第一卷 第六章 約束を果たす-8
同じ時、鐘の音が終わった直後、青龍の回復速度は驚くほど速かった。
一時的に神明の力によって束縛されていたが、すぐにその影響から立ち直り、瞬時に再び飛び上がって、すべての制限を振り払った。
その眼には怒りの炎が燃え上がり、金色の瞳孔の奥には、あらゆるものを滅ぼす灼熱の火焔が宿っていた。
戦場に存在するすべての命を、いつでも完全に焼き尽くす準備が整っているかのようだった。
亞拉斯は深く息を吸い込み、素早く視線を青龍の動きに集中させた。
手に握る弓を強く握りしめ、再び攻撃を放つべく構えた。
放つ矢一本、一本に、亞拉斯は全力を込め、青龍の注意を引き付けようとした。
その僅かな時間が、仲間たちに準備を整える機会を与えると信じて。
弓弦が震え、放たれた矢は空中に銀色の光弧を描きながら走り、青龍の鱗甲へと突き刺さった。
しかし命中の度に、青龍はわずかに身を震わせるだけで、亞拉斯の攻撃によって深手を負うことは決してなかった。
亞拉斯の眉は深く寄せられ、心の内は焦燥で満ちていた。
彼ははっきりと理解していた――自分の攻撃では青龍を倒すことはできない。おそらく、時間を稼ぐことさえ叶わないだろうと。
これまで、彼は常に后羿弓の強大な力に頼り、自分より弱い相手を容易く打ち倒してきた。
だが、その過程で一度も考えたことはなかった――もし、いつか自分がこのような圧倒的な強敵と対峙したなら、果たしてどう立ち向かえばよいのかと。
彼の体内の魔力は既にほとんど残っていなかった。
頻繁な魔法と戦技の使用が、体内の魔力をほぼ枯渇させてしまったのである。
弓を引くたびに、彼は自分の中をかすかに流れる魔力の気配を感じ取った。
その微弱な流れは、彼の不安をますます掻き立てる。
もしも青龍の攻撃が、次はほんの少しでも速く迫ってきたなら――自分は二度と戦い続けることはできないだろう。
青龍は、亞拉斯の窮地をも察知したようだった。
その尾がわずかに揺れ、耳障りな風切り音を響かせる。
次の瞬間、鋭い眼差しが一気に亞拉斯の身へと突き刺さった。
青龍の口がわずかに開かれる。
その奥に、再び漆黒の光が凝縮し始めた。
今度放たれようとしている黒色の魔法光球は、先程のものよりもさらに巨大であった。
黒のエネルギーは、あたかも万物を呑み込む深淵のように渦を巻き、周囲の空気を激しく歪めていく。
まるで光明でさえ、この暗黒の力から逃れることは決してできないかのようだった。
「今度こそ……」と亞拉斯は低く呟き、胸の奥に深い無力感が込み上がってきた。
彼は、迫り来る滅びの力をはっきりと感じ取っていた。
だが今回は、反撃するだけの力も、回避に費やす魔力すら残されていない。
弓を引くこともできず、もはやあの微弱な魔力に頼って新たな攻撃を放つ術もない。
その瞬間、彼の中に残っていた希望は完全に潰え去った。
青龍の黒色の魔法光球は急速に膨張し、まるで空間そのものを呑み込む黒洞のように変貌していく。
天地を覆いつくすほどの威勢を帯び、その圧倒的な破滅の奔流は、猛然と亞拉斯と他の仲間たちへと撃ち放たれた。
その刹那、亞拉斯はただ黙って死の宣告を待つしかなかった。
彼は悟っていた――この光球こそが、自分たち全員にとっての終焉であると。
一つの指を弾く音が空気を切り裂き、澄んだ響きが戦場全体を貫いた。
群衆へと放たれた光球は、一瞬にして掻き消え、瞬く間に青龍の背に現れた。
その変化に青龍はまったく反応できず、何が起こったのか理解する暇さえなかった。
轟音と共に大爆発が起こり、青龍は自らの強大な攻撃を受けた。
その破滅的な力は瞬時に空中へと炸裂し、猛烈なエネルギーの波動が空気を切り裂いた。
爆発の衝撃は、青龍の首に掛けられていた神器を直ちに吹き飛ばし、その神器は宙を漂い落ちていった。
同時に、青龍は神器との繋がりを瞬間的に失った。
神器の加護を失ったことで、青龍の体内のエネルギーは急速に崩れ去り、その身体は均衡を失った。
そして、巨大な爆発の波動に弾き飛ばされ、大地へと叩き付けられる。
青龍の巨体は激しい衝撃音を伴って落下し、その身は力を失ったまま地面に横たわった。
周囲の大地は衝撃によって砕け散り、塵土が巻き上がった。
爆発の余波はそのまま仲間たちへと襲いかかってきた。
その衝撃は、先程の光球ほど致命的ではなかったが、それでも戦場に立つ全員の反応を奪うには十分すぎるほど強大であった。
烈しい振動が全員を打ち据え、瞬間的に頭が眩暈に襲われる。
身体に走る不調は彼らから意識を奪い去り、衝撃の波に押されるように、一人、また一人と倒れ、昏倒していった。
亞拉斯は意識を失う瞬間、ほとんど力の残らぬまま天空を見上げた。
彼の視線は霞み、朧げな世界の中、空の高みにはひとつの影が漂っていた。
白袍を纏った魔法使いの姿は、あたかも夜空に瞬く一つの星のように輝いていた。
距離は遥かに遠いはずなのに、その力の波動は確かにアラースの胸へと届いていた。
それが誰であるかは分からない。
だが、アラースは悟っていた――この戦いはすでに終止符を打ったのだと。
「処理の仕方は少し荒っぽかったけれど、『越位水晶』を手に入れるためには、この程度ならまだ許されるだろう。」
そう私は心の中で呟き、この場の戦闘は静かに幕を閉じたのだった。
神明と扶桑の対峙の場面において、扶桑の気勢はすでに頂点に達していた。
一気にすべての神明を滅ぼそうと、彼は弓弦を再び目一杯に引き絞り、強烈な矢を放った。
その矢は破滅の気配を纏い、まるで天地そのものを切り裂くかのように神明たちへと殺到した。
しかし、矢が神明たちへ命中する刹那、数人の人影が突如として空中に現れた。
彼らは疾風のごとき速度で迫り、瞬間のうちに**扶桑**の放った矢を弾き返し、攻撃を無に帰した。
「なに……?」
扶桑は愕然としてその人影を見上げ、驚愕と困惑を隠せぬ表情を浮かべた。
まさか、この決定的な瞬間に自分の全攻撃を阻む者が現れるとは、夢にも思わなかったのだ。
その瞬間、圧倒的な気配が逆流するように襲いかかってきた。
扶桑は突如として繰り出された反撃により自分の律動が乱されるのを感じ、その眼差しには困惑と怒りが交錯し、強烈な感情となって燃え上がった。
人影の輪郭は空気の流れに合わせて揺らぎ、やがて突然、複数の人影から一人の姿へと収束し、扶桑の視線の先に立ち現れた。
その瞬間、扶桑は悟った。
先程目にした複数の人影は、決して別人ではなく、すべてこの未知の人が操った分身術にすぎなかったのだと。
扶桑の眼差しは鋭く冷たく光り、心の奥では理解していた。
――この自分の全盛の一撃を防ぎきるほどの相手、決して侮れる存在ではない、と。
突如の妨害によって攻撃は弾き返された。
しかし、扶桑の心には一片の動揺もなかった。
その眼はさらに鋭さを増し、即座に艾拉卡の力を練り上げる。
そして再び攻撃を繰り出し、この不速之客を完全に叩き伏せるべく拳を振りかざした。
その拳の先は、先程自分の矢を弾き返した宿敵へと真っ直ぐ向けられる。
十階戦技 ― 焚燒金剛拳・終式・火獄崩天。
それは扶桑が自らの血液を燃やし、「気」を双拳に集めて放つ必殺の一撃であった。
その拳撃は火山の噴火にも等しく、地面でさえも焦げ付かせるほどの灼熱を伴っていた。
しかし、扶桑の攻撃が緹雅へと迫ったその瞬間、突如として目に見えぬ障壁が立ちはだかり、重苦しい衝突音を響かせてその進撃を阻んだ。
その障壁は、まるで無形の隔たりとなって扶桑を縛り付け、逃れられぬ檻のようであった。
扶桑は思わず動きを止め、次の瞬間、拳を叩き付けて突破を試みた。
「これは……どんな障壁だ?」
扶桑の眼差しには強い困惑が浮かんでいた。
これほどの力は、彼がこれまで目にしたどの防御とも異なる。
明らかに特別な術式による防御障壁であり、扶桑の攻撃は一切通じない。
何度も、何度も渾身の力を込めて拳撃を放ったが、その透明の障壁は微動だにせず、まるで揺るがぬ存在そのもののように佇んでいた。
「いったい何が起こっている!」
扶桑の胸は怒りで燃え上がっていた。
彼が注ぎ込む力は次第に増していったが、それでもなお、目の前の障壁を突破することは叶わなかった。
その無力な攻撃の繰り返しは、次第に扶桑の心に焦燥を積み上げていく。
この障壁は、彼の計画すべてを行き止まりへと追いやるかのように立ち塞がり、未曽有の危機感が内心を侵蝕していった。
まさか、自分がこれほど厄介な状況に追い込まれるとは、彼は想像すらしていなかったのだ。
その時、不意に声が耳へと届いた。
冷静きわまりない口調で――
「理は単純だ。おまえはその障壁を越えられない。ただそれだけのことだ。」
扶桑は驚いて振り返った。
彼は感知魔法こそ使えなかったが、戦闘の中で培った鋭敏な感覚があれば、周囲の敵の存在を見逃すことなど本来あり得ない。
だが――その人物が声を発するまで、彼は背後に誰かが立っていることすら、全く気づけなかったのである。
そこに立つ影は、平然とした表情と確固たる自信を湛え、扶桑をまるで眼中に入れていないかのようであった。
そして、扶桑がまだ完全には状況を飲み込めないうちに、先程弓矢を弾き返したもう一人の敵が、音もなくその人物の背後に姿を現したのである。
「おまえたちは何者だ!」
自分の攻撃が容易く無効化されたことに激昂し、扶桑は怒りを露にして叫んだ。
「それは、むしろ私が問いたいことだろう?」
私は冷ややかに応えた。
直接的な答えを与えることはなく、その冷淡な一言はかえって扶桑の怒火をさらに燃え上がらせた。
このやり取りは、彼にとって自身の偉大なる身分を真っ向から挑発されるに等しかった。
「ふん! 我こそはこの世界の偉大なる存在に選ばれし第十位、人々(ひとびと)に『三足鳥の祖 ― 扶桑』と呼ばれる者だ!
おまえたちには黄泉路への土産とでもしてやろう!」
眼前の人物から放たれる強大な力を確かに感じながらも、扶桑は依然として己の力に満ちあふれる自信を抱いていた。
艾拉卡さえあれば、自分はいかなる時でも高みから弱者を見下せる――そう確信していたのだ。
扶桑は再び魔力を凝縮させ、その手の中に形を変えて弓を描き出した。
そして冷静に弓弦を引き絞り、私と緹雅へ向けて矢を放った。
それは今までとは異なり、黒色の光を帯びた死の矢のごとく、私たちへと疾走する。
十階戦技 ― 静夜追月。
矢は空気を切り裂き、鋭い音爆を轟かせながら、私と緹雅の心臓めがけて一直線に突き進んだ。
だが、その攻撃は扶桑が期していたように私たちへ命中することはなかった。
私たちはただ軽く身をひねり、音もなく矢を避けたのだ。
その軌跡はかすりさえせず、まるで時そのものが私たちのために歩みを緩めたかのように。
扶桑の眼差しには驚愕が走った。
まさか、この一矢がかくも容易くかわされるとは夢にも思わなかったのだ。
それだけではない。
矢が障壁に触れた瞬間、突如その飛行は止まり、空気を震わせる強大な吸引の力が発生した。
その吸力に引き寄せられるように、矢は瞬時に障壁の中へと呑み込まれていった。
扶桑は目を見開き、自らが放った矢が障壁に触れた刹那、完全に吸収される光景を見届けるしかなかった。
その表情はますます陰鬱に沈み、ついには怒声を張り上げた。
「おまえ……おまえはいったい何をした!」
胸中を満たす不安は急速に膨れ上がっていく。
この不可視の障壁の力は、まるで見えざる手が戦局を操っているかのようであり、扶桑の心を苛立たせ続けていた。
私は静かに微笑み、落ち着いた声で答えた。
「別にどうということはない。ただ……その攻撃が弱すぎただけだ。」
私の言葉は、まるで冷水を浴びせるように扶桑の心を打ち据えた。
彼は目に映る光景をまったく理解できず、私の言葉の真意さえ掴めないでいた。
私が展開していたこの障壁は、私の職業技能のひとつ――世界の息。
この技能は、私がこの世界へ穿越して以来、進化を遂げてきた。
この障壁は単なる結界魔法ではない。
すべての攻撃を吸収し続けることのできる透明の防御層なのだ。
展開されると、それは私を中心に一定範囲の円形の防御層を形成し、物理攻撃であろうと魔法攻撃であろうと、どれほどの威力を持つものであれ吸収し、その力を封じ込める。
だが、この障壁が万能というわけではない。
展開時には莫大な魔力を消耗する上、維持し続けるためにも相当の魔力が必要となる。
さらに、同等の等級の魔法を操る存在や、特殊な神器を持つ者に対しては、この障壁の防御力は完全無欠とは言えない。
もし相手の魔力量が私自身の魔力を上回る場合、あるいはこの障壁を突破するために特化した神器を所持しているならば――
この障壁はもはや防御の役割を果たさなくなるだろう。
「ふん! 俺を閉じ込めるために繰り出した術か? 俺を甘く見たな!」
扶桑はこの魔法をまったく意に介さず、不屑な眼差しを向けた。
自分がその障壁を越えられぬのであれば、施術者を叩き倒せばよい――そう信じて疑わなかった。
彼にとって障害物など、取るに足らぬ些事にすぎなかった。
「いやいや、私はまだおまえに訊きたいことが山のようにあるのさ。」
私は冷ややかに応え、その声音にはわずかに挑発の色が混じっていた。
「ならば俺を先に打ち倒してみろ!」
扶桑は歯噛みしながら吠え、挑発に火を注がれた火山のごとく全身を爆発寸前にまで昂らせた。
次の瞬間、扶桑は私と緹雅へ向かって猛然と突進した。
その足音は轟音を響かせ、彼が踏み込むたびに強烈な気流が爆ぜ、戦場全体を震わせた。
続けざまに彼は再び十階戦技 ― 焚燒金剛拳を繰り出す。
その拳撃一発、一発が私と緹雅を目標にまっすぐ迫り、まるで止める術なき災厄の奔流のようであった。
しかし、その拳が私たちに到達しようとした刹那、それは緹雅によって阻まれた。
彼女の手に握られた刀刃は冷光を閃かせ、瞬時に扶桑の攻撃を迎え撃ち、軽やかにその一撃を受け止めた。
たとえ扶桑の力がどれほど強大であろうと、彼が拳を振り下ろすたびに、緹雅は常に余裕をもってその攻撃を受け流し、微塵の影響すら受けなかった。
「そ、そんな……馬鹿な!」
扶桑の顔には、驚愕と困惑が入り混じった色が浮かんだ。
自分の攻撃がこれほど容易く防がれるなど、彼は夢にも思っていなかったのである。
その事実は彼の心に疑念を呼び起こし、一瞬にして混乱の渦へと叩き込んだ。
緹雅は微かに笑み、軽やかに答えた。
「理由は単純よ。おまえの武器は、相手の物理抗性が攻撃力より低い場合にしか成立しないの。
もし物理抗性が攻撃力を上回ったら、その武器は完全に無力化されるだけよ!」
その軽やかで余裕ある口調から、扶桑は悟った。
――彼女はすでに自分の切り札を見抜いている、と。
その言葉に扶桑の怒りはさらに燃え盛った。
彼は素早く後方へ跳び退き、両手を合わせた。
次の瞬間、彼の背からは十羽の三足烏が飛び出した。
その一羽、一羽が濃烈な炎を纏い、瞬時に緹雅を取り囲み、同時に火炎魔法を解き放った。
「もしおまえが超高の物理抗性を持つというなら、その代わりに魔法抗性は低いはずだろう!」
扶桑の声は高揚し、戦場に轟いた。
だが、緹雅の瞳には微塵の恐怖も浮かんでいなかった。
彼女は再び微笑み、手の剣刃を振り抜いた。
瞬時に、三足烏もろとも火焔の奔流は断ち斬られ、その姿を消した。
その火焔の猛攻は、あまりにも容易く無力化され、まるで取るに足らぬ小さな火種に過ぎなかったかのようであった。
「軽んじられるのは本当に頭痛の種ね。」
緹雅は手にした武器を軽やかに振るい、その魔法をまったく意に介さぬ様子で言った。
「おまえの攻撃はせいぜい八階魔法の程度。恐れるに足りないわ。」
彼女にとって、その程度の攻撃は取るに足らぬものにすぎなかった。
「分かっている。」
扶桑は攻撃が打ち消されたにもかかわらず、驚く様子を見せなかった。
八階魔法が緹雅には効かぬ可能性が高いことを、彼は理解していたからだ。
つまり、先程の攻撃はただの陽動。
本当の一撃は、これから繰り出される。
扶桑は弓弦を再び限界まで引き絞り、矢身の周囲に膨大なエネルギーを急速に収束させた。
その矢は強大な力場に包まれ、万物を呑み尽くすかのごとき力が凝縮していく。
矢身から放たれる圧倒的な気配は、あらゆるものを切り裂くかのように鋭かった。
「これこそが俺の本当の切り札だ!――
十階戦技 ― 咒翼・幻鴉毒影!」
扶桑の眼は怒りの炎に燃え、放たれた矢は瞬時に巨大な鳥影へと変貌した。
その巨鳥の全身からは濃烈な毒気が放たれ、一息吸うだけでも命を落としかねないほどであった。
その嘴からも毒気が漏れ出し、紫紅色の妖しい光芒を纏ったその姿は、見る者の背筋を凍らせるほどの戦慄を放っていた。
その巨鳥が緹雅へ到達するまで、あと数歩の距離という刹那、突如として空中に掻き消えるように消散した。
まるで、何か神秘的な力に呑み込まれたかのように。
「な、何だと!」
扶桑は驚愕し、目を見開いて前方を凝視した。
自らの最強の攻撃が、なぜこのように忽然と消え去ったのか、まったく理解できなかったのだ。
その予想外の事態が、彼の心を大きく乱した。
その時、緹雅の背後から声が響いた。
「先にこの魔法を蓄えておいて良かった。そうでなければ、今度は少し厄介だったかもしれないな。」
私は淡々(たんたん)と告げ、手には新たな魔法陣が浮かび上がる。
次の瞬間、数千の悪鬼の顔が寄り集まったかのような邪悪な盾牌が緹雅の前に現れ、凄惨な気配を放った。
毒鳥の猛毒は瞬時にその盾牌へと吸収され、緹雅へは一切の害を及ぼさなかった。
「これが私の魔法の一つ――
九階魔法 ― 噬腐之盾・吞穢羅剎面。
酸の属性や毒の属性をすべて呑み込む盾だ。」
私は微笑みながら言った。
「こんな魔法があるなら、最初から使えばいいじゃない!」
緹雅は堪え切れず吐槽み、声色には小しばかりの茶化しが混じっていた。
「まあまあ、そう言うなよ! これは相当な代償が必要なんだ。
以前は、こういう時はいつも亞米に頼んでいたくらいだからな。」
私は緹雅に向けて説明を続ける。
「この技能の最大の欠点は、発動の際に自分の魔力の一割を支払わなければならないこと。
さらに十分ごとに、追加で魔力の一割を消耗するんだ。
持久戦にはまったく向いていないから、滅多に使わないんだよ。」
私は軽く手を振って肩をすくめた。
扶桑は想像だにしなかった。
自らの最強の攻撃が、たかが九階魔法によって阻まれるなど――
目の前で起きている状況は、もはや彼の理解を超えていた。
先程の攻撃が生んだ隙を逃さず、緹雅は十階魔法 ― 夜沉星幻を発動した。
この魔法は操作系の性質を持ち、その原理は通常の攻撃魔法とは根本的に異なる。
それは無数の形態へと変化し、迅速に目標を捕らえる。
さらに、敵を捕縛するのと同時に、その生命力と魔力を吸収し尽くし、やがて反抗の力すら奪い去るのだ。
最高階の魔法抗性を持たぬ限り、この魔法を防ぐことはほぼ不可能。
それこそが、緹雅がこの魔法を行使した瞬間、扶桑が逃れられなかった理由であった。
扶桑もまた優れた魔法を持ってはいたが、彼自身の魔法抗性は決して強くはなかった。
そのため、この魔法の前では急速に生命力を奪われていった。
彼の眼は恐怖と苦痛に満ち、肉体は無形の力によって引き裂かれるかのように蝕まれ、次第に力を失い、抗う術をなくしていった。
その瞬間、私もまた感じ取っていた。
扶桑の肉体から生命力が流れ去っていく気配を――
それはまるで、徐々(じょじょ)に干上がり、やがて音もなく消えゆく河の流れのようであった。
扶桑の生命力が崩壊の縁へと近づいたその瞬間、緹雅は精確にその限界点を見極め、魔法を解除した。
その時の扶桑は、まるで氷冷の深淵へ投げ込まれたかのように、すべての力を喪失し、もはや反抗の声すら発することができなかった。
そして、彼の手からは艾拉卡が無力に滑り落ちていった。
同時に、私は召喚魔法を発動し、黒蛇を呼び出した。
その蛇は深淵の闇に孕まれた異形の生物のごとく姿を現し、瞬時に扶桑の四肢へと巻き付いた。
黒蛇の冷酷な眼差しは扶桑を射抜き、その瞳は次の命令を待ち受けているかのようであった。
蛇身が絡みつくときには、ぎしぎしと軋む音や嗚咽のような歪な響きが空気を震わせ、扶桑の身体は完全に拘束され、もはや一歩も動けなかった。
扶桑の瞳には極度の無念が宿り、憤怒に満ちた叫びが迸った。
「くっ……くそっ! 放せ! 俺を放せ!」
私は小さく笑い、手にした艾拉卡を撫でた。
その息吹は今なお濃烈な魔力を帯び、圧倒的な気配を放ち続けていた。
私は扶桑の眼前へと歩み寄り、柔らかな声で告げる。
「これは、戦利品として貰っておくよ。……ふむ、なるほどな。
その弓はおまえが技能で幻化させたものか。どうりであれほどの貫通力を持っていたわけだ。」
その言葉を聞いた途端、扶桑の顔はさらに歪み、醜く引き攣った。
彼は認めようとしなかった――
自らが握っていたはずの掌握権が崩れ落ちていくことを。
その攻撃のすべてを私たちに軽々(かるがる)と無効化され、秘匿していたはずの力すら、いとも容易く見破られてしまったのだ。
「こいつ、どう処理する?」
緹雅が問いかけた。
私は微笑みを浮かべて言った。
「まあまあ~まだ聞きたいことが山ほどあるんだ。」
そして私は身を翻し、扶桑へ視線を向け、静かに囁いた。
「おまえは何も話さないだろうな……。ならば、試してみるか――この魔法を。」
私は手を差し伸べると、手首から眩い魔法陣が浮かび上がった。
それは空中でゆっくりと回転し、燦然たる光を放ち続ける。
やがて光輝が散り広がり、私は十階魔法 ― 靈魂情報を発動した。
魔法が展開されると同時に、周囲の空気は重苦しく淀み、時間そのものが停止したかのような錯覚を覚えた。
凝縮された魔力が私の掌に集まり、扶桑の脳裏へと流れ込んでいく。
無形の橋梁のごとき力が私の意識と扶桑の魂魄を直結し、強烈な魔力の奔流が互いを貫いた。
この魔法は莫大な魔力を代償とするが、その効果は絶大だ。
対象の記憶と思想を直接読み取ることができ、相手の精神防壁を強引に打ち破り、心奥の世界を覗き込むことが可能となる。
元来、この魔法はゲーム内においてはほとんど役立たぬ死に技能とされ、なぜレベル10に至ってようやく習得できるのか、私は長らく疑問に思っていた。
しかし、この世界に来てからは状況が一変した。
この魔法は極めて有用な力となり……同時に緹雅や芙莉夏によってギルド内での使用を禁じられた。
その理由は言うまでもない――他者の心を直接覗き込む、それはあまりにも深く「侵犯」に踏み込む行為だからだ。
だが、未知の敵を前にして、これこそが現状で最善の手だと私は考えていた。
敵は自らの情報を隠すことに長けており、もはや扶桑の口から有用な情報を引き出すことは望めないと悟っていた。
『靈魂情報』は精神系魔法には属さない。
その構築は精神魔法とは全く異なり、むしろ私が書物で読んだ特殊な魔法体系――『靈子魔法』に近かった。
この種の魔法は精神魔法と比べ、より直接的で原始的な性質を持つ。
単なる意識の干渉ではなく、相手の魂魄層面と直に交信するものなのだ。
今なら理解できる。
なぜこの魔法がレベル10にならねば習得できないのかを――。
この世界において、この魔法は極めて危険な存在であるからだ。
一度でも魂魄への干渉を行えば、相手の精神はもはや元の状態を保つことができない可能性が高い。
それは強烈な侵入性を有する力にほかならなかった。
ただし、靈子魔法は誰もが扱えるものではなく、その使用条件は極めて厳しい。
この種の魔法を扱えるのはごく限られた職業のみであり、私たちのギルド内でも、これを扱えるのは私と亞米、姆姆魯、そして納迦貝爾の四人にすぎない。
彼らがこれらの特殊な魔法を持っているにもかかわらず、私は彼らが実際にその魔法を行使する場面を一度も見たことがない。
私自身が扱える靈子魔法の数は決して多くなく、その一つひとつが高い魔力消耗を伴う。
私が今回発動している『靈魂情報』は、靈子魔法の中でも最も基礎的な技能にあたり、私の意識を対象の魂へと短時間接続し、相手の記憶を読み取ることができる。
だが、これは決して万能の魔法ではない。
書物に記されていた通り、熟練した敵、特に靈子魔法に通暁している者は、この種の魔法に対して独自の反制を行い、私が読み取ろうとする記憶を改竄することさえできるという。
もし相手が心の防御を十分に固めていた場合、この魔法は完全に無効化される可能性すらある。
さらに悪いことには、私が誤導され、意図的に仕組まれた罠や誤情報を掴まされる恐れがあるのだ。
それは私たちにとって極めて大きな危険となりうる。
私の手が扶桑に触れたその瞬間、私は扶桑の記憶を見始めた。
映し出される光景はひどく暗く、どこであるのか判別できない。
周囲の景色は歪み、ぼやけ、まるで異次元の空間へ迷い込んだかのようだった。
具体的な形も色彩もなく、ただ無限の闇がすべての光を呑み込んでいた。
「今日からおまえは三足烏の祖 ― 扶桑だ。」
低く命令めいた声が空間に響き渡るのを、私はかすかに聞き取った。
「よく聞け! 世界はおまえを選んだ。破壊の象徴として、聖王国を滅ぼすのだ!」
その声は再び響き、冷酷かつ無情で、拒むことのできない宿命感を帯びていた。
その時、映像の中で扶桑がゆっくりと両眼を開いた。
その瞳からは深淵のような力が放たれていた。
周囲は祭壇のように見え、その中央では炎が轟々(ごうごう)と燃え盛っていた。
祭壇の前方には墨緑色のローブを羽織った謎の人物たちが立ち並び、彼らの顔は陰鬱な光に覆われ、その姿形の輪郭のみが幽暗な輝きに浮かび上がっていた。
まるで、何か秘められた儀式が執り行われているかのようであった。
だが、私が彼らの素顔を確かめる前に、扶桑の身体に突如として激烈な変化が訪れた。
彼が絶叫すると同時に、強大な力が彼の肉体を襲い、一瞬にして不気味な力に呑み込まれていった。
扶桑の肉体はまるで不可視の力に精気を吸い尽くされるかのように、激しい燃焼と共に全身を炎が覆い、瞬時に形を失い、血溜まりとなって崩壊した。
「また……これか。」
「どういうこと? まさか、あの時の德蒙という奴と同じなのか?」
隣で緹雅が問いかけ、その眼差しには困惑が浮かんでいた。
「帰ってから話そう。」
私は低い声で応え、その胸中には重苦しい感情が広がっていった。
この戦いの後、私と緹雅は聖王国を救うことに成功した。
扶桑の死と共に、支配されていた人々(ひとびと)や守護獣たちも元の姿を取り戻し、その瞳には再び光が宿った。
ただ、この間に起きた出来事について、彼らには一切の記憶が残っておらず、まるで全てが抹消され、遡ることのできない空白だけが残されていた。
神を除けば、私と緹雅が手を貸したことを知る者は誰もいなかった。
神たちは人々(ひとびと)の前で私たちの功績に感謝を示そうとしたが、私と緹雅はその場で静かに姿を消し、痕跡を一つも残さなかった。
私たちと扶桑との一戦、その一部始終は山腹に立ちすくむ黒衣の使者の眼に映っていた。
「なるほど……すべては主の予見の通りか。」
「この後は報告だな。
次は六島之國か?
紅のあいつが予定通りに動いているかどうか……。」
黒衣の使者はただ独りで呟き、地面に漆黒の蓮華の印を刻むと、その身は黒霧となって掻き消えた。
龍族聖域の最奥の儀式房では、二人の龍人が盤上に向かっていた。
しかし、その盤は単の棋盤ではなく、六大国を覆う地図であった。
この二体の龍人は明らかに通常の龍人とは異なっていた。
その姿形は確かに龍であり、身体は硬い龍鱗に覆われていたが、一方は天使族の翼を持ち、もう一方は悪魔族の翼を持っていた。
「どうやら聖王国攻略の行動は失敗に終わったようだ。『越位水晶』だけでなく、『無冕神器』まで奪われた。」
「だが、これまでの情報からすれば、聖王国に『無冕神器』に抗える傢伙など存在するはずがない。」
「もし、あの者たちが動いたのなら、できなくもないだろう?」
「だが、報告によれば、どうやらあの者たちの手によるものではないらしい。聖王国の潜入者からの情報にも、あの者たちの痕跡はなかった。どうやら新たに誕生した二人の混沌級冒険者らしい。」
「所詮、混沌級冒険者ごときでは、あの魔神の相手になどなれるはずもあるまい。その二人は一体……。」
「我々(われわれ)の力では、その二人にすら及ばぬ可能性が高い。幸いにも鑰匙は既に手に入れてあるし、『契約之印』の効果もある。だからこそ、我々(われわれ)はこれほど容易に行動の露見を避けられているのだ。」
悪魔の羽翼を持つ龍人が、手にした立方体を弄びながら言った。
「偉大なる主は、何を指示なさるのか?」
「わからぬ。だが情報によれば、あの二人の次の動きは高い確率で六島之國だという。速やかに動かねばならぬ。少なくとも、鑰匙を回収せねばならない。」
第六章の物語をようやく書き終えることができて、とても嬉しいです。
来週は一週休みを取り、その後10/11から第七章を始めます。
第七章は第一巻の最後の章となり、完成までおそらく6〜8週ほどかかる予定です。
最近は以前の文章を見直すことに多くの時間を費やし、不足していると感じた細部を補いました。
また、すべての漢字に再めて注音を付け直すつもりです。そのためにもう少し時間が必要ですが、できるだけ早く完成させたいと思っています。修正後は読者の皆さんに、より読みやすく感じていただければ嬉しいです。
現在、数人の固定読者がいてくださることが本当に嬉しく、私にとって大きな励みになっています。自分の作品が皆さんの期待を裏切らないものでありたいと願っています。
私の作品について何か思うことがあれば、どんなことでも歓迎します。
私はそうした意見を目にしたときは必ず真剣に読み、そこから皆さんが好きな部分や、私に足りない部分を知ることができます。
改めて、読んでくださる皆さんに感謝します。
それこそが、私にとって欠かすことのできない原動力です。




