行先が示されている。私たち(たち)はそれらの指示に従って、容易に萊德の住居へ通じる小巷を見つけた。
この住居は面積が約三十坪ほどの小さな木造の家屋で、三階建てである。
外観は素朴で、過度の装飾はなく、一般的な住宅と何ら変わりはない。
外から見ると、この小屋は茂密な樹林の中にひっそりと隠れており、四周は小径に囲まれている。近づくと、風が葉の間をそっと撫でるような音しか聞こえず、繁華な都市の喧騒はまったく感じられない。まるで世を隔てた避世の場のような静けさだった。
屋内に入ると、まず目に映ったのは、広々(ひろびろ)として簡潔な居間だった。
床は古い木材で作られており、長時間の磨きによって木の質感から天然の香りが漂っていた。その香りはまるで自然の息吹のようで、知らず知らずのうちに安堵を覚えさせた。
周囲の壁面には数点の簡素な絵画が掛けられており、どうやら凡米勒自身が描いたものらしい。どれも古の伝承を物語る場面を描いていて、例えば――ある代の皇帝が襲来する大洪水に対して抵抗する場面、一羽の小鳥が砂や石をくわえて大海を飛び越える場面、あるいは巨人が太陽へ向かって狂おしく駆ける場面などが見られた。
居間の中央には一つの砂場があり、砂場に据えられた暖炉は既に火を消して久しく燃えていなかった。黒い暖炉の表面には薄い灰が一層積もり、そのことが長年使われてこなかったことを示していた。
居間の左側には小さな扉があり、台所へ続いていた。台所はそれほど広くはないが、必要にして十分な広さがあった。
竈の上は厚く埃に覆われており、私はそっと息を一吹きすると、たちまち灰や埃が宙に舞い上がった。私は慌てて袖を振ってそれらを払い散らした。
調理器具は整然と並べられ、古い陶器の碗や皿は棚に大切に収められていた。
窓越に外を眺めると、小さな庭が広がり、近隣で自然に育った野花がのびのびと咲いているのが目に入った。
二階は書斎で、窓辺の本棚には草薬学、占卜学、魔法史書、古代拳法、陰陽術など、様々(さまざま)な書籍がぎっしりと並んでいた。
書斎の壁には古い地図が何枚か掛けられており、そこには遥か遠い地や未知の領土が記されていて、それらがいったいどのような物語を抱いているのか、自然と興味をそそられた。
机上には銅製の古い燈が置かれており、その光源は魔光石と呼ばれる特殊な結晶石に依存している。この石は少量の魔力を注ぐだけで長時間発光するため、生活の中で広く用いられている。
微弱な灯りからは長く使用されてきたことが窺えた。
しかし、そのかすかな光はなおも書斎の机上に重なる一束の筆記帳や未完成の原稿を照らしており、まるで誰かがここで黙々(もくもく)と執筆し、数多くの語り尽くされぬ物語を残していったかのようだった。
書斎の傍には浴室があり、そこは非常に新しく見え、改修の跡が伺えた。浴室の瓷磚はきらきらと光り、白色の浴槽が隅に置かれており、その傍らには数種の瓶罐が並んで、各種の入浴用品が収められていた。
三階には二つの寝室があり、階段の両側にそれぞれ配されている。各寝室には大きなベッドが一つずつ置かれており、寝具は整えられて清潔だ。枕に掛けられた布は手触りが柔らかく、私がそっと触れば、夜ここで眠るのがどれほど快適かすぐに分かるだろう。
各ベッドの脇には小さなサイドテーブルが置かれ、その上には小ぶりな枕元のランプが灯されている。
二つの寝室にはそれぞれ浴室が備え付けられており、これで私は緹雅とのプライバシー(プライバシー)を心配する必要がなくなった。ただし、緹雅は部屋の設計に対してあまり満足していない様子であった。
三階には小さな陽台が一つあり、飾りは何もなく、簡素な木製の欄干だけが備えられていた。陽台に立てば、遠方の景色を俯瞰することができる。
微風が頬をそっと撫で、ひんやりとした一すじの涼しさを運んできた。こうした簡素さがかえって格別に心地よく、まるで世界全体がこの静かな夜色の中で眠っているかのようで、風だけが変らず静かに歌っているようだった。
私と緹雅が三階から降りて居間へ戻ったとき、ふと目に留まった陰の箇所があり、そこに通路が隠されているのを見つけた。その通路は地下室へと続いている。
地下室の入口は人目につきにくく巧妙に隠されており、ほとんど気づかれることはないほどだった。地下室に足を踏み入れると、目に飛び込んできたのはただ広く空っぽの空間だけで、什器や調度は一切なく、どこか寂れた荒涼とした雰囲気が漂っていた。表よりもさらに陰やかで冷んやりとした空気が、そこには満ちていた。
本来、私は地下室で何か秘密や隠された宝を発見できることを期待していた。しかし(しかし)、現実は私たち(たち)が想像していたよりも遥かに単純だった。
一日中の奔走で私は著しく疲労していた。余計な混乱や不必要な喧騒がないこの場所は、まさに私たち(たち)が必要としていた環境だった。
私たち(たち)は先ず部屋へ戻り、少し休憩を取って思考を整理することに決めた。
緹雅が部屋に入るとすぐに文句を言い出した。「あぁ〜、疲れた。私はここでゆっくり何か面白い所を見たかったのに。」
「そんなこと言わないでよ〜、私たちは遊びに来たわけじゃない。何しろ処理しなければならない事が多すぎるんだから。」
「台所を除けば、他はかなり清潔だね。あの中年の男性、ちゃんと定期的に掃除してるみたい。」
「そうだね。拠点としてこの位置は実に悪くないし、しかも冒険者協会からも近いから、行動がずいぶん楽になる。」
私たちは魔力を魔光石に注入した。明るい灯りが部屋の陰影を瞬時に払い、この小屋に一縷の温もりと活気をもたらした。
ひと休みした後、私は弗瑟勒斯から必要な物品をいくつか移し、この住居に置いた。
私が操る魔法を用いれば、いつでも転送門を開いて弗瑟勒斯と即時に繋がることができる。私にとっては、物品を転送することも、別の空間へ移ることも難しくない。
しかしながら、この魔法は便利である一方で制限もある。私は最大で一つの転送門しか開けず、毎回使用するたびにかなりの魔力を消費する。
私にとってその消耗は許容できる範囲ではあるが、過度に依存すると肝心な時に使えなくなるおそれがあるため、慎重に扱う必要がある。
私たち(たち)は管理を容易にするため、この住居を簡単に改造し、我々(われわれ)の必要に応じていくつか調整を行った。
元々(もともと)簡素だった竹の椅子は簡易な改造を経て、快適なソファーに変わった。これにより、座っても横になっても、よりくつろげるようになった。
台所の傍には小さな食卓を置き、空間は大きくはないが、こうした配置でここで食事を楽し(たの)しむには十分だった。
幸いにも私たち(たち)は魔法を用いて容易に改造することができた。もし単純な人力に頼っていたら、相当な時間と労力が掛かっただろう。
私はこれらの作業をこなすだけの体力があることは否定しないが、魔法で改造することは疑いなくより効率的な方法であった。
およそ一時間ほどで、私たち(たち)は一階の空間を一通り再配置し、全体の雰囲気は以前よりいっそう温かくなった。
居間の空間は作り直され、ソファーの配置は私たち(たち)の要望により合うようになった。そして、その小さな食卓は久しく感じ(かん)でいなかった家庭的な温もりを私に思い起こさせた。
「ぐぅ〜ぐぅ〜。」
緹雅は顔を赤らめてソファーに横たわり、背を私に向けて言った。「凝里、お腹すいた〜」
「そうだね、丸一日忙しくてまだ何も食べてないし、緹雅、何か食べたいものはある?」
「今の状況だと食材を手に入れるのも難しいよね?」
「じゃあ、手っ取り早くて都合がいい方法として、今日は火鍋にしない?」
「火鍋!」
火鍋という言葉を聞いて、緹雅の目が瞬時に輝いた。火鍋の魅力はやはり非常に強いようだった。
ここ(こ)には食材がなかったため、私は食堂から食物を転送してもらうしかなかった。
火鍋の最大の利点は手軽で迅速なことだ。まずは汁の素を用意しておけば、食材は後からゆっくり揃えればよい。
「今日はチーズミルク鍋と麻辣鍋の組合わせはどう?」
「いいね!鴛鴦鍋!」
おいしい物が用意できれば、緹雅の機嫌は途端によくなるようだ。これからは食の準備にもっと力を入れねばならない。
多くの食材はもともと食堂にあったものだったので、私は莫特に連絡して食堂の者に速やかに準備して転送してもらうよう頼んだ。そうしてあまり時間をかけずに、すべてが整った。
この世界には電磁調理器やIHのような機器は存在しないため、火を起こして加熱するしかない。それはまた別の風情を醸し出していると言えるだろう。
火鍋は本当に非常に万能な美食だ。
それは単に手軽で迅速なだけでなく、様々(さまざま)な人の食に対する欲求を満たすことができる。濃厚なスープ(すーぷ)でも新鮮な食材でも、一口また一口と人を惹きつけ、止めどなく箸が進んでしまう。
忙しい日々(ひび)には、火鍋が私のもっとも頻繁な選択肢の一つだった。適当に野菜や肉類、海鮮類を煮れば、手早く一食を楽し(たのし)める。
ただし、注意すべき点は塩分の摂取である。火鍋のスープ(すーぷ)はしばしば塩けが強くなりがちで、特にスープ(すーぷ)に添えるタレや各種の薬味を併用するとさらに塩分が増す。塩分を取り過ぎないために、私はあまりスープ(すーぷ)を飲まず、またタレの使い過ぎも極力控えるようにしている。そうすることで味わいを損わずに美食を堪能しつつ、体の健康にも配慮することができる。
人によって火鍋の食べ方は異なるが、私はいつもまず野菜を煮るのが好きだ。野菜を火鍋で煮ると、スープ(すーぷ)の味はいっそう濃厚になり、野菜の鮮やかな甘みがスープ(すーぷ)に溶け出して、全体の味の層がより豊かになる。
私がこれらの野菜を煮ていると、スープ(すーぷ)から立ち上る香りが瞬時に広がり、思わず期待が高まる。
肉類や海鮮は火鍋に欠かせない食材だ。海鮮について、今日使ったものは龍霧山中央の湖で採れたもので、そこの魚類や貝類は水質が清く汚染がなく、魚肉は身が柔らかくジューシーで、貝類は天然の甘みを帯ている。
これらの海鮮は私が迪路嘉に頼んで召喚してもらった音魔に捕らせたものである。音魔の敏捷さと力により、龍霧山の湖を自在に行き来して、最新鮮な魚類や貝類を容易に捕獲することができるのだ。
肉類の部分について、今日は私は龍霧山山脊上の野牛肉を選んだ。これらの野牛は山脊の原始林に生息しており、肉質は締まりがあって弾力に富み、養殖牛の肉と比べるとより天然的な風味を帯びている。
モット(モット)が丸ごと解体された牛を転送してくるとは思わなかったが、結局二人しかいないのだから大量に食べるわけにはいかない。そこで私は最終的に肋眼と牛小排を中心に取ることにした。
火鍋を煮る際は私は少しこだわりがある。処理した牛肉を皿に並べると、見事な霜降りが食欲をそそった。緹雅は待ちきれない様子で私を急かした。
「早く!早く!湯がもう沸いた、食べたい〜」
「先に食べてて!私はまだいくつか食材の下準備をしなきゃ。」
「ダメ!こっちへよこして!」緹雅は急に声を張り上げて叫び、私は思わず驚いた。
「火鍋っていうのは一緒に食べてこそ美味しいんだ。早く座って、一緒に食べよう!」
「はいはい〜怒った顔はやめて〜」
緹雅の命令には、私は従うほか選ぶ道はなかった。
緹雅は思いやり深く私のご飯を盛ってくれた。
この世界に白米があるということは、本当に大きな福音だ。私は当初、それを口に入れることができないのではないかと心配していたが、幸運にも食堂の傍にある栽培システムがまだ稼働しており、私たちはそれでこれらの食材を得ることができたのだ。
「凝里がいてくれて本当に助かった。さもなければ、私はもう長いことこんなに美味しいものを食べていなかったよ。」
「そんなこと言わないでよ。私はすぐに調子に乗るタイプなんだから。」
緹雅は笑いながら牛肉を箸でつまみ上げた。しかし、緹雅が勢いよく一気に牛肉を鍋に放げ入れようとした瞬間、私は素早く止めた。
「待って!緹雅、そんなことしちゃダメ!」
「どうしたの?」
「そうすると牛肉が台無し(だいなし)になるよ。私に任せて!」
そう言うと私は牛肉を奪い取り、一枚ずつ丁寧にスープ(すーぷ)に入れていった。
私が牛肉を鍋に入れると、湯は即座に肉を包み、牛肉の霜降りに含まれた脂が熱湯で徐々(じょじょ)に溶け出し、濃厚な肉の香りを放した。
肋眼部位の肉は特に柔らかく滑らかで、脂肪が均等に分布している。湯が沸くと、これらの肋眼肉片は鍋で五分から七分程度に火が通り、表面はわずかに焦がして香ばしく、内側はなお鮮やかで柔らかな食感を保っている。
一口かじると、肉の弾力が感じられ、肉汁が口の中で溢れ出し、スープ(すーぷ)と絡み合って極めて豊かな味の層を生み出した。
「牛肉を片ずつ入れないと、まとめて鍋に放り込むと加熱が不均一になるし、うっかりすると火が入り過ぎて固くなってしまうよ。一枚ずつがいいんだ。」
「そしたら、お願いね、ちゃんと私をサーブしてね!」と緹雅は手で顎を支え、斜めに目を細めて笑いかけ、私は一瞬で顔が真赤になった。
「からかわないでよ!」
「ははは!」
「青菜も少し食べるのを忘れないでね〜」
「ちぇー、本当に雰囲気を壊すんだから。」
緹雅は再び唇を尖らせ、その表情がかえって私にはとても可愛く見えた。
食事を終えた後、二人は客間のソファに腰を下ろして休憩していた。
緹雅は、私が作った茶ゼリーを食べながら、先ほどの話題を続けた。
「ところで、どうすれば冒険者になれるの? 何か試験みたいなのがあったはずだよね。」
「聞いた話だと、評価試験のようなものらしい。ただし、実力がどうであれ、必ず最下層から少しずつ経験を積んでいかなきゃならないんだ。」
「じゃあ、私とあなたならすぐに最高ランクになれそうだね? だって、あのオジサンでさえ金光級の実力があるって聞いたし。でも、そんなに目立ったら逆に危ないんじゃない?」
「さっきもその点が気になっていたんだ。こういう時こそ德斯たちに頼めればいいのにな。」
「それって弦月団のこと?」
「そうさ! 彼らの実力に加えて幻影変化の能力は、俺たちの変身魔法よりもずっと使い勝手がいいんだ。」
「だめだよ! 確かに彼らの戦闘能力はすごいけど、情報収集とかはとても苦手なんだ。だからこそ**德斯**が指揮を任されているんだよ。」
「ふぅ~、確かにその通りだね。今日は早めに休もうか。明日、冒険者ギルドに行ってみよう。」