第一卷 第六章 約束を果たす-1
(王家神殿の會議廳の中)
私、緹雅、そして芙莉夏は、
一つの大きな机の周りに腰を下ろし、
卓上に散らばる数枚の資料に目を通していた。
これらは、ここ数日で聖王国から集めた情報である。
私はその内容を整理し、
緹雅と芙莉夏に分け与えて共に分析していた。
同時に、私たちは重要な手掛かりを見落としていないかどうかを確認していた。
「だから、現時点で私たちは聖王国の神明たちと、友好な関係を築けたと言えるだろう。」
私は手に持つ、丁寧に折り畳まれた巻物を見下ろしながら続けた。
「だが残念ながら、仲間たちに関する情報は、
今のところ他の国にいる可能性が高いということしか分かっていない。」
「そうね……それが少し不安なのよ。」
緹雅は眉をひそめ、指先で髪を軽く弄りながら、
その声にも焦りの色を隠せずに言った。
芙莉夏は静かにうなずいた。
彼女は終始冷静で慎重な態度を崩さない。
「それは不思議ではないわ。
この大陸では情報の流通が発達していないのだから。
吾等に確実に分かっているのは、
彼等がどこか特定の地域にいる“可能性”だけ。
具体的な所在は、今後さらに調査を進める必要がある。」
私は微笑みを浮かべ、
顔を上げて二人と視線を合わせた。
胸の奥では、時が経つにつれ、
より多くの手掛かりが現れることを静かに願っていた。
「そうだな。今私たちにできるのは、ただ前に進むことだけだ。
少なくとも今のところ、あの神明たちは私たちに敵意を抱いてはいない。」
芙莉夏は突然眉をひそめ、
少し疑わしげな声音で言った。
「そういえば……聖王国の神明たちは、本当に信じていいのかしら?」
その言葉に、私の胸はわずかに緊張で強く脈打った。
確かに、聖王国の神明たちと友好関係を結べたのは悪くない。
だが――それが本当に信頼に値するものなのか?
そんな疑念は、正直これまで考えたこともなかった。
私はしばらく沈黙し、思案したのちに口を開いた。
「少なくとも、彼等は我々(われわれ)の前で偽るような素振りは見せなかった。
それに、実際に協力もしてくれた。
現段階では、信じてみてもいいと思う。」
私の声は落ち着いていたが、その奥には確信と少しの不安が混じっていた。
完全に信じ切ることはできない――
だが、今この瞬間に限っては、彼等が敵意を持っていないのは確かだった。
緹雅は私の言葉を聞いて小さくうなずいた。
「そうね。今のところ、彼等は私達に危害を加える気配はない。」
彼女の口調はいつも通り軽やかだったが、
その瞳の奥には鋭い警戒の光が宿っていた。
「でも――だからといって、簡単に信じるのは危険よ。」
その言葉に、私は反論することなく静かにうなずいた。
神明たちが本当に信頼できる存在なのか――
今の私には、まだ断言することはできなかった。
「でもさ、一つだけずっと気になってたことがあるの。」
緹雅は突然そう口にした。
「どうして彼等は『神の權能』を持っていながら、
蚩尤に勝てなかったの?
私から見れば、あんな戦い――楽に終わるはずだったと思うんだけど?」
私は軽くうなずき、緹雅の考えに同意した。
確かに、蚩尤は強大だが、
所詮は混沌級BOSSの一体に過ぎない。
聖王国の神明たちは、決して凡庸な存在ではない。
その實力を考えれば、
蚩尤ごときに手こずるなど、本来あり得ないはずだった。
私は目を細め、静かに答える。
「私も不思議に思っている。
蚩尤は混沌級のBOSSに過ぎない。
もし世界級BOSSなら、話は別だけどね。
彼等は“聖王国を離れると權能が発揮できない”と言っていたけど、
それを考慮しても、あの程度の敵に苦戦するとは思えない。」
緹雅は腕を組み、眉を寄せながらうなずいた。
「うん、私もそう思う。
あの程度の相手なら、神明たちにとっては
簡単に片づけられるはずよ。
なのに、“自分たちでも簡単には倒せない”なんて言うなんてね……。」
この問い(とい)に対して、芙莉夏はまるで予めていたかのように、
静かに口を開いた。
「或いは――吾等は別の可能性を考慮すべきかもしれぬ。」
彼女の視線が柔らかく私達に向けられる。
「彼等の神明は、まだ就任して間もない存在だ。
もし就任直後に重傷を負ったのなら、
權能を完全に掌握できていないのも無理はない。」
「でも、その後すでに二十五年も経ってるんだよ?
もう十分長い時間じゃない?」
私がそう言うと、緹雅が小首をかしげた。
「長い? 本当にそうかしら?」
「えっ? 短いの?」
思わず私は聞き返す。
「もし彼等が長命種――つまり寿命の長い種族なら、
二十五年なんて、ほんの一瞬にすぎぬ。」
芙莉夏は穏やかに説明した。
「なるほどね、それなら彼等がまだ權能を完全に使いこなせない理由も納得できるわ。」
緹雅は感心したようにうなずく。
私は芙莉夏に視線を向け、
その洞察力に心から感心した。
「さすがだな……芙莉夏は、こういうことへの理解が本当に深い。」
しかし、芙莉夏の表情に、ふと微かな違和感が走った。
彼女は机上の書類を見下ろしながら、
少し曖昧な声音で呟いた。
「それは……当然のことだ。」
その口調はどこか歯切れが悪く、
まるでそれ以上、話題を掘り下げたくないようだった。
私はその様子に気づき、静かに問い(と)いかけた。
「どうかしたのか?」
芙莉夏はしばし黙り込み、
やがて顔を上げて、いつもの落ち着いた口調に戻る。
「……何でもない。老身は、こういう分析に関しては少し自信があるだけだ。」
確かに芙莉夏は普段から無駄な言葉を口にしない。
いつも冷静沈着に物事を観察し、
私たちが迷ったときには、必ず理想的な答えを導き出してくれる。
だからこそ、私も緹雅も、彼女に深く信頼を寄せていた。
私はそっと微笑み、
これ以上は何も問わなかった。
彼女の知恵は、いつだって決定的な瞬間に、
私達に道を示してくれる――その確信があったからだ。
「そういえば――緹雅、君もあの“權能”について何か知っているようだったな?
何か発見でもあったのか?」
聖王国の神明たちと対面したとき、
緹雅が口にした言葉を思い出しながら、私は尋ねた。
緹雅はそれを聞くと、ふっと笑みを浮かべた。
まるで、私がこの質問をすることを予期していたかのようだった。
「気づかなかったの?
この世界で言う“權能”って、
実際はゲームで言うところの“職業特性”と同じなのよ。
だから、あの神明たちを鑑定したときの結果を見れば、
彼等のおおよその實力が分かるってわけ。」
その説明を聞いて、私はしばらく沈黙した。
頭の中で、これまでの出来事を一つずつつなぎ合わせようとする。
「つまり……“職業特性”って、
譲渡や付与ができるってことか?」
そう問いながらも、
私の胸中には説明し難い違和感が湧き上がっていた。
この概念は、私にとってあまりに常識を超えたものだった。
芙莉夏は小さくうなずき、静かに言葉を継いだ。
「老身に言わせれば、それほど驚くことでもなかろう。
そもそも吾等が今持っている力も、本来は吾等自身のものではないのだからな。」
「汝も考えてみよ。
この世界では、多くの強者たちの力は天性ではなく、
何かしらの手段によって得られたものだ。
神明たちが持つ“權能”も、きっと似たような過程で授けられたのだろう。」
「確か……彼等は言っていたわね。
權能の継承には、“儀式魔法”が必要だと。」
私は腕を組みながら考えを巡らせたが、
別の疑問が頭を離れなかった。
「だが――その權能を授けたのは“九人”だと言われている。
ということは、あの九人こそが元々(もともと)この力の持ち主だったということだろう?
それほどの力を扱える存在なら、相当な強者だったはずだ。」
私は言葉を途切らせながら、困惑を隠せずに部屋の中を歩き回った。
「だが……あの九人については、まったく情報が残っていないんだ。」
私は頭をかきながら、小さくため息をついた。
ここ最近集めた情報は、どれも断片的で、
まるで一本の糸で繋がっているようでいて、
その実、互いの関係は霧の中だった。
緹雅と芙莉夏もまた、沈黙したまま思考に沈んでいた。
やがて、緹雅が顔を上げ、静かに言った。
「三千年前に存在したという“九人”。
そんな遠い過去のことなんて、知る術もないわね。」
その声色には、どこか諦めにも似た響きがあった。
「過去の事跡を探したところで、
これ以上の手掛かりは、恐らく見つからないでしょう。」
私は小さくうなずき、
胸の奥に拭えない無力感を抱いた。
“九人”という存在は、もはや私の理解の範囲を超えている。
私が追い求めているものは――
まるで、誰かによって意図的に隠され続けている謎そのもののようだった。
その時、私の頭に一つの考えが浮かんだ。
「……でも、“誓約”の内容から推測するに、
あの九人も長命種なのかもしれない。
そうでなければ、いざという時にこの世界を再び守るなんてできないだろう?」
緹雅が私の言葉を受け、軽くうなずいた。
「つまり――その九人は、今もこの世界のどこかに身を潜め、
静かに見守っている、ということね。」
私は小さく息を吐き、
その想像に一抹の不安を覚えた。
「でも……もし本当に彼等が存在しているなら、
俺たちは――将来、一体どう向き合えばいいんだ?」
緹雅はその問い(とい)に目を瞬かせ、
やがてにこりと笑った。
「あなた、そんなに心配なの?」
彼女は軽い口調で言いながら、
その笑顔にはどこか柔らかい優しさがあった。
私は深く息を吸い、苦笑いを浮かべた。
「まあね……せめて、俺たちを敵だと誤解しなければいいけど。」
そう言って肩を落とす。
恐怖というよりも、むしろ警戒と慎重さの混じった感情が胸に残った。
「心配しないで。なんとかなるわよ!」
緹雅はあっけらかんと言い放つ。
その声には一片の不安もなく、
むしろ確固たる自信が滲んでいた。
芙莉夏はそんな二人を見て、
微笑みながらも慎重な口調で付け加えた。
「とはいえ――吾等は、油断せぬ方が良かろう。」
私たちは茶をひと口すすりながら、再び議論を続けた。
「黒棺神についてだが――
現時点の情報から推測するに、
三千年前に封印されたあの魔神が、
何か裏で企んでいる可能性が高いと思う。」
「いや、もしかすると、あの魔神の部下たちが動いているのかもしれないな。」
「黒棺神について分かっているのは、
奴が神器と十二至宝の力を手にしているということだけ。
それ以外の情報は、いまだに謎に包まれている。」
正直に言えば、
この敵は狡猾で老獪――
周到な計画のもと、殺戮と情報隠蔽を
同時に遂行するほどの策士だ。
だが、私は苦笑いを浮かべながら言った。
「まあ……あいつらの唯一の誤算は、
俺たちがこの世界に現れたこと――それだけだろうな。」
「そういえば――姉上、最近神殿で何か問題は起きていないの?」
緹雅が心配そうに尋ねる。
だがその声には、どこか茶目っ気も混じっていた。
「ふん! まだお前みたいな小娘に心配されるほど老けてはおらぬわ。」
芙莉夏は軽く緹雅の頭を小突く。
緹雅はすぐさま舌をぺろりと出し、
わざとらしく顔をしかめた。
「もぉ~! ちょっと心配しただけなのに~!」
その仕草は子供っぽく、どこか愛らしかった。
「もし本当に忙しすぎるなら、
他の守護者を呼んで手伝わせた方がいいんじゃないか?」
私は穏やかに言った。
私たちが留守の間、
弗瑟勒斯の管理はすべて芙莉夏一人に任されているのだから。
「今のところは大丈夫だ。
防護網の強化は思ったより骨が折れるが、
モットの子であるムムルがよくやっておる。
あの子は本当に頼もしい。
おかげで老身は第九神殿の管理に専念できる。」
「それなら良かった。だが、もし支援が必要なら、遠慮なく言ってくれ。」
「老身は前にも言ったであろう。
汝の任務は、緹雅をしっかり守ることじゃ!」
芙莉夏はわざとらしく咳払いをし、
にやりと意味深な笑みを浮かべた。
「それに――老身はもう聞いておるぞ。
汝と緹雅……」
「まっ……まって!」
私は緊張して顔をそらし、緹雅の方を見た。
すると、緹雅は楽し(たの)そうに笑っていた。
「ティ、ティア?」
私は両手を緹雅の肩に置き、震える声で呼んだ。
「なに? そんなに恥ずかしがって。
そんなに私たちの関係を知られたくないの?」
「ち、違う! 気になってるのは……まさか、細かいことまで話してないよな?」
「えっ……ごめん、全部言っちゃった。」
緹雅は自分の頭を軽く叩いた。
「ついでにね、あなたの言葉を録って、毎日の目覚ましに使ってるの。」
緹雅は録音水晶を取り出し、
私が言った超恥ずかしい言葉を再生した。
「うわあっ!」
緹雅は笑い転がり、
私は恥ずかしさで穴があったら入りたかった。
その時、妲己が伝達の聖甲蟲を通して報告してきた。
「凝里さま、聖王国で何か起きたようです。」




