表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そのゲームは、切り離すことのできない序曲に過ぎない  作者: 珂珂


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/44

第二卷 第一章 帰還-8

此時このとき侍者じしゃふたたはいってた。

には細頸水晶杯さいけいすいしょうはいたくし、そのなかには琥珀こはくのような色沢いろつやびた、温潤おんじゅん液体えきたいそそがれている。

それは主餐しゅさん先立さきだ前酒ぜんしゅであり、高級こうきゅう宴席えんせきにおいて、きわめて儀式感ぎしきかんつよい、開幕かいまくげる合図あいずであった。

これがこのみせにおける食事しょくじ習慣しゅうかんであるらしく、くところによれば、主厨しゅちゅう黄昏之國たそがれのくにからまなったものだという。

そのころ主餐しゅさんがちょうどはこばれてて、味覚みかく視覚しかく交錯こうさくする饗宴きょうえんが、ここに正式せいしきまくけた。

連続れんぞくする三道さんどう料理りょうりに、三道さんどう美酒びしゅわせるこの精緻せいち構成こうせいは、自然しぜん期待きたいさそい、こころまでもが、それに呼応こおうするかのようにおどはじめた。


第一道だいいちどう料理りょうりは、《春日滿堂はる みちる》と名付なづけられている。

この一皿ひとさらは、最初さいしょから視覚しかくつよ衝撃しょうげきをもたらした。

料理りょうりは、磁胎じたいきわめてうす青花瓷盤せいかじばんけられている。磁面じめんには六島ろくとう象徴しょうちょうする百花文様ひゃっかもんようえがかれ、料理りょうり本体ほんたいは、まるでそのなか春日はるび主役しゅやくのようであった。

盤面ばんめん中央ちゅうおうには、うすそろえられた鴨胸肉かもむねにくが、花弁かべんのようにななめにかさねられている。鴨皮かもかわかすかにがり、金褐色きんかっしょく栗紅色りっこうしょく交錯こうさくするそうえがしていた。表面ひょうめんには、炉火ろびあぶられたあとしょうじた、ほとんど透明とうめいちか酥皮そひ薄膜はくまくのこり、灯光とうこうけて、朝霧あさぎりなか露珠ろしゅまたたくかのような光点こうてん反射はんしゃしていた。

鴨肉かもにく周囲しゅういには、精緻せいちくばされた羅心花瓣らしんかべんりばめられている。この紫花しばなは、高原こうげん春日はるびにのみみじか期間きかんくもので、そのかおりはやわらかく、しかも独特どくとくであった。雨後うご草葉くさば檸檬薄荷れもんはっかったような気配けはいび、けっして主張しゅちょうぎることはないが、自然しぜん意識いしきせずにはいられない。

その一縷いちる幽香ゆうこうが、のぼ蒸気じょうきとともにひろがるとき、料理りょうり全体ぜんたいは、まるでかるやかなたましいまとったかのように、山間さんかん暁霧ぎょうむほどはじめ、桃李とうりつぼみふく春暁しゅんぎょうけいへと、しずかにっていくようであった。



そしてその主役しゅやくとなるのは、神話之國しんわのくにから荷邊鴨かへんがもである。

もともときわめて希少きしょう存在そんざいであり、この鴨類おうるい神話之國しんわのくにの「まぼろし內海ないかい」にのみ棲息せいそくするとつたえられている。

月光げっこう底層ていそうそだ泉藻せんそうしょくとし、その肉質にくしつきぬのようにこまやかで、あぶらかおりは濃厚のうこうでありながら、けっしておもたさをのこさない。

主厨しゅちゅうはこの素材そざいのために、真空魔法しんくうまほうもちいて鴨胸かもむねまるごと封存ふうぞんし、恒定こうていされた魔法場まほうばにおいて、弱火よわび九十分きゅうじゅっぷんかん湯煮ゆにほどこした。

それにより、鴨脂かもあぶら筋理きんりあいだにある天然てんねん汁水しるみずたもつと同時どうじに、にく内層ないそうまり、ゆたかな弾力だんりょくびるにいたる。

この魔法技術まほうぎじゅつは、黄昏之國たそがれのくに御宴学派ぎょえんがくは由来ゆらいするものであり、火力かりょく安定あんていと、鍋壁なべかべにおけるエネルギー流転りゅうてん極度きょくどおもんじる、高階こうかい厨藝ちゅうげいである。

湯煮ゆにわったあと料理りょうり最後さいご工程こうてい、「霊火炙焼れいかあぶりやき」をる。

火山木炭かざんもくたんともされたほのおを、肉面にくめん五度ごど往復おうふくさせるのみ。

あぶらねつ反応はんのうした鴨皮かもかわは、きわめて微細びさい気孔きこうはじかせ、酥脆そぜいでありながら弾性だんせいそなえた焦化構造しょうかこうぞう形作かたちづくる。

くちはこべば、さきもろく、のちうるおい、まるでかぜとおける初融しょゆう氷層ひょうそうのように、そうかさなってくだけ、かさなってなめらかにけ、わすがた余韻よいんのこす。

醬汁しょうじゅうは、まさに画竜点睛がりょうてんせい一筆いっぴつのような存在そんざいである。

弱火よわび煮詰につめた果木蜜梅かぼくみつうめ白葡萄酢しろぶどうす薑花蜜きょうかみつから特製とくせい果木甘醬かぼくかんしょうは、粘度ねんどきわめてひくく、雨糸あまいとのようにしずかにち、鴨肉かもにくあいだ自然しぜんながれていく。

そのあじのようであった。

まずみつあまみが味蕾みらいみちびき、初春しょしゅん最初さいしょ一筋ひとすじ陽光ようこうがそっとれるかのようにひろがる。

つづいて白酢はくす酸香さんこうたくみに脂肪しぼうおもさをり、

そして薑花きょうか余韻よいんが、草地くさちにひそやかに野花のばなのように、終幕しゅうまくにそっとかおげるのであった。



このような主菜しゅさいに、ともうに佳醸かじょうともなわなければ、それはうたがいなくしむべき浪費ろうひであろう。

そのため主厨しゅちゅう用意よういしたのは、葦原島あしはらじまよりもたらされた限定げんてい果酒かしゅ――「浮春酩ふしゅんめい」であった。

このさけは、春初しゅんしょじゅくした黄桃おうとう百香果ひゃくこうか圧搾あっさくし、低温ていおん霊気窖れいきこうにてさんげつ、ゆるやかに発酵はっこうさせてつくられる。

発酵はっこう過程かていでは果実かじつ完全かんぜんにはしぼらず、果肉かにく花蜜かみつ一部いちぶのこすことで、果酒かしゅならではの清新せいしんさをたもちつつ、花香甘酒かこうあまざけちかなめらかさと奥行おくゆきをそなえさせている。

酒液しゅえき晶亮しょうりょう淡金色たんきんしょくていし、長脚杯ちょうきゃくはいそそげば、杯壁はいへき沿ってゆるやかにながれ、まるで陽光ようこう山巒さんらん水澤すいたくけたあとのこ余光よこうのようであった。

くちふくんだ瞬間しゅんかん、まず果香かこう酒精しゅせい雨露うろのごとく舌面ぜつめんからみつき、こまやかでかるやかな印象いんしょうのこす。

つぎいで、鴨肉かもにく煙火えんかのように濃烈のうれつかおりがのどおくからがり、酒体しゅたいはそれをけていきおいづき、重厚じゅうこうあぶら羽毛うもうはらうかのようにぬぐり、舌先したさき清明せいめいもどす。

それは、やわらかさからさへ、そしてふたたかるさへとかえる、精緻せいち設計せっけいされた味覚みかく橋段きょうだんであり、春雷しゅんらいはじめてとどろいたあと彩霞さいかしずかにそらけていくさまをおもわせた。

さらにおどろくべきことに、このさけ羅心花らしんか香気こうきとも共鳴きょうめいする。

酒中しゅちゅうのこ柑橘酯類かんきつしるい成分せいぶんが、口腔こうくうのこ余温よおんなかでゆるやかにはなたれ、花香かこうかさなりうことで、かつてない幽芳ゆうほうした。

その瞬間しゅんかん味覚みかくたんなるにくしょう構図こうずえ、山野さんや百花ひゃっかきそき、晨霧しんむ晴光せいこう交会こうかいする、一幅いっぷく画巻がかんへとおおきくひらいていったのであった。



春光しゅんこうやわらかさが余韻よいんとしてのこるそののち第二道だいにどう料理りょうりは、まったくことなる風貌ふうぼうをもって姿すがたあらわした。

第二道だいにどうは、《夏日時光なつのとき》。

そののとおり、この一皿ひとさらえがすのは、けつく陽光ようこうもと大地だいち火焔かえんともう、熱力ねつりょく野性やせいそのものであった。

銀製ぎんせい長盤ちょうばんうえには、あかくろ二道にどう火烤肉排かこうにくはいならち、夕陽ゆうひらされた双影そうえいのごとく、質朴しつぼくたたずまいのうちに、きることのない張力ちょうりょくめている。

盤面ばんめん中央ちゅうおう左側ひだりがわはいされているのは、炭火すみびじかげられた牛小排ぎゅうしょうはいである。

肉身にくしんあつく、切面きりめんにはあたか程良ほどよい「五分熟ごぶんじゅく」の紅潤こうじゅんさが宿やどり、内裡ないり紅宝石こうほうせきのようにふくよかで、多汁たじゅうちている。

外層がいそうには、ほのかな焦香しょうこうびた炙焼あぶりやき網紋あみもんきざまれ、深褐色しんかっしょくなか炭灰たんかい痕跡こんせきまじじる。

よくらせば、くち沿って肉汁にくじゅうがゆっくりとにじし、まるで夏日なつび驟雨しゅううぎたあと岩縫いわぬいからちる泉水せんすいのように、しずかな生命感せいめいかんたたえていた。



右側みぎがわ羊小排ようしょうはいは、ほそながととのえられ、わずかにえが骨架こっかは、まるで一柄いっぺい羽矛うぼこのようであった。

肉身にくしん特製とくせい香料こうりょう事前じぜんまれたあと高熱こうねつ直火じかびあぶられ、表層ひょうそうには焦香しょうこう結晶けっしょう形成けいせいされる。

焼紋やきもんふかきざまれ、ふちかおばしくげ、そこにはおさがた天然てんねん野性やせい宿やどっていた。

ちかづくと、濃厚のうこう肉香にくこうなかに、ほのかな辛香料しんこうりょう気配けはいじりい、正面しょうめんからせてくる。

それは炎島香豆えんとうこうまめ火山岩塩かざんがんえんったかおりであり、高熱こうねつなか一気いっきはじけ、最終的さいしゅうてきには血脈けつみゃくふるわせる、強烈きょうれつ第一嗅覚印象だいいちきゅうかくいんしょうとして沈殿ちんでんした。

この料理りょうりもちいられているのは、黄泉島よみのしま特有とくゆうとされる霊木炭れいもくたんである。

この木材もくざいは、火焔魔法かえんまほうゆたかなもりにのみ生育せいいくするとわれ、燃焼後ねんしょうご長時間ちょうじかん均一きんいつ高熱こうねつたもつづける。

そのねつ肉中にくちゅう水分すいぶん油脂ゆし過不足かふそくなく圧縮あっしゅくし、もっと凝縮ぎょうしゅくされた肉魂にくこんだけをのこすのである。

主厨しゅちゅう火候かこうあやつ妙技みょうぎにより、牛肉ぎゅうにく咬感こうかん柔潤じゅうじゅんさをうしなわず、

一方いっぽう羊肉ようにくは、かおばしくさくしてもろく、しかも内側うちがわやわらかで、微塵みじん腥膻せいぜんのこさなかった。



ソースにかんして、主厨しゅちゅうにくそのものの個性こせいてるため、二通ふたとおりのことなる仕立したてを精選せいせんしている。

いずれもあじおおかくすのではなく、素材そざい輪郭りんかく明確めいかくにすることを目的もくてきとしたものであった。牛排ぎゅうはいえられるのは、配合はいごうきわめてこまやかな配慮はいりょほどこされた黄芥子きがらしソースである。

芥末からし黄昏之國たそがれのくに北部ほくぶ沙丘区さきゅうく由来ゆらいし、乾燥かんそうさせた辛香籽しんこうしくだき、微量びりょう雪梨せつり焦糖しょうとうくわえて調製ちょうせいされたものだ。

そのあじ辛辣しんらつなかあまみをめ、まるで夏日なつび午後ごごおとずれる驟雨しゅううのように、はじめは鮮烈せんれつおどろきをもたらし、後味あとあじには不思議ふしぎ余韻よいんのこす。

そのソースが牛肉ぎゅうにく斜切面しゃせつめんかれると、くちふくんだ瞬間しゅんかん辛味からみさきした点火てんかし、ほどなく肉汁にくじゅうにじてくる。

両者りょうしゃたがいにからい、重厚じゅうこうでありながら過度かど逸脱いつだつしない、抑制よくせいいた張力ちょうりょくし、おもわず幾度いくど回想かいそうしたくなる余情よじょうのこした。


羊排ようはいには、香気こうきんだ羊排ようはいようのソースがえらばれている。

それは発酵はっこうさせた赤ワインと燻製くんせいした藍莓あいちごをともに煨煮いにし、丁寧ていねい凝縮ぎょうしゅくさせたもので、その色調しきちょう深紫しんしにして、ほとんど黒墨こくぼくちかい。

このソースは肉面にくめんつつむようにまとい、絨毯じゅうたんのごとく密着みっちゃくしながらも、けっしてながちることはない。

その風味ふうみは、濃厚のうこう果実酢かじつす葡萄皮ぶどうかわせんめたかのようで、酸香さんこう脂肪しぼうするどつらぬき、羊肉ようにくひそ内斂ないれんした甘味あまみ酥香そこうを、過不足かふそくなくす。

あとには、歯頬しきょうしずかにのこ芳香ほうこう余韻よいんだけが、ながとどまっていた。


そして、この料理りょうりにおけるたましい一筆いっぴつとなるのが、にくとも一杯いっぱい美酒びしゅである――

黄昏之國たそがれのくに西麓丘陵せいろくきゅうりょうよりもたらされた名酒めいしゅ、《落陽深醇らくようしんじゅん》だ。

このワインは、火紅かこう果皮かひ魔力葡萄まりょくぶどうからかもされ、六年ろくねんにもおよ魔法静釀まほうせいじょう完成かんせいしたものだ。

酒体しゅたいはきわめて濃重のうじゅう宝石紅ほうせきこうていし、黒曜杯こくようはいそそがれると、まるで烈焔れつえん夜幕やまくおくひそむかのように、ふかく、しかも燦爛さんらんとしてかがやいた。

酒香しゅこうには、黒李こくり可可かかお果皮かひ、そしてかすかな煙草えんそう余韻よいん幾層いくそうにもかさなっている。

はじめにいだ印象いんしょう力強ちからづよく、やや覇道はどうにすらかんじられるが、ひとたびにく交会こうかいすると――とりわけ芥子からしソースをまとった牛排ぎゅうはい出会であった瞬間しゅんかん――雷鳴らいめい衝突しょうとつしたあとまれる余波よはのような共鳴きょうめいこす。

酒精しゅせい肉汁にくじゅう同時どうじ口腔こうくう膨張ぼうちょうし、濃烈のうれつさと果香かこううず風暴ふうぼうとなってひろがっていく。

やがて羊排ようはいへとなおすと、酒体しゅたい宿やど微酸びさんやわらかな導線どうせんへと姿すがたえ、羊肉ようにく奥底おくそこひそ鉱物こうぶつてき甘味あまみ脂香しこうを、しずかに、しかし確実かくじつす。

こうして料理りょうり全体ぜんたい風味ふうみは、もう一段いちだんたか次元じげんへとげられていったのであった。


第三道だいさんどう主菜しゅさいは、ひくささやきのなかされる一通いっつう招待状しょうたいじょうのよう――《秋海秘境あきのうみ・ひきょう》である。

料理りょうりがまだたくとどかぬうちから、とおくの銀蓋ぎんがいしたより、潮汐ちょうせきうごはじめる瞬間しゅんかんにも気配けはいが、しずかににじしてくる。

これはたんなる一皿ひとさらではない。

うみ楽章がくしょうとし、かに楽器がっきとする、一場いちじょう味覚みかくたびである。

三種さんしゅ、まったくことなる調理ちょうりほうかさなりい、秋日あき海域かいいき、そして技藝ぎげいについての三幕さんまくから物語ものがたりげていく。

それは、こえひそめてかたられる、海国かいこく童話どうわのようであった。

第一幕だいいちまくは、もっと純粋じゅんすい幕開まくあけ――塩煮しおに高脚蟹たかあしがにである。

六島之國ろくとうのくに東岸とうがん海溝かいこう由来ゆらいする蒼赤そうせき高脚蟹たかあしがには、毎年まいとしあきふかまるころ、ひととき海面かいめん姿すがたあらわす。

その甲殻こうかくには天然てんねん紅斑こうはん青紋せいもん宿やどり、あきうみせいともばれる存在そんざいである。

主厨しゅちゅうもっと鮮度せんどたか活蟹かつがにえらび、海霊かいれい魔法水まほうすいもちいて、過不足かふそくのない温度おんどまでしずかに加熱かねつする。

沸点ふってんたっするまえ十七分じゅうななふんかん恒温こうおんたもち、仕上しあげに、潮殿湿原ちょうでんしつげんよりもたらされた黒晶海塩こくしょうかいえんをごく微量びりょうだけりかける――それだけであった。



かにさなかたまりけられ、殻色からいろ鮮紅せんこうから暗金あんきんへとうつろっている。

それぞれの蟹足かにあしふしには、ほのかな海霧かいむおもわせる塩香えんこうが、しずかにのこっていた。

その一片いっぺんはしり、くちへとはこべば、緊緻きんち蟹肉かににくあいだほそくほどけ、おどろくほど抵抗ていこうなくかれていくのがかんじられる。

過度かど加熱かねつはなく、花巧かこう調味ちょうみもない。

そこにあるのは、ただ海底かいてい最深部さいしんぶからがる甘味あまみが、潮水しおみずのようにせてくる感覚かんかくだけであった。

それは、ほとんど原始的げんしてきとさええる味覚みかく本能ほんのう――

きよく、純粋じゅんすいで、雑念ざつねん一切いっさいふくまない、ただひたすらな「せん」そのものなのである。


つづいてあらわれるのは、第二幕だいにまく――

炙烤蟹足あぶりやきかにあし 檸檬れもん柚香ゆこうのソースえである。

蟹身かにみ高温こうおん炭焔たんえんうえかれ、直火じかびげられる。

外殻がいかくはわずかに焦黒こくこくびる一方いっぽう内側うちがわ蟹肉かににくは、事前じぜんられた薄層はくそう柑橘果油かんきつかゆによって、いっそうやわらかく、多汁たじゅう仕上しあがっている。

きょうされるころには、から適度てきどたたられ、べやすくととのえられていた。

表面ひょうめんには金黄きんこう檸檬皮末れもんかわまつがわずかにらされ、わきにはかるやかな琥珀色こはくいろ柚子ゆずソースがえられている。

このソースは、低温ていおん丹念たんねん煮詰につめられた工藝品こうげいひんのような存在そんざいである。

日晒ひざらしの柚子ゆず清酒せいしゅ、そして微量びりょう甜酒てんしゅ調和ちょうわさせて仕立したてられ、くちふくめば、酸味さんみなかにほのかな苦味にがみび、やがてあわ果香かこうしずかにひろがっていく。

蟹肉かににくくちはこぶと、まず炭火すみび焦香しょうこう蟹肉かににく本来ほんらい塩味えんみからい、

ほどなくしてソースがうようにひろがり、夏末かまつ岩縫いわぬい細雨さいうるかのごとく、にく旨味うまみ一層いっそう、また一層いっそうほどはなっていく。

その滋味じみは、たんなる満足まんぞくとどまらない。

陽光ようこうくちづけられ、海風うみかぜなかでそっとまぶたじる瞬間しゅんかんのような、

覚醒かくせい夢幻むげん同時どうじおとずれる、しずかな幸福感こうふくかんのこすのであった。


そしてむかえる最後さいご高揚こうよう――第三幕だいさんまくは、

蟹黄蟹粥かにみそかにがゆ蟹殻かにがらられてきょうされる。

それは、視覚しかく香気こうき同時どうじこころさぶる一品いっぴんであった。

うつわとしてもちいられるのは蟹殻かにがらそのもの。そのうちに、金黄きんこうかがやき、やかなかおりをたたえた蟹黄粥かにみそがゆたされている。

かゆもととなるのは、蟹汁かにじるをたっぷりとんだ海米飯かいまいはん

これを丹念たんねんげ、青葱あおねぎ洋葱たまねぎ、ごく少量しょうりょう白胡椒しろこしょう、さらに蛋液たんえきかしわせる。

仕上しあげに濃厚のうこう蟹黄かにみそえることで、わんいっぱいのかゆは、まるで熔金ようきんしずかにらめくかのようなたたずまいをせる。

表面ひょうめんには、かすかに泡立あわだ油光あぶらひかりかび、

たくかれた瞬間しゅんかん、そのかおりはさえぎるものなくのぼる。

く、しかしおもすぎることはなく、ほのかな甘味あまみ洋葱たまねぎ特有とくゆう余香よこうかさなり、

ねむりについていた味蕾みらいひとつひとつを、たしかにますにちからそなえていた。



さじ一掬ひとすくいしてくちはこぶと、舌先したさきはまずかゆ柔滑じゅうかつさにれ、

つづいて蟹黄かにみそ油脂ゆしたまごかおり、そしてほのかな辛味からみびた洋葱たまねぎ一斉いっせいはじける。

ねつ香気こうき潮浪ちょうろうのごとく五感ごかんつつみ、あらががた引力いんりょくとなって、おもわず一口ひとくち、また一口ひとくちかさねてしまう。

それはまるで、した全体ぜんたい海面かいめん反射はんしゃする金光きんこうすくるかのようで、ふか沈溺ちんできし、われわすれる感覚かんかくちかかった。

しかし、しんひといきづかせるのは、これらの料理りょうりついをなす一杯いっぱいさけ――

天方鳴酒てんほうめいしゅ》である。

それは銀羽琉璃杯ぎんばりゅうりはいそそがれた半透明はんとうめい酒液しゅえきで、色調しきちょうつゆのようでもあり、けむりのようでもある。

杯縁はいえんには、かすかな蛍光藍けいこうあいらめいていた。

このさけ配方はいほう主厨しゅちゅうみずからが創製そうせいしたものとされ、醸造じょうぞう工程こうていは、いまだ一切いっさい外部がいぶかされていないという。

あるものは、神話之國しんわのくに月海之水げっかいのみず銀花ぎんかぜてかもしたさけだとかたり、

またあるものは、雲閣うんかくうえにある天櫻酒坊てんおうしゅぼうからまれたものだとかたしんじている。

真偽しんぎさだかではない。

だが、どのような伝聞でんぶんがあろうとも、ただひとたしかなことがある――

それは、このさけたしかにたましい宿やどした一杯いっぱいである、という事実じじつであった。


酒液しゅえきくちれた瞬間しゅんかん、そのあじ言葉ことばではとらがたいものとなる。

はじめは、ほとんど無味むみちかい。だが、数秒すうびょうたのち、かすかな鳴動めいどう胸奥きょうおうつらぬくようにがり、口中こうちゅう次第しだいうすれかけていたかに旨味うまみを、ふたたせ、昇華しょうかさせ、鮮明せんめいます。

それはかに風味ふうみおおかくすことなく、むしろえない一本いっぽん琴弓きんきゅうのように、にくあじのあいだをしずかにけていく。

その瞬間しゅんかんかにはもはやたんなる「味覚みかく」ではなくなる。

あたかも一曲いっきょく楽章がくしょうとしてかなでられているかのように、

一口ひとくちごとが旋律せんりつ一音節いちおんせつとなり、

そしてさけは、それらすべての旋律せんりつむすげ、全体ぜんたいつらぬ主旋律しゅせんりつとなる。

それは、へと昇華しょうかされた味覚体験みかくたいけんであり、

二度にど再現さいげんすることのできない、一瞬いっしゅん出来事できごとであった。


この饗宴きょうえんは、うたがいなく、きわめてぜいくした体験たいけんであった。

きょうされる一皿ひとさら一皿ひとさらは、まるで芸術品げいじゅつひんのように姿すがたあらわし、

その一口ひとくちごとに、感覚かんかく境界きょうかいしずかにうごかされていく。

それはたんなる視覚しかく味覚みかく饗宴きょうえんにとどまらず、

季節きせつ記憶きおく横断おうだんする、ひとつの旅路たびじにもていた。

はる清雅せいがなつ炙熱しゃねつ、そしてあきうみたたえるふかしずかな気配けはいへ――

その一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんたしかな意味いみ宿やどし、

その一皿ひとさら一皿ひとさらが、わすがた余韻よいんのこしていった。

このみせ名声めいせいとおくまでとどろかせ、

おおくの人々(ひとびと)がきそっておとずれる伝説でんせつとなったのも、けっして不思議ふしぎではない。

もし、この体験たいけん一語いちごあらわすとすれば――

完美かんび」という二字にじでさえ、

なお、そのしんおもみにはとどかないようにおもわれた。



しかし、そのような陶酔とうすい只中ただなかにあっても、わたしはやはり、わずかな懸念けねんおさえきれずにいた。

というのも、この宴席えんせきでは多種多様たしゅたよう美酒びしゅが次々(つぎつぎ)ときょうされており、緹雅ティアけっして酒量しゅりょうつよいほうではないからだ。

わたしはそっとくびめぐらせ、彼女かのじょがすでにかすかないをおぼえてはいないかとたしかめようとした。

だが、そこでうつったのは、おもいがけない光景こうけいだった――

緹雅ティア目尻めじりに、まだぬぐわれぬままの、一滴いってき涙光るいこうがきらりとまたたいていたのである。

それは酔意すいいによる朦朧もうろうではなかった。

まぎれもなく、むねおくからがった、真実しんじつ感動かんどうだった。

彼女かのじょ眼差まなざしはやわらかく、そしてふか集中しゅうちゅうしており、

まるでさきほどあじわった料理りょうり余韻よいんなかに、なおゆだねているかのようだった。

この饗宴きょうえんは、ただ身体からだたしただけではない。

緹雅ティアこころそこにひそむ、繊細せんさいやわらかな一角いっかくにまで、しずかにれていたのである。


そのような技術ぎじゅつ表現力ひょうげんりょくまえにして、わたしもまた、こころからふくさざるをなかった。

食材しょくざいへの理解りかい魔法まほう運用うんよう、そして全体ぜんたい節奏せっそういたるまで――

この名店めいてん主厨しゅちゅうは、わたしには到底とうていおよないたかみをしめしていた。

それは畏敬いけいいだかせる境地きょうちであり、

ひとみずかすすんで臣服しんぷくしたくなる、しん芸術げいじゅつである。

わたしがその余韻よいん沈思ちんししていると、

緹雅ティアがふいにせきち、あまりにも自然しぜん口調くちょうった。

「お手洗てあらいにってくるね。」

わたし言葉ことばかえさず、ただしずかにうなずいただけだった。

彼女かのじょあゆみは、どこかすこはやかった。

おそらく、わたし彼女かのじょなみだにしたことにづき、

その姿すがたられたままではいられず、

ひとまずそのはなれ、自分じぶんととのえようとしたのだろう。



料理りょうり残香ざんこうはなお空気くうきただよい、やわらかな灯光とうこう精緻せいち器皿きさら晶亮しょうりょう酒杯しゅはいそそぎ、

そこに、あわにじ光影こうえい幾筋いくすじうつしていた。

うたげはすでに終盤しゅうばんへとしかかり、

人々(ひとびと)もまた、料理りょうり驚嘆きょうたんから徐々(じょじょ)に現実げんじつへともどされていく。

先刻さきほどまでの高揚こうようかげひそめ、

そのつつむのは、どこかさぐうような、含意がんいびた静謐せいひつであった。

わたしはそっと酒杯しゅはいく。

喉奥のどおくには、なお《天方鳴酒てんほうめいしゅ》の余韻よいんのこり、

それはまるで、まだえきらぬ波光はこう舌底ぜっていしずかにれているかのようだった。

ちいさくいきき、わたしこころからの実感じっかんを、そのまま言葉ことばせる。

「……これ(……これ)は、本当ほんとうに、ただただごとではない体験たいけんだ。」

天之神あまのかみは、わずかにうなずき、

その声音こわねには、余裕よゆう温和おんわ自然しぜんにじんでいた。

よろこんでもらえて、なによりだ。

この一席ひとせきは――我々(われわれ)からの、見面礼けんめんれいということにしておこう!」



わたしおもわず、かすかにわらみをらした。

視線しせんは、なお余温よおんびているまえ食器しょっきをすべり、

胸中きょうちゅうには、相反あいはんする敬意けいいしずかにがってくる。

かれらはたしかに、老獪ろうかい周到しゅうとう神明かみだった。

神力しんりょくによる威圧いあつでもなく、

権勢けんせい利得りとくによる誘引ゆういんでもない。

かれらがえらんだのは、

料理りょうり」という、もっと人心じんしんちかかたちとおして、

わたしたちとい、交渉こうしょうするという手段しゅだんだった。

みとめざるをない。

それは、きわめて高明こうめいさくである。

そして、わたしにとって――

それは、じつに、見事みごとなまでにいていた。


安定あんていした仕事しごと生活せいかつ以降いこうわたし美食びしょくたいする執着しゅうちゃくを、以前いぜんにもしてつよかんじるようになった。

おそらく、日々(ひび)があまりにも変化へんかとぼしいからこそ、感覚かんかくまし、平坦へいたんさをやぶ一瞬いっしゅんを、つよもとめてしまうのだろう。

貯蓄ちょちく数字すうじえていくのをまもつづけるよりも、

自分じぶんたしかに「きている」とかんじられる価値かちを、このあじわうほうが、よほど意味いみがある。

もし、わたしがただ一人ひとりで、

なにひとつ背負せおうものもなく、顧慮こりょすべき存在そんざいもなかったのなら、

この瞬間しゅんかんまようことなくくびたてっていたかもしれない。

理由りゆう単純たんじゅんだ。

この盛宴せいえんは、わたしもっとやわらかい弱点じゃくてんを、正確せいかく射抜いぬいてきたからだ。

だが、わたしははっきりと理解りかいしている――

この旅路たびじは、わたし一人ひとりのものではない、ということを。



わたしかおげ、神明かみたちを見渡みわたした。

「ご厚意こういあるおもてなしには、こころから感謝かんしゃしています……。

ですが、いくつかの事柄ことがらは、わたし一人ひとりめられるものではありません。

どうか、すこしお時間じかんをいただき、検討けんとうさせてください。」

天之神あまのかみはその言葉ことばいても、不快ふかいいろせることはなかった。

むしろ、かるわらってこうこたえた。

かまわぬ。

そなたたちの立場たちばと、そのむずかしさは理解りかいしておる。

その慎重しんちょうさこそ、かえって信頼しんらいあたいする。

協力きょうりょくはなしは、後日ごじつでもおそくはあるまい。」

わたしはわずかにいきみ、意外いがいおもいつつも、胸中きょうちゅうちいさな安堵あんどおぼえた。

神明かみたちは、すくなくとも表面ひょうめんじょうことわりわきまえる存在そんざいらしい。

たたみかけることもなく、

いきおいにまかせてあつをかけることもせず、

わたしたちに、きちんとした距離きょり余地よちあたえてくれた。

無論もちろんむねおくでは、

自分じぶんがすでになにらかの筋書すじがきのうちかれているのではないか、という感覚かんかくも、なおえきらない。

だが――すくなくとも。

そのさく高明こうめいで、優雅ゆうがで、

そして不思議ふしぎと、ひとこころ反感はんかんいだかせないものであった。


そのとき緹雅ティアがゆっくりとお手洗てあらいからもどってた。

緹雅ティア大丈夫だいじょうぶ

手洗てあらい、ずいぶんながかったけど。」

わたしは、心配しんぱいそうな表情ひょうじょうでそうたずねた。

平気へいきよ。ただすこそと空気くうきっていただけ。」

「それなら、よかった。」

緹雅ティアせきもどると、

妲己ダッキうでなかにいる雅妮ヤニーと、ひそひそと小声こごえはなはじめた。

なにはなしているのかはからない。


主餐しゅさんまくじ、酒香しゅこうがわずかにしずむと、

廳中ていちゅうしずかに数分すうふんほどきをせ、

最後さいご一道いちどう料理りょうりが、ひそやかにたくへとはこばれてた。

ちいさな白瓷盅はくじちゅうなかには、稜角りょうかくのはっきりとした布丁ぷりん一塊ひとかたまり端正たんせいおさめられている。

その表面ひょうめんきよく、いかなる紋様もんようたず、

頂部ちょうぶには淡白色たんはくしょく氷淇淋アイスクリーム一球いっきゅうえられ、

さらに深色しんしょく糖漿とうしょううえからしたへとゆるやかにしたたち、

やがて暗金色あんきんしょく波痕はこんとしてかたまっていた。

この甜点てんてんは――《凜冬綻放ふゆ ほころぶ》。

そののとおり、

はるはな爛漫らんまんなる多彩たさいもなく、

夏日なつ果実かじつ濃甜のうてんもなく、

秋日あき収穫しゅうかくられる豊盈ほうえい香濃こうのうともことなる。

それはふゆ――

沈静ちんせい節制せっせい、そしてめてあらわさぬかた

一見いっけんすれば平凡へいぼん構成こうせいもとに、

しかしそこには、味覚みかく情緒じょうちょ逆行ぎゃっこうする、ひとつのたびしずかにかくされていた。



布丁ぷりん本体ほんたい色調しきちょう乳白にゅうはくちかく、

くちふくんだ瞬間しゅんかん甘味あまみはまったくかんじられない。

そのわり、ほのかな焦乳香しょうにゅうこうと、わずかな苦味にがみびた卵香らんこうひろがり、

舌触したざわりはなめらかでありながら、けっしておもたさをのこさない。

それは、雪地せっちからあゆたびのよう――

冷静れいせいで、緩慢かんまんで、ゆきのようにしずかな感触かんしょくである。

つづいて、頂層ちょうそうおおうアイスクリームが香気こうきはなはじめる。

やさしい乳香にゅうこうと、ほのかな糖香とうこうったそのにおいは、

まるで晨光しんこう雪原せつげんむかのように、

さきほどまでの冷峻れいしゅん口当くちあたりを、徐々(じょじょ)にやわらげていく。

甘度かんどたかくないが、布丁ぷりん無甜むてんささえられることで、

かえって際立きわだってあかるくかんじられ、

それは黎明前れいめいぜん一筋ひとすじ温光おんこうのようであった。

そして、しん高潮こうちょうは、

氷球ひょうきゅうからちる黒糖漿こくとうしろっぷによってもたらされる。

これは文火ぶんかげられた濃縮のうしゅくシロップで、

長時間ちょうじかん低温ていおん煮詰につめをて、

焦糖しょうとう龍眼蜜りゅうがんみつおもわせる、深層しんそう香気こうきびている。

それが舌先したさきひらくとき、

甘味あまみ一気いっきがり、

夜色やしょくなか突如とつじょあらわれる花火はなびのように、

全体ぜんたい味覚みかくを「」から「まん」へとげる。

こうして、逆向ぎゃくこうきにかさねられた甘味あまみそうが、しずかに完成かんせいしていくのであった。


まず無味むみつぎにほのかな甘味あまみ、そして最後さいご甘味あまみへ――

それこそが、この甜点てんてんめられた匠心しょうしんである。

伝統的でんとうてき甜点てんてんのように段階的だんかいてきげていくのではなく、

極簡きょくかんから極致きょくちへと一気いっきる。

それは、沈黙ちんもくから爆発ばくはつへといた冬日ふゆび楽章がくしょうのようであり、

さきほどまでの熱烈ねつれつ張揚ちょうようし、豊盛ほうせいきわめた主餐しゅさんたちと、鮮烈せんれつ対比たいひしている。

だが、この《凜冬綻放ふゆ ほころぶ》のしんおどろきは、

外見がいけん構成こうせいするいずれの要素ようそにもあるのではない。

それは、その「静黙せいもく核心かくしん」にこそひそんでおり、

そこにこそ、ほころびを決定的けっていてきかぎめられているのである。



わたし湯匙ゆさじ布丁ぷりん中心ちゅうしんをそっとると、

おくに、一抹いちまつ透明とうめい光沢こうたくが、不意ふい姿すがたあらわした。

それは糖漿とうしょうではない。

なかあらわれたのは、一枚いちまい氷晶蕨餅ひょうしょうわらびもちであった。

琉璃るりのような姿形すがたかたちち、触感しょっかん柔滑じゅうかつ

その内部ないぶには、さらに銀白色ぎんぱくしょく液体えきたいが、ひそやかにふうじられている。

これは、本日ほんじつ甜点てんてんえられた餐酒さんしゅ――

月光げっこうかもしたさけと、冬花露とうかろ調合ちょうごうした秘製ひせい酒品しゅひんであり、

蕨餅わらびもちうち完璧かんぺき封存ふうぞんされ、

布丁ぷりん中心ちゅうしんかくされていたため、

こわさぬかぎり、その存在そんざいづくことは不可能ふかのうだった。

この仕掛しかけは、まるでゆきふうじられた秘密ひみつのようであり、

しんさがそうとするもののためだけに、用意よういされたおくものであった。

酒液しゅえきはなたれた瞬間しゅんかん

冷流れいりゅうのごとき感触かんしょく口中こうちゅうわたる。

だが、それはすぐに、どこかしたしみのある暖流だんりゅうへと姿すがたえ、

清酒せいしゅ淡雅たんがさ、冬梅とうばい花香かこう

そして蜜橙皮みつとうひおもわせる、ほのかな清苦せいくたずさえられ、

ゆるやかに布丁ぷりん氷淇淋あいすくりーむなかへとんでいく。

三者さんしゃ融合ゆうごうしてまれるそのあじは、

もはやたんなる甜点てんてんでも、たんなる酒精しゅせいでもない。

それは、まったくあらしいかたちの――

液態記憶えきたいきおく」とぶべき存在そんざいであった。



そのあじに、わたしおもわず、わずかにいきんだ。

なぜかはからない。だが、言葉ことばにしがた既視感きしかんにもた、奇妙きみょうしたしさがむねひろがった。

それは味覚みかく記憶きおくからがる感覚かんかくであり、どこかこころれる共鳴きょうめいのようでもあった。

まるで、この一杯いっぱいさけが、わたし記憶きおく手掛てがかりに、だれかが意図的いとてき調製ちょうせいしたかのように――

それは、この甜点てんてんえられたさけである以上いじょうに、わたしけられた一種いっしゅの「応答おうとう」のようにかんじられた。

布丁ぷりん冷静れいせいさ、

氷淇淋あいすくりーむ温柔おんじゅうさ、

黒糖こくとう炙烈しゃれつさ、

そしてさけ清透せいとうと、むね感情かんじょうらぎ――

それらをかさね合わせ、《凜冬綻放ふゆ ほころぶ》は、

極簡きょくかんから極盛きょくせいへ、現実げんじつから記憶きおくへといたる、ひとつの幻想的げんそうてきたび完結かんけつさせた。

これは、ただ終幕しゅうまくいろどるための甜点てんてんではない。

それは、主厨しゅちゅう餐桌さんたくうえのこした暗語あんごであり、

しずかにされた、ひとつのなぞであった。

そこにしめされていたのは、驚嘆きょうたんすべき細部さいぶへの掌握しょうあくと、完璧かんぺき制御せいぎょされた節奏せっそうである。

あやまちは一切いっさいなく、冗贅じょうぜい存在そんざいしない。

それは、あたかもしずかにかたりかけるかのようにげていた――

凜冬ふゆ只中ただなかにあっても、はなはなおほころるのだと。



甜点てんてん余韻よいんがまだえきらぬうちに、わたし茶杯ちゃはいげ、しばし沈思ちんししたのち、ゆっくりとくちひらいた。

失礼しつれいですが、ひと質問しつもんがあります。」

天之神あまのかみうなずき、語気ごきはじめとわらぬまま、いてこたえる。

「どうぞ。」

わたしはいき、視線しせん餐桌さんたくうえにある、

一見いっけんすれば平凡へいぼんでありながら、匠心しょうしんちた《凜冬綻放ふゆ ほころぶ》へとすべらせ、

声調せいちょう幾分いくぶんかの慎重しんちょうさをびさせた。

「おたずねします……

こちらの主厨しゅちゅうに、おいする機会きかいはありますか。

もし直接ちょくせつはなしうかがえるのであれば……

こので、あなたあなたがた依頼いらいくびたてることになるかもしれません。」

語調ごちょうには、わずかに冗談じょうだんめいたひびきがふくまれていた。

だが、その言葉ことばめられた意図いとが、きわめて明白めいはくであったことも、またたしかであった。


神明かみたちはたがいに視線しせんわし、

すぐに微笑ほほえみをかべ、ためらうことなくこたえた。

「もちろん問題もんだいありません。

稲天寺いなてんじとおして、あなたのご要望ようぼうをおつたえしましょう。」

そのこころよ返答へんとうき、わたし胸中きょうちゅうには、おもわずちいさな得意とくい算段さんだんかんだ。

もし、料理りょうり芸術げいじゅつへと昇華しょうかさせるあの主厨しゅちゅうじかい、

さらには技法ぎほう直接ちょくせつうことができるのなら――

それは、またとない好機こうきとなるだろう。

それがかなえば、弗瑟勒斯フセレス食堂しょくどう料理りょうりは、さらに一段いちだんたかみへとげられる。

そして将来しょうらい緹雅ティアもまた、何度なんどでも、あのなみださそあじくちにすることができるはずだ。

わたしにとっては、まさに一挙いっきょ数得すうとく――

これ以上いじょうないはなしだった。



しかし、現実げんじつつねおもいどおりにすすむとはかぎらない。

ほどなくして、稲天寺いなてんじ席間せきかんもどり、まゆをわずかにせ、表情ひょうじょうにはすこ困惑こんわくかんでいた。

もうわけありません……主厨しゅちゅうは、現在げんざいどうやら接客せっきゃくむずかしいようです。

近頃ちかごろは、ほとんど厨房ちゅうぼうからることなく、なにきわめて機密きみつせいたか研究けんきゅう開発かいはつ専念せんねんしているとのことです。」

その口調くちょう婉曲えんきょくで、

このことわりがあまりにかたひびかぬよう、つとめているのがあきらかだった。

わたしはそれをき、しずかにうなずいた。

無理むりうつもりはなく、胸中きょうちゅうにわずかな落胆らくたんはあったものの、理解りかいはできた。

「それは残念ざんねんですね……。

ですが、いつかえんがあれば、またおにかかれることをねがっています。」

わたしは、結果けっか期待きたいどおりでなかったからといって、執拗しつようこだわ性分しょうぶんではない。

ましてや、自分じぶん都合つごうだけで他者たしゃ無理むりいることなど、するはずもなかった。

ただ、こころおくには、なお一抹いちまつ憧憬どうけいのこっている――

たとえ一目ひとめだけでも、

緹雅ティアなみださせたあの料理りょうりかみに、ってみたいというおもいが。


場面ばめん一度いちどややしずみかけた、その瞬間しゅんかん――

つぎ刹那せつな時間之神じかんのかみが、ふと霊光れいこうたかのように、指先ゆびさきかる卓面たくめんたたき、

どこか神秘しんぴ期待きたいびた語調ごちょうった。

「それならば――

いずれ、あらためてうたげもうけるとしよう。

そのおりには、主厨しゅちゅう本人ほんにんてもらうのはどうだ?」

その言葉ことばみみにした瞬間しゅんかんわたし胸中きょうちゅうおもわずおおきくれた。

あの宴席えんせき料理りょうりふたたあじわえるうえに、

さらに主厨しゅちゅうみずからが包丁ほうちょうにぎる――

それは、まさしくこのでもっとも遭遇そうぐう困難こんなん副本ふくほんの、開幕かいまく宣言せんげんにほかならなかった。



今日きょう予算よさんいて、

それにあとほかものたちのぶんかえるとなると……

うー_q……問題もんだいはなさそうか?」

活力之神かつりょくのかみもまた、時間之神じかんのかみ言葉ことばり、

ゆびりながら計算けいさんはじめた。

しかし、わたしくちひらくよりはやく、

稲天寺いなてんじは、まるで天雷てんらいでもいたかのように、

いきおいよく背筋せすじばした。

さきほどまでかんでいた笑顔えがお一瞬いっしゅんえ、

そこには職責しょくせき背負せおものらしい、厳粛げんしゅく表情ひょうじょうあらわれる。

時間之神大人じかんのかみさま活力之神大人かつりょくのかみさま……

そ、それはさすがに出費しゅっぴぎるのでは……。

まさか、前回ぜんかいの『盛夏五百貝宴せいかごひゃくばいえん』で、

どれほどの予算赤字よさんあかじしたか、おわすれではありませんよね?」

「まあまあ、そんなに緊張きんちょうしなくていいじゃないか~」

時間之神じかんのかみをひらひらとりながらくびよこり、

言葉ことばにしがたい、どこか得意とくいげなみをかべた。

わたしには――へそくりがあるんだ。

この程度ていど出費しゅっぴ問題もんだいにはならないさ!」



言葉ことばちた、その直後ちょくご空気くうき一変いっぺんした。

「……なるほど、まだ私房銭しほうせんをおちだったのですね、夜久やくさま。」

稲天寺いなてんじこえけっしてたかくはない。

だが、語尾ごびにわずかにふくまれたがりと、言葉選ことばえらびの変化へんかは、まるで暴風雨ぼうふううまえ最初さいしょ一滴いってきあめのようだった。

かれ表情ひょうじょうは、まさに「れからくもりへ」とでもうべき変化へんかせる。

まゆそろってがり、口元くちもとかたむすばれ、

その全身ぜんしんは、いまにも噴火ふんかしそうな火山かざんのようだった。

時間之神じかんのかみかみなりたれたかのように背筋せすじばし、

冷汗れいかん一気いっきす。

「ま、って……! いまの発言はつげん非公開ひこうかいだよね!?

だよね!? ちょ、ちょっとって、みんなってるとおもってたんだってばあああ——」

私房銭へそくりはなしはしないって約束やくそくだったでしょ!」

となりにいた活力之神かつりょくのかみも、まるで連鎖反応れんさはんのう触発しょくはつされたかのようにがり、

かおほのおよりもあかくなり、

一瞬いっしゅんで、羽毛うもうをむしられた飛鳥ひちょうのようにきをうしなった。

「……ああ? 霧生きりゅうさまも、おちなんですか?」

稲天寺いなてんじ視線しせんするどはしる。

やいば一閃いっせんしたかのような眼差まなざしとともに、

その声音こわねには、あきらかに「ついにつかまえた」という快感かいかんにじんでいた。

「ち、ちがう! あれは……その……節慶金せっけいきん

非常用ひじょうよう予備金よびきんだ! そう、年末ねんまつのためにってあるやつ!」

活力之神かつりょくのかみ言葉ことばかさねるたびに混乱こんらんふかめ、

もはや自分じぶん自分じぶんめているかのようだった。

「……神明かみであっても、家計簿かけいぼからはげられないんだな。」

わたしは、まえひろげられるこの神聖しんせい騒動そうどうながめながら、

こころなかで、ひそかにそうつぶやいていた。


ほかのことはさておき、

かれらは「かねかくしてつかる」というてんにおいて、凡人ぼんじんなんわりはなかった。

そのとき稲天寺いなてんじは、両腕りょううでみ、身体からだをややよこけてち、

かおには一切いっさい余分よぶん表情ひょうじょうかべず、

ただ「ける案件あんけん更新こうしんされた」とでもうような面持おももちで、だまってかれらをつめていた。

わたしおもわず天之神あまのかみへと視線しせんける。

するとかれは、「自分じぶんにもどうにもできない」といたげな微笑びしょうかえしてきた。

この宴席えんせきは、本来ほんらいなら、

高雅こうが震撼しんかん神聖しんせい――

その三語さんごめくくられるはずだった。

だが最終的さいしゅうてきのこった記憶きおくは、

神明かみたちがあわてふためいてわけかさね、

それにたいして財政官ざいせいかんやまのような視線しせんつづける――

そんな光景こうけいだった。

とはいえ、正直しょうじきえば、わるくはない。

なにしろ、

神明かみ子供こどものように、

かねかくしてつかったことでなげき、懇願こんがんする姿すがたにする機会きかいなど、そうあるものではない。

それは、おそらく――

どんな料理りょうりよりも、はるかに貴重きちょう光景こうけいだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ