第一卷 第七章 未来に灯りをともす-7
私たち はまもなく 六島之國 へ向けて出発する予定だったが、旅立つまでの間、この 聖王国 の小さな小屋は依然として私たちの臨時的な據点であり続けていた。
夜が更けるにつれて、外では虫の声が静かに弱まり、星の光りが少しずつ夜空に浮かび上がっていった。
室内では燭火がほのかに揺れ、三人の姉妹は床に座って何かを考えているようだった。一方、妲己 は窓辺のソファにひとり膝を折って座り、静かに遠くを見つめていた。
琪蕾雅 は小さく息を吐き、沈黙を破るように口を開いた。
「紫櫻 さま、太陽はもう沈みました。お二方とも、まだ戻っておられません……」
彼女の声音には、わずかな不安が滲んでいた。
私たちの実力が強大であることは承知していても、護衛として、「未知」に対する警戒心だけは、どうしても手放せないのだろう。
妲己 はすぐには答えず、ただゆっくりと顔を上げ、その双眸にかすかな光が浮かんだ。
窓の外では木々(きぎ)の影が風に揺れ、星の光がかすかに彼女の頬へと差し込み、言葉では表しがたい空霊さを映し出していた。
「今回お二人が向かったあの山……なんだか懐かしい感覚がありますね」
彼女は静かにそう言い、まるでゆるやかな記憶の底へ沈んでいくようだった。
そう言い終えると、彼女はゆっくりと立ち上がり、裸足のまま木質の床へとそっと足を下ろし、静かに身を回した。
衣がふわりと揺れると同時に、淡い紫色の光が彼女の足元から浮かび上がり、月影のように緩やかに四方へと広がっていった。
その舞い姿は、まるで過去への「感謝」と「敬意」を静かに伝えているかのようだった。
紫の光は流水のように流れ、彼女の指先や爪先が描く軌跡に沿って空中へと集まり、まるで櫻花の花片が舞う光影のように、夜色の中でそっと咲き広がった。
「紫櫻 さま……もしかして、以前ああいう場所へ行ったことがあるんですか?」
朵莉 は大きな瞳をぱちぱちさせながら、好奇心たっぷりに尋ねた。
妲己 の微笑みは変わらないままだったが、その笑みに今夜はどこか柔らかな色が宿っていた。
「どうしてそんなことが? あれは 聖王国 の山脈でしょう……私は冒険家でもないし。まあ……忘れているだけかもしれませんけどね?」
彼女は舞い続けながら、どこか神秘的な響きを帯びた声でそっと囁いた。
「なにしろ……櫻花盛典 はずっと 弗瑟勒斯 の最深部に留め置かれ、結界の核心を守る役目でしたから。」
その瞬間、妲己 の舞が続くにつれて、小屋の周囲に漂う空気がほんのかすかに変化し始めた。
風が……止まった。
草葉の上に宿っていた露はふわりと浮き上がり、細かな光の珠となって空中に留まり、消えずに輝いていた。
そして夜空に瞬く星々(ほしぼし)の中で、ある一つの星が突然、異様なほど強く光り、まるで何かに呼びかけられたかのように明滅した。
千里もの彼方、六島之國 の「雲閣」では、天狐神社 の霊石が突然、かすかな震えと共に鳴動した。
ちょうどその時、現任の宮司は静かに座を組み、冥想に沈んでいた。
彼女はそっと目を開き、額に宿る御印がわずかに震え、極めて懐かしく、それでいて朧な気配を帯びたエネルギーの波動を感じ取った。
「これは……」
彼女はすぐに立ち上がり、神社の最も高い場所に立ち、西南方へと視線を向けた。
風音は止み、月影は沈黙し、遠い異国から届いたその気配は、どこか「封印された記憶」と微かな共鳴を起こしているようだった。
「……この気配は、現世に属するものではありません……けれど、かつて……それは私の一部だった。」
宮司は小さく呟き、その瞳は千年の海霧を透かすように揺れ、懐かしさなのか、警戒なのか、その境目は判然としなかった。
手に握る幣帛を強く握りしめながら、彼女は確かに感じる微かな共鳴に耳を澄ませ、静かに自らへ語りかけた。
「まさか……」
遠く離れた小屋の中では、妲己 の舞いの最後の旋回が静かに終わりを迎えた。
彼女は光を収め、落ち着いた表情のまま再び窓辺へ戻って座った。
「紫櫻 さま……いまのは……?」
琪蕾雅 はこらえきれずに口を開いた。
「ただの回憶ですよ。」
妲己 は柔らかくそう答えた。
三人の姉妹はそれ以上追い問うことはしなかった。
言えないことがあるのを理解していたからだ。
けれど、彼女たちには分かっていた。
妲己 もまた、これから始まる旅路を心から楽しみにしているのだと。
(聖王国 王都)
聖王国 は 扶桑 との戦いで勝利を収めた。
だがその戦役は、聖王国 の王城全域を巻き込み、いくつもの区画が連続する戦火によって焼け野原と化した。
最終的に敵を打ち破ったものの、その代償はあまりにも重く、容易く受け入れられるものではなかった。
広大な城下町は炎によって崩壊し、聖王国 の大地は深々(ふかぶか)と裂かれた傷痕のように痛々(いたいた)しかった。
多くの民は家を失い流離し、安住の場も見つからない。
さらに多くの者が親族を永遠に失った。
彼らは戦士ではなかったが、それでも戦乱に選ばれた犠牲者だった。
国全体を包むのは、深い悲しみと重苦しい痛恨の空気であった。
街路には、往日の笑い声も賑わいも戻らず、代わりに漂うのは沈黙した眼差し、伏せられた視線、そして国中に揺れる喪を示す黒い紗ばかりだった。
王都の鐘は夜明けと共に静かに響き、その音は勝利のためではなく、没した者たちへ捧ぐ弔鐘であった。
――このような空気は、およそ二週ほど続いた。
神明たちは自ら最高の儀式による国葬を執り行った。
彼らは銀白の聖袍を身にまとい、純粋なる祝福の杖を手に、聖殿の中で一人ずつ古語を詠唱し、罹難者の魂へ道を示した。
七つの浮空の環が空中に懸かり、神力を王国の隅々(すみずみ)へと広がらせ、亡者の魂に安息を与え、生者の胸に宿る深い悲痛をわずかに和らげていた。
しかし、たとえ神力であっても、すべての者の傷を癒やすことはできなかった。
儀式の最中、家へ戻る声を二度と待つことができないというだけで、嗚咽し泣き崩れる者もいた。
歯を食いしばりながら、胸の奥で神明への疑念を燃やす者もいた――
「神明なら、なぜもっと早く手を差し伸べなかったのか?」
だが神明たちは最終的に王国を守り抜いた。
ただし……
誰も知らなかった。
この勝利が、実は声も音もない奇跡によって成り立っていたことを。
神殿の内部には、歴史の出来事を記録するための掛軸が古より設けられていた。
歴代の神明たちは、自らが神位を継承した後の歴史をその掛軸へ書き記し、これらの記録はすべて神殿の内殿に大切に保管されてきた。
そして、特に重要な歴史については、別にもう一つ掛軸が制作され、神殿の正殿の左右に掲げられる。
そこから皇帝が人を遣わして臨摹を行わせ、最終的には民間へも伝わっていくのである。
この戦役は「焚天之劫」と呼ばれ、また新たな歴史の一部として後世に受け継がれることになる。
――これは 聖王国 が建国以来最も奇跡的な勝利であり、もし二人の無名の英雄がいなければ、聖王国 の歴史はすでに幕を閉じていたに違いない。
その二人は自分たちの功績を残すことを拒んだものの、その偉業は神明たちによって克明に記録され、内殿へ収められた。
一方、正殿に掲げられた掛軸には、彼らに関する事蹟は意図的に省かれていた。
王国騎士団の指揮の下、災害後の再建作業は火の付いたように急速に進み始めた。
被災地は複数の区画に分けられ、臨時の避難所が設置され、医療と補給の隊が昼夜問わず奔走していた。
多くの騎士団メンバーは戦で傷を負っていたが、休む暇は一切なかった。
さらなる被災者が彼らの助けを待っているからである。
そのため、痛みを必死にこらえながらも、一瞬たりとも手を止めることなく、救援活動へ身を投じ続けていた。
聖王国 の神明たちは神殿の内で閉関し、戦闘で消耗した力を再び蓄えていた。
彼らは最短の時間で王国の核心となる結界を再起動させ、ほかの勢力が隙を突いて侵入してくるのを避けなければならなかった。
そんな折、あの馴染み深い気配が再び姿を現した。
神殿の中では燭火が微かに揺れ、神明たちは聖壇の上で静かに座していた。
外界の音はすべて遮断され、ただ聖環だけがわずかに振動し、強大な存在の来臨を告げていた。
そこへ 亞拉斯 が急ぎ駆けつけ、片膝をついて跪いた。
「神明さま、あの使者が……またお越しになっています。」
「すぐ通しなさい。」
盤古 は静かに頷き、そう指示した。
一陣の墨のような気流が神殿の外から漂い込み、やがて黒い影として凝り固まった。
見覚えのある斗篷、黒猫の面罩、そして神格すら見透かすような双眸――
黒衣の使者が再び神々(かみがみ)の前に姿を現した。
「使者どの……」
盤古 は身を少し起こしたが、その動きにはまだ明らかな虚弱さが残っていた。
自身の限界を超える力を行使し、さらに重傷まで負った身で生き延びたこと自体が、すでに奇跡と言えた。
黒衣の使者は手を軽く上げて、無理に立ち上がらぬよう盤古を制し、それから静かに言葉を紡いだ。
「多く語る必要はありません。すべての経緯はすでに見ております。今回参ったのは、ただ我が主からの伝言を伝えるため。」
盤古はわずかに眉を寄せ、使者から少しでも真相を聞き出そうとした。
「その前に……失礼ながら一つお聞きしたい。あの二人の異界の者――彼らの力の源は、一体何なのですか?」
使者は影の奥で微かに笑い、その声はまるで虚像に反響するかのようだった。
「その問い(とい)は……たとえ知っていても、答えることはできません。」
神明たちは一斉に沈黙した。
「まさか……使者どのですら知らぬのか?」
「知っているかもしれないし、知らないかもしれない。」
使者は明らかに正面から答える気はなかった。
「いずれにせよ、我が主は今回の皆さまの働きに大いに満足しております。ゆえに――その褒礼として、一つ返礼を授けに参りました。」
黒衣の使者の言葉が終わるや否や、その両手が空中を払うように動き、巨大な黄金の魔法陣が瞬時に展開した。
それは明らかに次元の異なる魔法構造であり、盤古 ですら、その魔法陣に刻まれた符文を読み取ることができなかった。
光は清泉のように降り注ぎ、神明たち一人ひとりの身に触れた。
その瞬間、戦によって弱り切っていた彼らの身体は回復し、説明のつかない奇妙な力が体内へと流れ込んだ。
それは単なる治癒ではない。
まさしく「升格」と呼ぶべき力であった。
「こ、これは……」
伏羲 は思わず息を呑んだ。
「覚えておきなさい。」
黒衣の使者は低く静かに告げた。
「未来において 聖王国 を守る責任は、今後も変わらず、あなたがたの肩に掛かっています。
この力は、我が主が示す信頼と感謝――
慎重に使いなさい。」
「しかし私たちは、結局あの二人の異界の者の力に頼ってしまいました。それは……問題にならないのでしょうか?」
神農氏 は強い好奇心を隠さず問いかけた。
黒衣の使者の主は以前、彼らに「自分たちの力のみで戦え」と告げたはずだった。
だが今、その行動を肯定するような姿勢を見せている。
その矛盾が、彼にはどうしても理解できなかった。
使者は静かに頷いた。
「あなたがたの疑問は、すでに我が主が見通しておられる。
かつて私が言ったように――
全力で足掻く者だけが、勝利の曙光を見ることになるのです。」
そして、使者はわずかに声を落として続けた。
「ゆえに、真に認められたのは……
あなたがたが極限に追い詰められた時、それでも選び、決断したその“意志”なのです。」
神明たちはその言葉を聞くと、次々(つぎつぎ)に胸のつかえが降りたような表情を見せ、使者へ向けて深く頷いた。
「我等、必ずや使命に背きませぬ。」
「もう一つ。」
使者は立ち去る直前、ふと振り返って告げた。
「例えばあの二人の異界の者に対しては、必要に応じて手助けをして構わない。
だが――決して忘れるな。
どうあっても、我や我が主について語ってはならない。」
「承知しました。」
神明たちは恭しく頭を垂れ、表情もまた厳粛であった。
その瞬間、神明たちの胸には一斉に安堵が広がった。
長年尽くしてきた努力が、ようやく報われたのだと実感できたのである。
かつて歴代の神明たちもまた、生死の瀬戸際でもがき苦しんだ末、その努力を黒衣の使者に認められ、初めて「神明」としての真の力を与えられてきたのだ。
今、彼らもまた――その同じ瞬間を迎えていた。
岩壁に抱かれるように広がる昏暗の洞穴の奥、
その最深部にて、ひとつの澄みきった水池が静かに湧き、まるでこの沈黙の闇と共に呼吸しているかのようだった。
池の水面は幽かな青い光を帯び、
それはあたかも岩の隙間から滲み出た光が凝り固まり、水となって揺らめいているかのようで、
周囲の湿った岩肌や、滴水が絶え間なく落ちる洞頂を淡く照らし出していた。
空気には湿気と、幾重にも積み重なった年月の気配が満ちており、
この場所がいったいどれほどの年月を眠り続けてきたのか、判別することすら難しかった。
ひとつの人影が水池のほとりに佇み、
簡素な斗篷を肩に掛けたまま、
池の中を泳ぐ魚群を静かに見下ろしていた。
魚たちは水底の苔や岩の間をゆったりと行き交い、
その鱗は微かな光を受けて星のように瞬き、
まるですでに忘れ去られた世界を映し返すかのようだった。
その人物は微動だにせず、
洞穴そのものと一体となったかのように立ち尽くし、
ただ眼差しだけが、魚の動きに合わせてわずかに揺れていた。
彼女はただ静かにそこへ立っているだけだったが、
自らがどれほどの時間そこに佇んでいたのか、
それすら分からなかった。
彼女の視線は単に魚を見つめていたのではない。
むしろ何かの答え――
回憶か、あるいは予兆か――を探し求めているようだった。
池水には彼女の影が映り、
その輪郭は薄く重なりながら、
まるで水面の下にもう一人の自分が潜み、
声もなく彼女を見返しているかのようであった。
彼女は小さく呟き、
その声は風が水面を撫でるように曖昧に掻き消えた。
魚群は水中にいくつかの優雅な弧を描きながら泳ぎ、
やがてゆっくりと遠ざかり、
水面にはふたたび静寂が戻ってきた。
その静けさは先ほどよりもさらに深く、
洞穴そのものが呼吸を止め、
ただひとりの人の沈思と言葉なき想いを聴こうとしているかのようであった。
かつて三千年もの間封印されていた戦争は、
いま――
その序曲を、再び奏で始めていた。
一つの声が、空気に沈む静寂を鋭く裂いた。
「主人さま。
お預けいただいた件、すでに完了いたしました。
情報に関する内容も手中に収めております。」
黒衣の使者は片膝をつき、
眼前の人物へ恭しく報告した。
「そうか。
では――情報が外へ漏れた形跡はないのだな?」
「はい、一切ありません。」
しかし、
その人物はそれ以上何も言わず、
ただ手を軽く振り、退出を促すだけだった。
黒衣の使者はその合図を見て即座に理解し、
深く頭を垂れると、静かに場を離れた。
周囲がふたたび完全な沈黙へと戻ると、
その人物はゆっくりと水池の奥へ歩み進み――
そこに佇む、一つの巨大な封印された大門へと近づいていった。
その扉は深い影の中に沈み、
古き黒岩によって鋳造されており、
表面には無数の呪文が刻まれていた。
紋のひとつひとつは、抑えつけられた鼓動のように微かに蠕動し、
時折、細い光が紋の隙間から滲み出ては、
次の瞬間には儚く消えていった。
門板の中央には一つの凹槽があり、
まるで封印を解くための鍵穴であるかのように見えた。
その人物は静かにその扉を見据え、
やがて低く呟いた。
「最後まで……
この力を使わずに済めばよいのだが。」
第一巻の内容は、ここでひとまず区切りとなります。
この章全体について、何か気になった点や疑問はありましたでしょうか?
ちょうど最近は仕事が少し忙しくて、
このわずかな空き時間だけでも、
自分の負担を少し軽くしておきたかったのです。
第二巻の内容には、まだ多くの修正点が残っているため、
掲載を再開できるのは来月になりそうです。
どうぞ楽し(たの)しみにお待ちいただければ幸いです。
最後に、より多くのご意見や感想をいただければ幸いです。
それによって、私自身が執筆においてどの部分を改良すべきか、
より深く理解することができるからです。
ここからは、私がなぜ執筆を始めたのかについて。
この物語は、私にとって初めての作品であり、
そして初めて書いた日文作品でもあります。
最初に筆を執った理由は、
多くの素晴らしい物語に感動し、
「人の心を動かす作品を書いてみたい」
と思ったからでした。
大綱を練り直すたびに形が変わり、
さらに大変なのは細部の描写で、
読者が物語の世界を思い描き、
没入できるように書くことは、
本当に難しいと感じています。
中文であれば表現できることも、
日文へ翻訳した時に同じ感情を届けられるかどうかは、
また別の問題です。
それほど難しいことであり、
だからこそ皆さんからの反饋を通して確かめるしかありません。
良い意見でも、悪い意見でも、
私にとってはすべて大切なものです。
どんな形であれ、私はこれからも書き続けます。
歩みは遅いかもしれません。
それでも続けるのは――
「自分が心から楽しいと思えること」をしているからです。
それこそが、何より大切なことなのです。




